対談:炭谷俊樹(ラーンネットグローバルスクール)×田原真人

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探究学習を行っているラーンネットグローバルスクール代表の炭谷俊樹さんと対談させていただきました。
 
ラーンネットには、「先生」はおらず、代わりに「ナビゲーター」と呼ばれる人たちがいて、普通の教師とは違った役割、アプローチ、関係性で子どもに接しています。
 
ラーンネットで実施している「ナビゲーション講座」は、ナビゲーターの接し方、声かけの仕方を学ぶことができ、大変人気があります。
 
先月、この「ナビゲーション講座」を、はじめてZoomを使ってオンラインで行いました。
 
オンライン講座の企画と運営をお手伝いさせていただいたことをきかっけに、炭谷さんと繋がり、対談させていただくことになりました。

教育に対する想いに、多くの共通点がありました。

対談:長谷川伸(関西大学)×田原真人(反転授業の研究)

反転授業の研究の田原真人です。

関西大学の長谷川伸さんと対談させていただきました。
 
学生が授業への参加度を高め、分かる喜びを感じることができるために、どのような工夫をしているのか。
 
長谷川さんが、強い関心を持って取り組んでいるゲシュタルト療法について。
 
感情の抑圧と魂の植民地化の関係。
 
そんな話をしているうちに、バラバラだった要素が繋がり、アハ体験が起こりました。
 

対談:筒井洋一×田原真人

反転授業の研究の田原真人です。
 
私たちのグループが運営するオンライン講座では、運営ボランティア制度を導入しています。
 
これは、京都精華大学で筒井洋一さんが行っていた授業に導入されていたCT(Creative Team)にヒントを得て、導入したものです。

本家本元の筒井さんは、現在、京都精華大学を退官され、大学を社会に開いていき、社会を大学に繋げていく新しいチャレンジを始めています。

前回行われたオンライン講座では、筒井さんが運営ボランティアとして加わってくださいました。
 
筒井さんが、今、チャレンジしていることや、オンライン講座に運営ボランティアとして参加して感じたことなどについて、対談しました。
 

【対談】古新舜(映画監督)× 田原真人(反転授業の研究)

オンライン教育プロデューサーの田原真人です。

映画監督の古新舜さんと対談させていただきました。
 
古新さんとは、昨年、反転授業の研究グループで出会い、第3回アクティブラーニング・フォーラムでコラボするなど、縁を紡いできました。

古新さんとは、共通点が驚くほどたくさんあります。

古新さんが巣鴨学園で中学、高校生活を送っていたとき、田原は、数学の非常勤講師として勤務していた。

古新さんも田原も、早稲田大学理工学部応用物理学科出身

古新さんも田原も、物理の予備校講師になった。※古新さんは駿台予備校で、田原は河合塾。

というわけで縁の強さを感じているわけですが、今回、対談させていただき、改めて、価値観の部分でも共鳴し合うところがたくさんあることを感じました。
 

対談動画:ブリッジの田中力磨×反転授業の田原真人

オンライン教育プロデューサーの田原真人です。

生徒の主体的な学びを促す教師にとって、一番大切なのは「在り方(Being)」ではないでしょうか?

しかし、「在り方(Being)」というものは、とても捉えにくいものです。

いったいどのようにして「在り方(Being)」について考えればよいのでしょうか?

また、教師の在り方は、生徒にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

 

滋賀県で専属コーチ・ブリッジという教室を開いている田中力磨さんは、在り方(Being)にずっとこだわって、生徒と接しています。

今回、Zoomで対談させていただき、お互いの考えていることをオープンにした結果、様々な気づきがありました。

iPadの達人!住ノ江修さんインタビュー

オンライン教育プロデューサーの田原真人です。

学校にiPadなどのタブレット端末が入ってくるようになり、個人でも所有している人が増えていますが、僕を含めて多くの人は、iPadのポテンシャルのうち、ほんのわずかしか引き出していないのではないでしょうか?

ホワイトボードアニメーションについて作り方を調べていたときに、住ノ江修さんのYoutube動画を見て、「iPadアプリだけでもできてしまうのか??」と驚きました。

それで、住ノ江さんがiPadで作成した動画などを見せてもらうと・・・・

驚きの動画の数々。

鼓動するメタルも。

iPadを使ったプロジェクションマッピングまで。

iPadが広げる予想をはるかに超えた驚きの世界がそこにありました。そこで、iPadの達人、賢明学院小学校ICT教育室長、住ノ江修さんにインタビューさせていただきました。

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映画監督になりたかった大学時代

―― iPadで作られているものを拝見して、びっくりしているんですけど、すごいですよね。

オタクというか、マニアというか(笑)。初代iPadが発売されてから、iPadに関わることがありまして、もともと映画監督になりたいという気持ちがあったので、いじっているうちにどんどんはまっていって、iPadのおかげで、今の仕事にも就けているんです。

―― 映画監督になりたかった頃からiPadまでまっすぐ繋がってきたんですか?それとも、いろいろな紆余曲折があったのですか?

映画監督になりたい気持ちは、いったん落ち着いて、普通の大学生活を送りました。大学は、関西学院大学なんですけど、そこには、8mmフィルムを使った自主映画のサークルがあったんです。関西で自主映画で有名な私学といったら関学だったので、行ったんですよ。

―― へぇー、それは、全く知りませんでした。そこにアンテナが立っている人からすれば、「関学に入ったら自主映画やれる!」みたいなことになっていたんですね。

そんな感じがあったんです。親が専門学校じゃなくて大学へ行けという感じだったので、関学のすべての学部を受けて、商学部だけに補欠合格したんです。高校では、偏差値がクラスの中で低いほうで、先生も僕を見捨てていたんですけど、突貫で勉強したら、何とか転がり込めたんですね。

それで、映画を何年か撮ってました。

その他に、大阪に海遊館という水族館があるんですけど、そこで、夜だけ映画を上映する海遊館シアターというのがありましてそこで映写技師のバイトをしていました。もうお亡くなりになりましたけど、ジャック・マイヨールさんを描いたフリーダイビングの映画の「グランブルー」という映画のイベントで来ていただいたりしました。

転職を繰り返していたときにiPadに出会って人生が変わった

―― 映画を仕事にしようとは思わなかったのですか?

自分の映画の才能のなさに挫折しまして、普通のサラリーマンになることにしました。

新卒で通信事業者のツーカーホン関西に1995年に入社しました。ちょうど携帯の自由化が始まった年でした。同期はレベルの高い人ばかりで、大学もそうですけど、ラッキーで転がり込んだので、周囲についていけず落ちこぼれていきました。ツーカーホン関西で10年程勤めて逃げるように転職しました。

逃げの転職ですから上手くいくわけもなくその後、転職を何度も繰り返し社会的にドロップアウトしかけたんです。

―― その難しい状況から、どうやって抜け出したんですか?

そうこうしていると関西の大手塾に2010年にご縁があって、そこに教務課長として入りました。

その年、iPadが出たときで、印刷物とかイベントとかの管理が紙の手帳では追いつかないので他の人がiPadを使っているのを見て、「ええな!」となって、iPadを使い出しました。iPad関係のアプリは2000以上ダウンロードして、仕事の工程管理とかをしているうちに、iPadに詳しくなりました。ですがその職場で、3か月くらい多忙できちんと休みが取れない日が続いたりとかしまして、身体を壊す寸前まで働きづめの時期があったんです。

そのころ、関西にあるソフトバンクの大手代理店が、iPadの法人向けのコンサルや教育ができる人が欲しいということで、声をかけてくださって、そこで3年ほど、法人向けにいろんな業種に対してiPadってこんなことができますということをお伝えし提案営業をしていました。

医療系、教育関連、営業、流通関連、物流とか、幅広い業種に関わり業種別の分析をして、アプリや業務改善提案を行いまた導入セミナーをしてきました。3年間で大小合わせるとセミナーを200回以上やっていたと思います。

ソフトバンクさんの汐留の本社で100人規模のセミナーもやらせていただいたこともありました。

―― 教育分野には、どのような経緯で関わるようになったのですか?

そのソフトバンクの代理店から、今勤務している私立の賢明学院にiPadを200台納めていた経緯があって、今度新しく小学校にiPadを導入するので、先生方へ3日間の研修依頼を受けて研修を実施しました。その研修きっかけで、向こうからお誘いのお声をかけていただき移りました。

所属としては、賢明学院小学校のICT教育室で室長というのをやっているのですが、学校だけにいると、ノウハウが溜まっても、他に共有できないので、賢明学院小学校の中にある子会社に所属して、賢明に派遣されているという形にしてもらっています。週の3日~4日は賢明にいて、残りは、他の学校や会社に提案や営業を行っています。

元々、独立したいという気持ちがありましたので、今の形になっています。現場で培ったノウハウを蓄積してKeynoteで教材を作ったりとか、いろんな授業で事例を蓄積し、最近では大阪教育大学の学生さん向けにICT特別講義をやったりしています。

今、僕が実践蓄積してきたノウハウを共有しないともったいないなという気持ちがすごくありまして、社団法人を立ち上げて先生向けのICTのコーチングをするような場を創るのと、教育者を目指す大学生に対して講座をやってあげたいという思いがすごくあります。

今は、そのような活動をしながら、趣味と実益を兼ねて、映画が好きなので、コマ撮りをやったりしています。このようなことをiPadだけでできるんですよということを見せられるとインパクトがあるみたいです。

一点突破して道が開けると、すべての経験を生かせるようになる

―― 住ノ江さんのキャリア形成の流れは、面白いですね。計画していけないものですよね。突き進んでいくと、誰かが見つけてくれて導いてくれてという繰り返しですよね。

なんなんでしょうね。僕も最初のツーカーホン関西にいたら安定していたと思うんですけど、そこからドロップアウトして、職を転々としていて、すごく自分に自信がなかったんですね。ですがiPadに出会って、「これは、すごい」と思ったんです。僕みたいなシステム音痴の人間でも、ここまで可能性を広げて、人に語れるくらいになれるんですね。自分の生涯のパートナーに会ったような感じです。

これを、もっと極めていきたいと自然に思いソフトバンクの代理店の頃,営業の仕事を終えて、11時ころに家に戻ってきてから深夜2時、3時まで、翌日の訪問先のお客様へのiPad提案資料を作ったりとか、そういうことをやっているうちに、自分の引き出しがどんどん出来ていってiPadセミナーなど出来るようになってきました。

そうしているうちにいろんな方からお声をかけていただいて、ご縁が広がり、教育業界というやりがいのあるところに現在関わらせていただけるようになって、とてもありがたいと思っています。

―― 僕も、ドロップアウト組なので、分かりますね。僕の場合は、ゼロになってしまったときに、目の前のことにがむしゃらにやっていったら、手持ちの札が何枚か持てるようになってきて、その組み合わせでいろいろなことができるようになっていきました。反転授業と出会ったときは、今までやってきたことがすべて結びついてきた感覚があって、自分は、ここに来るためにいろんな経験を積んできたんじゃないのかという感覚がありました。住ノ江さんが、iPadと出会ったときも、そうだったんじゃないかなって思ったんですけど、いかがですか?

それは、ほんまにそうです。僕は、ツーカーホン関西を出てから、塾が母体の会社に転職し社会人向けのICTとかWebデザインの専門学校で働いていたんです。入ったとたんに半年後に部門を閉めると聞かされ、システム会社に移ったんです。システム会社では、メーカーさんに人を派遣する形なんですけど、システムの考え方が身に着きました。家を買った直後に東京転勤になって戻ってこれないかもしれないって言われて、転職して、物流センターでデータベースはこうなっているんだって経験させてもらって、その後、先ほどのiPadに出会った関西大手塾に行きついたんですね。

肉体労働もしたし、いろんなところを転々としてきたんですけど、転職しだした年齢が33とか34とかなので、世間的に厳しいじゃないですか。

でも、どうしてそんな年齢で転職できたかということを分析すると、転職活動の面接前に面接を受ける業界のことを徹底的に調べて、この会社に入ったらこのようなことをしたいという具体的なプラン案や新商品の提案書を作成して行ったのが良かったようなんです。

ソフトバンクの代理店に入って法人営業をするときに、いろんな業種にiPadを提案する時にその転職活動時のいろんな業種を勉強していた経験がとても役立ちました。お客様のところにiPad提案に行ってる時にお客様から

「住ノ江さん、流通で働いていたの?」
「業界常識を何故知ってんの?」

という話になるんですよ。こんなそんなでいろんな業種にご縁をいただいて医療機関から開業医向けiPadセミナーのご依頼を受けたりしています。最近、医療系の法律が変わって、テレビ電話等による遠隔診療が認可されたらしいんですが、お医者さんとつながりのある商社さんから相談を受け、テレビ会議システムのZoomを紹介し遠隔医療実施の提案をしようとしてます。僕の頭の中では、海外に家族で住んでいる人で、現地医療受診が不安な方に遠隔で医療相談に乗ったりとか、過疎地の医療に役立てたりとか、いろんなことができそうだって思っています。

iPadから僕の世界がどんどん広がっています。田原さんと同じで、一本突き抜けると、道がバタバタっと開けていっていることを、今、すごく感じています。

―― 開けていくと、今まで使えていなかった中途半端なリソースも、組み合わせて使えるようになるんですよね。

そうそう。ジャンクかなって思っていたものが、価値を持ち始めるんですよね。

僕は、Youtubeの動画でコマ撮りやってますけど、それを見て、声をかけてくださる方がいたりします。

一生懸命やっていたものは、無駄にならずに、後で良い意味で繋がるんですよね。

仕組み作りの発想が、仕事に余裕と創造をもたらす

―― 住ノ江さんは、転職のときに、業界のことを分析して、普通の人がやらないレベルまで準備して行ったりしていたわけですよね。日常の業務も、大変だけど、あと一歩進めて、仕組みを作るところまでやれば、成果が大きく変わってきますよね。

僕も、予備校講師をはじめたときに、こんなに予習と授業に明け暮れていたら、いつまでたっても自由な時間が創れないと思いました。それで、一度解いた問題の解答プリントをスキャンして電子化し、テキストを作るための問題を2000題くらいTexで入力して、それらをデータベース管理しました。問題番号を並べてコンパイルすれば、予備校のテキストと解答プリントがプリントアウトされて、ほとんど予習しなくてよいという仕組みを作ったんです。データーベース化する過程で、副産物として、大学入試の物理の出題傾向や出題頻度、難易度が頭の中に入って、模試の問題なども難易度に合わせてすぐに作れるようになりました。それを5年目までにやったことで、時間的にも余裕ができて、本の執筆をしたり、フィズヨビを始めたりすることができたんです。そのときは大変ですけど、長期的に考えれば、仕組み作りをしたのが大きかったです。

その通りですよ。現場を見ていると、学校の先生って忙しいんですよね。保護者対応があったり、問題を起こした生徒への対応があったりとか。ただ、今まで、中小企業で仕事をしていて、業務改善をやっていて思ったのは、ちょっとがんばってエクセルで表を作るだけでも全然違いますよね。

ソフトバンクの代理店のとき、支店が東京、名古屋、関西にあって、誰が何台売って、粗利がなんぼだという日々の営業活動を電話で確認して、ボードに
書いていってたんです。部長が不動産出身の人で、ボードに書くことで実績に対する意識を持たせる意図だったんだと思います。でも、夕方の6時から6時半まで、毎日電話で実績を聞き合う作業が、年間にしたらどれだけ無駄な時間を使っているんだろうと思ったので、すべての人にグーグルのアカウントを取らせて、表を作って、個人が自分の成績を外出先からでもスマホ等で書き込んでもらい自動集約できるようにして、個人の成績や全体実績も自動的にグラフで出るようにする仕組みを2日くらいで作ったんです。

僕は、プログラマーじゃないので、単にエクセルの組み合わせみたいな感じで作ったんですね。そんなふうに業務改善できて思ったのは、人間って、頭ではこうやればよいと思っていても、忙しいから、結局やらない人が多いんだと。それで、新たな事に投資できる有意義な時間を無駄にしているんですよね。

―― そうなんですよね。忙しいけれど、もうちょっと頑張って仕組みを作るところまでやらないと、その忙しさがずっと続くわけですよね。

教育現場もそんな感じで、先生も忙しくて、資料をグーグルでも何でもいいからデータベースに入れて、共有フォーマットを作って、教材を作って入れておけば、学年が変わっても使えるわけじゃないですか。

それを、忙しいからしない。でも、僕は、3カ月死ぬ気で業務もやりながら改善やれば、劇的に仕事が変わるというのを、今まで経験で分かっているので、本当に良くしたいなって思っているんですね。

Keynoteで解説を小出しにして、生徒に思考させる時間を与える

―― 住ノ江さんは、Keynoteについてのセミナーなどを行っていますが、Keynoteを使うメリットは、どんなことなんですか?

よく僕がKeynoteを教育現場のICT事例で出している理由としては、思考させる間を与えられるからなんです。算数を例にあげると算数の教科書って、全部結果を書いてあるじゃないですか。見ると分かった気になるけど、考える過程を省いています。算数は紙芝居みたいに、次はどうなるだろうって考えさせること/間がすごく大事だと思います。それがKeynoteなら算数の問題や解説を小出しに表示でき思考の間を作れる事が出来るので算数の勉強にはKeynoteはとてもいいと思ったんです。

あと、教科書だと児童が下を向いてしまいますが、Keynoteを使用して授業で使用する際は教科書を閉じさせてKeynoteで作成した教材を見せます。そうすると先生は児童の顔を見て授業が出来て児童の表情で授業の理解度を把握できます。

またKeynoteのアニメーション機能を使用することにより、算数の図形とか、概念をアニメーション/動画で説明すれば児童の算数に対する理解がとても速
いというのが分かったんです。例えば、円の中心点があって、そこから距離の等しい点をどんどん繋いでいくと円になるというような事もアニメーションにして円になっていく段階をアニメーションで見せてあげると児童は教科書よりよく理解できるようなんです。学習における意識づけや、動機付けをする意味においても、Keynoteアニメーションによる段階的提示が大事なんだなって分かったんです。

それで、今、算数の教材を作っていて、学年ごと、単元ごとに整理していっているんですね。Keynoteで作っておくと、あとでアフレコで音声を入れられるので、反転授業用の動画コンテンツとしても成り立つんですよね。

それをやっているうちに、賢明だけでは、もったいないなって思うようになりました。このノウハウを、他の学校の先生にも提供していけば、先生は児童/生徒と向き合える時間がもっと増えていい授業が行えるじゃないですか。

今教育現場ではシステム会社から販売された学習ソフトに合わせての授業とか、タブレットを一人一台持たせて問題の送受信すればアクティブラーニングだってみたいな風潮が一部あるのですがもっと根本的なこと、ICTによって先生が生徒と向き合う時間を増やすための仕組み作り(共有電子教材作成など)の必要性を今、強く感じているんです。

直感的に使えるiPadが、新たな発想を生み出す

―― 住ノ江さんから見て、iPadは、何がすごいんですか?

プレゼンをやるときに皆さんに言っているんですけど、僕は、もともとすごく口下手で、システムとかパソコンがすごく苦手で、はじめはひらがな打ちしかできなくて、会社に入った当時は、表も作れないので、先輩からいびられて泣いてたんですね。

そんな人間でも、直感的に使いこなすことができる、新たな発想が生まれるこのiPadというデバイスというのは、すごいと思うんです。

簡単で直感的にやれるというのが、iPadの凄さだと思います。

パソコンでPhotoshopというソフトを使うと、すごく機能が深くて、ちょっと背景とかを消したいというときでも、どこをいじったらいいのか分からなかったりするんですね。でもiPadとかだと、背景を消すだけのアプリが100円とか200円とかで売っていまして、そういうものを使うと、ど素人でも、パソコンがなくても、簡単にいろんなことができるんです。僕がYoutubeにいろんな動画を上げているのは、iPadだけでもこんなことができるんだよというのを見せたいからなんですね。

これは、仕事も人生も変えることができるすごいデバイスだと思うんですよ。

―― Photoshopなどが高機能なのに対して、iPadのアプリは、1つ1つは機能が限られていて、シンプルなものが多いですよね。

そうなんです。字幕を入れるだけのアプリとか、いらないものを消すだけのアプリとか、単機能のアプリも多いです。

機能が絞られていて、触ると直感的に勝手にできるんですね。そこが素晴らしいと思います。

―― 住ノ江さんは、iPadで何かをやろうとするときに、「このアプリとあのアプリを組み合わせればできるな」というような発想をするんですか?

アプリを2000個以上も落としているんで、何を使えばいいのかが分かるんです。

例えば、「アニメーションで動く絵本を作りたいんだけど、どうしたらいい?」と言われたら、「Keynoteを使ったアニメーションを作って、背景はこのアプリで作って・・・」というように、パパパッと繋いじゃうんですね。

そこに行きつくまでの過程では、こういうことがしたいというものがあると、それをできるアプリをいろいろ探して、発見していってたんです。そのときに、仕事でも趣味でも応用がすごく効くということに気付いたんです。iPadは、道具をどう使うかということを、いい意味で、考えさせてくれるんですね。

変な話ですけど、システム会社の人にiPadの使い方を教えに行ったことがあったんです。

名刺管理アプリの使い方、帳票をスキャンして枠を指定すると簡単にデジタル入力できるアプリの使い方とか、僕からすると当たり前のことなので、システム会社のSEとかPGとかの人ならみんな知っているだろと思いながら紹介すると「おぉ!」ってなるんですね。

それを見たときに思ったのは、知識と知恵というのは違っていて、うまいことコーディネートしたり、繋げ合わせたりする能力というのは、プログラマーがコードを打てるというのと違うんだなと思いました。

「住ノ江さんが、SEやPG上がりの人だからでしょう」と言われるんですけど、「僕は、前はパソコンも持っていないような人で、iPadだけでこれだけできるのは、僕がすごいんじゃなくて、iPadがすごいからなんです。」ということをセミナーでよく言っているんです。「だから、あなたにもできるんです」という説得力を持つことができるんです。

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組み合わせて創り出す工夫は、特撮と同じ

―― 特撮って、効果を出すためにいろんな工夫をするじゃないですか?部品を組み合わせて、メタな情報を上手に創っていく感覚なんじゃないかなと思うんですけど、そういう感覚と、アプリを組み合わせて機能をコーディネートしていく感覚って近かったりしますか?

たぶん、そこはすごく一緒なんです。特撮で、こういう映像を作りたいけど、これだけの予算と、これだけの物しかない。じゃあ、それをどう使ったらいいねん。どうしたら、目指しているものに近いものを創れるんやということになるんです。昔の映画って、本当にそうやって作っていたと思うんです。

僕は、もともとは特撮映画監督になりたかったので、それが、iPadとリンクしているんでしょうね。

―― 面白いですね。僕も、そういう工夫がすごく好きで、よく「使い方の発明」という言葉を好んで使っているんです。開発するというレベルの発明じゃなくて、あるものをどう使うのというレベルで発明していく人もいると思っているんです。

僕は、そっち系ですね。

―― 僕も、どちらかというとそっちが得意で、そこに喜びを感じるんですよ。ものを製作した人が意図しない使い方を見つけたときに「勝ったな」って思うんですよ。笑

分かる分かるーー。設計者の思惑を超えて、こんなことできんねん!というやつですよね。

―― そうそう。「自分が作ったものが、こんなところに使われているのか、何考えたんだこいつ!」みたいなことになったら面白いなって。

自分で工夫して、新しい使い方とか価値を発見するのって、楽しいじゃないですか。

むっちゃ楽しい!笑

僕も、Youtubeで上げている動画とかで、普通はアフターエフェクトとか、高いソフトを使ったらできることを、2個か3個のアプリを組み合わせて映像を作っていたりして、パソコンの詳しい人から、「これって、どうやって作ったん?」と聞かれたときに、「200円のアプリと300円のアプリを組み合わせて、背景をこれで変えたらできて・・・」と言ったら、「そういう発想があるんや?」と言われたんですよ。

それがうれしくて、王道じゃないけど、工夫して価値を見出すのが、すごい好きなんですよね。

―― ちょっとハッカーマインドですよね。みんながお金をかけて決められたとおりにやっているところを、安いアプリを組み合わせてショートカットできる道を探し出したことで、新しい価値を生み出していくということですからね。

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自分が勉強したことが、他人の役に立つのがうれしい

サラリーマン時代に嫌だったのが、上司から言われた通りにやる人だったんです。それだと、責任転嫁もできるじゃないですか。上司に言われたからやったんですって。

営業時代も、上司から「俺の言う通りにしてたらいいんや」と言われると、「それは、検証しましたか?」とすぐに思ってしまって、独自のやり方をして営業の成績を上げて、上司から何も言われないようにしたりとか、していたんです。

やはり、見直すとか、新たな角度からやらないと、マンネリ化すると、よくてせいぜい現状維持、市場変化とか環境変化があると悪くなるだけじゃないですか。常に何かを良くすることを考えて、情報を入れて、自分は営業だからシステムのことは知らんでいいということじゃなくて、システムのフローチャートの考え方を営業に応用できるようにしたりとか、垣根を持たずにいろいろ繋げていくと、いろんなことがプラスになって、自分が勉強したことが、他人にお話するとお役に立てるのがうれしいんです。

―― 実際に、本当にいろんなところから相談を受けていますよね。

iPadのおかげでお医者さんから相談を受けたりとか、教育関係でセミナーをしたりとか、動画配信をする会社からも相談を受けたりとか、いろんなことに、お役に立てるのがうれしいですね。

面白かったのが、落語家のプロデュースしている方から相談受けたこともあるんです。それで、古典ネタじゃなくて、ギリシャ神話をネタにしてプラネタリウムの真ん中で落語をやりませんかって提案したりしました。

ものの角度とか組み合わせとかを工夫して、新しいものを創って、みんなが喜んでくれて、それを見て、自分がハッピーになりたいなという気持ちがあるんです。

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学校の先生のICTに対する壁を破壊してあげたい

―― 住ノ江さんが、今、教育の分野でやりたいと思っているのは、どんなことですか?

僕は、学校の先生のICTに対する壁を破壊してあげたいんです。特別なものだとか、システムに詳しくないからできないとかではなくて、人間が使う道具であって、仕組みは難しいかもしれないけど、決まった流れで結果を出しているだけなので、お作法さえ覚えたら、応用が効きますよ。と伝えたいんです。

今日も、大阪教育大学に行って教育現場におけるICT事例紹介という特別講義をさせてもらって、学生からの講義感想アンケートを見てみると、多かったのが、大学ではこういうICTの授業がないということだったんです。

大学にiPadが100台くらいあるらしいんですが、ほとんど使われていないようなんです。iPadの起動とか、インターネットの使い方程度のものなんです。なのでiPadのいろんなアプリを応用して教材を作成したりとかの経験がないんですね。

先生になると、忙しすぎて新しいことをする余裕がないと思うので、教育大学の学習過程で、ICT機器の使い方だけではなくて、活用方法の講義/授業をしてあげたいなってすごく思うんです。

―― それは、教師が自分でICTを使った工夫できるようになる力をつけるということですか?

自分で活用できる応用力と、事例をうまいこと組み合わせてあげて、ステレオタイプではなくて、広く考えて活用できるようになってほしいんですよね。

例えば、異業種のiPad活用方法も、授業のヒントになるよねというような感じで、システムと授業をうまいこと融合させてあげて、先生も楽に、生徒も楽しくなるような授業をやるお手伝いを、むっちゃしたいなって思っているんです。

―― iPadを使って、いろんな角度から見るとか、いくつかの物をリンクさせて応用していくこととか、学校に今までなかったような種類の学びを入れていける可能性もありそうですね。

僕は、落ちこぼれだったので、僕ができるんだったら他の人もできますよというのが、言えるんです。僕が営業で自信を持てたのは、対面恐怖症で、説明下手で、理解も遅かったんですよ。友だちで10のうち3を聞いたら理解する子もいるのに、僕は10のものを何回も繰り返して説明してもらわないと無理だったんです。

理解が遅い僕が分かるような伝え方、教え方ができたら、誰でも分かるということじゃないですか。

頭の賢い人は、それが、逆にできないですよね。理解が遅い人間だからこそ、本当に誰でも分かる伝え方の理論が構築できるじゃないですか。

それが、僕の武器だと分かったんです。そのおかげでどの業種に行っても、専門用語とかじゃなく、たとえ話をしながら、身近な例で話すことによって、いろんな業界で僕の説明を受け入れていただいたんです。

そういう部分と、直感的に触れて、組み合わせによっては、1が10にも100にもなる可能性を秘めているiPadと、すごく相性がよかったんかなって思いますね。

―― 理解が遅いって、鵜呑みにしないということともつながっていますよね。生徒とかでも、すぐに分かったというけど、浅く理解して、表面的に処理してしまう生徒と、いちいち突っかかって時間がかかるんだけど、身体に染み込ませていく感じだったりする生徒がいて、後者は、時間がかかるけど、身に着けたものを、いろんな風に応用できるようになったりするんですよね。でも、学校現場では、時間内に理解することが求められるので、ゆっくり深く理解したい生徒をサポートできるといいですね。

僕が、よくジグソーパズルに例えるんですよ。ある程度のところを埋めていくと、急に全体像が見えて、一気に埋まるときがありますよね。

システムが分からないと言っているお客さんに「焦らんでいいですよ。やれることからやっていくうちに全体像が見えてきます。焦って、分かったという人ほど伸びないんです。ゆっくり考えながらパズルを埋めていくと、急に景色が変わりますから」という話をいつもするんです。

僕みたいな不器用な人で、あきらめている人が、iPadやったら、仕事も人生も変えられるんだって伝えたいんです。

僕が、iPadで、これだけいろんなことができているんですから、ちょっと見方を変えるだけ、できないという思い込みを外すだけで、絶対変わりますからということを言うと、みなさんの認識が変わってくるのが楽しいです。

―― 転職たくさんしているけど、その経験を生かしていない人もいますよね。住ノ江さんの場合は、様々な経験を、全部自分の中で繋げて一枚の絵にしていっているところがとても印象的です。

嫌な経験も、いい経験も、すべて自分を助けてくれているなというのは思いますね。

僕は、すべてが先生と言うのは、変な話ですけど、物流センターで働いていた女性の方が、パートなので言われたことしかしないんですけど、物流って無駄を省いて出荷を早めるために、作業工程を常に見直していきます。そこの考えや過程が素晴らしいんです。

考え方とか細かい技とかを教えていただいて、時間内に押さえるとか、出荷ミスをしないためのチェック体制であるとか、すごいんですね。僕は、4大出ているとか、有名企業に就職したというプライドがあってせいで、その物流の仕事をしているときは、はじめとても辛かったんです。でも、みんな先生だなって思えた時に、物流のパートの女性からも学べるし、お医者さんからも学べるし、教師からも学べるし、営業とか建材屋さんからも学べるし、すべてのことから吸収できるんだなって思いました。そういうことが、今、一気につながってきて、自分の中のパズルが埋まりだしている感じがあるんです。

―― そういう雰囲気が、外に発散されている感じがあります。
Youtubeに出している動画とか、しゃべっている感じとか、いろんなところから幅と厚みを感じるんです。アウトプットしているものを見れば、そういうのって分かりますよね。氷山の一角を見たときに、水面下にどれだけ大きい塊があるんだろうかという予想がつきますよね。

今、ぐぉーーって来ている人が、非言語的に発散している何かがあって、本人もそれにワクワクしているような雰囲気を、住ノ江さんから感じるんですよね。

自分の中で、iPadでこんなに人生も仕事も変えられるくらいの可能性があって、ICTに関しては学校の改革もできるし、授業形態も変えられると思っていて、そういういろんなアイディアが溢れるくらいあるんですけど、それを目に見える形にして、誰でもできるようにしていく作業を早急にしたいなって思っているんです。

それはしなくちゃいけないけど、一方で、iPadでプロジェクションマッピングをしたり、舞台演出をしたりとか、Zoomとタブレットを使って、不登校の子どもたちが勉強する場を創ってあげて、勉強って面白いんやで、Keynoteで作った教材とZoomを使えばできますよね。その子たちが感じている「私なんかには無理」という思い込みをバリバリっと剥がしてあげるお手伝いができるかなという可能性が見えてきたんです。

―― アイディアを実現するために考えていることはありますか?

今度、中山涼一先生と平野貴美江先生とで、一般社団法人を立ち上げようと言っています。

ICTの教員向けの資格認定みたいなものを作って、教員を目指す人たちに対しても教育体制を作って、私学に対しても、定額で契約をして、学校の先生がZoomで僕に質問できるようにするとかして、全国の学校を繋いでいって、教員を目指す方もサポートできる体制ができたらいいなって思っています。

SenSei Tips

教育を変えるっていうような偉そうなことは言えないんですけど、働きやすい環境を作るということはできると思います。例えば教材も共有しないで、大きなわら半紙に貼って、毎回作って、赴任先が変わるたびにリセットされていたものを、データベース化できたら、教師の時間の損失を押さえることができるし、勉強が得意じゃない不器用な子が、動画とかで勉強を面白いって思えるようになることのお手伝いができるんじゃないかって思っているんです。

インタビューを終えて

住ノ江さんは、様々なものを縦横無尽に直観によって結び付け、その組み合わせによって価値を創り出すのが、とても得意な人なんだなという印象を受けました。

それは、決められたことを効率よく処理していくことを求められる学校教育や、大企業においては、相性がよくなかったため、秘められた能力を発揮しきれていない状態だったかもしれません。

しかし、iPadという非常に相性のよい道具と出会ったことで、住ノ江さんの能力が外側へ表出していく道筋ができ、人生が開けていきました。

頭の中にストックされている2000個以上のアプリを、縦横無尽に結び付けて、様々な価値を生み出していくのは、住ノ江さんの独壇場です。

興味深いのは、iPadという大きな強みができたことで、それと他の経験とを結び付けて、新たな価値を生み出していることです。これまでの様々な経験も「アプリ」のように頭の中でチャンク化され、

iPad+(様々な経験)=新しい価値

というように価値創造に利用できるようになり、仕事を広げているのです。iPadという大きな強みが生まれたことで、住ノ江さんの「結び付けて価値を生み出す」という能力が、より広い分野で生かせるようになっているのです。そして、住ノ江さん自身が実感されているからこそ、「すべてが先生」という言葉が出てくるのだと思います。

僕が印象に残ったのは、住ノ江さんが、自分の体験を分かち合いたいという気持ちを持たれているところです。秘めた能力が、1つのことをきっかけで表出していった経験が、多くの子どもたちの役に立つのではないかと考えているところが、ICT教育に携わっている原動力になっているところが素晴らしいと思いました。

住ノ江さんのように繋げて価値を生み出す人は、繋げられる要素が増えるほど、指数関数的に生み出せる価値が増えていきます。ジグソーパズルが埋まってきて、大きな絵が見えてきたという住ノ江さんの今後の活動が、とても楽しみです。

 

 

対談:ホラクラシー型経営の武井浩三×反転授業の田原真人

「反転授業の研究」を主宰しているオンライン教育プロデューサーの田原真人です。

反転授業では、教師が権力の象徴である教壇から降り、生徒に対するコントロールを手放してファシリテーターの役割をすることで、生徒の主体性を引き出していくことが重要になります。

これは、全員参加型の共生・共創社会を創るための力を、教室の中で育んでいこうという未来を見据えた活動なのです。

そのような未来の社会では、多くの組織が、今のようなトップダウン式のヒエラルキー組織ではなく、フラットで柔軟なホラクラシー組織になっているのではないでしょうか?

海外に目を向けると、すでに、『奇跡の経営』で有名なリカルド・セムラーのセムコ社や、アメリカの靴のオンライン小売であるザッポスのように、社内の管理を極力減らし、生き物のような組織を作って成功しているところがあります。

そんな中、「反転授業の研究」では、次のブログ記事がとても話題になりました。

ホラクラシー型経営で8年間経営してみた。

日本にも、経営者がコントロールを手放し、フラットな組織を作って経営しているところがあるということに興味を持ち、ダイヤモンドメディア株式会社代表の武井浩三さんと対談させていただきました。

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ホラクラシー型経営はブラックミュージックに通じる

――以前、日本ファシリテーション協会(FAJ)会長の平井雅さんとお話したことがあるんです。平井さんは、ずっとジャズをやっていて、その後、ファシリテーションの世界に入ったんだそうです。そしたら、ジャズとファシリテーションは、場から即興的に生まれてくるところがとてもよく似ていて、ジャズをやっていた経験が、ファシリテーションにとても役立っているっておっしゃっていたんですね。武井さんは、若いころにかなり本格的にバンドをやっていたというのを記事で読んだんですが、それは、今のホラクラシー型経営と結びついているんですか?

かなり近いと思いますね。音楽って、完全に個人事業主じゃないですか。誰にやれと言われるわけでもなく、自分が好きだからやるもので、それしかないじゃないですか。

その感覚って、仕事を楽しむこととか、自分のやることすべてに通じています。音楽をしながら、仕事を始めたときの僕の感覚としては、それと同じでしたね。年齢も性別も国境も関係なく、音楽は完全に実力主義なので、うまい奴は、うまい奴とやりたいし、下手な奴はしょうがない。その労働観は、今も全く変わらずですね。

経営のスタイルだけじゃなくて、実際の経営のところも、先ほどおっしゃられていたみたいに、アドリブというか、その場その場で柔軟に対応していくという考え方は、音楽、特に、僕がやっていたブラックミュージックに通じるところがあるなと思っています。僕は、R&Bとかが好きで、そのアドリブって、日本人はあまり持っていないんです。ホラクラシーの組織って、ピラミッドみたいに型にはまっているわけじゃなくて、その場その場でふわふわ形を変えていくみたいなイメージなんです。それってまさに、ブラックミュージックなんですよね。

空気を読んでいくみたいな感覚なんです。でも、この空気を読む力というのが、結構、センスが必要だなというのを最近、痛感していますね。

――それは、面白いですね。僕は、野球をやっていたんですよ。特に昔の少年野球って監督が偉くて、監督の指示通りに決められたことをきっちりやるってものだったんですよね。あれは、即興とか空気を読む力とかを育てることの逆を行っていますね。

実は、僕も、幼稚園から中学3年生まで、ずっと野球をやっていて、それが息苦しくてやめたんですよ。監督が、あれしろ、これしろって言って、右打ちだったのを、無理やり左打ちに変えられて、嫌だったのに嫌って言えなくて・・みたいな。

――そういう構造が、学校も含めて、いろんなところにありますよね。

 

反転授業とホラクラシー型組織の類似点

―― 記事を読んでいて面白かったのは、目標設定をやめたら、問題が無くなったというところだったんです。

「反転授業の研究」で似たようなプロセスがあったんです。もともとこのグループを始めたころは、僕は、旧いビジネスモデルの中にいて、「反転授業」というキーワードは来るぞ!と思って、ブログを作ったりして、人が集まる仕組みを作っていたんですね。それで、これを将来的に収入の柱の1つにしようという個人的な目標設定があったんですね。

でも、反転授業に対する理解が深まってくるにつれて、場をフラットにして生徒の主体性を引き出していくという反転授業の考え方と、自分のビジネスモデルとの矛盾が大きくなってきたんです。

ちょうどファシリテーション入門という講座をやるときに、関係性をフラットにしてアメーバ型組織を作っていくときにファシリテーションが重要な役割を果たしていくんだって言っている講座がピラミッド型になっているという矛盾が生じたんです。それで、苦しくなってきてしまって、その気持ちを打ち明けたら、場が転換して、みんなが助けてくれるようになったんです。

そのときに、自分が勝手に作り出していた目標設定が問題を創り出していたんだなって思ったんですよ。それで、そういう自分勝手な目標設定を止めて、流れに乗っていこうと思ったら、そういう問題が発生しなくなったんですよ。

それで、そのときに出てくるものに乗って、自然な流れに任せていけばいいんだなということをそこから学んだんですよ。その経験が、武井さんの「目標設定をやめたら、問題が無くなった」という話とシンクロしたなって思ったんですよ。

全く一緒だと思いますね。

反転授業は、どのくらいやられているんですか?

――僕自身は、2年くらいです。反転授業というもの自体が、まだ新しいんですよ。この2,3年で出てきたものなので。

でも、コミュニティでやり取りしているうちに、問題意識がどんどん深まっていって、活動の焦点が変わってきていますね。

もともとは、自宅学習と教室での学習の順番を反転して、動画で予習して、教室でワークをするというものが反転授業なんですが、何のために反転するのかというと、教室内のヒエラルキー構造を弱めて、生徒が主体的に動けるようにしていくためなんですね。そのためには、教師の役割や、リーダーシップの取り方が変わるんです。そうすると、学校の組織運営も変わらざるを得なくなってきますよね。そうすると、ドミノ倒しのように下から上へとボトムアップの変革の波が生まれてきたんですよ。

そうしたら、だんだんと動画が・・みたいな話じゃなくなってきて、マインドセットが変われば、どっちだっていいじゃんみたいな感じになってきているんですよね。

なるほどですね。教育とホラクラシー経営というのが、僕の中でもリンクしているんです。最近は、オルタナティブ教育が盛り上がっていますが、特に、サドベリーとかに興味があります。東京サドベリースクールの理事長は、まだ、30代なんですけど、その方と、最近すごく仲がよくて、話を聞くことが多いんですよ。彼らの視点から話を聞くと、教育の実践がある程度うまくいくというのは、アメリカの実証実験とかをもとに自信を持っているそうなんですけど、今の課題は、サドベリーのようなオルタナティブ教育で育った子どもを受け入れてくれる企業がないってことなんだそうです。教育は、育つところまでは自由にやってくるのに、企業に入ったら、いきなり上下関係があったりするわけです。もっと受け入れてくれる企業を増やしてほしいから、ホラクラシーを広めてほしいって言われています。教育とホラクラシーは別の問題じゃなくて繋がっているんだって感じましたね。

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外発的動機づけをなくし、Beingの価値に報酬を払う

――教育というのは、社会がまずあって、その社会に適応する部品を作っていくためのものだという文脈で語られることがよくありますよね。でも、岩手県の大野高校の校長先生をやっている下町壽男さんは、全員参加型の共生社会を作るために、自分たちは参加型授業をやるんだって言っているんです。今ある社会に対して適応するんじゃなくて、これから創りたい未来に対して自分たちは教育をやるんだって言って、管理職が覚悟を決めて学校ごと変えていっているんですよ。そういう人たちって、全国に散在していたんです。それが、インターネットによって結ばれてきて、出会うべくして出会ったみたいな感じで、次々に繋がってきているんですよ。

田原さんのビジョンというか、反転授業のムーブメントが、どのように広がっていくというイメージを持たれているんですか?

――目指しているのは、生き物としての人間の復活ですかね。反転授業というのは、主体性教育なんですよね。主体性というのは何かなといったら、巨大なシステムに依存して弱められてしまっている部分を、自分に取り戻していくということなんじゃないかと思うんです。だから、人が集まって、いろんなものを自分たちで手作りでやっていくという営みが、あちこちで起こっていく中で、失っていた自信を取り戻していくというようなムーブメントが起こればいいなって思っています。

うちの会社も全く同じで、ワークライフバランスとか、バランスを取るとか言っていますけど、うちの会社の価値観でいくと、仕事とプライベートって、そもそも切り離せないと思っているんです。特に、IT社会になると、いつ仕事しているのかというのがものすごくあやふやですよね。うちなんか、IT企業なので、家でも仕事できてしまうし、スマホでもできてしまうし、考えることが仕事だとすると、お風呂に入って考え事していても仕事だし、区別する意味がないよねってことになるんです。出社して何日間働いたらいくらという時間を給料として考える報酬体系というものも意味をなさないし、仕組み自体を変えていくしかないよねということで、自分たちで手探りで変えている状態なんです。

そういう風に掘っていけばいくほど、その人が何をしたらいくらということじゃなくて、その人自身の価値がいくらなのかという風に考えないと値段をつけられなくなっていくんですよね。自然と、自分は何者なのか、会社に対して、お客さんに対して、どんな価値を提供しているのかというところと結びついていきますし、バランスというと、違う2つのものをバランスとるというイメージですけど1つですよって。分けて考えないほうが自然なのかなって思います。

――それには共感しますね。ワークライフバランスって、仕事は我慢して働いて、プライベートを充実させるという考えが背後にあるじゃないですか。お金のために我慢しなくちゃいけない時間を人生の中に作らなくちゃいけないなんて嫌だなって思うんですよ。僕は、10年前に夫婦で会社を作って、当時は予備校講師だったので、あちこちの校舎をまわって授業しつつ、自分の会社でオンライン予備校を運営していたんです。全部、自分の人生の時間をどういう風に使うかという話だから、プライベートと仕事を分けないということを、その頃から口に出して言っていたんですよ。

今は、オンライン化が進んでいるから、自分の価値って、すごく曖昧になってきていますよね。
特にBeingの部分が発揮する価値ってありますよね。ファシリテーターが場をホールドしているときに、その人が何をしているかって言われても難しいですよね。

そうなんですよね。我々がホラクラシー組織を作るときに、すごく苦労したのが、報酬体系が一番苦労したんです。その枠組みというのが、一番、人間に圧力を与えてくるところなんです。業務単体でいくと、誰でもそれを楽しんだりできると思うんです。いざ、それがお金の話になると、ほとんどすべての会社には等級のようなものがあって、このランクまで行くと、いくらからいくらまでのレンジで、次に行くといくらで・・というように決まっているんですよね。給与の名称でいくと、職能給、職務給、能力給の3つになるんですが、それは、その人のBeingではなくて、havingとかdoingに対しての報酬体系なんです。これがあると、人間っていきなり窮屈になるんです。「この仕事をするといくら」というのが頭に浮かんじゃうんです。そうすると、自然と給料が取りやすい仕事に流れて行ったり、習熟度が高まれば高まるほど給料を上げやすくなるので他の仕事をやらなくなっていったりするんです。1つのことを極めたほうが給料を上げやすいという仕組みなんで、必然的に社内での人の流動性がどんどん低くなっていくんですよ。ヒエラルキーとホラクラシー、役職とかがあるとかないとかだけじゃなくて、給料がどうやって決められるのかというところもテコ入れしないと、本当に自由で流動的な組織ってできないなというところに行きついて、そこから掘り下げていったんです。

――お金と役職って、外発的動機づけがかかってくるところだから、そこをいじらないと、自分から動くという仕組みを作れないですよね。

とにかく、ダニエル・ピンクが言うような外発的動機づけをなくすということを、うちの会社では徹底的に行っていて、外発的動機づけになり得るものというのが、金銭的なものと、役職なんですよね。役職って、ほとんど今は動機づけなんですよね。本来は、ビジネスを健全に回すために機能があって、それを誰が担当しているかという後付けでしかないのに、こいつのほうが年齢が上だから役職強そうな名前にして・・みたいに、実態とはかけ離れたものが生まれていっているんですよね。そういう無駄をどんどん取っていくと、本当に何もなくなるんです。

3年くらい前は、いろんな制度を作ったんです。でも、そういう制度を作れば作るほど、逆に自分たちが窮屈になっていって、自由になるために仕組みを作ったはずなのに、そのために窮屈になるという逆転現象が起こった時期があって、それで、いろいろ悩んで、これはやめても大丈夫か、これはやめたらやばいかということを考えながら、皮を剥いでいくような感じで、いろいろ取っていったんですね。それで、取りすぎて失敗したこともあったんですよ。例えば、管理会計を止めちゃおうと言って、会計をものすごくルーズにしたら、本当に危なくなって(笑)、これは、取ったらいけないものだったんだって分かりました。

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でも、大体のやつは、取っても問題がなくて、その中の一つだったのが目標設定だったんですよね。目標は成長する上で必要不可欠だと思っていたんですけど、そもそも成長って何だろうって考えると、意味が分からなくなってきたんです。目標設定って量的な成長に向かいがちなので、会社自体の成長というのはなかなか目標に落とし込めなかったりしますし、目標管理をしっかりすればするほど、うちの会社で実際に起こったこととしては、奇跡が起こらなくなるんですよ。

すべてが想定内に収まってくるので、トラブルも減るけど、奇跡も減るという感じになるんです。

結果とプロセスと労働時間を透明にして共有すると、勝手にバランスを取れていく

―― それは面白いですね。でも、リスクってどんな感じで分散しているんですか?ヒエラルキーだと、トップが権力もあるけど、リスクも背負っているんだよという形でセットになっているわけじゃないですか。フラットにすると、会社が危なくなったときのリスクとかは、どういう風に分散されているんですか?

どうやって分散させるためのインフラを整えるかというと、情報インフラなんですよ。データーマネージメントなんです。うちの会社は、とにかく自由なんですけど、データ管理だけは徹底的に仕組みを作っていて、財務系のものだけじゃなくて、アクション履歴という誰が何をしたかというプロセスが見えるようになっているんです。営業人員であれば、何件電話をしたとか、何件訪問したというのを全部取っていますし、プログラマーであれば、どんなタスクをこなしたかとかというように、どの業務にどのくらい時間を費やしたかということを日次で取っているんです。それを1カ月単位で集計しています。そうすると、結果とプロセスと時間の因果関係が見えるようになるんです。これが見えるようになった上でオープンにして、みんなで同意しながらものごとを進めていくと、勝手に分散するんです。

――給与も自分で決めるので、売り上げが下がっているときは、その状況もオープンになるから、自分たちの給料も自分たちの判断で下がらざるを得なくなるんですね。そういう意味で、リスクが分散されるわけですね。

昔は結果だけを共有してコミュニケーションを取っていたんですね。そうすると全然うまくいかなくてケンカしちゃうんですよ。「会社の業績は下がっているけど、俺はスゲー頑張っているから上げてもいい」みたいなことが起こるんです。そういう言い合いになったときに話し合っても着地しなかったんですね。それで、価値観がずれているからかなって思って、もっと話し合えば解決するかと思って、もっと話し合ったんですけど、話し合えば話し合うほどケンカしちゃうんですよね。それで、結果が生まれるまでのプロセスと時間というのも見えるようにすればいいと思ったんです。ITのたとえで言うと、ホームページにグーグルアナリティクスが入っていないのに、この部分をこう改善したほうがいいよって言っても、何の信憑性もないじゃないですか。でも、データがあれば、どのコンテンツが人気があるかというのが一目瞭然ですよね。それと同様に、会社組織全体にアナリティクスのようなものを導入しないと合理的なコミュニケーションは全く取れないんです。でも、逆にこれを導入したことで、全員の自由度が高まったんですよ。

それまでは、労働時間が短いことに対する後ろめたさが残っていたんですけど、やることをやっているというプロセスを見せられれば、労働時間が短いということに対する後ろめたさも自然と消えますし、周りの人も理解できるし、感情論にならないんです。このあたりは、仕組みを作らないと次へ進めなかったですね。

――それは、ITが可能にしたことなんですね。だから、今、可能になってきた経営スタイルなんですね。

そうですね。10年前とかだったら無理だと思いますね。

自然体になると、不自然に対する感度が高まる

――ふつう経営にチャレンジするって、ビジネスにチャレンジするという意味合いが大きいと思うんですけど、武井さんの場合は、ビジネスの対象である不動産関連のことにチャレンジするのと同時に、経営スタイルにもチャレンジしているということですよね。そして、経営スタイルのチャレンジのほうがフォーカスされているという部分もありますよね。

枠で言うと、ビジネスよりも会社のほうが大枠じゃないですか。僕は、1回、ビジネスだけにフォーカスして起業して失敗したという経験があるもので、会社作りをしっかりしないとというところから始まっているんですけど、8年間、今の会社をやってみて、会社作りとビジネス作りはイコールだって感じているんです。今、我々が取り組んでいる新しいビジネスモデル、不動産の流通のイノベーションというところにテコ入れをしているんですけど、それは、我々のような組織にしている企業じゃないと思いつかないんですよ。こういう経営スタイルをしていると、不自然なものがすごく目につくようになるんです。「それは、明らかにおかしいでしょ」「そもそも表面的な問題の前に、根本に問題があるでしょ」という感じで、理不尽なものとか、不自然なものにすごく敏感になると思うんですよ。われわれは、最初は不動産業界にマーケティングシステムを提供していて、競合他社は、みんなそこで争っているんですけど、やっているうちに、そもそも業界の仕組み自体に問題があるよねというところに、どうしても気が付いてしまうんです。不自然なので気持ち悪いという感覚があるんです。

――普段から不自然をなくしているから、身体全体、組織全体がセンサーみたいになってくるんですよね。

そうです。そうです。田原さんもそうだと思うんですけど、ただそれだけというか、それを良くしていくためのものを作ろうよということになるし、うちの会社のみんなも同じことを肌で感じているので、そうだよねって同意してくれるんです。自分たちがやっていることに対する確信というものも自然と生まれてきて、それがエネルギーになります。そして、そういうエネルギーがあるからこそ、長期的な視点で取り組めるということもあります。今、ようやく新規ビジネスが収益化し始めたんですけど、収益化するまでに3年半かかっているんですね。それまで別のビジネスで収益を上げていたんですけど、普通のベンチャーって3年半も無収益で投資し続けられないんですよ。特にITベンチャーは、早くキャッシュ化して、さっさと会社を大きくしてという成長志向が強い中で、うちの会社は、ひたすらコツコツと土台作りを続けられたというのは、こういうマインドセットというか感覚を持っているからだと思うんです。

自然の摂理を味方につける

――自然の流れに沿っているものは、絶対に強いという信念があると、自分たちのやっていることが自然の流れに沿っているから絶対に大丈夫という確信が持てるじゃないですか。そういうのがないと、突っ込めないですよね。それがあるから、みんなが信じて、続けられるわけですもんね。

うちの会社で話し合いの中でよく出てくるキーワードが「自然の摂理」なんです。うちの会社は、自然の摂理なんだから、そこには、良いも悪いもないし、傍から見たらすごくシビアな一面もあります。自然の摂理にフォーカスすると、人間の感情が付け入る隙がないんです。人情とかで曲がった意志決定がされているかどうかというのが、すぐに感じられるんです。普通の会社だと、こいつは頑張っているからとか、長く働いているからとかいうのが考慮に入ってくると思うんですけど、全部透明にすると、そういう小細工ができないんですよね。いろいろ試してきた中で気づいたのが、自然の摂理って、あんまり頑張らなくてもよくて、全部透明にしてみんなに見えるようにすると、勝手に組織が浄化されていくんですよ。

――それは、すごいですね。僕なんかは、生活の基盤が別にあって、それとは別にオンラインコミュニティの運営をやっているから、ある意味、おもいきった実験がやりやすいんですよね。失敗しても、また始めればいいやってことになるので。企業体は、みんなの生活をがっちり抱えているから、そこでやっているというのが、本当にすごいなって思います。

しがらみは増えますね。それを、一つ一つ紐解いている感じですね。

生き物とホラクラシー型組織の関係

――武井さんの書いているものの中に、複雑系とかホロンとかという言葉が出てきて、それは、僕の中でも大きなキーワードなので、おおぉって思ったんです。それらは、どういう位置づけ何ですか?

もともと鈴木利和さんから、そのキーワードを教えていただいて、ソフィアバンクのの田坂広志さんのことを知ったんです。田坂さんを、僕はすごく好きなんです。田坂さんが、複雑系マネージメントということをすごく研究されていて、組織は複雑になればなるほど、生き物のようにそれ自体が意志を持っていくと言うんですね。田坂さんが、よく例えるのが、「魚を捌いたら、魚は死んじゃうだろ。身体を切り裂いて分解すると生き物は死ぬんだ。今の経営スタイルというのは、そういうことをやっている。分析をしたり、分断をしたり、分けていくということは、意識を切り刻むことなんだ。身体を切れば切るほど、組織としては弱っていく。だから、我々は、一切切り刻まないで、1つのものとして大切に扱っていく。」ということなんです。そうすると、自然とホロン=全体性が生まれるんです。部分と全体って区分けするわけでも無くて、部分でもあり、全体でもあり、自分と他人は、同じ組織の中だと繋がっているので、分けること自体がナンセンスだと思っているんです。だから、うちの会社には、階層もなければ、事業部のような縦割りもないんです。

でも、やっていて、現実問題にぶつかることがあって、役職がなくていいねというのは、皆さん言うんですけど、ビジネスを回していると、役割分担は必要になってくるじゃないですか。役割分担をすればするほど、ダイナミズムが生まれますよね。貨幣経済が、そもそも、それぞれが分業することによって、生産性が高まるということですよね。なので、その原理自体は、やっぱり必要で、それぞれが自然と自分が得意なところで役割分担していくということなんです。うちの会社は、組織図はないんですけど、ビジネスモデルを健全に回す上で、営業機能とか、マーケティング機能とか、開発機能とか、管理部門とか、身体の内臓みたいに臓器は必要なんですよ。ただ、細胞が、どこに行っても適応できるみたいに考えています。企業体と身体のつくりは、似ているなって思っています。組織自体も、そんな風に設計して、身体が異物を取り込んだときにどうやって排除するかというプロセスと、我々みたいな組織の異物を取り除くプロセスは、同じにしないといけないと思っています。でも、今の世の中は、脳みそが勝手に、こいつは良い、悪いって判断しているけど、人間の身体だともっと自然に排除されていくわけじゃないですか。経営陣は脳みそみたいなもので、でも、脳みそがすべてを判断しているわけじゃなくて、身体のほとんどは、心臓もそうですし、勝手に動いていますよね。そういうイメージで、組織を作っていますね。

――僕は、大学院で個体の境界をテーマに研究していたんですよ。当時、東北大にいた澤田康次さんが、個をどうやって定義するかという研究をしていたんです。ヒドラを遠心分離器にかけてバラバラの細胞にすると、細胞同士がコミュニケーションを取って、そこから再生して、多細胞体のヒドラに戻るんですけど、どの段階で、多細胞体の個が生まれたのかって調べていたんですよ。それで、情報を受け取る量と生成する量に注目して、半分に切ったときに情報生成量の割合が減るようだったら、組織になることによって情報が生成していたんだから、組織に個が生まれていたというように考えるって言っていたんですね。細胞の単なる寄せ集めなら、半分に切っても、ただ分けただけで、何も失われないんですね。集まったことによって生まれたものがあれば、それが、切ったときに失われてしまうわけです。

細胞がコミュニケーションを取る中で、自動的に分化が起こるんですけど、分化の比率って、自動的に調整されるんです。たとえば、細胞性粘菌なら、胞子になる細胞と柄になる細胞との比率が4:1くらいになるんです。半分に切っても、それぞれの細胞集団の中で、また4:1に再分化するんです。その比率調整のメカニズムがどうなっているのかという数理的メカニズムも、研究していたんですよ。そこでカギを握るのは、情報の共有なんですよ。細胞集団が、1つの場を共有して、細胞の時間スケールと、場の変化の時間スケールがマッチングして、部分と全体が分けられない状況になると、その場を通して1つのシステムになって、全体として安定な状態へと落ち着いていくんですよ。だから、武井さんの会社で、データを共有するインフラを作ったというのが、自己組織化が起こるために本当に重要な役割を果たしているなって思いました。

情報と流通が変われば、必然的に社会構造の相転移が起こると思うんです。論理的に考えれば、インターネットとか、LCCとかが、社会構造を変えるための制御パラメータの役割を果たすと思います。生命とか生態系のアナロジーで、全体で広く情報が共有されれば、不自然なものは崩壊して、自然の流れとして自己組織化が起こって、落ち着くところに落ち着いていくはずなんじゃないでしょうか。

本当にそうですね。会社の中で情報をオープンにしていくと、勝手に権力も発動できなくなるんですよね。変なことをやると、明らかに突っ込みどころ満載になるわけじゃないですか。「お前偉そうなこと言っているけど、お前の給料、なんでそんなに高いんだよ。」とか。嘘がつけなくなるんです。でも、そういう風になると、これは、やってみて面白かったんですが、透明にすると隠し事ができなくなるんで、やましい気持ちすら起こらなくなるんですよね。経費も全部オープンで、いくらでも使っていいけど、使った額と内容が誰で見れてしまうんで、ちょろまかしてやろうという気持ちも起こらないんです。

――禁止されたりしないと、ルール破れないというのもありますよね。隠れる場所もないですもんね。

隠れる場所がないと、隠そうという気持ちが生まれ無くなって、そうなると、相手に対する猜疑心が生まれ無くなるので、人間関係がめっちゃよくなるんですよ。やましさがない中でのコミュニケーションになって、本質でのぶつかり合いができるんです。これは、やっていく中で、気が付いたことです。

販売する側とお客さんとの関係をフラットにしていく実験

――去年から、仙台のSawa’s Cafeというシェアカフェの運営の相談に乗っているんです。店主のさわさんという方は、元公認会計士なんですが、311の後、お金や、社会の在り方に疑問を持つようになって、それを変えていくための場を創りたいということでシェアカフェを創ったんです。でも、お金を稼ぐためにやっているわけじゃないということもあって赤字続きで苦しくなってきたんですね。でも、これは、すごく面白いプロセスだなって思ってコミットしているんです。いよいよどうにもならなくなってきたので、Sawa’s Cafeの存続を願っているお客さんとか、共感して集まっている人80人くらいで「Sawa’s Cafe持続化プロジェクト」というfacebookグループを立ち上げて、その中で、カフェの経費とか、利益とかを全部オープンにしたんです。そしたら、予想をはるかに上回る赤字なんですよ。笑 でも、情報を共有したことで、持続化プロジェクトの中で、その数字がみんなごとになって、それぞれが、アイディアを持ち寄って動き始めたんですよ。

それは、究極ですね。

――お客さんだった人が、クラウドファンディングの情報とかを調べてきてくれるんです。「今月は、あと10万円利益でないと家賃払えません」みたいな途中経過が見えるようになってきて、危機感を共有したことで、みんな、自分がやらねば!って感じになっているんですよ。イベント使用料を見直したり、実現したい未来とか、想いを確認したり、そういうことを、お客さん(だった人)と一緒に考えられるようになったんですね。

すごいですね。それ! その話は、うちの会社でも、実は何回か出たことがあって、うちの会社の内情を、外に対しても全部オープンにしちゃおうかって。そしたら、ファンのお客さんとかが助けてくれるんじゃないかっていう意見も出たんです。でも、さすがに個人個人の給料とかまでもオープンにするのはどうかなっていうことでやっていないんです。

――Sawa’s Cafeも一般公開じゃないですもんね。コミットしてくれている80人くらいの間でオープンにしているってことですからね。でも、オープンにしたことで、確実に場が転換して、次のステップに進んでいるんです。カフェという形態のままで続くかどうかは分からないし、別の形に変わっていくかもしれないけど、そこにコミットしている80人が望むような形になっていくと思うんですよね。

すげぇー。それ、めっちゃ面白いですね。

企業再生って、民事再生とかよりも、そういうやり方のほうがうまくいきそうな気がしますけどね。

――これって、生きていることとは何かということと関係していると思うんですね。このカフェも店主が存続させたいと思っているわけじゃなくて、みんなが存続させたいんだったら、その願いによって存続するし、みんなが存続を願っていないものなら無くなればいいでしょってことなんです。存続させたいという想いが集まってくるのなら、そこから何かしらの形が創造されるでしょってことなんです。手放してしまえば、なるようになっていくんじゃないかと思うんです。

いやー、その世界観は、まさに自然の摂理ですよね。

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ニーズを満たしあう関係性をデザインする

――武井さんもご存知の由佐美加子さんのところのCCCとコラボで2月にNVCのオンライン講座をやるんですが、そこの運営に店主のさわさんを加えて、オンラインの運営ノウハウを持ち帰ってもらう予定なんです。Sawa’s Cafeは、創造的な場になっているので、オンラインでも発信してもらいたいなって思っています。

いやぁー、僕の会社も、もっともっとオープンにしたいですねー。笑

――今の僕の役割って、組織の枠組を超えた広い意味のマネージメントだなって思っていて、創造がうまく起こるような組み合わせを見つけてきて場を創るって感じなんですよね。いろんな人と話をしたり、アウトプットしているものを読んだりして、この人たちで集まったら面白いことが始まりそうというのが感じ取れるようになってくるので、集まって一か月くらいワイワイやる。また別のところで違うものが始まるから、そこに巻き込んだら、その人の人生にとっていい感じになりそうだなという人を巻き込んでワイワイやるって感じなんです。そういうプロセスが、ぐるぐる回っているんです。それが、完全にオンラインで回っているから、それぞれが組織に所属していても、組織の枠を超えて集まって何かができるんですね。

そこで、お金をもらう人と、ボランティアで活動する人と、お金を払う人というのがいるんですね。そのバランス調整をどうするかというのがあるんです。ある程度ゆだねると、感動的な状況が生まれるんです。過去にオンライン講座を経験した人のリストに運営ボランティア募集の案内を投稿すると、希望者からメールが来て、運営+ボランティアの10人くらいのチームができて、講座が始まるんです。最初は、フリーライダーが出てくるんじゃないかという恐れがあったんです。でも、サービス提供側とお客様という関係性を変えて、境界を曖昧にして、オープンでフラットな関係にしていくと、参加者のほうが調整してくれるんですよ。「私たちの年代がお金を払う側に回らないといけないから、受講者で参加します」とか、「運営ボランティアをやりたいけど、お金も払いたいので払います」とか、そんな感じになって来たんです。こちらは、感謝して受け取ることにして、その人たちが求めているものを満たせるような場を一生懸命作るということになって、ポジティブな空気が溢れるんですよね。

この間、共生革命家のソーヤ海さんと話したときに、彼が、「ニーズを満たしあう関係をデザインするのがパーマカルチャーの考え方だ」って言っていたんですね。それは、植物だけじゃなくて人間同士の関係も同じだって。僕は、お金を払うことで貢献したいというニーズもあるんだなって思ったんです。自分にもそういうニーズあるんですよ。お金の払い方も含めて、きっちりしたものを緩めていくと、何かできそうだなって気がしているんです。

そこもゆだねちゃうんだ。

――武井さんも同じ感覚があると思うんですけど、1つ壊してみて、大丈夫そうだったら、もう1つ壊してみたくなるじゃないですか。

分かります。

生き物のような組織を循環させていく

反転授業は、田原さんのビジネスなんですか?それとも別のものなんですか?

――今は、非常にあいまいなところに位置していて、最初はビジネスマインドでスタートしたんですけど、やっているうちに問題意識が深まっていって、社会的なムーブメントに近づいてきています。オンラインのワークショップのノウハウが集合知的にできてきたんです。すごいやつが。これは、自分だけで作ったものじゃなくて、グループの集合知でできてきているものだから、共有財産なんですよ。そして、そうやってできてきたオンラインの学び場が人材育成の場にもなってきているなって気が付いたんです。教師にとって、オンライン講座の運営をやるということは、学校にいながら、学校以外の社会に出て働く経験を持つことができるということだったりするんです。その経験は、学校に戻れば、キャリア教育とか進路指導に役立つ体験にもなると思います。未来の働き方を先取りするような体験をしていることになるので。次々運営ボランティアという形で人材が育成されてくるので、その人たちを外に出していく場を創ろうということで外とコラボする機会を作っていくのが自然だなと思って、ワークショップやっている人とかとのコラボレーションを企画しています。そうすれば、根から吸い上げた水が葉から蒸散していくように、いろんな人が反転授業の研究を通して外に出ていけるなって思っています。それで、最初のコラボが、CCCとだったんです。

最近気づいたのは、形は変わっても、精神が受け継がれていけばいいのかなってことなんです。10年前くらいにも主体性教育の盛り上がりがあって、そこで創造のサイクルを回した人たちが、今、コミュニティに加わってきてくれているんです。考え方がすごくシンクロしているのを感じていて、僕たちの活動は、その人たちの精神を受け継いでいるんだなって思うんですね。「反転授業の研究」も、いつかは役割を終えて衰退すると思いますが、運営のノウハウをマニュアル化して配っているので、そこで学んだ人たちが、たんぽぽの綿毛のように飛んでいって、別のところで創造のサイクルを回してくれれば精神は受け継がれていきますよね。そういう動きも生き物っぽいなって思います。そういう循環こそが生き物だなって思います。

あぁ、いいですね。なるほどー。

――オンライン講座をやったときに、すごい幸福感があったんですよ。困ったことがあっても、それをオープンにすることができて、みんながよってたかって助けてくれるので、参加者も運営もお互いにサポートされている感じがあって幸福感があったんです。それで、参加者の一人が、「ここは、ネット果樹園か。オンラインの桃源郷か」みたいなことを言ったりしていたんです。その体験があったときに、こういうことがあちこちで起こればいいんだなって確信したんです。プロトタイプができたなって実感があったんです。たぶんその確信と同じものを武井さんも持っているんじゃないかって思うんですけど、いかがですか?

田原さんのおっしゃる「支えられている感」というのを、僕なりに感じるところがあります。給料とかをオープンにしてやっていると、その人のプライベートも見えてきて、会社が利益を上げて、分配することによって、みんなの人生が支えられていているというところまで繋がっていくんです。逆に言うと、自分の人生を自分一人で支えなきゃいけないという恐怖感から解放されるんですよね。「みんなも俺の人生を支えてくれているんだ」って思うと、ちょっと楽になるんです。今は、自立つしなくちゃいけないと言われますけど、自分一人で立つのは大変ですよね。自立しながら、支え合いながら、というようになると組織全体としてうまく賄えるんですよね。そうするとすごく楽になりますね。

――だから、ホラクラシー経営が広がってほしいですよね。新しい働き方とか生き方のプロトタイプを武井さんが創られているんだなって気がしますね。

そうですね。お手本になりたいなって思っていますね。

対談を終えて

武井さんとお話して、見ている世界や、体験しているものがとても近いと感じました。試行錯誤をしながら、人間同士の新しいつながり方を土台にした組織づくりをしている武井さんの口から出てくる言葉は、オープンでフラットなオンラインコミュニティを自己組織化させようとしている僕にとってヒントの宝庫でした。

場を創る人がコントロールを手放して自然の流れに委ねると、みんなが楽に動けるようになって共創が起こっていくというのが、まさに自然の摂理なんだなって思います。

それを教室の中でやるのがアクティブラーニングや反転授業で、企業体の中でやるのがホラクラシー型経営。

アクティブラーニングや反転授業で育った生徒たちが、将来、あちこちにホラクラシー型の組織を作っていくと世界は変わっていくのだという未来図を思い描くことができました。

ドリカムプランの産みの親!和田美千代さんインタビュー

「反転授業の研究」の田原真人です。

「反転授業の研究」には、国内、国外から強者のみなさんが次々に集結しています。

みなさんが惜しみなく経験をシェアしてくださるので多くの知恵が場に溢れています。

受け取ってばかりじゃなく、自分も何か提供していこうと考えたみなさんが一歩踏み出すことで、さらに場が回転して温度が上がっていきます。

その中でもまれているうちに、自分自身の鎧をいつの間にか脱ぎ、自分の根っこと繋がって新たに強者へと変貌を遂げる人も現れ、その変化がさらに場を大きく動かしていきます。

オンラインで繋がった人たちが、リアルでも繋がり、ハートレベルでのつながりがお互いをエンパワーしていく・・・そんなことが、今、「反転授業の研究」では起こっています。

「反転授業の研究」を立ち上げてから、数多くの出会いがありましたが、その中でも、AL講座での和田美千代さんとの出会いは、衝撃的なものでした。

この出会いは、今後、グループの発展に大きな影響を及ぼしていくのではないかと感じています。

和田さんは、主体性の育成にずっとこだわってきた方です。

福岡県立城南高校時代には、我流で国語のアクティブラーニングの授業を行い、ドリカムプランというキャリア教育プログラムを立ち上げました。

現在は、福岡県教育センターでアクティブラーニングを推進されています。

和田さんが辿ってきた道筋は、自己組織化のプロセスがまさに回り始めたばかりの僕たちにとって、大きなヒントになります。

そして、今なお、貪欲に学び続けている和田さんの在り方(Being)は、周りに大きな影響を及ぼしています。

和田さんから詳しいお話をうかがいたいと思い、インタビューさせていただきました。

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和田さんが教師になったきっかけ

―― 和田さんが、教師になったきっかけは、どのようなものだったのですか?

私は、就職活動もしていないし、教師になる気持ちもなかったんです。

実は、専業主婦志願だったんです。笑

大学生のときに、将来はどうするのかを聞かれたら、「結婚して、専業主婦になる」って言っていました。

夏目漱石が卒業研究のテーマで、高等遊民に憧れていました。

だから、「現代の高等遊民としての専業主婦」になろうと思っていたんですよ。

小さい頃は、漠然と、学校の先生になってもいいかなぁーくらいに思っていましたね。

私の父が、当時としては珍しく、女性も働くのが当たり前の時代が来ると考えていたんです。それで、男性も、女性も関係なく活躍するのが当たり前の時代が来るからということで、手加減なしの教育を受けたんです。

「女の子だから」という妥協一切なし。卒業したら福岡に戻ってくるというのが東京の大学に行く条件でした。

就活もせず専業主婦になろうとたくらんでいた私に「東京にだしてやったお礼に教員採用試験だけは受けろ」って言われて受けたら、通ってしまったんです。

それで、働かなくちゃいけなくなって、働き始めたら、物事に熱中するタイプなので、やりはじめたら、ハマっていってしまったという感じでした。

―― 実際に和田さんのお父さんの考えていたような女性が働くのが当たり前の時代になりました。そのようにして育ってきた和田さんの中にも、教育というのは、今じゃなくて、未来を考えてしなくてはいけないという考えがあったのですか?

はい。私は、高校の進路指導に長年、携わってきて、ドリカムプランという生徒主体の進路学習を企画したんです。

それは、実は、父の考えから来ているんです。21世紀に通用する人間になれというのが父の口癖だったんです。

そういう未来が来るから、その未来で通用する力をつけるんだということを、小さい頃から言われ続けて来ました。

それで、常に先を見るということを意識するようになりました。

私が、学校の仕事の中でも特に進路指導部に入っていったのは、常に先を見るという父の考えを受け継いでいて、私の中にそれがあったからだと思います。

父は、会社を経営していました。

だから、ずっと先がどうなるか、日本の経済がどうなるか、ということを考えていて、食卓の話題は、常にそれでした。

なので、我が家の家庭教育をドリカムにしたという感じなんです。

「常に先を見る」という父親の教えが、生徒の将来について考える進路指導へと繋がっていったというお話は、とても興味深いです。僕は、和田さんのことをとても起業家精神に溢れる方だなと思っていたんですが、育ってきた過程をうかがって納得がいきました。

 

ドリカムプランの誕生秘話

―― 教師になってから、ドリカムプランをはじめるまでの間は、どんなことを考えて教師をやられていたんですか?

教師として一人前になって、いろんな役職を引き受けられるようになろうと思ってやっていました。

23歳で働き始めて、ドリカムプランが34歳のときなので、その間の10年間は、国語科の教師として一人前になることと、子ども二人を出産したんですが、二人目を出産して復帰したときに副担任で進路指導部に配属されたんです。それまでは、生徒指導部だったんです。

進路の手引きなどを作るようになって、進路実績の分析などをするようになって、はまっていったんです。

最初の10年というのは、ドリカムプランを生み出すために、進路指導へコミットしていったという時期だったんだなと、今から振り返ると思います。

―― ドリカムプランの構想は、いつごろ生まれたんですか?

平成6年に新しい教育課程が高校で始まって、そのときに「新しい学力観」という言葉が出てきて、「意欲や関心や態度」という言葉がキーワードだったんです。

ただ、新しい学力観に立った教科の授業とはどういうものか分からないまま新入生を迎えました。

学年の目標は「新課程 城南元年」。

新課程の教科教育法がわからなかったので、新しい学力観について自分たちで調べに行きました。

たくさんのことを自分たちで勉強していく中で、宮崎県立宮崎西高校というところに、宇田津校長先生という方がいらっしゃったんです。

その当時の宮崎西高校が創立20周年で、東大に合格を結構出されていたんですよ。その当時の城南高校は31年目で、そんなに東大が出ていなかったんです。いったい何をやっているんだろうと思って、宮崎西高校にお邪魔しました。

そのときに、宇田津校長先生に怒られたんですよ。

「進路実績がどうしてこんなに上がっているのか、模擬試験とか、課外補習とか、そういうことを聞きにきたろうが。だから、あんたたちの学校は、だめなんよ。」

と一喝されました。

大人4人、雁首そろえて怒られて、もっと先を見ろって言われました。

どこの大学に何人合格するかが問題じゃなくて、その子たちが、大学卒業して、社会に出て、どのくらい社会に貢献できる人材になっているか、そこが勝負なんだっておっしゃっていました。

教師が目の前の成績のことばかりを言っているような学校はだめだ、先を見なくてはだめだって言われて、そのときに一番ショックだったのは、

「大学卒業後こそ、人生の本番」

という言葉でした。

実際、当時の宮崎西高校は、一週間30単位でやっていて、土曜日をイベントとか活動に充てて、それで、進路実績を出してらっしゃったんですよ。

その話を聞いて、思い当たることがあったんです。

英検と模擬試験の日程がぶつかったときに生徒がどちらを受けたらいいか相談に来るんですけど、その当時の私は、模擬試験を優先しなさいという指導をしていたんですよ。

高3の模擬試験は今しか受けられないけど、英検は、これからも受けられるじゃないのというようなことを言っていました。

でも、それは、間違いだなって思いました。

将来、英文科に行こうと思っている生徒たちが英検を受けるって言っているんだから、それを私たちが止める権利はないって思いました。

将来の自分の進路に役立つようなことを、生徒が自分でやりたいって言っているのだから、それをどんどん奨励すべきじゃないかなって。

それで、自分の進路に関係した活動を、すべての生徒がするべきだと思ったんです。

宮崎西高校に行った4人で帰り道でずっとその話をしていて、帰りの飛行機の中では、もうその構想ができていて、出張報告のタイトルが、ドリカムプランだったんです。

自分の夢を実現するために高校生活ってあるんじゃないかと思ったんです。

宇田津校長先生と話をして、頭を殴られたような気がしました。

私たち、今まで何をやっていたんだろうって。

それまでは、合格させるためのテクニックを教えていたけど、そういう進路指導は間違いだ。

偏差値で振り分けるんじゃなくて、これをやりたいから、この大学へ行くんだという進路指導をすべきなんじゃないかといって、いろいろやりだしたわけです。

父親から「先を見ろ」と言われて育ってきた和田さんが、進路指導の新しい方向性を探っていたときに出会った言葉が、宇田津校長先生の「先を見ろ」という言葉だったというところに運命的なものを感じました。

和田さんの中で、この2つが強くシンクロしたからこそ、ドリカムプランが生まれたのではないかと思いました。

 

手作りで進めていったドリカムプラン

―― 宮崎西高校の視察から戻ってきてから、どのようにしてドリカムプランがスタートしたのですか?

学校訪問から帰ってきて最初にしたことは、進路希望調査を変えました。

それまでは、どこどこ大学希望とか、就職希望とかだったんです。

福岡の場合は、みんな九州大学って書くんですけどね。

そういう進路希望調査を止めて「10年後、20年後、あなたは何をしていたいでますか?」というアンケート調査にしたんです。

仕事とか、家族とか、自分が今の時点でこうありたいというのを書いてもらったんです。

それは、新しい学力観に興味、関心というものが含まれていたんですが、生徒の興味、関心はどこにあるんだろうかと思い、それを知るところから始めました。

10クラス440人に書かせたところ、様々な志望が出てきました。

それで、似たような将来像を持っている人たちを、一度、集めてみようということになったんです。

医療看護系のグループとか、工学に行きたい人とか、建築に行きたい人とか、16のグループにグループ分けしたんですよ。

そのグループにドリカムグループという名前をつけて、あなたたちの将来に役立ちそうだと思うような活動(ドリカム活動)があれば、どんどんやりなさい。もしそれが平日と重なっていたら、場合によっては学校を公欠にしてもいいというように奨励をしたんです。

各グループには、担任、副担任の先生をつけて、ドリカム顧問という名前をつけました。

各グループは、自分たちの夢を実現できそうな大学をシラバスで調べたりしました。

大学入試の説明会に各大学から来られて、大学の方が入試の話をしようとするんだけど、生徒が聞きたいのは、大学に入って何ができるのかということなんですよね。

生徒のニーズというのは、入試の情報じゃなくて、学問の情報なんだと思いました。

それで、大学の先生方に来てもらって、学問入門講座をやろうと思いました。

それでジョイントセミナーというのを始めました。

社会人を呼んできて、今の仕事について話をしてもらう職業人講話とかもやりました。

生徒がこういうものを欲しているから、それを一つ一つ形にしましょうという感じでずっと作っていったんですよね。答えは生徒の中にあったんです。

だから、本当に手作り感満載。

それが、次第にきれいにシステムになってきたのであって、やっている当時は、同時進行形の多面体だなと思っていました。

―― 軸になる部分を変えたから、そこに付随するものが次々に代わっていったという感じですよね。

そうですね。

高校生活というのは、将来の自己実現のために存在するんだという覚悟を決めたんですよね。

どうしてできたかというと、生徒がそれで、喜んで動き始めたからだと思います。

たとえば5月の始めに看護の日というのがあって、そのイベントを生徒に紹介したら、生徒は、「それ知っています。私たち自分で申し込みました」って言っていたりとか。

車椅子マラソンにボランティアで出かけたりとか。

いろんなことを生徒がしだして、それが、楽しそうなんですよね。

今でいうアクティブラーナーなんですよね。

生徒は、偏差値で大学を選ぶんじゃなくて、自分のやりたいことで大学を選ぶようになりました。

 

―― 和田さんのお話をうかがって、ドリカムプランは、今僕がやっているのと同じように試行錯誤をしながら進んでいったんだろうなとイメージが沸きました。

本当に手作りでしたね。

それが、全国的に注目を浴びて大騒ぎになってしまったんですよね。

だけど、私としては、きれいなシステムが計画的にできたものじゃなくて、泥臭い手作りだったんです。

ゼロから何かが立ち上がっていくときのプロセスというのは、コアになる人たちに大きな熱量があり、魅力的なビジョンが生まれて周りを巻き込めるようになり、目の前で起こっていることから学びながら試行錯誤を繰り返していくうちに、いつの間にか形ができていくというものなんじゃないかなと思います。

宮崎西高校から帰ってきた和田さんたちが、こうあるべきだという覚悟を決めて踏み出した一歩が、周りを動かしていき、大きな実りをもたらしたのだということがよく分かりました。

 

学校の枠組みを越えて社会へ出て行く

―― 未来へ向けて生きる力をつけるような教育をしたいと思ったときに、自分は、今まで狭い世界で生きてきたから、社会のことを知らないということに気づいたんです。それまでは、大学進学の指導だけしていたんで、そのことに気づきませんでした。

知識基盤方社会と言われても、自分は20世紀型のトップダウンの教育を受けていて、コラボレーションなんかもやったことなかったわけです。

自分たちが知らないことを伝えられないのではないかって「反転授業の研究」で問いかけて、組織の枠組みを超えて、オンラインでグループワークをやったり、コラボレーションで価値創造することを始めたんです。

ドリカムプランのときはいかがでしたか?

ドリカムをはじめたときに、生徒をもっと社会に出さなくちゃって思いましたね。

極端な話、郵便の書留さえ分からない。

受験票を出しに行くときに、書留にしなさいよっていっても、「何ですかそれ?」って言われたりするんです。

社会から隔離された学校じゃいけない。もっと社会に出ようよという考え方がありました。

どういう社会になるのかということは、予想はしつつ、でも、誰もわからない。

ドリカムは、偏差値で大学に行くのがおかしいよ、偏差値が合うからこの大学に行くという選択を止めて、自分のやりたいことをやろうよ、というメッセージだったんです。全国の高校の先生たちも内心そう思っていた、だから広がっていったと思います。

具体的には大学で何が学べるのかということを調べてみるところから始めました。

ドリカムを始めたころは、「ドリカムプランって何ですか?」と聞かれて、私たち自身が答えられなかったんです。

足で稼ぐ進路指導なんて言われたりしていました。笑

観念的な志望動機ではなく、具体的な志望動機を作るというような説明をしたりしていたんですが、これがドリカムの完成形だというものはずっと分からないまま、手作りし続けていたんです。

そういう意味では、未来から振り返ってああだこうだということは言えるんでしょうけど、そのときは、現在進行形しかない。

ちょっと先の未来がこうなっているかな?こうなればいいんじゃないかな?みたいなことを考えるんだけど、それは存在しないから、自分たちで創っていこうって。

それしかなかったですね。

ずっと創り続けていたから、ドリカムをやっているとき、自分のことを道路工事の現場監督みたいなものだと思っていました。

道がないところを切り開いて、道を作っていくようなことをやっているなと思っていたんです。

これは、僕がアクティブラーニングについて感じていることと強くシンクロしました。

これから知識基盤型社会が来ると予想されるから、そこへ適応するためにアクティブラーニングがあるのであれば、社会から期待されている形が変わっただけで、社会の期待通りにはまり込んでいくという構造自体は維持されているのではないかと思うのです。また、適切な授業の型があるという考えも生まれてくると思います。

でも、和田さんは、未来を予想はするけれど分からないのだから、現在進行形しかないということで、自分たちで創っていくわけです。そして、その試行錯誤を身近に見ている生徒たちも、その背中を見ながら、自分たちで未来を創っていくことを学んでいたのではないかと思います。

ドリカムプランの形ではなく、ドリカムプランというものが出来上がっていく発展途上のプロセス自体が、生徒の主体的な学びを促していったのではないかと思いました。

想いを言語化して、周りを巻き込んでいく

――ドリカムプランを立ち上げたときは、最初から4人チームだったんですね。それは、強みですね。

その4人のうちの二人が同じ学年、残りの二人が上の学年だったんですよね。

宮崎西高を訪問した夜、宮崎で、夜中まで4人でワーワー話したのが、一番の決め手になりましたね。

帰ってきてからは、周りの先生たちにも、ずっとその話をしていましたし、
授業に行っても、生徒に向かって1時間じゅうその話をしていました。

自分のマインドセットがものすごく変わったという興奮があって、
みなさんにそれを伝えたいという気持ちだったんです。

生徒たちにも、今からこういう教育をするからね!という学年集会を開いたりしていました。

一人でやるんじゃなくて、うなづいてくれる相棒がいるのが助かりました。

あとは、学年の10人の先生が、ドリカム開発チームになったんです。

一人ではできないので、一緒にやれるチームがあるというのは大事なことですね。

当時、「どうやって組織化したんですか?」「一人でやるんじゃなくて、学年全体とか、学校全体でやるのにはどうしたらいいですか?」という質問を、よく受けました。

―― 国語力が何のために必要になるのかが、大人になるまで分からなかったんですけど、和田さんを見て、腑に落ちたんです。反転授業の研究のオンライン講座は、発展途上なので、言語化されていない活動がいっぱいあって、モヤモヤの中で進んでいるんですが、それを、を和田さんがぐんぐん言語化してくれるので、その言葉を借りながら、自分も表現できるようになっていきました。

表現ができると、想いを伝えられるから、周りが動いてくれるようになりますよね。

私は、言葉は現実を創るという言い方をしています。

ドリカムという言葉を言って形にしたことで、生徒自身の夢を実現するんだ、そのために高校があるんだという考えが生まれました。

また、ドリカムプランという言葉が、生徒の進路学習という概念を登場させました。

だから、言葉が、いろんな混沌の中から一部を切り取って、意味を与えるんだと思います。

それをするのが、国語を仕事にしている人の役割かなと思います。

特に、新しい概念を生み出すときって、言葉によってしか生まれないし、言葉によってしか伝わらないと思っているんですよね。

―― それを、和田さんが体現しているのを見て、そういうことのために国語力があるんだなというのがよく分かったんですよ。

僕も、今の仕事は、ほとんどそこが中心になっているので、うまく自分の考えていることを表現できたときに、うまく伝わって、人が動いてくれたり、協力してくれたりするので、言葉で表現すると言うことの重要性を痛感しているんですよ。

考えていることを言語化することが、思考そのものだし、思考の整理になると思います。

だから、思考力、判断力、表現力は、本当に大事なセットだと思っています。

 

未来を創っていくフロンティアでは、まず最初に言葉にならない直感があって、そこから試行錯誤的な活動が始まり、やっているうちに何となく分かってきたことを言語化していくことで土台ができて、また先へ進めるようになるというプロセスが回っていると思います。

和田さんの言語化力が、未来を創っていくフロンティアにおいて大きな役割を果たしているのを目の当たりにして、表現することがなぜ大切なのかが、今までよりも一段と理解できたように思います。

生まれ育った環境が言語化力を育んだ

―― 和田さんは、言語化力や思考力を、どうやって鍛えてきたんですか?

これは、生活と動物的な勘みたいなものですね。

私の父が、吃音だったんです。父の男兄弟5人はみんな吃音で、女兄弟4人はものすごい早口。

私の実家に行くと、おばさんたちがすごい早口で話すので、夫が聞き取れないくらいなんです。

父が吃音だったため、私は子どものころから、父が思っていることを「お父さんこういうことよね」って代弁していたんです。

それと、父が9人兄弟で、男の中では末っ子なんだけど、祖父の会社の跡を継いだんです。だから、ものすごい大家族と、たくさんの会社の人に囲まれて暮らしていていたことも影響していると思います。

親子水入らずといったような空間を体験したことがなく、絶えず誰かがいるわけです。

そうすると、ものすごい複雑な人間関係や、口には出さない思いというものがあって、それを小さい頃から眺めて育ったんですね。

橋田寿賀子の『渡る世間は鬼ばかり』を地で行くような生活だったんですよ。

私がどうして国語の教師になったのかなと考えると、言葉にはならない人の心を読む、人間関係を読むということを、生活の中で無意識に鍛えてきたことが関係しているのかなと思います。

場をファシリテートするときに、そこで起こっていることに対する洞察力こそが、大事だなと思います。様々な小さな兆候があり、それらを注意深く観察し、フィードバックを送っていくことで次の展開が生まれてくるからです。

言葉にならない思いが複雑に絡み合う環境が、国語の教師としてだけでなく、場を創ってプロジェクトを立ち上げていくリーダーとしての資質を育んできたのかもしれないと思いました。

我流アクティブラーニングの国語の授業

―― 和田さんは、生徒が主体的に学ぶこと、主体的に生きることを大切にされていいらっしゃいますよね。我流でアクティブラーニング方授業をされていたということですが、どのような授業だったのですか?

私のAL型授業は、オール質問です。

国語・古文の場合、教科書本文でテスト問題を作り、解答、口語訳とともに配布します。

生徒は各自で解き(友達相談可、立ち歩き自由)、わからない箇所があれば挙手します。

私がそこへ行き、生徒に誘導質問をしながら、生徒が答を自分でgetするまで伴走し、生徒が言えれば一丁上がりです。

別のところから同じ箇所の質問挙手があれば、その一丁前の生徒(弟子)が行って説明します。

周りに集まってきている生徒もそれを聴いています。

その孫弟子がまた玉突きのように挙手している生徒のところへ出張説明、という具合でした。

進度は各自の責任で、メインの大問は4、5人で島を作ってグループで考えさせて発表というのが基本型でした。

現代文も漢文も基本型は同じでした。

―― 生徒が今までに受けてきた授業と全く違うものだったと思いますが、生徒は、どのようにしてそれを受け入れていったのですか?

4月のオリエンテーションで授業の型について、なぜこんな型の授業をするのかを説明しました。

それでも4月には「なぜ教えてくれないのか?」という生徒の質問が出てきますが、「だって、受験するのは私(教師)じゃなくてあなた(生徒)。試験本番の時誰も教えてくれないよ。社会に出たら先生いないよ。自分でやらなくちゃ。その訓練。教えてもらうのではなく、自分で考えてみよう」というようなことを繰り返していました。

かなり乱暴な導入ですが、これくらい荒療治でないと生徒は「先生から教えてもらう」というパラダイムからは脱却できません。

 

―― 授業をするときに、どんなことに気をつけていましたか?

学習するのは生徒自身であるということと、説明する人が一番理解するということ。つまり、表現と理解は一体ということです。

それを実現するために、先生は答えを言わずに、生徒が答えにたどりつくよう、誘導質問を、順を追いつつするようにしていました。

そして、生徒が答えにたどり着いたら「今、自力でわかったね」とほめまくる。

さらに、質問してくれたことにお礼言う。「あなたの質問はみんなの疑問。よくぞ質問してくれた」

生徒が間違っても「良い間違いしてくれた。皆もこの落とし穴に落ちるところだった。未然防止になった」などと言っていました。

「間違うのは恥ずかしいことではないよ。おもいきって自分の考え言ってみて」

「答えもらって喜ぶのはサル、答え書き写すのもサル。どうしてこうなるのか考えるのが人間」

などとも言っていました。

また、生徒が自学しやすいテスト問題プリントを工夫して作っていました。

和田さんのAL型授業には、主体的な学びを支援するためのエッセンスが溢れています。4月にマインドセットを変えるための話をするところから始まり、望ましい行動に対して丁寧にフィードバックを与えていくことで、道を示しているところが、とても参考になります。

「表現と理解は一体」という考えに基づき、どうやって教えることを授業内に取り入れるのかということから、弟子、孫弟子が生まれて学び合いをしていく仕組みが生まれたりするなど、この授業スタイルも、和田さんが、試行錯誤をしながら熟成していったものなのだなと感じました。

 

ドリカムプランとアクティブラーニングを繋げるもの

―― 今、アクティブラーニングや反転授業が注目されている状況って、ドリカムプランがやろうとしていたことを、らせんを描いてまためぐってきたような感じですよね。僕たちが、反転授業と出会って学び始めて、いろんな考え方と出会ったりしていて、そのなかで和田さんと出会って、今、僕たちが考え始めたことを20年前にやっていたということに驚いたんですよ。

私にとっては、既視感がありますね。20年前にそれをやっていましたというような感覚があります。

ドリカムとアクティブラーニングが繋がる芯は何かなと考えたら、結局、主体性の育成だと思います。

それが、ドリカムという形を取ったり、アクティブラーニングという形を取ったりしているんだけど、私がしたいのは、主体性の育成なんだなと思います。

それは、私が、人から何かやらされるのが、とても嫌いだから。笑

だから、自分のやりたいようにやりたいよって。

人生は、自分のやりたいようにやるために生きているんじゃないの。

だから、自己満足で十分よ。自分を満足させればいいじゃない。

自分の主体性を大事にしたいし、相手の主体性も大事にしたいというところが中心にあるのではないかとこのごろ考えています。

和田さんがおっしゃるように、自分の主体性を大事にし、相手の主体性も大事にすることを中心に据えて、アクティブラーニングや反転授業、キャリア教育などを展開していけば、それぞれが、それぞれのやり方で輝くことができるような社会の在り方が見えてくるのではないかと思いました。

未来を創るフロンティアは、常に現在進行形

―― ドリカムプランが立ち上がったときって、試行錯誤の連続といったプロセスだったと思います。反転授業の研究のオンライン講座も、まさにそういうプロセスをたどっています。

僕は、この発展途上のプロセスに、たくさんの人を巻き込みたいんですよ。
運営ボランティアという人たちが、実は、一番、アクティブに学べる状況にあるんですよ。

集客の苦しみとか、どういう言葉を発信すれば周りに伝わるかとか、Moodleをどのように設定したら分かりやすいかとか、いろんな試行錯誤をシェアしていくんですけど、講座を受講した皆さんには、こんどは、作る側に回ってもらいたいって思っているんです。

そうすると、受講者として経験した視点からアイディア出してくれたり、自分からやることを見つけて動いてくれたりするし、受講者と運営の垣根が低くなるので、受講者もアクティブに学びやすい状況になってくるんです。

受講者が、順に、運営ボランティアになって、広がっていくとおもしろいなぁと思っているんです。

そのプロセスこそが学びですよね。

きれいにできた結果よりも、その途中の産みの苦しみみたいなところこそが、面白いんじゃないかな。

ネットの講座が、出来上がった大企業みたいなものになってしまったら、もう大企業病になってしまう。

だから、私は、そういう意味で、完成せずに、ずっと成長し続けるほうがいいんじゃないかなって思います。

生命体って、そういうものですよね。

 

―― 一つ進むと、すごく先の未来までは見えないんですけど、ちょっと先が見えるんですよね。

そうそう。次の扉が開くんですよね。

―― 今回は、オンライン講座で生活できるような人を作ろうと思ったんですよ。

今、いろんな理由で体調を悪くしたりして、働くのが難しい状況になる人というのがいたりするんですよ。それを、一時的にでも、収入面で支えられたらいいなと思ったときに、「反転授業の研究」だけだと、年間6回が最大なので頭打ちになるなーと思い、ここのノウハウを持って、外とコラボしていくしかないなと思ったんです。そして、そのためには、僕が運営を手放す必要があると思ったんです。

運営を手放すことを決めて、コラボする相手を探そうと思って目を外へ向けたら、パタパタといろんな扉が開いていきました。

田原さんは、今、体調を崩した人が、ネット果樹園で収入を得られるようにっておっしゃってましたけど、私は、これを知ったときに、老後を考えたんですよ。

私が、今みたいに遠くまで行って活動できなくなっても、ここで先生をすればいいって。

私はあと5年で定年なんですけど、ネット上でベテランの学校の先生たちを集めたお助け講座のようなものを作るというのに可能性を感じましたね。

子育てしている女性とか、家を空けられませんというひとに、夜9時半からやるオンラインの相談室みたいなものを、ここでできたらいいなーと思いました。

和田さんとお話していると、「同じ絵を見て話している」という実感があります。僕が今、現在進行形で体験していることについて話をすると、同じ種類のことを体験した和田さんだからこそのレスポンスが返ってきて、どんどんシンクロしていきます。

和田さんが経験をシェアしてくださることで、僕たちが進みやすくなり、逆にオンライン講座の経験を和田さんに提供していくことで、和田さんの豊富な経験を広く役立てることができる状況を生み出していければ、win-winの関係を生み出せそうだと思いました。

身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ

私が田原さんに感心したのは、これをビジネスとして成り立たせるということを考えているところなんです。

私は学校の先生をしているけど、父が商売をしていたのと、一族がみんな商売人で、私が最初のサラリーマンなんです。

「生徒がこれだけ合格したよ。」と父に言うと、
「それでお前の給料はいくら上がるんだ?」と言われたりしていたんですよ。笑

だから、ここに新しいビジネスの形があるんだなって思ったんですよね。

でも、ビジネスを前面に出すとうまくいかないということを、これを見て思ったんですよ。

―― 本当に、そうなんですよね。

田原さんが書いていたけど、前回のファシリテーションの講座のときに、いったん、構えをリセットしてやったらうまくいき始めたというのを知って、そこで、一度、お金のこととかを取り下げたんじゃないかなって思ったんですね。

儲けることをいったん離れて、まずは、本当にやりたいことは何なのかということを形にしたら、後からそれにお金がついてくるという感じじゃないかと。

生徒に目先の合格を願っているうちは、まだまだよーみたいなのと似ているなと思いました。

合格、不合格を超えたところにあるものをつかんだときに、合格がおまけでついてくるって、私はよく言っていたんです。

―― お金を稼ぐことと似た構造を持っていますよね。

本当にそういう手放しがあったんですよ。「反転授業の研究」に大きな労力をかけるようになってきたこともあって、そこで収入を得られるようにならないと苦しいなと思って固執していたんですね。そこを手放したことで、はじめて、周りの人が共感して加わってくれるような動きになったんだなって思います。

お金のことが前面に出ているとギラギラして、寄ってくる人も寄ってこない感じになりますよね。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」ということわざがあるじゃないですか。一回、ぼーんと身を捨てなくちゃいけない。身を捨てると何かつかめるものがあるといつも思うんです。

前回のファシリテーション講座の後、U理論に出会い、手放しと、その後の結晶化のプロセスが非常によく説明されていると思いましたが、これは、きっと、過去に多くの人が繰り返し経験してきてことわざにもなっているような普遍的なプロセスなのですね。

身を捨てた経験がある人は、同じような状況になった時に、自分の理解の範疇に収まらないことに対して、世界を信頼して身を投げ出せるようになるのではないかと思います。

そして、それができると、殻を破りながら大きく成長できるチャンスが生まれるのではないでしょうか。

 

一斉に変化することを求めずに多様性を認める

―― 今、時代が大きく変化していることを実感しています。僕が、「反転授業の研究」でやっているようなことを始めたのは、たった2年前なんです。状況が変わって、マインドセットが変わると、いろんなものが次々に現れてくるんだなって驚いています。

絶えず変化していきますよね。

諸行無常という言葉を国語で教えてきましたけど、やっとこの頃、一瞬たりとも同じものはなくて、ずっと変わっていかなければいけないんだということを言っていたんだということに気がつきました。

―― 僕は、その流れをキャッチする人としない人は、どこが違うのだろうかって考えるんです。

自分と外側の接点に現実があると思うんですが、うまく流れに乗る人は、自分だけじゃなくて、外側だけじゃなくて、接点の部分で、その時々に出てくるものをうまくキャッチして流れに乗っていくように見えるんです。

私は、みんながみんな、その流れに乗れたりしなくてもいいんじゃないかと思います。

それは、その人の在り方なんじゃないでしょうか。

だから、こんなにいいことだから、どうしてみんな、分からないの?って言っても、たとえば、それが分かる人は3割とか4割いたら御の字で、7割の人は出来上がったものを享受するタイプなのかなって思います。

でも、それはそれで、そういう存在も必要だと思うんですよね。

ルーティンをがっちりやってくれている人がいるから、新しいものにチャレンジできるというか。

クリエイターとか、イノベーターとかいうタイプもいれば、そうじゃないタイプの人もいて、向き不向きがあるもんだなって思います。

――確かにそうですね。僕は、ついついみんなにやってほしいって思いがちなんですよ。

その人、その人のスピードというものがありますよね。生徒の進路指導していても、その子が気がつくというか、目覚めるというか、本気になるというか、そのタイミングがどこでやってくるかは、本当に人それぞれなんですよね。

教師としては、みんなに一斉に速く火をつけたいわけですが、やっぱり、来るべきタイミングというものがあって、待たなくちゃいけないなって思います。

意欲の大量生産みたいなものはできないなって感じています。

いろんな刺激を与えることはできたとしても、あとは、本人のスピードに任せなくちゃいけないかなって思っていますけどね。

――予備校で一斉講義型の授業をやっていたときには気がつかなかったんですけど、AL型の授業をやるようになって、はじめて生徒の個性とか多様性に気がつくようになったんです。

フィズヨビで学びあいの夏期講習をやったときに、学びあいに入らない生徒がいたんです。

どうして学びあいに入らないのか、入ればいいのに!と思ってメールしたりしていたんですが、一人で学びたいって言うんです。ハンドル名もよく見たら「一人で学ぶのが好き」でした。笑

こういうのも多様性として認めなくちゃいけなかったんだなって気づきました。

自分が「学び合い」という一つの形にこだわっていて、そこに押し込もうとしていたんだなって。

アクティブラーニングの研修会でも、その質問が多いですね。一人が好きな子をグループワークに参加させるべきかどうかって。

小林先生もよく話をされるけど、それはそれで、一人でいいんじゃないですかって言うんですよ。

少しずつソーシャルスキルトレーニングとして、周りと話ができるようになっていけばいいんじゃないですかねって。

いろんなタイプの人がいて、それぞれ、自分のやり方で、自分のやりたいようにやりたい。

―― 一斉講義をやっていたときは、そういうことに気づかないで済んでしまっていたんですね。

今日、職員研修会で話をしたのは、ヒドゥンカリキュラムのマインドセットにいかに私たち教師が強く捕らわれているかということでした。

学校で先生が一斉講義をして、生徒は黙ってそれを聞くものだという価値観の中だけで生きてきたので、多様性ということに気づかないんじゃないですかね。

それは、強者の論理というか、元気な人は、病気がちの人の気持ちが分からないのと同じで、自分が病気になってはじめて、こんな考え方や感じ方というのがあるんだなって思うじゃないですか。

だから、一斉講義をやっているなかで、多様性に気がつくというのは難しいと思います。

これは、前に出てきた和田さんの言葉「自分の主体性を大事にし、相手の主体性も大事にすることを中心に据える」ということと関係しています。

相手の主体性を大事にするということは、気づきが起こるタイミングや、進んでいく方向性もそれぞれなのだということを認めて、それを前提にして授業を進めていくということになります。これが、一斉講義からAL型授業へ転換するときに教師に起こる大きなマインドの変化かもしれません。

 

新しい共同体が生まれる瞬間に私たちはいる

―― ワールドカフェを作ったアニータ・ブラウンが、集合知の重要性を繰り返し述べているんですよ。いろんな複雑な問題を解決するために、ワールドカフェは、集合知にアクセスするための1つのメソッドなので、それを学んで、集合知によって問題解決して欲しいというメッセージを発していたんですね。

和田さんの中では、集合知は、どのような位置づけになっていますか?

私がアクティブラーニングの研修会とか、いろんなところで使っているキーワードは、互恵、共創、集合知なんです。

大学受験は、一人でやっているじゃないですか。生徒は一人で勉強して、自分さえ合格すればよいという側面が大学受験の中にあると思います。

アクティブラーニングが画期的だなと思うのは、みんなでよくなるという考え方があるところ。自分一人が幸せになるのではなくて、みんなで幸せになりましょう。そのために、協力しましょうということを目指しているところです。新しい共同体が生まれる瞬間に私たちはいるんだなというふうに思っているんですよね。

一人でやるより、みんなでやったほうがいい答が出る。
みんなで発表するほうが、発言しやすい。

世の中複雑化すれば、個人の頭の中だけでは無理だと思います。
これからは、集合知のほうに行くと思うんですが、そのスタートが、アクティブラーニングなんじゃないかなって思います。

生徒たちのリフレクションカードを見ると、みんなでやるとよく分かったとか、助けてもらってよかったとかという感想がどんどん出てきます。協働したり、協力したりすることの幸福感を感じられるんです。

一人でやっていると孤独で不安なんですけど、仲間がいると心強いんです。

集合知のよさを、アクティブラーニング型の授業の中で、一部の先生や生徒が少しずつ少しずつ分かり始めるんです。

そういう生徒が増えてくると、「何でも協力してやろうよ」というような「勉強の部活」みたいなものが生まれてくるんじゃないかなって期待しています。

――「勉強の部活」って分かりやすい表現ですね。

勉強に限らず、仕事のプロジェクトチームも協力してやろうよということなんですよね。
そして、それが、とても幸せなことなんですよね。

私は、このオンライン講座に参加して、何が幸せなのかというと、そういう仲間というか、友達にいっぱい出会えたということなんです。

無条件に信頼できるんですね。

たとえば、腹の探りあいとか、お互いの嫉妬のドロドロみたいなものがあるのがこれまでの世の中、そういうものを全然感じない仲間は、本当にありがたいことだなって思います。

―― どうやって、今の状況が生まれているのかはよく分からないんですが、志の部分で集まってきて、人が入れ替わっても、ちゃんとそんな感じになるんですよね。

みんながオープンマインドで、ものすごく受け入れてくれるし、親切にしてくれる。
集合知を作っていく仲間とか集団とかは、とても人類に幸福を与えると思います。
少なくとも一人じゃない、困ったときはここに頼ろう!その代わり、自分も人のお役に立とう!という互恵の考え方がどんどん増えていくんじゃないかなって思います。

僕は、40歳を超えるまで、「協働したり、協力したりすることの幸福感」ということを感じたことがありませんでした。でも、「反転授業の研究」のオンライン講座で、その幸福感を体験し、マインドセットが劇的に変わりました。

その結果、僕たちが感じているこの幸福感を広めていけばいいんじゃないかと思いました。

まず、教師が体験し、それを、生徒がAL型授業で感じることができるようにしていけば、生徒は、将来、その幸福感を求めていくようになるのではないかと思い、社会を大きく変えていく具体的なイメージが湧きました。

和田さんが、アクティブラーニングやドリカムプランを通してたどり着いた結論と、僕たちが感じていることとが一致していたことで、さらに確信が深まりました。

和田さんがおっしゃっているように、今は、まさに「新しい共同体が生まれる瞬間」に立ち会っているのだと思います。

新しい共同体が生まれるためには、マインドセットの変化が不可欠で、そのためには、今後、何度も、ぼーんと身を捨てなくちゃいけない状況が出てくると思います。

和田さんのようなパイオニアが、グループ内にいてくれることが、今後も大きな助けになると思います。

 

 

エイミー・レンゾーさんインタビュー(3)

国際的に有名なワールドカフェホストであるエイミー・レンゾーさんにオンラインでインタビューさせていただき、それを記事として連載しています。

インタビューPart 1と2は、こちらから読むことができます。

エイミー・レンゾーさんインタビュー(1)

エイミー・レンゾーさんインタビュー(2)

インタビューをしながら、僕が「反転授業の研究」での活動を通して感じるようになってきた問題意識と、エイミーさんの話とがシンクロしていると感じるようになりました。

社会システムと自然のシステムとの不整合が大きくなってきている中で、その社会システムへ適応していくと、自分の中の内なる自然との乖離が大きくなっていき、そこから生じる矛盾が、様々な問題を引き起こしているのではないかという問題意識を共有しました。

では、どうやって、その不整合を解消し、より調和した状態を回復していくことができるのだろうか?

そのためのカギを握るのが「Beauty(美)への反応」だとエイミーさんは言います。

美に触れたとき、人は、深いものへ触れることができ、自分の中の内なる自然や、他の人との繋がりを見出すことができるのではないでしょうか?

「Beauty(美)への反応」は、どのように社会システムと自然システムとの調和へ繋がっていくのでしょうか?

さらに、お話をうかがってみました。

 

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私たちは、調和して生きることができる

―― 社会の変化は、どのようにして起こるとエイミーさんは、考えていますか?

今、ヨーロッパでは、難民の人たちがたくさん流入してきました。それは、ある意味では、本当にひどいことです。生きていく場所をうばわれたり、恐ろしい目にあうからです。

ただ一方では、このことに対して、人間らしい反応が多くみられています。人々は、その困っている人たちをみて、自分に何ができるのだろうか、と考えて反応しています。
そこにbeautyがあると、私は感じています。

利己的な考えよりも、他の人のことを考えることができるようになるのです。それをみることは、大変すばらしいことだと思います。

―― 先日、友人とシリアからの難民について話していたんです。ヨーロッパの人たちの中には、問題の原因がヨーロッパにあると考え、だから、難民を受け入れるべきだと考えている人たちがいるという話を聞いて、希望があるなと思いました。

狭い範囲で考えている人がいる一方で、システム思考で考えて、遠くの因果関係を見て行動できる人たちがいるということに大きな可能性を感じました。

このように考えることは、生態系的で、自然とのつながりを感じました。

本当にそうだと思います。私たちは、自然と自分たちとを分けて考えたがりますが、実際には、私たちは他の生き物たちとも同様に、自然のなかに生きているのですからね。

人間であることはある意味で、とてもすばらしいことだと思うのですよ。私たちは調和して生きることができるのです。いくつかの文化では、より自然とともに生きていますよね。重要なことは、私たちが、自然の一部であることを忘れないことなのです。

―― 私は、自然農法からたくさんのヒントを得ています。福岡正信さんという有名な自然農法家をご存知でしょうか?

はい。知っています。

―― 彼は、たくさんの種類の種を中に入れた粘土団子を撒くんですね。彼も、どの種が発芽するか知らないのです。でも、Natureが、どの種が発芽するのかを知っているのです。彼は、ただ、たくさんの種類の種を入れるだけなんです。

それは、面白いです。パーマカルチャーと似ていますよね。

―― はい。考え方はとても似ていますよね。違いは、パーマカルチャーは人間がデザインしますけど、福岡さんの場合は、デザイン自体もNatureに任せてしまうことですね。

僕は、少し前に「クラウドに粘土団子を撒こう」というブログ記事を書きました。

→ クラウドに粘土団子を撒こう!ペイフォワードの循環が意識革命を起こす

僕は、どのアイディアが発芽するか分からないですよね。なぜなら、僕たちはシステムの中にいて、システム全体を見渡すことができませんから。だから、僕ができる唯一のことは、粘土団子の中にたくさんのアイディアを詰め込んで大量に撒くことだなって思ったんです。

興味深いですよね。そのときには、どんな結果が出るかは、先に計画しているわけではないのですよね。人がすることは、見る、気がつくということなのです。どうなっているか、気にしてみているだけなのです。それは、一つのアナロジーですよね。たとえば、アイデアがあったとします。私たちは、それをただ置くのです。でも、どのアイデアが芽を出すかは分からないのです。

ワールドカフェでは、私たちは、入れ物をつくっているのだとよく言います。そして、関係性の土壌を耕すのです。それがワールドカフェで行われていることの一つなんです。relational fieldを耕すことをしているのです。なぜなら、私たちは、いろいろ余計な手出しをする必要がないからです。私たちが準備するのは、場所なのです。そこでは、人がお互いに話をして、反応して、人のいうことを聞きあうのです。お互いに学びあって、興味を持ち合うのです。私たちは、そこに立ち止まり、会話をはじめる場所を用意するのです。違った考えを持っている人たちも、安心して意見が言える場所です。

――以前は、成功するか失敗するかということを気にしていたんです。でも、最近は、結果はNatureによって選ばれているって受け入れられるようになったんです。これは、僕にとってはとてもよいことです。ファシリテーションをしているといろんな予想外の結果が出てきます。今は、すべての結果を受け入れることができて、ただ、場で起こっていることを見ることができるようになりました。僕の予想と結果が異なることはあり、以前は、その結果を拒絶していたこともあって、自分の予想通りになるようにコントロールしようとしたりしていたんですけど、今は、「ほぉ、この種が発芽したか。」みたいに見守ることができるようになりました。これは、僕にとっては大きな変化でした。

それは、とてもよく分かります。

 

新しい関係性を生み出すためのalternativeなやり方

―― 僕は、どうやって「仕事」の概念を変えられるかということを考えています。仕事って、すごく狭い範囲で捉えられていることが多いと思います。最近、仕事について違った種類の経験をしました。昨年、有料のオンライン講座をやったときに、みんなが僕のことを「お金が欲しい」って思っているんじゃないかって気がして、自分が孤立している感覚があったんです。活動を持続可能なものにしていくためにはお金も必要なんですけど、自分にはビジョンや使命感があってやっているんですね。それで、そういう自分の気持ちをオープンにしたんです。「Why」の部分を語ったんです。そしたら、お金を払って申し込んでくれただけじゃなく、オンライン講座の受講生を集めるためのビデオを作ってくれたんです。

それは、すばらしい例ですね。

―― それは、僕にとって「美しい経験」でした。自分にとってすばらしい瞬間というのは、お金を得たときじゃなくて、一緒に仕事を創った仲間にお金を払う瞬間なんです。だから、もっと仕事をコラボレーションによって創って、仲間にもっと「美しいお金」を払いたいんです。

すごくよく分かります。私は、本当に、他の人と一緒に仕事をすることが大好きなんです。私たちがやっていることだと、先生と生徒といった固定化した関係ではないので、互いに学びあい、影響しあうのです。私たちも、グループから学んでいます。同じ立場を共有するエネルギーがあるのです。

私は、alternativeのやり方をしているのです。もちろん、運営していくのに資金は必要です。でも、私がやっていることは、たとえば、お金の分け合い方に幅をつけたり、また、資金が少ない人にでも、その人にやってもらうことで参加できるようにすることです。

あなたがやっているように、人がうまくいくように支援するということはとてもすばらしいですね。

エイミーさんのインタビューを終えて

2年前にエイミーさんがフィールズ大学で行っていたワールドカフェホスティングのオンライン講座に出たことがきっかけで、目の前に新しい世界が広がり、自分自身もオンライン講座を開くことができるようになりました。

オンラインのダイアログについて2年間で考えてきたことを、エイミーさんに直接ぶつけることができ、エイミーさんの考えをうかがったことで、理解をさらに深めることができました。

物理的には遠く離れていても、顔を見て、相手の存在を感じながら話すことで、ハートレベルの対話をすることができます。

ハートレベルの対話の中で「美」に触れる瞬間を生み出すことができれば、対話に加わっている人たちは、意識の深い部分に触れることができ、自分の中の内なる自然ともっと繋がることができるのではないでしょうか。

自分の心をオープンにすれば、異なる文化的背景を持った人たちとの間でも、ハートレベルの対話をすることができ、それが、お互いの意識のキャパシティを大きく拡張し、世界に対する当事者意識を高めていくことにつながると思います。

エイミーさんと話をする中で、人と人との繋がり方や、お金の回り方が変わっていけば、社会における「行動ルール」が変化していき、社会システムが、自然システムと調和する形へ移行していくというイメージを持つことができるようになりました。

今やっていることを、確信を持って進めていこうと、改めて思いました。

 

 

2015年10月にワールドカフェ20周年記念でエイミーさんがゲストファシリテーターとして来日します。

エイミーさんによるワールドカフェを体験するチャンスですので、興味のある方は参加してください。

10月25日には、全国9箇所をつないでワールドカフェを行うそうです。

ワールドカフェ20周年記念イベント

エイミー・レンゾーさんインタビュー(2)

国際的に有名なワールドカフェホストであるエイミー・レンゾーさんにオンラインでインタビューさせていただき、それを記事として連載しています。

インタビューPart 1は、こちらから読むことができます。

エイミー・レンゾーさんインタビュー(1)

エイミーさんとお話しすると、彼女が様々な問題を深く深く考えていることが伝わってきて、それに接することで、自分の思考もそこに引き込まれていくように感じます。

今回は、エイミーさんが書いているブログ Beauty Dialogueのテーマである「Beauty」について、詳しくうかがいました。

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Beautyに対するな反応とは何か?

―― Beauty Dialogueの記事を読みました。Amyさんにとって「Bearuty」はとても重要な概念だと思います。僕は、この4年間、何度か「Beautyな経験」をしました。その経験は、僕に大きな力をくれました。「Beautyな経験」を共有した僕の友人たちも同じように力を得て、その結果、僕たちのマインドセットは大きく変化しました。それで、Amyさんに「Beauty」についてどのように考えているのかお聞きしたいと思いました。

私もあなたに賛成です。Beautyは、人間にとってとても重要な経験だと思います。
人によってどう経験するかは違うでしょうが、beautyは本当に重要なファクターです。

あなたが私のブログを呼んでインスパイアされたと言うこと、あなたにとって意味があったと言うことを聞いて、心が動きました。

長い間、私はビジネスウェブサイトを持っておらず、ブログだけを使っていました。
私の、心の中にある「本当に重要なこと」を書くために使っていたのです。

これはビジネスだとか、これは個人的なことだとか、そういう区別は必要ないと思っているんです。人間としてどういう人であるかが、その人にとって一番重要なことなんです。

どうやって世界をとらえるか、というのが、その人自身なのです。

私は、私自身の「カメラレンズ」を通して世界をみています。
私はそれを使って、BeautyやHarmonyをいつも探しているのです。

写真によって、私が美しいと思うものを見せることができます。
他の人たちが美だと思うものではないかもしれない。それは、伝統的な美とは異なるかもしれない。それは、素材とか色とか2つの異なるものが交じり合っているものかもしれない。

でも、私にとって、興味深いことは、Beautyに対する人々の反応なんです。
Beautyに反応するということは、精神的な体験なんです。
Beautyへの反応は、私にとって、特別な体験です。

Beautyへの反応に触れると、私は、すべてが止まったような気持ちになります。そして、その瞬間のなかに生きる(be in the moment)のです。感謝を持ちながら。人が、そのような「be in the moment」の感覚を持つときには、とても深いものに触れることができるのです。

私たちは、忙しい生活を送っていて、身の回りのBeautyに気づきません。
立ち止まってみれば、自然界のBeautyや、他の人たちの顔に表れるBeautyに気づきます。
その本質が輝き始めて、美しさが表れているのに気づくでしょう。

 

自然とのつながりとBeautyについて

―― 僕は、長い間、自然から隔てられていると感じてきました。なぜなら、社会システムと生態系システムとが全く異なるからです。生態系の原理がCo-Creationなのに対し、社会システムは一部の人たちが他の人たちを支配しているヒエラルキー社会だからです。僕は、かつて、ヒエラルキー社会に適応していたので、生態系からは遠ざかっていました。ただ、社会システムの中で、生態系のことを勉強していただけでした。

でも、最近になって、生態系と、もう一度、繋がり直している気がしています。

テクノロジーは、人間を自然から遠ざけてきましたが、インターネットのようなテクノロジーは、人をこれまでとは異なる形で繋いできました。インターネットは、ある意味では、生態系的なシステムだと思います。私は、他の人たちを、今までとは違う形で繋ぎなおすことができると考えています。

最近は、自分の心の中にNatureを感じるし、自分が、生命の一部だと感じるんです。

それは、とても興味深い洞察ですね。
私たちは自然から分離できませんよね。なぜなら、私たちが自然だからです。
自然の一部だからです。

土壌で作られた食べ物を食べ、空気を吸います。これらは、すべて自然だからです。
私たちは、自然のシステムの一部なのです。どれほど自然のシステムから隔てられていると感じても、私たちは自然の一部なのです。

そして、私たちはHuman natureを持っていて、それは、自然の中にあるのです。

多くの場合、Human natureとnatureが一緒だということに気づきません。なぜなら、私たちの生活はクレイジーで忙しくて、静かな自然とは違うからです。

でも、それに気づくためには、止まらなければいけません。止まることができたら、BeautyやBeautyへの反応に気づくことができます。

止まることによって、私たちが自然から隔てられているという幻想から目覚めることができます。

Beautyへの反応に触れると、私たちの心の箱が開き、マインドがオープンになり、他のすべてのものとの繋がりに気づきます。

ほんの一瞬かもしれないけれど、覚醒しているように感じて、どれほど他とつながっているかに気づくことができます。

ネイティブ・アメリカンであるナバホ族の人たちは、ロング・ウォークのときにuniverseに祈っていました。

それは、自分が歩くときに、前にも後ろにもBeautyがあるようにと祈っていたのです。

そして、右、左、外側、身体の内側・・というようにいたるところにBeautyがあるようにと祈っていました。

つまり、Beautyに囲まれて人生をおくれるようにと願っていたのです。

彼らは、自然とハーモニーを持ちながら生きることを願ったのです。

自然と生態系では、すべてのものがその一部であり、お互いに関連しています。それは、私たちも同じなのです。私たちは、自然と切り離されてはいけないのです。

ですが、今、私たちの社会システムは、そのことを忘れたヒエラルキー的なシステムを持ち、それは、持続可能性を考えていません。私たちは、どこから来て、これからどこに行くのか、社会のシステムはそのことを考慮にいれていないのです。

システムが今、ほころびをみせています。それは、自然にしろ、社会の問題にしろ、いろいろなところにあらわれています。

私は、何が起こっているのかをみることに強く関心を持っているのです。私は、その全体像をつかむことができるのかわかりませんが、とにかく、それをみたいと思っています。

Beautyレンズを通して、どこに調和があるのか、どこにバランスがあるのか、どこにパターンがあるのかをみて、私は人間としてどう生きるのか、それを考えているのです。

Beautyに囲まれて生きるためには

忙しい日常や、狭くて利己的な世界認識から抜け出して覚醒していくための手がかりが、Beautyなのではないでしょうか。

エイミーさんが言うように、「Beautyへの反応に触れると、私たちの心の箱が開き、マインドがオープンになり、他のすべてのものとの繋がりに気づく」のです。

その結果、お互いが深いレベルで繋がれるようになり、システム全体が良い方向へ進むように考えられるようになり、協力して持続可能な社会を目指していくことが可能になるかもしれません。

そこへ至るキーワードがBeautyなのではないかと思います。

 

ワールドカフェ20周年記念でエイミーさんがゲストファシリテーターとして来日します。

エイミーさんによるワールドカフェを体験するチャンスですので、興味のある方は参加してください。

全国9箇所をつないで行うそうです。

ワールドカフェ20周年記念イベント

 

インタビューPart 3はこちら

エイミー・レンゾーさんインタビュー(1)

アクティブラーニングや反転授業を行うときに大切なのは、教師が安心安全の場をつくり、生徒が自分の考えていることを自由に発言することができるようにすることだと思います。

それによって多様な考えが場に溢れ、各自が自分とは異なる考え方や物の見方に触れることができ、多面的な理解が可能になるのです。

そして、そのような理解を可能にしてくれた仲間をかけがえのないものだと感じて、協力できるようになるのです。

僕がこのことに気づくきっかけとなったのは、ワールドカフェとの出会いでした。

2年ほど前、多様性を創造性にどのように結びつけたらいいのかを考えていてワールドカフェという手法に出会ったのです。

『ワールドカフェをやろう!』という本を読み、感動して著者の香取一昭さんに長いメールを送りました。

そして、香取さんとスカイプをさせていただくことになりました。

香取さんからお話をうかがって、本では理解できていなかったことを理解することができました。

さらに、ワールドカフェの国際的なオンラインコミュニティの運営者であるエイミー・レンゾーさんを紹介してくれました。

エイミーさんが実施したフィールズ大学の8週間のオンライン講座を受けたことで、僕がオンラインのファシリテーションをすることができるようになりました。

「反転授業の研究」が主催する数々のオンラインイベントは、すべてここから始まったのです。

10月にワールドカフェ20周年イベントがあると言うことを知り、2年ぶりにエイミーさんに連絡を取り、このインタビューが実現しました。

様々な部分で共鳴し、話が長くなりましたので、数回に分けて紹介します。

 

オンラインの対話に興味を持った理由

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―― エイミーさんは、オンラインコミュニティの運営や、オンラインワールドカフェ、ワールドカフェホスティングのオンライン講座など、オンラインでのコミュニケーションに関わる活動を数多くされていますよね。

僕も、オンラインコミュニケーションに大きな可能性を感じていて、いろんな対話イベントやオンライン講座を開いています。

エイミーさんは、オンラインコミュニケーションのどこに可能性を感じていますか?

 

それは、とても意味のある質問ね。

私はカルフォルニアにいるのに、あなたを、こんなに近くに感じられるわよね。

ワールドカフェの原理は、多様性が大事だということです。

だから、異なる立場の人と会話をすることは意味があります。

オンラインコミュニケーションによって、みんなが、お互いの声を聞くことができて、国境を越えて、飛行機の燃料も使わずに、お金も使わずに自宅にいて、簡単に同じ空間を過ごすことができます。

多くの人は、他の国の人と話すために、その国に行かなければならないと思うけど、実際には会話することができるし、それだけじゃなくて、オンラインで深いつながりを作ることができます。

私は、いろいろなオンラインの試みをホストしてきました。

ワールドカフェとか、トレーニング、セレモニーなどをしてきました。

セレモニーでは、何かを讃えるということもできます。

オンラインイベントをホストするときには、自分が学んでいることに驚きます。

オンラインの活動を始めてから今まで学んできたのは、対面で話すのと同じように、オンラインでも心の交流ができるということです。

それは、大きなギフトだと思いました。

それで、オンラインホスティングに興味を持ち始め、オンラインホスティングのスキルも伸ばしてきました。

オンラインでは、注意を向けること、集中すること、決定することなどが大事だと思っています。

その目標に注意を向けるならば、あなたは、やりたいことを何でもできる。場をファシリテートして、他の人たちのリアリティとつながることができる。

インターネットは、リアルじゃなくて頭の中だけだと思っている人もいるけれど、それは間違いです。

もちろん頭だけでもつながることもできるけど、ハートレベルで交流することもできるんです。

 

オンラインでもハートレベルで交流できる

―― オンラインでハートレベルの交流をすることができるというのは、とても大きなキーワードだと思います。

産業革命後、テクノロジーは人間を自然から遠ざけてきたと思うんです。でも、インターネットは、人間を自然に戻していく可能性があるテクノロジーだと思います。

実際、オンラインのハートレベルの交流によって、僕のマインドセットは大きく変わってしまい、2年前とはほとんど別人のようです。

エイミーさんも、インターネットは、マインドセットを変えることのできるものだと思いますか?

私も、同じことを経験しました。

ワールドカフェは、それと同じ方法で私たちのマインドセットを変えています。

なぜなら、私たちは他の考え方にさらされるからです。

もちろん、論文や新聞記事でも、他の人の考えに触れることができます。

でも、もっと深いレベルで話をしたときに大きな変化が起こります。

 

アラブの春の後、私は、オンラインワールドカフェをホストしました。

1つの小グループには、イスラエル人の若い男性とシリア人の若い男性がいました。

わざと同じグループに入れたんです。

シリア人の男性は、はじめ、自分の生活について話しませんでした。

彼は、イスラエル人は恐ろしくて心無い人たちだと教わってきたのです。

彼のコミュニティはイスラエルと悪い関係だったのです。

でも、話をして、お互いに質問に答えた後は、彼はこう言いました。

「あなたを兄弟のように感じる。あなたの言葉は、自分の言葉のように感じる。」

「私はあなたの言葉の中に心を感じることができる。」

そう言って、彼は泣き始めました。

私は、そのストーリーをハーベストのときに全体にシェアしました。

そうすると、他のみんなも大きく心を動かされました。

私たちは、とても深いレベルで心を動かされて考えが変化しました。

それは、対面でのワールドカフェで起こることと同じことでした。

もし心がオープンになって、他の人の声を聞くことができれば、他の人の考え方に触れることができるのです。

それは、人の心を変えます。

 

オンラインで他の人の考えに触れる方法はたくさんあります。

SNSやブログもそうですね。

私たちは、大量のものの見方にさらされています。

もし、好奇心を持って会話を始めたら、何が起こるでしょうか?

ワールドカフェでは、安心安全の場を創って、お互いに注意深く話を聞くようにします。

お互いにリスペクトします。

お互いの違いをリスペクトします。

オンラインの会話でそのような態度を取ることができるようになると、全く違った種類の経験をするようになります。

意識の範囲が大きく広がって、自分自身や他の人々を理解するキャパシティが大きくなります。

だから、インターネットは人々の意識を変化させると思います。

私たちは選択肢を持っていると思います。

人類は自分たちの未来を決めることができると思います。

 

教師の役割は「教えること」から「ガイド」へと変化する

―― 自分たちで決めるのが大事だということについて、最近、面白いことがありました。

僕がやっている物理のオンライン講座で学びあいの夏期講習をやったんです。

僕のビデオ講義を見て、チームで問題を解いていくというものでした。

第1週は、教える側に回っている人たちがグループをリードしていました。

第2週になると、質問をする側がリーダーシップを取るようになりました。

本質的な質問が出てきて、みんながそれに引きつけられたのです。

第3週になると、面白いことが起こりました。パワフルクエスチョンをするために、彼らはビデオを見ることを止めてしまったのです。

それはすごい!!

あなたと話す前に、次のフィールド大学でやるワールドカフェのラーニングプログラムについて作業をしていたんです。

Moodleとzoomを使います。zoomだとグループ全体を一度に見れるんです。

私は、あなたが今言っていることを考えていたんです。ピアラーニングです。

私は先生だけど、「教える人」じゃなくて「ガイド」なんです。

環境を作って、他の人を招待します。

そして、学ぶプロセスをはじめます。

招待された人が自分で学び始めて、他の人たちと学び合うんです。

だから、あなたの取り組みは、すごくいいと思います。

―― 実は、 その後、彼らにMoodleのコースとWizIQのアカウントを開放しました。今は、彼らだけでやっています。(笑)

パーフェクト!

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エイミーさんと話をしてみて感じたこと

エイミーさんと話しているときに感じていたのは安心感でした。

この人なら、自分の気持ちを話しても、理解してくれるという安心感が、僕の心を開きました。

ファシリテーターの持つ理解の幅、意識のキャパシティが、相手の心を開かせていくのだということに気づきました。

エイミーさん自身が、心をオープンにして、他の人の考えを受け入れてきたことによって、「意識の範囲が大きく広がって、自分自身や他の人々を理解するキャパシティが大きくなる」という経験を積み重ねてきたんだということが、お話してみてよく分かりました。

エイミーさんがやっているようなオンラインワールドカフェを、僕(田原)がホストになり、9月24日に実施します。

「反転授業が創る未来を語ろう!オンラインワールドカフェ」

※申し込み締め切り 9/20

 

ワールドカフェ20周年記念でエイミーさんがゲストファシリテーターとして来日します。

エイミーさんによるワールドカフェを体験するチャンスですので、興味のある方は参加してください。

全国9箇所をつないで行うそうです。

ワールドカフェ20周年記念イベント

 

インタビュー記事は、Part2へ続きます。

→ エイミー・レンゾーさんインタビュー(2)

コクリ(Co-Creation)で地域創生を進める三田愛さんインタビュー

「反転授業の研究」が本格的に活動を開始したのは2年前。そのときのビジョンは、

オンラインに多様性のある森を育て、そこに実る多様な果実(生徒が主体的に学ぶことができる方法)を収穫して共有すること

でした。

Facebookグループ内でフラットな関係を作って、オープンに対話することにより、集合知を生み出すことができるのかという社会実験を行ってきたのです。

その結果、様々な果実が実り、副産物として、メンバーのマインドセットが次々と変わっていきました。

一人じゃできないことでも、協力すると創造できるという経験は、僕たちにパワーと自信を与えたのです。

その結果、心がどんどんオープンになっていき、グループ内にエネルギーが溢れるようになりました。

このような経験は、僕にとって初めてのものでした。これを言い表す適当な言葉を探していて、「共創(Co-Creation)」という言葉に出会いました。

『U理論』の翻訳者である由佐美加子さんがワークショップの動画の中で、「共創(Co-Creation)」について、「美に触れると元気になる」とおっしゃっているのを聞いて、それが、まさしく自分たちが経験したものだったのではないかと思いました。

→ 「Co-Creationという世界に生き方、リーダーシップ」は、こちらの記事から視聴できます。

その後、社会変容ファシリテーターのボブ・スティルガーさんの『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』を読み、その後、スカイプでお話をうかがう機会がありました。

 → Bob Stilger著『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』が社会的変容への地図となる

 → 未来は旧システムの周辺部から立ち現れる~共創的教育の芽吹き

ボブさんの著書や、お話の中で出てきた「トランス・ローカル」という考え方には、強く心を動かされました。

旧システムの「ひび割れ」は、システムの周辺部で最初に現れ、そこから新しい未来を創る動きが始まるというのは、まさに僕たちのグループが誕生したきっかけであり、あちこちの周辺部で誕生した「未来を創るコミュニティ」が時代性でシンクロして繋がっていくことで、社会変容が起こる「トランス・ローカル」のイメージは、僕たちの次のステップを指し示すものでした。

ボブさんから、(株)リクルートライフスタイル事業創造部じゃらんリサーチセンター研究員で、ボブさんと共にコクリ!ラボをやっている三田愛さんと話すように勧められました。

三田さんは、少し前に「反転授業の研究」に参加されていて、メッセージのやり取りをしたことがありました。

その後、三田さんが、home’s viの代表理事の嘉村賢州さんの「賢州休みカンパ」企画の応援団長になっているのを拝見して、そのペイフォワードの考え方や活動にとても興味を持っていました。

→ 賢州夏休みカンパ

今回、とてもよいチャンスをいただいたので、自分が今、一番関心があるテーマである「共創(コクリ・Co-Creation)」について知りたいことを、コクリ(Co-Creation)に長年関わっている三田さんにうかがってみました。

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人が本領発揮するような世界が素晴らしい

僕がコクリにたどり着くまでは、結構、長い道のりだったんです。自分の中の屈折している部分を長い時間かけて見つめて、それを解体していった結果、ようやくたどり着いた境地がコクリだったという実感があります。三田さんの場合はいかがだったのでしょうか?どのようにしてコクリにたどり着いたのですか?

私の母が教育者で、人の可能性を引き出して背中を押すのが得意な人だったんです。

その影響で、人が本領発揮するのが素晴らしいとか、すべての人がギフトを持っていて、それが輝く世界が素晴らしいという考えるようになりました。小学生のころから、目がキラキラしている人がすごく好きだったんです。

だから、ずっと、そういうことをやりたいと思っていました。

私は、リクルートでずっと社会人生活をしています。人事領域・事業変革領域にも長くいて、その中でやっていたことは、今から思うと結局、コクリだったんです。

コクリをテーマにしてやっていたわけではないんですが、採用関連とか、企業の人事関連の20人くらいのプロジェクトをまとめていたときも、メンバーがどうやったら最大限輝くか、本領を発揮できるのかという環境を整えることをずっとやっていました。結果的に、業界初の新しい仕掛けを成功させ、関わるメンバーが各自MVPを受賞したり昇進し、より輝くフィールドを自ら創っていきました。

今から思えば、それは、コクリをやっていたんだなと思います。

実は、高校時代の成功体験(体育祭のプロジェクト)も今思い返すと、コクリでした。多様性あるコアメンバーを集め、各自が本領発揮する環境を創り続け、140人を巻込んでいき、最後は予想していない未来になった。

私はそんなコクリのプロセスが大好きなんです。

屈折と挫折を乗り越えた末に、遠回りしてコクリの考え方にたどり着く僕のような人もいれば、まっすぐにそこにたどり着く三田さんのような方もいるのですね。相手の中の「よい部分」にまっすぐにアクセスして繋がることができるのは、三田さんがまっすぐに進んできたからかもしれませんね。

コクリプロセスで地域創生を目指す

今やられている地方創生の仕事は、どのようにして始まったのですか?

リクルートで働きながら、コーチングの資格を取ったりとか、ファシリテーションを学んだりとかするようになりました。その後、国内外のいろんなところに学びに行くようになり、組織変革をやっている人たち、ボブさん、フューチャーセッションをやっている野村恭彦さん、嘉村賢州さん、U理論の中土井僚さんなど、一線で活躍されている人たちと、学びの仲間になっていきました

その中で自分自身に知見が溜まっていって、5年前にじゃらんリサーチセンターの研究員になったときに、そういう専門と関心を持った自分が、地域のお役に立てることって何だろうと思って研究テーマを考えたときに、表面的な観光政策を研究するのではなくて、氷山の下である、裏の構造にアプローチしたいと思うようになった。しがらみ・縦割り・分断等がある構造や、諦め・恐れ・エゴ等がある個人の意識(メンタルモデル)を変え、地域の人がどうやったら本領発揮して垣根を超えて繋がり、自分たちの力で未来を創れるかということを研究テーマにしたいと思ったのです。

最初は1年ごとの研究プロジェクトとして熊本県黒川温泉の地域創生をフューチャーセッションの野村さんと一緒にやったり、上天草市ではシステム・コーチングを使って津村栄作さんといっしょにやったりとか、和歌山県有田市ではU理論の中土井僚さんとプロジェクトやったりとか、自分の関心がある新しいテーマで地域での実証研究を、信頼する方々と1つ1つやっていたんです。

現在、コクリ!プロジェクトは3フェーズ目なんですが、私が1地域1地域サポートするカタチだと年間5地域くらいしかお手伝いできないから、点を面にしたいなと思うようになりました。
 
ボブさんから、実績も上がっているのだったら、そろそろラーニングコミュニティを作る時期じゃないかと言われて、地域同士が学び合えるコミュニティを創ろうと思いました。私は黒川にガッツリ入っているんですが、黒川の人たちが一生をかけてとりくむ変革の担い手だと思ったときに、彼らを支援し続ける仕組み作りが必要だと思ったんですね。

それで、私個人がずっと入り続けるというよりは、そういう仕組みとしてのコミュニティになったほうがいいなというのがあって、ボブさんといっしょに2年前に「コクリ!ラボ」というのを始めました。現在15地域ほどの人が3-4か月に1度3日間集まり、学び合っています。

(コクリ!ラボ設立の経緯や、目的・内容、参加地域などはこちらをご覧ください
http://jrc.jalan.net/cocre/lab/

今、三田さんが取り組まれている「コクリ!キャンプ」というのは、どんなきっかけではじまったんですか?

 

コクリ!プロジェクトを続けていく中で、国の有識者委員会に入ったりとか、いろんな人と接点が増えていきました。地方創生の流れで、経産省とかいろんな省庁が地方創生を考えていているんですが、有識者会議で物事が決まることに違和感がありました。そこは、全然、コクリじゃないわけですよ。ロの字型で、自分の意見だけを言って、いい面だけを見せようとしてしまう感じなんです。

この中で政策が決まってしまうのはもったいないなと思い、もっとコクリプロセスで本音で未来を創ったほうがいいのではないかと思いました。

この場に地域の現場の人もいたほうがいいから、地域の現場の人と、行政の人も繋がったほうがいいし、都会の人で地域のことを何とかしたいという人もいっぱい出ているけど、地域で頑張っている人と接点がなくて動けないという状況があるから、都会の人と地域の人も繋げていくことができる場を創りたいなと思いました。それで、コクリ!キャンプを企画したんです。

どうして、キャンプにしようと思ったのですか?

アダム・カヘンさんの来日ワークショップに参加したときに、ピピっと来たんです。

アダムさんは、アパルトヘイトやドラッグ問題等、国レベルの複雑な課題を多様なステークホルダーの対話で解決に導くことをされています。その話を聞く中で、これの日本版がやりたい!と思いました。

単なるフォーラムではなく、複雑な課題を、影響力と知恵と情熱があるステークホルダーが集まって話し合う場を創ろうと。

誰もが本領発揮して輝くようであってほしいという想いを持って取り組んでいると、その方向に次々に道が開けて、情報も集まってきて、助けてくれる人も出てきて、ステージが一段一段と上がっていくのだということを、三田さんのお話をうかがいながら思いました。

三田さん自身が、他の人の心にアクセスするのが得意だということだけでなく、軸をはっきりと示しているので、他の人が三田さんに繋がることができるのですね。

 

コクリ!キャンプで影響力と知恵と情熱があるステークホルダーを繋いで未来を創る

三田さんの場合は、ステークホルダーを連れてきて話し合う場を創ることができる位置にいるから、実際に変化を引き起こしていくことができますよね。

気がつけば数珠つなぎで人を紹介してもらって広がっていきました。思いに共感して、人が人を紹介してくれてという感じになっています。

ちょっとティッピングポイントは超えたかなという気がしています。

今、アクティブラーニングも、個人で実践してきた人たちが集まってコミュニティを創っていくというボトムアップのプロセスと、文科省から降りてくるトップダウンの流れの2つあって、この2つの流れは、どのようにうまく融合するのかなと思いつつ、僕たちは、ボトムアップのプロセスを続けています。

三田さんは、ボトムアップのプロセスとトップダウンのプロセスとをちょうど繋げているような役割をしているように思うのですがいかがですか?

意識的にボトムアップと、構造的に力があって影響力のある人を繋げようとしています。やりたいことが、社会のシステム変革なんです。そう思ったときに、一部の人たちがいいというのでは社会は変わらないなと思っていて、地域は国からのお金もいっぱい入っているので国の影響力も強いし、そこを見て仕事しているというのもあるので、そういう人をどうやって仲間に入れていくのかというのは大事だなと思っているんですね。

場面に応じて、行けるギリギリまでチャレンジするという感じなんです。例えば、地域でのプロジェクトだったら、そこの首長さんとかは連れてくることができるので、参加してもらったりしています。

また、地域の中で影響力はあるけど、普通はそういう場に来ない人を連れてくるとかしています。1割くらいなら混ぜても大丈夫だという感覚があります。

場を創るときに、メンバーの属性の割合についてどのように考えていますか?

場を創るときって、2割の人がすごくコミットしていたら、場はうまくいくんですよね。全員が参加者で運営者一人だと、ゲストとホストみたいな関係になって、ゲスト100%だと単なるワークショップになっちゃうんですけど、ホスト側の意識がある人が2割くらいいたら、それだけでうまくいくというのがあります。また「事前:当日:事後が4:2:4の法則」と思っています。通常当日に意識が集中しがちですが、実は事前が4割くらい大事なんです。なので、事前にコアチームを作ったり、意図合わせをしたり、半分参加者みたいな人をどんどん巻き込むようなことをしています。

コクリ!キャンプから、特にコクリ!プロジェクトのフェーズは変わってきているのですが、参加者は多様性とバランスをかなり考えていて、影響力のある人もいれば、、名前は知られていないけど影響力のある人とも普通に話ができるという地域のがんばっている若手とかも2-3割入れたりしています。多様性があると肩書勝負じゃなくなるので、漁師さんとか農家さんとかもいれば、大臣補佐官や、IT系の人やNPOの人もいたり、バラエティに富んでいたら全員がすごいから、上下関係じゃなくなるんです。

あとは、場の創り方で肩書を外せるようにしたりとかしています。

メンバーを選ぶときに、三田さんの中で、このメンバーが集まれば、こんな化学反応が起こりそうだなというのが、暗黙知も含めて、きっとあるんですよね。始まる前から、こんな感じになりそうだというイメージが湧いているんですか?

そうですね。イメージが湧くまで準備しますね。肩書を外した対話の場に来たことがない人に対しては、コクリ!キャンプはものすごく丁寧に招待していますね。一人一人会い に行って、趣旨とかコンセプトとか、今までやってきた研究のこととか、映像を見せながらかなり丁寧に話しているんですよ。

この場はワーク ショップでもないし、フォーラムでもなくて、肩書を外して、一人の人間として普段言えないことでも言えることこそ意味があって、そういう安心・安全の場な んですよとか。参加者が場のルールに沿ってその場に入れるように事前にかなり準備して当日を迎えるようにしています。

当日、思ったように迎えられるように、人の選び方、人の呼び方をしています。

一人一人会いに行くというのはすごいですね。僕は、オンラインでの場つくりを手探りでやっているんですけど、今までの失敗の経験が後ろ側に積み重なっていて、小さな工夫がたくさん生まれているんです。三田さんのお話をうかがうと、たくさんの経験が蓄積していて、「ここまで準備しないと肩書が外れない」とか、そういうイメージが湧いているんじゃないかと思います。そういうものの積み重ねで、今の形になっているんだなと思いました。

今は、暗黙知になっている部分を見える化したいと思って、まだできていないんです。コクリの中でもシンクタンク部門のようなチームを立ち上げていこうとしていて、コクリのナレッジをオープンにして使ってもらえるようにしたいと思っているんです。

聞かれたら言えるんですけど、自分ではなかなか整理ができないんです。誰かに質問してもらったら出てくるんですけど。

今は、私個人にナレッジが溜まっているので、それを他の人も使えるようにしたいですね。

 

三田さんは、橋を架ける人

僕は、ボブさんの本を読んだときに、ちょうどいいときに、ちょうどいい本を読んだなと言う感覚がありました。社会変容のシナリオを描いてある図があって、橋が架かるというのがあったんです。

変容のパターン

自分たちのフェーズは、新しいことを始めた人たちが、お互いにつながり始めて、そこから新しい何かが生まれつつあるというところだと思います。次の起こることが「橋が架かる」ということなのかもしれないなと思いました。イノベーターとマジョリティの間に橋が架かったときにキャズムを超えて大きな変化が生まれそうなイメージが湧きました。でも、「橋が架かる」というイメージがうまくつかめなかったんですね。どんな人が、橋を架ける人になるんでしょうか?

橋を架ける人というのは、両方にオーバーラップしている人になるかもしれません。

両方にオーバーラップしていると、両方の気持ちが分かるし、どういう言い方をすればこっちの人が興味を持つとか、どういうつなぎ方をすればいいかということが分かるはずなんですよね。そういう人に繋ぐ役割を担ってもらうということになるのでしょうか。

なるほど。今、三田さんは、まさに「橋を架ける人」の役割をしているわけですね。実際にその役割を担ってみて、どのように感じていますか?

繋ぐ役割をしていることで、自分ができる幅が増えてくることもあるし、全部ができるわけじゃないから区分区分で任せていくみたいなこともしています。

私 で言うと、国関係は5年くらい前は全く関わっていなかったんです。霞が関に足を踏み入れたこともありませ んでした。

ただ、じゃらんリサーチセンターは研究機関なので、センター長とかは国の委員に入っていたりするんです。官庁の事業受託もしているので接点 が周りにはありました。私自身も受託事業をやるようになって、少しずつ接点が増えていくなかで、向こうの考え方の特徴がしだいに分かってくるというところがありました。

U理論で「相手の靴を履く」という言い方をしますけど、向こう側から見るとこうなんだなということを理解していくというフェーズがありました。

ボトムアップのプロセスに関わっていた三田さんが、トップダウンの側の人たちの考え方を、少しずつ理解していったということですね。

黒川とかに入って、やれることをコツコツやっているうち結果が出てきて、経産省の有識者委員会にゲストで呼ばれて、その結果を映像で分かりやすく説明していて、「ロの字会議だと何も決まらないんですよ。」という話をしたら、「この会議もロの字だね。」という話になったりして、そんなやり取りをしているうち に、有識者委員会に入ってくれと言われるようになり、だんだんと向こうの仲間になっていったという感じだったんです。

私は、できるだけ人と 壁を作らないようにしていて、それを大事にしているので、こっちも想いを話すし、向こうからも個人的な想いを聴くようにしているんです。コクリの原点は、肩書き じゃなくて、根っこの想いにアクセスして、肩書きを超えて、垣根を越えてコクリするというところにあるので、1対1で、関係性を少しずつ紡いでいきました。そうしたら、向こうも、少しずついろんな話をしてくれるようになって、信頼がもらえ、仲間となって、 いろんな人を紹介してくれるようになり少しずつネットワークが広がっていきました。どんな肩書きがある人も“人”なので、“人として”話ができる人がだんだん増えていきました。

橋を架けることができる人というのは貴重な存在だと思います。三田さんの壁を作らずに繋がっていく姿勢を見た人が、三田さんなら橋を架けられると期待した結果、今のオーバーラップしている位置にいるのではないかと思いました。両方の立場の人の想いを理解した上で、それを繋いでいく場を創って、一緒に未来を創っていくというストーリーが、三田さんのやっていることを具体的にうかがって、明確にイメージできるようになってきました。

 

誰かが助けてくれる

三田さんの場合は、想いから行動しているので、いろんな人がそこに共鳴して、助けてくれたり、集まったり、ということが起こっていると思いますが、コクリ!キャンプの運営についてはいかがですか?

コクリ!キャンプをはじめるときに、リクルートライフスタイルの当時の社長に企画を出したんです。その人が育ての親みたいな感じでサポートしてくれたんです。

情熱と知恵と影響力がある人を100人集めてフォーラムをやりたいという話をして、会社の会議室でやりたいと言ったら、「ビジョンは素晴らしいけど、TO DOがなくて、コンセプトがない」と言われて、それで、コクリ!キャンプというコンセプトを考えたんです。

そしたら、「キャンプなのにキャンプファイヤーもないの か」と言われたので、「予算の中で考えるとこんな感じだと思います」と言ったら、「そういうのを一度、度外視して考えなさい」と言われました。それで、すべてを 度外視して、場所も選びなおして、空間デザイナーとか、ビジョンを実現するために必要なものは何かを考えてゼロベースで考え直して企画をして、それに予算 をつけてもらって大きくなったんです。

自分では制約だと思っているものが、本当の制約ではないことがありますよね。予算などもそうかもしれませんね。それは、三田さんのビジョンが社長の心を動かしたからこそ起こったことですね。

私は、妄想と言うか、ビジョンは創るんだけど、具現化するものは何もなくて、そこに対してそれが得意な人とかサポートしてくれて大きくなってきたというのがあるんです。

私は想いでやっているから、会社に対する翻訳機能が甘くて、会社に受け入れられやすいような言い方とかで伝えるのが得意じゃないんですよ。経営層中にそれをサポートしてくれる人がいて、どういう言い方をしたら会社が投資しやすいかを一緒に考えてくれるんですね。

それでアドバイスしてもらって企画書をまとめたりしています。

全部の能力を自分が持てないときに、ビジョンに共感してくれる多様な仲間がいると、その人がどうすればいいか考えてくれたり、繋ぎをしてくれたりします。

三田さんは、周りを巻き込んでいく力がすごいんですね。ビジョンに共感した人たちが、そのビジョンを実現するために必要なことをやってくれて実現してしまう。すべてを自分でやらなくてもよくて、得意なことで貢献し合って協力できるから力が出せる。そんな循環が三田さんの周りでは、いつも起こっているのだなとおもいました。

 

私から我々への変化をどのように起こしていくのか

周りを巻き込んで、動きを生み出していくときって、自分の範囲が、個人レベルから集団レベルへと広がっていくんだと思います。僕もそれを何度か経験しているんですが、いつも直感的にやっていて、まだうまく整理されていません。三田さんは、どのように取り組まれていますか?

コクリでは、自分ゴトからみんなゴトという言い方をしています。

共に夢を見るというのが大事だなと思っていて、共に北極星を作るという言い方をしたりしています。

みんなで見た夢だったら、みんなごとになるし、それを一緒にかなえたくなるから、出せるものを出したくなると思うんです。

自分ゴトのマイストーリーとか、自分の根っこの想いを自分自身が気づくということがまず大事で、気づいたものをシェアし合うというところを一番大事にしています。

具体的にはどのようなステップを踏むんですか?

まず、根っこの思いを掘り起こすために、AI(アプリシエイティブ・インクアリー)を使ったインタビューをすることが多いです。

インタビューシートを用意して、結構、時間をかけて、2人ペアで片方40分くらいかけてやったりします。

コクリキャンプのような時間がないときは、一人最低8分くらいですね。そのときは、インタビューシートを使わずに、前に問いを書いてやります。

インタビューの内容は、自分が人生で一番、本当に生き生き輝いた瞬間を思いだしてもらって、それがどんなシーンかというのをありありと話してもらいます。

自分は、なぜ、そう動いたのか。相手から自分はどういう役割だと思われていたのかなど、問いの項目は内容によって変えています。

その後、自分の根っこの思いは何ですかという質問をしたりすると、自分はこんなことを大事にしていたのかということを気づいてもらえたりするんです。

地域だったら、地域に関連したみんなゴトになるような質問を入れています。例えば、「あなたがこのまちに生まれて育ってよかったなと思うことはなんですか」と質問すると、まちに対する思いが出てくるじゃないですか。

相互インタビューの中で、自分が何に突き動かされているのかという内発的動機が確認でき、聴いた人が証人になります。

聴いてもらったという安心感もあって、それを交換したというのもうれしいんですよね。

次のステップで、それを他己紹介するんですよ。

6人グループとかだったら、2人組でやったものを他の4人に紹介してあげるんです。他己紹介すると、語り直しが起こります。他の人に自分のストーリーを話してもらうのはすごくうれしいんです。残りのグループメンバーにも共有できるしということで、一気に場の温度が上がるんですよね。

そこまでやると、自分の根っこの想いに気づき、かつ、関係の質が上がるんですよ。

それができると、北極星ができるための土台が整ったということになります。

自分が何のために生きているかが明確になり、この人たちと一緒なら考えたいという関係になり、その人たちの素晴らしさも分かったということになって、じゃあこの仲間でどんな未来を創りたいかということをやるんです。

北極星の作り方には、いくつかのやり方があるんです。ふつうにブレストしてもいいですし、思いついたことを直接書き出していってもいいですね。そうしていくと、みんなゴトの未来が出てきます。

一番良くやるシンプルな方法は、未来におけるステークホルダーごとに長期と短期の未来を出し合うんですね。例えば、コクリ!プロジェクトだったとしたら、地域の人、企業の人、行政の人、リクルート、コアメンバーとかというのを出して、さらに、「私」という項目も出します。

そして、その主語にとっての長期と短期の未来についてそれぞれが考えます。長期は3年後でも10年後でもいいです。短期はプロジェクト終了の3月に設定します。まず、長期から考えます。例えば10年後にしましょう。

「私」にとって、10年後、やることなすことすべてうまくいったときにどんな未来が最高の未来かというのを書きます。続いて、地域にとっての10年後、行政にとっての10年後・・書いていきます。

書いたものを、「私にとって」というところだけでみんなで共有するんです。そうすると、みんながなんとなく思っていた妄想の未来が場に出るので、みんなの共有ビジョンができるんですね。

その共有ビジョンに対して、実現するために3月までには何をするのが大事かということで、また、出していくんです。そうすると具体的に見えるんですね。

次に、それをするために何がレバレッジ(てこ)になるのかというのをブレストしていくんです。

そうすると地域の人は、こういう人を仲間に入れるのが大事なんじゃないかとか、国の人はもっとこうしたほうがいいんじゃないかとか、もっと集まれるようなプラットフォームを作ったらいいんじゃないかというようなレバレッジが見えてくるんです。

私は講演で、次のコクリ!5ステップを紹介しています。

1)種火をつける。根っこの想いに気づく。
2)関係の質を上げる。垣根を超えて繋がる。
3)北極星を共に創る
4)まずやってみる。一歩踏み出す。
5)すべてから学ぶ。→ 1)へ戻る

このサイクルを回していると、みんなゴトになるんです。

なるほど。かなり具体的ですね。三田さんから見て、「反転授業の研究」は、どうするとコクリ!が起こりやすくなると思いますか?

もしかしたらですが、テーマがあるだけに、テーマドリブンになりがちかもしれないかなと思います。一見、遠回りかもしれないけど、テーマに限らず、その人の想いを話せる時間があったりすると、結局、テーマに結び付くかもしれないし、本当は、こんな人だったんだ、そんなすばらしさがあったんだというのが分かった上でテーマを話すのと、いきなりテーマを話すのとは違うので、そうすると違う突破口が開けるかもしれないなと思いました。

三田さんが話してくれたコクリ5ステップを、「反転授業の研究」の共創へ役立てることができれば、何かを生み出せそうな気がして、ワクワクしました。三田さんが指摘してくださったように、「実践」というレベルで共有するだけじゃなく、「想い」の部分を掘り起こすと違う突破口が見えてくるかもしれません、貴重なヒントをいただきました。

コクリと自然農法の共通点

三田さんは、最近、スコットランドのエコビレッジ「フィンドホーン」に行かれたじゃないですか。Facebookの投稿で、パーマカルチャーについての話を読んだ記憶があります。僕たちも、いろいろやっていくとエコシステムのようなものにたどり着いているんですよ。社会から設定された指標じゃなくて、自分から何かをやっていくということを考えたときに、生き物としての自分というところに戻るんですね。教育が、工場モデル的なものじゃなくて、自然農法とか、パーマカルチャー的なもののメタファーで語られるようになってきて、自然農法をやっている農家のようなポジションで教師が生徒に関わっていくというようなイメージを抱いているんです。土を耕すということが、マインドセットを変えるとか、根っこの思いに気づくということに対応するのかもしれません。三田さんの中で、パーマカルチャーはどのような位置づけなのですか?

フィンドホーンに限らず、コクリ!でやっていることって、土づくりとか、農業で例えることが多いんですよ。いい土を作ると、勝手に生命力が溢れていくと考えているんです。実をたくさん収穫したいがために化学肥料をどんどん入れていくと、短期的には収穫が増すんだけど、土が痩せていって、結局は持続可能にならないということをずっと言っていて、だから、いい土を作るんだということは、コクリ!にコンセプトの1つではあるんですね。

最近、コクリ!ラボのメンバーで言っているのは、コクリ!でやっているのは自然農法だということなんです。それで、いろんな活動を自然農法のメタファーで語ったりしています。

フィンドホーンに行かれて、いかがでしたか?

フィンドホーンでは、パーマカルチャー自体も実践されていました。私がすごく学んだのは、本当に愛に溢れた空間で、人も植物も物もすべて愛されているということです。物にも名前がついているんですね。車とかにも「トム」とか書いてあるんですよ。

本当に全部に丁寧に愛をかけて、その中でそれぞれのエネルギーが、最小パワーで最大になるようにということがすごく考えられていて、エネルギーがちゃんと受け取れるような空間設計がされているんです。

植えてもいないのに種が落ちて勝手に生えてきてジャガイモが取れてというように自生している植物があったりとかして、手間をかけずに自然と育つような仕組みを入れているようなんです。

彼らは、パーマカルチャーを単なる農法として捉えていなくて、人が持っているエネルギーがちゃんと出るような仕組みをハードとソフトで両方整えているんです。彼らは、「ソフトテクノロジー」という言い方を半分ジョークで言っているんですけど、ソフトテクノロジーとして、アチューンメントというものがあるんです。それは、ワークショップする前後とか、農作業する前後とか、人が輪になって手を繋いで、目を閉じて、一人の人がガイドしながら、自分と繋がったり、地球と繋がったりということをやるんです。そういうことをちゃんとやって、自分と地球とがちゃんと繋がってから場に入るということをちゃんとしていたりします。

他にも瞑想の時間があったり、彼らが「ソフトテクノロジー」と呼ぶ仕組みが、いっぱいあるんですよね。

ハードの仕組みとして、汚水が3日間バクテリアの中を通ると、泳げるくらいの水になるようになっていたりとか、人が無駄にお金をたくさんかけなくてもそんな水に戻るという仕組みを、大学と連携したりしながら作っていたりします。そういうのが実践されているコミュニティのような感じでしたね。

フィンドホーンの土産話に、ラブインアクションという言葉があるんです。すべて「愛から行動する」ということなんですけど、ガーデニングとか、クッキングとか、お掃除とかを、全部、ラブインアクションでやるんですね。

私はガーデニング担当をしたんですけど、まず、アチューンメントして、植物とコミュニケーションをして、単に草取りをするというんじゃなく、たとえばバラにエネルギーがいくように周りの草を取るみたいな感覚なんです。抜いた草もコンポストに堆肥として戻るから循環をするわけです。今はどこを抜くべきかは植物が知っているから、コミュニケーションを取りながらやるとか、いつも愛から行動するんです。終わった後は、農具とかをきれいにしてから、アチューンメントして終わるという感じでした。

全部が愛から動いているという感じでした。

いやー、興味深いですね。僕もずっと前から有機農法とか自然農法に興味があって、ブログにも自然農法と教育の関係を記事に書いたりしていました。

→ 農業生物学者から教わったこと

自然農法の福岡正信さんが「放任」と「自然」の違いについて語っていて、これが、教育の分野とも通じる話で、とても興味深いんです。福岡さんの『わら1本の革命』にもじって記事を書いたことがあります。

→ 「反転授業 動画一本の革命」~オセロをひっくり返していく

福岡さんは、一度、果樹園を自然に任せようと思って放置したら、枝があちこちに伸びて重なってしまい、果樹園全体がダメになってしまったそうなんです。それは、周りが狂っている状況で放置しても「自然」にならないということなんです。じゃあ、「自然」とは何かということを追い求めて、彼は、「自然型」というものにたどり着くんです。僕の理解では、「自然型」というのは、生き物の自己組織化的なプロセスが最も効果的に起こるような状況だと思います。彼はそれを長年の試行錯誤の末に把握して、最初は支援しながらそこにもっていって、そのうち、自律的に動くようになるということなんじゃないかと思うんです。パーマカルチャーも植物と動物と人間の関係が、うまく循環するようにデザインされいていて、最初は手をかけるかもしれないけど、そのうちにほとんど手をかけなくても回りだすようなものだと思います。それが、福岡さんの言う「自然型」のイメージとすごく近いんです。

自然型とかパーマカルチャーに接すると、人間と動物と植物とがコクリしているということを感じて、由佐さんが言うように「美に触れると元気になる」という状況になるんじゃないかなと思いました。僕たちは様々な常識を社会システムからインストールされていますが、共創(コクリ)こそが宇宙の摂理だということにリアリティを感じることができると、これを人間関係とか社会に広げていけばいいんだなという確信を持ちながら生きられるようになるんじゃないかなと思います。

インタビューを終えて

ボブ・スティルガーさんの本を読んだときに出会った「トランス・ローカル」という考え方は、単なる理念ではありませんでした。

三田さんやボブさんたちのチームは、地域創生のコミュニティを繋いでいて、まさに、「トランスローカル」を起こすことで社会システムを変化させようとしているのです。

志を同じくする者として、この流れに何かの形で加わっていきたいと思います。

コクリ!プロジェクトのやっているコクリ・キャンプ、皆さんも、ぜひ、注目していてくださいね。

→ コクリ!キャンプ

反転授業を世界へ広めるジョナサン・バーグマンさんインタビュー

「反転授業の研究」の田原真人です。

「反転授業」の生みの親であるバーグマンさんが、「反転授業の研究」に参加して下さったことから、このインタビューが実現しました。

「反転授業」は、2007年にバーグマンさんと同僚のサムズさんが、自分たちの講義を録画して授業前に録画し、授業前に視聴し、授業中に理解度チェックや個別指導、プロジェクト学習を行う形態を「反転授業(Flipped Classroom)」と呼び、彼らの実践がマスメディアで知られるようになったことから広がったものです。

そのストーリーは、彼らの著書『反転授業』に詳しく書いてあります。

草の根の活動からスタートしたボトムアップのムーブメントであることに、僕は大きな意味があるのではないかと思っています。

『反転授業』を熟読し、その中で感じた疑問点を質問するという形式で、スカイプインタビューをさせていただきました。

bergmann

生徒が喜ぶビデオの作り方

『反転授業』の第4章 反転授業の実施方法 では、反転授業を実施するための具体的な方法が詳しく書いてあります。これを読むと、何を使ってどのように始めればいいのかが分かると思います。

英語圏に比べて、日本ではYoutubeなどにアップされている講義動画の質、量とも不足しているので、反転授業を始めるためには、自分自身で動画を作る必要があるケースが多いと思いますが、5年ほどたつと状況が変わってくるかもしれません。

バーグマンさんが書いているように、僕も、まずは、最初から凝らずに、最小限の費用で、スクリーンキャストでシンプルな動画を作ることから始めるのが良いと思います。

そして、その後、余力があれば、様々な工夫をしていくのが良いと思います。

バーグマンさんは、生徒が喜ぶように別のカメラで撮影した短い動画を講義動画へ挿入するという工夫を考えました。これが、大きな付加価値を生み出しているそうです。

本の中で、「他の教員と一緒にビデオを作ってみる」という取り組みが紹介されていて、これが一人で解説するビデオでは得られないパワーがあるとのことなので、どのように作成しているのか質問してみました。

―― 会話スタイルのビデオというのは、どのように作成するのですか?

会話スタイルビデオの鍵は、一人が教師で、一人が好奇心のある生徒の役をすることです。

生徒役がいろんな質問をして、教師が回答するということにすると、もっとインタラクティブになります。

―― 台本を、予め作っているんですか?

はい。それと、ユーモアを加えるようにしています。最初にジョークを入れると、それが好きな生徒もいるし、そうでもな生徒もいるけれど、生徒の興味を引き付けることができます。

化学の授業では、楽器を弾くというジョークを入れています。どの楽器を私が弾くことができるかというということで、たいていの楽器は下手なんですけど、ハーモニカはうまく弾けるんです。生徒たちは、そのことを知らなかったんです。

生徒たちの時間を浪費するのはよくないので、2分程度にするようにしています。

―― 最初に生徒の興味をひきつけるのは大事ですよね。

はい。だから、もう一人をビデオに加えて話すと、もっといいんですよ。

まじめに話すときもあるし、ふざけて話すこともあります。

興味を引き付けるために動画を挿入するのはとても有効です。たとえば、「正確さ」について話したときには、車の速度メーターを出して、どのように速度を測定するかについて話しました。スマートフォンのカメラで速度メーターを撮影して、その映像をカムタジアスタジオに埋め込んでビデオを作りました。

僕は、講義動画を作るときに「リアルの代替ではないバーチャル」ということを考えてきたのですが、講義スタイルという点では、授業と同じスタイルの講義を作成していました。しかし、「ビデオを挿入する」ということを考えると、教室外の様々な出来事を講義動画に挿入できるようになり、可能性が無限に広がるのだということに気づきました。カムタジアスタジオは、簡単に動画の挿入ができるし、画面の一部に動画を挿入して、それを見せながら説明するということもできます。動画だからこそできることをやることで、付加価値が増していくのだということは、大きな気づきでした。

反転型完全習得授業を可能にするMoodleのクイズ機能

バーグマンさんの取り組みの大きな特徴は、反転授業と完全習得学習を組みあわせた反転型完全習得授業にあると思います。

これまで、完全習得学習の実施を阻んでいたのは、完全に習得したかどうかを確認するために、十分たくさんの問題を用意し、それを採点しなければならないため、教師の労力が大変になりすぎるということでした。

バーグマンさんとサムズさんは、Moodleのクイズ機能を用いて、そこに大量の問題をストックしておき、そのストックから問題がランダムに抽出されて習得度テストを受けられる仕組みを作りました。現代のテクノロジーが、教師の労力がかかりすぎるという問題を解決したのです。

完全習得学習では、生徒一人一人が自分のペースで学ぶため、知識を学ぶタイミングも異なってきますが、講義がビデオになっていることで、生徒は自分のペースに合わせてビデオを見て学び、課題や実験をこなし、習得度を確認するテストを受けることができるのです。

講義ビデオ、課題、Moodleの習得度テスト、共に学び合う生徒、教師は、すべて主体的に学ぶための「学習環境」であり、それらを利用しながら、生徒たちは自分で学んでいき、教師はそれを支援するのです。

反転型完全習得授業を可能にしたMoodleの使い方について、バーグマンさんに質問しました。

―― Moodleに入れている習得度テストは、1つのビデオについて1つのクイズを作っているのですか?

いいえ。1つのユニットに対して1つのクイズを作っています。1つのユニットは、だいたい7つのビデオからなり、7つの「学ぶべきもの」を扱っています。

Moodleの中に、「学ぶべきもの」ごとにフォルダを作り、その中に6-7個の問題を入れています。

たとえば、電気回路のユニット をやる場合を例に挙げましょう。その中の各フォルダには、並列回路、直列回路、電圧と抵抗などになっています。各フォルダには10個くらいの問題を入れま した。生徒がテストをやるときには、3個のフォルダからランダムに問題をピックアップして、各生徒は異なるテストを受けることができます。

このやり方のいい点は、生徒がテストに合格できなかったときに、もう一度テストを受けるわけですが、そのときに、違う問題が違う順番で出てきて受けることができます。

普 通のテストだったら、最初は簡単な問題で、後に行くほど難しくなりますが、ランダムに問題が出てくるので、ある生徒はだんだん難易度が上がっていくけれ ど、別の生徒は最初に難しい問題が出て、あとから簡単な問題が出るということもあります。でも、まあ、それでもいいかと思っています。

大事なのは、1つの章が1つのバンクじゃなくて、1つの節がバンクになっているということです。

たとえば、第3章の大きなバンクの中に7個の節のバンクがあって、各節の中に6-7個の問題があります。120個くらいの問題がバンクにストックされていますが、生徒は、毎回、その中のランダムに選ばれた12問を解くことになります。

そのようなシステムになっているから、合格しなかった生徒が再チャレンジするときには、違う問題に取り組むことになります。

―― 本の中で、ゲーム・ベースド・アセスメントというものが出てきましたが、あれは、どのようなものなのですか?

ゲーミフィケーションを導入したんです。

テストのためのトレーニングをするのではなくてゲームみたいにするんです。シューティングゲームの場合は、レベルが上がる前にトレーニングしますよね。そのようなやり方で教える先生が増えてきた。

オーストラリアの教師たちは、MyEdというゲーミフィケーションのためのプラットフォームを作りました。ただ、Moodleみたいなランダムに問題を出せる機能がないのはちょっと不便なんです。

http://myedapp.com

生徒たちは、クエストを手がかりに問題に取り組んで、クリアするとバッヂを獲得することができて、楽しく学ぶことができます。

――カーンアカデミーもバッジシステムがついていると思いますが、同じようなものを作れるということですか?

MyEdは、カーンアカデミーと同じようなゲーミフィケーションのシステムですけど、自分で簡単にカーンアカデミーのようなものを作ることができるシステムですね。

バーグマンさんの取り組みは、より合理的な学習スタイルを確立しました。教師の役割は、生徒を見て回って、生徒がうまく学べるように支援することです。教 師と生徒のコミュニケーションは、かつてよりも個別的になり、必要なときに必要なコミュニケーションを取れるようになったのだそうです。

MyEdにログインしてみると、課題をクリアするとレベルが上がったり、バッジがもらえたりという感じで、ゲームのように楽しく学べるプラットフォームになっていました。反転型完全習得授業が広まれば、このようなプラットフォームがたくさん出てくるかもしれません。

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Universal Design of Learningについて

『反転授業』の中で、僕の注意を引いたのは、Universal Design of Learning(UDL)という考え方でした。生徒には個性があり、理解の仕方も、理解したことを示す方法も、それぞれにとって適したやり方があります。そこで、生徒に自由を与えて、自分で選択させるということが重要なのだというのです。

この本に刺激を受けて、僕が、現在やっているフィズヨビ夏期講習でも、可能な限り学び方の自由を与えることにしたところ、参加者から予想もしなかった提案が出てきました。それを、ファシリテーターの教師が喜んで認めたことで、次々と提案が生まれ、生徒の主体的な学びが大きく促進していくという経験をしています。

バーグマンさんたちは、UDLを取り入れたことで、どのようなことが起こったのか、質問してみました。

―― UDLを導入して、いかがでしたか?

私はもっと狭く考えていたんですけど、パートナーのサムズはもっと柔軟に考えていました。

自分の理解度を示すための様々な方法が出てきて、ビデオゲームを使って自分が理解していることを示したという生徒もいました。

難しい点は、本当に分かったかどうかを確かめるのが難しいんです。どのようにして示してもよいといってやっています。10%くらいはプレゼンのやり方を変える必要が出ましたが、他は問題なしで、すごくよくやった生徒もいました。

私をポジティブに驚かせた生徒もいたし、ネガティブに驚かせた生徒もいました。

一人の女子生徒は、読んだことをパワーポイントにコピペして、プレゼンしたので、私が「何を分かったの?」と質問したら、説明できませんでした。それで、私は、〔分かっていないんじゃない?」と聞いたら、彼女は、「これは、やりすぎで、私は、テストだけ取れれば十分です。」と言ったのです。

このような経験から、私は、UDLの導入は、生徒が学び方を学んだ後にしたほうがよいと考えています。

でも、生徒が自分がマスターしたことを示す方法についてオプションを与えて、生徒に選ばせることは大切だと思いますし、たいていはうまくいきます。

 

主体的に学ぶマインドセットを育むためにどうしたらいいか

反転授業やアクティブラーニングを実施する際、重要になってくるのは、主体的に学ぶマインドセットをどのように育むかということではないでしょうか。日本における実践者も、その部分で苦労している人が多いと思います。

バーグマンさんたちは、マインドセットについてどのように取り組んでいるのか聞いてみました。

―― 日本では、先生の言うことを忠実に聞くように叩き込まれる教育によって受身で学ぶマインドセットの生徒が育ってくる傾向があります。そのような生徒にアクティブに学ばせるためにはマインドセットを変えるために苦労する場合が多いです。あなたの本にも同じようなことが書いてありました。あなたは、どのようにしてマインドセットを変えているのですか?

最初に反転授業をやったときは苦労しましたね。生徒たちは、なぜ今までと違うやり方をしているのかが分かりませんでした。今までずっと机に座って、スマートボードで授業を受けてというスタイルでやってきたので、どうしてこんなに違うやり方でやるのかって思ったんですね。

物理の授業をやるときに、生徒がこのようなやり方を好きじゃなかったら大変ですよね。でも、授業中に生徒があなたにたくさん質問できるというメリットがあります。

また、物理の演習時間をもっと時間をとるというメリットもあります。そうすると、宿題にかかる時間も短くなります。

このやり方だと、生徒が気づいていないいろんな部分が改善しています。私は、今朝、UKの先生とスカイプで話していたんですが、その先生たちは、生徒の態度と成績が驚くほど伸びたと言っていました。

教師の中には、やったことがないので、授業時間をアクティブにしたり、生徒たちを夢中にさせたりすることは難しいと言う人もいます。

最初の年は、生徒たちも同じように、やったことがないから難しいと言っていました。

でも、次の年には、生徒たちにこのやり方は受け入れられて、3年目には、反転授業で学び続けていこうという雰囲気ができました。

文化の違いがあるから、同じやり方でうまくいくかどうかわかりませんが、あなた方は、日本の文化に合うようなやり方を見つけていくのではないかと思います。

アジアでは、いろいろなところで反転授業が受け入れられています。私は2-3週間の間に、台湾、韓国、中国に行く予定になっています。パートナーのアーロン・サムズが昨年は東京に行きました。そして、東京の学校を見てきました。そういえば、私の父はアメリカの空軍に入っていたので、子どものころに京都と沖縄に住んでいたんですよ。

日本には、「学び合い」や、小林昭文さんたちがやってきたアクティブラーニング、下町壽男さんたちがやってきた参加型学習など、目の前の生徒を良くしようということで現場から生まれた多くの実践があります。それらと、講義動画や、完全習得学習を可能にするシステムなどのテクノロジーが組み合わされば、自分たちの環境にあった日本型の反転授業も生まれてくると思いますし、すでに生まれてきていると思います。

 

反転授業は、どのようにすると普及していくのか?

――あなたの話にもでてきましたが、反転授業をやったことがない人は、反転授業は難しいのではないかと考えがちだと思います。でも、実際にやってみるとそうでもないというのも事実です。反転授業が広まるためには、どうしたらよいと思いますか?

新しいやり方がよいやり方だと納得させるために、テストのスコアを上げたり、態度を改善した入りすることが効果があると思います。

親は、子どもたちによい点数を取らせたいから、もし新しい方法で、そのような結果を出すことができるのであれば、それを導入したいと思うはずです。

もし、親のニーズと教師のやりたい方法とが合わさるとパワーになるということを、UKの教師とも話していました。

朝、スカイプで話していたUKの教師のところでは、反転授業の本を読んで導入したいと思っていた教師に対して学校の理事長や親などからのサポートが得られて、パワーになったと言っていました。

その後、UK政府から許可を得て、UK全体の中の14個の学校で導入できることになりました。今、学習データとリサーチをしているのですが、よい結果を得ています。

それは、UKでの方法ですが、日本でも同じようなやり方でやる必要があるのではないでしょうか?

反転授業を広めていくということを考えたとき、「父母の理解を得る」ということが、同じように重要なポイントになりそうです。目に見える結果を出してエビデンスを出して、父母や理事、投資家などを納得させていくということに戦略的に取り組んでいくということも、今後、必要になってくると思いました。

 

反転授業での教師の役割

バーグマンさんたちの反転型完全習得授業では、教師は、動画、Moodleの習得度テストなどと並び、生徒が主体的に学ぶための学習環境の1つになります。生徒の様子を見回りながら、生徒がより深く学べるように形成的評価をしていくのです。生徒は、動画を見て、「意味のある質問」を教師にすることを求められます。それが、とても興味深いと感じたので、質問しました。

――バーグマンさんが反転型完全習得授業をやっていたクラスの生徒数は何名ですか?

33-4名です。

―― すべての生徒があなたに順番に質問するんですか?

全員が同じことをやっているのではなく、ビデオを見ている生徒がいたり、実験をやっている生徒がいたり、課題をやっている生徒がいたり、Moodleでテストを受けている生徒がいたりします。

教師はクリップボードを持っていて、生徒の様子を見回って、各生徒に声をかけます。生徒は教師に意味のある質問をします。アロンは、クリップボードに生徒の質問を書いています。多くの生徒が同じ質問をするときは、集めて説明したりしています。

生徒がした質問は、後でコンピューターに入力しておきます。

バーグマンさんは、画面を共有して授業風景を映した動画を見せてくれました。そこでは、PCが置いてあるコーナーや、化学実験をやっている机、レポートを書いている机などがあり、生徒は別々のことをやっていました。PCで動画を見ている生徒もいれば、Moodleで習得度テストをやっている生徒もいました。下のキャプチャ画像では、手前の生徒は化学実験をやっていて、奥のスペースでは、動画を見たり、Moodleで習得度テストをやったりしています。

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―― 何をやるかは、生徒が選べるんですか?

普通は生徒たちが選べるんですが、教師が指示をするときもあります。

―― 教師に説明するということは、生徒の学ぶ態度を改善すると思うのですが、いかがですか?

生徒たちが質問するのは、私がやってきたことの中で一番よいことかもしれない。生徒たち全員に少なくとも1つの質問をするようにと言っています。

生徒たちは、深い質問をしないときもあります。単に私が説明したことを繰り返すことに慣れていましたから。でも、やっていくうちに、意味のある質問ができるようになってきた。なぜなら、私は、どうやって考えるのかを教えていたからです。

―― 教師が生徒に確認のために質問するというのは普通ですけど、生徒が教師に必ず質問するというのはもっとアクティブなスタイルですよね。

私とアロンは、クリップボードを持って回っていて、課題を終えた生徒に、「あなたは、何を理解したのかを説明してください」ということがあります。生徒の中には答えられない人もいて、その場合は、もう一度ビデオを見るように指示したりしています。

たとえば、重力について教えているとします。生徒に質問すると、物がポトッと落ちるのが重力だと回答したりします。でも、実際には2つの物体が引き合うのが重力ですので間違いですよね。生徒が私に質問するときもあるし、私が生徒に質問するときもあります。

たとえば、「重力とは何か」というような本質的な質問を生徒に質問していたりしています。

私は、サイエンスの教師なので、生徒にとって、概念を理解するのが難しいことを知っていますからね。

―― もし、生徒が「ビデオを見て、自分は完全に理解したから質問がない」と言ったときはどうするんですか?

たとえば、「何を理解したのか説明してください」とか言ったりする。そういうことを言う生徒がよくいるので、それに対して言うことが100くらいあります。

ビデオに出てきたことについて、もっと詳しい質問をします。たとえば物理だったら、たくさんの質問があります。

「サッカーボールは、どうやってカーブする?」

サイエンスは、ビデオの中の知識をどうやったらもっと拡張できるのかということを教師がいくらでも考えることができますから。

天文学も同じで、生徒に聞く質問をいくらでも考えることができます。

次の日、生徒に質問しようと思ったことの答を自分が知らないこともあります。そういうときは、インターネットで調べたりしています。

インターネットに接続しているスマートボードを使って、その場でインターネットで調べることもあります。生徒は、それを見て、どのように調べればいいのかを学ぶことができます。

生徒たちがiPadで調べていて、うまくいかないときは、私が行って、生徒のiPadで調べてみせることもあります。そこで、調べ方を教えるんですね。

バーグマンさんとの話をきっかけに、「意味がある質問をする」ということが、どういう効果を生み出すかということを考えているときに、「すべての探究学習は、よい問いから始まる」という言葉と出会いました。最初は、生徒の疑問点に教師が回答して回っているということなのかと思ったのですが、疑問点を解決するよりももっと大事なことは、疑問を手掛かりに探求していくことを学ぶことであり、教師の役割は質問に回答することよりも、探究をガイドすることなのではないかと思います。バーグマンさんの授業では、教師がまさにそのような役割を果たしているのです。

反転授業は、教師のやる気を引き出す

――生徒との有意義な交流は、教師のやる気を引き出す効果を持ちます。僕は、予備校の大教室で講義をしていたころ、5-6年もすると自分の講義スタイルが固まってしまい、それを反復するのが苦痛になってきました。しかし、アクティブラーニングスタイルにすると、毎回、目の前で新しいことが起こり、様々な気づきが生まれます。授業改善に限界がなく、教える喜びが増してきました。バーグマンさんの場合はいかがですか?

そういう話をいろんな先生から聞きました。先生の中には、教師を辞めようと思っていたけど、反転授業をできるのなら、辞めずに続けようという人もいます。

先週、32年教えていて引退しようと思っていたけど、反転授業のことを知ってもっと続けようと思ったという先生に会いました。

反転授業が、生徒のためだけでなく、教師のためにもなるということが、重要なポイントだと思います。教師と生徒の人間的な交流は、教師の喜びです。その時間を多くとることができるというのは、教師と生徒の両方にとってよいことなのです。

 

Flipped Learning Networkについて

――Flipped Learnng Network(FLN)について教えてください。

FLNはNPOで、私は、多くの人が反転授業をするのを手助けしようということでやっています。25万人の教師のグローバルネットワークです。いろんな国で会議をやろうとしています。10月にはオーストラリアで会議をします。3月にはUKで会議します。そんな風にいろんなところで会議をします。

もしかしたら、韓国や台湾でやれないかと検討中です。スペインでも会議をしようとしています。日本でも会議をする人を見つけなければいけません。日本で会議をするときは、あなたのように関心のある人たちを集めなければなりません。トレーニングのプログラムをすることもできるかもしれないし、トレーニングを受けた人が教える側に回ってトレーニングをすることもできるでしょう。そうやって、どんどん輪を広げていけたらと思っています。

――いつFLNがはじまったんですか?

3年前です。

――わずか3年で25万人に増えたんですね。FLNは、あなたの考えや生活を変えましたか?

はい。人生の一部を変えました。私は今は、教室で教えていません。反転授業はよいものだと思うので、もう一度、教室で教えたいという気持ちがありますけど、今は、いろんな国に行って話をしています。

各国にいるすばらしい教師たちに影響を与えたり、反転授業のことを学んだ教師たちは、以前は120名くらいでしたが、その教師たちがやり方を、さらに伝え、今は、たくさんの教師たちが反転授業をやっています。

それは、私の人生を変えました。

―― 私は、Facebookグループを運営しているので、どうやって25万人のオンライングループが出来上がったのかにとても興味があります。3年前は、あなたは普通の教師で、オンライングループを運営するノウハウを持っていなかったと思います。どうやってここまで成長させたのですか?

1つは、もっと人を誘っていくと、もっと価値が増えていくということです。あなた一人だけがリーダーではなくて、サブリーダーがいて、他の人の質問に回答していくとよいと思います。Facebookがよいインフラかどうかは分かりません。その理由は、サブグループに分けられないからです。数学の教師のグループや、サイエンス教師のグループも同じかもしれません。

そのシステムは何かは分かりません。今、25万人で使っているシステムは、そんなに使いやすくないので。

オンライングループはスタートして3年立ちましたが、いまだに、何を使ったらいいのかを探しているところです。

今使っているシステムは、教師にとってインタラクティブではないんです。

―― オンライングループをどのようにして持続可能にしているのですか?

私たちのグループでやったのは、3-4人の司会者を置いたことです。司会者の役割は会話を続けることです。たとえば、数学に詳しい司会者は、数学のオンラインの部屋で会話を仕切っています。サイエンス部屋、小学校部屋なども同様です。

だから、もし、サブグループがあれば、会話がもっと簡単に続けられると思います。

運営者は、司会者へお金を払うようにしていて、労力に報いています。

―― 運営に必要な費用は、どこから得ているのですか?

スポンサーからお金を得ているので、司会者にお金を払ったり、システムへ投資したりすることができています。また、会議の参加費もお金を生み出しています。

プラットフォームをどうするかという問題は、バーグマンさんもまだ答が見えていないということで、今後、試行錯誤を共有していきたいと思いました。「反転授業の研究」では、メンバー数が1000名を超えたあたりで、分科会が作れるプラットフォームがあったほうが良いのかと思い、「反転授業の森」を作りましたが、うまく機能していません。一方で、FLNとの違いは、教師以外の属性の人がグループ内に数多くいて、様々な視点を持ち込んでくれるという点です。早い段階から「集合知」というものがキーワードになっていたので、「多様な人たちが対話すること」を重視していて、分科会という考えがフィットしないのではないかという思いもあります。

リーダーとサブリーダーが、様々な質問に回答していくというシステムも、情報の一方向的な流れを生み出しそうな気がしていて、それよりは、現在の「後押しシステム」のように、支援型リーダーが次々と生まれてくるような仕掛けを考えていくほうが、「反転授業の研究」のコンセプトには合うような気がします。

FLNはスタートして3年、「反転授業の研究」は2年です。まだまだ試行錯誤の時期だと思います。

 

この仕事は、神様がくれた使命

シカゴの周辺部で化学の教師をやっていたバーグマンさんは、今や、世界を飛び回って反転授業の普及に努めています。今、バーグマンさんは、いったい何をめざしているのでしょうか。うかがってみました。

―― バーグマンさんのゴールは何ですか?

私たちは、スーパーヒーローではなく、世界を変えようと思っていたわけではありませんでした。でも、それが起こりました。

私は、ゴールがあるかって分かりません。ただ、一つだけシンプルなゴールがあります。子どもたちは、このやり方で本当に学ぶことができるということです。それと、このやり方は、先生と子どもたちの関係をよくします。もし、ゴールがあるとすれば、人々の関係をよくしたいということです。生徒と先生、生徒同士、先生同士。他にゴールはないと思います。

これをはじめたときには、こんなに広がるとは思いませんでした。これは、私たちの使命だと思います。これは、神様がくれた仕事だと思います。

ただ、先生たちを手伝いたいと思っています。このことに、とても興奮しています。

大きいゴールということじゃないです。

―― 僕は、動画を使って学び合いの授業をしていて、受講生が自分だけのために学ぶんじゃなくて、一緒に学ぶ人の役にも立とうとして行動し始めると、一人じゃ学べないこともチームで学べるようになるということを経験しました。そして、それが受講生の自己肯定感を上げることに繋がるのだということに実感して、これが広がっていけば、人と人とのつながり方が変わって、世界が変わっていくのではないかというイメージが湧きました。

これは、未来を変えられると思います。

そのことに興奮しています。

私は、楽観主義者だから、このやり方がうまくいくと信じています。

僕は、教育業界の主流とは遠く離れた地方の予備校講師をやっていて、それが、「反転授業」に関わるようになり、周りから助けてもらっていつの間にかいろんな活動をするようになりました。バーグマンさんとはグループの規模は違いますが、自分の力ではなく、時代の大きな流れに押し出されてきたというような感覚があり、使命感も感じています。だから、バーグマンさんの「神様がくれた仕事」という言葉は、とてもよく分かるような気がしました。

教室で生徒が十分に学べていないという課題は、テクノロジーの発展により、気がついたら、その課題の解決方法が、身近なところに存在していて、発見される のを待っていたのです。その課題に切迫感を感じていたのは、「中央」の恵まれた環境の学校ではなく、「周辺」の学校であり、だからこそ、「周辺」にいた バーグマンさんたちによって「発見」されたのではないかと思います。

バーグマンさんが化学を教えていた学校は、資金が潤沢ではなく、設備もあまりよくない学校でした。その中でバーグマンさんたちは、身近にあって使えるものを使い、自分たちで工夫を凝らして反転型完全習得授業を実現しました。だからこそ、それが、多くの学校が共通して抱える問題を解決するモデルとなりました。

教室の主役が教師から生徒へと「反転」するパラダイムシフトの動きは、目の前の生徒の学びを改善しようとして工夫を凝らしている教室からこそ生まれるような気がしています。そして、ごく普通の教師たちが、それぞれの教室で、目の前の生徒たちのために行った試行錯誤がシェアされていった結果、多くの教師たちにとっての解決策となるような方法が見つかるのではないかと思います。

バーグマンさんの物語は、ボトムアップの動きを生み出そうとしている僕たちに、力を与えてくれるものでした。

 

 

岩手県立大野高等学校校長 下町壽男さんインタビュー

「反転授業の研究」の田原真人です。

2015年2月19日に、「反転授業の研究」で、金沢大学の杉森公一さんが、「あなたと夜と数学と」というブログの中のあるブログ記事をグループにシェアしてくれました。

参加型授業の一つの理論武装

僕は、この記事を読んで心が震えました。

なぜ、参加型授業が大切なのかということを、小細工なしで真正面から論じて、そのまま寄り切ってしまうような力強い文章でした。

ブログの文面から、書いてある内容は、長い時間をかけて熟成されてきたものだということが容易に想像できました。

自分が記事を読んで感動したことを伝えたいと思い、連絡先を探しました。プロフィールから、「しもまっち」というペンネームと、盛岡三高に勤務する数学教師だということは読み取れたものの、連絡先を見つけることができませんでした。

「いつか、お話をうかがいたい」

と思って、ブログをブックマークに入れました。

「いつか」は、予想以上に早く訪れました。ブログ記事を読んだ翌週、「しもまっち」こと下町壽男さんが、「反転授業の研究」に加わってくださったのです。

きっと、時代が下町さんと引き合わせてくれたのですね。

下町さんは、当時は、盛岡三高の副校長として参加型授業の発展に取り組んでおられ、現在は、大野高校の校長として、新たなチャレンジをされています。

待ち望んでいたインタビューが、ようやく実現しました。

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盛岡三高の参加型授業

―― 下町さんは、盛岡三高には長くいらっしゃったんですか?

副校長としては2年間。その前に7年間いました。私は、盛岡三高出身なので、生徒のときを合わせればもっとですね。

―― 盛岡三高で参加型授業をすることになったきっかけはどのようなことだったのですか?

15年前に盛岡三高に赴任したときは、過剰に、一方的に追い込むような授業が多かったんです。超難関大と国立大に200人以上入れなさいというノルマがあって、なおかつ、インターハイにも行って文武両道をやりなさいということで生徒を駆り立てていました。進学実績やインターハイ出場などの成果は上がっていたんですが、その一方で、生徒はどんどん疲弊していったということがありました。

私は、そのときには、ちょっと異質なタイプでしたね。そういうしごくような授業というのはやらないで、グループ作るとか、アウトドアで何かをやるとか、大学に行って生徒に発表させるとかといった授業を積極的にやっていました。当時の盛岡三高の教員で、そのような授業をやっているのは少数でした。

それから、再び盛岡三高に戻ってきたら、学校が変わっていたんです。平成18年に未履修問題というのがあって、地歴科目で受験に特化した裏カリキュラムをやっているということで問題になったんです。それをきっかけに、平成19年から生徒に時間を返そうという運動が起きたんです。この運動がうまく進んでいったところに、私が入ったんです。

これは、私がやろうとしていたことが実現されていると思いました。

当時は、参加型授業って呼んでいたんです。アクティブラーニングという言葉じゃなかったんです。アクティブラーニングだということでやろうとしていたんじゃなくて、自分たちの学校の生徒をなんとかしようというというところから出発していたんです。気がついたら、時代が要請しているアクティブラーニングというものと同じようなものだったということなんです。

―― 最初に赴任したときに、周りの先生が生徒を追い込むような授業をしている中で、下町さんは、孤軍奮闘していたのではないかと思いますが、当時は、どのようなことを考えていらっしゃったのですか?

何だかんだいって、生徒が私についてきてくれていたんです。

PISAショックが話題になったころ、数学リテラシーでいうと、点数は高いけれど、数学を解くのは楽しくないという結果が出ていたんです。そのときに、生徒の有志が「このやり方では私たちはついていけません」という声を上げたんです。そういう生徒たちを組織してビデオを作ったりしたんです。これが、なかなか面白いビデオなんですよ。私がスパルタ教員の役で登場し、生徒は「もう我慢できません」みたいなことを言うんですよ。私が監修して作ったその作品は、県のコンクールで入賞したんですよ。

こういったささやかな抵抗をしていましたね。

周りの先生方からは、「先生、好きだねー」みたいな反応でした。

ただ、平均点競争みたいなものがあるんですよ。前の学年に負けないとか、盛岡一高に偏差値で負けないとか、隣のクラスに平均点で負けないとか、そういうのがあるので、「下町は、遊びばっかりやってて、結果を出していないじゃないか」と言われたくないので、そこは、何とかがんばるわけですね。

そこはがんばるわけですが、自分のやりたいことを授業の中に取り入れて、ずっとやっていました。

下町さんの言動は、反骨精神が溢れていてすばらしいといつも感じているのですが、それは、いち数学教師として教壇に立っていたころからずっと続いていたことなのですね。孤軍奮闘していた下町さんの考えに、ようやく時代が追いついてきたのではないかと思います。

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数学の純粋な面白さは、できる子もできない子も楽しめる

――下町さんのブログを拝見すると、数学に対する愛情があふれているなっていつも思うんです。これだけ書けば十分というレベルをはるかに超えて、ものすごく「過剰」な感じがあるんです。その「過剰」な部分が、数学に対する愛情の部分なんじゃないかなと感じているんです。数学との関わりは、どのような感じなんですか?

私はどっちかというとアート寄りなんですよね。理科とかはあまり得意じゃなくて、数学とか音楽とかそういう方面が好きなんです。

数学の教員になったときは、数学が零点の子どもたちがいっぱいいるような学校だったんですよ。

因数分解の授業をやったときに、

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と書いてあるんですね。そういう子どもたちに数学を教えるのってどうやればいいんだろうかって悩んだんですけど、教科書をそのまま教えるというアプローチを止めて、物を作ったりとか、外に出たりとか、生徒に研究させるとかすると、数学零点の子でも大学レベルの数学まで行ってしまうことがあるんですよ。なかなか面白いんです。そういうことを初任のころに経験して、それが、自分の教え方になったのかなという気がします。

数学できない子でも、めっちゃできる子でも、同じなんですよ。

―― それは、下町さんから、何かがその子たちに伝わって、その子たちの何かが変わるんですよね。それは、何が伝わっているのですか?

そうですねー。数学の持つ面白さを共有したいと言う気持ちなんですよね。

数学の持つ面白さみたいなものをあちこちから探していけば、基礎から積み上げていったものばかりじゃなくて、ぽーんと音楽の話とか、宇宙の話とか、そういうのを持ってきて、興味のあるような話をすれば、数学の問題を解く技術がなくても楽しむことはできるんです。

たとえば、私が前にいた学校では、家が大工さんの生徒が多かったんです。じゃあ物を作ろうということで、木を切り出して、数列の話につなげたんですね。私の授業は生徒から実技数学って呼ばれていたこともあって、数学的な何かができたかどうかは分かりませんが、とりあえず、何か面白いものをやってくれるのかなという期待は、生徒の中にあったのかなと思います。

生徒が喜んでくれるような授業をやらないとこっちもつまらないので、そういう面白そうなネタをどんどん探して、そうやって30年もやっているうちにネタもどんどん増えていきました。

―― ブログの記事を拝見していると、いつも身近なものから出発して、下町さんに導かれるままに、気がついたらずいぶん遠くまで来てしまったという感じがするんですよ。旅に連れて行ってくれる感じと言ったらいいんでしょうか。日常的なところから頭を使って考えていくと、遠くまで行くことができるんだ。こういう思考運動って面白いんだ。自分自身で考えることができれば、面白いことは、身近なところに溢れているんだということを体験させてくれるんです。

いろんな人の実践を取り入れて、参考にしたりしています。そういう人に自分もなりたいなと思ってやっています。

―― あの楽しみ方は、問題を解けるという楽しみとは違いますよね。数学とか科学やっている人は、下町さんがやっている「あの楽しみ方」をどこかでマスターし ているような気がします。「反転授業の研究」にいる横川淳さんは、『気楽に物理』という本を出版されているんですけど、下町さんと同じように、身近なところから、高校で学ぶような物理を駆使して、やっぱり遠くまで連れて行ってくれるんですよ。でも、そういう心って、問題を解いて点数を取ろうとしているだけの人には育っていないですよ。下町 さんに数学を教わった生徒さんは、そういう楽しみにたくさん触れて、下町さんをロールモデルとして、自分で考えて楽しんでいくことを学んだんじゃないかと 思うんですけど、いかがでしょうか。

私は、盛岡三高に転勤したとき、前の学校が、いわゆる底辺高と呼ばれる学校だったので、私の遊び心のような授業は受け入れられないかなと思ったんですね。 そんなことよりも、早く教科書を進めろよみたいな反応が来るかと思ったんです。でも、全然そうじゃなかったんです。

教え込んで偏差値上げろというやり方でずっと進むと、生徒の数学の喜びが、数学そのものじゃなくて、人に勝つことになるんです。点数が良かったとかって。

数学の問題を解きながら、これってこういう面白いことがあるよということを言うと、実は生徒は、もっと話してくれって言うんですね。たとえば2年生の理系の数学で、微分をやった後に、マクロー リン展開をやったんですよ。そういうのを一生懸命やると、他のクラスの先生方は、そんなことをやったって点数にならないって言うんですけど、生徒は一生懸命、面白がってやるんですね。それはもちろんテストには出しませんけども、レポートを書いてきて、グループを作っていろんな研究をして、分からない子は、 その子なりにエッセーを書いてくるんですね。マクローリン展開できないもんですから、それでごまかすんですけど、それが、また良くてね。

そういう教科書とか偏差値とかを離れた数学の純粋な面白さって、進学校の生徒であろうが、普通のそうでない生徒であろうが、たぶん同じじゃないかなと思っています。

実際にそういうことをやってきた生徒たちは、理系に進んだり、超難関大とかを受けたりする子が結果的に多いですね。そうじゃなくて、叩いて叩いてという方法だと先生のレベルまでしか生徒が行かないんですよ。

―― 自分が高校生だったころの感覚を思い出すと、教員側になってから「生徒はこう考えているんじゃないか」というイメージとギャップがあるんです よ。高校生だったころは、結構、純粋で、点数を取るというよりも、感動で震えたいとか、そういう気持ちが実は強かったんです。点数取るためだけに勉強しな くてはならないなら、点数取れなくてもいいみたいな、変な方向へ行っていたんです。

生徒に聞いても、僕と同じような感覚を持っている人がいる。本当にちゃんと学べれば、変な矛盾が消えて心が育つという気がするんです。盛岡三高の参加型の授業というのは、生徒の純粋な部分とつながっているという感じがしました。

あ と、先生が、授業を工夫しようとしているという姿が生徒に伝わるという部分もあるのかなと思いました。数学の話で言うと、私が面白い数学の話をするから、 それに対して生徒が反応しているという部分もあるかもしれませんが、実はそうじゃなくて、自分がこんなに数学にLOVEでって、自分がLOVEである対象 である数学も生徒もLOVEしよう!みたいなものってあるじゃないですか。こんなに先生がLOVEになっている数学って、きっとおもしろいんだろうなっ て。

生徒は、面白がりたいとか、感動に震えたいとか、そういう部分をもともと持っているはずなんですよね。その ニーズを掘り起こしていない先生が多いのかなと思います。多くの先生は、生徒のニーズに応えるために大学の過去問を一生懸命にやるんだと言うんですけど、 ドラッカーが言っていますよね。スマホやタブレットはニーズがあってできたんじゃなくて、できたことによってニーズが生まれたんだと。だから、生徒はもと もと心の中に持っていて、それを掘り起こすような授業をやってこなかったということなんじゃないかなと思うんです。工夫した授業をやろうとか、生徒がもっ と活動する授業をしようとかやろうとすること自体に生徒が共感を覚えて、がんばろうということになるんじゃないかと思います。

生徒は素直なんですよ。先生の言うことを一生懸命聞くんですよ。

僕が運営しているフィズヨビで、今年の7月からオンラインの学び合いを始めました。はじめのころは、受講生は「問題が解けるようになる」ということを目指していたんですが、素朴な疑問をお互いに投げかけあって協力して考えているうちに、みんなで考えること自体が楽しくなっていきました。そして、「問題を解ける人」ではなく、「疑問を発する人」が学び合いをリードするようになりました。その結果、答を導くことよりも、疑問を手掛かりに、みんなで深く理解することのほうが大事だという価値観が自然と生まれてきました。僕も物理の面白い話に繋がるように疑問を投げかけていきました。学び合いは深まっていき、ついに僕の手を離れて自分たちで自主的に学び合いを始め、3時間も、4時間もビデオチャットで夜な夜な自分たちで議論し始めるようになりました。

それは、「勉強」から「学問」に変わった瞬間でした。

そのときに、受講生も僕も、成績を上げることではなく、いまやっているこのこと自体に大きな価値があるということに気づきました。そして、疑問からはじまる探究は、テストの成績とは全く関係なく楽しめるのだということも実感しました。

それぞれが個性を生かしてリーダーシップを発揮して学び合いに貢献していくと、チームメイトの思考を利用しながら自分がぐんぐん学んでいけるということを体験しました。そうすると、参加者たちは、自己肯定感が高まり、どんどん元気になっていくんですね。

この体験を通して、大げさな言い方ですが、こうやって生きていけば、みんなが幸せになれるのだと腹落ちしたような感覚がありました。

このような経験は、教師と生徒の人生を根底から変えてしまうような強力なものだと思います。下町さんに導かれた生徒さんたちも、きっと「参加型授業」を体験して、人生を変えるような衝撃を感じたのではないかと思いました。

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総合的な学習から始めたのがうまくいった

―― 盛岡三高の参加型の取り組みをビデオで拝見したんですが、生徒がすごく頭を使って取り組んでいる様子が伝わってきて驚いたんです。あそこまで来るには段階があったと思うんですが、どのようなステップを踏んだのですか?

盛岡三高の改革の特徴は、授業改革なんですけど、総合的な学習の時間からいじったんですよ。

そのときの校長が、「ディベートをとにかく入れてくれ」ということだったんです。

授業を改善するとなると、ややもすると形だけになるんです。「全員がグループ学習を入れること」とか、「必ず学習課題を黒板に書きなさい」とかね。

先生方のマインドが育っていないのに、形式だけ変えるというのは、結局、一方通行型の授業と同じなんですよね。

なので、総合学習を変えるという視点は、すばらしかったと思いますね。生徒も教師もそういう授業を作るための土壌をならすために、総合的な学習の時間を変えるということをしました。

それで、1年間、調べ学習をし、グループを作ってディベートをするということをしっかりやったんです。そういうことをやってきたのが、普通の授業にも効いてくるというのがあるのかなというふうに思います。

―― それは、興味深いですね。総合学習の経験をきっかけにアクティブラーニングの可能性に気づいたという話を、いろんな方から聞いたことがあります。小林昭文さんも、総合学習のときのグループワークを入れてみたらすごく盛り上がって、こんなに盛り上がるのだったら物理の授業にも導入できないかということで、アクティブラーニングを始めたとおっしゃっていたんですよ。近大附属の江藤由布さんも学園祭の活動などでアクティブラーニング形式をやっていて、それで手応えをつかんで英語の授業に導入したというふうにおっしゃっていました。今は、1年生のマインドセットを耕すためにオーガニックラーニングというのを提唱して、地域創生プロジェクトに関わっているようです。

盛岡三高は、SSHの指定校で、SSHのクラスというのがあるんです。このクラスは、とにかくグループ作って、話し合いやって、課題研究をやるんですね。そうすると、もともと学力が高い生徒が集まっているわけではないですし、模試で表されるような成績が高いというわけじゃないんですけど、恐ろしく育つんですよ。

おまけに、体育大会の優勝までかっさらっていくんです。チームワークのよさがいろんなところで発揮されるんですよ。

だったらSSHのテイストを、他の授業にも導入したらいいんじゃないかということになりました。

校長を中心に組織的にやったというのはあるんです。良い先生の授業を共有しようということで、私が先生の授業を見てビデオを撮って、それを元に「盛岡三高の参加型授業はこうあるべき」みたいな定義をしようとしたんです。定義をして、リーフレットを作って、先生方に「こんな授業が参加型です」と示したんです。

先生方も疑問があって、「参加型って何だ?」「グループ作ればいいのか?」という声があったり、「成績伸びればどっちだっていいじゃないか」という意見もあったり、いろんな意見があったんですよ。だから、まず、きちんと定義しよう。その上で、全員が必ず公開授業をすることにしました。授業案までは作らずに、もっと緩やかな「授業公開シート」というのを作るんです。必ず一人1回以上公開授業をして、その他に、いろんな先生方が訪問に来たときには、スペシャルな授業を企画してやろうということにしていました。

そんなふうに1年間やることを決めて、少ししばりをつけて、いい授業があったら、片っ端から動画を撮って通信で流して共有していました。5分くらいのダイジェストにすると、だいたいどの授業もいい授業になっちゃう(笑)。

それをきっかけに、紹介された先生の授業を見に行く先生が出て来たりしました。先生方のほうから、「私はこんなことを考えています。ビデオを撮ってください」という依頼が来たりもしました。そういう相乗効果が起こりました。

――「反転授業の研究」で、いろんな人にインタビューをしているんです。もともとは、オンライン勉強会の登壇者紹介として記事を書くために、接続テストを兼ねてお話をうかがって、紹介記事を書いていたんです。そしたら、インタビューされたことがよい振り返りになったといって、それをきっかけにして行動がアクティブになってくる方が出てきたんです。インタビュー記事を読んだことをきっかけにしてその人に他の人がつながってコラボレーションが起こるということも出てきました。やる前は分からなかったんですけど、やってみると、いろんな副産物が出てきたんです。ビデオで撮って紹介することでも、いろんな副産物が出てきたのではないでしょうか?

私が編集すると、その先生にLOVEになりますよね(笑)。本当にいい授業だよーって。

溝上慎一さんが、全国の講演会などで盛岡三高の参加型授業のビデオを見せているらしいんですが、そこで紹介されている世界史の先生の授業が、一番多くの人に見られているようです。

参加型の授業のビデオを職員研修で見せて、先生方でビデオについてコメントしあうんです。同僚の先生に見せると「自分も真似する」と言うんですが、全く同じようにするのではなくてプラスアルファをするんですよ。一工夫するんです。

ビデオは初任者研修でも使われています。大野高校にも初任者がいるんですけど、そのビデオを見て、参加型の授業をやってみたいと言ってやっています。

盛岡三高のビデオは、結構いろんなところに回って、いろんな先生に影響を与えているなと思います。ですから、ビデオに撮られる側も、やりがいがあるんじゃないでしょうか。

私は、自分で授業ができなくなった分、今は、人をプロデュースするのが楽しみですね。「いいよ。」とほめると、やる気を出してやるんですよね。

―― それは、分かりますね。僕も、プロデュースする楽しみを覚えてから、そちらにはまっています。僕は、「反転授業の研究」に関わるようになってから、承認の力ってすごいなということを感じています。アクティブラーニングをやっている人って、かつての下町さんもそうだったように、孤立無援でやっている人が多いんですが、SNSで繋がって、その人がやっていることをよく理解した上で、そこに価値を感じているということをお互いに伝え合うと、それによって、勇気が湧いてきて、ものすごく力を発揮できるようになるということを経験しました。下町さんが先生方にやっていることも、正にそういうことですよね。

私は、昔は、「自分はこんな実践をやっています!」という感じだったんですけど、孤立無援の状態だったんですよね。今は、それに周りが追いついてきたという感じがあって、今がんばっている人たちを、もっと前に出していくことが今の自分の役割かなと思っています、見てみると、「反転授業の研究」もそうですけど、全国にいるんですよね。これって、全国とどんどんつながって、実践を共有したり、いろんな情報をキャッチしたりというようなことをこれからやっていくべきだなと思っています。

自分だけの利益を追求していくと、個人能力の限界が自分の限界になり、孤独が生まれ、自信を失っていきますが、チームで協力できるようになると個人能力の限界を突破できるようになり、無限の可能性が生まれます。苦手なことに意識を向けるのではなく、得意なことでチームに貢献できるようになり、自己肯定感が高まっていきます。総合学習を通してそのことを体験した盛岡三高の生徒たちは、協力することの意味を理解し、協力するためのスキルを身につけ、それが、参加型授業へと繋がっていったのではないかと思いました。

また、総合学習は、教師にとっても多くの気づきを与えるものだと思います。体験しないと分からないものを理解するときに、総合学習は生徒にとってだけでなく、教師にとっても、良いきっかけになるものだったのではないかと思います。その後、下町さんがファシリテーターとして教師を繋ぎながら、ビデオでお互いの授業を参考にしあいながら授業改善していく仕組みができたとき、各教師の授業改善は、自分だけのものではなく、他の教師への貢献にもなったはずです。そのことは、盛岡三高の教師のモチベーションを高め、自己肯定感を高めることに役立ったのではないでしょうか。

数学教師として教室で生徒の心に火をつけていた下町さんは、盛岡三高の副校長になったとき、フラクタル構造のスケールを1つ上げて教師グループの心に火をつけるようになり、さらに、大野高校の校長として、さらにスケールを1つ上げて、地域を巻き込んだグループの心に火をつけているのではないかと思います。そこでは、参加型授業を通して長い時間かけて蓄積してきたプロデュース力が、より広い枠組みで発揮されているのではないかと思いました。

 

参加型共生社会の心を育てるような授業をすることが大切

――社会変容ファシリテーターのボブ・スティルガーさんの本『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』を読んだときに、そこに社会変容が起こる道筋というのが書いてあったんです。最初のステップが、コミュニティの内部の普通の人がリーダーシップを発揮して自分たちの力で動き出して、自分たちの物語を語っていくというもの。次のステップが、各地のコミュニティが時代性によって共鳴して、1つの大きなメタストーリーが生まれるというもの。そうなったときに社会変容が起こるという話だったんです。「反転授業の研究」には、学習のパラダイムシフトを願う人たちが集まってきていると思います。今のブームの前からやっている下町さんのような方たちと、最近、興味を持った僕みたいな人たちとが一緒になっていくと、太い流れが生まれていくような気がしています。

そうですね。盛岡三高の授業というのも、言語活動というのが学習指導要綱に謳われる前からはじめていたので、偶然なんですよね。社会の動きが逆に後押しになって、盛岡三高の参加型授業と言うのがうまく動いてきたのかなと思っています。

私がやったことというのは、それに意味づけしたことだったんです。「参加型共生社会の心を育てる」だとか、「生きる力につながる学力というものを培う」だとか、そういう意味づけをすることで、単なる授業の一工夫から脱皮して、もう一つ上のことを目指そうと言うことをやっていました。

――それは、ビジョンを作ったということでしょうか。盛岡三高の先生方は、どんなリアクションでしたか?

アクティブラーニングって、ラーニングピラミッドとともに出てきたじゃないですか。学習定着率を高めるためのメソッドという側面でしか捉えていなかった部分があって、「アクティブラーニングをすれば、模試の成績も上がるんだから」みたいな見方をしている人も多かったんです。

そうじゃないところに価値があるんだと思って、学力の3要素というところから始めて、その3要素を伸ばしていくような授業を考えなくてはならないんだということを話して、先生方はそれを分かってくれたんですね。だから、形だけのグループワークではなくて、グループワークをやる価値があるような授業を組んでやってくれて、その結果として、生徒の態度がこう変わったよとかって行ってくれる先生方が多かったです。

あとは、生徒のリアクションがいいですよね。授業の後にインタビューをすると、言葉でしゃべりあうことによって、自分も理解できたし、他の人の違う意見も聞けて、すごく良かったみたいな声が返ってきます。

後もう一つ、盛岡三高って100校近い中学校から生徒が来ているんです。中学校からたった一人というのが40校もあるんです。だから、普通は、同じ中学から来た人が自分しかいないってさびしいじゃないですか。でも、授業では、中学校で固まるんじゃなくて、安心の場で、いろんな人たちとたくさん話すので、結果として、いじめのない学校にもつながるんじゃないかなと思います。

この下町さんの指摘は、非常に本質的なものだと思いました。アクティブラーニングや反転授業が、学習の旧パラダイムの下で学習定着率を上げたり、模試の成績を上げたりすることを目指しているものであるならば、それは、現実には崩壊している工業化社会のパラダイムへの適応を促すものであり、目先のことしか考えていない無責任な教育だと思います。下町さんは、その問題点に早くから気づき、時代を先取りして、盛岡三高の参加型授業を「様々な人々の多様なあり方を認め合う全員参加型の共生社会を築くための準備の場」と捉えて、学校が社会へ果たす責任というものを考えて取り組んできたのです。

これは、すごいことです。

下町さんは、既存の社会に子どもを適応させるために学校が存在するのではなく、今はまだ存在していない未来を創る子どもを育てるために学校が存在するということを明確に掲げ、その理想を学校全体を巻き込んで推し進めていったのです。そのことに気づいたとき、鳥肌が立ちました。

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教師の学習コミュニティについて

――両国高校に見学に行ったときに、教師の学びあいコミュニティができていたんです。教頭先生が教師の学びあいのコミュニティを後ろから支援しているんです。教師の学びあいコミュニティが大事なんだな、先生が学んでいる人になるから教室で生徒の主体的な学びを促せるんだなって思いました。盛岡三高では、下町さんが、教師の学び合いコミュニティを作るための中心になっていたのではないかと思うのですが、いかがですか?

そうですね。読売新聞で両国高校が紹介されたときに、アクティブラーニングの学校ということで、他の高校と一緒に盛岡三高も紹介されたんですよ。

全く同感で、昔は、教師の力量の集まりというのが学校だったんです。「下町の数学」「田原の物理」みたいな感じだったんです。それはそれで大事なんだけど、コーディネートする人が大事だなということを感じています。雰囲気を作る人とか、裏に回ってセットする人とか、そういう人は今までなかったかなと思います。個人の力量の集積ということだと、一人の先生がいなくなると弱くなったり、いい先生が来ると上がったりということがあったけど、意識してみんなで授業を変えていこうとか、そういうコミュニティの中心になる人というのは、もっぱら授業をしていない人がいいのかもしれないですね。副校長とか、教頭とかがちょうどいいのかなという気がします。

―― 僕が「反転授業の研究」をやったときに思ったのは、グループワークとか21世紀スキルとか言葉として入ってきたときに、自分たちはこれをやったことがないなと思っていたんです。僕は、予備校講師としてやってきたので、コラボレーションもしたことなかったし、よく分からないから伝えられないなと思ったんです。それで、オンラインの場でみんなで21世紀型スキルを発揮するような実践をして、コラボレーションをして、そこで気がついたことを教室に持ち込んでけばいいんじゃないかというのがビジョンみたいなものになったんです。学びのコミュニティの経験は、それぞれの先生の役に立ったということはあるんでしょうか?

動画を視聴して、授業改善に役立ったと言うことはあるんですが、学校の中という狭い範囲でやっているので、コラボレーションってもっと広い範囲でやったほうがいいのかなって思います。

話は変わるんですけど、「反転授業の研究」ってすごいなって思うんです。みんながあったかいじゃないですか。受け入れてくれる感じで。僕らの知らない人たちっていっぱいいるんです。民間の人とか、海外の経験を持っている人とか。そういう人たちの見識って、すごく勉強になるんです。私ができるのは、「反転授業の研究」に関わったことを、自分の学校に行って、咀嚼して伝えるということなんじゃないかなと思っているんです。

反転授業の本質は、教師が教室で権威にならずに、主体的な学習の支援に回ることにあると思います。教師が権威になると、生徒が自分で考えるのを止めて、教師から答を求めるようになるからです。

「反転授業の研究」は、教室と相似形のフラクタル構造を持つグループです。グループの中に権威を作らず、全員の関係をオープンでフラットにすることで、誰もがリーダーシップをとって主体的に振る舞えるようにしていくということを目指し、グランドルールを設定しています。

しかし、このようなフラットな関係は、ヒエラルキー型の社会システムに慣れた人、ヒエラルキーを登った人にとっては、必ずしも居心地の良いものとは限りません。全員が力を発揮できるペイフォワードの関係性を作っていこうというビジョンを共有し、それを体現できたことに喜びを感じるマインドセットを持っている人だけが、フラットな関係に居心地の良さを感じるのではないかと思います。

下町さんがずっと取り組まれてきた「参加型組織」のスピリットと、「反転授業の研究」のスピリットは強く共鳴していると思います。そんな下町さんだからこそ、グループに参加して、様々な投稿をしていただいたときに、新しい視点を加えてくれる強力な同志が加わったという喜びがグループ内に溢れたのだと思います。

 

 大野高校は、未来の学校を先取りしている

―― 大野高校は、生徒数が少ないということなのですが、それが逆に強みになるような部分というのがあるんじゃないかと思っているのですが、いかがでしょうか?

これは、今の私のテーマなんです。こじつけかもしれませんが、反転授業だったり、アクティブラーニングだったりが世の中に出てきているというのは、30年後、40年後の教育を考えたときに、今みたいな普通の講義でやっていけないからだと思います。

2060年ころに60歳以上の人口が40%になるとか、2100年には日本の人口が三分の一になってしまうとか言われているわけです。だから、大野高校は未来の先取りをしているのだって言っているんです。今、僕らがやっていることは、日本が将来、都会でさえも少子化が来たときに、30年後の教育の一つのモデルになる可能性があるわけです。同じ学年にこだわらずに、小学生と高校生とがコラボしていっしょに授業をするというのもありだし、地域の人と混じって何かをやるというのもありだし、もっともっと自由な発想を出していこうというのが私のテーマなんです。

・子どもの未来を考える
・未来へのビジョンを持つ
・自由な発想を持つ

これをテーマにしてやっていこうと思っています。

人口が少なくなるのが当たり前なわけですが、だからこそ、単に統廃合ではなく、頭を使っていろんなことを考えていくことが必要だと思っています。

―― 4月に赴任して4ヶ月間がたちましたが、手応えを感じている部分はありますか?

大野高校は20年前にも6年間いましたので、2回目の赴任なんですよ。地域の人たちと仲がいいので、毎日のようにいろんな人たちが来て、地域の人たちとのコラボができるんですよ。そして、もしかしたら学校がなくなるかもしれない。学校がなくなれば、地域がなくなるんじゃないかと、地域の人たちはすごく危機感を持っているんです。先生方は学校がなくなっても、違う学校に行くだけですけど、地域の人たちは死活問題です。だから、いろんなことを作戦会議してアイディアを出し合っています。

1年間じゃなかなか実行に移せませんが、来年度にやろうというアイディアが結構あります。

――僕は、オンラインの可能性を追求してきたので、いろんなアイディアが頭に湧いているんです。去年は、シンガポールの高校と奈良教育女子大のサイエンスクラブとをつないでプログラミングのコラボをやったりしました。でも、都会だとリアルでいろんなことができるから、オンラインに気持ちがいかないんですね。でも、地方だとリアルでチャンスがないからインターネットを利用できないかということで、話を聞いてもらえることが多いです。

大野みたいな田舎こそ、オンラインの授業が可能性があると思います。田原さんや江藤さんと私の決定的な違いは、ICT機器を使いこなすことと語学力の部分なんです。キーコンピテンシーってありますよね。コラボする力だったり、ICTとか、コミュニケーションする力とか。田原さんや江藤さんの活躍を見ていると、キーコンピテンシーというのは、全くその通りだなって思ったりしています。私には、ICTと語学力のところがネックになっているんです。

――僕の語学力は、江藤さんとは比べ物にならないです(笑)。でも、強みが違うとコラボしやすいですよね。僕は、一般的なICTではなく、コミュニケーションにICTを使うというところに、かなり特化して力を入れてきたんですが、その一方で、リアルの現場を持っていないというのが僕の弱点なんです。だから、現場を持っている人とコラボしないと現場と現場を繋げないんです。異なる強みを持った人が3-4人組み合わさると面白いことができると思っているんです。強みがうまく和集合になるような組み合わせを作ると面白いですよね。

それはそうですね。いろんなコラボがこれから生まれてくるといいですね。

下町さんの頭の中には、常に「全員参加型の共生社会という未来を創るための教育」というものがあるのだなと感じました。全員参加型の共生社会では、どんな違いも「独自の視点」を加えることて社会に貢献していくことを可能にする個性であり、価値を持ちます。

生徒数が少なく統廃合の危機にある大野高校の状況は、全員参加型の共生社会の視点からすると、「将来やってくる少子化社会における学校が直面する問題に先頭を切って取り組む」ことにより、社会に貢献することができ、大きな価値を持つわけです。

また、そのようなビジョンで取り組むことにより、大野高校の事例を、未来の教育を考えるモデルケースとして多くの人を巻き込んでいくことも可能になるのだと思いました。

インタビューを終えて

楽しみにしていた下町さんのインタビューを終え、この原稿を書きながら、下町さんの言葉の力強さはどこから来ているのだろうかと考えました。

考えた末にたどり着いた結論は、「実践知から得た確信は強い」ということでした。

僕も、2年前から、「21世紀型スキル」とか、「集合知」とか、いろんな言葉を使っていたのですが、頭で分かっているというレベルと、体験して腹落ちするというレベルとの間には大きな差があります。

学び合いにおいて「共創」と呼べるような状況が生まれることを体験したときに、「ああ!これのことだったのか」と初めて腹落ちして、目から鱗が何枚も落ちました。

下町さんは、教師生活の中で何度もそのような経験をされて、その経験をもとに思考を重ね、「全員参加型の共生社会」こそが未来の姿であり、それを創っていくために学校があるのだという確信を得たのではないかと思います。

下町さんの言葉には、実践知に裏付けされた力があります。

そして、それを伝えるために練られてきた論理があります。

ぜひ、下町さんのこちらの記事も合わせて読んでみてください。

僕には、教え込みの教育から、生徒が自分で学び未来を創っていく教育へのパラダイムシフトは、周辺部から起こるという確信があります。

中央集権型の旧システムの機能不全が顕著になり、変わるか、さもなければ滅びるかという切迫した状況が最初に生まれるのはシステムの周辺部だからです。

大野高校に下町さんのような支援型リーダーが校長として赴任し、地域を巻き込んだ全員参加型の共生社会へ繋がる学校運営が実現したとき、それは、学びのパラダイムシフトを引き起こす、周辺部からののろしになるのではないでしょうか。

 

 

白板ソフトを開発!坂本勝さん・保代さんインタビュー

「反転授業の研究」の田原真人です。

動画講義を作成する方法には、いくつかのやり方がありますが、PCの画面に手書きで文字を書きながら、同時に音声を吹き込んでいくスクリーンキャストという方法が、その手軽さゆえに、カーンアカデミーをはじめ、多くの動画学習サイトで利用されています。

録画する画面の背景に置くのは、ペイントソフトなどでもよいのですが、スクリーンキャストタイプの動画講義を作っている人たちの間で、ひそかに熱烈なファンを獲得しているのが白板ソフトです。

例えば、動画学習サイトeboardの動画は、白板ソフトを使って製作されています。

なぜ、白板ソフトが熱烈なファンを獲得しているのかというと、手書きの文字や絵を部品として自由に動かすことができるという他のソフトにはない特徴があるんですね。

部品をアニメーションのように動かすだけでなく、マウスでつまんで動かしながら録画することもできます。表現の幅が、パワーポイントのアニメーションなどよりもずっと広いんですね。

「反転授業の研究」が主催して実施した「パソコンで作る!カンタン動画講義の作り方」というオンライン講座では、白板ソフトとカムタジアスタジオを組み合わせて動きのある動画を作ることに取り組みました。

受講者は、白板ソフトの自由度の大きさに創作意欲を刺激され、たくさんの楽しい動画を夢中になって作っていました。

僕自身も、白板ソフトを使った動画作成に取り組みましたが、アイディアが次々に湧き、それが形になっていくところに興奮しました。

いったいどのような考えから、このような独特なソフトが開発されたのかを知りたくて、白板ソフトを開発している(株)マイクロブレインの坂本勝さん、保代さんにスカイプでお話をうかがいました。
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電子黒板プロジェクトからはじまった

まずは、開発担当の坂本勝さんにお話をうかがいました。

―― 白板ソフトは、どのようなきっかけで開発したのですか?

勝)農工大といっしょに始めた電子黒板のプロジェクトに以前からやっていたビジュアルシミュレーションのソフトを応用する形で参加したのがきっかけです。

―― そこから、白板ソフトの開発へどのようにつながっていったんですか?

勝)その後、もう一度、電子黒板のプロジェクトを中学校と一緒にやったんですけど、声がかからなくなって、塩漬けになりました。プロジェクトを始めたときには、電子黒板自体が流行っていなかったんですが、これを埋もれさせていくわけにはいかないかなということで、みんなに使ってもらおうということで再びやり始めたんですよ。やりだすと使ってくれる人が増えてきて、それに応じて改善してということになってきました。今はそのサイクルが回って加速していっている感じです。

―― 電子黒板に表示させていたソフトが、白板ソフトとしてパソコンやタブレット端末で使えるようになってきたということなんですね。

勝)はい。そうです。電子黒板というのは、結局はパソコンと繋がって画面に表示させているというものなので、基本的には同じものです。

白板ソフトに感じた独特の感覚は、もしかしたら、「教師が自分で動く教材などを自由に作って電子黒板を使って生徒に教える」という元々の設定から来ているのではないかという思いが頭に浮かびました。そんな思いを抱きつつ、さらにお話をうかがいました。

最初は独特の操作に戸惑うが、慣れると直感的に操作できるようになる

――白板ソフトの一番大きな特徴は、どういう点なのですか?

勝)ウチは、教材が作れたり、動かせたりということが簡単にできるというところがウリなんです。

あれができる、これができるということになると使い方が難しくなるんですけど、それが簡単にできるということと、自由度が高いというところですね。

決められた型にはまった使い方じゃなくて、工夫すればいろんな使い方がやれるぞというところですね。

―― オンラインでワークショップをやったときに感じたのは、使い始めるときの敷居は少し高いんですよ。独特の使い方があるような感じがあって。でも、保代さんが熱心に説明してくださって最初の壁を乗り越えたら、みんな、すごくはまるんですよ。創造性が刺激されて、自分が思い描いていたものがこれを使えばできそうだというイメージが湧くみたいなんです。教師経験10年みたいな方が子どもみたいにはまるのを見て感動したんです。

「パソコンで作る!カンタン動画講義の作り方」の受講者の内橋朋子さんの動画(白板ソフトを使って作成)

勝)他のソフトとユーザーインターフェースが違っているところもあるんです。ひらめきとか思考を妨げないような形にしています。

ボタンも、状態を表すボタンじゃなくて、行為(アクション)を表す作りにしています。

だから、他のソフトと同じように入っていくと違和感があるんですけど、やっていくと、考えていることがビジュアル的にスムーズに表現できるので、いいんじゃないかなと思っているんですけどね。

―― 「ドラッグして外から入る」とか、他のソフトにない操作があるじゃないですか。

勝)それは、苦労したところなんですよ。あれは、現場の意見から出てきたもので、選択したときに枠が出ると枠のほうに気を取られるんです。グラフィックに注意を向けたい訳じゃなくて、動かして考えを深めたいということなので、枠が出ない形で動かしたかったんです。サイズのほうは枠が出るんですけど、移動のほうは枠なしでできるようにしたんです。そうすると、選択は「外からドラッグ」になってしまったんですよ。

―― 解説動画を見たら、ちゃんと説明してくれているのに、僕を含め、参加者の多くは、説明見ないでやりたがるんですよね。それで、よくありそうな操作を手当たり次第にやってみたときに、試行錯誤の中に「外からドラッグ」が入っていないんですよね。(笑) それで、操作を見つけられなくて動画を見ると、そこではじめて「外からドラッグ」という操作だということを知って、そこで覚えたんですよ。それで、白板ソフトのやり方になれると、あたりがついてきて、「こうやればよさそうだ」という感覚でできるようになってきました。直観的にできる感覚がありました。

勝)それが、「ドラッグしてコピーできる」という操作にもつながってくるんですよ。

人が使っているのを見ると、「あぁーー」と思うんですけど、紙ベースだとなかなか伝えるのが難しいところもありますね。

インターフェースや、ボタン、操作などに、開発者の様々な試行錯誤や思いが込められているという話を聞くと、白板ソフトに親しみが強まりました。操作説明には、紙ベースではなく動画が向いているなと思いました。実際、保代さんが、動画で操作を説明してくれたものを見たり、スクリーンシェアしてリアルタイムで操作を見せてくれたりしたのを見ると、すごく分かりやすくて、「できそうだ!」という気持ちになりました。

手書きの部品を、思った通りに動かすことができる

―― 手書きで描いたものを部品にして簡単に教材が作れるものって、考えてみたら他にあまりないですよね。

勝)パワポとかフラッシュでもできないことはないですけど、どちらも編集モードとスライドショーが別々なんです。白板ソフトはそれをミックスしているんですね。編集する行為自体で動画を作ることができるんです。そのへんが、あまりないかなと思います。

―― 部品をつまんで動かしながら、「これがねー」なんて話している様子を、そのまま録画できますもんね。

勝)あれも、小学校で実際に使ってもらって、あの形であれば準備もあまりいらずに簡単に使ってもらえるんじゃないかということで、現場の意見を反映してできたんですよ。

僕たちがやったワークショップの参加者の中には、パワポを使いこなしている人も結構いて、「パワポにできなくて、白板ソフトにできることは何なのか?」という関心の持ち方をしている人が多かったんです。手書きのものが部品としてすぐに使えるということと、手で部品を動かして、それに注目させながらしゃべることができるというところが、パワポじゃできないなーという感想でした。

人工知能の研究が開発に生きている

―― 勝さんが人工知能の研究をしてきた経験は、白板ソフトのどこに生かされていますか?

勝)いくつかあるんです。

1つは、動きがあることが考えることに有効だということです。それで、アニメーションとかが簡単にできるようにしています。あとは、2つ動かしたりとか、3つ動かしたりとかできるというのも教材作成の可能性を広げていると思います。

あとは、図と文字を左右どちらに置くかで、感じ方が違うというのがあるんですよ。だから、位置関係を変えてみて試してみるということが簡単にできるようにしてあります。

思考の流れに沿って部品を移動させたり、部品のサイズ変えたりしながら進めていくと分かりやすくなるので、そういうことを簡単にできるようにしています。

――人工知能の研究をしていたということは、ソフトウェア開発に生かされているだけじゃなく、子どもがどのように学習するのかという学習プロセスに対して学習理論などを背景として考察できるということなんですね。それは、大きな強みですね。

勝)もともとは、人間の学習を研究してきて、機械に何とか同じことをやらせたいというアプローチだったんですけど、機械になんとか学習させようというのをずっとやってきたノウハウを、逆に人間に生かすことになるとは思ってもいませんでした。

――なるほど。おもしろいですね。「文字と画像を左右どちらに置くか」という話も、勝さんが学習理論を学んできたことが背景になって出てきたと思うんですが、そういう面白い話って、他にもあるんですよね。

勝)見せたり、隠したりというのも、そこから来ています。

ボタンを隠すとか、マウスを動かしたときに手のひらを隠すとかというのも、「刺激を減らす」という考えから来ているんです。

小学校の先生といっしょに開発しているので、小学生がどこでつまづくのか、どうしたらいいかという話が上がってくるんですよ。それで、AIの理論に基づくとこうしたほうがいいんじゃないかと言うと、小学校の先生も「それがいいというのは、経験上知っていた」という話になったりするんです。現場の先生の経験と、私が本を読んで勉強したことが結びついたりするので、面白いんですよ。

―― 理論と実践とが結びついて、勝さんが勉強してきたことが、現場の検証されていく感じなんですね。何か具体例はありますか?

勝)学習が苦手な子どもに対して、どんなアプローチをとるかというのが良い例かもしれません。

学習が苦手な子どもに「集中して勉強しなさい」と言ってもうまくいかないんですね。むしろリラックスさせるほうがいいんです。

あとは、不要な情報を極力減らして、必要なものだけにする。

電子黒板に映したものを、生徒がノートに書いたりするときに、最初は、真っ白なところに文字を書いて、「ノートに書いてね」という感じでやっていたんですけど、それよりも、もっとリラックスして書ける方法として、話をしながら出てきたのは、ノートの実物をスキャナーとかカメラで撮って、それを電子黒板に映して、その上に書き込みをするようにするというアイディアです。自分が見ているノートと同じものが電子黒板にあるので、黒板を見て、ノートを見てというときにストレスが減るんじゃないかと考えたんです。

これは、それなりに効果が出た感じでした。

その流れで、ボタンなども隠せるものは極力隠したほうがいいんじゃないかという話になってきたんです。

関係ないものがあると活動のエネルギーがそっちに取られちゃうんですよ。

言ってみれば、勉強しているときに、そばにおいしいショートケーキがあるみたいなものですね。それは、隠しておいて、終わった後に冷蔵庫から出すという形じゃないと集中しにくいと思います。

関係ないものも、情報として入ってきてしまうんです。

だから、情報を減らしつつ、集中を無理やりさせるんじゃなくて、いつも見慣れているものがそばにあって、安心できるような環境づくりが必要だと思います。

――そういうアイディアは、どんなときにでてくるんですか?

勝)先生とざっくばらんに話し合いながら、ああしたらどうか、こうしたらどうか、という話が出てくるんですよ。

思い付きみたいなのも多いんです。その中で行けそうかなというものは試してみています。

試してみるというのが、わりと簡単にできるソフトなんです。

試してみてよければ、もうちょっと先に進めてみたらどうでしょうという感じで。

そういうことをやっているので、余計に時間がかかっちゃうんですよ(笑)。

遠大な目標が、情熱の源

――改善を繰り返しているということは、ソフトの開発に情熱が溢れているということですよね。

勝)そうですね。まだまだ情熱がありますね。やれることは、あるぞという感じですね。

――僕は、今、オンラインの場創りとか、対話などには、どんどん情熱が湧いているんですけど、物理の授業動画作成については、ある程度完成してしまったという感じがあって、情熱が少し下がってきているんですよ。

勝)それは、新しいことが増えていないからじゃないですかね。新しいことが講座の中に入ってくると、ワクワク感が出てくると思うんですよ。

完成してくると、もういいやという感じは私もあるんですけど、新しいチャレンジをして、他のところがやっていない何かを入れた講座にしてみて、その反応を聞いてというアプローチをすれば、きっとワクワクするし、もっと工夫してみようという気になると思いますよ。

――確かにそうかもしれないですね。勝さんの場合は、チャレンジが尽きることなく続いているわけじゃないですか。どうやって情熱が続いているんですか?

勝)目標を高くしすぎたので、そうなったんだと思います(笑)。

――目標は、何に設定してあるんですか?

勝)「人は、どうやって学ぶのか」ということを突き詰めるということを目標にしてきたんです。

その流れの中で発展していくと、どうしても、こう試してみたらどうだ、ああ試してみたらどうだ、というのが次々と出てくるんです。

今の環境は、試してみたフィードバックが得られるので、ありがたいです。

それが、大目標にあって、学習効果がどうすれば上がるのかというのも、その流れの中で繋がっているんですね。

いろいろ試してみて、これは効果があったというものが見つかると、大目標に向かって一歩進んだということが感じられてうれしいですね。

―― いやーー、それは、遠大な目標ですね。

勝)そんなことをやっているからダメ!っていう人もいるんですけどね(笑)。

保代)それにずっとかかりっきりですからね(笑)。

―― でも、それが情熱の源ですよね。それがあるから、情熱が尽きることなく続いているんですよね。

勝)それをやるために会社を作ったんです。人工知能の研究を目標にして「マイクロブレイン」という名前の会社を作ったんです。

大目標の話をうかがうと、すべてのことがそこに繋がっているというのが分かりました。そういうお話をうかがうと、応援したい、一緒に仕事したいという気持ちが湧いてきました。

白板ソフト開発者の目から見た反転授業&アクティブラーニング

―― アクティブラーニングや反転授業というのも、学びを改善していこうという一つのアプローチだと思いますが、勝さんの観点からすると、どのように見えているんですか?

勝)いろいろ試すのはいいことだと思っています。

アクティブラーニングや反転授業がどこまでいいかというのは、なかなか結論を出せるようなことではないと思うんですけど、工夫の余地はいっぱいあると思います。

動画で受けた後、ドリル的なことをやって理解を確認できたり、結果に応じて、合格したら次へ進めて、不合格ならもう一度取り組むというような仕組みがあると効果が上がりそうです。

既存のアナログの授業のノウハウからも学べることがあると思うので、それをミックスしていくといいんじゃないかなと思います。

どちらかというと、ハードとかシステムのほうが話題になっていますが、それよりも、学習効果が上がったかどうかを議論しなければいけないと思います。でも、今は、クラウドを使ったかとか、そういう話のほうが前面に出てきているので、まだまだ入り口なのかなと思います。

反転授業をやっている人の中には、いろんな考え方の人がいます。旧来の教育の延長線上で、ICTを使って知識を効率よく習得させることを目標にしている人もいます。でも、僕は、決められたことを正確に処理していくということでやっていける時代は終わりに近づいていると感じていて、教えられたことの前提を問い直して、それを自分たちで乗り越えていける人を育てたいというように思っています。

目標に向かってドリル的に学んで習得するというプロセスは知識の土台として大事なんですが、それだけじゃなくて、他の人の考え方に触れて、自分の考え方を見直して幅を広げていくような学習もしてほしい。そのために、学習者が自分の考えていることをお互いに表現して学び合うということも大切になってくると思います。考えていることを表現するためのツールとしても、白板ソフトは非常に有効なのではないでしょうか。

白板ソフトで思いを伝える

――この間やった「パソコンで作る!カンタン動画講義の作り方」で、ラーンネット・グローバルスクールに通う中学2年生の青木航平君が参加してくれたんです。この学校では、探究学習をやっているんですが、モーターを失敗しながら作っていて、「これは、6号機です。ようやく回り始めました。」なんて言っているんです。講座に参加した動機が、モーター作りについての動画を作って、Youtubeで公開して、この面白さを周りに伝えたいということだったんですね。

勝)コイルのものを見せていただきましたけど、素晴らしかったですね。あれは。

まさに、動画で伝えるということをやっていましたね。

――青木君は、説明動画を白板ソフトで作れるんじゃないかと思って、それをモチベーションにして動画作成に取り組んでいたんですよ。

自分のアイディアを誰かに説明したいということで、それを動画にして、公開して、フィードバックをもらうという活動を考えたときに、白板ソフトの自由度というのが、すごくこの活動とフィットするなと思ったんです。

勝)私も、コイルの動画を見て思いました。若い人はすごいなというのは変だけど、プレゼンのルールに囚われていないですからね。線が太くても細くても、それがバラバラでもいいという感じで、ダイレクトに思いを伝えるじゃないですか。それが、すごいなーと思ったですよ。

――こういう学び方は、日本ではまだまだ一部でしかやっていないですけど、これが広がっていくと面白くなるなと思っているんですよ。

勝)あれは、面白いですよ。

あれは、あのやり方じゃないと伝わらない部分があると感じたですよ。新たなコミュニケーションの道具として使われていましたよね。

――そうなんですよ。一種のコミュニケーションですよね。

勝)人とのコミュニケーションと言うのもありますけど、作ったものを自分で見て感じるというやり取りもできますよね。

文章で書いたりするのとも共通しますけど、自分で作ったコイルの動画を見ると、それを見て感じることがあって、自分に対するフィードバックになってくると思いますね。

コミュニケーションツールでもあり、思考のツールにもなり得ると思います。

青木君が作成した電磁石の動画はこちら

人工知能の研究者の視点から見た教材作成

――オンラインのワークショップなどで、白板ソフトを使うと面白いと思っているんです。そのときに、ソフトの使い方を説明するのを手伝ってもらったり、ワークショップのアイディア出しを一緒にしてもらったりしてコラボレーションができるといいなと思っているんです。

単に白板ソフトを使わせてもらうというよりも、勝さんの経験とか知恵を貸してもらったほうが、価値が高いんじゃないかという気がしてきているんです。

勝)それは、あるかもしれませんね。教育の専門家ではないんですけど、違う切り口で、お役に立てるかもしれませんね。

――講師をやれる人というのはたくさんいると思いますが、勝さんのような視点を持っている人はほとんどいないので、アドバイザーなどで入ってもらって、発表の動画などに対して、「ここを動かしたほうが、注目してもらえますよ」みたいなコメントをしてもらったりすると、作る側としても面白くなると思うんですよね。「動かす」ということの意味とか、効果とかが分かれば、もっと工夫ができるようになりますよね。

勝)物理とかは、動かすと頭に入りやすいみたいですよ。

たとえば、ねじ回しを使っててこを説明するときに、握りの部分は太くて、先は細いから、下の部分は動く量が少ない代わりに大きな力が出るんだよということを、矢印で説明するだけじゃなくて、動かしてやると理解がしやすいんですよ。

止まっているものを、何枚か用意して、1番、2番、3番・・と見せられて理解するよりも、動いているものを見て理解するほうがストレスが少ないと思うんですよ。

――そうですよね。考えてみれば、僕の授業って、黒板の前でジェスチャーで示していることが多かったんですけど、これで、どこまでイメージが伝わっているだろうかって心もとないですよね。腕も2本しかないから、3つ以上のものを同時に動かせないし。

勝)地球と月なら、地球と月の絵が描いたものに棒をつけて動かすだけでもずいぶん違うんですよ。でも、そういうモノを準備しなければならないのでたいへんなんですよ。でも、白板ソフトなら、あまり準備しなくても同じようなものができるんです。

ジェスチャーよりも伝わる量が多いと思います。

――教材作成に対する新しいチャレンジができそうな気がしてきました(笑)。

勝)やっている本人が楽しいと思ったら、それが伝わりますよ。

――教師が教材作成を楽しんでいると、「これを見せてやろう!」という勢いが出てくるから、授業にワクワクが溢れてきますよね。

勝)理科の授業で、教科書を読んで学ぶよりも、実験を見せたほうがおもしろかったりするじゃないですか。それと同じように、シミュレーションを作って、どうなるのか考えさせてから見せたりすると、楽しさが伝わりそうですね。

「動く絵本」のワークショップで、白板ソフトの楽しさを広げていく

坂本保代さんは、「動く絵本」のワークショップを3年前から実施していて、昨年からは、子どもたちをチームに分けてアクティブラーニング形式を導入しているそうです。ワークショップについて保代さんに伺いました。

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――動く絵本のワークショップはどこからはじまったんですか?

保代)シミュレーション&ゲーム学会というものに入っているんですけど、そこで声がかかって、慶応大学で行われたワークショップコレクションというものに参加したのがきっかけです。

子どもでも使える白板ソフトの使い方って何かなと思ったときに、「動く絵本」だったら簡単にできると思ったんです。

でも、すごい人数だったので、一人20分くらいで、その時間内に、使い方の説明と制作をやらないといけなかったので大変でした。

子どもたちが楽しんで作ってくれて、しかも、Youtubeに動画をアップできるということで、とても喜んでくれました。

その後、稲城市の広報誌でボランティア講師というのを募集していたので、「動く絵本」をやりましょうかと言ったら、ぜひやってほしいということで、稲城市城山学習館でやることになりました。今年で3年目です。

――もう3年も続いているんですか。どんな風にやっているんですか?

保代)小学3年から6年を対象にしていて主にWindows版タブレットを使った動画コンテンツを作成する体験学習です。タブレットでお絵かきをして、その絵を切り取り、切り取った部分を動かしながらお話を録音することで、簡単な動く絵本が出来ます。

去年は、「学びのイノベーション」フォーラムで東京大学にて行われた、アクティブラーニングのワークショップに参加し、一部分ですが、小学生でも有効であると思われる「学びあい」の要素を取り入れました。

子どもたちに担当を決めて、教え合いをしたんです。子たちのアクティブラーニングの感想は「人に教えるのって難しいけど、分かってくれたら嬉しかった」「最初は難しくて、恥ずかしかったけど、楽しかった」と好評でした。

今年は、はじめて親子参加のワークショップをやろうと思っています。

今まで、トータルで5回やっていて、補習もやったりしています。

――補習というのは、子どもがはまってしまって、完成させたいって頼んだりするんですか?

保代)そうなんです。 作品の完成後の発表会で自信を持たせるために練習の時間にも使いました。

――子どもは、どこにはまるんですか?

保代)自分の書いた絵が動いて、自分の声で物語が進んでいくのがうれしいみたいです。本当に、できた瞬間は、自然とにっこりしちゃうんですよ。

Youtubeにアップするとか、ということよりも、自分が思っているものができたという喜びが大きいみたいです。ちょっとしたものづくりの喜びですかね。

――動いているのを見ると、この動きを、表現の中のどこに使おうかって考えるじゃないですか。あの思考は、面白いですよね。機能と表現をどう組み合わせるのかを考えるというのは。「こんな動きをするんだな」というのを他の人の動画とかで見て、「さて、これを、自分の表現のどこに使ったら面白いかな」って考えるんですよね。僕は、重なっている波が3つに分かれるというところにアニメーションを利用で来たら、「おぉぉ、自分が思った通りに表現できた」と思ってうれしかったんです。機能と表現がうまくはまったときに、頭の中に喜びの化学物質が出る感覚がありました。

保代)そういう楽しみを感じてほしいと思って、一番簡単なのが、動く絵本だったんですよね。

子供向けの外に、主催:関東経済産業局及び八王子8Beat「認知症&ITのハッカソンで、チームでアプリでは白板ソフトを使って自分史を作るという提案をしました。(チームで特別審査員賞受賞)

認知症があまり進んでいない方を対象にして、覚えた方が、やり方を他の高齢者の方に教えていくようなシステムを作りたいと思っています。

子どもでも高齢者の方でも使えるということで、そういうこともできないかなと思っているんです。

――それは、おもしろいですね。自分の大事なエピソードを語るときに、自分の描いた絵が動いてセリフがつけば面白いですよね。

保代)はい。高齢者向けのほうも、これからやっていきたいんです。

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白板ソフトを使った創作の楽しさの正体

白板ソフトを使った創作の楽しさについて、勝さんが説明してくれました。

―― 自分が創ったものが動くと、何が楽しいんでしょうね。

勝)不思議なのは、自分がシナリオを考えて、その通りに動いても、その通りに動いたものを見て感じることは、自分が思っていたものと違っていたりするんですよね。こんな風に見えるのか!って。

作った本人がびっくり!みたいな感じのところがあるので、それでさらに、こう変えたらどうだろうかって繋がっていくんですよね。

―― そう考えると、プログラミングとも似ていますね。

勝)ああ、似ていますね。最初にこんな風にしたらこんな動きをするだろうと思ってやってみると、その通りに動いたんだけど、ちょっと自分が思っていたのとは違う見え方をするなみたいな感じで、変えてみたりするので、似ていますね。

白板ソフト開発のゴール

――白板ソフト開発のゴールは、どこに設定されているのですか?

勝)会社の目標である「人は、どうやって学ぶのか」を理解することは、遠大なので終わらないのですが、白板ソフトのほうは、「白板ソフトを使って、みんなが教材を自分の考えで作って、その教材がお互いに流通し合う」というところまでを目指しています。

――そうすると、コミュニケーションという側面もありますね。みんなが作って、使い合うということも含まれるんですね。

勝)教師だけじゃなくて、子どもたちも自分たちで作ったり、ある程度出来上がったものに対して、自分の考えを追加して作ったりとかできるようにしたいなと思っています。

そのためには、まず、いろんなマシンで動かなきゃということで、動くマシンを増やしているところです。それは、時間だけの問題なので、時間かければ終わると思います。

動くマシンが終わった段階で、どうやってコミュニケーションツールとして使うかというところの工夫をしていくと思います。

対話が未来を創る可能性

――僕が好きな言葉に「使い方の発明」というものがあるんですよ。ユーザーが、白板ソフトのいろんな使い方の発明をしてくれると面白いんじゃないかと思うんです。ソフトの機能としては時間をかければ完成しますよね。でも、それが理想とされているような使われ方をするためには、そうやって使ってくれるユーザーが増えてくる必要がありますよね。そのあたりは、どのように考えているのですか?

勝)セミナーなどをやりながら、使った人の声を聞いて、コミュニケーションツールとしてどのような機能が必要かというのを、動きながら、考えながらやれたらなと思っています。

――今思ったんですけど、白板ソフトのファンのコミュニティとかがあればいいですよね。

二人)それは、よく言われるんですよ。

――コミュニティの中で、いろんな使い方のノウハウが溜まってくるし、学び合いで、みんなが真似し合って進化していくというのも起こると思うんですよね。

勝)ただ、その分、いろんな質問とかも飛んできて、それに対応できないんじゃないかという恐れもあるんです。

――ああ、それは、よく分かります。僕も実は、フィズヨビ生のコミュニティをやるといいなと思いつつ、でも、同じように質問とか要望とかがどんどん来るんじゃないかというのを恐れて5年くらい躊躇していたんですよ。

勝)分かります。特にエンジニアタイプの人は、そういうの得意じゃないんですよね。

――「ウチは小さい会社で、開発者一人でやっているので、質問などになかなか対応できないので、学び合いで解決してください!」って先に言ってしまうというのはどうでしょうか?そうやって、オープンにしてしまえば、「坂本さんにお手数かけるわけにはいかないから、自分たちで解決しようよ!」という流れも出てくるんじゃないかと思います。マニュアルとかも、お二人はやること一杯で手が回らない状態だと思うので、コミュニティで「忙しいので、誰か作ってください!」って頼んで、自発的に作られていって、作った人がコミュニティの中で感謝されていくというようになるといいですよね。

保代)そこまで言っちゃってもいいのかなって思ったり。でも、それができたらいいですね。

――お願いしたら申し訳ないんじゃないかというのが、一番のメンタルブロックなんですよね。でも、白板ソフトの動画マニュアルを作ることを通して、白板ソフトの使い方をマスターしようと思っている人もいるはずだし、「動画マニュアル作成チーム」みたいのができてきたりするかもしれませんよね。そのときの坂本さんの役割は、

「うぁー、すごい!」

「助かりますーー」

とか、喜んでくれることで、そうすると、作る側もうれしいから、やりがいが出てきますよね。全部自分のところで抱えなくちゃいけないと思うとできなくなってしまうことを、逆回しにしていくと可能性が出てきますよね。フィズヨビでは、それを乗り越えるために、受講者との対話から始めたんです。コアな白板ソフトユーザーと対話してみると、今まで無理だと思っていたことに、意外な解決策が出てきて、未来へ繋がっていくような気がします。

ペイフォワードが生まれたコミュニティは、どんどん拡大していくという現象が世界中で起こっていて、僕の周りでもそういう現象がまさに起こっています。

「白板ソフト」のビジョンに共感して応援してくれる人が集まり、ペイフォワードの文化がコミュニティ内に生まれるといいですよね。

二人)そうなると、いいですね。

インタビューを終えて

坂本勝さん、保代さん夫妻へのインタビューは、非常に楽しく、笑いが絶えませんでした。あっという間に90分が過ぎました。

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この楽しさは、いったいどこから来るんだろうかと思いながら、お話をうかがっていたんですが、勝さんが、

「人は、どうやって学ぶのか」ということを突き詰めるということを目標にしてきたんです。

とおっしゃったときに、その理由が分かりました。お二人の「志が高い人が発する独特のオーラ」に僕の心が反応していたんだと思います。

いろいろなマシンで白板ソフトで動くようになった後は、それをどのように使って学ぶのかという「使い方」の開発フェーズに入ってくると思います。

学び方には、教師から教えてもらうということの外に、自ら学ぶという学び方があります。

コミュニティ内で、各メンバーが自分の考えを表現すると、それをお互いに参照し合って自分の考えを磨き、さらに理解を進めていくという学びの渦を生み出せるようになります。

考えを表現することによって、暗黙知を外に出して共有することができるようになり、共有することによって集合知が生まれるようになっていきます。

白板ソフトは、考えたことを簡単に自由に表現できるツールなので、言葉による学び合いを超えた学び合いができるのではないかと思いました。

そのような学び合いを理解することは、「人は、どうやって学ぶのか」を理解することへ繋がっていくと思います。

白板ソフトを使った学び合いコミュニティを作るための障害は、

・ユーザーが抱く恐れ「ソフトの使い方が分からなくて、使えなかったらどうしよう」

・開発者が抱く恐れ「たくさんの問い合わせが来て忙殺されることになったらどうしよう」

という両者の怖れかもしれません。

でも、これらを、対話によって乗り越えると、ユーザーと開発者は信頼をベースとした協力し合える関係になれると思います。

坂本さん夫妻とお話して、未来へ繋がる大きな可能性を見ることができました。

(株)マイクロブレインのホームページはこちら

※今回のインタビューで触れることができなかった様々な機能については、「スナック・ネル第29回営業」のグーグルハングアウトで坂本勝さんが解説している動画がとても参考になります。驚くほどいろいろなことができます。

マスラボ代表 古山竜司さんインタビュー

インターネットがもたらした変化の中で一番大きいのは、

・個人が情報発信できる

・個人が直接たくさんの人と繋がることができる

という2つではないかと思います。

それぞれが、自分の考えていることや、課題だと感じていること、他人に対して役立てることなどをアウトプットしていき、多くの人がお互いのことを知るようになると、お互いにどうやって貢献できるのかが分かり、協力できるようになります。

そのような協力の輪が広がっていくことで、共創(Co-Creation)が起こっていくのではないでしょうか?

マスラボ代表の古山竜司さんは、大阪で小さな塾を経営しながら、毎日、講義動画を作り続けています。その数は、1400本を超えます。

古山さんの頭の中には、ワクワクするような教育の未来のイメージがあって、それを実現するために、コツコツと進んでいるのだそうです。

古山さんは、どんな未来を創ろうとしているのでしょうか?

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成績を気にしたことはなかった

―― 古山さんはマイペースで自分の道を進んでいる人だなという印象を持っているのですが、どんなふうに育つと自分の道を進めるようになるのか興味があるんですよね。子どものころは、将来どんな仕事をしたいと思っていましたか?

小学生の頃は、「ダチョウに乗って走る」ことが夢でした。仕事という価値観がその当時なく、何か 海外にいっていろんな人と仕事ができたらいいなぁと思ったりしていました。とにかく、明確にこの 職業というのはなく、どんな仕事もしてみたい。すごいなぁという感じでした。小学生の頃からよく 本を読んでいたので、そういったいろんな仕事に対する大人の想いというのは感じていたんだと思い ます。

―― 仕事という価値観がなかったというのは面白いですね。大人になることをポジティブに捉えていたんですね。古山さんは、音楽や数学が好きだということなのですが、音楽や数学に興味を持ち始めたきっかけは?

音楽は小さい頃からピアノやエレクトーンを習い事としてやっていたことと、数学は単純に解くのが 楽しかったからですね。どっぷり使ったのは、高校になってからで、高校は吹奏楽部で中学はサッカー 部だったので、経験で負けても、音楽の聴く耳だけは負けないでおこうと毎日ラジオやCDを使って曲 名とフレーズを覚えたりしていました。数学の方は自分で定理を証明するのが好きで、どんどん自分で 進んでいきました。すると、教えてもらうより断然自分で学んだ方が楽しいことに気づいたんです。た とえ、それが間違いであっても自分のペースで自分で考えることって幸せだなぁと感じました。

―― 問題を解けたという結果ではなく、「問題を解いているのが楽しい」というプロセスに気持ちが向いているんですね。教えてもらうよりも、自分で学んだほうが面白いというのは、今の古山さんの活動に繋がる考えがすでに出てきているのが興味深いですね。

数学と音楽は、古山さんの中では別々のものなんですか?それとも、共通している感じなんですか?

私の中では、別々のものですね。たまたま大学で学んでこの2つが関係があるんだということを知ってすごいなと思ったんですけど、もともとは、音楽は習い事でやっていて、数学は教科の中で好きということだけでした。勉強に疲れたら音楽を聴いたりとか、ラジオを聴きながら作業をするのが好きだとか、そういう感じでした。大学に入って音響学を学んだときに、今まで音楽が気持ちいいと思っていたのは理由とか、歌詞が思い出される理由だとか、そういうのが分かってくると面白くなりました。

―― それが何の意味を持つのかとかが確定していないものを、面白そうだということだけで広げていくと、モヤモヤした中で好きだとかが決まってきたり、うまくなってきたりしますよね。そして、後からそれが理論化したりすると、「あああー、おもしろーー」となるんですけど、理論を先に教え込んじゃうと面白くなくて、自分のものにならない気がしているんですよ。数学も、自分なりにやった領域があって、後から理論が来るとおもしろいですよね。受け身の人は、このモヤモヤの領域が小さいんですけど、古山さんは、モヤモヤの広がりが広いということを感じるんですよ。言語化されたときに感動する準備ができていて、なんとなく好きだというだけで、広げていける。

そうですね。裾野を広げておくことが自分にとってプラスになるということを、子どもたちにも教えておかないといけないですね。塾で教えていると、「それはテスト出ますか?」「覚えておかないといけないですか?」とプラスかマイナスかで判断しているけど、それは将来どうなるかわからないから、楽しいと思えるのであれば広げていったほうがいいと、ずっと子どもたちにも言っているんですね。

―― それは、古山さんの中で実感があるんですね。

そうなんです。よく「無駄な科目」とかいうじゃないですか。古文はいらないよ!とかね。でも、勉強していると、全く初めての古文を自分の力で読めるときが来るんですよね。そのときの感動ってすごいですよね。そういう感動まで連れて行ってあげるというのが大事だと思っています。

大学で芸術工学科に入って、その理念が「技術の人間化」というものだったんですけど、それを学ぶためには幅のある人間にまずなって、そこからとんがっていくということなんですよ。

何に役立つのかが分からなくても幅広く学ぶのが大事というのは、古山さんの大事な考え方になっていると思いました。役立つかどうかよりも、「面白い」と感じることが大切にされています。

そのような考え方は、どのようにして生まれてきたのか、さらに探っていきました。

 

偏差値って見ていなかった

―― 大学で音響学を学ぼうと思った理由は?

高校の頃、近くにある阪大、京大がいわゆる賢い子がいく学校で、高校も地元の進学校に進んだので すが、その理由は自転車で通える距離だったからで、成績もあまり気にしたことはありませんでした。

一応、どこか決めないと行けなかったので、全国大学図鑑で色々とみていると、九州芸術工科大学 (現九州大学)という単科大学を見つけました。芸術工学という珍しい学問でしかも音響設計という 音に関することを学べるということで、日本に唯一の学部ということで志望しました。

高校で吹奏楽 部や合唱部でコンクールなども出ていたのですが、プロになるには経験年数がないし、自分は理系で 数学や物理が好きだから、そういう人たちの役に立つ仕事をできればいいなぁと思って、志望したと 思います。

―― 成績のような他者評価がそんなに気にならずに、自分の気持ちに従って行動されていると思いますが、そういう 行動ができる人は少ないと思います。どうして、そのように行動できるのですか?

むしろ自分の人生なのに他人の評価や相対評価で人生決めるのはなぜでしょうか?

たぶん親から~しなさい と言われたことがほとんどないからだと思います。学校も自由に休みました。ちょっと哲学考えたいのでし ばらく学校休みます。みたいな感じで、それを絶対あかんとは言わなかったんですね。なんでだろう?

だから、僕の中では自分のやりたいことをやるっていうのが普通のことで、あまり他人の評価を気にしても しゃーないなと思ったんです。自分で自分が好きであればそれでいいと。完全にナルシストですね。

―― 僕は、団塊ジュニア世代で、少しでも偏差値のいい大学へいくために競争しているような文化の中にどっぷりつかっていたから、今は、偉そうなことを言っているけど、当時は、偏差値のいい大学を目指して競争していたわけですよ。そういう時代背景を考えたときに、「面白そうだ」という理由で大学を選んでいくって、珍しいですよね。

珍しいと思います。大阪にいて、九州の大学を受けるというと、みんなから、ふつう、「えーー」って言われますよね。どうして大阪大学とか、京都大学じゃないの?って。でも、進学校だったから、めっちゃ賢い子とかいるじゃないですか。たとえ受かったとしても、勉強でこの人たちに到底かなわないなって思うことあるんですよ。運よく音響学というものにであったので、そちらに行くことになりました。

私は高校進学のときも、偏差値って見ていなかったんですよ。近所にあるからってことで行ったら、進学校だったという感じだったんですよ。

親が自由にやらせてくれる人だったので、自分で大学選んで、ここに行くからと言ったら応援してくれたので、ありがたかったですね。

自分の気持ちに従って行動すると、感情と行動が結びつくから、「面白い」と思える状況が生まれやすいんですね。そうすると、ワクワクしながら学ぶことができるから、好奇心に従って世界が広がっていきます。一方で、感情を抑えて、外からの指標に従って選択すると、感情を抑えているのでワクワクが起こりにくいし、最低限の労力で最大の他者評価を獲得するように行動していくので、「無駄な勉強」をしなくなります。ワクワクに支えられた「無駄な勉強」が、古山さんに幅を与えているんですね。

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多様性が進路の決め手になった

―― 音楽を学んだことは、古山さんの今の生き方にどのように影響していますか?

音響設計で学んだことは、まずはアウフヘーベンの考え方を大切にしなさいという建学の精神でし た。技術の人間化や芸術と工学の融合なんてめっちゃ面白いですよ。多様な価値観があるなかでそれを うまくミックスさせて考えるというのは今とても役に立っています。固定観念に縛られることがない僕 にとってはぴったりの学部でしたね。

ワオコーポレーションに入社したいきさつは?

就職活動は、特に業界をこだわることなく色々とみて回りました。工学系、システム系から金融系、 出版などみていったときに、大阪に本社があって、色々な事業を展開しているワオに縁がありました。自分のキャリアを考えたときに、色々な部署を回って仕事の幅を広げることができて、スキルも身 につけることができるという多様性が決め手になりました。

―― 複雑系の研究をしていたときに、僕の恩師が「自己組織化は異なるものが接するインターフェースで起こる」と言っていて、あるとき、地球の写真を見せながら、「どこにインターフェースがありますか?宇宙と地球の間にある薄い大気層がインターフェースです。生命はこのインターフェースで自己組織化したんです。」と言っているのを聞いて感動したんです。それ以来、異なるものが接するところに様々なものが自己組織化していくというイメージがずっと頭の中にあるんですよ。だから、異なる考えの人が話し合いをしながら学ぶというのも、すごくピンと来たし、面白いなと思ったんですよ。

反転授業や、マスラボでやっていることは、大学時代に学んだアウフヘーベンと結びついているのですか?

最近考えているのは、「教える」ということと「学ぶ」ということの境目というのは、それに近いものがあるということなんです。以前は、先生は「教える」ばかりだったけど、最近は、「学ばせる」ということが言われるようになってきたんですけど、どっちかじゃないんですよね。教えるときと学ばせるときがあって、そこの境目をうまいとこ見極めてあげるということが教師の役割になってきたら、子どもたちが自発的に学べるようになるんだと思います。

学べるということも伸ばさなければいけないんだけど、そればかりをやると、教わるということがなくなっちゃって、自分で何とかしようとか、調べれば何とかできるとか言っちゃうけど、隣の人に聞いて教えてもらったり、逆に教えてあげたりすることもできれば、さらに上のステップに行けるのかなと思います。

―― 学び合うことができる力というものがありますよね。

自由に学べるというのはある意味理想だけど、武雄の反転授業を見ていると、小学生の学び合いと中学生の学び合いとでは段階が違っているんです。言語能力が違うから、小学生の場合は、動画で学んできたことを確認し合うのがメインになるけど、中学生になると、「動画ではこう言っていたけど、俺はこう思うぜ!」みたいなところまで踏み込めるんですよ。「それは、どういうことなの?」ってさらに問いが生まれたりもするんですね。

武雄みたいに学び合いの文化が小学生時代から段階を踏んで育っていったら、この子たちが大学生になったときには面白くなるだろうなと思いますね。

教育に関わるようになったきっかけ

―― 教育に関わるようになったきっかけは?

ワオの配属先が集合授業部門の能開センターというところだったんですね。僕自身は、e-learningを志 望していたので、これは始めがっかりしましたね。パソコン好きなのになぁと思ったんですが、まぁ将 来やるときに、現場の感覚をもっていることは大事だなと想ったんです。こういう切り替えが僕の強み でもあります。

うちの母方の家系は代々、教師の家系だったんですが、学校の先生はしんどいから ならんほうがいいよと言われていて、結局塾の先生になったわけですから、教育と古山家は切っても切 り離せない関係なのかもしれませんね。

―― 能開センターでの仕事というのは、ワオが経営している塾で講師として生徒に授業をするということ ですか?

はい。2005年に入社して、年長から小6の中学受験の算数や理科を指導していました。どちらかという と最難関クラスの担当が多く、好奇心旺盛で、いつも目をキラキラさせている子達の指導でした。

特に低学年の指導は、ふるやまんとして保護者からも絶大な支持を得ていました。

→ 低学年プロジェクト責任者 古山竜司

―― その後、新規事業の部署に移動したのですか?

講師として何年もやっていたのですが、自分としてはスキルを広げたいというのがあったので、まずは アプリ開発の部署に移動しました。そこでプログラミングなどを学び、英語のアプリなどを企画する 中で、もっとICTを入れた教育をしたいと思ってたんです。アプリでいろんな人と出会っていたら、も う確実にその時代がくるよね。って思っていたらカーンアカデミーに出会ったんです。そして教材開発 をしながら新しい時代の教育を考えるというミッションを会社から与えてもらいました。

―― 多様性と言うのが、芸術工学を選んだときも、ワオを選んだときも共通の要素になっているような気がするんですけど、いかがですか?

就職活動のときは、これを一生の仕事にするというのが正直見えていなかったので、幅広く学べるということは自分にとって財産になると思いました。

ワオは、教育だけど、eLearningとかに力を入れていたりとか、映画を作ったりとか、塾じゃないじゃんみたいな感じでいろいろやっていたんですね。ワオに話を聴きに行ったときに、「いろいろな部署を経験できるよ。」と言われて、まだ20代だったから、自分の幅を広げていけそうだと思って決めました。

幅を広げることが大事だという考え方があると、自分の希望通りにいかないときに、「幅を広げる時期」というふうに切り替えて、ポジティブな受け止め方をすることができるのだと思いました。そして、その場で一生懸命に取り組むから、力が蓄えられて、それが後から生きてくるんですね。

反転授業との出会い

―― 反転授業に興味を持ったのは?

ワオで新規事業の部署でしたので、新しい教育について色々と海外も含めて研究していました。その中 でカーンアカデミーの存在をしって、次の教育はこういう教育になっていくんだろうなと想ったのがき っかけです。ただ、その頃はアプリの企画などもあったので、心の中で温めていて、自分の子どもに動 画をつくって試してみるということになったのです。

―― 会社の中で新規事業の部署というのは、試行錯誤をしながら将来的に収益を上げられそうなところを探していくというところだと思います。古山さんは、ワオの中でどのように評価されて、新規事業の部署に配属されたのだと思いますか?

自己評価で来年度の目標というのを人事に出さなくちゃいけないんですよ。そのときにずっと「今、来ている波に乗り遅れると、起業としてやばいっす」みたいなことを言い続けてきたので、「言うんだったら、やってみれば」みたいな感じになったんですよ。

ワオには「やりたい」と言うと、すぐやらしてくれるという企業風土があるんですよ。評価が出なかったら、「ダメねー」ということになるんですけど、社員が自ら手を挙げれば、「やってみれば―」ということになるんですよ。そういう風土があるなということをアプリの部署にいたときに感じていたので、私も手を挙げ続けていれば、なんとかなるんじゃないかなと思って、手を挙げ続けていたんですよ。

―― それで、新規事業として何かできないかということで、試行錯誤する中で、動画を作ってお子さんに学ばせ始めたということなんですか?

はい。そうなんです。

カーンアカデミーを知っていたから、動画が絶対来るぞと思っていました。受験サプリとかが出ていたけど高校生対象だったので、小学生対象のものを出していったらどうかと考えていました。通塾するのは中学生くらいからが多いんですけど、親は小学生にも勉強させたいと思っているので、そこを対象にしていけるんじゃないかと思っていたんです。家にいながらにしてトップ講師の授業が受けられれば仕事になるんじゃないかというざっくりしたイメージがありました。それで、自分の子で試してみたんです。

―― 自分の子どもに動画を作って試してみていかがでしたか?

子供は大喜びでした。むしろ、私が教えるよりもいいと言われました。カーンさんのプレゼンに出てきた話と同じですね。それで、ホンマだなと思ったんです。

分からなかったところをもう一回教えてと言ったら、親だったらイラッとするじゃないですか。でも、動画だとマイペースで分かるまで繰り返して聞いたりとか、分かっているところをフンフンと聞かずに飛ばせるわけですね。

当時、小学1年生だった娘が、「これは、もう分かったから解説聞かないで飛ばそう」ということを判断してやっているのを見て、これは、マイペースで学べるからいいなと思いました。

―― 古山さんは、佐賀県、武雄市の反転授業用の算数の動画のほとんどを作成されていますが、どのようなきっかけで古山さんが作成することになったのですか?

武雄の教育委員会の方が「反転授業」にもっておられて、教育の会社であるワオを訪問されたことが きっかけです。

それまでは、東進のように、黒板の前で先生がたっていてカリスマ講師が教えるという 風に考えていたのですが、チャプタの動画をみて、そして、我々が考えている教育の未来像を話すこと によって明確にイメージすることができたと想います。その時は、小3の「円と球」でプレゼンをしま した。そこから先は、武雄動画物語がかけるくらい壮大です。

―― 武雄動画物語を短くまとめると、どうなりますか?

短くまとめると、

塾講師が学校教育を変えようと意気込んでプレゼンしにいく

⇒公教育の現実を知っ て凹む

⇒それでもスピード感をもって進む

⇒公開授業で子ども達の表情をみてこれは教育を変えていけ ると確信する

⇒お正月返上で夜通し作業する

⇒一斉にスマイル学習(武雄式反転授業スタート)

⇒概ね 好評でほっとする。

みたいな感じです。

―― そのプレゼンを古山さんがすることになった理由は?

もともと新規事業のプレゼンで、娘にしていた映像授業で低価格帯で販売し、親のコンサルタント をすることで収益をあげていくということを役員の人にプレゼンをしていました。その中で、古山はキ ャプチャ動画で面白いことをしようとしていると考えてくれていたみたいで、その場に呼ばれ、すぐに プレゼンできるか?と言われたんです。

いつでもカードを持っておくことは大事で、はい。できます。 といってすぐにプレゼンできました。

いつも考えていることだったので、プレゼン自体はそんなに苦労 することなくできました。

―― 手を挙げ続けていたら、そこに武雄が繋がってきたじゃないですか。それは、古山さんが人生をイメージするときにどういう影響を与えましたか?

自分から動いていると、チャンスは必ずやってくるなというのは常々思っていたんです。やらされている仕事というのは、自分で視野を広げていけないですよね。

新規事業をやるのであれば、広く知識を蓄積しておくと、どこかでつながる人が出てきて、そのときに引き出しをどんどん開けて、「これもあります、あれもあります」というように見せられるとチャンスが広がるから、引き出しは増やしておかないといけないなと常々思って仕事をしていました。

古山さんのお話をうかがい、自分で考えて、世界に対して仮説を立てて、そこに対してたとえ無駄になってもいいから試行錯誤をしてくからこそ、いろんなものが蓄積して、チャンスが来たときにそれを掴むことができるのだなと思いました。

反転授業型の塾、マスラボを設立

―― マスラボをはじめようと思った理由は?

ずばり自分の力でどこまでできるかやってみよう!です。

講師としては、飯が食べていけるくらいのレ ベルはあると自負しているので、人生一度チャレンジしてみようと思いました。色々と理由はあるんだ ろうけど、やっぱり雇われ講師だと、生徒は選べないし、生徒も先生を選べないわけです。

それって すごくおかしいなぁと思ってて、今の時代だから世界のどこにいても先生の授業が受けられる。これっ て当たり前なのに、塾にいくとクラスによって先生が違う。教え方も違う。昔の寺子屋みたいにそこ に行けば大好きな先生がいて学ぶことができる。教えてもらうのではなく、学べる場にしたいなと思 ったのです。

そして、自分自身もただ、塾の講師としてだけではなく、自分の成長もできる環境に身を おいてみたかったんですね。

会社は安全だけれども、その安全さ故に自分のしたいことができないんで すよね。これからの時代はそんな時代じゃないと思っている先生が安全に仕事してたらあかんと思った んです。もっともっと貪欲に学び、変化できる場にできればいいと思っています。

―― 「自分の成長もできる環境」というのが、古山さんらしいですね。

娘も中学校進学で環境が変わるので、自分も環境を変えてみたいなというのがありました。

先生として生きていきたいなと思っていて、ワオの新規事業を進めていって5-6年のスパンで大きくしていくという道もあったんですけど、ワオは企業として大きいので、ワオが考える時代のスピードと、「反転授業の研究」で感じる時代のスピードとがずれてくるんですね。

それで、大きく温めてきて、別のところでもっといいサービスとかが出てきたら、きっと後悔するなと思ったんですよ。自分の中で試してみて感じることを世の中に発信していって、子どもたちにも伝えていけたらいいなと思いました。そのほうが、自分の生き方に合っていると思って選択したんです。

―― 自分の感覚と行動を一致させる方向に動いたってことですかね。

そうですね。ワオで過ごした時間が成長の源だったのでワオには感謝しかないんですけど、次の人生のステップということを考えたときに、自分の一番やりたいことをやれるのが一番輝けると思いました。

それが失敗したとしても、「失敗したな、また、次のことやればいいか」って思えるはずなんですよ。子どもたちには、「そう思えるようになろう」って言っているのに、自分自身が企業の中に入って発信するのはちょっとちがうかなって思ったんです。

―― ああ、それは分かりますね。自分で「こういうのがいいんだ!」って発信していると、それが自分に返ってきますよね。それで苦しくなってきて、矛盾を解決する方向に動くんですよね。

そうなんです。言っていることは、自分でやらなきゃだめだよっていうのがありましたね。

――これからの時代というものを明確にイメージしたときに、そのイメージと自分の現実とを一致させる ように動いたんですね。時代をイメージする力というのも古山さんの特徴だと思います。それは、どの ようにして養われたと思いますか?

時代を明確にイメージする力はあるかどうか分かりませんが、これからの時代はこういう時代だから こうしなくちゃいけないという形で動いていないということだと思います。

パソコンの時代だから、英 語の時代だから、という風に動いたら、形だけで終わってしまいますけど、たとえば、反転授業の研 究でもおなじみの井上さんにプログラミングに興味があるならCouseraでMachineLearningがあるから やってみるといいよ。と誘いを受けました。結構忙しい時期だったんですが、できる限り、自分の可 能性のあるチャンスは広げたいと思っています。そうして受けてみると、MOOCsとは何かが分かるんですね。

僕の場合はこういう風に具体的に教えてくれるメンターみたいな人が、もちろん田原さんもそ うですがたくさんいます。こういう場合はこの人に聞いてみようかなぁとか、この人の活動はどういう 背景があってしてるのかなぁとか考えながら接していると、これからの時代はこういう時代になってい くんだなぁという実感があります。と同時に、なっていくんだなぁという想いではなく、そういう時代 に僕たちがしていくんだ!という強い気持ちをもっているのも事実です。だから、人や情報が集まって くるんでしょうね。

自分自身が成長していくと、自分のありたい姿と現実が重ならなくなってきます。そのときに、古山さんは、自分のありたい姿に現実を合わせていくんですね。でも、これまでの古山さんの選択の仕方をうかがっていると、それがすごく自然なことのように感じました。

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マスラボの特徴

――マスラボはどんな塾ですか?

塾は会社と一緒で生き物だと思っています。だから、その年、その年で塾の印象も変わっていくんじゃ ないのかなって思ってます。ただ、設立の理念としては、

マスラボの理念

にあるように原点 は自灯明です。仏教用語らしいのですが、この言葉が書かれた掛け軸をみて、あぁこれだなぁと思ったんです。自らを拠り所として生きる。自ら灯を明るくできるって素敵ですよね。

塾としては積極的に 反転授業スタイルを取り入れています。新しい概念導入は事前に動画をみてきてもらって、塾では演習 ばかりを行っています。基本、パソコンやスマホがないとできないんですが、マスラボは募集をホーム ページからしかしていないので、そういうのが元々できる人が集まってきているとも言えますね。

学年も教科もバラバラです。自由に学んで、自由に質問してという形です。昔の寺子屋はそうだったと思 うんですよね。効率的に学ぶことあまり良しとせず、自分で納得できるように学べばいいと思います。

私も分からなかったらその場で動画を調べたりしてキュレーターの役割を果たしています。世界には何 万人という先生がいます。すぐにいい動画が見つかります。 テキストを使って教えることもあります が、きちんと生徒たちと話をしながら、理解度や習熟度に合わせて個別のカリキュラムをつくります。 このあたりは個別指導のいいところですね。

マスラボ最大の売りは勉強って楽しい!って思えること です。ピリピリした緊張感がなく、ふるやまんせんせいが一人でやってる個人塾なので保護者との距離 も近く、すぐに授業のフィードバックができます。 何より私が一番教えること、学ぶことを楽しんで います。

―― 反転授業の教師の役割の話になると、放置と管理のジレンマみたいな話になって、その間のモヤモヤの部分に「支援」というのがあるというような話になりますよね。古山さんは、マスラボでどのようにしているんですか?

できる子とできない子を組み合わせたりとかして、理解度の差を利用して学び合いが起こるようにしています。理解している子は説明する力をつけさせて、理解していない子は、人から教わるという力を学ばせています。問題を与えて、分かっている子はどうやったらより分かりやすく説明できるかということに取り組ませています。

分からない子は、先生相手だと、「分からん」とか「もう無理」とか言うんですけど、友だち相手だともうちょっと細かく言うんですよね。友だち同士だと、先生に対するときとは違って、発問がうまくいくというのはいいことかなと思っています。

両方グダグダになるときもあるんですけど、そういうときは、前で白板使って説明しますね。そうすると、途中で、「もういい、分かった。自分でやらせて」と言い始めますね。こっちは、説明する気満々なんですけど・・みたいな。(笑)

―― マスラボでは、動画を使って一人で勉強する時間と、学び合いの時間とは、どのように分けているんですか?

基本的には一人なんですけど、同じことを勉強している子たちが集まっているときには、90分授業の半分くらいを学び合いにしたりしています。

―― 生徒の学習進度のばらつきが大きくなってきたときは、どうなるんですか?

そうですね。今は、重なりが大きいからいいですけど、バラつきが大きくなったら、どうするかを考えなくちゃいけないですね。

――「分かりやすく教えてくれる先生」というのをウリにするのは価値を伝えやすいですが、「自分で学 べるようにする」ということをウリにするのは価値を伝えるのが難しいですよね。どんな風にして生徒 募集をしていますか?親御さんの反応はいかがですか?

まずは、ほとんどの人が私のブログを見られて私の人となりを知って問い合わせを頂きます。ブログも 件数は3500件ほどあるので、全部みるのは大変ですが、それなりの数を見られて問い合わせ頂きま す。なので、基本的には成績よりも生き方(考え方)を大事にする塾だということは理解していてもら っています。

募集については、ホームページだけで募集しています。あとの多くは、口コミで来られま す。高槻の田舎で隠れ家的な塾ではあります。メイン通りではないので知る人ぞ知る塾ですね。

親御さんの反応は、とてもいいです。マスラボにきて、保護者の方が口をそろえておっしゃるのが、勉 強の優先順位がまずあがっていくことです。勉強が楽しいということを伝えるのもそうですが、きちん といろんな生活の中での優先順位をはっきりとさせて、勉強の順位をあげてあげることってすごく大切なことだと思うんですよね。それだけで、成績も自然と上がって来ます。当たり前のことです。

自分で学べるってすごく難しいことなので、すぐに成績をあげたい人はうちの塾はあっていませんと 正直にいいます。受験生なんかは、みんな頑張るから、魔法のように成績をあげることなんてよっぽど 努力しないと無理です。単純に暗記をさせて、点数をあげることができてもそれは点数をあげただけ で、あなた自身の学力があがったわけではないですよね。というような話を体験授業の後、保護者の方 と本人にします。それでも、学びたいならぜひマスラボにきてくださいといっています。そうはいっても、体験授業をした後の入会率はほぼ100%です。マスラボの考え方に共感し、満足して いただいていると思います。

―― 自営業になると、将来が不安定になるじゃないですか。ワオにいたときに比べて、そういう不安を引き受けてやっていくことになると思いますが、それについてはどのように考えていますか?

確かに、収入面で生きていくための不安というのは、自営業だったら必ず出てくるなと思っているんですけど、ダメになったときは、ダメになったときだなと覚悟を決めてしまったら、意外と大丈夫だなと、そこを緩く考えていて、いつも家族に怒られるんですけど(笑)。

自分の中では、生徒が来てくれているので、そこでちゃんとした教育をやっていれば必ず結果が出てくるはずだと思っています。自分に自信があるということと、やっていることが未来につながっている教育だから、これがもし失敗しても、その失敗を共有すれば未来へ繋がっていくはずだと思ってやっています。

公教育を変えるのは、校長先生が変わったら元に戻ったりして難しいですけど、私塾なら自由にチャレンジすることができます。自分のやっていることは、間違いなく未来の教育だから、そこでノウハウを蓄えて、動画を共有して、他へも広げていくことができたら、すごいことになるじゃないですか。そう考えると、ワクワクしてきます。

―― 塾に対して学校の成績を上げてほしいと思っている親御さんが多数派だと思います。塾経営者は、自分がやりたい教育と、親御さんの期待に応えるという2つの狭間で悩みながら、期待に応えるという選択をするケースが多いんじゃないかと思います。古山さんがやりたい教育をおもいっきりやっているマスラボがうまくいったら、「それをやっても、ちゃんと暮らしていけるんだ」という希望が生まれると思うんでうしょね。マスラボはスタートして半年ですけど、体験授業をした人が100%入塾したりとか、親御さんからも支持されていますよね。その秘密は何なんですか?

チラシを配ったりしていないし、家の前に看板があるんですけど、田舎すぎて誰も見ないので、募集はホームページとブログだけです。体験授業に来る前に、「こういう思いで教育をやっています」と言うところを、かなり読んできてくれて、いいなと思った人が来てくれています。

集合塾だと自分の子どもが埋もれてしまうとか、詰め込みが嫌だとかという思いを持った親御さんが来ていますね。そういう方たちはニッチなんですけど、必ずいるなと思っていたので、そういう人たちとうまく合致すればいいなと考えていました。

やっている内容は、学校の内容を子供に合わせて動画を自由に学ばせているだけだから、親にとって適当にさせられている感じというのはないんですよ。家に帰って復習したときに「分からん」となるよりも、「もう一回、古山先生の動画見よう」ということになると、親も、自分の子どもが勉強する意欲があるんだなと思って満足してくれますね。

―― ビジョンを最初から明確にしているからマッチングがうまくいくんですね。普通の塾だと思った人がマスラボに来て、普通の塾でやっていることを期待されると苦しくなりますもんね。

そういう人も来られるんですけど、「やれません」と言うんです。「学校の成績を上げて下さい」と言われたら、それは、そういう塾に行ってくださいって言っています。その場の点数を20点あげる教育と、その子が一生勉強に前向きに取り組めるようになる教育とは違う教育だから、それを理解した上でウチを選んでくださいねってはっきり言うんですよ。

―― それをはっきり言うのは大きいですね。

はい。成績すぐには上がりませんよってはっきり言いますから。ただ、3カ月とかというスパンで考えると、必ず上がってきますよとも言います。自分で学べるようになっていくという塾なので、動画を使っていますけど、考え方としてはすごくシンプルかなと思います。

――Facebookを見ていると、古山さんはどんだけ仕事しているんだーと思うんですけど、古山さんの1日のタイムスケジュールを教えてください。

6:00 起床 犬の散歩

7:00 帰宅 家事(風呂掃除とか洗濯物とか)

8:00 セーフティーボランティア(交通安全のおじさん)

8:30 帰宅 家事(掃除)

9:30 動画作成(武雄とか授業で使う予習動画とか)&教材作成

13:30 昼食&昼休憩

16:00 授業準備!

17:00 授業(小学部)

20:00 授業(中学部)

22:00 夕食&風呂

23:00 犬の散歩

24:00 一日の振り返り

25:00  就寝

自分のやりたいことがはっきりしているから、一貫したアウトプットをしていくことができて、それを見て「いいな」と思った人が集まってくる。まだまだニッチだけど、来てくれた生徒の力をつけていくことで確実に未来が創られてくる。古山さんの活動を見ていると、木が養分を吸い上げながら育っていくような力強さを感じました。

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様々な活動に取り組み、未来を探る

―― 数学コーチャーとしての活動は?

公益財団法人である日本数学検定協会認定のプロA級の数 学コーチャーです。数学を解く力だけでなく、人に教えることができる資格です。それなりにハードル は高く、課題も大変でした。

活動としては、本の執筆、コラムの作成など書き物系、出張講座、勉強 会、映像授業などの講座系、そしてサイエンスカフェなどの講演系です。これらはもちろん、数学検定 協会からの推薦もありますが、数学コーチャーは日本全国にいるので、その繋がりで仕事が生まれた りします。

数学を学びたいけれど、どこで教えてくれるかわからないという層は一定数いますので、 まだまだ活動の範囲は広がりそうです。

―― 数学コーチャーの活動というのは、古山さんの活動の中でどのような位置づけですか?

数学コーチャーの活動をすればするほど、数学というのは魅力のある科目だなと思うので、将来的 には、数学の講座や講演をいろんな場所(オンラインやオフライン問わず)でやってみたいと思って います。活動の中での位置づけは、自分の立ち位置、現在地を示してくれると思っています。

数学コー チャーは全国にいて、年に一度、コーチャーの研修会が東京と大阪で開催されます。そこで、それぞれ 塾の先生や学校の先生だけでなく、普通の会社員の人や主婦の方も参加されています。そういう中で数 学という可能性を知ったり、他の先生の授業をみることによって、自己満足になることなく、もっと もっと高みを目指そうと頑張れるんですね。!  「数学で人を幸せにする」というのが私のミッションなので、そういう活動の原点となれる場所で す。毎年研修会には参加しています。同窓会みたいな感じでとても盛り上がって楽しいです。

―― オンライン講座もやっていますけど、あれは、古山さんの中では試行錯誤の1つということですか?

WizIQを使って、高校生の数学を指導しています。問題は事前にLINEで教えてもらって、それを元に授業をします。基本、マンツーマンで家庭教師の位置づけです。

一人で数学を学べない高校生って、結構いるんですよ。オンラインなら夜でもできるので、塾に通えない生徒でも教えることができます。一緒に学ぶこともできるし、ノウハウを溜めていくといろんなことができそうです。

また最近は、twitterなどでもオンライ ンで大学生に授業をしています。講座の要素によって使い分けている感じですね。 将来的には一対多 でチャレンジしてみたいです。

―― どうしてオンライン講座をやろうと考えたのですか?

田原さんがWizIQを使って、オンライン会議をされているのをみて、これは普通に授業でも使えるな と思ったのがきっかけです。もともとワオにいた頃から、オンライン家庭教師という部署があって、そ こでも同じようなことをしていました。しかし、コスト面で実現は難しいかなと思っていましたが、 WizIQは驚くほど安く、しかも録画機能もある。

英語だったのですが、操作も簡単だし、Mac& Windows問わずできるという利点もあり、迷わず契約しました。初めは、質問対応に使っていたので すが、オンラインでもいいから先生の授業が受講できないかという問い合わせが何件か入って来たの で、それなら試しにやってみようということでやっています。現在は、高校生と大学生が中心です。

―― 生徒は、どのようにして古山さんにたどり着いたのですか?

どの生徒もネット経由です。あとは、人の紹介です。「高槻 数学」で検索1位とSEO対策も上手く いっていると思います。特に募集はしていなかったのですが、オンラインやっているというのをブログ にかいていて、うちの子もできますでしょうか?という感じでした。

―― 古山さんは、『これだけ!微分積分』という本を出版されましたが、書籍の執筆をしてみていかがでしたか?

本を書くというのは自分の勉強にすごくなります。そして、やはり大変でした。もともと書くのは好き だから大丈夫かなと思ったんですが、教えるのとはまた違う、本ならではの難しさがありました。

 

―― 本ならでは難しさとは?

授業だったら、途中で修正が可能ですけど、本はその順番が何より大切で、どのように伝えて行くの が一番読者にとって分かりやすいかというのに苦労しました。ポイントを何度も繰り返して、重点的に 教えるということが授業ではできますが、本だと、「それ、さっき書いてたやん」ってなりますから ね。

なので、今回の書籍は、そういう意味では数学の体系化を考えるきっかけになりました。

でもいい経験です。またチャンスがあれば出版してみたいですね。 何より、自分の想いをきちんと読 者に伝えられる機会があるってすごく幸せだなぁと思って、幸せを毎日噛み締めながら書いていまし た。出版社の方の校正にも助けられて、非常に分かりやすい本になったと自負しています。

―― 今後、どのような活動をしてみたいですか?

本当の学びの楽しさを感じながら成長できる環境の塾を目指します。成績があがる塾を目指さず、マス ラボってなんか良いよねっていう塾を目指したいです。 今は独立して毎日必死に働いている状況です が、落ち着いたら、ライフワークとして幼児から社会人まで学べる、算数、数学の学習サイトをつく りたいです。今は動画を貯めていて、1400本を超えたところですが、まだまだ足らないんで、これから もつくり続けます。

―― ここでも明確な未来がイメージされていて、そこに向けてコツコツと作業を進めているんですね。新 しいサイトができたら、どんなことが起こりそうですか?

新しいサイトができたら、数学が好きな人、学びたい人がもっともっと増えると思います。好きな人 が増えると雇用が増えるので(学びたい人はお金をはらっても学びたい)、経済効果もありますね。

そこで人と人がであって、コラボもできるかもしれないですし、何が起こるかは分かりませんが、今ま でそういう場所っていうのはサイエンスカフェみたいなところにいかないとなかったから、そういう環 境をつくれたらいいなぁと思っています。そして、世の中から数学が苦手な人、嫌いな人を少しずつな くして、日本の教育に貢献すること。これが一番のミッションです。

古山さんは、収益化している仕事の外に、いろいろな試行錯誤を同時にやっています。これは、いつも様々な可能性を探っているからだと思います。

お話をうかがって、古山さんのように、未来を見据えて目の前の現実に取り組んでいる人たちが、お互いに共鳴しながら繋がっていくことで、大きな動きが生まれてくるはずだという確信が生まれました。

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専修大学附属高校日本史教諭 皆川雅樹さんインタビュー

アクティブラーニングを実践したいと考えているみなさんは、すでに実践している方のやり方を参考にすると思います。

そのとき、グランドルールの設定や、介入の仕方など、教科を超えて共通する部分もありますが、教科ごとに工夫が必要なところもあると思います。

今回、インタビューさせていただいた専修大学附属高等学校教諭の皆川雅樹さんは、日本史の授業にアクティブラーニングを導入するにあたって、様々な工夫をされてきたトップランナーの一人です。

その実践は、河合塾ガイダンスでも紹介されています。

皆川さんが、どのような理由で日本史の教師になり、アクティブラーニングを始められたのかをうかがいました。

教師になろうと思ったきっかけ

―― 皆川さんは、どのようなきっかけで教師になろうと思ったのですか?

中学生の頃、数学の勉強が好きで、数学が活用できる職業につきたいと思いました。当時は、数学が活用できる職業=数学の先生をイメージすることしかできませんでした。

―― 日本史を選んだ理由は?

高校生の頃、萱野茂『アイヌの婢』(朝日文庫)を読み、アイヌの歴史に興味を持ちました。アイヌは「日本」の歴史の範囲内なのか/そうではないのか、そんな問題意識を契機に、日本の対外関係史研究、特に日本古代史を中心に取り組むことになりました。

―― 教師になりたいという思いは、興味が数学から歴史に移っても持ち続けていたのですか?

いいえ。歴史に移ってからは、研究者を視野の中心に入れていました。

―― 数学に対する興味は、その後も続いたのですか?

数学の先生になる夢は、大学院生時代にバイトで塾講師(数学専門担当)をやって実現しました(笑)。最近も勤務校で卒業間近の生徒に公務員試験に出題される数学の問題を解いてみようという講座を開いたことがあります。

―― アイヌの歴史のどこに惹かれたのですか?

もともと「日本」という枠組みには存在しなかったアイヌの人々が、ある時から「日本」という枠組みに押し込まれてしまったことに違和感を持ちました。そもそも「国境」とは?それぞれの地域の人々にとってのアイデンティティとは?などの疑問や課題意識を持ったことがアイヌの歴史に興味を持った理由です。

―― アイヌの歴史から、日本の対外関係史研究へ、どのように結びつきましたか?

上述の通り、「日本」とは?が大きな課題でしたので、まずは視野を広げて「東アジア」「東ユーラシア」からみた「日本」を考えて見ようと思い、対外関係史研究に足を踏み入れました。

――博士号を取るところまで歴史を学ばれたら、研究者への道もあったのではないかと思いますが、教師を選んだのはどうしてですか?

今でも研究者の端くれだと思っていますが(笑)。2006年度に提出した博士論文をもとに昨年、『日本古代王権と唐物交易』(吉川弘文館、2014年)という単著(研究書ですので1万円以上しますが…)を出版しました。
ただ、前任校(2005~2006年度)に就職したことは非常にラッキーだったと思っております。歴史学と歴史教育を同時に考える社会科教員の伝統的な雰囲気がありました。だから、この時期に働きながら博士論文を完成させることができました。高校教員を経験することで、歴史学を日本古代史という狭い範囲で考えるだけではなく、広い視野で考えるようになりました。また、歴史教育という分野にも興味・関心や貢献でき、歴史教育におけるアクティブラーニングを専門的に考えることができる希少な存在であることに最近気づきました。

研究をすることを考えたときに、大学に所属しているのに比べて、高校教師をしているのは不利なのではないかという考えもあると思います。しかし、私自身の経験でも、大学院を中退して予備校講師になったときに、様々な専門分野を持った同僚から学べるようになり、大学にいては学べなかった広い視野を獲得できたと感じました。自分自身が好奇心を持って取り組めば、自分の置かれた環境を自分の糧として前進できるのではないかと思います。皆川さんの言葉からは、主体的な学習者が持つ、自分を前へ進めていく力のようなものを感じました。そして、その学習者・研究者としての態度が、アクティブラーニングを実践していく上での土台になっているのではないかと思いました。

 

一斉講義型からアクティブラーニングへ

―― 皆川さんは、はじめは一斉講義型をされていたとうかがっていますが、その頃は、どのようなことを考えて授業をされていたのですか?

「歴史に興味がある生徒にきちんと伝わればそれでいい」「歴史に興味がない生徒はきちんとノートを作っ てくれればそれでいい」程度しか考えていませんでした。

―― 一斉講義型の授業にも、教師としての楽しさというものがあると思いますが、いかがですか?

自分が好きなことを語ることができるので、ある意味楽しい(というよりは自己満足ができる)のかもしれません。一斉講義型ですと、大きな声を出せる生徒の意見や質問しか受け取ることができないデメリットがあります。アクティブラーニング型にすることで、生徒の声を拾うパターンがたくさん増える(グループワーク時、振り返りシートへの記入など)ので、「この生徒はこんな発想を持っているのか」「こういう見方もできるのか」などの意見を通じて、授業という場を創る楽しさを味わうことにつながります。

―― 一斉講義型の授業を行うスキルは、今のAL型授業に役立っていますか?

声の出し方や板書は、一斉講義型の場合はきちんとできないといけないので、必要なスキルだと思います。
一斉講義型の授業では専門的な知識や考え方を、ノンストップで予定通り説明しなければなりません。AL型ですといつどのタイミングで専門的な知識を必要とする質問がくるかわかりません。勉強の仕方が予定調和で説明するだけではなく、いろいろな引き出しを持つ形にしなければなりません。

――アクティブラーニングに授業スタイルを変えることになったきっかけは、どのようなことだったのですか?

2010 年 2 月、私の日本史の授業を見学した教職志望の大学4年生が「先生の授業は完璧ですね。板書も きれいで、説明も丁寧でわかりやすいです」と感想を言ってくれました。褒められているのだから素直に喜 べば良かったのですが、私は違和感を持ちました。「完璧な授業」なんていうものがあるのか。そもそも生徒 にとって「良い授業」とは何か。このことをきっかけに、授業方法について考え直す必要性を強く感じまし た。2010 年 5 月、小林昭文氏(当時埼玉県立越ヶ谷高等学校)の高校物理の授業を知り、授業スタイルを 変えることを決意しました。小林氏の授業実践との出会いは、生徒が授業に主体的に参加することが明確な 目標となっている能動的な学習の場としての授業=アクティブラーニング型授業を意識させるものとなりま した。このことは、私の日本史の授業において、生徒が能動的に学習する場をつくることが意識できていな かったことに気付くことにつながりました。

―― 「完璧な授業」という言葉が、授業のやり方を変えるきっかけになったのは、面白いですね。完璧という言葉から、教師が自己完結しているというように感じたのでしょうか?

そうだと思います。私という教師がただ生徒に「何かそこそこ良いもの」(=板書内容や簡潔な説明)を与えているだけなのでは?という疑問をむしろ持ちました。

―― 生徒にとって良い授業とは、どのような授業だと考えていらっしゃいますか?

わかりません。どのタイミングで「良い」と思うのか?授業中なのか、その後なのか、もっと後なのか…。教師の印象ではなく、授業の印象が残ることが「良い授業」のように感じております。「先生の名前は忘れたけど、日本史の授業は良かったな~」と思ってくれたらうれしいです(ファシリテーターとしての教師になっていればOK)。

「完璧な授業」と言われたのが、アクティブラーニングに取り組むきっかけだったというのは、とても興味深かったです。でも、とてもよく分かる気がしました。研究熱心で常に前進し続けている人たちにとっては、あるやり方が「完成」するということは、それを壊して次のことを始めるということを意味するからです。私がアクティブラーニングに取り組んだのも、一斉講義型の授業に工夫を重ねて、自分なりにやりつくしたと感じていたときに出会ったということが大きかったと思います。これをやったら、新しい世界が広がるんじゃないかとワクワクしたのです。

 

深い学びについて

―― 深く歴史を学ぶというのは、簡単に言うと、どのようなことですか?

現段階では、授業で学んでいる内容(大学以上であれば史料解釈や理論・概念の(再)構築)とそれを学んでいる自分自身をメタ認知することができることだと考えております。

―― 深く思考するということについて、皆川さんの考えを教えてください。

「難しい」問題に取り組み、それに対して自分の思いや考えを持ち(そしてその思考に自信を持った時に)、まわりの誰かにそれを説明したい!聴いて欲しい!という感情が生まれたら、深く思考しているのではないかと現段階では思っています。

―― 実際にAL型授業を導入して気づいたこと

一番の気づきは、私自身が授業に悩み始め、悩み続けていることです。生徒の思考を働かせる場を作り深 い学びの場を生むためには?生徒が自分に合った学び方を自分で見つけられるようにするためには?など、 日々の授業実践を重ねれば重ねるほど悩みが尽きません。

―― 教師が悩むというのは、教師に「学習者の要素」が入ってきているということでもあると思いますが、教師の悩みが生徒に影響を与えていると感じることはありますか?

教師自身がアクティブラーナーになっていることに間違いはありません。そうでなければ、生徒にアクティブラーナーになることをうながすことできないと思います。ただし、教師の悩みが良くも悪くも影響すると思います。悩みが生徒に不安・不満を持たせると、授業が悪循環に入ります。「こんなに苦労して授業準備したのに、生徒たちはまったくやってくれない」という気持ちを生徒にわからせても仕方なく、常に目の前の生徒たちの最善の学びの場、学び方を気づかせる場をつくっていこうという意識が必要だと思います。

歴史を深く学ぶということが、歴史を学んでいる自分自身をメタ認知することだという話は、非常に興味深かったです。私は、メタ認知へ至るプロセスとして、内部を探索し尽くすことでそれを成り立たせている前提にたどり着くということと、ことなる前提を持った他者と出会うという2つの方法があると考えているのですが、歴史を深く学んでいくことで、それを学んでいる自分という前提が浮かび上がってくるという皆川さんの話をうかがって、高校の歴史の授業でそれができるのであればすごいことなのではないかと思いました。

グループワークを改善する工夫

―― 皆川さんは、グループワークの重要性を伝えるために、日本史と関係のないこともやっているそうですね。

グループワークの必要性を説明するために、マシュマロチャレンジやコンセンサスゲームのような「みん なで考える」アクティビティを学期始めなどに実施することで、自分の授業が何のための授業なのか?を伝 えることができます。先生が説明・提示することのみを理解するだけではなく、様々な意見に耳を傾けて(聴 いて・訊いて)、深い思考につながることの必要性を伝え続けています。

―― マシュマロチャレンジでの経験と、歴史の授業でのグループワークとを、生徒は結びつけることが出来ていますか?

昨年度後半から、グループは作りますが、グループ「ワーク」を強制することはなくなりました。マシュマロチャレンジは、チームでやらなくても実は成立するゲームで、チャレンジの過程でチームメンバーそれぞれの特徴・考えや集団内での振る舞い方がわかるものです。この質問を受けて、そのことに気づきました(笑)。

教師の学び合いのための学習コミュニティ

―― AL型授業を進めていく上での仲間作りはどのようにしていますか?

勤務校では、アクティブラーニング型授業の研修(2011・2013 年度:講師小林昭文先生)をしかけ、それをきっかけに、授業改善を意識する教員が増加し、さらにお互いに授業を見合い情報交換・共有をする機 会も増えています。国語・数学・英語・理科・地歴・公民など様々な教科で、考えをまとめたり、問題を解 いたり、答え合わせをしたりする際に、ペアワークやグループワークなど、生徒主体の学習の時間がとられ ている場合が多くなってきています。 勤務校外でも、FB などの SNS やリアルの勉強会の場に参加し、情報交換を積極的に行っています。

博士号を持っている教師であり、アクティブラーニングの実践経験も豊富な皆川さんが周りを巻き込んでいくことで、アクティブラーニングの実践の輪がさらに広がっていきそうです。

 

歴史教育の国際交流

―― シンガポールでの学会発表はいかがでしたか?

2015 年 5 月、アジア世界史学会(AAWH)で、「日本の歴史教育」のパネルに参加し、高等学校日本史の 授業におけるアクティブラーニング型授業について、理論と実践を簡単に説明しました。中国・韓国やイギ リスの研究者・教育者からは、日本の文部科学省が今後どのような学力論や教育システムを構築していこう としているのかなどの質問が出ました

―― 隣国と歴史教育について交流することは、国際平和に対して意義があることだと思いますが、教える内容は教科書で定められているという現実もあると思います。歴史を教える教師の立場から、何かできそうなことはあると思いますか?

それぞれの国の歴史教育の現状を、現場の教員や大学の歴史学・教職課程の教員などが把握することが必要だと考えております。教育の違いの背景には、これまでの歴史があることは間違いありません。そういう視点を教育学(教育史)の研究者だけではなく、現場レベルでも持つことで歴史教育のあり方も変化するのでは?と思っております。それが結果的にグローバル・異文化理解にもつながるかと。「日本史」「世界史」という現状のくくりではなかなか難しいですが…。

歴史を学んでいる自分自身をメタ認知していくためのもう一つの方法が、異なる前提の他者と出会うことだとすると、歴史的事実を共有する隣国の教師と「歴史教育」について交流することは、非常に有益なのではないかと感じました。そして、そこで感じたことを教室に持ち帰ることで、生徒にも「他者性」を伝えられるのであれば、生徒が歴史学習をメタ認知することに、大きな助けとなるのではないかと思いました。
 
これも、皆川さんのように、研究と教育の二足の草鞋を履いている方だからこそできることなのではないかと思いました。
 
皆川さんは、6月23日に実施する第19回反転授業オンライン勉強会で、授業実践についてお話してくださいます。
 
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Evidence Based Education 研究会代表 森俊郎さんインタビュー

「反転授業の研究」の田原です。
 
僕が専門的に学んできたのは、自己組織化のプロセス。「反転授業の研究」でも、ICTを使って主体的な学びについての知恵が、対話を通して自己組織化されていくことを目指しています。
 
ところで、自己組織化的なプロセスが起こって集合知が生まれていくために必要な条件は、

(1)グループ内のコミュニケーションがオープンでフラットになっていること。

(2)実践を共有し、公平に評価していく仕組みがあること。

の2つではないかと思います。
 
グランドルールを定め、多くの方がそれを体現してくださっていることで(1)オープンでフラットなコミュニケーションは、かなり実現されていると感じています。
 
しかし、(2)実践を共有し、公平に評価していく仕組みという点では、どこから手を付けたらよいのか見えてきていないという状況です。

様々なバイアスがかからないようにして、公平に評価される仕組みがあってこそ、どんな実践が本当に効果があったのかを知ることができ、改善につながっていきますし、正当な評価がされることが、実践者のモチベーションを高めていくことにつながると思います。

この部分をどのようにデザインしていくのかというのは、集合知を得ていく上でとても重要なポイントだと思います。
 
Evidence Based Education 研究会代表の森俊郎さんは、一貫して「エビデンスに基づく教育」に取り組んでいらっしゃいます。森さんの取り組みは、「実践を共有し、公平に評価していく仕組み」を作るために大きなヒントになるものだと思い、お話をうかがいました。

エビデンスに基づく教育とは何か

―― 森さんがやっていらっしゃる「エビデンスに基づく教育(Evidence Baced Education) 」とは、どのようなものなのですか?

自分は、エビデンスと教育を結び付けるということをやっています。同じような問題意識を持つ仲間と研究会をやっています。

日本の教育界ではEvidence-Basedということは、ほとんど言われていません。『教育とエビデンス ―研究と政策の協同に向けて』という本が2010年に出版されたのが始まりで、教育におけるEvidence-Bacedとは何かということで、実践と研究を進めています。

個人の勘や経験だけじゃなく、数字や質的調査、研究に基づく授業分析だとかを行って、どういう風にしたら、より広がりが持てる客観的な知見を得られるかということに取り組んでいます。

I think型の授業研究会じゃなくて、私がこう思うからという思い込みじゃなくて、本当に子どもにとって何だろうなというところでやっていくようなものです。

なかなか言い表しにくいのですが、研究の研究みたいなものでしょうか。

森さんの授業研究会に対する発言から、研究と実践の場が連携していくことで、もっと教育全体がよくなっていくのにそうなっていないという歯がゆさのようなものを感じました。

森さんは、研究と実践の連携というテーマにどうして関心を持つようになったのでしょうか?

そのきっかけをうかがいました。

理論と実践の両方が大事

―― 森さんがエビデンスに興味を持ち始めたきっかけは?

大学生のときに遊びすぎて教員採用を受け忘れてしまって、もっと勉強してから教師にならなければ出会うことになる生徒に申し訳ないという思いで大学院に進んだんです。大学院生のときに不登校やいじめの問題をテーマに研究をしていました。

午前中は所謂荒れている学校に派遣されて、午後は大学院に戻って研究するという生活でした。大学院でカウンセリングやアクティブラーニング、協同学習などを学ぶという生活をしていたんです。

午前中に通っていた学校は、生徒から首元にナイフを突きつけられるようなところで、大学で教育理論を学ぶよりも護身術を学んだほうがいいんじゃないかというような状況でした。

その経験から、教育における理論と実践とは何なのかということを考えるようになりました。

そして、実践だけじゃなく、理論だけじゃなく、実践と理論の両方が連携していくことが重要だと考えるようになりました。

学校現場に出てからも、理論と実践の両方が大事だという大学の先生も現場の先生も両方いるんですけど、その具体がなかなか見えてこなかったんです。

それで、行きついた先が「エビデンスに基づく教育」だったんです。

その経緯から、EBMを勉強したりとか、海外はどのようになっているのかなということでアメリカやイギリスの教育について学ぶようになりました。今は、ロンドン大学の客員もやらせていただいています。

―― エビデンスに基づく教育は、海外ではすでに行われているのですか?

はい、そうです。例えばイギリスでは、いろんな教育実践の文献とかがありますけど、英語圏ではそれこそ山ほどあるわけです。

いろんな情報が飛び交う中で、システマティックレビューと呼ばれるすべての情報を集めて、ある基準を設けて1つのレポートのような形にまとめるというものがあるんです。

教育実践のための情報サポートシステムとして提供している会社があったり、政府機関があったりするわけなんです。

医療の分野では、「エビデンスに基づく医療(Evidence Baced Medicine :EBM)」というものがあります。「科学的に証明された根拠に基づいて医療を行う」というものです。EBMが誕生した背景には、勘や経験、精神論に基づいて医療を行ってきた歴史があって、そこから脱却していくためにエビデンスの重要性について言及されるようになってきました。

同じことが教育にも言えると思います。「エビデンスに基づく教育(Evidenced Baced Education : EBE)」は、EBMのフレームワークを利用して、科学的に証明された根拠に基づいて教育を行うことを目指しています。

医療のほうでは、Evidence Bacedでやるためにはどうしたらよいかということで、5ステップという手順があって、この5つのステップで組んでいくといいよというものがあるわけなんです。

今、研究会では、5ステップに基づいて実践を各自が繰り返して、作り上げているという段階です。

―― 5ステップとはどのようなものですか?

5ステップは、PDCAサイクルによく似ていると言われています。

これは、「エビデンスに基づく医療(Evidence Baced Medicine :EBM)」の5ステップです。

Step1 問題の定式化

1.患者の問題をカテゴリに分類
2.患者の問題をPatient, Exposure,Outcomeの3要素に定式化
3.患者中心のOutcomeの設定

Step2 情報収集

1.情報源の種類と特徴
2.適切な情報の検索

Step3 批判的吟味

1.治療の論文の批判的吟味
2.治療効果を表す指標と特徴

Step4 患者への適応

1.論文と実際の医療環境の違いを指摘できる。
2.論文の内容を患者に説明できる。

Step5 中止と継続

1.うまくいかない場合は、そのプロセスを一旦中止
2.中止して、次の問題に取り組む。

このフレームで、患者→生徒、治療→教育、というように読み替えていったものが、EBEのフレームになります。

―― 5ステップとPDCAサイクルとの違いは、どこにありますか?

5ステップは簡単です。あと、5ステップにには、第3者からの評価があるというところが特徴です。

自分自身の評価、自分の実践への振り返りですね。こちらの参考文献が参考になると思います。

大学院生のときに感じた問題意識から、エビデンスに基づく医療(EBM)や、アメリカやイギリスの状況についての調査へと広げていったのですね。そして、森さん自身が、研究能力を備えた教師として授業実践を積み重ねていきます。森さんが信じる「これからの教師のあるべき姿」を自分自身が体現していくところが素晴らしいです。
 
森さんの活動は、そこからさらに広がり、同じ問題意識を持つ仲間を巻き込んで研究会を立ち上げます。

Evidence Based Education研究会を立ち上げる

―― Evidence Based Education研究会を森さんが立ち上げられたのですか?

はい。6年前から。こんどで第12回です。

―― 研究会をやっていく中で、どのようなことが起こっていますか?

まだ、成果よりも課題のほうが多いです。

アメリカ、イギリスだと教育情報を提供する機関が山ほどあるんですけど、日本の場合だとと個々人や、民間の団体が実践方法を出しているということはあるんですけど、科学的な情報に基づいて共有されているということはないです。

12月に国研のほうで教育情報ポータブルサイトというものができましたけど、あれも科学的というレベルではなく、教育委員会が掲載しているものをのせているという段階なので、システム的にも個人的にもまだまだ足りないという感じです。

森さんから、アメリカやイギリスでは、研究能力のある教師と、それと連携する研究者、教育情報をサポートする機関(行政・民間)の3者が連携してエビデンスが積みあがっていく仕組みが出来ているのだということをうかがい、日本がこの点で大きく後れをとっているのだということがよく分かりました。
 
教育システム全体に関わる大きな問題に対して、信念を持って出来ることをやっていくという姿勢に大変共感しました。

教育実践からエビデンスを出していくためには

―― 「反転授業の研究」のメンバー約3000人のうち、半分くらいが教師だと思います。実践をシェアして、そこから集合知を生み出していきたいのですが、そのための仕組みが不十分だと感じています。教育実践における仮説を検証するためには、どうしたらよいのでしょうか?

様々な方法があり、実験の仕方によってエビデンスの質をランク付けする指標があります。

もっとも質が高いとされているのが、無作為統制実験(randomized-controlled trial, RCT)や系統的レビュー(systematic review, SR)によるエビデンスです。これらは、エキスパートの意見などよりも上位に置かれます。

エビデンスの質に階層があるという見方は、エビデンスに基づいて教育を行う上で本質的なパラダイムだと思います。

実践のシェアについて考えるときに、I thinkをいくら集めてもI thinkにしかならないので、みんなで協力して科学的に証拠を出すための実験デザインを考えて組み込んでいくのですが、その1つがRCTという手法なんです。

実践をする群、しない群にしっかりわけて比較する、大規模、無作為抽出実験法です。

反転授業も、科学的エビデンスをしっかり出していくのが必要だと思います。もちろん誰の何のためのエビデンスなのかにもよりますが。

科学性の高いエビデンスを出すと同時に、費用対効果も出さないといけないと思います。

―― タブレット購入などの費用に対して、他の方法に比べて費用に見合う効果があったのかということを検証するということですね。

はい。教育効果測定に留まらずに、費用対効果、教育経済分析まで入れたいと個人的には思います。

ICTを使った実践の場合は、効果とコストを縦軸と横軸にして分析する方法があるんですけど、ICTは必ずしも費用対効果が高くないんです。

ペア・コーチングのほうが、お金がかからずに効果がいいという結果が出ていたりします。

僕はICTを推進しているわけでもないですし、嫌っているわけでもないですけど、もし、自分が反転授業とかICTの立場であるならば、経済的なコストも踏まえてやっぱりいいんだということを言っていくことが、推進、啓発をしていくときのポイントになってくるのかなと思います。

―― 僕は、アクティブラーニングや反転授業を通して、21世紀型スキルを獲得していくこと、学習者が自分のメンタルモデルに気づき、それを作り変えていく学びに興味があるのですが、テストで測定できるようなものではないので、どうやって測定していけばいいのかなと思っているのですが、よい方法はありますか?

学習に対するメンタルモデルなのか、仲間と学び合う価値なのか、何を明らかにしたいのかということを詰めなくてはいけないのですが、僕が3年ほど前にやったのは、協同学習における協働認識の変化を実践論文にまとめました。子どもは学び合うんじゃなくて、学び合わさせられているんじゃないかという問題意識から、この意識がどう変化していったのかという論文を1つ出しました。

単一実践においては、そういうのも1つ参考になるかもしれません。どうやったのかというと、1時間1時間の中で学習活動と、子どもの学びの質の内容と、学び合いがよかったと思うのを数的に1-5点法で出して、変化の割合に応じて子供がどんなことを感じ取ったのかというのを細かくインタビューしていったんです。

このように実験デザインと測定すべきものをしっかり決めていくと、もう少しクリアに話が出来るようになると思います。

いくらでもやりようがあります。研究法は山ほどありますから。

短期的に見れば、教育実践の中に実験を入れていくのは負担だと感じるかもしれません。しかし、教師と研究者からなるコミュニティという枠組みで見れば、個々の教師の工夫を比較検討してエビデンスを出す仕組みがあることで、コミュニティに知恵が蓄積していき、それを共有している教師の実践の質が上がっていくことになります。
 
研修などによってトップダウンに教え方を学ぶのではなく、自分たちで工夫して、共有して、エビデンスを出していくというあり方は、教師自身が主体的な学習者、研究者であろうとすることだと思います。それは、何度もテーマとして上がっている「学びが学びを促す」ということにつながり、、主体的に学ぶ教師の背中が、生徒の主体的な学びを促していくことになるのではないでしょうか。

研究能力を持った教師を増やしたい

―― 測定の仕方のような知見は、教師の中で共有されているんですか?

全然されていませんね。啓発の一つに、我々は教師のエビデンスリタラシーと呼んでいるんですけど、研究能力が必要だと思っています。今求められている教職大学院だとか、研究的実践者だとか、そういう言葉と一緒だと思うんですけどね。

―― そのような能力は、今まで、必要がなかったんですか?

必要なかったですね。日本の教師は教育効果を出すことを求められませんし、一生懸命やればクビになることはないですから。海外だと、説明責任が問われるようになるので、効果がないということになると学校がつぶれてしまいますし、教師もクビになってしまうので、なんとか成果を出そうと必死なんでしょうね。

―― その違いは、環境の違いから来ているんですか?

一番は、環境の違いだと思います。アメリカには落ちこぼれ防止法という法律が2000年にできたので、落ちこぼれを出しちゃうと法的にダメなんですね。それを防ぐために一生懸命頑張っていく。日本だとそれはなかったわけなので、環境の違いというのは大きいですね。

―― 森さんの場合は、環境からの要請ではなく、森さん本人の問題意識からスタートしていますよね。その根底にあるものは何なのですか?

授業に100点も0点もないという考え方が常にあります。初任者が公開授業をやったらたいていダメ出しを受けて終わるとか、ベテランの先生がやったら褒めちぎって終わるとか、そういう授業研究会を実際に経験してきたわけで、それはおかしいだろうと思うんです。

教育というのは終わりがないと思うんです。常に向上していかなければいけないと思います。自分の実践が本当に子どものためになったのか、本当に良かったのか、ということをきちんと考えるようにしてきました。

―― なるほど。それは、すごくフェアですよね。権威などのバイアスを外して、本当に何がよくて、何が悪かったのかということを見ていくということですね。

基本は、そういう気持ちです。

でも、教育現場では、全員が一緒になって実践を検証するというよりは最後にご指導をいただくといった授業研究会スタイルが多く、エビデンスベースドというのは、ある意味、反抗的な立場にあるかもしれません。

―― 実際にEBEが反抗的だというように捉えられることもあるんですか?

ありますよ。教育はエビデンスで表されないだろうとか、勘と経験は大事だとか、よく言われますね。どれも僕は正しいと思っていますが。

エビデンスに基づいて議論するというのは、ベテランも新人も関係なく公平に議論できるということです。これは、メンバー全体の力を生かしていく上でとても重要なことだと思います。多くの組織では、ピラミッド構造の下層に組み込まれる新人は、正当に評価されずに意欲を失っていきます。それは、結果として組織全体の活力と創造性が失われることにつながっていくと思います。
 
21世紀は社会が大きく変化し、教育を取り巻く環境も激変しています。その中で、ベテラン教師の取り組みが必ずしも最適解である保証はありません。常に様々なチャレンジがなされ、検証されていく仕組みが不可欠だと思います。その取り組みを保証するのが「エビデンスに基づいて」という姿勢なのではないかと思います。

森さんが思い描く教育の未来

―― 森さんは、今後、何を目指して活動されていくのですか?

教師のエビデンスリタラシーとか、教師にとって役立つ科学的情報を提供する環境が整えばいいかなとかと思っています。会を大きくしたいとか、立派になりたいとか、そういうことはないです。エビデンスとかえらそうなことを言っていますけど、すべてをエビデンスに基づけるわけではないんです。EBMのほうでも15%くらいといわれています。それなら教育だと数%だろうと思っています。でも、振り子の理論でいうと勘や経験という振りだけじゃなくて、科学的情報という方向にも振れて、もう少し環境面でも、教師のエビデンスリタラシーという面でもパーセンテージを良くしていけたらと思っています。

――ICTが出てきて、学習データを取りやすくなったのは、EBEにはプラスに働くのではないですか?

はい。時代がエビデンスベースドに向かう方向になっていると思います。研究者と実践者のマッチングが大事だと僕は思っていますけど、今まではできなかったんです。繋がることもできないし、データの蓄積なんかもできなかったんです。でも、今は、できる時代になってきました。だからこそ、今までいいとされてきたことが本当にいいのかとか、そういうことを検証していくようなことが出てくるんじゃないかと思います。

それが、教育界を少しは良くしていくんじゃないかなと思います。

―― 今は、学習のビッグデータも取れるし、Webシステムの開発も比較的安価でできるようになっていますが、それらを使って、こんなことをやったらおもしろいと思っているものはありますか?

研究者と実践者のマッチングサイトを構想中です。あとは個人の実践がデータを揃えて市町村単位でエビデンスを作り上げていくというシステムができればいいですね。

道なき道を切り開いてきた森さんのことですから、きっとアイディアを形にしていくはずです。お話をうかがって「エビデンスに基づいた教育」について、もっと学びたい、そこから取り入れられるものを取り入れたいと強く思いました。また1つ、自分にとって重要な研究テーマができました。
 
5月15日(金)に実施する第18回反転授業オンライン勉強会で、森さんが登壇します。
詳しい内容はこちら

専属コーチのブリッジ代表、田中力磨さんインタビュー

知識はインターネットで検索すれば手に入り、授業もYoutubeにどんどんアップされる時代に、教師の役割、存在価値はどのように変化していくのでしょうか?

変化の激しい社会の中で、知識はあっという間に陳腐化していきます。大切なのは、知識ではなく、学び続けることができるマインドセット。Growth Mindsetを身につけることではないでしょうか。

では、どのようにして生徒にGrowth MIndsetを身につけさせることができるのか?

専属コーチのブリッジ代表の田中力磨さんは、ご自身のアイデンティティを教師ではなく、コーチだと考えているそうです。コーチングとティーチングの割合は、多くても7:3で、段階的にコーチングの割合を増やしていき、最終的には、9:1くらいになるようにしているのだそうです。

僕は、田中さんの取り組みに、21世紀の教師の在り方の1つの可能性を感じ、インタビューさせていただくことにしました。

rikima

子育てをしたいと思っていた中学時代

田中さんが、教育に関心を持ったきっかけは何だったんですか?

中学生のときに「東京大学物語」が流行っていて、それを読んだときに、日本の教育って何なんだろうという疑問を感じていたのを覚えています。それで、漠然と、いい大学に行くとか、いい会社に就職するとかじゃなくて、地元で「子育てをしたい」って思っていたんです。

中学生のころに子育てしたいって思っていたとは驚きですね。その思いは、ずっと続いたのですか?

親が、一部上場企業に就職することが大事だという考えを持っていたんですが、自分は、そういう上昇志向はなくて、地元で就職したいと思っていたんです。それで、親に納得してもらうために、一部上場企業の内定をもらって、それを断って、地元に就職しました。

田中さんは、自分の価値観に対するこだわりがとても強い方だと思いました。まわりに流されず、自分の物差しで自分の行動を測ることができるというところが、すばらしいです。

パニック障害を発症し、職を転々と

地元の企業に就職してからはいかがでしたか?

社会人2年目にパニック障害を発症し、それをきっかけに退職することになりました。それから、職を転々とすることになりました。そうなってしまうと、学歴とか関係なくなってしまうんです。パニック障害で倒れて転職を繰り返しているということを伝えると、就職できないんです。

それは、大変な状況でしたね。そこから、どのようにして立ち直ったんですか?

学歴はなくなったけど、学力=学ぶ力は無くなっていないぞ!と思いました。それで、教える仕事を始めました。

就職活動というのは、社会における自分の「商品価値」を思い知らされるものだと思います。病気によって、外側から「商品価値の低さ」を突きつけられたときに、それに負けずに自分の価値を自分で定義した田中さんに感動しました。

予備校の教室長のときに感じた違和感

田中さんが、今の教育のあり方に疑問を感じたきっかけは?

僕は、以前、東進衛星予備校の教室長をやっていたことがあったんです。映像授業の補足をして教えていたら、「そういうことをするな」と言われて違和感を感じました。それが、人間だからこそできることがあるんじゃないかと思った最初のきっかけでした。

「教師」じゃなくて「コーチ」になったきっかけは?

自宅で塾をやるようになってから、半年前、「名もない小さな個人塾」の小澤淳先生の夏合宿に参加させていただく機会がありました。そこで、慶応大学の学生アルバイトが勉強を教えているのを見て、正直言って、教える力が僕よりもあるんですよね。それで、自分は勉強を教える人じゃなくてもいいんじゃないかと思ったんです。

小澤先生の夏合宿って、参加したいという塾関係者の人がたくさんいるんですけど、参加させてもらったのは僕だけだったので、小澤先生に、「勉強に対する指導力は高くないのに、なんで僕なんですか?」と質問したんです。

そしたら、小澤先生が、

「田中さんは、子どもたちの心の中に入っていく力がすごいんだよね。合宿3日間で子どもたちの見る目が変わったというところでは、敗北感を感じる」

ということをおっしゃってくれたんです。それが、すごくうれしくって、知識を教えるよりも、潜在的な力を引き出すほうが生きていく力を養うことができるというように強く思うようになりました。自分は、教師というよりも、コーチのほうがしっくりくると感じるようになりました。

自分自身で価値をつけていく覚悟

田中さんの塾「ブリッジ」では、どのようなやり方をしているのですか?

少数定員制にして、ほとんど毎日、親御さんに連絡します。めちゃくちゃしっかり、最初に話しますね。

それで、僕は、最初に勉強を取り上げるんです。

「損するのは自分だし、好きにしなー」

って感じで。無理にしろとは絶対に言わないです。子どもたちは、仕方なしにやっているけど、3か月くらいたつと自分でやり始めます。具体的にプランを立てて、親御さんと連携してやります。

親御さんも巻き込んでいくんですね。

はい。それが重要で、親御さんと、子どもと、コーチの3者が連携しないで、1つでも欠けるとうまく回らないので、親御さんに、「このように接してください」とか、お願いしています。

主体的な学びを促すためには、環境を整えて、待つことが大切だと思います。田中さんは、簡単に「3か月」とおっしゃっていましたが、それだけの期間、子どもを信じて待つのは、結構、信念が必要だと思います。

承認のサイクルが回る

最近、承認って本当に大切なことだと思っているんです。自分の良さは、自分ではなかなか分からないので、他人が承認してくれてはじめて気がつくことができますよね。それに気づいてから、本当に「いいな」と思ったことは、素直に表現して相手に伝えようと思っているんです。

お話をうかがって、田中さんの場合、小澤先生に「子どもの心の中に入っていく力」を承認されたことが大きかったと思いました。そして、承認される力を感じたことが、子どもたちを承認していく力にもつながっていると思うんですけど、いかがですか?

本当にそうですね。僕の場合、小澤先生に承認されたことでやっていける自信が湧きました。

子どもを承認する場合、単純な承認じゃダメだと思っています。子どもは、本気か口先だけけ敏感に察しますから。だから、感情をストレートに出すようにしています。生身の人間対人間という関係にします。

田中さんが、東進衛星予備校で感じた違和感の正体は、ここにあったのではないでしょうか。生身の人間対人間という関係が、子どもが育つために必要だという思いが、ビデオで知識を一方向にインストールする学び方に対する違和感につながり、そして、今のコーチという関わり方へ繋がっているのではないかと思いました。

コーチとして子どもを育てるというのは、植物を育てるのに似ているように思います。積極的に何かを施すのではなく、環境を整えて、自分で成長していくのを注意深く見守って、よい兆候を見つけて承認していくというプロセスなのではないかと思います。田中さんの「ブリッジ」では、まさにそういうことが行われているのではないかと思いました。

子育てについて

中学時代から「子育てがしたい」と思っていた田中さんですが、実際に子育てをするようになっていかがですか?

それは、自分の子どもについてですか?それとも、生徒についてですか?

たぶん、どちらにも共通しているものがあるんですよね。

はい。そうですね。笑

僕は、自分で考えて努力できること。自分でやろうと思ったときに頑張れる自分づくりというものを大切にしています。

何かあったときに戻ってこれる芯を作るということですね。

それは、田中さん自身の経験に根差した信念ですよね。田中さん自身が強く信じていることだから、きっと伝わるんですね。

僕は、学歴社会自体は否定していないんですけど、スポーツと同じで勉強に向き不向きはあると思っています。僕の生徒で、チックを持っていて学校にほとんど行っていなかった子がいるんです。最初は15分の勉強もしんどかったんですけど、だんだんと勉強が続けられるようになって、今では平気で10時間くらい勉強できるようになったんです。それで、「苦手なことを、こんなにできるのはすごい」と褒めました。苦手なことにこんなに取り組めるんだったら、将来、絶対に困難があっても生きていけるんじゃないかと思いました。

結果ではなく、取り組み方の変化をほめたんですね。でも、10時間も勉強できるようになったら、結果も出てきますよね。

はい。当然、成績も伸びるんです。元々の志望校よりもよいところに行こうと思ったら行ける状況になったので、「どうする?」と聞いたら、

「最初に志望していたところに行きたい」

と言うので、自分が伝えたかったことが、この子には伝わっているなと思いました。

田中さんは、何を伝えたかったんですか?

世間の評価ではなく、自分自身で価値をつけていく人間になる覚悟を持つということです。

コーチというのは、Beingの果たす役割が大きいと思います。「言っていること」ではなく、その人が信じていること、行動していることが、相手に影響を与えるからです。田中さんは、自分が心底信じていることをストレートに相手に伝えるので、それが相手の心に届くんだなと思いました。

田中さんのお話をうかがう前は、時代の変化により、教師の役割がティーチングからコーチングへ移っていくことで、新しい知識やテクニックを身につけていくというようなイメージをぼんやりと持っていました。でも、そういうことではなく、教師が自分の生き方を振り返り、それを正直に伝えていくということ。つまり、原点に立ち返るようなことなんだなと思いました。

田中さんの家には、生徒がよく泊まりに来るんだそうです。親から「今日、うちの子、泊めてやってくれませんか?」と頼まれることもあるんだとか。お話をうかがって、田中さんから養分をたっぷりと吸って子どもたちが成長していく姿が、思い浮かびました。

キミの力を磨く場所。専属コーチのブリッジ代表・田中力磨のブログ

 

インターネットをフル活用して家庭学習をサポートする小川浩司さんにインタビュー

現在、インターネットには、様々な情報がアップロードされており、まさに「外付けの脳」のようになってきています。

このような時代には、これまでのように知識を蓄えるような学びではなく、必要に応じて必要なことを学べるように、学び方を学ぶのが重要だという声があちこちから聞こえるようになりました。

海外では、カーンアカデミーのように無料で学ぶことのできるサイトがあり、さらには、講義動画をYoutubeにアップロードし、広告費によって収入を得る教育Youtuberと呼ばれる教師たちもいます。

海外に比べるとまだまだ層は薄いですが、日本でも、「eboard」「とある男が授業をしてみた」「ふるやまんの算数塾」など、無料で使える良質の講義動画が増えてきました。

このように無料で自由に利用できる講義動画がオンライン上に存在することで、どのような学習がが可能になるのでしょうか?

IT会社に勤務する小川浩司さんは、小学校5年生の娘さんの家庭学習サポートにインターネットを上手に利用しています。

小川さんの取り組みは、少し未来の家庭学習のあり方を知るヒントになるのではないかと思い、インタビューさせていただくことにしました。

先へ進むよりも、理解を深める

小川さんは、「ebord」とか、「とある男が授業をしてみた」とか、「ふるやまんの算数塾」とかいろんな動画を使ってお子さんの勉強をサポートされていますよね。僕は、講義動画がYoutubeにアップされるようになると、それを使った家庭学習サポートが可能になると思っていたので、小川さんのお話をうかがったときに、これだ!と思いました。実際にやってみていかがですか?

娘の入学がきっかけで、家で子供の勉強を見るようになったのですが、はじめは、学校の授業の進度は気にせずに、子どもの理解の程度を見ながら家庭学習をするようになりました。

究極の個人授業ですね。

たとえば1年生の頃だと、「この子は足し算を理解したな」と思ったら、次に引き算を学習するといった感じです。

そうこうしているうちに、子どもに「学校のお勉強はどう?」って聞いたら、「つまんない」って言うんですよ。それで、ちょっとびっくりして、「なんで?」って聞いたら、学校の授業は内容がみんな分かっちゃうからつまんないっていうんですよね。

学校では、長い時間を過ごすわけで、授業がつまんないというのは娘にとってはつらいことだろうなと思って、そんなふうに意図したわけではないのですが学校の授業に先行するのはやめておこうと思ったんです。

それで、家庭学習は学校で習った「復習」ということにしたので、娘にとっては学校の授業で習うことが初めて学ぶことになりましたから、「内容がみんなわかってつまんない」という問題は解決したのですが、それはそれで、釈然としない、なんだかもったいないというか、もどかしいな、という気持ちなんですよね。

「反転授業の研究」に参加させていただくと、新しい勉強のスタイルというのがあることを知って、先生方もいろいろお考えになって、新しい取り組みを試みていらっしゃるから、きっと近い将来、学校での授業のスタイルも今と変わるでしょうから、今は過渡期なのかもしれないと思ってはいるのですが、今、娘が置かれている状況のことを考えると、学校に合わせてあげなくちゃいけないかなと思って、娘ではなく、学校にあわせてそのようにしているんですね。

動画授業を利用するようになったのはここ1・2年の事なんです。無料で動画授業を公開しているeboardを知ったり、反転授業の研究でお親しくさせていただいた、ふるやまんの算数塾の古山さんの授業動画を知ったりして、これはいいなと思って利用させていただいているんです。
古山さんにはとてもお世話になっているのですが、私が説明に窮するような算数の問題についてご相談すると、あっと言う間に解説動画を作ってくだるんで、とっても感謝しているんですが、娘は、ことさら自分のために作ってもらった解説動画だということもあって、なおのこと一生懸命に見たりしているんですよね。
自分が分らないことのために作ってもらった解説動画だからよくわかるのは当たり前なんですけど、わからなかったことがわかるというのは本当に楽しそうですね。

いま現在は、動画授業を見てはじめて理解するという使い方よりも、すでに理解していることの復習のほうが多いのですけど、それが未来の学習の姿なのかはわかりませんが、田原さんがイメージされているような学習スタイルだと思いますね。

僕も子供に動画を見せて勉強させていますが、動画を見ないで問題を解くんですよね。それで、分からなかったら動画を見るし、問題ができたら動画は見ないというケースが多いんですよ。小川さんのところはどうですか?

最近、古山さんとお話ししていて、いいなと思ったのは、「動画授業では、本質的な理解を伝えたい」とおっしゃっていたことなんですね。
解法を解説するという授業動画だと、田原さんがおっしゃったような、見ないで問題を解いたり、わからなけれは観るというような使い方になるかもしれませんね。
保護者が先生に期待することは、解法よりも、「なぜ・なに」の本質を教えていただきたいってことなんですね。
これは、動画授業にたいしても同じように思っています。
とくに、小学校で学ぶ内容には、それが大切だなって思うようになりました。

ついこの間も、ある動画をみつけて、それは小学3年生で習う単元のものだったのですが、とてもわかりやすいんですね。娘は今5年生なんではけど、娘にとってはもう学んだ内容なんですけど、今あらためてこれをみせたら、その本当の意味が理解できるだろうなと思うようないことがあったんですね。そのことを古山さんに伝えたら、算数は、文科省が定める学習指導要領にしたがってこの単元は3年生で教えるって決まっているけれども、実は各単元は有機的につながっているんだそうです。
だから、場合によっては、中学生が小学生の単元に戻って学ぶほうが理解が進むということもあるんですとおっしゃっていてなるほどと思いました。

これからは、きっと授業動画もそうですが、学習を支援するようなコンテンツがますます多くなるでしょうから、そのなかから適切なものを選ぶことは難しいことになるだろうなと思っています、そこになにかよいアイディアはないかななんて思っているところなんですね。

動画講義などを使うと、子どもの理解に合わせて進めていくことができます。そうすると、自然と学校の進度よりも家庭学習の進度が進むという状況が生まれてきます。しかし、「学校の授業がつまらない」という娘さんからの声が出てきて、小川さんはジレンマに陥ってしまったんですね。その中で、小川さんは、進度を早めるのではなく理解を深めるという選択をされました。動画は、自分で進めていくのに利用できるだけでなく、理解を深めていくのにも使えるというのは、重要な気付きであると思います。

大量の講義動画から適切な動画を見つける仕組みが必要になる

娘さんに見せる動画は、小川さんが見繕ってくるんですか?

はい、私が見繕っています。

ビッグデータ解析で自分の好みに合わせて動画を推薦していくようなリコメンデーションの仕組みがあったらいいですね、なんてことを古山さんとお話したことがあるんんです。少ない数のコンテンツだとビッグデータ解析にならないのですが、Youtubeに上がっているようなもっとたくさんの増えてビッグデータ解析をして、見合ったものを勧めていくようなことができたら面白いなと思っています。

おもしろいですね。ClassDoという教えたい人と学びたい人のマッチングをする教育サービスでは、AIが使われていて、関係のある講座がサイドバーに表示されるんですが、そういう仕組みに近いかもしれませんね。

高校生までの教育は、教育指導要綱に基づいて、単元ごとに区切られているから作りやすそうですね。例えば、小学校向けの動画で「くりあがり」で検索すると何人かの先生が作った「繰り上がりの足し算」の動画が出てきて、その中で子供に合ったものを選ぶんですが、そのときに、価格.comみたいにランキング化されているなかから選べると、利用者にとっては便利かななんて思ったりしています。先生方からすれば、選ばれることになるので大変かもしれませんね(笑)。教えることは1つのプロフェッショナルな技術だと思うので、教えるのが得意なな先生は、そのようになさってもいいんじゃないかなとも思うんですね。

そのアイディアは面白いですね。

自宅で動画授業を受講して、学校では仲間たちとディスカッションしたり、教え合ったりする反転授業のスタイルに移行してゆくとすれば、先生に求められる能力もきっと変わってゆくのでしょうね。ディスカッションをうまく導くファシリテーション能力だったり、教えることが上手な先生は動画授業の作成を行うとか、先生方も専門分化していくのかなというように思いますね。
反転授業の研究の中で、ある先生がおっしゃっていたのが印象に残っているのですが、たくさんの動画授業のなかからその子にあったものを選び出す、キュレーターのようなスキルも必要になるって。

今、インターナショナルスクールの高校生の勉強を手伝っているんですけど、英語の動画講義は大量にあるので、小川さんのおっしゃっているような状況になりつつあります。自分で学べる環境を作ってあげるために、大量の動画講義の中からちょうど合っているものを見繕って、シラバスに沿ってムードルに貼ってオリジナルのコースを作るんですけど、動画が多いから探すのが大変なんですよ。それが、Youtubeの検索よりも効率よくできるといいですよね。

今までは、この塾に入るとよいとか、そのカリキュラムに乗っかっていけばお勉強は大丈夫、という状況だったのですが、今後は、たくさんの選択肢のなかから、適切なものを選ぶ、なにか良い工夫を考えてゆかないと情報の海に溺れてしまう感じがしています。

小川さんが指摘して下さったように、コンテンツが豊富になってくると、次に必要になってくるのは、その中からユーザーに適したものを選び出して紹介するキュレーションということになるのかもしれません。また、子どもが安心して自分で探すことができる環境というものも必要かもしれません。

日々、娘さんの理解を助けるコンテンツを、Youtubeなどから探している小川さんのユーザー視点からの意見は、非常に説得力がありました。

ITを使えば、子どもの学習に伴走できる

動画を選ぶときの基準はあるんですか?

基準は、娘なんですよね。この子が面白いと興味を持つかなとか、いまの娘理解の程度に見合ったものかな、ということを基準で選んでいます。だから、すべての単元を動画授業で学ばせるわけではないですね。たとえば、娘はそろばんを習っていましたから「足し算の繰り上がり」は、全く問題ないけど、リットルとかデシリットルとかの量の単元はちゃんと理解していないな、量について解説している授業動画は無いかな?というような視点でさがして、見させたりしているんです。

小川さんのやっていることは、フルタイムで働いているお父さんが学習サポートをすることができる可能性を切り開いていると思います。世の父親の中には、忙しいということで育児とか教育支援を諦めている方もいらっしゃると思うんですけど、やりようによっては、手伝えて、喜びもある。それが、どうして可能になっているのかを教えてください。

もともと根底にあるのは、子育てって楽しいんだということ。その子育ても期間限定でその期日はまじかに迫っているという感覚でしょうかね。それと、私の子どもに生まれてくれてありがとうっていう感謝の気持ちも強くありますね。私たちの親の世代では、お父さんが仕事をして、お母さんが家事をしてという時代でしたよね、私の妻もフルタイムで働いていますので、わたしの子育ての関わりは、はじめは保育園に連れていくところからはじまりました。スーツを着て、抱っこをして保育園に連れていくのがすごく楽しかったですよね。

今でも小学校の途中まで送っていったりしていています。娘はパパもう来ないで一人で行けるからって嫌がっていますけど(笑)

それから、一緒に勉強をするようになって、今まで経験できなかったことができる、これってなんて楽しくて幸せなことなんだろうって思っています。家庭学習を子どもといっしょに親がすることをみなさんにもどうぞといっているのははそこにあるんですよ。
こんな楽しいことをやらないと損だよって。
時間が出来たらやろうなんて思っているうちに、タイムリミットはすぐ来てしまうよって。

育児って、そんなに長いことじゃないんですよ。赤ちゃんのときに夜泣きして抱っこしてノイローゼになるなんて話を聞くじやないですか。でも、それはほんの一瞬のことで、あとでやりたいと思ってもできませんものね。

小学校の勉強までなら、通常の教育を受けた親御さんだったらフォローできると思いますよ。でも、いきなり6年生の問題を説明してって言われるとつらいので、1年生のときから少しずつ関わっていくとよいですね。こんなに楽しいことがあるよっていう思いを伝えたいと思っているんですよ。

そんな家庭学習をしているうちに、たまたま私が娘のために作ったてづくりの問題が溜まってきたので、それをそのまま捨ててしまうのもなんだかもったいないな、こんなものでもお役立つご家庭があるのではないかなと思って、よろしければどうぞお使いくださいってサイトをつくって公開したのが「パパしゅく」の始まりでした。

小学生向け手作り問題集―パパしゅく

小川さんの場合は、ずっと娘さんの勉強を継続してみているからこそ、理解しているところやしていないところを把握することができ、それを補うためのコンテンツを探してくることができるんですね。このようなきめの細かいサポートは、親だからこそできることだと思います。そして、我が子の学習サポートをする楽しさを、もっと多くの人に知ってもらいたいということで「パパしゅく」で自作問題を公開するようになったという流れも素晴らしいですね。

これまでは、学習サポートと言えばTeachingしかなかったわけですけど、今は、動画などを使うことで、Coachingとキュレーションによって学習サポートができるわけです。これなら、仕事が忙しいお父さんでもできるし、お父さんの社会経験や情報収集力も生かせるんですね。

「パパしゅく」のタイムスケジュール

お仕事をしていて、そんなに時間がないと思いますが、「パパしゅく」は、どのようにしているんですか?

パパしゅくの問題自体は、印刷のたびに新しい問題が作成されるように工夫しているので、さっと印刷して使えるようになっているんですね。
つくる手作り問題も、計算練習が中心ですから、小学校では高度な計算なんてするわけではなく、足し算、引き算、掛け算、割り算が主ですから、表計算ソフト(Excel)で、かんたんなものを作る程度なので、これも時間はかかりませんでした。

パパの手作り問題がすべてではないんですよ、市販の問題集から、学校で習っている単元の部分を抜いて1日の分をセットしてファイルにしておいておくんです。これは、10日分くらい休みの日なんかにまとめてやっています。

仕事で遅くなるときもあるし、娘が家庭学習をしている時間に間に合うときもあるんですけど、パパはその丸付けをするという感じでやっています。
早く帰れた時に、娘の横に座って学習する様子を見ると、娘は煙たがりますけどね(笑)

時間帯は、夕食後、だいたい7時から9時くらいの2時間くらいをやっていますね。

市販の問題集は、断裁してスキャナで電子化したものを印刷して使っています。
いわゆる自炊ってやつですが、理解が充分でない単元があれば、同じ問題を再度解かせるためにそうしています。

少しずつとはいえ、毎日家庭学習をしていますから、1つの単元で問題数が足りなくなることが多いので、アマゾンで何種類かの問題集を買っておいて、休みの日のときに自炊して、印刷して、単元ごとに分けておいて、そこから組み合わせて、1日分のパパしゅく、として娘には渡しています。

データ化するところが、ITの分野で働かれている方の発想の気がしますけどね。

娘の通っているのは私立の小学校なので、あまり教科書を使わず、学校独自のプリントを使っているんですけど、必ずしもシステム化が進んでいるわけではないようで、切り貼りしたものを原版にしているんでしょうね、それをコピーしているようなんですね。データ化しておけば楽なのにな、なんて思いますね。

家庭学習だと、弟や妹でもいないかぎり、1回しか使わないので、電子化するメリットはたまにもう一度学習させたいという場合のためだけなのですが、学校では毎年使うのですからそんな工夫をすれば先生の作業だった楽になるのになって思ったりしますね。
改廃だって楽でしょうにね。

予備校講師をやっていたとき、解答プリントをスキャナで読み込んでデータベース化することで、労力が大幅に減って、ようやくプラスアルファの仕事ができるようになったんですよ。

算数は単元ごとに準備していますが、国語の家庭学習は市販の問題集が中心ですね、長文読解を1日一題するようにしています。漢字練習は、ネットで無料の練習用のプリントがあるので、娘の学年用の漢字練習プリントダウンロードして使っています。

ミックスするのは必要かもしれませんね。

娘はいま小学生ですが、私立の学校に入学したので、受験をしているんですよね。いわゆる「お受験」というやつですね。お受験の準備というのは、3歳から4歳くらいから始めるんですよ。わたしはその頃仕事が忙しかったので、妻にまかせっきりでしたけどね、娘はそのころから、毎日、家庭学習をしていましたので、それが、娘の当たり前になっているんです。「パパとママは会社にいってお仕事をしているよね。君のお仕事はパパしゅくをすることだよ。」って言っているので、家庭学習をするのが当たり前になっているんですね。だから、病気で熱でも出さないかぎり、しないという日はないですね。
なんだか、こんな話をすると、もうれつに勉強していて、さぞや成績も優秀だろうなんて思われるかもしれませんけど、成績に関しては全然そんなことは無いですね。
学習の内容をきちんと理解していれば、かならずしも100点である必要はないよって思っていて、お友達でわからない子がいて、君がわかることがあれば、教えてあげてね、そんなことが最も大切な事だよって言っているから、成績はクラスで中の上って程度です。

小川さんのお話をうかがって、仕事を通して身につけた「効率的な作業手順を見つける」という思考が、随所に見受けられました。今は、Scansnapのような安価で便利なドキュメントスキャナがあるので、本1冊をまるごとデータ化してしまうことは簡単です。これを休日にやっておけば、空いている時間を使って問題を選んでプリントアウトしておくことができます。ちょっとしたことのように見えますが、データ化することで、モノを持ち歩かずに済み、空いた時間を子供のサポートに使えるようになるんですね。

習慣化すれば、勉強するの当たり前になる

毎日2時間の勉強時間というのは、お子さんにとってはずっと続けているから当たり前という感覚になっているんですよね。以外と子供にとっては負担感はないですよね。ご飯食べるのとかと同じ日常のルーチンに入っているので。

通学が電車で片道1時間くらいかかるので、4時半くらいに帰ってくるんですよ。それで、二世帯住宅なんですが、おばあちゃんのところに行って夕食を食べてすこしのかんのんびりして。そうこうしていると、学校の宿題とパパしゅくをやりはじめて、9時ころまでに終わる感じです。その他に、ピアノやスイミングスクール、なんかにも楽しそうに通ってます、それでも自宅学習の時間は毎日2時間くらいは取れますね。

小川さんが宿題の丸付けをするんですか?

帰宅が間に合えば、私が丸付けしています。そうでなければ、子どもに自分で丸付けをお願いしています。理解の程度によってはフォローが必要なものは私が丸つけするようにしています。たとえば、国語の長文読解とか、算数は、あっこれ理解していないな、なんていうのは、回答をみるとわかりますから、フォローのためにも、私がチェックをしています。

自分で丸付けしてね、と娘にお願いしているのは、計算問題とか、都道府県の形を見て名前を書く問題とか、すでに覚えていて、定着のために反復練習しているようなものですね。

最近は、わたしがこれは娘に見せると良いなと思う、動画授業があると、手書きで
たとえば、
「ふるやまん先生のxxx授業動画を見てね」

なんて書いて、「よく分かりました」というチェックボックスを作って、動画をみたら娘にチェックをさせるなんてことをしています。
帰宅後や、翌日、どうだった?よくわかった?なんて会話しながら理解を確かめたりしています。いま娘が学んでいる単元や、すでに学び終えた単元でも、なるほど、この説明はよく分かるななんて思ったもので、娘に観させるとよいな、ためになるなと思うような動画があれば、それを観させるという感じですね。

動画を選ぶときの基準は、長すぎないものにしています。10分を超えるものは娘には集中するのが難しいだろうなと思って、短いものを選ぶようにしていますね。

お子さんが、すごく興味を持つというような、食いつくものというのは何かありますか? 

性格でしょうか、あまりそういうのがないんですよね。自分専用のiPadを持たせているので、動画授業を見たついでに、なんだかお勉強には関係のないものを見ているようですけど、それは楽しいみたいですね。アニメ動画なんかも見ているみたいですけど、やることやっていればどうぞお好きにということにしています。

家内はネット動画ということを少し気になるみたいですね。何を見ているか分からないからコンテンツフィルターをかけたほうが良いと言ったりしているんですけど、いつまでも親が制限できるものでなないので、娘には危険性だけ教えて、あとは本人に任せています。

興味あるのは、Youtubeのアニメ動画のようですね。
ゲームはあまり興味がないみたいですね。

習慣になっているから勉強をするのが当たり前というのももちろんありますが、勉強の時間が、親子の交流の時間になっているというのが、子どものモチベーションを上げることに大きな役割を果たしていると思いました。

英語とプログラミングを学ばせたい

学校の勉強の外に、中学生になったら、こんなことを勉強してほしいなという見通しはありますか?

会社の同僚と、今の子供達が社会に出たそのときは、きっとそうなっているだろうねとよく話していることがありますね。

きっと、その頃は、日本人とだけで仕事をしているなんて事はなく、世界中の優秀な人達と一緒に仕事をしているだろうねって。仕事をする場所だって日本かどうかも分からないねなんて話をしています。たまたま私の会社は、インドのIT会社の資本が入って、最近はオフィスにインドの人がどんどん増えているんです。

娘が社会にでるときは、付加価値の高い仕事がますます重要になっている、まっていてもお仕事は何もない、自分で課題を見つけて、問題を解決してゆくことが大事になるだろうなって思います。
そんな環境には、英語はコミュニケーションの手段として必須だろうなということも強く感じています。

それと、私は、ITの仕事をしているということもありますが、子供たちには、プログラミングの勉強してほしいなと思いますね。

30年ほど前は汎用機と呼ばれる大きなコンピューターに端末がつながっていたものがコンピュータシステムだったのでとても単純だったのですが、今のコンピュータシステムってインターネットでコンピューターどうしがつながっている、そのインターネット全てがコンピューターシステムって言えるわけですね。そのような環境での技術ってはどんどん専門分化しているのですね。だから、コンピュータシステム全体が分かる人なんていない、とても複雑になったなって感じているんです。でも、そんな複雑なコンピュータシステムも突き詰めてゆくと、プログラムに行き着くんですね、だから、初等教育の一部としてプログラミングを学ばせたたらいいなと思っています。でも、学校の教育現場では、まだそんなレベルではないんですよね。「情報」という授業はあるようですけど、娘に聞いてみると、たとえば、ワープロでカレンダー作るといった程度なんですね。せっかく最新のコンピューターが整然と置いてある教室があるのに、教えられる先生がいないからなんでしょうかね、プログラミングを学ぶことに使われないのは、とてももったいないと思いますね。

イギリスでは、コードを小学校で全員学ぶことになったんですよね。でも、日本だとそういう状況ではないですよね。

eboardの代表の中村さんとお話したときに、eboardは外部に委託して開発しているんですか、それともITに詳しい方が担当しているんですか、と聞いたら、全部自分で作っていると話されていてびっくりしたことがあるんですね。

中村さんは、システム開発に携わるお仕事をされてたそうで、なるほどと思いました。

その話のなかで特に印象的だったのは、いろいろな社会貢献の取り組みをしている人達と会う機会があって、素晴らしいと思えるアイディアを持っている人にも会うけれど、そのアイディアはITを活用すれば実現できるのになと思うことがよくあるのですが、その方は実現の手段を知らないためにできない、ずいぶんともったいないことだなと思うことがよくあると。

私はシステム開発の仕事をしていたので、アイディアをITを使って実現する手段はよくわかります。それがお仕事でしたので当然のことなのですが、そのような話を聞くと、たしかに手段がわからなければ、いくら良いアイディアがあっても実現できないことがあるなと改めて思ったわけですね。
ITがあれば、アイディアすべてを実現できるということではありませんが、今はITって大きなポテンシャルがありますよね。

子どもたちがいずれ社会に出て、なにか新しいことを始めようとしたときに、それを実現するための手段の一つとして、プログラグラムの事は知っておいてほしいなと思うのです。

僕は理工学部出身なんですけど、大学院まで理論物理をやってきて、科学計算のプログラムをフォートランで組んだりはしていましたけど、実際にモノを作った経験をほとんどせずに来てしまったんですよね。

物理を勉強してきて、テストで点数は取れるし、点数を取らせる方法も分かるから予備校で物理を教えることもできるんですけど、でも、自宅の配電盤を開けていじれと言われたらいじれないし、勉強してきたサイエンスの知識と現実の世界とがもっとリンクしたほうがいいんじゃないかなと感じているんです。

だから、子どもには、もうちょっと現実とリンクさせた形で学ばせたいなと思っていて、Maker Spaceみたいなところに一緒に行って、はんだ付けしたり、電子工作とかを、親子でやろうと思っているんですよ。  

私は、たまたま、ソフトウェアですけど、ものを作る仕事をしてきたので、ソフトウェアによる実現手段とかはわかるのですけど、その次というのは、ハードウェアも含めてソフトウェアかなという気がしますね。ベンチャーで面白いことをやり始めているところって、ソフトウェアだけでなくハードウェアも一緒にやっていますよね。アップルのスティーブジョブスなんてハードウェアもソフトウェアも一緒にデザインしていましたしね。

娘には、自分ができることから仕事から選ぶのではなく、自分がしたいことを仕事にできるようにさせてあげたい、そうさせてあげるのが親のつとめかなと思っています。

この間、サイエンスフェアに行ったときに、3Dプリンターで部品をプリントアウトして、組み立てるプロジェクトを紹介していたんですね。面白いものがたくさん出てきていますよね。個人レベルで面白いものができるんだということが分かって、商品を見たときに、どうやって作ったらいいのかイメージできるのと、消費者マインドで見るのとでは違ってくると思うんですよね。世界の見え方、かかわり方が。自分で何かを作って解決していくという世界観を子供とシェアしたいですね。

ソフトウェアの仕事をしていた立場から、今の日本を見ると、もったいないなと思うのは、日本人ってハードウェアはとても上手に作るのに、ソフトウェアが上手じゃないなと思うんですよね。

ハードウェアを動かすためにプログラミングする。自分が意図したとおりに、自分が作ったハードウェアが動いてくれるという経験をするというのは、ハードウェアづくりが上手な日本人にとって、これからとっても大切なんじゃないかなと思いますね。

日本はモノづくりが強いと言われていますけど、理系に進んでも、高校までにモノづくりの経験を学校でしないし、大学でも工学部に行かない限りは、モノづくりに触れないまま、大学卒業してしまったりするんですよね。

確かに、ハードウェアを作るという経験は、高校までにないですよね。大学に行って専門になればあるのかもしれませんけど。プログラミングも体系化されたものはないですね。IT企業の研修なんかには結構体系化されて良いものがあるので、そういうものが学校に入ってってもいいんじゃないかなと思うんですけどね。

これも反転授業の研究で知ったのですが、

米系のIT企業の日本法人が、高校生にシステム開発の講座を反転授業形式で行うという取り組み。「ウチの会社もこういうのいいんじゃないの?」って、CSR(企業の社会的責任)の担当者に伝えたんですよ。

そういう取り組みからでもいいから、学校の中にコンピューターの教育が入っていくといいなと思いますね。

去年、奈良女子大付属高校のサイエンス研究会とシンガポールの高校の情報のクラスを試しに繋いでみたんです。一緒にPythonでgoogleのアプリを作るというプロジェクトをやっていたんです。プログラミング教育を学校として力を入れているのはシンガポールのほうが進んでいるんですが、サイエンス研究会の生徒たちはかなりマニアな人が揃っているので、レベルも揃っていたみたいで、よかったみたいなんです。英語でのコミュニケーションも、間にプログラミングが入ることでスムーズになるみたいなんですよね。これは、いろいろ可能性がありそうだと思いました。

そうですか、まさに、私がいま置かれている環境も、そんな感じなんですよね。

インドの技術者たちといっしょになって1つのことを実現しなくちゃいけないということになると、英語は共通語としてとても重要ではありますが、いろいろあるコミュニケーションの手段のひとつなんだなって感じます。

目的が共有できれば、重要なのは、それを実現する新しいアイディアだったり、課題解決の力だったりします。

たとえば学校教育の英語って、どうしてもそれが目的になってしまうのは仕方がないことかもしれませんが、英語って目的でなく、手段なんだよねっていうことが伝えられる良い試みですね。

そんな風にえらそうに言ってますけど、不自由な英語が自由に操れるようになりたいってただいま必死にお勉強中なんですけどね(笑)。

その場合でいうと、プログラムができるということがゴールだから、英語は手段に過ぎなくて、いろんなことをあれこれしゃべってプログラムができればいいんですよね。そういう体験があると、語学に対するとらえ方が変わってきそうですよね。

最初に経験があって、あとで文法とかが分かってもいい気がします。最初は、どうしてもそれに縛られて萎縮しちゃいますよね。

ある共通の目的のために一緒にやるということがあって、言語の壁があるときには、それは、壁ではなくなるのかもしれないですね。いい経験ですよね。

あと、そういう経験ができるのはITがあるからだと思うんですよね。

うちの会社もオフィスツールを新しいものに変えたんですよ。そうすると、1つの文書を複数の人で作成することができる環境になったんですね。

今までだったら、バージョン管理しながら、ある程度の品質までつくりあげた文書を人に渡す、という仕事のしかただったのですが、、環境がわかることによって仕事のしかたも変わってくるんですね。

関係者がバソコンを持参して集まって、ああでもないこうでもないと言いながら1つの文書に皆が書き込んでゆく、1つのものを話をしながら作っていくco-workのスタイルになってくるんですよね。

ITを介して人と人がリアルタイムにつながってゆく、田原さんがシンガポールと日本をつないでプログラムをつくりあげたように、物理的な距離も超えて、海外の人とも co-workできるんですよね。

そういうことは、どんどんできてくるかなと感じていますね。

最近古山さんが動画授業を作って公開されると、それに合わせた問題を作って公開したりしているんです。

古山さんは大阪で、私は東京と、距離を超えてコラボレーションできるのは楽しいなと思います。今までだったら、大阪の古山先生の授業を受けるなどということは、うちの娘からすると生涯経験できなかったことだなって思ったりしますね。ITの良さですね。

仕事をバリバリしている親が家庭学習に関わるメリットの一つは、仕事を通して感じている時代感覚を、家庭学習に反映できる点なのではないかと思います。小川さんがインド資本のIT系の会社でされているような仕事の形態は、今後、どんどん広がっていくようなものだと思います。それを肌で感じながら、子どもの将来を考えて、必要なスキルを身につけさせていくということは、工夫次第でできることなんですね。その可能性を、小川さんがまさに切り開いているのだと思います。

インターネットを使って学ぶメリット

旧来の学び方に比べて、インターネットを使うメリットをどのようなときに感じますか?

同僚とよく話をするのは、インターネットができてから、知的なレベルはすごく上がったね、ということです。

今まで知りえなかった情報にリーチできたり、知らなかった価値観に触れられたりとか、知的なレベルがそれ以前に比べて圧倒的に上がっている気がします。

一時流行りましたよね、娘には調べた言葉を書き込んだ付箋を貼る「辞書引き学習」をさせているんですけど、最近は、少し躊躇しているんです。紙の辞書を引くことの意味とネットでの検索との違いはどうなのかということを考え始めて、答えが出せていないんです。

いままでは、娘が持っている小学生向けの辞書引いて、載っていなかったら、パパの辞書(広辞苑)をパパが引いてあげて説明するということをしていたのですが、最近はGoogle先生に聞きなさいって言っています。

インターネットの中にある情報って、質の高いものも低いもの玉石混淆ですよね、子どもって意外と賢くて、これは胡散臭いとか、これは信頼してよさそう、というのをちゃんと見極めるんですね、正しくない情報を真に受けるのではと心配するほど子供って愚かではないなって娘の様子をみて感じています。

実践を通して、情報リタラシーの力もついてきますよね。

娘が小学校2年生くらいのときに、学校の国語の宿題プリントに「雲海」という言葉が出てきたのですが、娘はわからず「これ何?」って聞いてきたものだから、例のごとくまずは辞書で調べなさいって言おうとしたんですけど、雲海を辞書調べて説明を読んでも見たこともない雲海は理解できないだろうなと思ったんですよ。

iPadで画像検索をしてごらんと言ったら、山の上から雲を見下ろしている写真が出てきたんですね。

それで、下からみると山に雲がかかっている時があるよね、でも頂上は顔をのぞかせている山ね。もしも、その頂上から下を見たら曇ってこういう風に見えるよね。これって、海みたいに見えない?

と言ったら、「あー!」と言って、言葉とイメージがつながったみたいなんですね。
いっぺんに漢字も覚えちゃいましたね。

そんなことをきっかけに、動画検索もするようになったんですよ。

やはり国語の宿題プリントに「こけし」の話が出てきたんですけど「どうやって作るか知ってる」なんて話になって「回っているろくろにつなげたこけしに、筆で書くんだよ」と説明してもピンと来ないので、youtubeで見たんですね、百聞は一見にしかずってやつですね、もちろんよくわかって面白いねーなんて話をしたんですね。
経験にまさるものは無いって言いますけど、それはそうだって思いますけど、そう簡単に山の頂上に行けるわけでもないし、そのとき幸運にも雲がかかるかなんてわからない、こけし作りの工房をちょっとお邪魔しますというわけにもいかない、インターネットがあっから理解ができたことだと思いますね。

インターネットの発展により、今までは不可能だったことが、いつの間にか可能になって来ています。その中の一つが、「フルタイムで働く親による家庭学習サポート」だということを、小川さんの事例は体現しています。

親子でいっしょに学ぶメリットはとても大きいです。

親が一生懸命学ぶ姿を見て、子どもは主体的に学ぶ姿勢を身につけるのです。

困ったら、助けてもらえる安心感があるから、頑張れるのです。

さらに、それは、親の社会経験を、子どもに伝える貴重な場でもあります。

小川さんの挑戦は、子どもの勉強をサポートしたいけれど、忙しいから無理だとあきらめていたお父さん、お母さんに、希望を与えるものかもしれません。

「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」の難波弘二さんにインタビュー

今回は、「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」というワークショップを主催している難波弘二さんにインタビューしました。

僕が難波さんのことを知ったのは、探究学舎の宝槻泰伸さんのFacebookの投稿記事を読んだのがきっかけでした。

それは、次のような投稿でした。ちょっと長いですが、宝槻さんの投稿を引用します。

先日、1通のメールが届いた。

「本を読みました。講演に登壇してください」

という主旨のメールで、色々と条件を伺っていると、知的好奇心をくすぐる授業をしてほしい。そしたら90分で15万円謝金を支払ってくれるという。

なかなか良い仕事じゃないか!と思って話を聞くことに。

相手はてっきり40・50のおじさんだと思っていたら、

なんとメールをくれたのは18歳の高校3年生!

しかも岡山県民で、今日の打ち合わせのために新幹線で来たのだとか!

色々と話を聞いていくと、全部自分の貯金をはたいてこのイベントをスタートさせようとしていると判明。交通費や会場費に僕の謝金なども含めたら完全赤字。そんなイベントをなぜやろうと思ったのか?

さらに話を聞いてみると、そこにあったのは強い想いでした。

以下、本人の自己紹介分です

—– ここから引用 —–

こんにちは、「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」代表の難波弘二と申します。

岡山県に住んでいる18歳です。18歳と言うと高校3年生の歳ですが、僕は高校には行っていません。正確に言うと、高校を2回中退しています。まず、地元岡山県の高校を中退し、その後オーストラリアの高校に転校しました。が、そこも数ヶ月で中退しました。そして、その後「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」という団体を立ち上げ、今に至ります。

もう少し詳しく過去を振り返っていきます。

まず、はじめに在籍していた岡山県の高校ですが、ここでは本当に良い友達に恵まれ、楽しい学校生活を過ごしました。本当に満足のいく学校生活だったと思います。ただし「授業」の時間を除いては。

学校行事、部活、友達には満足できましたが、学校にいる時間の大半を占める「授業」に対しては、大きな不満がありました。なかには心の底から「面白い!!!」と思える授業はありましたが、大半は「あー、時間もったいないな」と思う授業ばかりで、内職ばかりしていました。(今となっては、先生方に申し訳ないですが…) そして、「一日6時間近く授業を聞いて、面白い!!!と思えるのは、ほんの数十分。だったら、家で好きなことしてた方が5万倍有益でしょ。」生意気にも、そう考えていた僕は、次第に学校を休みがちになり、結局中退してしまいました。

そんなとき「海外の授業では、ディスカッションをメインで行う」という噂を耳にし、調べてみたところ、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの高校ではそのようなスタイルで授業を行っていると分かり、「それなら絶対面白いだろう」と思い、オーストラリアの高校に進学することにしました。

しかし、いざ授業を受けてみると、「うん、確かにディスカッションはしてる。でも『みんなの国では、誕生日ってどうやって祝ってる?』とかディスカッションしてどうするの?」と思うような授業ばかりで、「授業のスタイルは好きだけど、内容が伴っていない。そんな授業受けても、英語ペラペラになるだけで、知識とか増えないでしょ。」と思うようになり、結局こちらも中退してしまいました。

このように、2つの異なる国の授業を経験し、そのどちらに対しても不満をもったことで、「授業を変えたい」という思いが人一倍強くなりました。

そして、現在「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」という団体を立ち上げ、「授業」を見直すイベントを企画しています。このイベントでは、「両者の視点から授業を考える」をコンセプトに、生徒と先生が「本音」で授業について対話を行い、お互いに歩み寄っていきます。では、なぜ生徒と先生がお互いに歩み寄らなければいけないのか。それは、授業はコミュニケーションだからです。コミュニケーションの基本は、お互いがお互いを知り、歩み寄ることであり、これなくして成立しません。しかし現状は、両者の間には大きな隔たりがあり、生徒は「もっと面白い授業してよ!」と思っているし、先生は「もっとちゃんと授業聞いてよ!」と思っています。これでは、授業がよくなるわけがない。そう考え、このイベントを企画しました。

以上が、僕の過去および現在になります。

最後に、僕の教育に対する思いを、僕の未来として述べて終わりにしたいと思います。

僕が理想とする教育。それは「生徒が自分の好きな分野で高いパフォーマンスを発揮する」そんな教育です。だから、授業は選択制にするべきだと思っています。しかし、授業選択制という、上っ面の「制度」をいくら取り繕ったところで、授業という「現場」を改善しなければ、この理想は絵に描いた餅になってしまいます。

だから、僕は授業を変えたい。授業を変え、現場を変え、そして教育を変えたい。それが、複雑に絡み合った教育問題を解決する一歩となると信じているから。

難波弘二

この投稿を読み、難波さんとはどんな人なんだろうかと興味がわき、インタビューをすることになったわけです。

「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」について

難波さんは、アクティブにいろんな人と会っていてすごいですね。

いえいえ、紹介していただいてるだけなので。(笑) 最初に宝槻さんに連絡を取ったんですが、そこからいろんな方を紹介していただいて、会っていただいてる感じです。

宝槻さんが最初だったんですね。

はい。イベントのゲストをお願いしたいと思ってメールを送りました。そしたら、宝槻さんはメールの文面から僕のことを40歳のおじさんだと思っていたらしくて、でも会ってみたら18歳だったということで面白がっていただいて、そこから、いろんな方を紹介していただきました。

ちょうど反転授業の勉強会で越境者というものが話題になっていたんです。教師と生徒がともに枠組みを出て手を結ぶところからLearningが始まるんだということがテーマになっていたら、ちょうど難波さんの話が出てきて、「あ、この人が越境者じゃん!」と思ったんですよ。笑 それで、背景をうかがってみたいと思ったんです。

なるほど。イベントの話をすると、僕のイベントのターゲットは先生と生徒の2者なんですけど、どちらかというと僕は先生のほうに重きを置いています。先生は学会とか研究会とかに出ていますが、そこに「生徒の声」が入らないのはおかしいと思って。学会とか研究会で得た知識をはじめて試す場が実際の授業ってリスキーすぎると思うんです。だから、それを実験する場をつくろうと。しかも実際の授業でも、フィードバックを得る場というのがたぶんあまりないんです。生徒が寝れば、「面白くない」というフィードバックですけど、そこそこの授業であれば、フィードバックってないんですよね。だから、学会で得た知識を使って授業をつくり、それをその場で生徒に評価してもらう場を生み出したいなと思いました。先生と生徒を集めて一緒に授業を作ればそういう場になるんじゃないかなと思って企画しました。

新しいなと思うのは、ただ対話するだけじゃなくて、フィードバックをするんですね。それは、おもしろいですね。

僕は、ぶっちゃけトークをしなければ先生と生徒との間にある「壁」は壊れないと思っているので、まずは垣根を無くして対話をすることが必要だと思っています。それに加えて、ただ対話するだけで終わらせずに、実際に授業を作ってみるというのがとても大事だと思っています。
というのも、たとえば、お母さんと子どもがお弁当についてただ対話しても仕方がないと思うんです。一緒にお弁当を作ってみてはじめて、歩み寄れると思うんですよ。子どものほうは、お母さんはこんなに苦労してお弁当を作っているんだなというのが分かるし、お母さんのほうは、子どもってこういうのが好きなんだなというのが分かると思うんですよ。これは、実際に一緒にお弁当を作らないと分からない。だから、これの先生と生徒版をしようと。ただ授業について対話をするだけでは意味がない。共に授業を作る、それによって対話が生まれるという流れが自然だと思っているんです。

授業は先生と生徒の接点ですもんね。それを一緒に作るという共通体験をして、その体験を一緒に振り返ることによってぶっちゃけトークがそこから始まるわけですね。
先生はいろんな学校から参加し、いろんな科目で教えていると思うんですが、ワークショップで作った授業はどうするんですか?

最後にはプレゼンをします。班分けについては、最初は教科ごとに班を分けようと思っていたんですが、十分な人数が集まらないので、5人一班みたいな感じで人数で班を分けようと考えています。そうすると、班の中にいろんな科目の人がいる状態になりますが、その中で、教科に関係のない授業の大枠を一緒に考えていき、最後にその大枠の中に自分の教科を落とし込んで、プレゼンを行うという方法を考えています。

班には先生と生徒がどちらもいるんですか?大枠は班で1つ作るんですか?

はい、先生と生徒どちらもいます。大枠は一人一人が作ります。一人一人が持ち寄った大枠を、班員でフィードバックを加えてブラッシュアップしていくイメージです。たとえば先生が大枠を作ったときに、班にいる生徒が、「いや、先生、それは絶対面白くないよ」とか、「そんな風に宿題出しても、生徒は絶対宿題してこないよ。」とか、生徒側の視点からダメ出しして、先生が自分の大枠についてうーんと考えるじゃないですか。逆に生徒が作った大枠に対して、先生から「実際に先生になってみると、そういうのをやるのは厳しいんだ」というダメ出しがあれば、生徒はそれを受け止めて改善する。そんな感じで班員同士でダメ出しをしていって、それぞれの大枠を考えていくんです。

なるほど。みんながそれぞれの大枠を作って、相互にダメ出しをしたりしてフィードバックを送って、それぞれが大枠を改善していくということなんですね。それはおもしろいですね。

ありがとうございます。ただ、これは、反転授業のグループとかで同じようなことができていることを考えると、イベントという非日常の場で授業にダメだしをしていく必要は、この先無くなるかもしれないと思っています。というのも、金曜とか土曜の放課後とかに「先生、来てよ」という形で生徒が先生を呼んで、生徒と先生が一つのクラスに集まって、その中で、「先生、あの授業こうしてよ。」「いや、それは難しいんだよ。」とかということになると思うんですよ。それの先取りという形で僕がやっているだけで、あと2-3年すれば、そういうことが普通になってくるんじゃないかと思います。

なるほど。実際にやってみると、先生にとっても生徒にとってもインパクトがあることだと思うんですよ。ある意味、すごく身近なのに断絶しているところだから、生徒からのダメ出しとかすごく面白そうですよね。分かっているようで分かっていないことってたくさんあると思うんですね。本当は先生にとって一番重要な情報で、目の前の生徒からとれる情報なのに、その情報を取らないで10年たっているというようなケースもあると思います。生徒からそういう情報を取れるんだということに気づいたら変わってくるかもしれませんね。

そうですね。そこに気づいて、生徒からのフィードバックを吸収していけば、必ず授業のクオリティーは上がりますね。

それは、僕の中で熱いテーマなので面白いですね。

はい。ただ、それだけやったとしても授業のクオリティーを上げるには十分ではないとも思っているんです。っていうのも、先生と対話をして授業の質を上げたいと考える生徒って、ピラミッドがあるとしたら上のほうの生徒だと思うんですよね。ヒエラルキーの上ってことです。何を基準に階層分けしてるかって言うと、授業や勉強に対する関心です。授業とか勉強に関心がある生徒しか、授業にフィードバックを与えようと思いませんよね。興味ない生徒は端から授業聞いてませんから。授業聞いてないとフィードバック与えられませんからね。だから、ヒエラルキーの下の生徒をどうにかしてボトムアップしないと、結局クラスにいる生徒皆が満足する授業には近づかないなと。まあ、ボトムアップっていう言葉あんまり好きじゃないんですけど。一応、便宜上ってことで。で、ボトムアップして、みんなに授業に興味を持ってもらって、みんなが積極的にフィードバックするのが理想かなと。
では、どうやってボトムアップさせるのかと。
それは「勉強に感動する非日常の場」を用意することだと思います。っていうのは、反転授業とかやるじゃないですか。でも、そういう授業っていう日常の場で生徒の内発的な動機を引き出すのって難しいと思うんですよ。少し勉強面白いって思ってる生徒を、もっと面白いって思わせるのはできるけど、全く面白いって思ってない生徒を、面白いかもって思わせるのは難しいかなと。1を2とか3にすることは可能だけど、0を1にするのは難しいってことですね。
でも、非日常の場なら0を1にすることが可能だと思うんです。たとえば安藤忠雄さんが、地中美術館で建築の話をして、建築とはなにかを喋って、そこに高校生が絡んで、やりとりして、ワークショップみたいにすれば、参加する高校生が100人だとしたら、そのうち10人くらいは建築って面白いなと思うんじゃないかなと。そうやって、非日常で0から1になったものを、授業という日常で2とか3に増やしていく。そんな風に、非日常と日常が手を取り合って、みんなが授業の方を向くようにすれば、自然と「こうした方が授業ぜったいおもしろくなる!」「いや、こういう方がおもしろい!」みたいな対話というかやりとりが生まれると思うんです。

難波さんのお話をうかがっていく中で、難波さんがどのようにして教育を変えようと思っているのかというストーリーが見えてきました。整理すると、次のようなストーリーになっているのだと思います。

(Step 1) 非日常のリアルの場で「本物」に出会うことで、勉強を全く面白いと思っていない人に「面白いかも」と思わせる。(0を1にする)

(Step 2) 生徒が先生に授業に対するフィードバックを送っていくことで授業を改善していく。(1を2,3・・にしていく)

Step1の「0を1にする」という部分について、さらに詳しく聞いてみました。

「夢」が果たす役割について

宝槻さんも、知的感動体験の重要性を言っていますよね。

はい。そこにはとても共感しますね。宝槻さんは「探究シネマ」で、動画を配信しているわけですが、あれは面白いですね。ただ、動画でコンテンツを配信するのは、限界があるとも思っていて。と言うのは、あれを見る人って限られますよね。数学に全く興味ないひとはおそらく見ないんじゃないかなと思います。それよりも、数学に少し興味がある人が見ることで、もっと数学に興味をもってもらうという流れなのではないかなと。さっきの話でいくと0を1にするのではなく、1を2とか3にする感じですね。だから、動画を配信することも大切だけど、それに加えて、たとえば、学校が地域に密着して、授業に地域の数学の達人を呼んでその人に話をしてもらうというような場も必要なんじゃないかと思うんです。さっき言った「非日常の場」を学校のなかにつくるってことですね。これなら、数学に全く興味ない生徒でも聞くことになりますから。動画で配信するよりもリーチがありますよね。遠くの生徒にも手が届くってことです。

松嶋渉さんのやっている萩LOVEハイスクールだと、地域の職人さんとか、地域で活躍している人のところに行くんですけど、あのようなイメージが近いんですか?

そうです、そうです。松嶋さんとお話しして、すごくインスピレーションを受けました。

僕は、そのへん、ちょっと迷っているところがあって、難波さんはどう思うかなというところに興味があるんです。最近、NPOカタリバの今村久美さんの記事を読んで、「夢」について考える機会がありました。

「自分の視野が狭いことに自覚的であった方がいい」――認定NPO法人カタリバ代表・今村久美さんインタビュー

僕の場合でいうと、ブルーバックスの本に影響されて物理を勉強したいと思って、それに牽引されて大学、大学院まで進んだんですが、うまくいかなくなって、バサッとそこで止まってしまったんですよね。今村さんも書いているように、夢というのは、過去の視野が狭かったときに描いていたものですよね。僕の場合は、中学生のときにブルーバックス読んで・・とかです。中学生のときは、他のいろんな職業のことを知らないで決めているんですよね。ダメになってからは、どうやって生きていったらいいんだろうと思って、バーッと横に広げて探す感じだったんですよね。それから20年くらいは、夢じゃなくて、そのときにこれやったらいいかなと思ったことを、いくつもやって、芽が出たところにリソースをつぎ込んでと行くという繰り返して、一歩進むと視界が変化して、また、種を撒いてという繰り返しで、あまり長期的な目標を立ててそれを目指していくという感じじゃなくなったんですよね。

夢で牽引していくと、成長して広がっていく視野を無視してしまうんじゃないかということも感じているんです。

夢で牽引していっていいんじゃないでしょうか。狭い視野のなかで夢を決めて、リソースを一気につぎ込んで行動すれば、視野が広がって新しいものが見えてくる。そして、そこにまたリソースをつぎ込んでいく、みたいな感じでいいのかなと個人的には思います。まさに、田原さんが今おっしゃった感じですね。これは最近僕が思ってることですが、よく「自分が一番やりたいことを見つける」とか言うじゃないですか。あれは嘘だと思うんです。そんなの見つかりませんよ。世の中にあることすべてを知れるなら、一番を決められるかもしれませんが、そんなことは無理じゃないですか。だから、今知っていることの中で面白そうなことにリソースをつぎ込めばいいと思います。ぼくは今、教育系に携わっているし、これからも携わっていきたいと思っていますが、これが一番やりたいことかというと分からないです。ただ、僕にとっての教育系が、田原さんでいう「物理が楽しいな」のように、面白いなと思えることなので、一歩を踏み出した感じです。それで失敗して夢が破れたときにどうなるのかというのは、そのときに考えればいい話で、いろんなことを先に知っておかなければいけないというのは、僕は間違いだと思ってます。

今、まさに枠組みを次々に突破し続けている難波さんらしい回答だと思いました。難波さんとのやり取りから気づいたのは、「夢」によって興味関心が狭まることもあれば、広がることもあるということです。もしかしたら「夢」という言葉を使わないほうがよいのかもしれません。

「既存のレールから選択する」ような場合は、自分が選択しなかったレールについては関心を失いがちで、興味関心の幅が狭くなっていきがちだと思います。しかし、今の難波さんや、現在の僕の状況は、「自分が思い描いている社会の実現のために道なき道を進む」というもので、そもそもレールがありません。この場合、あらゆるものからヒントを得ようとアンテナを張り巡らせているので、むしろ興味関心の幅はどんどん広がっていくわけです。

この2つを「夢」という言葉でくくるのではなく、区別していったほうが見えてくるものがあるということに気づかされました。

また、興味のない人が興味のあるものに出会うためには「非日常のリアルの場」が必要だという指摘も興味深いと思いました。

行動してみると、見えるものが変わってくる

行動を起こしてみて、いかがですか?

僕は、こういう風に行動を起こしたわけですけど、実はこれがはじめての企画なんです。こういう風に行動を起こすことによって、宝槻さんに出会って、宝槻さんから田原さんに出会って、田原さんから松嶋さんと出会って、いろいろな繋がりが広がってきたので、僕は行動してよかったなと思っています。視野もどんどん広がっています。だから、何か一つ面白いなと思ったら、それに向けて行動するほうが、いろんな選択肢を考えて迷うよりもいいと改めて実感しています。

反転授業のグループもそんな感じだったんですよ。僕はもともと河合塾の講師で、オンラインの予備校やっていて動画配信していて、今後、この仕事が成り立つだろうかと思って、友達を誘って、平日の夜、10人くらいでオンラインで細々ディスカッションしていたんですよ。そこから、あるきっかけがあって、1年くらいで2400にんくらいまで増えちゃってんですよ。僕は教育系の有名人じゃないから、それで集まってきたわけじゃなくて、面白そうだと思ってただやってみたら、いろんな物語が生まれてこうなってきたということなんですよね。だから、難波さんが言っていることは、よく分かりますよ。

このことを知っていると、ずいぶん違いますよね。やっていけば、予想していない何かがやってくるんじゃないかという予感がありますよね。

答が分からないものに対して、試行錯誤しながら進んでいくことを楽しめる人というのがイノベーターだと思います。難波さんは、間違いなくイノベーター精神に溢れた人だと思いました。そして、18歳にして、すでに、この楽しさを知ってしまい、どんどん行動しているので、これからの展開がとても楽しみですね。

日本の高校を中退してオーストラリアへ

メールのやり取りをしたときに、高校生のときに授業つまらなくて、でも古文の先生は面白くてということを書かれていましたが、それは、特別な感覚じゃないと思うんですよ。でも、宝槻さんや難波さんのように高校をやめてしまう人は少ないと思うんです。だから、普通の人よりも、そういうのが許せないという感覚が強いのかなと思ったんですけど、どうなんでしょうか?

ゆるせない感覚とか思いはみんなと同じなのかなと思いますね。友達の話を聞いていると、やっぱり同じようなことを感じているので。ただ、僕は、カッコツケシーなんですよ。高校辞めたらアウトローっぽくてかっこいいじゃないですか。振り返ってみるとそういう部分はあったと思いますね。中3のときにスティーブ・ジョブスに憧れて、スティーブ・ジョブスの言葉に「今日が人生の最後の日だったら、今からしようとしていることを本当にするか」というのがあるんですが、そういうのにも影響されました。もちろん答えはノーだったわけですが、それをただ思ったり、みんなに言ったりしているだけじゃなくて、やらないとかっこ悪いだろうと思って、実際に行動に移して、辞めちゃいました。

そこが、自分にとっての大事なストーリーになっていたんですね。

そうですね。まあ、プライドだと言えば、そうなんですけど。ていうか9割プライドですね。(笑)

それで、オーストラリアに行くじゃないですか。いろんな選択肢の中で、オーストラリアだったというのはどういう理由なんですか?

アメリカも選択肢としてあったんですけど、高校をやめたのが7月で、アメリカは9月からスタートで、オーストラリアは2月スタートだったんですよ。もしアメリカにいくと、高校入るまでが2カ月しかないじゃないですか。準備期間が2ヶ月じゃ辛いんじゃないかと思ってオーストラリアにしたんです。

オーストラリアに行くまでの半年はどんなことをしていたんですか。

オーストラリアの語学学校に行っていました。

高校辞めるまでは、オーストラリアについて調べていなかったんですよね。海外暮らしはその時が初めてですか?

そうですね。初めてでした。

高校はどうやって決めたんですか。

僕は公立を選んだんですけど、やっぱり私立は学費が高いんです。私立だと学費が払えないので公立を選びました。公立の中でどの学校にするかは雰囲気で選びました。公立はあまり学力差がないので。

2月からオーストラリアの高校に行ってみて、どうだったんですか。

最初は英語が分かりませんでした。語学学校だと非ネイティブ向けにやっているから、先生も加減して喋ってます。でも、生徒はそれに気づいてないんで、調子に乗るんですよ。英語わかる!って。僕もそうでした。でも、実際高校に入ってみると、先生ってネイティブに向けてしゃべるじゃないですか。だから、スラングも入るし、いろんな知識を前提にして喋るので、僕は全然わからなくて、めちゃくちゃへこんでいたんですよ。でも、2か月くらいしたら分かるようになってきて、内容が伴ってないと感じ出しました。それで、このままでいいのかなと思って、日本の高校と同じように辞めてしまいました。

ディスカッションとかアクティブラーニングのような授業形式をとっていても、扱っている内容がうすっぺらいって感じだったんですか?

そうですね。たとえば、Society And Cultureといって、名前は超カッコいいんですけど、実際受けてみると、それぞれの国ではどんなお祝いをしているのかを話し合うんですよ。そんなのどうでもいいじゃないですか。しかも、話し合うのは最初の3か月だけで、だんだん先生も面倒くさくなっちゃって、教科書を書き写せみたいな感じになっちゃって、一体どこの小学校…って授業になっちゃったんです。もちろん意欲がある先生もいますが、意欲がない先生が多かったですね。あとは、意欲があってもレベルが低くて内容が伴ってないとかもいました。

先生のレベル・意欲が低いんですか?それとも、生徒がやる気がないんですか?

どちらもですかね。ただ、レベルが低いことに関して言えば、これは文化的なものだと思っています。日本は高校でも内容を重視しますよね。ただ弁が立てばいいわけじゃなくて、難しいことを言えるのかということも重視されると思うんです。でも、オーストラリアの高校では、自分の意見を言えば、どんな意見でも丸ですよという雰囲気を感じますね。私立は知りませんが。そんな文化が根付いているので、内容があまり重視されないのかなと個人的には思います。先生が悪いとか、生徒が悪いとかというよりも、文化の違いですかね。ただ、これがアメリカになると話は別かもしれませんが。

アメリカとオーストラリアの違いかもしれませんが、MBAにおける戦略的な思考とか、会議を合理的にやるとかいうことになると、欧米のほうが日本よりも強いという印象があります。難波さんの考えでは、とにかく意見を言って理由を言う文化と関係していると思いますか。

関係してると思いますね。ただ、そういうMBAの戦略的思考とか、ロジカルシンキングとかって、アメリカとかイギリスとかの文化水準が高いところには浸透しているけれど、個人的には、オーストラリアにはあまり浸透していないのかなと感じます。私立高校や、大学はわかりませんが、少なくとも僕が通っていた公立高校で授業を受けた限りは、そのように感じました。

オーストラリアは資源もあるし、物価も高いし、雇用も守られている国ですもんね。オーストラリアでは、そんなに競争が厳しくなくて、そんなに頑張らなくても暮らしていける国だという印象がありますが、それでも上層部の優秀な人もいますよね。そういう人はプライベートスクールに行っているんですか?

はい。ほぼプライベートスクールだと思います。

どちらかというと、プライベートスクールに行かないような生徒が行く学校へ行ったら、「レベルが低い」ということになったということですかね。

そうですね。そこは、情報不足だったと思っています。もし、知っていたら、準備期間が2カ月であろうが、アメリカに行ったと思います。

オーストラリアに行ったから分かったこともありますよね。

あります、あります。一番大きかったのは、日本の高校に行っていては会うことがないような、たくさんの年上の方に会ってお話させてもらったことですね。

難波さんがスティーブ・ジョブスに憧れた部分というのは、「イノベーター」という部分だったのではないかと思います。イノベーターは、人が敷いたレールを進むのを嫌って、自分の感覚を頼りにして自分で道を作っていくわけです。レールの上を効率よく進むということをよしとする価値観に照らすと中退というのは「失敗」のように見えるわけですが、イノベーターの価値観に照らすと中退は、「レールから外れてイノベーターとしての一歩を踏み出す行為」というように意味が変わってくるわけです。このあたりが、とても面白いと思いました。

これからの時代のLearningの形

スティーブ・ジョブスからは、どんな影響を受けたのですか?

中3のときにスティーブジョブスに出会って、彼の考え方を知り、影響されて、大学に行かなくても成功する道があると気づいて、受験ベースの授業に対して反発するようになりました。

スティーブジョブスは、大学に行っていますよね。大学いかなくてもいいと思ったのは、どういうつながりになったんですか?

スティーブジョブスは、大学に行ったけど中退していて、大学で学んだ知識を使っているわけではないじゃないですか。大学を辞めてからもぐった授業で学んだことは使っていますが。それを考えると、大学に行かずに起業する道もあると思ったんです。

なるほど。僕のビジネスパートナーの一人に、イギリスに住んでいる20歳の女性がいるんです。彼女は、13歳のときに学校というものに我慢できなくなって辞めて、そのあと、一人でプログラミングの仕事をして生活費を稼いで、インターネットで独学で勉強して、起業してという経歴なんですね。僕と知り合ったときは18歳だったんですけど、40歳の僕よりもはるかに大きな視野で考えている部分があるし、すごくいろいろなことを知っているんですね。だから、彼女を通して、今は、インターネットを使って自分で学ぶことができる時代なんだということを確信したんです。

僕が大学院を中退した20年前は、大学を離れてから論文を調べようと思っても自由にアクセスできない状態で、「知が閉じ込められている」という感じがしたんです。
大学に所属していないと難しいんだなと思ったんです。でも10年後に、日経サイエンスのDIYバイオの特集記事を読んだんです。彼らは、インターネットのオークションで中古の遠心分離器なんか購入して、ガレージで実験して研究している人たちなんです。その記事を予備校の講師室で読んで、そういう時代が来たんだと思って興奮しましたね。自分も何か始めなくちゃと思いました。それで、ネットで論文を調べてみたら、昔はアクセスできなかったような論文にアクセスできるようになっていたんですね。時代は変わったと思いましたね。これからは、大学に頼らないでイノベーションを起こす人というのはサイエンスの分野でも出てくると思いますね。

そうなんですね。僕は、今田原さんがおっしゃったような、学校に頼らない学びが、これからのLearningの形だと思っていて、学校に頼らなくてもコンテンツは山ほど転がっているので、それを自分で探して、見つけて、勉強して、分からないところがあればフォーラムとかで質問し合っていけばいいと思います。それをみんなでシェアしたくなったら、学校に行くとか、あるいは、学校という存在がなくなって、近所にいるおじさんがファシリテーションするコミュニティができて、そこに質問しに行くとかになるんじゃないかと思います。
というのも、僕は、学校は、これから先何十年か何百年かしたら無くなるかもしれないと思っているんです。知識をつかもうと思えばつかめるので、学校という近代に確立した、上から与えて国民を画一化する教育システム自体がなくなってしまうんじゃないかと思っています。

反転授業というものを追及していくとそういうものにぶつかってしまうんですよね。上からコントロールしているピラミッド型の教育システムがあって、教師がその最前線にいるわけです。教室でシステム側に立つと生徒をピラミッド型の相似形でコントロールすることになるんですけど、教師が生徒の側に立って、その構造をひっくり返していくと、いろんなところが変わっていくという可能性があるんですよね。だって一番人数が多いところは最前線のところなんですから。

そこを変えていこうというムーブメントが生まれて、難波さんのような活動も出てきて、教室が変わっていき、教え込むのではなく、自分でLearningできるような力がついてくると、上からのコントロールがだんだん効かなくなるわけじゃないですか。その世代がじわじわ上がっていくと、メディアリタラシーもついてきて、プロパガンダ的なものも効かなくなってくるんじゃないかと思っていて、そこに希望を見出しているんですよ。

なるほど。しかも、最近地方創生がキーワードじゃないですか。地方に権力が降りていけば、そういうことがやりやすくなるんじゃないかなと。わからないことがあったら、ある分野に秀でた近所のおじさんがいるコミュニティに行って聞く。そんなコミュニティが広がっていって、最後の最後で学校という存在がなくなるかもしれないと思いますね。

学校に頼らないでも学べるという難波さんが、学校の代わりに考えているのが「コミュニティ」です。学校もコミュニティも人が集まっているという点では同じですが、集まり方、関係性が異なります。学校では「何を学ぶべきか」というものが決まっていて、場合によっては「どのように学ぶのか」というのも決まっています。学習者の自由度が低く、学習が義務のように感じられがちです。一方、コミュニティの場合は、主体的に「何かを学びたい」という気持ちを持っている人が集まり、グループ内で支援し合っていくというというボランティアベースの活動になると思います。自由度が大きいですが、うまく機能するためには工夫が必要かもしれません。

コミュニティによる相互の学習支援は、どのようにして実現できるのか、難波さんの考えをうかがいました。

コミュニティにおける学びあい

学校の存在がなくなったときに、「近所のおじさんに聞く」という言葉が、今、出てきましたよね。僕は、特に地方には、そんなに都合よくちょうどよい「近所のおじさん」はいないと思うんですよ。難波さんは、それについて、何か考えありますか?

もちろん、何でも知ってるスーパーおじさんみたいな人はいないかもしれませんが、学生の頃数学を研究していた近所のおじさんだったり、先生ではないけど、高校からアメリカに行っていて英語がすごくできる主婦の方とかはいると思います。その人たちでコミュニティを作って、インターネットで質問しても分からないからどうしようかというときに、そういう近所のコミュニティへ質問しにいって解決することができるかもしれないと思うんです。

ストリートアカデミーというサービスがあって、教えたい・学びたいのマッチングをやっているんです。有名な人じゃなくてもいいから教えたい人、たとえばプログラミングができるというおじさんが場所を借りて教室を開いて、勉強したい人が集まって教えてもらうというものなんです。ここで一番難しいのが、ちょうどいいおじさんを探すという部分だから、そこのマッチングをインターネットでやろうというサービスなんですけど、難波さんのイメージは、そんな感じですか?

そうですね。コミュニティを探すのはインターネットを使うけれど、実際に会うのはリアルの世界ですね。ストリートアカデミーは僕のイメージに近いです。

なるほど。僕は、それは細かいニーズ同士のマッチングだから、都会ではやりやすいけど、田舎ではやりにくいんじゃないのと思っているんです。僕は、地方にいたから、ストリートアカデミーは東京だからできるんじゃないの!と思っていたんです。僕は、ロングテールのマッチングの部分にインターネットの可能性を感じていて、たとえば、こうやってビデオチャットでしゃべっていると、会っているかのように感じられますよね。だから、そういうオンラインのワークショップ型の学びに興味がわいたんです。それで、ストリートアカデミーのCEOに会いに行って、「オンライン化しましょうよー」って言ったんですよ。「デンマーク語を教えられる人が岡山にいたって、採算がとれるほど生徒を集めるのは難しいですよ」とか言って。日本全体からうすーく集めるから10人集まって教室が開けるんじゃないですか。リアルはリアルでいいけど、オンラインにも広げると可能性が広がりますよーって話をしてきたんです。ストリートアカデミーはリアルで会うということを大切にしているサービスなので、話すだけで終わったんですけどね。

ロングテールのマッチングこそが、主体的な学びが立ち上がってくる場なんじゃないかと思っているんですよ。

なるほど。ただ、アメリカとかでホームスクールが流行っていることを考えると、日本にもその流れがきて、学校に頼らない教育が流行れば、リアルの場でもマッチングできるくらいユーザー数は獲得できるのかなと思います。反転授業にしても海外発祥で、それを日本が輸入しているじゃないですか。だから、それと同じで、学校に頼らない教育も、日本が輸入して流行りだすのかなと。

いろんなサービスがアメリカから5年遅れで流行るというのはあって、いろんな人がそういうスキームでビジネスを立ち上げていると思うんですけど、僕は、もうちょっと内的な動機といか、やらなくちゃいけないという必然性があって動いているんですよ。反転授業のグループは自己組織化ということを合言葉に活動しているんですけど、ヒエラルキーを作らないということをグランドルールにしていて、全員が横並びで、さん呼びで呼び合うようにするからこそ、自己組織化が起こると思っているんです。それを、サイバースペースで横に広げていって、リアルでは出会えない人と横に繋いでいってコミュニティで学び合うということになっているんですよ。そして、これは、オンラインだからできるんですよ。

なるほど。確かにそれを考えると、最初はユーザー数が足りないので、オンラインから入らないとだめですね。

うわ、頭いいですね。問題の本質にスパッと気づきますね。

リアルの場でコミュニティができるかどうかは、ユーザー数の「密度」によるという認識は、難波さんと僕との間で共通していました。難波さんがおっしゃるように、アメリカでホームスクールなどのオルタナティブ教育が広まっていることを考えると、将来的には日本でもリアルの場で学び合いのコミュニティができてくる可能性はあると思います。

難波さんが「リアルの場」に強い思い入れがあるということも伝わってきました。難波さんは、人の心を動かすためにはリアルの場での体験が重要だと感じているのだと思います。それが、ワークショップやリアルの場のコミュニティといったアイディアへつながっているのだと思いました。

学校と市場原理

話しているうちに、今度は、難波さんから僕への質問が来ました。

田原さんは、学校というものの中に市場原理を入れないといけないと考えていますか?

市場原理というよりも、お金をどこからもらうかということなんですよね。お金を外からもらうということは、ある程度、その影響を受けることになりますよね。それよりは、学びたい人、ユーザーから直接お金をもらうほうが、グループを自律的に運営できるから自分にとってはいいんですよね。だから、グループの中で価値創出をして、その価値に比べれば安いという値段を設定して、払ってもらって、お金以上の満足感を感じてもらうようにする。そのほうが、自分たちの中で回しているから、システムを変えていく力というものにつながりやすいんじゃないかなと思っているんです。

なるほど。資金調達の部分で、スポンサーをたくさんつけてしまったり、株式公開すると面倒くさくなったりという話と似てるかもしれないですね。こっちで利益を出したほうが、自分の好きなようにやれるみたいな。そうなると、やはり学校が自分でどれだけのお金を生み出せるのかという部分は重要ですね。たとえば、部活動でコーチを呼びたくても、人件費がかかるので、仕方なく自分でやっている先生もいると思うので。
今思ったんですけど、キャリア教育の一環として生徒がプロダクトやサービスを作って売って、その売り上げの一部を学校がもらうことはできないでしょうか。課外学習とかでやれば面白いと思うんです。

それ面白いですね。キャリア教育についてなんですけど、ビジネスのスキルが、学校にない場合が多いんですよね。でも、松嶋さんのように先生の枠組をはみ出してしまっている先生って、実はたくさんいるんですよ。でも、大学出て、直接先生になってしまうと、ビジネスの経験をする機会がないですよね。今、実験的にやっているのは、スモールビジネスを立ち上げて、そこにボランティアで何人かの先生に入ってもらって、10人くらいのチームを作っているんです。ストロングポイントの分析やブレストから始めて、僕も仕事のノウハウを提供して、それでサポートしている方を収益化して生活できるようにするということにチャレンジしているんです。そうすると、キャリア教育をやるときのアイディアになったり、確信を持ってできるようになったりすると思うんですよね。先生にビジネスマインドが備わってくると、生徒と一緒に面白いことができるようになるじゃないですか。それは、もしかしたらプロダクトを作るということかもしれないし、別のことかもしれませんけど。

それ面白いですね。ビジネスマインドに限らず、先生と、先生が持ってないスキルを持った人が手をつなげば、可能性がどんどん広がりますね。松嶋さんからお話を伺っていても、松嶋さんは他の先生が持っていないスキルを持っていると感じました。松嶋さんが持っているKnowledgeの部分を他の先生にシェアしてもらえば、先生にできることの幅がどんどん広がっていきますね。

Learningの輪があって、教師のLearningの輪が回っていくと、生徒はそれに触発されてLearningが回っていくんですよね。教師のLearningをどうやって回すかというと、リアルの場ではなかなかリンクできないから、オンラインでリンクして学び合いによって教師のLearningを回していって、それに触発されて生徒のLearningが回っていくというイメージなんです。
でも、普通は、先生と生徒の輪は、離れていてギアが噛まないんですよ。だから、先生が生徒から批判されることを恐れずに枠をはみ出していって、生徒も生徒という枠から出て歩み寄っていかないと噛まないんですよね。筒井さんは、まさにそういう問題意識の最先端の方で、それを噛ませるためにCTを入れているんですよね。だから、筒井さんの授業は難波さんのやっていることと親和性が高いと思います。生徒側から仕掛けているという意味では、難波さんのほうがもっとラディカルかもしれませんけどね。

そうなんですね。今度、筒井さんのゼミにお邪魔させていただくことになったので、そのときにじっくりお話を伺ってみようと思います。

難波さんの面白いところは、学びを変えていく様々な方法を同時に考えているところです。コミュニティにおけるオルタナティブな学びについて考える一方で、学校をどのように変えていけるのかを考えて行動しているわけですね。

そして、自分自身が学校の枠組からはみ出していくのと同時に、教師にも枠組みを出ることを期待しているんですね。教師の枠組を超えて活動している松嶋さんとは、シンクロする部分があったのではないかと思いました。

「本物」だけが感動を与えられる

難波さんが考える教育の中で、重要な位置づけになっているのが、

(Step 1) 非日常のリアルの場で「本物」に出会うことで、勉強を全く面白いと思っていない人に「面白いかも」と思わせる。(0を1にする)

というところだと思います。「非日常の場」について、難波さんは話を続けました。

僕は、今少し迷っていることがあって。今度「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」というワークショップの初回をやるんですけど、その後、第2回、第3回をやる意味があるんだろうかと思って迷っているんです。もちろん、これは必要なことだとは思うけど、もっと前にやるべきことがあるという気持ちもあるんです。というのも、このワークショップに参加する生徒は、おそらく授業にとても関心がある、いわゆる意識高い高校生なんですよね。で、その一方で授業に全く興味がない高校生もいるわけです。そうすると、いくらこのワークショップを開いて、先生の授業のクオリティを高めたところで、授業の方を向いてない生徒がいるわけですよ。端から授業聞いてないっていう生徒が。であれば、このワークショップを開く前に、そのような生徒に向けて、勉強って面白いって思ってもらって、授業の方を向いてもらう方が先なんじゃないかと。つまり、さっき言った「非日常の場」をつくって、ボトムアップすることを優先すべきではないのかと思っているんです。

NPOカタリバのやっている活動は、難波さんが考えている「非日常の場」とターゲットが同じだと思うんですが、カタリバさんの活動についてはどう思っているんですか?

カタリバさんのやっていることは共感できます。ああいう風に生徒と対話することで、やりたいことはあるけど怖くて一歩を踏み出せない、という生徒が一歩を踏み出すことができるように手助けをするのは大事だと思います。ただ、自分の中に、やりたいことが本当にない生徒っていうのもいると思います。そんな生徒には、大学生と語り合うよりも、本物をを呼んできて、本物を見せた方が効果があると思います。それが「非日常の場」ですね。非日常の場でする具体的な活動は、たとえば、1時間目は安藤忠雄さんを呼んで建築に関するワークショップのようなものをするんです。そしたら、「建築って面白い」という生徒が出てくると思うんです。2時間目は数学で、数学者の岡潔のような大数学者を呼んで数学についてのワークショップをやりたいんです。3限目はそれの音楽バージョンで小澤征爾を呼んだり、本物を呼ぶんです。

安藤忠雄さんを呼んで、1年に1度、何とかして安藤さんのスケジュールを押さえて100人の前で話をしてもらったとするじゃないですか。その中の10人が建築面白いと思って心に火をつけたとしても、1年に10人ですよね。大学生ならたくさんいるから面で展開できるけど、安藤さんは一人しかいないから、人数的にはカタリバさんのほうがインパクトを与えられそうですよね。その辺は、どんな風に考えるんですか?

安藤忠雄さんは一人で、一年に一度しかできないかもしれないけど、隈研吾さんを呼ぶとか、他の建築家の方を呼べば、一年に何回も開催できると思いますね。もちろんマネタイズできることが前提ですが。

アプローチは、いろいろあってもいいですからね。火のつき方や、鍵の開け方もいろいろありますからね。
「本物」といったときに、数学だったら、学校の先生だって高校生が知らない面白いことをたくさん知っているはずじゃないですか。その向こうにフィールズ賞を取ったような数学者がいたとして、高校生に合わせて話をするとすると、どちらも変わらないような話をすることができるじゃないですか。でも、やっぱり、数学者じゃないとダメなんですかね。

ダメですね。やっぱり、誰が喋るかって大事です。高校生単純ですし。たとえば、先生でも、古文の先生が授業中に「源氏物語ってのは、すごい面白くてなー」と言うのと、物理の先生が「この前、源氏物語読んだんだけど、面白くって」って言うのは感じ方が違うと思うんです。言ってることは同じだけど、やっぱり物理の先生が言った方が「よし、オレも読もう」って生徒は思うと思います。だから、やっぱりフィールズ賞を取った人が訳の分からない難解な数学の話をしないと生徒は感動しないと思いますね。数学の先生が訳のわからない数学の話すると、7割くらいの生徒は寝ますね。(笑) これは、個人的な話ですが、この前読んだ本で、岡潔が小林秀雄に「今の数学というのはマスターを修了しないと数学という言語を習得できない。なのに、数学という言語が習得できないと、数学の本質がわからなんです。だから、マスター修了してない人が私がやっている研究見ても、何をしているのか分からないんですよ。それが、今の数学教育の問題点なんです。」と言っていて、そのあとに、岡潔が数学の研究の話をしているんですけど、全く分からないんです。ぼくマスター修了してませんから。だけど、カッコいいんですよ。うぁ、すごいなと思うんです。

じゃあ、たとえば、高校の先生が「僕が大学院生のときに可換環の研究していたんだ」とか言って、黒板に数式を書いても、難波さんはカッコいいと思わなくて、心が動かないんですね。

僕は数学って面白いなと感じているので、心が動くかもしれませんが、数学に全く興味がない生徒は心は動かないと思いますね。

難波さんの言っていることは、「憧れ」を行動の原動力にして0から1を作るということなのだと思います。実際、難波さん自身もスティーブ・ジョブスに憧れて、0から1が生まれたという体験があるわけです。ただ、僕自身は、そういう明確なロールモデルがいたわけではなかったので、正直、ピンと来ない部分もありました。また、遠い存在よりも、身近な存在のほうがリアリティがあって憧れを感じやすいというケースもあり、難波さんの意見と必ずしも一致しているわけではないのですが、著名人を呼んでワークショップを行えば、集客力もあるし、それによって心に火がつく人も出てくると思うので、難波さんが言っているようなことも起こるかもしれませんね。

難波さんが考える教師の役割の変化

難波さんの期待に応える授業では、教師は何をやったらよいんですか?

ファシリテーションですね。僕は、さっきも言ったように学校が将来的にはなくなって、それに伴って教師もいなくなって、近所のおじさんが取って代わると思っています。近所のおじさんがやるのが、ファシリテーションなので、教師=近所のおじさんとするなら、教師の役割はファシリテーションですかね。

ファシリテーターって、具体的に言うと、どんなことをやっている人っていうイメージを持っていますか?

例えば、アメトークの宮迫と蛍原みたいに、テレビのバラエティ番組のMCとかですね。ただ、ホンマでっか!TVの明石家さんまは違いますかね。

そこでやっているファシリテーターの機能って、どんなものなんですか?

主役はひな壇に座ってる芸人で、その芸人が気持ちよく喋れるように話をふったり、テーマから外れたことを喋っていると戻したりする役割ですね。あとは、たまに面白いことを自分で言って、場を盛り上げたり。明石家さんまは、自分が主役なところがあるので、少し違いますかね。

自分で勉強していて、こういう支援があったら助かるなというものとかありますか?僕は、結構あったんですよ。大学院生のときとか一人で研究していたんで。自分でやるということにプライドを感じてやっている一方で、限界を感じている部分もあったんです。

コンテンツを紹介してくれることですね。たとえば、高校生のときに哲学を勉強していたんですけど、哲学を専門にしていた先生が僕が入学する前に辞めちゃっていなかったんです。それで、何から読めばいいのかが分かんなかったんです。で、『ツァラトゥストラはかく語りき』とかから読み始めて一度挫折したんです。なので、入門書とかを教えてくれる人が必要でしたね。

それが、反転授業でいう「壇上の賢人」から「ガイド役」のガイド役っていう感じですかね。アクティブラーニングの教師の役割って、いくつかあるんですけど、質問による介入というのがあるんですよ。質問をすると考えるから、その人の考えに薪をくべて燃やすというイメージですね。あとは、人と人と繋げるというのもあります。AさんとBさんとを繋げるとちょうど化学反応が起きそうだというのを判断して繋げるんですね。更に、コンテンツと繋げるという役割もありますね。この人にとって必要な情報に繋げてあげる。また、この人に出会うとよさそうだという人にコネクションを利用して出会わせてあげるようにしてあげると、その人の学びのネットワークが広がっていくと思うんですよ。それは、目立たなくて、気づかれにくいんですけど、かなりスキルが必要なんですよ。

反転授業には2種類あるんですよ。1つは、完全習得型の反転授業で、こっちは、補習型なんですね。決められた教科書があって、その内容を習得させようとしても生徒の理解度にばらつきがあるから、動画講義などを利用して個別学習させて、先生はそれをサポートする考え方なんですよね。塾とかだとそういうやり方がすんなりはまると思うんです。

もう一つは、アクティブラーニング型の反転授業です。教育がこれじゃまずいだろうという考えがあって、それを変えようというのがアクティブラーニングなんですよ。もともと自分で考えることを求められてきていない生徒がいて、その人たちが自分たちで考えられるようなって、難波さんみたいに自分で考えて行動できるような人が出てくるようにするには、教え込んじゃだめだし、教え込まないでサポートするという難しいことをやっているんですね。でも、それをやらないとピラミッド型のヒエラルキーが変わっていかないでしょという問題意識を持っている人もいて、そういう先生は使命感を持ってやっていると思うんですよ。

だから、ある意味、そこをIT化できるかもしれないとは僕も思っていて、Learning SNSみたいなものがあって、ガイド的なものがSNSの中にあって、人工知能のようなシステムが組み込まれていて、アマゾンのおすすめ商品みたいに、それぞれの学習者におすすめのコンテンツを提示するようなシステムがあれば、ある程度、自分で学ぶということを支援できますよね。そういうSNSを作りたくてプロトタイプを作っているところなんですよ。

ただ、上位層は、そういうもので伸びていけるかもしれないけど、そうじゃない層は、難波さんも言っているように、人の手をかけないとうまくいかない部分があると思うんですよね。そういうノウハウを持っている人は少ないから、それをシェアして広げていこうとしているんですね。

その下位層というかボトムをアップさせることって永遠の課題じゃないですか。でも、それって、もしかしたら永遠に解決しないことなのかなとも思っています。さっきは、「非日常の場」をつくることでボトムアップできると言ったんですが、やはり元々解決しない問題なのかもしれないとも思っていて。というのは、世の中にヒエラルキーって絶対に生まれてしまうもので、ボトムは相対的に必ず存在してしまうのかもしれないと思っているんです。そう考えると、ボトムアップの必要性ってないのかなって思ったんですけど。

僕はそこに対してはラディカルな思想の持ち主で、研究していたのも自己組織化の原理です。これは、ボトムアップがどのように起こるのかという一般的なメカニズムなんです。ヒエラルキー構造を強めていく力があって、それに対してフラットにしていこうとする力もあって、0点か100点かということじゃなくて、その中で、20点だったり、40点だったりするということだと思うんですよ。

僕は、外から評価する立場じゃなく、教育については当事者なので、「20点ですね」と客観的に評価するよりも、それを25点にするために考えて行動していきたいんです。過去にヒエラルキーが常に存在していたからといって、インターネットのように過去にはなかったものも生まれているのだから、同じことになるとは限りませんよね。だから、過去の歴史で起こらなかったことが起こってもいいんじゃないのと思うんですよ。

なるほど、確かにインターネットには、そういう可能性があるかもしれませんね。今までの既成概念を覆す何かを生む可能性はありますね。

「教師という職業がなくなって、近所のおじさんが取って代わる」という刺激的な発言によって、僕も安全な場所から引っ張り出されてしまいました。(笑)これこそが、立場が異なる者同士が、対等な立場で話す醍醐味かもしれません。難波さんによって、すっかり本音を引き出されてしまいました。

キャリア教育について

今キャリア教育って色々あるじゃないですか。でも、たくさんありすぎて高校生は自分の必要な情報にアクセスしにくいと思うんですよね。だから、情報を整理してあげて、Yes-Noみたいな感じでチャートを辿っていくと必要な情報にたどり着けるようにしてあげて、それで、自分はカタリバに行くべきなのか、僕のやる「非日常の場」に行くべきなのか、あるいは、Life is Techに行くべきなのかということが分かれば便利だなと思うんです。

それは、イメージとしては、Webサイトでキャリア教育のポータルみたいなものがあればいいんですかね。

そうです、そうです。あとは、Webサイトもありだけど、学校へのコネクションができた後で、ホームルームでこういう活動があるので知らせて下さいというのもありだと思います。WebでやるとWebを認知することが必要じゃないですか。でも、学校で先生が全体に言ってくれれば、リーチが長くなりますよね。多くの生徒が認知できるようになります。

ということは、先生がアクセスするようなキャリア教育のポータルがあればいいということですか?

いえ、ICT教育ニュースに載せるよりは、SENSEI NOTEでシェアしたり、先生の知り合いの中でシェアしたりという感じで、個人的なシェアのほうが良いと思うんですね。

どちらかといと、コミュニティ内でシェアされるほうが伝わるということですかね。

そうですね。たとえば、反転授業の研究に登録している先生というのは意識が高いじゃないですか。生徒に何かしてあげたいという気持ちが強いので、やってくれる確率はあがりますよね。

理念とか、思いの部分を理解してもらった人じゃないと伝わらないですもんね。だから、コミュニティベースで思いの部分をシェアして伝えていくという感じですかね。

その通りです。

実際に難波さんと対話してみて、自分の「イノベーター」としてのアイデンティティが共感したり、ときには、自分の「教師」としてのアイデンティティが発動し、思わず「ファシリテーターって存在価値が見えにくいけど、重要なんだよー」などと主張してしまったり、いろいろな感情が動きました。生徒と教師が本音をぶつけ合うことで、今回の僕のように感情が動いて化学反応が起こるのではないでしょうか。自分自身が難波さんと本音で話す経験を通して、そのことを確信しました。

ワークショップ「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」終了後の感想

この対談の後、難波さんはワークショップを実施し、ワークショップの感想を送ってくださいました。

11/16にワークショップ「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」を開催しました。開催してみての感想と今後の方向性を書いていきます。
まず、開催してよかったと思ったのが、先生が生徒の声を聞く重要さと共に、生徒が先生の声を聞く重要さを実感したことです。先生にとって、生徒からのフィードバックが大切なことは自明ですが、生徒にとっての先生の声も欠かせません。先生が授業をする上で気をつけているポイントや、授業づくりの大変さを知ることで、生徒の授業を聞く姿勢は変わると思いました。このことがわかったのは、自分の中でとても大きかったです。

ただ、反省すべきところもあります。当初の目的は、「先生が自分の授業をブラッシュアップすること」および「生徒が自分の先生に授業案を提案して、先生の授業を改善すること」だったのですが、そこまで到達するには、たくさんのステップを踏まなければいけないことに気がつきました。先生だと、「そこで出た授業案をブラッシュアップする」→「それを参考にして、自分の授業のブラッシュアップする」となり、ステップをひとつ踏まなければいけません。また、生徒になると、「ワークショップで出た授業案をブラッシュアップする」→「その授業案を自分の先生に提案する」→「先生が授業を改善する」となるので、もうひとつステップが増えます。よって、このステップの数を減らすことが課題だと感じました。

では、この課題をどう解決するかというと、ある授業を提供している先生と、受けている生徒を対象にワークショップをすることになります。これが今後の方向性です。ある授業にお邪魔して、その先生と生徒で対話型ワークショップを開きます。そこで、お互いが日頃授業に対して感じている想いを伝え合います。もちろん、ここでは単なる感情のやりとりにならないように、第三者である僕や、ファシリテーション補助の方が介入することで、生徒からのフィードバックを客観的で生産的なものにしていきます。この発想は筒井さんからいただきました。日頃お互いが授業に対して感じていることを伝え合ったあとは、そのフィードバックをもとに、その場で授業をブラッシュアップしていきます。

今後は、このような活動をプロジェクトの一つとしてやっていきたいと考えています。

難波さんが主宰する「生徒と教師が本気で授業を考える7時間。」の公式HPはこちら

京都精華大学人文学部教授 筒井洋一さんにインタビュー

2014年8月にFacebookグループ内の告知で、授業協力者の募集をしていたのを見たのがきっかけで、筒井さんの授業にとても興味を持つようになりました。

【大学教育に関心のある社会人・大学院生・学生の方へ】 京都精華大学の授業「情報メディア論」を教員と一緒に創りませんか?  授業協力者募集です!

一部引用します。

授業をオープンにすると、学生の学びが深まります。

同大学人文学部専門科目「情報メディア論」の授業が9月から来年1月までおこなわれます。その授業を私と一緒に創っていただける授業協力者(Creative Team: 略称 CT)3?4名を募集します。CTとは、15週間、教員と同じ立場で、授業設計・準備・実施・検証する学外からのボランティアです。

授業期間は15週ですので、全期間一緒にできる方がありがたいですが、これは要相談です。報酬が伴わない、ボランティアでの参加となりますが、大学の授業を創る意欲、他人との協調性、最後まで愉しくやり抜く気持ち、そして何よりも学生と共に学ぶ気持ちがあれば、経歴は問いません。しかし、大学、NPO、企業などでの授業、ワークショップの企画運営の経験者が望ましいです。

(中略)

忘れてほしくないのは、CTは、教員の補助者ではありません。むしろ、学生と教員、そして見学者をつなぐ存在です。みなさんが中心になって授業を進めていってほしいと思います。実際に、授業時間の大半をCTが担当してきました。CTが学生の学びを支えるために、たえず寄り添う必要があります。けれども、教員以上に努力してもらったとしても、交通費や謝金などは出ません(すいません)。私とCTとのつながりは、金銭関係でも、また上下関係でもなく、互いの思いをつないでいく関係でありたいと思います。その意味で、CTは、個人の強さだけでなく、CT全員のチームワーク、CTと私とがチームとして取り組むことが何よりも成功の秘訣です。

筒井さんの「グループワーク概論」や「情報メディア論」は、Facebookなどで公募したボランティアと一緒に対等な立場で授業を作り、さらには見学者も授業に参加してもらうという他に例のないオープンな授業です。

授業風景については、こちらの動画をご覧ください。

このような外に開かれた授業が、いったいどのような背景から生まれてきたのか、とても興味が湧きました。

そこで筒井さんにインタビューを申し込み、お話を聞かせていただくことにしました。事前に筒井さんが書かれた論文や記事を拝見し、予備知識を得た上でインタビューさせていただきました。

社会や教育の先を見て適応しようと思った

筒井さんは、最初はドイツ外交史を研究されていて、途中から分野を変更しますよね。それは、どのようなきっかけがあったのですか?

大きなきっかけになったのが93年に大学設置基準が変わったことです。私は、教養部というところにいたのですが、91年にドイツから帰ってきて同僚の先生に「筒井さん、帰ってきて教養部があってよかったな。」と言われたのが衝撃的だったですね。国立大学というのは絶対首を切らないと思っていたのですが、そういうことはなくなるんだと思いました。

それで、強いられて何かをやってくださいと言われるよりは、これから社会や教育がどのように動いていくのかという先を見て、それに適応しようと思いました。

ドイツ外交史という専門分野は、明治以来からの歴史ある専門分野ですが画期的なイノベーションというのはない分野なんです。既にかつての巨人が調べつくした感じがあって、大きな貢献ができず、我々ができることと言えば、重箱の隅をつつくようなことだったので、そういう人生で一生過ごすのは嫌だなと思いました。

もちろん、たまたま大学院でそういう分野を選んでしまったからそれを続けるという人生も当然あると思いますけど、変えないでひたすら守っていくというのは、僕はできなかったです。

すごく共感します。僕も動画配信が2年くらいでダメになっていくだろうなと思って、それなら新しく生まれることを先頭に立ってやりたいと思ったのが反転授業に取り組み始めたのがきっかけでした。大学改革や教育改革へ取り組むようになったのはどのような理由だったのですか?

現状の大学教育や自分自身がやっていることが、このままじゃまずいなと思いました。

何百人もの生徒に対して90分しゃべれば義務は終わるわけだし、学生の試験の点数が悪ければさぼった学生が落ちればいいということなんですけど、それが、本当にいいのかなと思ったんです。

特に法学部や社会科学系というのは、大学経営の中では儲け頭なんです。たくさんの学生を大講義室に詰め込んで授業をするというのが、大学経営としてはやりやすいんです。だから、法学部や社会科学の研究者というのは、その仕組みに乗っかっているわけなんです。

そこで、大学教員は自分の説明なり、解釈なりを学生に説明して、分からなければ学生が悪いという感じでしたよね。

1980年代から90年代ですから、センター試験が始まって、大学の学力低下というのが盛んに言われたころでした。

それは、ちょうど僕が大学生になったころですね。笑 第1回のセンター試験を受験しましたから。

ちょっと学生が変わったなという気持ちがありましたが、それに対して大学があまりにも何もしていないなと感じていました。

大学改革に一番最初に取り組んだのは、教養部の大講義、200人くらいの政治学の授業でした。講義の途中(5週目くらい)でテーマを出してレポートを出してもらいました。1回目はたいしたレポートが出てこないんですよ。それで、簡単に添削して学生に返却したんです。論旨が一貫しているかとか、問題点を指摘しているかとか、10項目ぐらいチェック基準を作って、あなたはどの項目ができていませんねという形でチェックして返したんですよね。

それから1か月後に同じテーマで前よりもいいものを書きましょうということでやらせたら、やっぱり、よくなるんですよ。それで、これは、学生が悪いのではなく、少しきっかけをつかめば学生は十分に伸びるなと感じました。ここから、大学改革に興味を持ちました。

大講義の授業というのは、教員もそうですが、学生からしても苦痛ですよね。こちらも話し続けているけど、前の何列かの人だけが熱心で、それ以外の人は、ただノート取っているか、後ろのほうで寝ているかですから。この関係は、すごく居心地の悪い関係だなということを80年代の終わりからずっと思っていました。

僕は、大学の大講義の授業が苦手で、教員のせいにして授業から出て行ってしまった側だったんですけど、今のお話うかがって、あれは大学教員も辛かったんだなということが分かりました。

教員のほうも学生の学びを促進させないし、学生のほうも学ぼうとしないという共犯関係で成り立っているのが大学の大講義授業です。

筒井さん自身が、ドイツ外交史という分野を飛び出して新しい分野へ飛び込んでいった経験をお持ちだということが、とても印象的でした。その経験によって筒井さんの周りに次々と動きが産み出されるわけです。教養部の授業での気づきが大学改革へとつながっていきます。

大学改革として日本語の授業を提案する

大学改革として、具体的にどのようなことをされたのですか?

大学改革の1つとして、日本人学生向けの日本語の授業をしましょうという提案をしました。

93年に改革を始めて最初のプロジェクトを作るときに『言語表現科目』というのを提案したんです。法学部の教員が国語の提案をするんですから、非常に後ろめたい気持ちがありました。けれども、教員は、学生よりは文章を書いているし、学会などで発表していますから、学生よりは2,3歩前に行っているので、その分だけでも教えようということに賛同する教員を各学部から呼びかけて集めて、何とかやったんです。

今や、全国の8割くらいの大学が日本語表現法とかアカデミックライティングとかといった科目を持っているんですけど、当時はそんなことをやっているところはありませんでした。

それは、1年生向けの授業ですか?どうして日本語の授業をやろうと思ったんですか?

政治学の授業で何度かポイントを指摘すれば学生は伸びるというのが分かっていましたから、それを大学の1年次にきちっと学べば、専門の勉強にも役に立つと思いました。

工学部の先生は、卒論に取り組む前の、3年生後期とか4年生前期にやるといいなぁという話をしていました。理科系の先生はとても熱心で、学生の日本語を直すことを授業とは別にチェックしているという方が多かったんです。

提案は受け入れられたんですか?

科目は新設されたのですが、多くの教員からは袋叩きに合いましたね。留学生に日本語を教えるのは分かるけど、日本人に日本語を教えるというのは理解できないと言われました。特に文科系の教員からは袋叩きでしたね。

それが10年以上経つと市民権を得ているわけですから。

今はどこでも初年次教育をやろうという話になっていますけど、最初はそんな状況だったんですね。

学力が低いのは学生が悪いんだから自分で勉強しろという雰囲気でしたし、学問の府で日本語のスキルなんかを教えるというのは大学になじまないということもさんざん言われましたね。

教育学部の国語の先生とかは、自分たちに負担が来るんじゃないかと思って猛反発しました。

賛成したのは理科系の先生だけでした。

僕は教養部と、その後人文学部という文系学部にいたんですけど、僕の支持者はそこにはいなかったんですよ。

さらっとおっしゃっていましたが、「多くの教員から袋叩きにあいました」という状況の中で、プロジェクトを提案して進めていくというのは、並大抵のことではなかったと思います。筒井さんからお話をうかがっていると、話しぶりがとても穏やかなんですが、その中に「強さ」を感じました。誰もやっていないことを最初にやる人というのは、こういう「強さ」を持っているのだと納得しました。

インターネットとの出会い

筒井さんの活動の中でインターネットというものも大きな位置を占めていると思いますが、インターネットにはどうつながるんですか?

2001年まで在籍していた富山大学には5学部あって、そこに言語表現科目の担当教員がいたんです。当時は、その担当者たちに、会議を開きますとか、意見をくださいというときに、印刷した文書を学内使送便というもので送っていたんです。これは、箱に入れておくと一日に一回配達してくれるという制度だったんです。

でも、会議の日程調整を使送便を使ってやろうとすると、全然返事が返ってこないんです。一方で、Niftyユーザーの人からは、即日、メールで返事が返ってきました。事務処理の効率化のためにはパソコン通信やインターネットを使わないとやっていけないなと思いました。

それと、研究でイギリスに行ったときにNifty経由でアカウントを取得した環境保護団体グリーンピースのグリーンネットというパソコン通信があって、それを使っていろいろ調べることができたんです。

また、ドイツの大学図書館に文献検索に行くときに、以前ならば、30?40万円の旅費をかけて、ドイツに行って、現地の図書館でカード検索しなければならなかったのが、無料で検索できるようになりました。さらに、アメリカの議会図書館に何ドルか払えば雑誌論文をすぐにFAXで送ってくれました。以前は1ヶ月以上もかかっていたのが嘘のようでした。海外研究をやるものにとってインターネットというのは不可欠だなと思いました。

僕が修士の学生のときに、MOSICとかNetscapeとかが研究室に入ってきたんですよね。まさにその時期ですね。

94年の1月にNiftyサーブを使い始めてからはまりました。その年の秋にはインターネットを使って海外プロジェクトをやりたいという気持ちになってしまいました。自分の研究分野である、ドイツの大学の文科系の人といっしょにインターネットで授業をしたいなということが浮かんでしまったんです。1995年は戦後50年の時代でしたから、日独戦後50年の比較政治というテーマで、海外のメーリングリストに、パートナー大学募集と英語で出したんです。アメリカの大学だとすぐに見つかるけど、ドイツのパートナーを見つけるのに数ヶ月かかりましたが、結果的に三大学が希望してくれました。

当時、インターネットを使って授業をやるという取り組みをしている方はいたんですか?

文科系レベルで海外とつないでサイバーセミナーをやったのは、僕が一番初めだと思います。96年に日本経済新聞社の文科系ホームページコンテストで1位になったんです。その当時は、東大、京大、早稲田、慶応とかのトップ校は、まだ、インターネットのコンテストとかに乗り出していない時だったんです。何の脈略もなく、地方国立大学の富山大が突然1位になったんです。他大学は、大学生が一人か二人で勝手にゼミのホームページを立ち上げてコンテストに出たんだろうと思いますが、僕のところでは学生が30人くらい関わっていたんです。96年は何かを最初にやれば一位になれた時代でした。

海外と繋ぐと学生のモチベーションは上がるんですか?

95年の時代ですから、インターネットを使いたいけど、使える場所がないという学生が一杯いました。工学部のコンピューター室ではつながるんですけど、他学部生は使えない。そこで、人文学部の僕の実習室で24時間いつでも使えるし、メールサーバーやWebサーバーも立ち上げて自由に使えるという環境を作ったんですよ。そしたら、学生の中で「筒井の自主ゼミのところがインターネットを唯一使えるらしい」ということで集まってきたんです。

インターネットというだけでモチベーションが上がったんですね。

インターネットの実物は見たことがないという学生ばかりでした。でも、意欲があるんで2週間でブラインドタッチはマスターするし、Webサイトの立ち上げ(タグ打ちで)も1か月でマスターしていました。誰かが新しい発見をすると、みんながそれに飛びついて吸収して、それでまた新しい発見をしてというサイクルができていました。それを見ているのが楽しい時代でした。

学生が主体的に学んでいく場を作るということが、そのときにすでに始まっているんですね。

その時代だけ、富山大の僕の自主ゼミに行っている学生の就職先が急に大手になりましたね。面接でメールを使ってとか、ホームページを作ってとか、そういう話だけで、IT系は争って取りましたからね。

筒井さんの特徴の一つに先見性があると思います。常に先を見ていて、そこに向けて行動を起こしていくのです。インターネットを使ったサイバーセミナーも、まさに、その先見性が現れた例の1つだと思います。また、学生のやる気に火をつけて自由にやらせて伸ばすという現在の活動につながる芽が、この時期にすでに見られるというのも興味深いです。

カウンセリングとコーチングの経験が授業運営に生きている

筒井さんは、いつごろカウンセリング・コーチングを学ばれたんですか?

95年から2000年までサイバーセミナーをやって、eLearningの成果を上げたというのはあるんですけど、同時に当時のeLearningというのは物理的な接触がなくて、文字ベースとチャット、メーリングリストだけでしたから、5年もやると限界があるなと思いました。それで、やめたんです。それで、対面で能力を上げようと思ってコーチングの認定コーチの資格を取るために勉強したり、日本ファシリテーション協会に入ったりしました。あそこにいると、毎週、教科書にないワークを会員が作ってくるわけですから、いろんなことを学べました。

それまで、学生の面談とか得意じゃなかったんですけど、それをやり始めてからよくなりました。

でも、その時点では、大学教育と結びつけることは考えていませんでした。

コーチングを授業に結び付けようと思ったのは、ずっと後になってからです。

これは、そのときは役に立つのかどうか分からずにやっていたものが、10年以上たって役立つというのは、僕自身も経験していることですが、「偶然」というよりは「必然」なのではないかと感じています。つまり、筒井さんが様々なものにアンテナを伸ばし、挑戦してきたからこそ起こることなのだと思います。おそらくお話に出てきたもの以外にも、様々なものに挑戦されているはずです。そのような姿勢を長年続けていくと、ある意味、必然的に、様々なものが繋がってくるのではないかと思いました。

インターネットとボランティア活動

筒井さんのホームページを拝見するとNPOやNGOの活動というものも大きな位置を占めていると感じました。インターネットとの接点にも注目されていますよね。

もともと僕の国際関係論の研究の中にNGOというのが大きな位置を占めていましたから、理論的には全部わかっていたんですけど、インターネットと結びついたのは阪神大震災のときでした。

当時、富山にいましたけど、出身大学が神戸でしたのでいろいろ心配しましたけど、仕事があってなかなか現地へ行けないという状況だったんです。それで、富山にいてもネットワークを使って震災ボランティアみたいなことをできないかなと考えたんです。海外の政治学とかのメーリングリストに「阪神大震災という類を見ない大きな地震が起こって、私は500キロくらい離れた場所にいるんですけど、やれることは何かありますか」と出したら、アメリカのロス地震の経験とか、いっぱい投げてくれたんです。そういうところからヒントを得て活動をしました。海外からは、「神戸在住の人で安否が分からない人を探してくれ
という要望が多かったんです。亡くなっていたらすぐに死亡通知に乗りますが、生きているか行方不明かの確認が非常に難しいんですよね。それで、死亡者リスト、行方不明者リストを確認して、電話をかけて確認して、問い合わせのあった研究者に伝えたりしていました。

震災後の活動は、ボランティアとパソコン通信が結びついた日本最初のケースだったんです。僕もパソコン通信をやり始めたばかりのときだったので、ボランティアとインターネットを結びつけるというところに関心が生まれました。

僕は、東日本大震災のときに東北にいて、地震の後、ライフラインがすべて止まってしまったんですが、試しにイーモバイルを繋いでみたらつながって、原発事故のことを知ってびっくりしたんですよ。Wikipediaでチェルノブイリのことを調べたら300km離れたところでもホットスポットができていたので、念のため避難しようと思って、同僚にメールして避難経路の情報を得ました。それで、大阪まで一時避難したんです。仕事でネットを使うことに慣れていたので、避難する途中で、安否確認と避難経路の情報をシェアするためにスマホから捜査して掲示板を立ち上げたり、一括メールを送ったりしていました。あのときは、インターネットがあったおかげで本当に助かりましたね。

阪神大震災のときはインターネットはあるだけでしたけど、東日本大震災のときは、インターネットなしでは考えられなかったですよね。

東日本大震災の後、安全性はどうなるのか、日本がどのように変わっていくのか、その中で、自分や家族がどのように生きていくのかということを考えざるを得なくなって、ネットにかじりついて国内外の情報にアクセスするようになったんですが、その中でメディアの問題が自分の中で大問題になってきました。プロパガンダ的な情報が溢れる中で何を信用して動くのかということでメディアリタラシーが重要だと思い始めるきっかけになりました。

僕は、2001年に富山から京都に移ってきて京都精華大に赴任したんですけど、京都はコミュニティ・メディアが活発な街です。毎日新聞の京都支局だった、1928年に建てられたビルがあるんですけど、これを取り壊すという話が2000年の初めころに出たんです。それを保存しようという市民の運動があって、そのなかで、マスメディアと違うコミュニティメディアを自分たちで作ろうという人たちがいてNPOとして、わが国で初めてFMラジオ局が開局しました。東日本大震災のときもコミュニティメディアに関わっている人たちは、東北の小さな町のコミュニティメディアの立ち上げの手伝いに行っていました。マスメディアとは違うメディアというのはわりといつも近くにあるという感じですね。

なんかあったときは、マスメディアとは違うルートのものというのは、いつも気をつけるようにしています。

国際的なNGOのようなネットワークができることが社会変革に繋がっていくというイメージがあるんです。国境を超えてネットワークが広がって情報が直接やり取りされるなかで、相転移が起こっていくことを期待しているんです。

世界に対してシニカルに見るというのも大事なんだけども、僕は創り出すほうに興味があります。自分たちで創れば自分たちの魂がこもりますから。魂のこもったものを自分の周りに作っていくと、それが、最後に自分を守るなと常々思っています。自分たちが小さなところだけでやっていたものは、得てして内部の人たちだけで消費をしてしまうということになりますが、僕は、あれがものすごく嫌なんですね。

内部でやったものを外に出すということをいつも考えていますね。

内部に留めるのではなく、外に出していくことによってダイナミズムが生まれますよね。

大学の世界というのは、外に出すと批判を受けるんですよ。建前上は外に開くメリットというものは言われますけど、批判を受けるのは直接的には現場の自分たちですからね。

単純に批判を呼び込むというイメージもあるんですね。

だから、大学は、都合のよいことだけを発信するということを考えがちです。でも、本来は、良いものも悪いものも含めて発信して、向こうに判断をゆだねるものです。もちろん発信側には何かしらの意図がありますけど、それをどう判断するかは受け取る側ですから。よいものだけを出すと綺麗ですけど、でもそれは相手に伝えていないと思うんです。それをどう超えていくのかというのは、大学の中にいると悩むんですよね。まあ、僕は、やるところまでやっちゃいましたけど。笑

僕は、物理の講義をインターネットで販売しているのでWebマーケティングの手法を身につけています。それは、セールスポイントを相手に伝えるというものだから、見せたいものだけを見せるということなんです。

反転授業のオンラインの講座でも、なんとなくそのままマーケティングの手法を使っていたんですけど、ファシリテーションを学ぶ意味を突き詰めていたらマーケティングの手法を取ることに矛盾を感じて苦しくなってきました。フラットな関係を作っていくための手法を学ぶための講座の告知がフラットではないということに矛盾を感じて立ち行かなくなってしまったんです。それでビジネス的に失敗してもいいからオープンにして、本音のところを書いて出したんです。そしたら、グループのメンバーがいろいろアドバイスしてくれたりして、ダイナミズムが生まれました。

その経験を通して、筒井さんの授業を見直したときに、自分が考えていたようなことを、筒井さんが、もっと前からやっているということに気づいて、あらためて、すごいことをやっているということが分かったんです。

ボランティアと一緒に創る情報メディア論

筒井さんは、いつごろから授業を公開し始めたんですか?

7年前くらいまでは、大学改革とか大学教育で論文書いたり発表したり、研修会をしたりしていましたけど、自分の授業は公開しないタイプだったんですね。学会で発表するというのは、こういう成果が上がりましたということを発表します。研修会でもこういう方法がありますよというアドバイスをします。いいところだけを言いますよね。でも、実際に授業を見たら、不十分なところがいっぱいあるわけですよ。でも、研究者として発表するときには不十分なことは言わない。だから、授業公開して「論文と違うじゃないか」と言われるのが怖かったです。だから、人に授業公開すると、自分にデメリットがあるんじゃないかと思っていました。

最初から授業をオープンにしていたわけではなかったのですね。外に開いていくきっかけになったのは何だったのですか?

きっかけになったのは、キャリアデザインという授業を担当することになったことです。僕は、大学を卒業してそのまま研究者になったので、キャリアデザインの授業を僕はできないなと思ったんです。それで、ファシリテーショングラフィックの達人の女子学生とか、そのほか数人に声をかけてブレストをしたら、結構、よかったんですね。それで、他の人に相談をすると自分の授業がうまくできるという経験をしたんです。3?4年前からは、学生に聞くだけじゃなくて、見学に来てくださいということをやり始めたんです。見学者も最初は後ろにいてもらおうと思ったんですけど、見学者はキャリアカウンセラーだったり、グループワークの経験が豊富な人が多かったんです。それで、見てもらうよりも学生のグループの中に入ってもらうことにしたんです。彼らにとっても学生の中に入るほうが楽しかったんですね。学生に聞くのは、どの教員も聞けるんですけど、他の教員や職員には面子があって聞けないです。ですから、他大学のFD(Faculty Development)の職員をやっている知り合いにアイディアをもらうことにしました。これで、大学を超えてしまったなと思って、それなら、単にアドバイスを受けるだけじゃなくて、外部の人と一緒にやってみたらどうかと考えたんです。

なるほど。そういう段階があったんですね。それがさらに発展してCTになったんですか。

大学生が高校に行くという授業をずっとやっていまして、かつて高校生だった学生が高校生向けに授業をするというワークショップをやっていたんです。その中の学生に、今度、学外の人を呼んで一緒に大学の授業をやるんだけど手伝ってくれないかと頼んだら、やってくれることになりました。それから3月の終わりころにFacebookに手伝ってくれる人を募集したら、ものすごい反応があったんです。

募集を見たときに、これだけコミットするって、正直、負荷が大きくて大変そうだなと思ったんです。でも、だからこそ意識の高い人が来たんですね。

あと2人来たんですけど、彼らは後先考えていないんですよ。大学の授業を自分たちで作れるというのは面白そうだということだけで来ているんですよ。

一人の女性は、大学まで交通費5千円をかけて毎週やってきたんですよ。お金をもらえないで、交通費5千円払って大学の授業に参加するなんてそんなバカなことはないと親から怒られたと言っていました。

当初、Facebookに出して本当に集まるのかというのは不安だったんですけど、1週間で3人決まりました。それで、できてしまったんです。

15週の講座が終わった後、どうするかというのは全然考えていなくて、とりあえず15週やってみようということになりました。

実際にやったら、彼らは大変だったと思いますよ。でも、やりきってくれました。それだけ実力のある方ばかりだったということです。

今や、私にとって、彼らは家族のような存在です。

お金だけを動機づけにして動くというところを変えていかないと、社会システムの動きが変わらないという思いがあるんです。eboardの中村さんのように内発的動機に基づいて一人で大量の動画を作っていったりすると、損得とは違う部分で周りが動き始めて、そこから渦が広がっていって何かが起こるというのを見てきて、そこに希望を感じています。そういう動きを大切にしていかないとマーケティングを動かしているようなところの思う通りに人が動くような社会になってしまいます。筒井さんの授業のCTの方のように経済の原理で考えるとありえない動きをする方は、本当に貴重ですね。

そういう高いハードルを越えた人は、すごい意欲が高いです。遠いところから来る人は決心していますから、何とか楽しもうという気持ちがものすごい強いですね。

その熱が、授業にぐっとくるわけじゃないですか。それは、燃えますよね。

CTさんの個々の能力は間違いなく高いです。15週ボランティアで働くというわけですから中途半端な人は来ないです。能力は高いんです。でも、CT内のチーム作りは苦労します。3人とか5人とかの連携を短時間でやらないといけないですから。

筒井さんは、CTのチーム作りについて、放っておくんですか。ある程度、介入するんですか。

今年度前期まで、一年半は、毎週のコマシラバスを作ることと、CTのチームビルディングをやることを15週やり続けたんですけど、これは、大変です。そこで、後期は、シラバスはこちらで半分くらい作っておくことにしました。それで、チームビルディングに力を注いでもらうようにしました。

このように時期によって変化はありますが、CTのチーム作りについては、基本は待っています。介入はしないです。当事者間の中でどうするか。みんなが協力するための舞台を作るのが僕の仕事ですから。誰と誰を組み合わせるというのは絶対にしないですね。

それは、覚悟がいりますよね。責任は、筒井さんがとるわけじゃないですか。CTのメンバーも筒井さんに迷惑をかけられないという思いはありますよね。

それはありますね。最初は足並みそろわないんです。モジュール1(4週1モジュールの第一モジュールのこと)のときは学生も混沌、CTも混沌という状態です。でも、それで当たり前なんです。モジュール2になればCTもクオリティを上げないといけないので頑張ります。そこで、モジュール1の混沌をモジュール2に引きずるというのはなくなってきます。

あと、僕は、コーチングの経験があるので、待つというのに慣れているんです。カウンセリングモードでやろうと思うと、結構、待てるんです。自分で介入して、何か言ってよくなればいいですけど、よくなることはないです。

能力が高い人がいて、目標が決まっていれば、やれるんです。

筒井さんがやられているような、CT(Creative Team : 授業協力者)が入り、見学者も参加するような授業をされている方は他にもいらっしゃるのですか?

私が、授業を一緒にボランティアで創ってくれる人財=CT(授業協力者)という概念は、僕が作ったんです。本来、授業は、学習者と教育者の間でクローズしている世界ですから。そこに教員と対等な立場での第3者を入れるというのは僕以外考えていないと思います。

海外の事例も見ているんですけど、TAが優秀だというところはありますけど、それでも、それは教員のサポートチームなんです。僕の場合は、ある意味、CTに完全に委ねてしまいますから。そうするとカオスになって崩壊すると思う方が多いです。もちろん、小さなカオスは当然あるんですけど、結果的には、僕が一人でやるよりも彼らと一緒にやったほうがいいものが出るというのが2年間の確信なんです。

みなさんいろいろご心配をされるんですけど、心配して何もしないよりも、やってみると意外とうまくいくんです。

2年前に始めたんですが、その前の年に、もしかしたらうまくいくんじゃないかという予感があったんです。半年ごとにCTを入れ替えていくというのは、当時は考えてもいなかったですけどね。

ただ、半年やってみたら、「最初の半年がうまくいっても、それは、たまたま筒井とそのときのメンバーだからうまくいった
と言われるのがいやだったんですよ。2年続けましたから、さすがにたまたまうまくいったというのはもはや言われません。もちろん、まだ、筒井がやるからうまくいくと言われることはあるんですけどね。

大学には労働の対価として賃金をもらうという金銭関係で契約した非常勤講師とかゲスト講師がいます。また、ティーチングアシスタントとかスチューデントアシスタントは教員の補佐として上下関係で使う感じですよね。こういう人たちが専任教員を支えているんですよ。

僕は、金銭関係でも上下関係でもないお互いの対等な立場での共感とか思いとかで学びを作れないかと思って、CTをやり始めたんです。

教員と対等な立場で、教員と共感や思いで繋がっているCTという存在が、筒井さんの授業では大きな役割を果たすのですね。学生は、CTという役割と生まれてはじめて出会うわけなので、慣れ親しんだ学生としての行動パターンを取りにくくなるはずですし、高い意欲を持って参加しているCTの強い思いは、学生に影響を与え、学生の学びを促すのではないでしょうか。

枠を取ってやると学びが爆発する

情報メディア論は、これから、どうなっていくんですか?

反転授業は受講生全員が見るというのがなかなかうまくいかないです。ビデオを見て、対面の授業をやるというのがうまくいくときとうまくいかないときがありますね。

最初は、僕が予習用のビデオ授業に出ていたんですが、今は、学生に登場してもらっています。

教材自身を、あるいは、講義自身を学生がやったらどうかなと思っているんですよ。

しかも、そこに出演する学生は、必ずしも学習意欲が高い学生ばかりじゃなくて、授業に遅れてきて、知り合いのグループで固まっている学生ですよ。そういう学生にやってもらおうと思っています。

学生側から見ると、教員がビデオに出てもそんなに新鮮味がないんです。でも、そんなに授業に熱心でない学生がビデオに出たらどうかなと思ったんです。

確かにビデオに出ている学生は、前のほうに座っている雰囲気の学生じゃないですよね。

けれども、やらせたら、ものすごく彼は乗るんですよね。うまい! でも、彼が実感として語ったのが、「今回はビデオの長さとしては5分ですけど、10分話すとしたら大変だ。筒井さん、すごいことやっているね」ってほめられましたから。彼は、作る側のことを分かったんです。授業というのは受け身で受けるものではなく、実際にビデオに出てみたら、作る側が何をやっているのかというのを彼はわかったんです。

教師はこうあれ、学生はこうあれ、見学者はこうあれ、という漠然とした固定観念というのがある限り、学生は学生であり続けようとします。だから、枠を取ってやると学びが爆発するんじゃないかなと思います。

ただ、反転は本来予習用なので、予習するためには事前に学習しなくちゃいけないです。そこで、今回のビデオ収録は、自分たちが学んだことはメモでちゃんと説明できるということにすれば、学生ができるなと思いました。復習用としての反転です。

モジュール2からは、CTの発案で、メインファシリテーターとディレクターというCTの役割のうちのディレクターを学生と一緒にやろうということになっています。

学生にそのことを話したら、5?6人がやりたいと言ってきたので、学生が学生に教えるという授業をやることになりそうです。

学生の中には、枠を超えたいという学生がいるんです。それを、あなたは学生ですよと言って、枠に閉じ込めるんではなくて、ちょっと一緒にやってよ!と言ったら喜んでやってくれるわけですから。

学生の一部が枠から出ることで、学生の枠にとどまっている学生も刺激を受けるわけですよね。自分もあそこに行く可能性があるということに気づいてしまうわけですね。

今までこいつはダメなやつだと思っていた学生が、突然教師になってビデオに出てきたり、前に出て授業をやったりすると、学生同士の固定された関係が崩れますよね。それは面白いです。

筒井さんの授業では、CTが存在することによって、教員と学生の関係性が不安定になるのだと思いますが、学生にビデオを作らせたり、ディレクターをやらせたりすることで、どんどん境界がぼやけてくるわけです。そして、学生に固定化した役割を抜け出して学ぶことを促す状況が生まれるわけです。これは、責任者の筒井さんが、カオスを恐れずによい未来を信じてコントロールを手放すことができるからこそ産み出される状況だと思います。本当の意味でLearningが促される状況なのではないかと思います。

枠組みの外に出て活動する経験が、枠組みを変えていく

「反転授業の研究」の次のワークショップをどうしようかと迷っているんですよ。マーケティングの手法を使った「集客」という考え方には戻れないので、今回、江藤由布さんがしてくれたような、役割を越境して、境界を曖昧にしていくような動きを、次のワークショップのデザインに入れないと次に進めないと思っているんです。CTは大きなヒントになっています。

江藤さんには、もっと発想を出してもらって作り変えていくことができるんじゃないかなと思うんですよね。彼女と話していて、高校の教員という感じがしないんですよね。イノベーターが、たまたま高校の教員だった、そういう印象がありました。

彼女の才能をもっと引き出していけば、枠組み自体を変えるような展開になるんじゃないかなと思います。

アクティブラーニングと「反転授業の研究」に出会って人生変わったとおっしゃっていますから、人生が変わった者は、それに従ってさらに背中を押してあげないといけないですよね。

枠組を超えるという意味では、今、アーティストの杉岡一樹さんという方をサポートするプロジェクトというのをやっています。杉岡さんは、「反転授業の研究」のロゴを作ってくださった方です。そのプロジェクトにキャリア教育に興味のある教師を何人か誘ってボランティアをしてもらって、10人ぐらいのチームを作って収益化を目指しているんです。教師という枠組みを超えて活動したいという人は、僕の周りに結構多いんです。杉岡さんの生活がかかっているので、失敗できない状況の中で、ブレストして商品作ってスモールビジネスを立ち上げるという経験をシェアしています。オンラインでつながることで、枠組みを超えた活動をしやすくなっていますね。

人の価値というのは、その人が所属している組織とは関係ないところでどれだけ能力を発揮できるのかというところで決まるところがあると思うんです。

プロボノという考えは、人生の中で重要なことだと思います。僕の授業でも、CTや見学者は、みんなプロボノだと位置づけているんです。

※プロボノ(Pro bono):各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。また、それに参加する専門家自身

学生の中には、単位を取らなくてはならないから授業を取るけど、単位と関係がないからやりませんとか、バイトだとお金が入るからやるけど、学外の研修セミナーではお金がもったいないから行きませんとかいうし、社会人でも、自分のドメインのところで本務だから力を入れるけど、それ以外のところは力を抜くというような人は多いと思うんです。でも、本務のところで発揮できる力が、本務以外のところでどれだけ発揮できるかということが重要なんじゃないかと思います。

これからは、安定的な職業に就ける可能性はどんどん狭まってきますからね。これからどんな職に就くのかというのも含めて、本務以外のところでどれだけできるのかということが大切になってくると思います。

僕のこの20年間の経験を振り返ってみると、河合塾の講師をやりながらネット予備校を立ち上げて、ネット予備校がメインになってから反転授業の研究を立ち上げて、というように、メインの仕事をやりながら別の仕事をやっていくことで、状況の変化になんとか対応できたという気がしています。横に可能性が広げていくことで、時代が変わっていっても、撒いた種のうちのどれかが成長していって自分を助けてくれるというのが実感です。

京都には、いくつかの仕事をしながら全体で収入を得るというような人がものすごくたくさんいるんです。

京都生まれで就職で東京に行きましたが、京都に戻ってきて、京都移住計画という団体をやっている友人がいます。

地方都市に移住しようという人が増えてきています。京都では都市部が空き家になっているので、そこに移住するだけじゃなくてコミュニティを作ろうという動きが生まれています。同じような動きは全国で生まれています。

そういうのを見ると、都会ほど給与は高くないけど、1つで専業でやるよりも、いくつかの仕事をすることで全体として収入を上げていくということを彼らは考えていますね。

嘉村賢州さんにインタビューをしたときにも京都でのコミュニティの話になったんですが、そのときは、もっとメンタルな部分にフォーカスしている感じがしたんです。でも移住ということだとちゃんと暮らしていけるかどうかということが関わってきますね。

それをやらないと地方は持たないです。これから世界の中で東京が下がっていくことを考えると、地方はもっと下がってくるわけですよね。地方に新しい人が入ってきて、協働していくようなことが起こってこないと持たないですね。

地方都市に移住する場合、価値観の転換があるんですか。

上昇志向は捨てないといけないですね。自分の周りを住みやすくする。自分たちの生活自体が快適になることを考えていくことになると思います。

東南アジアに行くと、食事できる場所がものすごくたくさんあるのを見るんです。どのお店もほとんど同じメニューで、差別化とかしていないので、「ウチはチャーシューが入っているよ」とか差別化すれば利益が出るのにと思ったんです。でも、よくよく見てみると、そういうものじゃなくて、コミュニティの中で食事を作る担当になっているという感じなんですよ。だからコミュニティの人が朝、昼、晩とそこに食べに来るので、宣伝も必要ないし、メニューを差別化する必要がないんですね。

家事の社会化というものがありますね。日本だと家の中で食事を作りますが、アジアだと家事が社会に出ているんですよね。日本のほうが特殊だというのを読んだことがありますね。

コミュニティという感覚があれば、価格競争ではなくて、コミュニティの共生のための消費活動が起こるんですよね。

おふくろの味というのは、そういうものですよね。その人にとっては特別なものだけど、他の人にとっては必ずしもうまいとは限らない。うまいまずいを超えたつながりがあるんです。

「オンライン講座を販売する」という構造ではなく、別の方法を考えるということは、価値観の大きな変更につながるものです。「反転授業の研究」のオンラインワークショップでは、「販売する」という論理を手放すことにより、「信頼をベースにつながるコミュニティ」が生まれました。これは、僕にとってとてもインパクトがある体験でした。この先は未体験ゾーンなので、どのように進んでいけばよいのか分からないのですが、筒井さんとお話ししているうちに、カオスを恐れずに進んでいけば、どこかよいところにたどり着くのではないかという楽観的な気持ちになりました。

常にカオスを恐れずに突き進んできた筒井さんから、前へ進む勇気をいただいたように思います。

金沢大学 大学教育・開発支援センター准教授 杉森公一さんにインタビュー

2014年11月3日に実施する反転授業オンライン勉強会「ファシリテーションスキル(2)」でお話しいただく、金沢大学 大学教育・開発支援センター准教授 杉森公一さんにインタビューさせていただきました。

支援してもらえなかった大学時代

杉森さんは、どんな学生だったのですか?

私は、大学時代に支援された経験がなかったと感じています。

サークルで楽器を吹いていて、学生実験中には眠りながらフラスコ割っていた学生なんです。留年ギリギリで卒業できて、専門科目に進む能力がなかったので、理科教育のコースに転向したんです。

大学の研究室に入って恩師に出会うまでは、大学からの支援というものを受けてこなかったんですね。

大学院で、よい指導者に出会ったんですね。

恩師の研究室は物理化学・計算化学を主にしていて、化学なのに実験ではなく計算というのはどういうわけか、不真面目な学生が行っても、割と受け入れてくれる土壌があったのではないかと思います。

恩師は二人いますけど、教授は教育担当の副学長になってしまって研究室は1年早く畳むことになってしまいます。当時助教授だったもう一人の恩師は教育研究科でも教えていて、博士課程は取れないけど、教師になるつもりだったら修士課程に進学できるよと言われたんです。

後から気づいたのですが、助教授は筑波大の一期生、教授は東京教育大時代からの教員でした。その研究室は、東京教育大とか高等教育師範学校のよいところを残したような温かさがあったと思います。

研究者であるだけでなく、教育者だったんですね。

その方たちの背中を見て、ようやく私は教育も研究も面白いなと思えるようになって、計算化学でも論文を書けるようになったんです。少人数で徒弟制のような状態だったので耳学で学んでいました。助教授からは、分かんないことは何回でも教えてあげる。分かんないと思うけど、何回でも私は言ってあげると言われて、プログラムの作り方とか、科学的な考え方とか、全部、傍で語ってもらって身につけられたように思います。

研究室に閉じこもらずに、実験室にずっと一緒にいて、寝食共にして、それで、やっと私は救われました。

支援をあまり受けてこなかった経験から、大学生のつまずきに対して、教員や職員が光を当ててあげるしか方法がないんじゃないかということを実体験から感じています。

私自身はできの悪い学生だったと思います。

なるほど。ぼくも大学生のときに支援されたという感覚が全くないんです。大学1年生の1学期で授業がつまらなくなってしまって、友達と自主ゼミをやって勉強していました。大学院に進んで研究するようになって一気に心に火がついたんです。これを振り返ってみると、受け身の勉強が大嫌いだったということだと思うんです。面白くないと思っているのにやり続けたくないという気持ちがありました。これは、ある意味、学ぶということに対する思いが強かったんじゃないかと思います。杉森さんはいかがでしたか?

大学への落胆は大きかったです。高校時代、村上陽一郎さんの『科学者とは何か』という本を読んで、学際的な科学とか、科学コミュニケーションとかを学びたかったんです。

だから1年生のときに学科を決めたくなかったんです。

選んだところが経過選択という、2年生になったら化学か物理か数学か地球科学かを選べるというところだったんです。

自分が化学に行きたかったというのは、化学からは薬学も農学も医療もどこにでも行けるからでした。そこで学際領域が学べると思ったんです。

でも、入った当初には数学クラスにいて、蛸壺の学問をひたすらやらされる感じだったんです。筑波大学は、教養課程がなくて、どの学部の科目も取ってよかったんですが、全然教養じゃないじゃんと思いました。たった一つだけ学際的な総合科目があって、医療と宗教と生物学とを一緒に学べるような科目だったんですが、僕のニーズを満たしたのは、その一科目だけでした。

僕も、同じような気持ちがありました。それで、文学部の授業を受けに行ったりしていました。広くいろいろなことを関連付けて学びたいのに、そういう場がなかったんですよね。

それで、僕は音楽に逃げて、自分で団体を作って、コンサートをするために、当時は電車も通っていなくて陸の孤島だったつくば市に音楽文化を根付かせようと思っていたんです。

そこで仲間作って広報したりとか、ポスター作ったりとか、ベルギーから音楽家招聘してみたりとかという活動をしたことは、自分にとっては大きな学びになりました。

同じですね。僕も、大学の授業が嫌になって野球とバイトに明け暮れていました。それにしても、音楽活動に対して、すごいアクティブに活動されていますよね。大学院では学びたいことを学べたのですか?

村上陽一郎の『科学者とは何か』との2回目の出会いというのは、理科教育に進んだときです。

科学教育というのは、科学哲学と科学史を含んでいまして、理科教師というのは、科学コミュニケーションにとっても近いんです。

やった!やっと学べた!と思って、恩師の助教授に聞いたら、「科学者の仕事というのは、教科書を書いたり、科学コミュニケーションとか、科学リテラシーも含まれるんです。科学リテラシーってとても大切なんで、僕も勉強したいんだよね。
同じ物理化学の分野でも、アトキンスは教科書書きで有名だし、藤永茂という人は、ロバートオッペンハイマーの評伝も書いているし、すごくファンなんだよね。」

こんな人たちっていいよねという話で盛り上がって、この人の言っている人はただの蛸壺の科学者の言っていることじゃないなと思いました。

いつか、科学・技術と社会みたいなことを教えて、その教えるフレームを利用して、理想の学びを一緒に作るような仕事をしたいなと思いました。

杉森さんのお話をうかがって、学ぶことに対する感受性がすごく強い人だなという印象を受けました。「こんなふうな学びをしたい」という気持ちが強いからこそ、それができないときの失望も大きかったし、適切に支援されたときの喜びと感謝も大きかったのではないかと思います。そして、その感受性が、今の活動にもつながっているように思いました。

医療福祉系の私大で教育に関わる

筑波大で理科教育を学んだあと、金沢大学に移るんですね。

金沢大学の大学院で計算化学を研究しました。

もともとは、冷房の効いた部屋にこもってキーボードを叩いているのが好きな人間なんです。ファシリテーションとかアクティブラーニングとは本来は縁がない。

そこから、どのような経緯で教育に関わるようになったのですか?

計算化学のポスドクをしながら収入を得る手段を探していたときに、研究室の先輩が近隣の医療福祉系の私大で助教授をしていて、そこのネットワークセンターの職員の仕事を紹介してくれました。非常勤だと聞いていたので研究室にいて、たまに行けばよいのかと思ったら、そうではなくて毎日来て、学校の200台のパソコンの面倒を見てほしいと言われたんです。私は専門が計算化学だったのでネットワーク管理とかもできるということでネットワークセンターの職員として採用されたんです。

ポスドクの役割と、ネットワークセンターの職員と、非常勤講師の3つを同時にやることになりました。

その研究室の先輩が、研究のスーパーバイザーになってくれて、すぐ近くでアドバイスを受けられる状況になりました。彼は、高校の教員の経験があり、教え方が非常にうまかったんです。

情報処理を教えるのも、ただEXCELの技術を教えるのではなくて、計算化学の観点でもってシミュレーションという考え方を教えるんですね。

たとえ福祉や介護という分野の学生であっても、問題解決の1つとして、アンケート分析の方法からEXCEL上のシミュレーションまでやれるという進んだカリキュラムを持っていました。

彼のカリキュラムのもとで、私はコンピューター教室の助手として後ろでついて個別の学習指導をしていたんです。一斉授業では40人の受講者の中で何人かは授業時間内だけではついていけないので、そういう学生の個別サポートをしていました。

講義のときには、上司のうまい教え方の講義を一言一句ノートにとっていたんです。3年間、授業研究をしていたんですね。

それは、すごい!

教え方が人によって違う。学生がどの教え方で教わったのかによって、質問に対する答えが変わってくるんです。同じカリキュラム、同じ教科書を使っていても、教え方が違っていればつまずきのポイントも違う。

だから、私はオーダーメイドの質問対応をしなければならなかったんです。

50台PCがある教室の隣の準備室に朝から晩まで座っていますけども、ひっきりなしに学生が、課題が分かりませんと言ってくるわけです。たとえ教員がジョークも交えながらうまい教え方をしていたとしても質問が無くなることはありません。また、どんな教え方をしたかによって、質問への答え方が変わることにも気づいたんです。

講義ノートを取ったり、そこまで生徒を一生懸命観察したりするというのは、仕事の範囲を超えていますよね。

はじめは自分のためにやっていました。学生時代、少人数の補習塾で中学の理科と数学を教えた経験はあったんですが、大学での講義の経験がなかったので、講義録を取っておいて、ジョークのタイミングや言う順番、板書の取り方まですべてコピーしたんです。

まるっきりコピーしたら、私は自分で授業を準備する必要がなかったんです。

大学教員になったときって誰も教え方を教えてくれないんですね。ラッキーだったのは、コンピューター教室の助手だったので、ずっとその授業に張り付いていて、3-4種類の先生、カリキュラムをすべて3年間、講義録を取ることができたんです。

学生の個別支援も学べたし、講義の仕方も学べたんです。

そして、それでもついていけない学生の存在を発見しました。

聞いただけじゃ分からないという学生が何人もいるんです。でも、問いかけをしたり、隣で書いてあげると必ず分かるようになります。

ネットワークセンターの職員時代の杉森さんの行動は、完全に「普通じゃない」レベルだと思います。講義ノートには、ジョークを言うタイミングとか、そういったものまで書き込んでいたそうです。そして、その講義を受けた生徒の質問を一手に引き受けて対応していく中で、一斉講義型の授業の限界にも気づいていったわけですね。こういう直接体験が土台になっているからこそ、信念を持って進めるのではないかと思いました。

リメディアル教育

私立大学では何を教えていたんですか?

私は、コンピューター教室の職員でしたので、理学療法、作業療法、社会福祉といった保健系の学生に、一般教養でEXCELやパワーポイントなどを教えていました。

それに加えて、筑波大の大学院で理科教育を2年間学んでいたので、リメディアル教育を担当し、高校までに生物や化学を学ばずに大学へ入学してきた学生に生物や化学を教えていました。

医療系の職種なので生理学や解剖学といった専門科目を受けなくてはいけないんです。細胞について分かっていないのに、健康科学とか生理学とか難しいんですね。看護も同じ危険性を持っています。

理科総合が受験科目になって、物理を勉強していないのに工学部に入れるとか、いろんなゆがみが出てきたんですよね。

看護学部が売り手市場で、全国に200校以上あって、さらに増えると言われていますが、看護の現場って3年離職の割合がすごく高いんです。最近の新人看護師は打たれ弱くって、「本当は看護師になんかなりたくなかった」という気持ちを持ちながら働いて折れてしまうこともある。そういう話を聞くと、大学教育の罪ってあるなと思っているんです。

高校までの学びの充足率が大変低い。高校生物を学んできたとしても、大学教育の合格ラインである60点には届かない。

県内の高大連携セミナーに参加したことがありますが、高校の進路の先生と大学の入試担当者が「連携」ではなく「対決」しているんですね。大学側からは、「高校でちゃんと教えてきてくれないから、大学ではサポートが大変だ」という話が出てきて、それに対して高校の進路の先生からは、「我々は、大学入試に設定されている科目以外は十分な学習成果を出して送り出すことはできません。」という声が返ってきたんです。高校の赤点は30点だから、大学入試の科目に設定されていることで60点まで上げられるというお話でした。もっと言えば、履修さえしていれば単位をあげているわけです。その状況で、入試に設定していない科目まで高校が責任を負うのはおかしいと言っていました。

私は、それは、高校の教育者が言ってはいけない言葉だと思います。私はそれに噛みつきました。私はリメディアル教育の担当者で、高校で生物を履修してきたけど、受験科目としては使ってこなかったという生徒は、20点からスタートするんです。私はリメディアル教育によって、半年で、アクティブラーニング的なこともして、すべての学生に40点上乗せします。そこでやっと、高校4年生から大学1年生になることができます。

場合によっては、中学7年生の状態から大学1年生に引き上げるために、大学入学から半年でやらなければならない。これが、初年次教育とリメディアル教育に課せられた高いタスクなんですね。

いろんな教育の矛盾をそこが引き受けているんですね。

おっしゃる通りなんです。すべての大学が引き受けています。発達障害や学習障害の学生さんも増えているでしょう。学力テストだけで他の能力は問われずに入ってきます。それは、高校だけじゃなくて、小、中、高、大学で、その子の生き抜く力ということについての責任を互いに持ちあわなくてはいけないと思います。

そこから、アクティブラーニングということにつながるんです。

リメディアルでeLearningは有効だと思いますか?

私は一切導入していませんでした。当初は単位にはならなかったんですが必修化してもらいました。必修じゃないとどんどん生徒数が減って、対面であっても拘束力がなければ来ないです。導入科目としてカリキュラムに位置づけたことでようやくリメディアルの機能を果たすようになりました。

eLearningや、MOOCsなどは、「学ぶことは重要だ」という価値観を家庭などから受け取っている動機づけの高い学生にはプラスになると思いますが、動機づけの低い学生には、必ず対面のサポートが必要だと思います。その点で、反転授業におけるアクティブラーニングというのは同じ趣旨だと思います。

杉森さんは、学生時代に大学教育へ落胆し、その後、大学院に進んで救われたという経験があるからこそ、教育を変えなくてはならないという思いが強いのではないでしょうか。そして、大学教育のゆがみが一番大きく表れるリメディアル教育や初年次教育に接する中で、受験制度や大学教育に矛盾を感じるようになったのが次の展開へとつながっていきます。

FD(ファカルティ・ディベロップメント)に関心を持ち始めたきっかけ

FDには、どのようなきっかけで関わるようになったのですか?

勤務していた私立大学でFD委員になり、FDについて調べ始めたんです。そしたら、大学コンソーシアム石川という大学連合の組織があり、そこでビデオ会議をやったりしていることを知りました。金沢大学の大学教育開発・支援センターにFDを引っ張っている人がいるということを知り、FD研修会に毎回参加するようになったんです。1年間ずっと参加していたら、気がついたらレギュラーメンバーになっていたんです。

せっかく共同のFD研修会をやっていても、毎回5-6人で、毎回参加しているのは私一人でした。そのうち、客員研究員として来てくれと言われて、翌年には専任としてセンターに勤務することになりました。

それも普通のことじゃありませんね。

私は、自分の所属していた私立大学をよくするためにFD研修会に参加していた一人の参加者だったんですが、情報を集めようと思って熱心に取り組んでいたがゆえに、その大学を辞めることになってしまったんです。笑

金沢大学の大学院を出ていますので、6年たって教員として母校に戻ってきたという形になりました。

杉森さんは、自分自身の思いから行動しているからこそ、行動力がすごいんですね。石川に20校ある大学の中には、何十人ものFD委員がいたと思いますが、FD研修会に1年間参加し続けたのは杉森さんだけというのはすごいことです。そして、その行動力ゆえに、どんどん枠をはみ出していくんです。

金沢大学の大学教育開発・支援センターでFDを広める

それで、金沢大学の大学教育開発・支援センターに移ったんですね。共同のFD研修会に毎回参加していたのは杉森さんだけだったというのは、普通じゃないことだと思います。何が、杉森さんを動かしたんですか?

大学教育に構造的な問題があることに気づいたんです。

65歳の昔の教え方の教授について大学院を出た若手教員がいるとしますね。その人が、その教え方のまま大学教員になったとしたら、私はその人のことを若手とは思えないんです。66歳だと思います。

私立大学には、いろんな学生が来ます。その中には中退学生もたくさんいます。私がもっと早く気付けば救えたんじゃないかと思う学生がたくさんいるんです。そういった学生の顔を思い浮かべたとき、支援にあたる教員側の問題にも気づきます。なぜ、「66歳」の若手教員の考え方を変えることができなかったんだろうかと思ったんです。

65歳の教員の考え方を変えることは難しいと思うんです。でも、私が強い危機感を感じたのは、中堅の教員でも「学生が悪い」と言っていたことでした。当時は、大学進学率が急激に上がった時期だったので、毎年のように学生の変化が起こっていました。大学教員はFDには参加しているけど、全く太刀打ちならないという状況でした。

私学なので年配の教員もたくさんいますが、昔の教え方で学生たちが寝てて、そこに厳しい言葉を投げかけて、「お前たちなんでできないんだ。僕の頃はこんなんじゃなかったぞ。」って、当たり前ですよね。

昔の上位10%旧制中学、旧制高校の雰囲気をまとった教員に、あるいは大学進学率がいまほど高くなかった時代の教員に、平成20年代の学生たちが罵倒されるわけです。

そういう状況を見たときに、60歳以上の教員の方の中にも気づく方もいらっしゃいますけど、その方たちの考えを変えるのは難しいから若手を変えなくてはならない。そう思ったときに、実は若手も古い考え方を持っている。

この状態であと30年仕事をするのは無理だと思って、苦しくて苦しくて、いろんなものを探し始めたらアクティブラーニングに出会ったりとか、クリッカーやリフレクションペーパーで彼らが毎回どんなことを感じたのかを書いてもらう形成的な評価に出会いました。

それは、学びのハシゴの中で、抜けているところを埋める作業なんですね。スモールステップに分けて梯子の格(こ)を埋めていくことの大切さに気づきました。このように教えるということが、すべての学生が上っていけるようにするという教育哲学なのではないかと思ったのです。

学びのハシゴの段が抜け落ちている場合は、学生はどの段が抜け落ちているかも気が付かないし、誰にも教えてもらうことはない。でも、はしごは登れと言われています。そこで、懸垂の状態になっているんです。

それで、第一段目のはしごを私がリメディアル教育や初年次教育で埋める。二段目のはしごは彼ら自身が埋められるようにする。自分で埋められるようになれば、その上のはしごを自分で埋めていけるようになるんですね。教育工学の言葉で言えば、足場かけとフェーディングです。

教員の役割というのは、彼らに愛情を持って接して、誰しもが自ら梯子を登ることができる能力があるという期待をかけるんです。期待が伝わると登る動機づけになります。そのもとで、適切に梯子をかけてあげるということだと思うんです。

法政大学の児美川孝一郎先生の『キャリア教育のウソ』でいわれているように、3年以内の離職者がすごく多く、100人中41名しかストレーターがいないとか、他の報告では6万人の大学中退者がいて、その中の3万3千人は一生、非正規雇用であるとか、そういうことを思うと、中退の予防というよりは、すべての学習者に社会で生き抜くための力をつけさせる教育というのを大学でやらなければならないだろうと思います。

幼稚園、保育園からはじまって、小、中、高、大、社会へと梯子の連続性を埋めていくことが大事だと思います。教育接続の梯子が抜けているところをちゃんと埋めていくということが、教育者の使命、責任としてあるのではないかと思います。

杉森さんは、大学院で接した教育者としてのあり方を受け継ぎ、自分自身も教育者として取り組んでいるのだと思います。そして、リメディアル教育に関わったことで気づいた大学教育の構造的な問題に対して、持ち前の行動力でどんどん踏み込んでいき、問題解決の方法を探してFDへと行動のベクトルを向けていったのですね。

金沢大学での取り組み

金沢大学での取り組みについて教えてください。

私が取り組んでいる初年次教育は、近視眼的には卒業研究に必要な能力を身につけさせることを目標にしていますが、それは、すべての学生が社会に出てから発揮できる能力につながると考えています。

アメリカでは、大学でどう学ぶのかという導入教育がかなり先行しているそうなんですが、日本でも、この10年、スタディスキルを導入していこうという流れがあります。図書館の使い方、レポートの書き方などから導入していって、より高いレベルへ接続していくということが注目を浴びています。

その中でもアクティブラーニングというのは、有効な方法です。

初年次教育で、アカデミックスキルを身につけさせていくという枠組みで、反転授業やアクティブラーニングを実践していくというのは、いろいろな大学で始まっていますよね。

そうですね。私たちの大学では、アクティブラーニングの実践を、初年次教育から専門課程に広げていこうとしています。

専門課程であっても、議論を中心とした授業にしていこうとしています。これは、アメリカ型なんですが、講義、演習、ディスカッションのセットが週に3コマあって、それが4学期制の中に折りたたまれています。

日本の多くの大学は、半年で15週あって、ずっと一方通行の講義があって、最後に試験やレポートでお茶を濁すというパターンが多かったんですが、大学進学率が51%になった現在、ただ聞いているだけでは身に付かないということはもう分かっているので、すべての学生に教育資源を投入するのであれば、講義の後には必ず演習やディスカッションンが挟まれるべきだろうと思っています。

アメリカ型に偏りすぎではどうだろうかという懸念はあります。アメリカでは卒業研究を取れるのは2割程度なんだそうです。ベンチマーク、マイルストーン、キャップストーンと分かれていて、キャップストーンを取った人だけが卒業研究をすることができます。一方、日本の大学では、法学や医学などの一部の学部を除けば、全員が卒業研究をすることができます。これは、日本型の大学教育システムの大変優れたところです。アメリカの大学関係者に日本では卒業研究を全員がしていると言ったら驚かれます。

卒業研究が、究極の能動的な研究・学習ですから、それを、3,2,1年生に下ろしていきつつ、初年次教育でのアクティブラーニングを上にあげていって、その2つを結び付けていくというように考えています。

アメリカでは、優秀な学生を選抜して、そこに教授の研究指導というリソースをつぎ込むということなんですか?

そういうことですね。アメリカでは卒業研究と学位を切り離していて、卒業研究を取らなくても学位を取ることができます。

4年間の教育プログラムが制度として機能していて、卒業研究はプラスアルファという位置づけになっています

アメリカと日本ではシステムが違いすぎるので、アクティブラーニングだけに注目して、アメリカの教育プログラムをそのまま導入して、さらに全員に卒業研究をさせるということになれば、日本の大学教員は破たんしてしまいます。なので、日本型のアクティブラーニングの導入をゆっくり進めていく必要があると思います。

アクティブラーニングを導入することで、日本の大学教育はどのように変わると思いますか?

大学教員は、授業のやり方を知らないんですね。

目標があって、教育内容があって、評価があってという教育方法について、専門知識や技術を持っていないんです。

反転授業やアクティブラーニングというのは、それを導入することによって、大学教員が教育方法を学ぶ圧力になるんではないかと思っています。

講義型なら、ちゃんと教育方法を学んでいなくてもなんとなくできてしまいますが、アクティブラーニングは、そうはいかないですからね。

おっしゃる通りです。そこに学習観の転換があるわけですね。学習者中心主義、つまり、教員が何を伝えたかではなくて、学生が何を身につけたかに変わります。主語が教員から学生に変わるんですね。学生が何を身につけたかは、学習成果(Learning Outcomes)で示されます。Input重視から、Output重視、さらに、Outcomes重視というのが、大学教育の質保障のバズワードになっています。

Outcomesというのは能力なんです。つまり、学位プログラムとして、彼らがどのような能力を身につけたかということを真剣に考えようということなんです。

平成20年以降、大学は、学位授与の基本方針を学則上に定め公開することが義務づけられました。入学者受け入れの方針、教育課程編成の方針、学位授与の方針という入口、中身、出口の3つの方針を決めて外部に公開するようになりました。

学位授与の方針を公表して、学位を持っているということは、こういった能力を持っているということですよということを明確にしなさいということになったのです。

日本の大学教育についてどのように捉えていますか?

私の仮説ですが、大学教育は今までずっと効果をなしていなかったと考えています。

どの高校を出たか、どの大学に入ったかが重視されていて、大学卒業までに4年間、6年間何していたかと言われたら、「修飾」活動・・・つまり、サークル活動やバイトをこうしていましたということをアピールしますよね。2年生や3年生で就職活動を始めたら、何を学んだかといっても何もないわけです。だから、大学教育の中身って誰も注目してこなかったと思うんです。それで、FDも教員が何を教えたかということにフォーカスしていて、板書の書き方やパワーポイントの使い方を教えていたんです。アクティブラーニングはずっと注目されてこなかったんです。つまり、学習成果については、誰も注目していなかったんです。

学習成果に注目するようになって、アクティブラーニングに注目するようになったんです。

ただレポートやテストをしただけじゃ学習成果が分からないので活動をさせてみようか、アクティブラーニングをさせてみようかということが始まったんだと思います。アクティブラーニングは授業改善の1つの道具立てなんですね。

杉森さんは、金沢大学でどのような役割を担っているのですか?

私は2013年からFDを専任にしています。授業開講の義務はありません。「アクティブラーニング入門」という授業は、センターの裁量の中で研究の一環としてやっています。

うちの大学には1000人の大学教員がいて、それに対して5人の専任のFD教員がいます。専任のFD教員を、アメリカではファカルティ・ディベロッパー(FDer)といって、だいたい教員200人に一人の割合で必要だと言われています。これは、国立大学だからできるのであって、周辺の私立大学には、FDを専任でやっている教員は一人もいません。金沢大学で5人、富山大学で1人です。

大学に専任のFD教員が5人いるというのは、恵まれた環境ですよね。

FDerが5人いるセンターも、この10年、うまく機能していなかったんです。呼ばれたら行く、聞かれたら答えるという感じで、学部に所属していないので大学の教育改善に機能的に参加できなかったようです。蚊帳の外だったんです。でも10年たったらだんだん存在意義が出てきました。3年前から学習成果についての一斉アンケートを取れるようになって、ようやくPDCAサイクルが回り始めて、ようやくセンターが機能し始めました。

前述の大学コンソーシアム石川という大学連合には、大学、短大、高専を含めた20の高等教育機関と、すべての市町村の長が入っています。その組織の運営に私たちのセンターが協力しています。なので、私たちは県内20機関のFD活動も支えています。

日本の大学とアメリカの大学との教育システムの違いについて、とても参考になりました。全員に卒業研究をさせるという日本の教育の良い点と、授業設計がしっかりしていてアクティブラーニング型の授業が多く取り入れられているというアメリカの大学のよい点とを、バランスを取りながらゆっくりと融合させていくというお話に納得でした。

アクティブラーニング入門

杉森さんが担当している「アクティブラーニング入門」という授業について教えてください。

アクティブラーニング入門は、参加者が10人だけの講義でした。人文社会、教育、理工、医薬保健のバラバラの背景を持った1年生の授業でした。

彼らにバトンを渡して、「理想の大学教育を作ってください」という授業だったんです。

彼らに、3グループで理想の大学像を書いてもらいました。プレゼンもしてもらいました。

私が教育改革のシステムを提案して、文科省の大学教育再生加速プログラムに金沢大学が採択されたんですが、彼らの授業をしながらプログラムを考えていました。

私の書いていたプログラムは、FDをけん引していく教員の養成と、それを支える学生チューターの養成、さらに、アクティブラーニングを支える教室環境の整備といったことを書いていきました。

私が考えて書いたことよりも、彼ら学生が、反転授業やワールドカフェをやって、出てきたプレゼンのほうがよほど優れていて、「教育開発」というのは、教員開発と組織開発とカリキュラム開発からなるんですが、学生が抜けているんですね。

学生自身が自分たちで作ればいいんじゃないか。この指とまれで、いっしょに大学作ろうといったほうがよっぽど価値があることに気づかされます。

最終発表の中には、彼ら自身の言葉で、15分の講義があったら、そのあと、15分のグループ学習を入れて、90分を3分割してアクティブラーニングをしたい、そういうのを求めているという言葉が出てきました。

授業で反転授業も経験して、入試改革、高大接続、初年次教育について、新しい大学教育の姿が彼ら自身の言葉で出てきたんですね。彼らと私は大学を作りたい。

10人だからできるという話もありますが、大事なのはFDでの私のおかれているのと同じ状況に置くことです。授業では、私の状況と情報を彼らに伝えました。大学改革の必要性がありますよ。アクティブラーニングがなぜ求められているのか、私がFD研修会の講師として教員研修に年間15回とか20回とか各地のいろんな大学に行きますけども、そこで使った資料と全く同じものを彼らに示して、私が感じて提案しているような資料もすべてポータルにアップロードして情報に触れされる。そこで出てきた問いを中心に問いを深めて、また問いを深めて、彼ら自身でワールドカフェをしていってということをした結果、10人のFDerを作ることに成功しました。

それって、アクティブラーニングだと思うんです。

状況が学びを作るんだと思います。そういった学びをデザインすることがファシリテーションの力だと思います。授業デザインがあって、ゴールが決まっていないかもしれません。おぼろげなものは決まっているけど、何が出てくるかわからない。そこには、本物性がなければなりません。私が仮に本物のFDerか、FDerになろうとしている人間だったら、その熱意というか、授業の合間に出張ばかり行って、仲間つくりに出かけているんですけど、全国のFDの様子とか大学改革の様子とかを知って、私が成長している状態で学生と出会うことが大切なんだと思うんです。

本物の研究者しか、本物の教育はできないと思います。

本物の学ぶ価値を信じている者、新しいものを生み出すことに喜びを感じている者、研究を通して社会や世界を変えたいと思っている人に学ぶ研究室教育ができるんです。日本の教育というのは。そういう状況を作ることが何よりも大切だと思います。

強いられたアクティブラーニング。アクティブラーニングしなさいってカリキュラム設定すること。アクティブラーニングによって主体的な学習をしなさいという自己矛盾。これは、田原さんも感じられているように、アクティブラーニングを大学へ導入するときの違和感と一致すると思います。

杉森さんのアクティブラーニングの授業は、教員と学生が協力して「理想の大学教育」を探求するというアクティブラーニングになっているところが興味深いです。資料をシェアし、大学教育改革に真摯に取り組んでいる杉森さんの姿をそのまま見せ、さらに、学生に期待を込めた眼差しを送ることで、学生は、教わる側という役割から抜け出して、主体的に大学教育について真剣に考えるようになったのだと思いました。その結果、学生から出てきた結論は感動的です。アクティブラーニングの可能性の大きさを杉森さんのお話から感じることができました。

「越境」をテーマにする

学際的な学びや「越境」というのは、杉森さんにとっての重要なキーワードだと思います。その点から考えると、杉森さんが初年次教育に関わっているのも非常に納得がいきます。アクティブラーニング入門にも、その視点は入っているのですか?

はい。科学者と社会を結びつける2つのフレームの境界線を乗り越えるためにはどんな方法があるだろうか。市民と科学の対話の技法について3コマを使って考えました。

つまり科学と技術でどういった理想社会を作るのか、「市民」と「科学」の対話というところと、「学生」と「教師」の対話というところに、私はアナロジーを感じているんです。

これは、つまり、私がかつて受けたかった授業なんです。大学1年生のときにいろんなことを一緒に学べる教養で、こういう学際的な授業を受けたいという理想があって、その理想の授業を作りながら、彼らがいかにして理想の学び、理想の大学教育を作るのか、理想のアクティブラーニングをしたいというのをうまく出会わせることができたんです。

面白かったですね。

修士のときに取っていた10年前のノートをひっぱり出してきて、勉強をやり直しました。

私は科学史とか、科学技術史とか知らないんですよ。でも、趣味のように本を読んで勉強した形跡があったんです。それを見ると、当時の気持ち、学生のときにこんな授業があればいいなと思っていた気持ちを急に思い出して、その興奮を交えながら、反転授業をしたんです。

だから、楽しかったですねー。

大学教育に落胆をしたということと、科学・技術と社会について考えて、科学コミュニケーターやジャーナリストになりたかった自分もかつてはいたんです。

その10人の受講学生の中には、ジャーナリスト志望の者も、医師を志望してい者も、宇宙飛行士になるためにJAXAに行きたいという者も、NPO活動や地域の発展活動に行きたいという者も、教育者になりたいという者もいました。すごく多様な学生さんが集まっていたんです。彼らなりに越境を果たそうとする学生さんばかりだったんです。

授業は、私は音楽だと思っているんです。ライブです。

ライブでは、音楽家は伝えたい思いがあって手を伸ばす。聴き手も手を伸ばして結ばなければ伝わらない。

授業デザインやファシリテーションで私が大切にしているものは、教卓という舞台装置。
私は教卓を使わずに、教卓の前に立つのがメッセージなんです。

教卓はあったほうがいいんです。私は必ず教卓の学生側に立ってスライドは使うけども、机間巡視をしながら、顔と名前を覚えながら、クリッカーや、反転授業を使いながら、教卓の学生側に立っている。

そういうメッセージを持っているんだということを伝えます。

それで、「私はこのようなものを理想の学びだと思っているんですが、皆さんは、どういうものを理想の学びだと考えますか」という投げかけをしました。

そして、図書館のオープンカフェで最終発表をしたんです。

僕は、出張で最終発表は見れなかったんですが、そこには、教育改革担当の学長補佐と、センターの他の専任教員にファシリテートしてもらって、10年も20年も大学改革に関わっているような本物の人たちの前で、彼らの本物を発表してもらいました。

杉森さんのアクティブラーニングでは、杉森さんが最初に「伝統的な教師の役割」というものを超えて、学生に手を伸ばすんですね。そうすると、学生も「受動的に教わるという役割」から抜け出して、杉森さんの手をつかんでくれる。それぞれが枠組みを抜け出すことで、教員と学生の両方に学びが起こっていくのだということなんだということなんですね。そして、それが、「市民」と「科学」の対話のアナロジーになっているということは、「市民」も「科学者」も枠組みを超えたところで手を結んで対話することができれば、双方にとって自分自身の枠組を変化させるような本質的な学びが生まれるのではないかということをおっしゃっているのだと思います。このお話をうかがって、アクティブラーニングについての理解がとても深まりました。

ラーニングがラーニングを促す

杉森さんが、FDerとして成長し続ける姿を見せながら、アクティブラーニングをデザインして、一緒に成長することを促すというのは、とても印象的です。僕のやっている物理ネット予備校でも、反転授業についての気づきなどをメールマガジンに書いたりしているのですが、そこに対するレスポンスがものすごくあるんですよ。

それは、成長している姿に自分の成長を重ね合わせられるんだと思いますし、学ばない人に学ぶことはできないと思います。

学習する組織というものもありますし、人のつながり自体が学習を促すんではないでしょうか。ラーニングがラーニングを促すということです。

学習者のラーニングの二重ループの外側に、教育者のラーニングの二重ループもあると思うんです。私のようなFDerは、教育者のループのさらに外側にループを回す位置にいます。

僕は、大学院で自己組織化を研究していたんです。非線形の偏微分方程式を使ってアメーバの形態形成の数理シミュレーションをやっていました。ワールドカフェについて勉強したら、やったら知っている単語や概念が出てきて、すごく懐かしい気持ちがしたんです。

システム思考には、とてもなじみがあって、複雑な因果関係を捉えるときにはシステム全体を見て、どこが制御パラメータかを見ていくという発想は、非線形システムを扱っていた僕にとっては、当たり前のことだという感覚でした。

杉森さんが計算化学やっていたのと、目の前の80人じゃなくてもっと大きな影響を与えるところにいかなくちゃならないというのは、システム思考の話なんじゃないかと思いました。レバレッジの効くところを変えていかなくちゃいけないという発想は、計算化学をやっていた人っぽいなと思いました。

私は、その自己認識がなかったですね。私のここでの上司の一人に非線形の生命の振動現象を扱っている人がいるんですけど、たいへん近い分野かもしれません。

我々のセンターは、単なるFDセンターから脱却しようとしていまして、教育データでシステムを検証していこうと考えています。教育のビッグデータに我々は向かおうとしているんです。FDで、個々の教員を変える教育開発というのは限界が来た。私が気づいたことは、多くの教員にFD活動を広げたいということなんですけど、私たちの組織としては、次の展開がありまして、IR(Institutional Research)という大学の教育機関でどのようなことが行われているのかということをデータを元に戦略を立てていこうということを考えています。人的な資源とか、経営の資源とかをどこに重点配分するのかということを直感でやっていたらどうにもならないので、データを元にやろうということなんです。アメリカではそのような取り組みが進んでいて、例を挙げると、中退を減らそうしたときに、学生に多様性があり、ヒスパニック系とか黒人系の学生の中退率が高いので、それをどうやって抑制したらよいのかというのをデータで学習成果を測っていこうという活動が進んでいたりします。

日本の大学も学習成果を測っていこうという方向を向いていて、私は統計を教えていることもきっかけで、このセンターに採用されています。FDを知っていて、さらに統計ができるからということで呼ばれたんです。

授業改善をするFDを回すIRという位置づけです。

リメディアル教育とアクティブラーニングから始まって、それを回すギヤとしてFDがあります。そのFDを回すさらに外側のループとしてIRがあるんです。私はIRの専門家としてキャリアを切り直さなければならないという状況になっています。

真剣に問題に取り組んでいくと、次第に問題のメカニズムが明らかになって来て、最初に考えていたフレームでは解決できないことに気づいて、枠組を広げて、より本質的なところに移動していくということなんじゃないかなと思います。

私自身の表現では「越境」と読んでいます。私は3年ごとに分野が変わっているんです。化学、理科教育、計算化学、福祉工学、大学教育開発ときているんです。3年たったら人間の成長が止まっちゃうんじゃないかなと思っているんです。

導入期はがむしゃら。発展期は自分で独り立ち。応用期は支援に回る。

1年目、2年目で気づいたことを使って、3年目は、まわりの人を巻き込んで支援に回っていく。

4年目は、いつも、自分の組織をはみ出ちゃって、3年たったら、異端児になっちゃって、なんかそこにいられなくなるんですね。

成長したら、異端にならざるを得ないんじゃないかなって思うんです。

僕は5年くらいのペースですが、杉森さんは3年なんですね。成長のスピードがすごいですね。でも、やっていくと、自然とそうなりますよね。

5年というのも感覚的に分かります。3年たつと等速直線運動になって、でも、そのあと2年くらいはそれを回したいという気持ちもあります。私の場合は、もうちょっと回したいなと思っているときに、様々な事情で枠を出ることになってしまっています。

杉森さんは、最初は現場で生徒に対して授業改善をしていき、自分だけの授業改善だけでは限界があると感じてFDとして教師の授業改善の支援に回るようになり、さらに、FDが効果的に機能するための組織であるIRへ移動しようとしています。行動し続けていくことによって、枠組みを次々とはみ出して越境していき、問題解決のために、より大きな効果を生み出すところへと移動していくわけなんですが、お話をうかがっていると、その越境が、とても必然的なことだと感じました。

顔と名前を覚えると劇的に変わる

同じことを5年続けると苦しくなってくるんですよね。予備校講師をやり始めて最初の5年は授業改善の連続だったので楽しかったんですが、5年たつと飽和してきて、同じことを繰り返すのが辛くなってきました。

生徒は入れ替わるので、新鮮な気持ちで楽しんで授業を受けてくれるんですが、自分自身は同じことを繰り返している、ビデオテープを再生しているというような感覚が生まれてきました。

それで、講義のネット配信を始めて、新しいことに挑戦し始めたんです。

大学院で教えている数学教員の方で同じようなことをおっしゃっている方がいました。「私は3年教えてきて教え方はうまくなったかもしれない。でも、振り返ってみると、私はビデオで再生されているような気がする。」とおっしゃっていました。

そのときに、学生に声かけていますか?

学生の顔と名前を憶えていますか?

学生に伝わるということがどんなことかということに自覚ありますか?

と言ったら、「いや、ないです」とおっしゃっていて、自分がビデオ再生されているという感覚があるだけじゃなくて、学生に対する関心もあまりなかったんですね。

毎日、10名ずつ名前を覚えることから始めて、声かけるところから始めてみませんかってアドバイスしました。たぶん授業改善がスタートしていると思います。

数学者としてずっと歩んできて、突然教えるようになった。相手は大学院生。3年教えてきて次のステップは、学生への注目ということで、私が感じたような状況をもし感じてもらえるんだったら、眼差しを持ってもらったら、たぶん回っていくんじゃないかなと思います。

名前を覚えると劇的に変わりますよね。僕は予備校講師時代に数百人の生徒に物理を教えていたんですが、その数百人の名前を覚えたんですよ。問題演習のときに名前を見えるところに書いておいてね。覚えるからといって、演習しているときにずっと覚えていたんです。一生懸命、いろんな語呂合わせを考えて、顔と名前を一致させて覚えていたんです。名簿を見ないで、指しはじめると全然授業が変わるんです。

予備校では、普通は新幹線で校舎に来て、授業をやって、バーッと新幹線で帰っていくという関係性だから、ふつうは名前なんて憶えないんですよ。その中で、「この人は、自分に関心を持っていて、自分と関係を作ろうと思っているんだ」と思ってもらった段階で、本当に劇的に変わりますよね。

まだ、授業が下手だったころに質問の列ができるようになって、カリスマ講師じゃなくて、地味な物理の先生なのに、なぜか質問の列が廊下まではみ出して1時間半待ちとかになっていたりしたんです。

それで、僕のところに来て、「今日は寮でこんなことがあって・・」とか「田原先生はいとこと顔が似ている」とか言って、質問のついでに雑談をして帰っていくんですよ。

そういう関係性ができると、こちらが喋ったことが、相手の頭の中に入るんですよね。

私も、チームティーチングで入ったときに、すべての学生の授業に助手として入れるんですね。だから、全員の名前を憶えている教員は私一人だったんです。もちろん一斉講義でも100人の名前を憶えてというところがスタート地点になりました。

今、関係性という言葉がありましたけど、彼らは、アクティブラーニングの前に、他者を受容するということができていないんだと思っているんですね。

自分は自分。ネットの向こうに共感する人がいる。または、メールの向こうに共感する人がいて、対面ではない。他者というのは、教員も自分と異なる社会、教科書もそうなんです。字離れとか、学問離れとか、教科書離れ、読書離れ、マンガ離れが起こっているんです。テレビも見ないんですって、今は。情報はSNSで十分だと。そのときに、彼らを越境させる手段というのは、名前を呼ぶということなんでしょうね。あなたはそこにいると伝えるだけで、自分が発見されるんじゃないですかね。自分はここにいて承認欲求があるんだけど、誰も認めてくれない透明な存在である。その中で、教師が名前を呼ぶということが、いかに彼らの存在をはっきりとさせて、そのあとに、他者が受容されて、言っていることが内化するのだと思います。

ルーブリックを使うのも、ルーブリックの基準が学習者に内化されるから使うんですけど、反転授業のいいのは、一人一人に問いかけてくれているという錯覚があるわけです。eLearningは悪いと言いましたけど、反転授業のビデオはいいと思います。自分一人に問いかけられている気がしますから。

僕は、予備校講師を始めて3年くらいは、新しい物理教育を目指すということに気持ちが向いていて、生徒よりも自分の教え方に関心が向いていました。でも、あるときをきっかけに生徒とか、親とかに関心が向かい始め、祈るような気持ちで合格を願っている親と同じ気持ちになりました。同僚の予備校講師が、自分の息子が大学受験のときに「ここを最後、見直しておけ」というリストを作っても持たせているのを見て、僕にもできそうだと思って、出題予想を始めたんです。それまでは、「予想」なんていうものに批判的だったんですが、合格させてあげたいと思ったら、できることを何でもやろうと思いました。そこから、生徒と本気で関係性を作るようになりました。教師に受容的に認識されて、名前を呼ばれるということが、関係性を作る上で重要な一歩だったのだということを、お話をうかがって再認識しました。

反転授業について

僕が作った動画講義って、予備校講師時代に壇上からしゃべっていたことをそのまま動画にしたものなんです。でも、動画にしたら、それは、「教材」なんで、自分から切り離すことができて、生身の自分は、それを使ってアクティブラーニングをすることによって支援者に回れるようになりました。「分かるところは倍速で飛ばしてねーー」とか言いながら自分の動画を教材として使ってもらって、生身の自分は、ひたすら問いかけながら、彼らの主体的な学びを引き出すファシリテーションに徹することができるんですね。これをやるようになって、再び授業をするのが楽しくなりました。

アーロン・サムズさんの授業の様子が、同じような雰囲気でした。

ビデオ見てこなかった人のために教室でビデオを見ることができるようにしてあって、そのほかにアクティビティも用意していました。

彼は、高校化学の教員だったので、何人かはプロジェクトをやっていて、携帯電話の充電が切れるのが嫌だから太陽電池で水素を発生させておいて、夜中に水素を使って充電をさせたいという生徒がいて、「太陽光から燃料電池を作る」というプロジェクトをやっていたんです。

反転授業にすることでできた時間によって、学校内の研究プロジェクトを支援することができたとおっしゃっていました。

一斉授業をしていたときは、そんなことはできなかった。

難しい宿題を家で一人でやらせることはなんて無駄なんだろうか。それだったら、その難しい課題を一緒にやるようにしたほうが意味があるんじゃないだろうかと思います。

しゃべっている、アクティビティが多い者が一番学んでいる。それなら、講義をやっている者(=教師)が一番学んでいるわけであって、アクティビティの少ないただ聞いている者(=学生)は、全く学んでいない。学ぶときって、自分で手を動かすときに学ぶので、授業の確認をペアで、言葉や身振りや、書いたりとかしてやったほうが、アクティビティの量が多くなるので学びが深まると思います。

反転授業をやるようになって、生徒から、「90分間があっという間に過ぎた」「次の授業が楽しみでたまらない」という声が出てくるようになりました。授業が終わった後は、頭を使ったという実感があるようです。アクティビティが多いということは、学んでいるということであり、楽しいことなんだということなんだから、生徒のアクティビティが多くなるように授業をデザインしようというのが、反転授業の重要なポイントだと思います。

杉森さんは、越境をし続ける

杉森さんは、学際的に学びたいというところから理科教育や化学を選択し、さらに、専門化する前の初年次教育に関わり、教育の構造的な問題に気づいてFDやIRというようにどんどん活動の範囲を広げていっていますよね。でも、こうやって見てみると、背後で繋がっているように思います。

変な越境をしている気がしますね。

かつて私は80人とか200人とかの学生を伸ばすということを一生やりたかったんです。でもいまの私の目標は、100万人の18歳人口の全員を伸ばすことなんです。だから、それに関わるすべての若い教員の方を仲間としてネットワークを作って、小、中、高、大、全部含めて考えていきたいんです。ですから、教員開発だけじゃなく、教育開発へつなげていきたいんです。仮に金沢大学と石川県の大学連合の教育改革がこの5年でうまくいくならば、石川県の大学に進んでよかったと学生全員が思えるはずなんです。

私は、いつか小・中・高・大をつなぐNPOをやりたいんです。大学コンソーシアム石川という団体がありますが、さらにそれを広げて、学校コンソーシアムというようなものを作らなければいけないだろうなと思うんですね。

それにはかなりの資金を集めなければいけないでしょうが、大学だけで乗り越えられる問題ではないと思います。

私は、富山県出身なので、北陸をなくしてはいけないという思いがあります。

小学校がどんどんなくなり、高校も統廃合が進むで、北陸の大学をつぶすわけにはいかないんです。ですので、近隣の大学のFDのアドバイザーもしているんですけど、大変な状況です。

そこで学習の重要性とか、学習者を大切にするという文化が必ずしもないところで、一人一人説得をしながら、身を切りながらやっていると、もうちょっと違う枠組みでやらなければいけないんじゃないかなという思いも生まれています。

教育コンサルタントとか教育開発のファシリテーションにはまだまだ可能性があると思います。

大学だからとか、高校だからとか、教員だからとか、そういう話じゃなくて、私たちの地域を救うためには、私たちはどういう行動を取らなければならないのかって、答は見えているようなものなんですね。

3年もすると組織の器からあふれ出してしまって越境せざるを得なくなる杉森さんの行動力の源は何なのだろうかと考えてみました。それは、「夢」というような具体的なものではなく、もっと抽象的なものなのではないでしょうか。

それは、たとえば

「狭い枠組みに閉じこもるのではなく、そこから出て手を伸ばしてつながるのがよい」

といったような、「夢」よりも一段、抽象レベルが高いイメージを持っていて、そのイメージに従って判断しているのではないかと思いました。

蛸壺的な学びではなく学際的な総合科目を学びたいという学生時代、科学ジャーナリストやサイエンスコミュニケーターになりたいと考えたこと、音楽家と観客とがそれぞれ手を伸ばして作るライブ、専門科目ではなく専門家と市民を繋ぐ理科教育、薬学や農学ともつながる化学を選択、教師や生徒という役割をはみ出して手を結んで一緒に学ぶアクティブラーニング、組織の枠を超えて理想の学びを実現するために仲間を探していく活動・・・・というように、現実の選択肢の中で何を選ぶのかというときに、そのイメージが、杉森さんの方向性を定めているように感じました。 そして、一貫してある方向へ選択し続けることによって、杉森さんの活動がどんどん積み重なっていく様子をインタビューから読み取ることができました。

杉森さんの勢いは、ここで留まるはずはなく、これからも様々な境界を超えて越境し、理想の学びの実現のために活動の幅を広げていくはずです。今後の展開がとても楽しみです。

場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビュー

「反転授業の研究」の田原です。ファシリテーションを学んでいく中で、ファシリテーターとして活躍している方の考え方を知りたいと思うようになりました。そこで、場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビューさせていただきました。

嘉村さんにアクセスしたきっかけは、第2回反転授業オンライン勉強会で発表してくださったmanabiai schoolの杉山史哲さんのFBへの投稿を見たことでした。

投稿を引用します。

場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さんが、新しい場創りの手法「マグネット・テーブル」を開発されました。

嘉村 賢州 さんの場創りの志向生とかなり近いものを感じている自分としては、これは使うしかない!と思っています。

ざっと見た感じだと、OSTより簡単に生成的な場ができそうな感じ。

おそらく、違いとしては、OSTはファシリテーターのbeing や語りが重要な要素になっているのに対し、この新しいマグネット・テーブルでは、その部分をルールで補うことによって、気軽に出来るようになっている…と思います。

OSTやりたいんだけど勇気が…という方にはピッタリ!

そしておそらく、OSTの場を創るのに十分な時間がない時にもこの手法が活かせるように思います。

学校現場でも使えそう。

僕は、杉山さんのことをかなり信用していて、その杉山さんが、”場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さん”と呼ぶ嘉村さんに、ぜひ、お話をうかがってみたいと思いました。それで、その日のうちにアポを取り、インタビューさせていただくことになりました。

最初に、嘉村さんの現在の活動につながる流れをうかがいました。

チームやプロジェクトに参加した学生時代

嘉村さんが、場創りに関心を持ちはじめたきっかけは?

ずっと前から一部の人が話すんじゃなくて、全員が知恵を出し合って進めていくのが意味があるだろうというのが、頭の片隅に残っていました。

その後、京都大学に行って、大学の授業は一方通行でどんどん難易度が上がっていくためついていけなくなり、その一方で、人が知恵を出し合ってモノを作っていくプロジェクトベースの集まりというのが、すごく自分の中ではまっていきました。好奇心の赴くままに、いろんな団体、いろんなプロジェクトに出入りし始めたというのが原点です。

団体やプロジェクトに参加してみていかがでしたか?

そうすると、うまくいっているチームも、うまくいっていないチームもあるんです。ファシリテーションを学んでいて、やっているけどぎくしゃくしているチームもあれば、ファシリテーションなんか学んでいなくても、すごく仲良くて、普段ご飯食べて仲良くしているだけで、何も議論していないのに、イベントのときはすごいクオリティを発揮するチームとかあるんですね。

いいチームと悪いチームの違いって何なんだろうと探究するようになりました。自分自身もリーダーとして引っ張っていく機会も増えていく中で、場創り1つをとっても、チームによって全然違うということを認識していった学生時代だったんですよ。

僕も、今、ワークショップをやったり、プロジェクトチームで仕事をしたりしているんですが、うまくいったり、いかなかったりするのを経験して、その違いは何かというものにとても関心があります。嘉村さんの話に、重要なヒントがありそうだと感じました。

コミュニティで生まれた「魔法の時間」

学生のときからチームやプロジェクトに関わっていたのですね。

大学4年生のときに、せっかく出会った人たちが、より応援し合えるような関係を継続的に作れないかと考えるようになりました。プロジェクトベースの集まりというのは、関係性も深まるけど、解散すると散っていくんです。それで、コミュニティという概念と出会い始めました。

コミュニティを作るために京都に家を一軒借りました。2階に4人住むと4万円ずつ出し合うと16万円になるんで、京都だと一軒家借りられるんですね。その家の1階を24時間、365日開けっ放しにして、信頼する人を連れてきて、紹介で連れてこられた人は、2回目からはアポイントなしでいつでも来て使っていいよという一見さんお断りのコミュニティを作ったんですよ。リアルmixiっていう人もいました。ちょうどmixiが誕生するときと同時ぐらいに生まれたものだったので。5年くらいで1000人くらい訪れるようなコミュニティになりました。不思議なことに、その場で、初対面で集まっているはずなのに、信頼する人の紹介というものがあるだけで、初対面なのに夜には泣きながらしゃべっているというような深い時間が訪れたりするんです。僕らは、「魔法の時間」って呼んでいました。そういう表面的な会話じゃなくて、弱点とか、しっかりした意見じゃなくてあやふやな意見とか含めて、交わすことができるというのがすばらしいなと思いました。この「魔法の時間」のような対話が広がっていったら世の中変わるんじゃないかという思いが生まれました。その原点がコミュニティにありました。

これは、コミュニティを作るうえでとても参考になる話でした。信頼できる人の紹介という担保があることで、最初から心をオープンにできるというのはよく分かる気がします。そして、そのような場によって、人と人とが次々と繋がっていくということに大きな可能性があると思いました。

就職→ITベンチャー→街づくり

コミュニティの経験から次の展開が生まれるんですか?

はい。コミュニティで出会った仲間とITベンチャーを立ち上げました。実は、ITベンチャーを立ち上げつつ、一度、就職したんですよ。でも、結局、1年後にITベンチャーにジョインすることになりました。紹介制コミュニティーでどんどん出会いが広がったように、人生って縁のある人、価値観を同じにする人とか、共感する人との出会いが人生を豊かにすると思ったのんです。それで、縁のある人と出会い、深まる仕組みをITで実現できないかと思い、縁のある人と書いて、「京都サーチ縁人」というサービスをITベンチャーでやろうとしていました。

京都サーチ縁人はうまくいったんですか?

それが、1年でとん挫してしまったんです。そのときに自分がITでこれから生きていくのか、それとも他に再就職するのか、どうしようかと悩んだんですが、人のつながりが人生を豊かにするので、コミュニティとか対話とかで仕事していきたいなと思いました。

それで、紛争解決の技術などがヒントになるなと思って研究を始めました。2006年ごろにシアトルのペガサス・カンファレンスという「学習する組織」の世界大会に参加したりしました。そこには、ワールドカフェを作ったアニータ・ブラウンとかも来ていたりしていました。そんなことをやりながら、ワールドカフェとかOSTとか、絶対に地域で使えるはずだという確信を持つようになりました。

僕は京都が大好きなんですが、京都はしがらみが多い街なので、そのしがらみを対話によって超えられるんじゃないかと思って自主的に事業とかをやっていきました。そのうちに、京都市でもやりたいという声がかかって京都市未来まちづくり100人委員会という100人規模の集まりを毎月1回開催するということになっていきました。その頃は、ワールドカフェとかOSTで街づくりするという事例がほとんどありませんでした。横浜と京都がほぼ同じ時期に始まったところでした。その実績で、企業でもそういう対話が必要だということで声をかけていただいて、今は、地域とかNPOとか企業とかで対話の場を創らさせていただいています。

場創りというものを掲げて活動しているうちに、いろいろなものがどんどんつながって広がっている感じですね。

こういう道って、分かりやすいアンテナがあると、自動的に縁が縁を呼ぶという感じで広がっていくので面白いですよね。

人と人とがちゃんと繋がると、その繋がりが、新たなつながりを生み出してネットワークが広がっていくというのは、僕もこの1年間で経験しています。その経験を通して、人と人とを繋げるということにずっと取り組んできた嘉村さんの周りには、すごく豊かなネットワークができているはずだということを明確にイメージできました。

「魔法の時間」が生まれる条件とは

「魔法の時間」というのが、人と人とがどのようにして繋がるのかを考える上で、とても重要なヒントのような気がするんですが、そのような場が生まれる条件は、どのようなものだとお考えですか?

人間って面白くて、興味を持たれると興味を持つし、心開かれると心開くし、この順序が難しくて、いきなり初対面の人に夢を語れと言っても、夢って自分のアイデンティティなので、自分の夢は笑われてしまうとか思って話せなかったりするじゃないですか。

「安心・安全の場」ってよくファシリテーションでは言いますけど、弱さも含めて全部話しても大丈夫なんだという安心感をコミュニティに感じるかどうかというのが要素だと思います。

紹介制コミュニティーのときは、来た人が、自分が信頼する人が紹介する場だということで大丈夫だろうと感じたことで、うまくいったのだと思います。

嘉村さんの作ったコミュニティーでは、「信頼する人が媒介となっている」ということが、安全・安心の場を創る上で大きな要素になっています。アクティブ・ラーニングでも、「安全・安心の場」が重要になりますが、そこでは、グランドルールの存在と、生徒の可能性を信じて見守るファシリテーター役の教師の存在がカギになっているような気がします。どのようにして「安全・安心の場」を作ることができるのか、そのエッセンスについて考えていく上で、嘉村さんのお話は、大きな手掛かりになると思いました。

ゼロからつなげるときにはステップを踏む

紹介制コミュニティーじゃないときは、どのようにして「安心・安全の場」を作るのですか?

自分がゼロからファシリテーションを依頼されるときには、いきなりそこまで行けないんですよ。どうしても。そのときは、ステップを踏んでいます。

一番最初は共通項を見つける。同じ日本人とか、同じ映画が好きとか、共通項を見つけることで少し距離が近づきます。次に小さな共通体験をします。一緒に何かを作り上げるとか、プレゼンテーションを一緒に作るとか、料理を一緒に作るとか、共通体験をすることで深まっていきます。次に、考えていることとか強みとかを話していって違いを楽しむというか、自分とは違ういいところをもっているなというのが共有されていく段階へ進みます。最後に、それをさらに超えて、不完全さとか、悩みまでも吐き出すことになったら、全面の安心につながるので、かなり深いつながりになっていくと思います。

ただこれをデザインしすぎるのも違うと思っていて、対話の場がうまくつくられたら自然にそういうのが進んでいくと思うんですけど。

順序が違うと、うまく繋がれなかったりするんですか?

どうしても逆転できないというか、一番最初に違いをきかされても、自慢話にしか聞こえなかったりとか、嫉妬心が生まれたりとかもするので。異業種だったりとか、違う背景を持った人の集まりだったりとかだと、この加減が難しいところですね。

「ステップを踏む」という考え方は、自分の中に全くなかったものだったので、目からうろこでした。このように考えると、今すぐに繋がることができないように思える人でも、時間をかけてステップを踏んでいくことで、将来、繋がれるようになる可能性が生まれてきます。人と人とのつながりというものを平面で捉えるのではなく、時間軸も入れて立体的に捉えることによって、可能性が広がるのだという気づきがありました。

異なる属性の人同士で交流する難しさ

日本の社会って異質なものと交流するのが苦手だと思うんですよ。自分から心をオープンにして繋がっていくのが苦手で、マーケティングによって、消費傾向ごとにセグメント化されて、振り分けられた同じセグメントの人と表面的に付き合う傾向があると感じています。

金属の球を物理的にただ接触させてもくっつかないけど、表面を溶かして接触させると融合して強いつながりになるじゃないですか。人と人とのつながりも似たようなものだというイメージがあって、活性化エネルギーを超えてある種の化学反応が起こらないとつながらない気がしているんですよ。そして、その反応が起こる場を創るのがファシリテーターじゃないかなと思っているんです。

そうですね。産官学連携とか、異分野コミュニケーションとか、異分野融合とか、ずっとうたわれてきたんですが、ファシリテーターのようなものを軽視して、異業種交流会とかも設置し続けてきたのでうまく融合することができないことが多く、その結果、異業種交流会に行っても仕方がないとか、結局、異分野融合は無理なのねというあきらめモードに入っているところもありますしね。

ちょっともったいないですね。

異なる背景を持った人同士が相互理解に至ると、違いが創造に結び付き、お互いにとって大きなメリットが生まれると思います。でも、背景が違うため、簡単には相互理解へ至ることができず、むしろ反感などがうまれやすいです。そのためには、嘉村さんがおっしゃっているような「ステップを踏む」といったような工夫や仕掛けが必要になってくると思います。そこにファシリテーターが活躍する要素があるのだと思います。

「知的保留」という考え方

対話の結果、相互理解へ至るというのは感動的な体験だと思うんですが、それを体験したことのない人に伝えるのって難しいんですよ。たとえば合気道の技とか、外から見ていると「わざと投げられているんじゃないか」と思ったりするけど、実際に投げられてみてはじめてどんなものか分かったりするのと似ている気がするんです。でも、対話を広げていくためには、それを語っていく必要があると思います。嘉村さんは、どうやって対話の体験を伝えていますか?

未来を創り出す姿勢として大事な言葉がありまして、「知的保留」というのがあるんです。

合気道なんてないという人を「盲信」の反対で、「盲疑」というんですよ。

「盲信」も「盲疑」も思考停止状態を指すんですね。

すぐに信じてしまうものもそうですし、すぐに拒否するのも考えているようで考えていないんですよ。幽霊なんていないとか。そういう安易に結論を出さずに、あるかもないかも分からないというモヤモヤの状態で考え続けているという努力を「知的保留」っていうんですね。

知的保留をした上で、対話をしたりとか、活動したりすることこそが、現状を乗り越えて新しい未来を創っていく上で大事な姿勢だと言われています。

「知的保留」という考えがあるんですね。

ファシリテーション業界に、U理論というものがあります。U理論の前半戦は、ダウンロードの段階から脱出するところからいきます。人の話を聞くときに、人は自分の枠組みで話を聞くということを行ってしまうんですね。相手のことに耳を澄ましているときというのは、例えれば、洞窟の中で頭にサーチライトをつけて洞窟を探求しているようなもんですね。光を照らして、何か宝物はないかというような構えで聴くことが本当に必要な聴き方なんですけど、多くの人は、頭の上の懐中電灯を灯しているようで、プロジェクターで自分の聴きたいように物事を映していると表現されているんです。

洞窟に存在しないものを、自分で映し出してしまっていて、それを見ているということですね。

そうです。自分の聴きたいように聴いてしまいがちなんです。じゃなくて、自分のプロジェクターを手放して、本当にありのままで人の話を聞くと、本当の共感とか理解が生まれてくるんです。

そうしたときに、本当に人の話を聞くと、自分の中で混乱が起こるはずなんですよ。自分とは違う人生経験とか考え方してきた人の考えが目の前にあるので、混乱するはずなんです。

でも、多くの人は聴きたいように聴いているので、「あ、あのことね」とか、「本に書いてあったあのことを、目の前の人はしゃべっているね」とかいうようにグリッドに合わせて聴いてしまうので、混乱は起こらないんですね。

そういうダウンロードを手放した聴き方を続けていくと、カオスが生まれてくるんですよ。人の話も好奇心を持って聞けるようになるんですよ。相手がBという意見を持っていて、自分がAという意見を持っているときに、本当に好奇心を持つと、相手のBという考え方はどんなふうに生まれたんだろうという心の底からの好奇心が生まれてきます。そのような姿勢で聞いたときに、次に生まれるのが、自分の考え方ってどういう背景でどこから生まれてきたんだろうというように、自分の考えに対してもすごく好奇心が生まれてくるんですよ。

ダウンロードの聴き方をしているときは、基本的に自分の考え方は正しくて、相手は間違っているという形になっているんですね。そこを手放したときに、自分の考えって、実は、親の影響をうけているなとか、こういう経験をもとに生まれてきた考え方だなとか、そういうことに好奇心を持てるようになります。そうなると、自分の考えを手放せるようになってくるんですね。

相手の考えをしっかり聞いて、自分の考えを手放し始めると訳わかんなくなってくるんですよ。これが、カオスで、ファシリテーション用語では、Grown Zoneというんです。

その、もやもやして、わけのわからない状態でも、この先に何が必要なんだろうということを考え続けて、ちょっとあきらめに近い領域で、何が次だか分からないというときに、自分のこだわりを捨てた瞬間に、新しい未来が降ってくるという理論なんですね。

人間はどうしても、未知の世界に対しての地図を欲しがるというか、知識とか、戦略とかで、自分がどこへ行くかというのを確かめながら進んでいきたいもんだと思います。居心地が悪いんで。そこを確かめずに、委ねることによって未来というのが現れてくるんだというのがU理論の考えです。

なるほど。僕は、物理から生命科学へ移動して、生きている状態とは何かということを研究していたんですが、その中で一番感動的だと思ったのが、生き物がそれまで従っていたルールを手放して飛躍する瞬間なんですよ。そこに、機械とは違う生き物の本質を感じていました。たとえばテントウムシを手に這わせると「上向きに歩く」というルールに従って歩き続けるんです。ところが、指の先まで来るとそのルールが適用できなくなってきます。それでどうするかというと、しばらく足をバタバタさせるんです。それまでのルールから抜け出すために内部にカオスを自分で作り出しているように見えるんです。そして、カオスを経由して「飛ぶ」という別の行動へ移行するように見えます。これは、U理論ととても近いイメージです。

本当に生命にはヒントが盛りだくさんだと思います。教育とかでもカオスを避けがちで、もったいないですよね。

僕の恩師は「カオスには世界をサーチする力がある」と言っていました。僕は、結構、その言葉に救われたんですよ。

僕も、はじめて知的保留な生き方というのに触れたとき、自分に勇気をくれたというか。答を出すことが必ずしもいいこととは限らないというところは、ありがたかったですね。

嘉村さんのお話で出てきたU理論については、こちらが参考になります。

utheoryfirstview

※画像はこちらからお借りしました。

僕は、学び方には2通りあって、PDCAサイクルみたいに経験からのフィードバックによって改善、最適化していく学び方と、今までのやり方を手放して新しいやり方を探していくような学び方があると思っています。U理論は、後者の学び方についての理論です。慣れ親しんだやり方を手放し、未知のものを探すというのは恐怖心を感じるものなので、なかなか難しいことですが、それを乗り越えた成功経験を積み重ねることで、破壊と創造を繰り返しながら、よりよいものを求めていくことができるようになると思います。

古いものを手放して、新しいものを探している状況は、よりどころがない不安な状況ですが、そこに「知的保留」という肯定的な意味を与えることで、未知のものへの探究活動を後押しできるのだということを嘉村さんの話から感じ、感動しました。

カオスの中で道なき道を進んできた

一見すると、嘉村さんは、京都大学を出て、自分がこれだという道を見つけて、ここまで順調にやってきたように見えますが。

そんなに順風満帆でもないですからね。僕は発達障害的なものを抱えていて、ADHDなんですよ。社会人になってから分かったんですけどね。よく考えてみると、小学校のころから机がぐちゃぐちゃで、中から給食で残した腐ったパンが出てくるみたいな、いわゆる典型的な発達障害の症状があったりして、自分の中にコミュニケーションコンプレックスもすごく持っていました。

一回、就職したときも、グループワークは5段階で5くらいの成績を残してきたんですが、「ほうれんそう」があまりできなかったり、資料整理ができなくてつまづいたり、プレゼンがうまくできなくてつまづいたりだとか、そういう意味で、普通の人ができることができなかったので苦労もしました。

あとは、NPOを自分たちで経営しているので、ビジネスを回していく苦労はしてきたかなと思いますね。道なき道を作っていっているというか、前例のないところをやろうとしているので、そういう意味では、毎回毎回カオスの中にいるというか、勇気を持ってやってみるしかないという感じでした。真似るんだったら過去から学んでいくらでも方法論があると思いますけど、ファシリテーターを仕事にしている人自体がほとんどいませんでしたから。なぜ、ファシリテーションなんかにお金を払う必要があるのという時代でしたから。

今は、職業化したファシリテーターがだいぶ出てきて、心強いなと思っています。

新しいことに挑戦しているということは、過去の改善から学ぶことができず、未来から降ってくるものを直感によってつかみ取っていくことになります。そういう意味では、ファシリテーターを仕事にするということは、カオスの中で未来を探し続けるということなのだと思いました。それを自らが実践してきた嘉村さんだからこそ、カオス状態にある人のことを良く理解し、支援できるのではないかと思います。

嘉村さんが場創りで体験したかけがえのない経験

嘉村さんは、一貫して場創りに関わっていらっしゃいますが、なにが嘉村さんを場創りに駆り立てているんですか?

魔法の時間みたいなものを味わって、そのあとファシリテーションをしていく中でかけがえのない経験を数多くしました。

たとえば、企業の部門長クラスで、上からも下からもプレッシャーを浴びているような人で、はじめは、管理職の役割としての発言はするけども、個人としての発言なんか出ないというような人だったんですけど、半年くらい一緒にやっていくうちに、残りの職場人生で若いやつらに何を残せるのかということを涙しながら語ったりするわけです。そういう人が本当に持っているやさしさだったりだとか、自分の命をどう使うかとか、そういうものが溢れるシーンを、いくつか見せていただいて、すごくかけがえのないところに自分は関わらせていただいているんだなと感じました。それが原動力になっていると思います。人間の本当の良さをまじかに見ることができる場所にいるなという感じがします。

なるほど。シンガポールでワールドカフェのホストの方の自宅に招待されたことがあって、そのとき、3時間くらい二人で対話をしたんです。いろいろな問いかけをされて、いっしょに考えていくうちに、自分に対してすごく整理されてクリアになってきました。後になってから、自分は、いろんなものを引き出してもらったというか、かけがえのないことをしてもらったなという感覚が生まれました。嘉村さんの場を体験した人も、そういう感覚を持っているのではないでしょうか。

海外のファシリテーターの皆さんは、そういう哲学を地でいっていて、本当に人を信じているなというファシリテーターの方にたくさん出会わせていただきました。本当にオープンで、本当に信じているなというのが伝わってきました。

日本にコーチングを持ってきた人の一人で、CTIを立ち上げた榎本英剛さんという方がいます。彼は、、本当に世界中の誰でも宝物にすべきものが眠っていると心の底から思えれば、コーチングのテクニックなんていらないんですよというようなことを言っています。

榎本さんは、今は、地域づくりに分野を移されているんですけど、そこでも同じことを言っています。地域を持続可能な地域に変えていくという世界的な動きがあって、トランジションタウンというんですが、その考え方は、地域の未来を創るのに必要なものは地域に眠っているので、安易に外部の人を呼んでこようとかせずに、地域の中にあると信じて地域づくりをすれば、絶対未来が生まれてくるというものなんです。

榎本さんが使うたとえで、このようなものがあります。

「今から皆さん、最寄りの駅に行くまでにお金が絶対に落ちていると信じて歩いてみてください。そしたら、必ず1円とか10円とか落ちていますから。でも、どうせ落ちていないと思って適当に歩いたら絶対に見つからないですよ。一回、絶対あると信じて歩いてみてください。絶対に見つかりますから。それと同じで、あると思い込んで接するのか、あるかもしれないないかもしれないと思って接するのかでは、全然違うよ」

これは、たぶん榎本さんが1000人以上コーチングやってきた中で、本当に一人一人が宝物ということと出会ってきたことから来ているたとえなんだと思いますね。体に人を信じることが落ちているので、そこまでいけるんだなと感じています。

僕自身も場創りに関しては、すごく数をこなさせていただいて、途中でトラブルが起こったりすることは当然あるんですけども、だいたいいい未来が生まれてくるというのを経験して、ようやく信じられるようになってきたというのがあります。

この話をうかがって感じたのは、教室にいる教師の存在も同じだということです。生徒の可能性を心から信じてそこにいるということが、様々なテクニックよりも重要なのだということを言われたような気がしました。

コントロールを手放して場にゆだねる

最近、場を信じるということの重要性を実感する体験がありました。ファシリテーションの有料講座の参加者を募集していたんですけど、今までは、マーケティングの手法に沿って募集していたんですが、メイン講師の福島毅さんの想いとか、自分の今の気持ちとかを考えていくうちに、「一方的に情報発信して販売する」という手法自体を変えていかなければならないんじゃないかと思って身動きが取れなくなったんですよ。ちょっとカオスになっちゃったんですね。それで、リスクは感じたんですけど、自分の考えをオープンにしてみたんです。

そしたら、いろいろなフィードバックが来て、運営側と受講者という境界があいまいになって、訳が分からなくなってきて、そのうちに、みんなが助けてくれて講座が成立するくらいの受講者が集まりました。フィードバックを受けて、毎日、申し込みページが更新されていくというのは、初めての経験でした。

すばらしいですね。まさにコントロールを手放して、リスクも取って、委ねた中で生まれたものですね。本当に素晴らしいですね。

勇気を出して、手放されたからこそ生まれたストーリーじゃないですか。それは、他の人にも勇気を与えるストーリーだと思います。

今のストーリーは、まさに、サイモンシネックのゴールデンサークルの話ですね。

アップルとか、ライト兄弟とか、マーチン・ルーサー・キングとか、成功しているリーダーは、考え方と表現方法に他の人とは全く違うものがあるという話です。

普通の企業は、分かりやすい差別化要因だったり、どんな機能があるかというところから語る。たとえば、うちのパソコンの性能は最新鋭のCPUを揃えていて、画面の解像度は素晴らしいですなんていう話から入っていくとか、うちの法律事務所は、こういうような専門家が集まっていて・・というような。機能で説明するというのが多いんだけども、ライト兄弟も、マーチン・ルーサー・キングもアップルも、何を信じているのかというところから語っている。Whyから考えよう。多くの企業はしゃべりやすく、言語化しやすいWhatから語るけども、卓越したリーダーは、言語化できないWhy、なぜそれをやりたいのか、なぜそれを信じるのか、何をそこに希望を見出しているのかというなぜから語るという話でした。

田原さんは、まさに今回、恐れを手放して、勇気を持って・・Whyって否定されると一番つらいところじゃないですか。違うと言われたらアイデンティティに関わるようなことを、勇気を持って信じていることをあいまいでもいいのでしゃべられたというので、共感が生まれて、まわりをも動かしたということだと思うんですよ。

それは、本当に素晴らしい一歩を踏み出されたなと思いますね。

そうおっしゃっていただけると、自分の中で確信のような感情が生まれてきますね。ちょうど同じ時期に、まったく考え方の背景が違う方同士がコミュニケーションを取っているところに間に入る機会があったんですね。同じ言葉を使っているのにお互いにほとんど言っていることが分からない状況で、ストレスが溜まってきて、「もうやめましょう!」みたいな感じになったんです。そのときに、今までだったら感情的になって、それで終わりにしていたような気がするんですが、たぶん、僕の中でいろんな変化があって、「これは、分かり合うためのチャンスだなー」という気持ちになったんです。それで、ストレスを感じた状況を共有して、その原因をみんなで考えることにしたら、分かり合えたような感覚が生まれました。これも、自分にとっては、インパクトがある経験でした。

原体験でそんなのを持っているのは、本当に素晴らしいですね。

すごくいいと思いますよ。知識から入ると逆効果ですからね。知識から入ると、ダウンロードで入ってしまうじゃないですか。いろんな反応が起こったときに、「ああ、あの本に書いてあったあの反応が起こった」というように場を捉えるわけじゃないですか。でも、それって、もしかしたら違うかもしれないというところとかも、全部、解釈されてしまいます。だから、まずは、実践ありきのほうがいいと思っています。

自分もファシリテーションとか、コーチングとかに興味あったんですけど、逆に変な影響を受けてしまうと思ったので、6-7年間は一切勉強しなかったんですよ。自分なりに試行錯誤して、どういう場がいいのか、どういう場が悪いのかというのを体感で試行錯誤して、それを、その後の5-6年で知識で整理していったという過程を踏みました。

今、知識がないと怖いからという理由で勉強から入ると、結構、間違った方向に行きやすいと思っています。コーチングでも、勉強から入った人のコーチングって、変に目標設定されちゃったりして、操作されている感じがするんですよ。人と人との純粋なやり取りがある中で、スパイスとしてのノウハウはありなんですけど、ノウハウで人って動くものじゃないですから。田原さんは、すごくいいプロセスを踏んでいられるなと思います。

今回の2つの例は、理屈ではなく、直感で動いたという感じなんですよ。

たぶんそうだと思いますよ。そのプロセスで、「本音出したら次動くだろうな」というもんじゃないじゃないですか。たぶん、これ伝えておかないと絶対に嫌だというような直感というか、そういうのに駆り立てられて、それで、これで理解してもらえなかったらしゃあないという手放しもあったりしながら、たぶん一歩進まれたと思うんですけど、それは、理屈で考えてもできるもんじゃないなと思います。

自分の体験を言語化して嘉村さんに語ったことで、改めて自分にとっての体験の意味が明確になりました。論理的に行動したほうがよいフェーズと、直感的に行動したほうがよいフェーズとがあり、その両方の使いどころが整理された気がしました。カオスから抜け出すときは、過去のデータから割り出された解は意味がないので、直感に従うべきだということを言語化できました。

人間的な成長を促すファシリテーション

今、教育分野では、一方向的に知識を与えるのではなく、生徒が主体的に学ぶ力を育もうという機運が高まって来ていて、アクティブラーニングや反転授業が注目されるようになってきています。その中で、教師には、ファシリテーション能力が求められてきています。嘉村さんは、教育について、どのように感じていますか?

教育は、本当に大事ですよね、基本的に知識詰め込みが多いじゃないですか。今の田原さんみたいに興味を持ったときの吸収率ってすごいと思うんですけど、今の学校教育って、好奇心が生まれる前に教え込んでしまっているので、知識面でも吸収率が悪いし、入っていかないですし、入ったところで自由自在に活用できる知識ではなくて、テストで点数を取れる知識になっていると思います。そういう意味で、考えてから知識を入れる、好奇心を持ってから知識を入れるというようなファシリテーションというのは意味があると思います。

そもそも、対話というものは、自分は何者なのかとか、自分はどうありたいのかとか、日々、自分のメンタルモデルを作り替えていくというものなので、学校教育が知的成長だけを扱うんだったらいいんですけどね。人間的な成長を扱うのであれば、ファシリテーションは不可欠だと思います。

ここで嘉村さんがおっしゃっている「人間的な成長」というのは、メンタルモデルを疑って変更する経験を通し、自分を成長させていけることだと思います。「テストでよい点数を取るのがよい」という1つのメンタルモデルに従って学校生活を送り続けることは、知的成長をすることは可能かもしれませんが、「メンタルモデルを作り替える」という体験をしないことの弊害も出てきます。アクティブラーニングや反転授業の役割として、「メンタルモデルを作り替える経験をさせる」というものが、対話の中から浮かび上がってきました。

一生懸命やっている人ほど考え方が変わるはず

僕は、ファシリテーションについて考えていったら、アメーバ―型社会のようなものにたどり着いたのですが、嘉村さんは、社会についてはどのように考えていますか?

社会のメンタルモデル自体を変えなくちゃいけないと思っています。この間、派遣村で有名になった湯浅誠さんという方と対談して文芸春秋に取り上げてもらったんですけど、考えがブレないことが強いリーダーだというメンタルモデル自体が今の社会の弊害の一つなんじゃないかという話をしていました。

本当にいいものや良い社会を作ろうと思ったり、よい理念を追いかけていたら、新しいものと出会うはずで、新しいものと出会えば変わるはずなんです。一生懸命やっている人ほど、考え方が変わるはずで、変わることを良しとしない限り、より安定、より平凡な方向へ行ってしまいます。ブレる人ほどいいと思います。僕は、マニフェストの政治が嫌いなんです。事前に結果を約束してからやるんじゃなくて、方向性とか問い、これを信じているんだけどなということを言って、後は、通った後、試行錯誤しますということじゃないといけないんじゃないでしょうか。こんな世界にしますということを詳細に書くマニフェストというのはちょっとおかしいんじゃないかと思っています。そのブレたらいけないメンタルモデルをまず変えないとダメだなーというように思って、そういう対談をしていたんですよ。

失敗が許されない世界というか、もっと社会実験ができる社会にしていかないと、どんどん衰退していきますよね。

過去の経験から生まれたものを改善するだけでは、限界がありますよね。

そうですよね。アインシュタインの言葉で「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない」という言葉があります。

何か問題が起こったときには、その考え方だから問題が起こっているわけなので、考えの次元を上げないと、つまりメンタルモデルを変えないと解決しないんですよということだと思います。

いじめがおこったという学校があったとすると、いじめが起こってしまう何かを教えている学校のメンタルモデルがあって、それを根本的に変えない限り、誰かのせいにしたとしても変わりませんよね。

アインシュタインは、まさに、ニュートン力学の一様な空間、一様な時間という前提を疑って、それを覆すことによって矛盾を解決しました。僕が科学を勉強していてよかったと感じた瞬間は、カオス理論とかゲーデルの不完全性定理とか、ポパーの反証可能性とかに出会ったことで、1つの方法論を突き詰めていくと、内部に矛盾が生まれてきて、前提が問われ、それによって枠組みが広がっていくというプロセスの普遍性を学ぶことができました。自分の物理授業にも、公式暗記の学習法を手放し、原理からすべての法則を導いて解くという方法を学ぶということがテーマになっていますが、今回の対話により、それをもっと一般化して、「自分の前提を疑い、それを乗り越える」という要素を入れたいと思いました。

負の連鎖を対話によって少しずつ剥いでいく

ストリート系の友人と会話をしていたときに、その人が、社会を中心の輪の中にいる人と外側にいる人とに分けてイメージしていて、内側の人が本音を隠して生きているのに対して、ストリート系は外側で本音でつながっていると言っていたんですね。僕は、現状の社会では、全くその通りかもしれないと思いました。でも、それは、既存のシステムに認められている部分と、システムから排除されている部分とがあって、ストリート系とか、方向性は違うけどエロ妄想系とかを、システムから排除されているがゆえに本音として認識してしまいがちだという部分もあると思っているんですよ。だから、ある意味、システムによって「本音」が制約されてしまっていると思うんですよ。そういう制約を、対話によって乗り越えていけないかなと思っているんです。

たぶんそこでその人が本音を強調されるのが、本音を出して傷ついたりとかいう経験があって、まだそれを解消できていないからそこにいると思うんですよ。ストリートをやっていない人とは本音で関われないとか、関わる自信がないとか、そういうことがあって、そういうことを言ってしまっていると思うんですけど。

あらゆる人がそうだと思うんですよ。どっかで体験したトラウマとかがあって。

自分は社会起業家という立場にいるんですけどね、社会を変えていこうということで、一見、ポジティブなんですけど、結構、攻撃的なNPOとかもいっぱいあるんです。あれは、よくないものを変えるということをやっていることで、自分が安定したいということだという人もいるんですよ。教育も心の底から子供たちを応援するというのでやっている人もいれば、教育という教える側と教わる側の上下関係によって自分を安定させたいという部分もあると思うんです。そういう自分の持っている負の部分を安定させるために動いてしまうというのは、誰もが持っていると思うんですけど、その連鎖だと思うんですよ。

自分の子どものころに夢をかなえたかったけど親に反対されて挫折せざるを得なかった人が、大人になると、夢なんて持っても意味がないと思うので、部下が何か提案したときに否定的に行ってしまうとか、若者が夢を語ったときに「現実社会はそんな甘いもんじゃない」と言ってしまったりとか、いろんな負の連鎖が世の中に起こっていると思うんですけど、対話っていうのは、そういう負の連鎖を少しずつ剥いでいってくれる気がするんですよね。

一番最初に言ったような信頼関係で安全、安心の場ができたときには、自分の弱さとか悩みとかも言えるようになってくるんですね。そういうのを言っていくうちに、解放されていくと思います。

成長過程で背負ってきたいろんなトラウマとか挫折経験とかによって、純粋に人の役に立つとか、自分を生かすとか、人を信じてつながることの喜びとか、自分自身を生かすことの喜びとか、本来持っているものを発揮するのを邪魔していたものを取り除いていくのが対話の効果だと思っています。

じわじわと変化していくんですね。

漢方薬的ですよね。対話を経験していくとだんだん免疫力が上がるような感じです。対話の場を踏んでいけばいくほど、人のつながりに対する信頼感とか自分への信頼感が高まっていくというような効果があるかなと感じています。

ファシリテーションの中には構成的なプログラムをバシバシ!とやったり、ファシリテーターが引き出して!みたいな場創りをする人も結構いますけども、それは、わりと西洋医学的な感じですね。短期的にバーンと変えるという感じです。

それに対して、非構成的な場を信じて待とうというのは、わりと漢方薬的で、究極変わるのはあなたたちですよという感じです。

たまには緊急治療も必要なので、構成的な仕切り方では「何とか変えてみせましょう」というのも悪くなくて、それこそ西洋医学をやることも必要なこともあるのでいいんですけど、一人一人の主体性や気づく力を育むのは、非構成的な場だと思っているので、できれば信じて待つファシリテーションをやりたいというのはあります。

嘉村さんのお話をうかがって、対話が、社会や個人の心の中の様々な歪みを、少しずつ直していく力を持っていることがよく分かりました。それは、自分が体験していることとも一致することなので、とても説得力を持って心に響きました。

ファシリテーションの重要性にいち早く気づき、先頭を切って様々な試行錯誤を積んできた嘉村さんのお話から、学ぶことがたくさんありました。

嘉村さんが代表理事を務める「場とつながりラボ home’s vi」はこちらです。

登壇者紹介 小河節生さんにインタビュー

11月に実施する第14回反転授業オンライン勉強会でお話しされる小河節生さんにインタビューさせていただきました。

小河さんは、企業人としての経験が豊富なのに加えて、インターネットを通じたビデオオンデマンドの授業を提供しているビジネスブレイクスルー大学(BBT大学)でLearning Adviserをした経験をお持ちです。

教育関係者が多い「反転授業の研究」の中で、企業人としての経験が豊富な小河さんのお話は、アクティブラーニングとビジネスの現場とを結びつける上でも非常に参考になると思います。

グループワークに興味を持ったきっかけ

小河さんがグループワークに興味を持つようになったきっかけは?

会社での経験がきっかけです。

メーカーのA社に30年前に入社して、相手は、英国航空エンジンメーカR社とか米国G社とか相手に仕事をしていたら、彼らは非常に事業戦略をきちんと持った上で日本企業を相手にしてくるんですね。

彼らは、自分たちがいかに生き延びるのか、その(自分たちの利益を伸ばす)ために、日本をいかに利用するかという戦略で来るんです。

当時、1990年代ころは、日本も円が安く、日本人は勤勉だから仕事を任せても確実に期限までにやってくるので、うまく使える民族だなと思っていたんでしょうね。

当時の日本は、コスト競争力があり、日本人の年齢構成も若くバイタリティがありました。

安くて正確で速く仕事ができる。その割には、ビジネスにおいてはウブで利益よりも、仕事がもらえればいいやという人たちが多かったんです。

ですから、利幅の大きい稼げるところは欧米人がやって、勤勉にやらなきゃいけない現場の仕事とかを日本にやらせてやろうという感じで仕事を持ってきて、使われていたという感じでした。

やがては日本もだんだん円高になり、コスト競争力がなくなってきました。

じゃあ、利鞘の大きいところに行かなきゃいけないとなると、どうやって戦略的にそういうところに出ていかなければならないか、当時の経営者層は、そういうことが分からなかった。

経営戦略を立てる上でMBAを取っておかなきゃいけないなと思い始めたのが、90年代半ばでした。

欧米の企業の経営方法を学ぶ必要があると思ったのですね。それで、MBAを取りに行ったのですか?

当時、MBAを取ろうとしても、経営幹部には理解がなく、ビジネススクールに行きたいと言っても頭がおかしいと思われていました。それで、自分で通信制でMBAを取れるビジネススクールに通いました。そこで、問題解決力を理路整然とつけてもらえました。最初は基礎コースでしたので、状況をいかに情報収集して分析して問題点の根本を探ってどうやって解決していくのかということをやりました。

その前、2000年頃に米国航空エンジンメーカG社と仕事をした時に、チームワークで課題・問題の解決をするかを覚えました。それが、チームビルディング、チームの中のリーダーシップ、ファシリテーションというものの重要性を身をもって分かったという経験でした。

欧米は個人主義なんて、当時、言われていたんですけど、そうでもなかったです。チームで連携よく行動してくるというのを学びました。

米国航空エンジンメーカG社がやっていたシックス・シグマは、非常に優れたチーム活動で動いていまして、その中で、いかにしてチームを束ねて成果を出していくのかということを、よく学びました。

アメリカ人というのは、こんなにチーム力を生かしてやってくるというのは、驚きでした。

確かに欧米が個人主義で、日本はチームワークが得意というイメージがありましたが、違ったのですね。

80年代は、製造業を中心に日本のチームワークが有効で、Japan as No.1とか言われておだてられていたんですが、日本のいいところをアメリカが学びなおして、90年代になって反撃に来たという時期で、日本がJapan as No.1からひっくり返りかけていたころでした。そのときの日本を見ると、チームで活動できていなかったなと思います。

小河さんが、ご自身の経験から、ビジネスの現場ではチームワークが重要だということを感じて、グループワークについて学び始めたというのは、とても説得力がある話でした。製造業でグループワークがどのように行われているのか、さらに詳しくうかがいました。

アクティブラーニングは、ビジネスの現場でどのように役立つのか

仕事の現場で、グループワークはどのように利用されているんですか?

私は、今、A社から別の会社に転職して、ラーニングアドバイザーとか、地方の学生を集めて勉強会をやっているんですが、辞める直前に、バリューエンジニアリングという製品の品質とかコストを改善するためのグループワークをやっていました。

実際に製品の改良を、そのグループでやりました。

僕もそうなんですが、多くの教師は、グループワークが社会でどのように使われているのかぴんと来ないので、そういう話を教えていただけると、アクティブラーニングと仕事との関連性がイメージできるようになって助かります。

一般企業に勤めていないとぴんと来ないところもあるかもしれませんね。

私は、メーカー系の会社しか知らないですが、大手の製造業はグループワークで製品改良というのは、どこの会社でもやっていると思います。サービス業でやっているかどうかは、分かりません。

バリューエンジニアリングをやっているという企業、シックスシグマをやっている企業は、間違いなくグループワークを導入していると思います。

グループワークがうまくいくコツは?

グランドルールを作って、みなさんをその通りに従わせるというファシリテーターの役割が重要です。あるいは、リーダーとファシリテーターが一緒なら、リーダーがグランドルールを徹底するということだと思います。

自分勝手なことを言ったり、何も言わないという人はいますから、メンバー全員がグループワークに最初から適応するかと言ったら、それは無理だと思います。いかに話をうまく持っていくのかというのが、ファシリテーターやリーダーのスキルだと思います。

グループワークでは、ファシリテーターやリーダーの役割は、どのような役割を果たすのですか?

共通目標を見えるようにするのがファシリテーター、または、リーダーの役割だと思います。職場を改善したい、お客さんの満足度を50%から80%にしたいとか、メンバー全員に共通の目標を持たせるようにしていくのが重要ですね。私もファシリテーターとかリーダーの立場でものを言うと、自分のことではなくて、グループの共通の利益になるのは何かなというのをお互いに認識してもらって、「そうか、俺たち同じ船に乗っているんだね。じゃあ、こっちに向かって頑張ろうか」という風に持っていくんですね。そうすると、各自のやることというのがだんだん認識できるようになってきます。利己的でなく利他的でないといけないということです。

システム屋さんだったら、システムの改善をどうしたらよいかとか、モノづくりの作業工程を作る人だったら、現場に行って作業者がやりにくいところは何ですかねというのを聞いてくるようになるとか、そういう違いが出てくるかと思います。何したらよいかが、だんだんと分かってくるんです。

部門から代表が出てグループを作るのですか?

そうですね。部門ごとに分かれていることが多いので、設計者もいれば、営業の人もいる。資材調達の人もいる。実際に現場を持っている人もいる。アフターサービスもいるという状況で、お互いの組織の利害が中心になるのを、どうまとめていくかですね。

部分で最適化していたものを、組織全体で最適化する感じですか?

そうですね。サッカーで言ったら、スタンドプレーだけではだめなので、誰をおとりにして、誰がゴールを入れるのかといったチームワークですね。その辺が、90年代のアメリカ企業は、日本から学んで逆襲してきたわけですけど、いい成績を上げるためには、お互いの役目が分かって、連携して動けるというところがすごかったですね。最近は、アメリカ企業もまたおかしいですけどね。

大きな組織になると、多くの部門に分かれていて、それぞれの部門の利害と、組織全体の利害とが必ずしも一致しないときに、社内のステークホルダーが集まって、組織全体の利益を最大化するためにグループで話し合うというのは、とても分かりやすいお話でした。

欧米ではファシリテーターの地位が確立している

以前、シンガポールのワールドカフェホストの女性の自宅に招待してもらったことがあるんですが、彼女の夫は、アメリカのグループワークのトレーナーで、世界中を回ってトレーニングしているという人でした。豪邸に住んでいて、アメリカの会社では、グループワークが重要視されているんだなと感じました。

そうですね。IBMのCEOのルイス・ガースナーが、お菓子会社の社長から、IBMへ行って、業績が出せるというのは、コンピューターのことを知らなくても、まわりの人をまとめてIBMを立て直すことができたからでしょう。お菓子屋さんが、コンピューターの会社を立て直すことができるというのは、ファシリテーション力があって、ベクトルを揃えて、バラバラだったベクトルを一方向にしたらあれだけの業績が出るんですね。

アメリカと日本では、人材についての考え方が違うんですか?

アメリカでは、欲しいスキルのある人は、ドライにどこかから持ってきますね。引き抜いてくることもあるでしょうし、契約社員みたいな感じで持ってくることもあるでしょうし。今、その場にいる人を無理して育てようという感じは、あまりアメリカはないみたいですね。その分野で優れた人を連れてこようという感じですね。

ファシリテーターとしての経営者になるか、特定の分野、たとえば、プログラミングが優れているとか、何かの技術計算が得意な人だとか、マーケティングが得意な人だとか、特定な分野がすぐれた人になるかというのは、それぞれでしょうね。No1になれば、どちらでも非常に高いフィーがもらえると思いますけど。

どちらでも、自分が才能がありそうだというほうを磨いてくれればと思いますね。

私は専門じゃ無理だなと思うので、ファシリテーションの能力を磨いていこうかなと、まだ、この年で思っていますけど。

組織の中のベクトルを揃えることができれば業績が上がっていくということが共通認識になれば、そのためのスキルを持つファシリテーターの重要性も認識されるようになるのだと思います。現在の日本では、ファシリテーターの認知度はまだまだ低いと思いますが、今後、重要性が少しずつ認識されるようになってくるのではないかと思います。

逃げずに責任を取るのがリーダー

リーダーシップとファシリテーションの違いは何ですか?

ファシリテーション能力とリーダーシップの能力は、どちらも両方あるといいですね。

リーダーというのは、ビジョンがないといけないと思います。それを、自分で示しても良いですし、誰かからもらってきたものを示してもいいですけど、はっきり示さないとゴールが見えないですから。

リーダーとファシリテーターというのは、必ずしも一緒でなくても良いと思います。リーダーとしてビジョンを分かる人、グループをまとめあげる能力というのは、必ずしも一人の人が持っていないと思うので。

会社の経営を例に挙げると、昔のホンダだったら、本田宗一郎さんがリーダーで、「俺は、こんなバイクが作りたい、こんな空冷の車が作りたい」と言って、はっきりとしたリーダーシップを持つと。ただ、彼の場合は、すごく変わった頑固おやじだから、会社の経営はそんなに得意でないので、チームの和をまとめるのには、藤沢さんという方がファシリテーターとして組織を支えたんですね。

トヨタだったら、トヨタの本家の人と、大野耐一さんですかね。この二人がリーダーシップとファシリテーターを分担していると。

その組織をこうしていきたいんだよという強いビジョンを持つのがリーダーシップ。というように僕は理解しています。

後は、逃げないことですね。責任は、最後に取るということです。

うまくいかなかったら、それはお前らのせいだと言って・・そういう会社ありましたね。うまくいかなかったのは従業員のせいだって、そんなことを言っちゃだめですよ。

原発壊れちゃったのは、俺たちのせいじゃないって、それはリーダーシップじゃないですよ。

ビジョンを持って、逃げずに責任を取るのがリーダー。

チームを支えるためにはファシリテーターが、そうですね、野球で言ったらキャッチャーみたいな人が必要になるというイメージですね。

日本では、どうですか?

日本の場合だと、妬み嫉みのほうが多いのか、足を引っ張ることのほうが多いみたいですね。だから、全くしがらみのない外国人の経営者を連れてきて、その人にやらせるというのがパターンとしては多いですね。日本人でそれができる人というのはなかなか・・。

能力があっても、反感を買ってしまって周りが付いてこないというパターンが多いです。

それは、派閥の利害関係のほうが優先されてしまっているんですね。業績が悪化したりして危機感を感じる状態にならないと連携できないんですか?

不思議な日本人の精神構造だと思うんですけど、本当の危機になっても、ベクトルが揃えられないパターンがあります。光学機器メーカO社なんかもそうですね。派閥抗争を繰り広げて、結局、会社の業績が上がらないままということですね。不思議ですよね。

でも、倒産してしまったら、派閥とか意味がなくなるんですよね。それでも、派閥を手放せないというのはどこから来るんですか?

私の勝手な推測ですが、きちんと責任取っていないなと思います。自分の地位に安住することが優先。でも、そのまま行ったら沈没するという場合でも、どこかで誰かが助けてくれるという甘えがあるような気がします。

原発事故をやっても、だれも責任を取らないでみんな逃げちゃう。会社潰しても、私のせいじゃないといってみんな逃げちゃう。きちんと責任を取るということを教えていないという気がします。

小学生の時は、よく先生に「あなたの責任!廊下に立っていなさい」って怒られましたけど。そういうことは、それ以後、全然ないですものね。

僕たち団塊ジュニア世代の人は、偏差値教育のど真ん中で、テストの点数で振り分けられて、「あなたは理系、大学はこの辺、就職はこのあたり」って振り分けられていったという感覚があるんですよ。僕は、そこに強い反発があって、自分で選びたいと思っていたんですが、そのまま振り分けられていって、選んだという感覚がない人も多いと思います。それが、責任を感じないということと関係ありませんか?

それが、背景にあるかもしれませんね。

自分で選んだから、自分で責任を取るというのはあるでしょうね。

振り返って考えてみると、私は自分の人生を自分で決めていますね。最初に付きたかった仕事について、途中の転換も自分で決めていますもんね。

これが必要なんだという自分の気持ちに沿ってやっていますね。やれと言われたんならモチベーション低いんでしょうけど。

対話の中から、主体的に行動することと、責任感との関連性が見えてきました。アクティブラーニングによって主体的に行動する人を育成していくことは、同時に、責任感を持って行動する人を育てていくことにもつながるのではないかという思いが生まれました。

必要に応じて短期間で知識をローディングする

少し前に、TED動画で『Joi Ito: Want to innovate? Become a “now-ist”』というのを見たのですが、そこでは、高度に知識化する社会では、前もって学んでおくよりも、必要な時に学ぶスキルのほうが必要だと言っていました。必要な時には、学ぶ意味がはっきりしているので、一気に学べるんですよね。小河さんはいかがでしたか?

前もって学んだことで役立ったのは・・・

大学では工学部だったので、流体力学とか材料力学だとか習ったんですが、あまり役に立ったという記憶がないですね。

何が役に立ったのかというと、考えてみれば、グライダー部で学んだチームワークのほうが役に立ちましたね。

学校でやる基礎の学力って、あんまり役に立っていないなと。

実際にいついつまでにこういう成果を出さなくちゃいけないから基礎知識を勉強しなきゃといったほうがエネルギーの短期集中度は高いですね。

一時的にローディングするんで、そのときは専門家みたいに覚えているんですけど、あとは忘れますけどね。まあ、あとでまた、思い出すことはできますけど。

工学部で学んだことも、あまり役立たなかったと感じているのですね。

職場にもよりますけどね。いきなり空気力学の設計をやってというところなら、流体力学が役に立ったと思いますけど、私が行ったのは現場だったので、現場のおじちゃんたちをうまく動かすほうが中心でしたね。自分で飛行機を作れないんで。

だから、おじちゃんたちが気持ちよく、どうやって働いてくれるのかなということが関心でしたね。

モノを作る技量は、明らかに現場のほうが上ですから、教えることなんて何もなくて、教えてくださいです。

ただ、研究、設計部門の人に言わせると、大学でやってきたことというのは幼稚すぎちゃって、またそこにギャップがあって役に立たないって言っていましたね。

最先端の知識、技法は、短期で急速に覚えなくちゃいけないというところで同じですかね。ここまでの到達点をいつまでにやれというのがないと、しゃかりきになって勉強はできていないなという印象を受けます。

ここまでやらなきゃということになると、徹夜してでもやると。自分の経験や、まわりで起こっていることからすると、そちらのほうが多いと思います。

短期間でローディングして学ぶのに必要なスキルは?

手あたり次第文献を読んでみて、関係のありそうな文献を見つける嗅覚というのは必要かもしれません。全部読んでいたら終わりませんから。ぱっと目次を見て、中身をちらちらっと見て、これは関係ある、関係ないというのを選り分ける。そういうことですかね。インターネットができて本当に便利になりましたけど、紙の文献しかないときは大変でしたね。あの頃、取り寄せようと思ったら1?2週間、すぐに経っていました。

今は、速いですよね。

検索するとすぐに出てきて、有料でも電子データでもらえば、そんなにかからないですもんね。

たくさんの情報をパッと見て選り分けるというスキルは、必要だと思います。

それは、いつ身に付いたのですか?

会社に入ってからですね。1つのテーマに必要な資料をかき集めるというのは。

大学院に入ってから、指導教官と研究テーマが違ったので、資料調べから、仮説を立てて検証するところまで、全部一人でやっていたんですけど、今考えると、その経験がとても役立っています。

アクティブラーニングをやると、そういうのを自分でやらなくちゃいけないですもんね。自分のやろうとしているテーマに対してどんどん調べて、資料を集めてきて、必要なら実験してみるという考え、自分でそういうプランをしないといけないですね。そういうことが学べるということを考えても、教科、時間割を決められて、教科書が与えられて、それだけやっていればいいよじゃではない良さがありますよね。

そういう力こそが、社会に出てからは絶対役に立つと思うので。

社会の変化が速く、テクノロジーに関する知識があっという間に陳腐化してしまう時代には、将来に備えて知識を蓄えるよりも、必要に応じて知識をローディングするスキルを身につけるほうがよいということですね。それも、アクティブラーニングをやる意義の1つだということを、小河さんのお話によって気が付くことができました。

アクティブラーニングに期待していること

教育の場でアクティブラーニングを導入する必要性を、小河さんは、経験上、感じられているんですね。

受験最難関校出の部下を何人か持って、まわりに同じ大学出の人もたくさんいるんですけど、確かに教科書の知識で決められた試験を早く正確にやるのはできるんだけども、まず驚いたのは、自分の仕事のスケジュール、要するに、時間割を書きなさいというと書けないんですよね。「時間割は与えてくれるもんじゃないんですか」と、最難関校出てきた優秀な人が途方に暮れるという経験をしたんですよ。「えーー。自分で自分の時間割が作れないの!」って、これは驚きましたね。

この部下を持ったのは14ー5年前なんですけど、教育が、どこか違うんじゃないかと思いましたね。

いかに自分で学習していくという道を作るか、それをやる意味で、アクティブラーニングはしていかなくちゃいけないなと思います。いろんな社会の課題について、時間割を教えてください、教科書ないですか、と求める態度だと本当に困っちゃうんで。

僕の生徒で、興味のあることはすごく熱心にやるけど、興味のないことはさっぱりやらない生徒がいます。それは、すごく大事なんだけど、僕から見ると、捨ててしまっていることの中にも、彼の将来に役立ちそうなことがたくさんあるので、どうしようかなと思っています。

興味の持てるところから、周辺のところへの知識への拡大が必要だなと思います。飛行機の例を上げると、飛行機を作るために何が必要かなと思ったら、嫌いなこともやらなくちゃならないなというのがありまして、まず最初に、飛行機を作る会社に入ろうと思ったら、英語を分かんなくちゃだめだろうという話もありますしね。英語好きじゃありませんでしたけど、飛行機を作っている会社は欧米ですから、英語くらい分かるのは当たり前だよね。どうにかしなくちゃいけねぇかというのがありました。

やりたいことをするために、関連の勉強も必要というのも出てくると思いますね。やりたいことに引きずられて勉強しなくちゃいけないということもありましたから。

脳みその中でアドレナリンやドーパミンが出てくるような興味の持てることがあれば、それをコアに伸ばしてやるというのがいいのかなと思いますね。

そうですよね。でも、点数を取るための勉強をしていると、興味のあることが何かということが分からなくなってきますよね。

その辺の指導の仕方ですよね。中学高校になると同じような教科書が与えられて、同じように勉強するようになって、面白くないなということになっちゃうんで。興味の持てるコアの部分がどっかにいっちゃう。

アクティブラーニングをやる意味として、もう1つ出てきました。どうやって自分で学んでいく道を作っていくのかということです。脳からアドレナリンが出るような興味のあることをコアにして、そこから広げていくようにして、いろいろなものを関連付けていけば、生徒自身が、自分にとっての学ぶ意味を感じながら学んでくれるのかもしれません。

小河さんのここまでの話を整理すると、アクティブラーニングで学ぶ意味として、次の4つが出てきました。

・組織で仕事をするときにはグループワークが必要になること
・主体的に行動することで、責任感が生まれること
・必要に応じて知識をローディングするスキルを身に付けること
・自分で学んでいく道を作れるようになること

これらは、すべて小河さんの経験に根差したものなので、非常に説得力があると感じました。

BBT大学との関わり

小河さんは、ビジネスブレイクスルー大学(BBT大学)でLearning Adviserをした経験をお持ちですが、BBT大学とは、いつから関わっているのですか?

A社で働いていた当時、アメリカの人やドイツの人と会うと、ph.DかMBAを必ず持っていました。名刺を交換するとどちらかの学位を持っているんです。一方、我々日本人を見ると、誰も持っていない。これは、勝てんわと思いました。

それで、2005年からMBAコースに入りました。そこで入ったのは、大前研一さんがやっていた通信制の大学院でした。そこで遠隔教育を体験しました。仕事を中断して勉強させてもらえなかったので、夜とか休日に勉強しなければならないという状況でした。

Learning Adviserになったきっかけは?

社会人として、会社に言われなくても勝手に勉強するという仲間が通信制の大学院に50人くらい集まっていました。卒業してみると、同じような考えを持った人が結構いる。2009年に大学院だけじゃなく、4年生の大学も作りましたので、じゃあ、今度は指導する立場で、Learning Adviserでもやって恩返ししようかと思ってやることにしました。一人でも多く、戦略的な思考ができる人が増えていけば、日本も競争力が上がるんじゃないかと思ってやり始めました。

BBT大学では、学生はどのようにして学ぶのですか?

学生もビデオオンデマンドで勉強していますので、好きな時間に勉強しています。一斉授業というのは基本的にないです。2005年の段階から、「皆さんビデオを見てきてね」というやり方をしていました。ただし、ワークショップの形で集まって課題をやるような授業は今でもあまりないです。反転授業のベースが整っているので次のステージに行けるのですが、まだその機運できていないです。

Learning Adviserの役割は?

教授が授業を作りまして、学生は、疑問があれば、Air CampusというLMSに質問を書き込みます。それに対してLearning Adviserは、議論のきっかけとなるようなオンライン上でのファシリテートをします。「こういう質問が出ているけど、他の人たちはどう思う?」というような問いかけをしたりして、議論をしながら、新しい発見をするような指導をしています。

いきなり答は、わかっていても書かないようにしています。

LMS上でのファシリテーションというのも、一つのキーですね。

リアルで集まって学び合いをするという機会はあるのですか?

リアルで会うのは最初はなかったですね。3か月から半年、10―20時間のビデオがあって、それを見て、質問をします。それから、個人でやる課題もあります。設問があって、それに対してどういうデータを集めてきて、分析して、何がいるかというのを考えさせて、オンライン上で課題を提出させるというのもあります。

ただ、集まって、一つの課題を解いていくというのは、最近は必要性がようやく分かってきて、半年から1年のコースで1回か、2回くらいやりますね。

Learning Adviserとして採点したときに、オンラインだけで勉強した人の答案は、実際に会ってグループでディスカッションした人の答案に比べて差がありました。一人でビデオを見て独習して課題を出すというだけだと、差がつくなということを見てきています。

ですから、ワークショップをやるというのは重要だと思っています。

できれば、年に1―2回ワークショップをやりたくて、できれば、オンラインでやりたいです。というのも、生徒は日本全国どころか海外にも分散しているので、一カ所に会することは非常に難しいです。ですので、オンラインでディスカッションできればと思っています。

僕も物理ネット予備校で物理の動画講義をネット配信して、フォーラムのQ&Aでサポートして物理を教えるということを10年間やってきたので、動画配信のメリットを感じると同時に限界を感じています。そこから、ビデオ会議室システムを使ったアクティブラーニングと組み合わせる方法の試行錯誤を始めました。小河さんも非常に近い問題意識をお持ちで、リアルで集まってグループディスカッションをする場を作ったり、オンラインでグループディスカッションをすることを検討したり、様々なチャレンジをされています。

小河さんのやられているLMSでのオンラインでのファシリテーションというのは、リアルの場でのファシリテーションと比べて非言語的な情報がない分だけ、難しいものだと思いますが、そこで蓄えられたノウハウは、オンライン学習が増えていくこれからの時代に、役立つものではないかと思います。

小河さんの考えるファシリテーション

ファシリテーションで一番大切なことは何ですか?

ファシリテーションのテクニックについては、本とか現場体験をもとにやっているので、きれいにうまく説明できないですが、一番中心に来るのは傾聴力ですかね。

こちらの言いたいことを一方的に言っても、そっぽ向くだけですからね。相手の言いたいことを聞いてあげることが大切ですね。

私が若いころ、会社に入った時に感じたのは、上司ってのはいかに傾聴力がないかですもんね。一方的に指図するだけで、何か意見があって言おうものなら、10も20も反ってきて怒られるというパターンでしたから。

A社は、優秀な学生が入って来てはだめにしている会社だなんて陰口叩かれていましたから。いかに個々人の能力を伸ばすかということができていなかったか。まずは、聞いてあげることだと思います。

メンタルヘルスでも傾聴力ですけども、同じだなという感じしますね。

傾聴が、個人の能力を引き出すための第一歩なんですね。

そうだと思いますね。今、社会人を相手にしていると、人生の目標をみんな持っていないですね。7~8割が持っていないですね。とりあえず職は持っている。結婚して子供もいるけど、なんか人生の目標が違うんだよねという人がいっぱいいます。

これが自分の人生じゃないという人が結構いて、もっと他のことがやりたいはずだという人がいますね。

20代のオンラインの大学生でも、人生のビジョンがありませんという人がいっぱいいますね。おそらく潜在意識の中にやりたいことはあると思うんですけど、どうやって引き出したらよいのかなとよい方法を、今、検討中で、それらしい研究をしている人を二人ほど見つけました。

その人のやっているワークショップを受講してみようかと思っています。

いろんなしがらみで思考が規制されているので、意識の中にはあるんだけども表現できないものをいかにして引き出すのかというのが、私の課題で、今、勉強中です。

実際にやってみて、うまくひきだせたというケースもありますか?

そういうタイプの人を真剣に相手して5人くらい。一人くらいですね、やりたいことが見えてきたのは。対話していて、引き出せないのはまだまだ未熟だなと思っているんで、研究会などで習いに行こうかと思っています。

「反転授業の研究」のインタビューしていて、今やっていることのルーツを一緒に探っていくと、本人も意識していなかったようなつながりが見えてくるときがあったんですよ。はじめは、単に勉強会の発表者をみんなに紹介するためにインタビューしていたんですが、いろんな気づきがインタビューから生まれるので、これは、すごいと思って、モードが変わりました。

まさにそうだと思います。

加藤雅則さんという人がやっている「智慧の車座」が、僕がやりたいとしていることを補ってくれる優れたやり方のような気がして、これを直接、習ってみたいなと思っています。

うちの学生にやりたいと思って、今、整理中なんです。これで、自分がやりたいことが分かるというのが一人でも増えるかと思って、試してみたいと思っています。(このインタビューのあと試しに文献頼りに「智慧の車座」を開催。加藤さん直々のセミナーをH27年2月以降に開催する計画中。)

傾聴力の重要性は、僕自身も強烈に感じていたところだったので、小河さんから同じ言葉が出てきたことで、確信が強まりました。小河さんの学習者像はとてもポジティブで、「やりたいこと」が表面に現れていないとしても、潜在的なところには存在していて、それを一緒に考えていくことによって引き出すことができると信じているところがとても印象的でした。そして、引き出す能力を高めるために、小河さん自身が学び続けているのがすばらしいと感じました。

主体的に自分の人生を決めてきた

小河さんは、子どものころから飛行機のエンジニアになりたかったんですよね。その夢を抱くきっかけは何だったのですか?

子どものころにNHKのドラマで見た「あひるの学校」に出てきた芦田伸介が演じる飛行機のエンジニアがかっこいいなというのがきっかけだったんです。

それで飛行機作りたいなと思って、就職して30代くらいまではそれでよかったんですけど、だんだん会社の中の経営を見ていると、飛行機作るよりも、日本の会社の経営っておかしくないかなということで、意識付けが変わってきて、きちんとした経営をしなくてはだめだと思い始めました。日本の企業では、従業員が全然幸せじゃないよねと思ったんです。

そういう風になってしまうもともとの原因が、利益を欧米企業に搾取されていたりとか、経営自体がまずいんで、変なところにお金使っちゃていたりとかしていて、従業員が幸せになるためのお金の周りがよくなかったんですね。

福利厚生もひどかったですから。

そういうところをいかに直すか。まずは、利益を上げることが悪いという変な戦後教育があったんですけど、きちんと必要な利益を上げるような経営が必要だというところに意識付けが変わっちゃって、MBAのほうへ走っていたということなんです。

25年から30年前に、転換点がありました。

それで、経営に変えて、それからが長かったですね。

自分がいた会社も、このままでは経営不振になるだろうという危機感がありました。

その会社も、よいか悪いかは別にして、欧米型に変わって利益を出せる体質にはなったのでいいかなと思うんですけど、それを出てから、日本の働いていく人たちに、同じ間違いをせずに、いかに戦略を持って生きるかというのに寄与できるかなというのが、今のモチベーションです。

小河さんのように、自分のやりたいことをはっきりさせて、常に主体的に決めてきたという人のほうが珍しい気がするんですよ。

確かに、周りから変だと思われるのは、そこにあるんでしょうね。

だから、学生と話をしていて、「やりたいことないの?」「特にありません」と言われて、「変わった奴だな」と言うと「あなたのほうが変わっています」と言い返される羽目になりますからね。

その考えは、どこからきているんですか?

自分で選択するからには、自分で責任取れよということですよね。

それを、最初に言われたのはオヤジですね。「好きなことをやっていいよ。ただし、結果については自分の責任だよ。」と。

同じことを会社に入ってからも、最初の課長に言われましたね。

「自分の人生なんだから、やりたいことやりなさい。ただし、結果については自己責任だよ。」

同じことを言われましたね。そういうことを言ってくれる人がいるか、いないかもしれないですね。

ご両親が、小河さんをそのように育てたのですね。

親のいいつけが、「好きにやっていいよ」でした。

生まれたときに病気がちだったらしく、親が、生きているだけでもいいやと思ったと聞いています。無理に親の意向に沿わせなくてもいいやと思ったというのを、かなり大きくなってから聞きました。

あまり無理せずに好きなように生きてもらったらいいよという感じだったみたいです。

病気もせずに頑強な男の子だったら、もっとしごいたのになんて、冗談も言われました。

好きにやったという経験で、思い出すものはありますか?

学校の中では、小学校の5~6年生の担任の先生が、教科書を使わない人でしたね。自由に研究してきて、自由に調べて、好きなことを調べてこいという人でしたね。好きな本を読んではノートにまとめてということをやっていました。

それが小・中では印象に残っています。

あとは、特色のあることは、やっていないですね。昭和40年代ですから海外に行けるわけでもないし・・。

まだまだ日本は貧しかったですから。

アヒルの学校を見て、影響を受けたのは、いつごろですか?

小学校1―2年だったと思います。

その頃、思い描いた夢を、ずっと心の中に抱き続けるのはすごいですね。

だから、おかしいと言われるんですね。最初に飛行機に乗ったのは東京オリンピックの年なので幼稚園生のときでしたね。1964年ですね。あの印象が大きいのかもしれません。

東京に行ったら、たくさんの外国人がいて、飛行機に乗ってきたというインパクトが大きいのかもしれません。

それが続くんですよね。

他に興味があるものが出てこなかったということかもしれませんけど。

高校のころは、受験勉強がすきじゃなくて、勉強しませんでしたね。特定の教科で、なぜだろう、どうなっているんだろうと深掘りするようなことは好きでしたけども、暗記物はさっぱりやりませんでしたね。歴史なんて覚えませんでしたね。歴史で「なぜ、この人はこうしたんだろう」というのを調べるのは好きでしたけど、何年に何があったというのは、ほとんど暗記しようとしませんでした。

本を読んだり・・実際に乗り始めたのは大学ですね。グライダーに乗って空を飛び始めました。勉強しませんでしたね。笑

大学の中に航空部というグライダーに乗るクラブがあって、そこへ入って、そればっかり飛んでいたのを覚えています。

合宿費も高いんで、倹約したり、バイトに行って稼がなくちゃならなかったですね。

子どもに「好きなことをやれ」というのは、実際にはとても難しいことだと思います。でも、子どもの主体性を尊重することで、自分で道を作っていく力や、責任感が生まれるということを、小河さん自身が示しているように思いました。

主体性に火をつけるために必要なこと

小河さんと同じように、やらなくちゃならないからやるのではなく、やりたいからやるという人は、会社には、他にもいましたか?

A社に来る人は特殊ですね。入社する人のほとんどがロケットを作りたいですから。特殊な世界ですねあそこは。

ロケットに配属される人は少ししかいないんだから、みんなロケットはできないよということなんですけど。

中には、ガンダムが作りたいとかいう変な人もいましたね。現実にできると思っているのという感じで。そういうこだわりを持っている人も少しはいましたね。

でも、オンライン大学の学生に聞いてみると、自分の夢を持っているという人は極めて少ないですね。そのことが分かったのは、この4ー5年ですね。

他の人も、自分と同じように、こんなことをやりたいんだという夢を持っているんだと思っていたんです。それが違うというのを、この年になって悟りました。

主体的に学ぶために、どうやって心に火をつけることができるんでしょうか?

難しいですよね。

高校のころ、なんで学ばなくてはならないというのは、化学の先生が言ってくれたんです。

「君たち、こんな亀の子マークなど覚えて、何の役に立つかなと思うと思うけど、こういうことを学んでおかないと、知識のある悪意のある人に騙されるよ。」

「騙されないためには、勉強しておかないといけないよ。」

それは、あまり前向きじゃない動機ですけどね。

あとは、生きるために必要だという原始的な動機もありますね。高度に知識化された社会で生きるためには、勉強しておかなくちゃいけないよというのは、動機としてありますね。

最後に出てきた2つの教訓

・知識のある悪意のある人に騙されないために、自分で考える力をつける

・高度に知識化された社会で生きるための力を付ける

これらも、アクティブラーニングを考える際に、非常に重要なポイントだと思いました。

小河さんからお話をうかがい、アクティブラーニングをすること、主体的に学ぶことの意味が、これまで考えていたよりもたくさんあることに気づきました。そして、それが小河さんの経験に根差しているものであるところから、非常に説得力がありました。

「反転授業の研究」は、多様性のある森を育てることをコンセプトとして運営していますが、今回、インタビューさせていただいて、小河さんのように企業人として経験豊富な方がグループに加わっていることの恩恵を強く感じました。
勉強会でのお話が楽しみです。

熊本県立高校で生物を教える溝上広樹さんにインタビュー

熊本県立高校で生物を教えていらっしゃる溝上広樹さんは、授業をアクティブラーニング形式で実践されています。

溝上さんが、なぜ、アクティブラーニングを導入するようになったのか、背景を探ってみました。

子どものころから「先生になること」が、ずっと頭の中にあった

溝上さんは、子どものころは、何になりたかったのですか?

小、中くらいまでは先生になりたいと思っていました。高校に入ってからは柔道に打ち込んでいて勉強から離れていたんですが、ずっと先生というのは頭にありました。

大学に入ってからは、生物の研究を続けたいという気持ちも生まれてすごく迷いました。でも、いつか先生になりたいという気持ちがあって、結局、研究者にはならずに先生になりました。

溝上さんは、生物で博士号をお持ちじゃないですか。博士号とってから教師を選ぶ人って珍しいですよね。それは、研究者になろうか、教師になろうかと迷っていて、そこまで行ったという感じなんですか?

好きなことに出会ったんですよ。大学生になったときには、生物に幻滅したんです。生物を学べば自分が疑問に思っていたことが解けるのかと思っていたのですが、分子生物学が主流で、イメージしていたものと全然違いました。それで、文学部に転部しようかと思っていたりした時期もありました。ところが、大学3年生のときの授業で化学生態学というものに出会いました。これは、化学物質を使って植物や昆虫の関係を記述するものです。こういう学問があることを知って、とても興味を持ちました。でも、熊本大学には化学生態学を専門にしている先生がいなかったんです。それで、植物生理学の先生に相談したところ、「ウチは分析はできるから、やりたいならやってもいいよ」と言われたので、自分で勉強しながら研究しました。昆虫を専門にしている先生のところに行ったりとか、学会とかに行って勉強して、自分で主体的に勉強していたので楽しかったです。

自分のテーマで分からないところがあったので、それを形にするまでは研究したいなと思い、納得する形まで続けたらドクターまでやることになりました。

指導教官の指導なしで、自分で研究して、博士号を取ったんですね。すごい!研究は、納得できるところまでやることができたんですね。

そうですね。1つクリアできたかなという感じです。

中学の教員免許も取っていたし、そのときも塾の先生をバイトで続けていて、教員というのはずっと頭の中にありました。

僕の場合は、大学3年生のときにカオス理論に心打たれて、これを研究したいと思い、指導教官が提示したテーマを断って形態形成とか自己組織化というテーマへ進みました。それで、指導教官の指導を受けられなくなって(笑)、ドクターを中退するまでほとんど指導なしで続けたんです。その一方で、大学院のとき、中学と高校で数学の非常勤講師をやって、生活費と学費を稼いでいました。教育と関わりを持ちながら生物を研究していた点が同じで、とても親近感を持ちました。

そうですね。近いですね。

僕も経験したのでよく分かるのですが、大学院で指導を受けずに一人で研究して博士号を取るということは、自分のやりたいことと、アカデミックの世界で起こっていることの両方について考えたり調べたりしながら、制限時間内に成果を出さなくてはならないので、とても大変なことです。かなり主体的に動かないと不可能です。その主体性がどのように育まれたのかを知ることが、溝上さんを理解する鍵になると思いました。

小学3,4年生のときに受けたアクティブラーニング型授業

お話をうかがうと、溝上さんの場合は、先生という職業がずっと心の中にあり続けたと思うんですよね。それだけ、先生になりたいと思うようになったきっかけは何だったのですか?

小学校3,4年生のときの担任の先生の授業がとても印象的で、それが原点になっています。

当時そんな言葉があったかどうか分かりませんが、アクティブラーニングをやっていました。社会が専門の先生で、グループで話し合ったりして、みんなが一生懸命発言しながら授業が進んでいくというものでした。毎日、学校がすごく楽しかったですね。

すごいですね。2年間アクティブラーニング型の授業を受けたという経験が、ずっと溝上さんに影響を与えているんですね。主体的に学ぶのが楽しいという経験は、大学院時代に自分でどんどん学んでいったということにも影響しているんですか?

間違いなく影響していますね。

そうなんですね。アクティブラーニング型の授業を受けるという経験が、人生に与える影響って、すごく大きいんだということを溝上さんの例から感じて、やっぱり、AL型授業をやることは重要だと、改めて思いました。

確かにそうですね。その小学校の先生とは、今も交流があるので、当時、何を下敷きにしてあのような授業をされていたのか聞いてみたいですね。

当時、AL型授業をされていた先生は、他にもいたんですか?

いなかったと思います。自分でどんどん研究授業を組んで、他の先生が見学に来ていました。

実際にAL型授業をやるようになると分かりますが、背景知識とか、思想とかがないとできないですよね。

自分がやるようになって、改めて、あの先生は、相当研究されていたんだろうなと思いますね。

今、溝上さんの授業を受けている生徒も、溝上さんのAL型授業から衝撃を受けて、それが将来につながっていくということも出てくるんじゃないですか。

そうなるとうれしいですね。

溝上さんの話は、AL型授業をされている方に大きな希望を与えるものだと思います。小学生の時に受けた2年間のAL型授業が、溝上さんの学ぶ態度に影響を与え、それが、主体的に学び、主体的に働くという生き方につながっているのですね。今、私たちが取り組んでいるAL型授業が、生徒の将来にどのように役立つのか、溝上さんの例からはっきりとイメージすることができました。

アクティブラーニングを始めたきっかけ

溝上さんは、高校の教員になって何年目ですか?

6年目になります。

最初に先生になったころは、どんな授業をされていたんですか?

普通のone wayの授業をしていました。結構、クラスを鎮めるのが大事という感じで、静かに、でも、寝せないように、いかに授業をするか。それを目指して頑張っていました。

ただ、一番最初の研究授業では、班別学習をして、発表し、クラスのフィードバックをもらって自己効力感を向上させようというようなことをやりました。

今から考えると、下敷きにしたものがなく、自己流だったので、いろいろ問題があるんですけど、そういうのがやりたかったという気持ちは当時もありました。

一斉講義型の授業をしていて、どんなことが課題だと感じていましたか?

そのときは、本当に力がついているのかなということを心配していました。進級しなくちゃいけない子とかは、最後はクラスに残らせて、一緒に覚えさせて、点数を取らせて進級させていたんですが、卒業後は、そういうのは全部忘れているんだろうし、
その子も、形だけで卒業したんじゃないかということを思っているんじゃないかと思うんですよ。それが、本当に良かったんだろうかと思うことがあります。

あとは、はじめて1年から3年まで担任を持ったときの経験がきっかけになりました。その学校が閉校する学校だったので、広いところからいろいろなレベルの子が集まっていて、進級ギリギリの子もいれば、国公立大学に入りたいという子もいて、その子たちをうまく授業内で交流させられなかったという後悔が残りました。それが、自分の中に引っかかっていたんです。

アクティブラーニングに授業スタイルを切り替えたのはいつからですか?

去年の2学期からです。

何がきっかけでアクティブラーニングに取り組むことになったのですか?

キャリアガイダンスに載っていた小林昭文先生の記事を読んで、これはすごいなと思ったことです。ちょうど夏休みだったので勉強しました。アクティブラーニングというキーワードでは情報があまり出てこなかったんですが、協同学習だとやっている方がいらっしゃったので、調べて勉強しました。それから、小林先生のブログをチェックするようになり、秋に小林先生が熊本で知り合いの先生に会うという情報をブログから得て、小林先生にメールを送りました。

「どなたが実践されているのですか?私に教えてください」

とお願いしました。そしたら、小林先生から学校の職員室に電話がかかってきて、夜の食事会に同席してお話をさせていただきました。そこからが本格的なスタートです。

僕も小林先生にメールしたのが、アクティブラーニングのスタートだったんですよ(笑)。

小林先生は、すごいですね。

日本全国を回って、いろんな人を繋いでいますからね。すごいですよね。

キャリアガイダンスの小林先生の記事を読んだ教師というのはたくさんいたと思うんですけど、実際に小林先生にメールしたり、行動を起こしたり、AL型授業を始めたりという方は、全体からするとほんのわずかだと思います。行動を起こそうと思ったのは、どんな気持ちだったんですか?

これは、大変そうだけど、実践してみたいなという気持ちがありました。あと、面識がない方にコンタクトを取ることは、大学院生のときによくやっていたので、行動を起こしやすかったというのはあったと思います。

One Wayの授業をしながら感じていた課題を、アクティブラーニングが解決できそうだと思った後の溝上さんの行動の速さに感動しました。そして、そのような積極的に動いて学ぶという態度は、大学院生のときに主体的に学んだ経験によって養われていたということが、非常に重要な意味を持つように思いました。

小林先生の記事を読んで、ここからスタートすればいいと思った

お話をうかがって、溝上さんにとっては、教師のイメージの原型みたいなものって、小学校3,4年生のときの担任の先生なんじゃないかと思うんですが、小林先生の授業は、それと近いと感じましたか?

そうですね。それと近かったんだと思いますね。

とうことは、そういうイメージの原型はあったけど、最初のころの溝上さんの授業は、そのイメージとダイレクトに繋がっていなかったわけですよね。でも、小林先生の授業のことを知ったときに、「これだ!」と思ったというのは面白いですね。

たぶん生徒主体型の授業をしたかったんですけど、何をとっかかりにしたらいいのか分からない状況だったんです。でも、小林先生の記事を読んだときに、ここからスタートすればいいんだと思いました。

それで、アクティブラーニングとか協同学習とかを勉強し始めて、いろんな先生方とつながって、今に至ります。

研究をしているときには、うまく言葉や形にはできないモヤモヤしたものを頭の中にいつも置いておくと、あるとき、それにピッタリのものが見つかって、「これだ!!」と思うことが何度かありました。そういう経験を持っていると、時間をかけてアイディアを熟成していくことができるのではないかと思います。溝上さんがアクティブラーニングと出会うことができたのも、モヤモヤとしたイメージをずっと持ち続けていたからではないでしょうか。

溝上さんの授業の枠組み

授業の枠組みは、小林先生の枠組みを下敷きにして始めたのですか?

下敷きにしたんですが、生物と物理とでは教科の特性が違って、完全に下敷きにすることはできませんでした。小林先生のように、問題をいきなり与えてやらせるスタイルというのは難しいと思いました。それで、ずっとあえいでいました。

それで、とりあえず探求型に近い授業をやっていました。記述をさせたり、考えさせる問題をだしたりしていました。そういう形で迷いながらやっていたんですが、今年の4月に学校が代わり、悩んでいたところを夏休みにAL型授業のオンライン講座で勉強することができたという感じです。

アクティブラーニングをやってみて、生徒の反応はいかがですか?

クラス40人いて、その中で一人二人は、今までのやり方がいいとか、話したくないとかいう子もいますけど、全般的に悪くはないです。多くの子は、ただ聞くだけじゃなくて、友達と話したり、学び合いしたりというのをしたいと思っているようです。

新任校では、知識も入れなくちゃならないし、アクティブラーニングもやりたいということで、1学期は、知識を入れるところは一斉講義型にして、探求型の学習をアクティブラーニングでやっていたということですか?

そうですね。あとは、問題演習をさせるときに、確認で話し合いをさせたりしていました。

夏休みに、小林先生がメイン講師でAL型授業実践者のためのスキルアップ講座をオンラインでやりましたよね。あのときに、溝上さんが、「授業のやり方が分かった!」という感じになって、感謝の気持ちを表すためということで、みんなにコメントして回っていたじゃないですか。あのとき、何が「分かった」のですか?

生物の授業の中で、小林先生のように問題を解かせて話し合わせるようなことをやるのは難しかったので、理解が深まっていくような活動をどこでさせるかなというところで、すごく悩んでいたんですけど、教科書の内容理解を話し合わせればいいんだなというところがつかめたんです。

どうして教科書の内容理解に着目したのですか?

生物の問題を解くのは、一度勉強しておけば、一問一答式でどんどん答えられるのがほとんどなんですが、教科書の内容理解は、子どもたちが考えたりとか、内容を理解できない子がいたりとかしていたので、ここに学び合いが起こるなとひらめきました。授業の一番中身になる部分のアイディアが湧いたので、うれしかったです。

新しい授業の枠組みで、もう何度か授業を行っているのですか?

1週間やったところです。

感触はどうですか?

やってみて気がついたのは、学年によって任せることができる量が変わってくるということです。3年生は、こちらが解説をしなくても子どもたちだけで結構やれるんですが、2年生に同じようにやると、「先生の解説がほしい」とかいう言葉が出てきます。
安心安全の場を作るということもあるので、不安にさせないように、もうちょっとこちらで説明するようにしました。1年生の場合は、任せられる量がさらに少なくて、そういう調整が必要だなと思いました。

夏にひらめいたことは、うまくいきそうなんですね。

そうですね。

溝上さんの授業についての姿勢は、すごく「研究」と近いように感じました。ある仮説を立てて授業を行い、その結果を分析、考察して、課題を洗い出して、それを解決するための方法を、粘り強く考えていくわけです。そして、他の人の話をたくさん聞いている中でひらめいたんですね。こういう瞬間は、授業を実践する者にとって、一番快感を感じるところだと思います。

「科学者になる」について

小林先生は、「科学者になる」ということを大目標においていますが、溝上さんの場合は、目標をどのように設定しているんですか?

夏休みに講座を受けて、学習目標をちゃんと立てないといけないなと思って、協同学習の中で、「メンバーの力と心を合わせて、自分とチームのために一生懸命頑張る」というような目標を与えています。もう1つは、小林先生の「科学者になる」という目標に対応するものなんですが、自分の中で反芻していて、これは、どういう意味なんだろうかって思っていたんです。本当に科学者になるわけじゃないんだけど、どういうことなんだろうと考えていました。それで、「科学者の視点とスキルを手に入れる」ということだと解釈しました。それで、たとえば、「自分は子どもを病院に連れて行ったときにこんなことがあって、よかったよ。」という話をしたりしています。

あれは、どういう意味なんでしょうね。

科学者になるというのは、考えてみると深いなと思います。答が決まっていないのを、みんなで話し合いながら探求していくのも科学かなと思ったりして。この部分は、自分でもうまく説明できないので伝えていないんですけど。

最近、キャリア教育についての本を読んだりして勉強していたんですよ。小林先生が、「教科の中のキャリア教育」ということをブログに書かれていたのを読んで、「キャリア教育」について考えたいと思ったんです。将来なりたいものを見つけて、それを目指して学習意欲を高めるというのはイメージしやすいけど、そんなに単純なものかなと思っていたら、児美川孝一郎さんの『キャリア教育のウソ』を読んで、変動が激しい社会においては、なりたいもののために学ぶというのはリスクが大きいので、好奇心を持って、いろいろチャレンジする態度を育てるほうがよいのではないかと思い始めました。自分自身の働き方を考えてみても、予定通りに行ったというよりは、いつも種を5-10個くらい撒いておいて、芽が出たものにリソースをつぎ込むという感じです。これは、研究をやっていたときにやっていたことと似ているんですよ。研究をしていたときも、テーマになりそうなものをいつも探していて、自分なりの仮説を立てて、行けそうだと思ったら時間と労力を注ぎ込むという感じでしたから。それで、もしかしたら、知識基盤型社会に適応するためには、科学者としての態度が必要なのかもしれないと、つい最近、ひらめいたんです。

それ、授業で使えそうです(笑)。

溝上さんの場合は、小学生のときにAL型授業を経験したことをきっかけに、自分から主体的に学ぶ楽しさに目覚めたことが大きかったのだと思います。そして、大学院のときに仮説と検証を繰り返し、積極的に動き回って情報を集めて、自分で突破していくスキルと自信を身に付けたのではないでしょうか。まさに、溝上さん自身が、「科学者としての態度」を身に付けたのだと思います。その結果、博士号も取得し、教師になってからも積極的に新しい授業に取り組んで、小林先生にアクセスしたり、オンライン講座に参加したりというように積極的に動き、そこからの刺激を取り入れてどんどん授業を進化させています。僕は、溝上さんのような方は、研究者になっても成功しただろうし、他の仕事をしても成功できると思います。また、この先、時代が変化して、教師の役割が変わっても、そこで新しいやり方を見つけていけると思います。小林先生の「科学者になる」という禅問答のお題の答が、溝上さんという具体例を通して、理解できてきたように思いました。

ファシリテーションについて

ファシリテーションについてもうかがっていいですか?アクティブラーニングをやっている授業中は、どんなことを考えているんですか?

チームで解決する力とか、自分で解決する力をつけさせたいなと思っているので、必要以上に介入しないようにしています。できるだけ内容には介入しないようにしています。学習に参加していないような子に対しては、個別に介入していますが、できるだけ、話が終わった後に全体にフィードバックするようにしています。

今は、グランドルールを確認させるような介入をしようと思っています。

小林先生のやり方だと、質問による介入によって主体性を引き出すような感じじゃないですか。溝上さんは、質問による介入についてはどのように考えていますか?

難しいですよね。迷っています。最初は、質問による介入をしまくっていたんですが、できれば、それも含めてチームの中でどうにかしてほしいなという気持ちが生まれてきました。高校の授業は週に3-4回あるので、生徒と結構関われるんですね。それを考えると、長いスパンで見て、チームでどうにか解決できるようになっていってほしいなと思って、介入の量を減らしています。ただ、必要に応じて質問による介入はしていかなくちゃなとも思っていて、全然介入していないわけではないです。

僕も、同じところで迷っていますね。質問を出すことによって、理解を深めたいという気持ちもあるんですよね。でも、独立した学習者ということを考えると、そういう疑問も自分で出してほしいという部分もあるじゃないですか。長いスパンで見られるのであれば、そういうところも見守っていくというのもあるかもしれませんね。

話し合いをするときに、押さえてほしい内容というのをプリントにまとめているんですが、疑問形式で与えているんですよ。「恒常性とは何ですか?」みたいな感じで。

ある意味、プリントが質問による介入の役割を果たしているんですね。

それをイメージして作っているんですが、今のところは、子どもたちが、自分が説明するのにいっぱいいっぱいで、うまく活用できていないですね。

ただ、段階を踏んで、最終的にはジグソー法も外したいと思っているんです。自分たちで自由にやれるようになってほしいなと思っているんです。

子どもたちの話し合いのスキルが上がってきて、ジグソー法を外しても、うまく話し合えるようになってきてほしいということですね。

そういうイメージです。最初はかっちり形を決めてやらせて、その中で力をつけていって、最終的には、その方法を取らなくてもできるようになってほしいなという思いがあります。

AL型授業の枠組みというものがきっちり決まっているのではなく、生徒の発達段階によって、強い枠組みから弱い枠組みへとだんだん枠組みを減らして自由を与えていくという考え方は、とても参考になりました。「学年によって任せることができる量が変わってくる」という話も少し前に出ていましたが、これも同じ考えに則っていると思いました。生徒の状況をよく観察しているという印象を受けました。

教室環境について

ブログで、理科室の机の位置を2時間かけて移動したと書いていましたが、配置を変えるとずいぶん変わるんですか?

はい。変わりましたね。グループにしたときの距離が近いので、話し合いがしやすくなりました。心理的な距離と物理的な距離は相関があるという話を聞いて、そうかもしれないなと思って机を動かしました。あと、あの形にすると個人で活動するときに周りと離れて視界に入らないんですよ。個人活動も集中してやれるんですよ。だから、個人でやるときとグループでやるときの切り替えが、あの形だとすごくしやすくて、予想以上に効果あるなと思っています。

ファシリテーションってグループ活動を行う上の支援一般じゃないですか。プリントとか机の配置とか、いろいろ含まれると思うんですよ。他に何かきをつけていることはありますか?

温度管理ですね。理科室はクーラーが入っていないので、準備室のドアを開けて、冷気をあらかじめ入れておくんですよ。学びやすい環境を作ってあげたいなと思っています。

あとは、教科通信です。リフレクションカードであがってきたコメントや疑問、気づきを全体で共有したり、グラウンドルールの意味などを説明したりするためのツールとして毎週1回発行しています。

今、『教育研修ファシリテーター』という本を読んでいて、ファシリテーターは、照明やカーテンの開閉、空調、BGMなどにも注意を払わなくてはならないというところが出てきて、目からうろこだったのですが、溝上さんからも温度調節の話が出てきたので、印象が強まりました。

溝上さんが興味を持っていること

溝上さんが、今、興味を持って学んでいることは何ですか?

実は、反転授業ですね。

動画とかは?

実は、作ってQRコードで上げたりしています。反転授業の研究で一緒の横山北斗さんと松嶋渉さんにやり方を教えてもらいました。

その動画は、どのように使っているんですか?

全員がスマホを持っているわけではないので、授業の進行で必要なところには使えないのですが、理解が難しいところを解説してあげています。

サプリメント的に、使っているんですね。

そうですね。今のところは、授業でガッツリ使うというわけにはいかないんです。

教えた生徒が、将来、こうなってほしいというのは?

生物を受けている子たちは、ニュースとか情報とかを自分で判断できるようになってほしいです。ちゃんと考えられるような子になってほしいです。

好奇心が強く、いろいろなことにチャレンジする溝上さんが、反転授業に興味を持たれたのは、必然的なことだったかもしれません。新しいツールが手に入ることによって、可能性が広がり、アイディアも膨らむはずです。溝上さんから、今後、どのようなアイディアが生まれてくるのか、とても楽しみです。

9月23日21:30から実施する反転授業オンライン勉強会「ファシリテーションスキル」で、溝上さんが登壇します。

詳しい内容はこちら

「とある男が授業をしてみた」で授業を無料配信する教育Youtuber葉一さんにインタビュー

Youtubeに動画をアップロードし、その広告収入で生計を立てている人たちのことをYoutuberと言います。ゲームや商品紹介などの動画をアップしている人が多いのですが、その中に授業動画を大量にアップロードしている「教育Youtuber」と名乗る異色のYoutuberがいます。

それが、「とある男が授業をしてみた」というサイトを運営する葉一(はいち)さんです。

葉一さんの動画講義は、その分かりやすさと、丁寧な作りによって多くの支持者を集め、多くの生徒が、葉一さんの動画を使って勉強しています。Youtubeのコメント欄には、

めっちゃわかりやすいです!
ほんと助かります!(^-^)

数学が苦手な私にゎホントに助かります…
ストップしたり、わかるまで何度も聞けるのが嬉しいです!

テスト前の勉強で使わせていただきました!ありがとうございます!ほんとに助かります

すごく、わかりやすいです!
これからも、出してください!
いまから、もう一度この動画を見て、勉強してみます!
本当にありがとうございます!

といった感謝のコメントがずらっと並んでいます。

いったいなぜ、葉一さんは、このような活動を始めたのでしょうか?

インタビューさせていただきました。

動画講義を作り始めたきっかけ

動画講義を作り始めたきっかけは?

大学を卒業してから個別指導の塾講師をやっていたんですよ。個別指導塾は集団塾と比べると月謝が高いんです。話を聞いていると、塾に通わせたくても月謝が高くて通わせられないという方が本当にたくさんいらっしゃったんです。勉強から目をそむけてしまっている子もいましたけど、できるようになりたいのに塾に行けないという子もたくさん見てきたんです。それで、何かできないかなと思っていたんです。

ちょうどその頃、Youtubeを見るのが好きだったんで、ここで勉強を配信したらどうかなと思ったんです。無料で何回でも見れるじゃないですか。そしたら、月謝が高くて塾に行けない子でも、好きな時に好きなだけ、子供の意志だけで授業を見ることができるので、そういう子たちの役に立てるんじゃないかと思ったところから始まったんです。

それは、いつごろですか?

2012年の㋅1日から始めました。

そのころは、講義を無料でUPしているという人はいなかったんじゃないですか?

なかったですね。当時アップされていたのは、ほとんどが塾とか教材の紹介で、サンプルがYoutubeにアップされていて、もっと見たかったらこちらへどうぞと誘導するようなものでした。子供たちに対して、「この科目は全部あるよ」というものを作ってあげたかったんです。じゃあ、やろうということで始めました。

簡単に「じゃあ、やろうということで始めました」とおっしゃっていましたが、誰もやっていないことを始めるというのは、とても大きなエネルギーを必要とします。葉一さんの「子供たちのために役立ちたい」という思いの強さが行動の推進力になっているのだと思いました。

主役は板書。自分なんかどうでもいいから邪魔したくない。

動画の作り方には、いろいろな選択肢があったと思いますが、葉一さんの場合は、ホワイトボードに手書きで書いて録画していますよね。あれは、何を使って録画しているのですか?

あれは、普通のホームビデオです。

その形式を選んだ理由は何だったんですか?

黒板がよかったんですけど、黒板を使うとすると、場所を借りなくちゃならなくなるのでお金がかかるじゃないですか。今は、Youtuberとして収入も出てきましたけど、初めて最初の1年間は無収入でやっていたのでお金がかからない方法を考えました。ホワイトボードなら家でできるなと思いました。手書きにしている理由は、とにかく無機質なものにしたくなかったからです。そこには、こだわりました。

なるほど。でも、葉一さんの場合は、自分自身が画面に出てきて、顔を出して、「葉一です。こんにちは。」とか、やらないじゃないですか。無機質にはしたくないけど、自分は登場しないという立ち位置ですよね。そこには、どのような考えがあるのですか?

動画を配信するときに、主役は自分ではなくて板書だと思っているんです。自分なんかどうでもいいんです。板書がちゃんと見やすくなる状態を作りたいし、邪魔になりたくないんですね。「ちょっと見えないんだけどー」という状態を動画の中で極力減らしたいんです。それで、登場しないようにしています。

それって、葉一さんにとっては普通のことかもしれないですけど、自分を商品にしている多くの塾講師や予備校講師にとっては、難しいことですよね。葉一さんは、サイトの名前も「とある男が・・」としているじゃないですか。サイト名も、同様の考えに基づいているんですか?

そうですね。

僕なんか、「田原の物理」ですからね。真逆のスタンスでやっていますね(笑)。

もろですね(笑)。

教師が物理的にも立場的にも「上」に立って教えるというスタンスとは、正反対何ですよね。「下」から支える動画という感じですよね。

そうですね。

最初に「自己ブランディング」みたいな考えに慣れた視点から見ると、葉一さんの動画は、どこがよいか分かりませんでした。でも、みんながすごい高評価なので、これは、評価ポイントが違うんだなと思って、自分の視点を外して学習者の視点から見直してみると、板書がよみやすいとか、講師が板書を隠さないように気を付けているとか、声が聞きやすいとか、口調がやさしいとか、いろいろなところに細やかに気配りして、丁寧に動画を作っているというところが評価ポイントになってきて、良さが見えてきました。

Youtubeにアップした動画は、どのように使われているのか

実際に動画をUPしてみて、葉一さんが想定していたような使われ方がされているんですか?

予想外だったのは、学生じゃない方が見てくれていることですね。社会人の方もいます。すごく多いのは、20-30代の女性で、看護師試験を受ける方ですね。海外在住の日本人の方も見てくださっていますね。このあたりは、ものすごい予想外でしたね。

ネットで配信すると、これが起こるんですよね。僕のフィズヨビでも、高校生をターゲットにして始めたのに、実際は、受講生の半数が社会人ですからね。子供たちは、どんな使い方をしていますか?

いろいろな使い方をしていますね。この動画で先に勉強してから学校で勉強している人もいるし、学校や塾で分からなかったところの動画を探して、補填として見ておこうという使い方をしている人もいます。教科書を全部網羅しているので、そういう使い方も可能になっています。

両親が葉一さんの動画を探してきて勧めるケースが多いんですか?それとも、子供が自分で見つけるんですか?

子供自身が検索して見つける場合もありますし、親御さんが見つけてきて、子供さんに見てみなさいというケースもあります。最近は、子供同士の口コミが増えてきましたし、親御さん同士の口コミも増えてきましたね。あと、「塾の先生や学校の先生から聞きました。」というケースも出てきました。

先生からも推薦があるってすごいですよね。僕も、先週、学校の先生に勧めておきましたよ。公立の中学校とかだと学級内での学力格差が大きいということだったので、「とある男が授業をしてみた」とかeboardとかのことを教えて、「家で見てごらん」って勧めてみたらどうでしょうかと話しました。

ありがとうございます~。

ここにオンラインで講義配信をする可能性の1つが見えていると思います。ある特定のターゲットに向けて講義を作ったとしても、オンラインで公開すると、全く想定していなかった属性の人がその講義を利用するようになります。向こうから探してきてくれて使ってくれるのです。これは、僕の運営している物理ネット予備校でも起こっていることですし、Khan Academyでも起こっていることです。つまり、教育サービスのターゲットにならないロングテール層に、学びのチャンスが生まれているんですね。

動画を使って学べるようにするための工夫

実際にリアルの場で教えるのと動画の違いは、どんな風に感じられていますか?

動画のメリットは、何回でも同じことを繰り返せることですね。これは、教える側にとってもメリットだと思っています。個別指導をやっていたとき、勉強が苦手な子が多く、同じ説明を何回もしなくちゃならないことが多いんです。二日前に教えたことを、きれいに忘れているなんてことがザラにあるんですよ。これって、動画にして繰り返し見てもらっても同じなんじゃないかと思っていました。

あとは、好きなところで止めたり、戻したりして、自分のペースで学べるのもメリットですね。

動画の長さって、どのくらいにしているんですか?

基本的には15分以内です。人の集中力が続くのは15分って、よく言われているので、15分以内で作るようにしています。

動画で配信するときは、生徒のモチベーションの管理って難しいと思うんですよ。そこに対して、アプローチしたりしていますか?

一時期、すごく悩んでいたんですが、結論としては、リアルほどのモチベーションの管理は望んじゃいけないと割り切りました。ただ、できることは2つあると思っています。1つは、メールで子供たちの相談に乗って気持ちを軽くしてあげるということです。やり取りの中で、「頑張ろうと思います」となってくれる子も多いです。もう1つは、純粋に「この授業は分かりやすい」と思わせることです。それができれば、絶対、モチベーションが上がると思います。だから、全部の動画を丁寧に作っています。

今ぐらい知名度が出てきたら、相談に応えるって大変じゃないですか?

超~大変です(笑)。以前は100%返していたんですが、今は、30-40%しか返せなくて。それでも、1日2時間とか相談メールに返信していたりするんですよ。相談に関しては、勇気を振り絞って書いてくれた子が多いので、できるだけ返しています。体が1つしかないので、ぎりぎりですけどね。

メールの文面を見ると、どんな思いでメールしてきたかって分かるじゃないですか。それは、なかなか無視できないですよね。

そうなんですよね。中には「自分で考えなよ!」と突き放したくなるメールもありますが、中には、本当に重い相談もあったりするんですよ。そういうのは無視できないですね。そういうときは、睡眠時間を削ってでも返しますね。

僕がすごいなと思うのは、重い相談をメールで送るというのは、「この人だったら受け止めてくれそうだ」というふうに思っているわけじゃないですか。授業で顔を出しているわけでもないし、今は、「はいちのだらだラジオ」をやっていますけど、それまでは、授業動画を見ているだけじゃないですか。その関係性の中で、「この人に相談してみよう」と思われるというのは、なぜなんですか。

「はいちのだらだラジオ」は、去年の年末から始めて、40回以上やってきて、その中で、自分が悩んでいる姿とかも全部話すんですよ。こういうことに悩んでいて、こういう壁にぶち当たっている。子供たちに、「悩みながらでも立ち止まらないで頑張っていけば、何か変わるんだよ。」ということを、自分の姿で見せたいんです。これは、動画活動の方針の1つになっているんです。たぶんですけど、ラジオを作るようになってから、人間味のところが伝わりやすくなった気がしています。

僕は、自分の人間味をネットで表現するのにメルマガを使っているんですが、声のほうが、圧倒的に感情が伝わりやすいと思いました。葉一さんは、関係性として、絶対に上に立たず、横とか斜め上にいる感じなのです。「僕もおんなじなんだよ。頑張っているんだよ。」という感じが、活動全体からにじみ出てくるんですね。

横とか斜め上の立ち位置を取る理由

生徒の上に立たないって、先生属性になると難しくなるじゃないですか。ついつい上に立って教えてしまいたくなる場合が多いと思うんです。どういうことを考えて、その立ち位置にいるんですか?

塾講師をやっていたときに、先生にはいろんな色があって、自分にはこのスタンスが一番合っていると思いました。上から言うよりも、ちょっと斜め上というか、横っていうか。励ますときには斜め上ですが、基本的には横にいて話を聞いてやりたいスタンスです。これが、自分にとって一番心地よいスタンスなんです。

でも、このスタンスを取っていると、結構、叩かれるんですよ。

え?叩かれるんですか?

結構、言われますよ。動画の中で、最後に「見ていただいて、ありがとうございました。」で必ず終わるんですけど、「先生が、ありがとうございますというのはおかしくないですか」とか言われたりしますね。先生は上の立場と思っていらっしゃる方は、そういう意見なんだと思うんですけど、自分は、なんで感謝を言うのかというのも、こだわりがあって言っていることなんです。まあ、そのこだわりを伝えたところで、けんかになっちゃうんですけど。

「先生がありがとうというのはおかしい」というのは、教育のパラダイムシフトのポイントだと思うんですよ。僕が予備校講師のときには、カリスマ性をまとえなかったタイプなんですけど(笑)、立場的に、教壇というステージに立って、マイクを付けて70人とかに向かって一方的に90分間話すわけですよね。そのときには、構造上、上に立たざるを得なかったんですよね。でも、動画にしたことで、生身の自分がそこから降りられたんですよ。授業はもう動画にしてしまっているから、ある意味、自分と切り離して、生徒が学習するための素材として、もう一人の自分がそれを使うという感じなんです。今は、Web教室に受講生を集めてオンラインで反転授業をやっているんですが、そこでは、完全にファシリテーション役で、とにかく生徒がアウトプットできる場を作ってモチベーションアップすることに集中できるんです。それをやるようになって、背負っていたものを全部おろして、学習者が勉強できるように裏方に徹することができるようになったんですよ。関係性も、上じゃなくて、斜め上とか、横に降りてくることができました。僕にとっては、こっちのほうが、居心地がいいし、楽しいんですよ。

葉一さんの活動を見ていると、コンセプトがすごくブレずにはっきりしているから、すべての活動がつながっているんですよね。「とある男」というサイトのタイトルも、動画に自分が登場しないことも、動画の最後に感謝を述べることも、ラジオも、すべて一本の線の上に乗っているんですよね。これが、メッセージがきっちり伝わっている理由の一つなんじゃないかと思いました。

コラボレーションについて

知名度も上がってくると、コラボレーションの誘いとか来ませんか?

今は、来ますね。

現状では、一人でサイトを運営しているじゃないですか?コラボレーションについては、どのように考えていらっしゃいますか?

基本的に、受けるものは受けるというスタンスです。今年の自分の方針が、「知名度を上げる」ということなんです。コラボしたら、知名度は上がるじゃないですか。なので、体が足りる範囲であれば、コラボはしています。いろいろな塾で使っていただいたりしています。

eboardさんとか、manaveeさんとか、コンセプトが近い活動も出てきていると思いますが、葉一さんは、それらの動きに対して、どんな印象を持っていますか?

目指しているところは、似ていると思います。教育格差や地域格差を両者とも出されているので、気持ちとしては、お互い頑張りましょうという感じです。

良質の動画講義をインプットのための素材として使い、リアルの場にいる先生がコーチ役として勉強をサポートするという方法は、今後、大きな可能性があると思います。そのような可能性を、葉一さんの動画が生み出していると思います。

葉一さんが考える日本の教育の姿

「はいちのだらだラジオ」で、いつか情熱大陸に出たいと話していましたが、情熱大陸についてうかがっていいですか(笑)?今やっていることのモチベーションって何なんですか?

今、この瞬間、がんばれるのは、毎日もらえる子供たちからもらえるコメントですね。それがなければ、絶対に心が折れてやめてますもん。

あとは、情熱大陸もそうですけど、何年かあとに、教育がこう変わっていてほしいというコンセプトがあって、日本がそうなっている姿を妄想すると頑張れます。変えていかなければならないと本気で思っています。

葉一さんが考えている何年か後に変わっていなければならないという日本の姿って、どのようなものなのですか?

現在は、公教育や塾というお金を払って学ぶという二本柱で支えていると思います。でも、これからは、それじゃ成り立たないですし、今でもすでに崩壊気味だと思います。manaveeさんとか、eboardさんとかもそうですけど、無料で子供たちが選んでできる教育という3本目の柱が立たなければならないということを本気で思っています。manaveeさんとか、eboardさんとかは、団体になっていますよね。団体を作るというのはハードルが高いと思うんです。自分もそう思っていたんです。その点、自分がやっている教育Youtuberというのは、好きなときに始められますし、日本のトップYoutuberのHikakinさんのおかげで、Youtuberという言葉もだいぶ浸透してきたので、2020年までに、子供たちが、「お前、誰の授業見てんの?」「俺、あの人見てんだけど。分かりやすいよ」みたいな会話が普通にされているような世の中にしていたいんです。そのためには、教育Youtuberで生計が成り立つんだということを、モデルとして自分が見せないといけないと思っています。

教育Youtuberのロールモデルとしての自覚があって、教育Youtuberという存在をムーブメントとして増やしていこうということなんですね。

はい。そうなんです。ゲームとかそういうジャンルだけじゃなくて、教育という真面目な分野でもやっていけるということを見せれると思うんですよ。Youtubeに詳しい方とお話ししたときに、ゲームや商品紹介に比べて、教育という真面目な分野だということで、Youtubeのほうで広告の収益率が高く設定されているらしいんです。それで、再生回数の割に収益が高くなるということになっているみたいなんです。

子供たちからはお金をもらわないで生計を立てるというのが葉一さんのコンセプトなので、広告モデルということになるんですね。

そうですね。

広告モデル以外で、第3の柱というコンセプトを維持したまま、収益化するというアイディアはありますか?

それは、すごく模索しています。塾で使っていただくというところが少しずつ出てきて、そういうところからも多少は収益も上がってきています。でも、できれば、Youtubeだけでも、ここまで行けるんだよというところを見せたいです。

Youtuberという制約の中でも、これだけできるんだというところを見せることで、Youtubeに講義動画をUPしていこうという人が増えればということですね。

そうですね。あとは、実際に先生になろうという人も出てきていて、そういうことを言ってくれたりするので、うれしいですね。教育が全体として盛り上がっていくといいですよね。

教育Youtuberって、今、他にもいるんですか?

教育Youtuberという名前を作ったのは自分なのですけど(笑)、教育関係では、ほぼ、皆無だと思います。

葉一さんには、教育に対して明確なコンセプトとビジョンがあって、様々な活動がそのコンセプトに沿って行われています。教育の第3の柱を実現するために、教育Youtuberを増やしたい、そのために、教育Youtuberで生計を立てられることを示したいというように、いろいろなことがコンセプトに沿って一本の線でつながってきます。このようなブレない姿勢ですべてが貫かれていることが、葉一さんの活動の特徴だと思いました。

講演会を開いて、子供たちと交流したい!

知名度が上げるという目標も、教育Youtuberという存在を増やして、教育の第3の柱を作っていこうという目標につながっているんですね。

そうですね。あとは、講演会とかをやりたいんですよ。子供たちとリアルにつながってみたいんです。たとえば、ある県に行って、その近くに住んでいる動画を見てくれている子供たちと会って、勉強じゃなくてもいいんですけど、交流をするというのをすごくしたいんです。そのためには、知名度が上がらないと、その県に行っても二人とかしか集まらなかったりしたら、できないじゃないですか。だから、ある程度の知名度がほしいと思っています。

それが、たとえば1-2年後の目標として、Webのミーティングルームに集まってもらって、そういう交流をするというのはどうですか?

Webのミーティングルームは使ったことがないんですよね。できますかね。

30人でも100人でも集まれますよ。今度、説明しますね。

「とある男が授業をしてみた」の知名度は、確実に上がってきています。Facebookグループで聞いてみたところ、子供に見せて勉強させているという親御さんからのコメントが多数ありました。動画は作った分だけ蓄積していきますし、口コミでも広がっていきます。一方で「動画を使って学ぶ」という学び方も広がってきているので、相乗効果が起こり、近いうちに閾値を超えて一気に広がる可能性が十分にあると思います。

自分にとって教育というのは恩返しなんです。

葉一さんもその一人だと思うんですが、内発的動機で立ち上がってくる人ってすごいなと思うんですよ。そのモチベーションは、どこから来るんですか。

自分にとって、教育というのは恩返しなんですよ。恩返しっていうのは一生かけてするものなので、死ぬまでやっていくだけですね。自分にとってはモチベーションが切れるということはないです。

そういうものが、教育を変えていく力の核になっていく気がするんですよ。

自分よりも分かりやすい授業ができる人って、何人もいると思うんですよ。ただ、動機がそこにあって、子供たちのためにというモチベーションが高いという点では、こういう仕事をしている人の中で絶対に負けないと思っているんです。そこで負けちゃったら、ダメなんです。だから、これからも続けて頑張っていきます。

「恩返し」というのは、葉一さんの活動の根底にあるものだと思うんですが、それには、どのような意味が込められているんですか?

自分は、中学生のときにいじめを受けていて、人間不信になりました。それで、鬱状態みたいになってしまっていたんです。高校のとき、ある数学の先生と出会って、その影響で自分が変わることができたので、これはすごいと思って、自分も教師になるために教育学部に進みました。

教育実習に行ったときに、授業中だったのに屋上に女の子3人がいたんですよ。普段は、そういうときに声をかけられないんですが、そのときは、普通に声をかけに行ったんです。そしたら、彼女らは、保健室登校している子たちで、そのうちの一人は、自殺未遂をして、数ケ月前まで入院していたんですね。話していくうちに、自分のある部分とシンクロしたのかもしれないんですが、この子たちのために教育実習の2週間を使おうと思ったんです。

それで、単位がとれるギリギリまで授業出ましたけど、あとはずっとサボって、その子たちと話をしていたんですよ。

自殺未遂をしていた子は、親御さんが開業医の方で、すごくお忙しい方だったんです。あるときに、お母さんのご飯を最近食べたことがないというので、朝4時に起きて、その子に弁当を作ることにしたんです。おいしくなかったんですけど(笑)。それを食べてくれて、すごく喜んでくれたんです。それをきっかけに、お母さんが気づいてくれて、すごく久しぶりにお弁当を作ってくれたんです。そのあと、その子がお弁当を作ってくれたりとかしたんですね。それで、お別れするときに、「もう自殺未遂しないから。絶対、私、生きていくから。」って言ってくれたときに、自分が人のためになるんだということが分かって、自分の中ですごく変わったんですよ。自分も、実は、自殺未遂とかをしていたので、そこから、自分も自殺未遂をしなくなって、ぐだぐたしていた自分がそこで死んだんです。

あの出会いがなければ、今、こうやって頑張っていられないですし、もしかしたら生きていないかもしれないので、あのときもらったきかっけは、一生かけても返さなければならないと思っています。その子たちは、もう成人しているんですけど、教育というのが一番好きだから、今、勉強している子たちに恩返ししたいというのが、今の自分のモチベーションです。

そういう背景があって、葉一さんからは、言葉や表情の一つ一つから、強さというか、覚悟というものを感じるんでしょうね。すごく穏やかそうな方なのに、ある種の迫力があるんですよね。

そうですね。そこに関しては、腹はくくっていますね。

葉一さんにインタビューさせていただいて気がついたのは、一見すると穏やかそうな雰囲気を醸し出しているんですが、ときどき、ものすごいオーラを出してくることです。これは、何なんだろうと思いながらお話をうかがっていたのですが、最後までお話をうかがって、それが「覚悟」から生まれるものなのだということが分かりました。

第3の柱を立てることが恩返しになるというゆるぎない覚悟があって、すべての行動がそこから導き出されているんですね。だからこそ、「とある男が・・」というタイトルも、動画に自分が登場しないことも、動画の最後に感謝を述べることも、教育Youtuberと名乗ることも、すべてが目標に向かって見事につながっているのです。これには、本当に感動しました。

葉一さんが引き起こすムーブメントに「反転授業の研究」も、何かしらの形で関わっていくことになると思います。

[参考リンク]
とある男が授業をしてみた
はいちのだらだラジオ

※葉一さんにコラボレーションや仕事の依頼で連絡を取りたい方は、こちらのアドレスにメールを送ってくださいとのことです。haichi_4_leaf@yahoo.co.jp

首都大学東京国際センター日本語講師の藤本かおるさんにインタビュー

8月26日の第12回反転授業オンライン勉強会で登壇される首都大学東京国際センター日本語講師の藤本かおるさんにお話をうかがいました。
 
藤本さんは、以前、反転授業の研究が主催して行った動画講義作成のオンライン講座に参加してくださり、そのときに、eLearningと日本語教育の両方について豊富な知識と経験のある方だという印象を持ちました。
 
2つの異なる分野の知識をどのようにして身につけてきたのか、その背景をうかがいました。

エジプトのカイロへアラビア語の語学留学

藤本さんは、高校生の頃、どのような職業につこうと思われていたのですか?

高校で進路を決める時、推薦で教職の取れる大学に進学するか、デザイナーを目指して専門学校に行くか、2つの進路を考えていました。親や先生は大学を勧めたい気持ちがあったと思うのですが、私の気持ちを優先し、専門学校へ進学することになりました。デザインと言っても色々あると思うのですが、私の場合はファッションが子どもの頃から好きだったことと、母が当時は今ほど知られていなかったブランドのバックを大事に使っている人で、長く使える服飾小物に興味があり、服飾のデザイナーではなく、靴やバックなどのデザイナーを目指して専門学校に入りました。 実は、子供の頃にずっとなりたかった職業は学校の先生だったんですよね。紆余曲折あって、「先生」と呼ばれる何かを教える仕事に就いているのが、自分でもおもしろいです。

そこから大学で教えるようになるまで、どのような道筋を辿ったのか全く想像がつきません。専門学校を卒業した後は、どうしたのですか?

企業に就職してOLをやっていました。当時はバブルが崩壊した直後で、とにかく売ってこいという感じでした。それに疑問を感じながら働いていたんですが、ある時働いて得た給料で、海外旅行に行きました。

どこの国に行ったんですか?

私たち年代だと、「王家の紋章」という漫画が人気で、エジプトに行きたい!と思っている女性は多い(多かった)と思うんです。子供の頃から、世界史(特に古代史)が大好きでエジプトはあこがれの土地だったというのもあるのですが、自分が大人になって初めの海外旅行の行き先に、ギリシャとエジプトのツアー旅行を選びました。ギリシャはともかく、たった数日のエジプトでの異文化体験のショックがすごかった!旅行から帰る時には、絶対にこの国に住もう!と決めていました(笑)。帰国後、早速アラビア語の勉強を始めて、資金を貯めて、3年以上を経てカイロに住み始めました。

旅行から帰るときに決めて、それから、アラビア語を0から勉強してエジプトのカイロに住んだんですか?すごい行動力ですね。それは、留学ですか?

はい。アラビア語の語学留学です。今から考えると、まだインターネットもほとんど普及していない時代(1995年にエジプトに行きましたので)によく探せたと思うのですが、日本からアラビア語の語学学校を探して、毎日通っていました。アラビア語は、いわゆる書き言葉(アラブ世界共通)であるフスハーとその国独特の方言であるアーンミーヤというのがあるのですが、午前中はフスハーを、午後はアーンミーヤをみっちり勉強していました。あれほど真面目に勉強に取り組んだのは人生でないくらいでしたね。

そのときアラビア語を勉強した経験は、今やっている日本語教育にも生きていますか?

エジプトの語学学校の学習も、いわゆる直説法、媒介語を使わない教授法でした。自分が直説法で語学を学んだ経験があるというのは、得難い経験だったと思います。まず、直説法での学習者のストレスが理解できる(笑)。先生も大変なんですけど、学習者も直説法で教わるのは大変なんですよね。色々推測しないとならないので。そしてその推測が、いつもいつも当たるわけじゃないし、最後までわからないこともあるんです。そういうのが頭ではなく経験としてわかっているので、学生の顔をよく見て、どうしてもわからないようだったら、英語がわかる学習者グループだったら英単語を言ってしまうとか、共通言語のないグループの場合だと、あえて深追いしないようにするとか、割り切って授業を進められたり、媒介語を使える環境なら使った方が効率がいいと思うのも、自分が直説法で勉強したことがあるからかも知れません。

確かに、外国語を直説法で学んだ経験は貴重ですね。カイロでは、どんな暮らしをしてたんですか?

カイロでは、アパートを借りて、同じ語学学校に通っていた日本人女性達とシェアしていました。東京以外の場所で暮らすのも初めて、家族以外の人と暮らすのも初めて、初めてづくしでしたが、幸いシェアメイトとは本当にいい関係で、もめ事もなく楽しく過ごせました。今も友だちです。語学学校のメンバーも個性的で、英語圏外の欧州から来た人が多く、彼らと私たち日本人でよく一緒に遊んでいました。彼らと遊ぶことで、アラビア語だけじゃなくて本当に話せなかった英語も少し上達できたのがおまけみたいな感じです。 また、母親と文通みたいなことをしていたのも、いい思い出ですね。電話があまり好きじゃないこともあって、せっせとはがきを書いて送っていました。母からもよく返事が来ました。口では話せないいろんなことをお互いに書いたと思います。親のことも日本のことも、離れてみて初めてありがたいなと感じることができました。月並みですが、日本に対する評価は、海外に出て自分の中で高くなりました。まだまだ捨てたもんじゃないし、ポテンシャルの高い国だと思います。

エジプトでの生活が、藤本さんの意識や考え方のどのような影響を与えたんですか?

語学学校や友人のツテなどで知り合った日本人も欧州人も、大学生とか学校を出たての人はほとんどいなくて、20代半ば~30代の人もいました。専門や前職、アラビア語を学ぶ動機も様々で、枠にとらわれない多様な生き方というのが、何も珍しく自慢になることじゃないんだなということを知れたのは、よかったです。日本はまだまだ画一的な社会でしたし、エジプトに留学していたというと今も珍しがられます。そういう意味では、帰国後いわゆる外国かぶれの人にならないで済んだのは、いろんな人と出会ったからだと思っています。 また、エジプトというとイスラム国ですが、自分が住んでいたアパートの大家さんはコプト教徒というエジプト独特のキリスト教徒の家族でした。今は、コプト教徒の弾圧が目立ってきていますが、当時はそういう雰囲気はなく、宗教の多様性なども実感できましたね。イスラムに対しても、色々肌で感じることができ、自分なりの考えを持てるようにもなりました。

2年半暮らしたカイロから帰国したきっかけは何だったのですか?

アラビア語の語学学校に通っていて、自分の母語を教えるって面白い仕事だなと思ったんです。それで、日本語教師という仕事に興味を持ったんですが・・・。カイロに住んでいる間、冬場は観光ガイドの仕事をしていたんです。覚えていらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、1997年にエジプトのルクソールで60名の方が犠牲になる大きなテロがありました。日本人も何人か犠牲になりました。そのテロの日、私もテロがあったルクソールの西岸にいて、もう少し時間がずれていたらまさにテロに遭遇していたかも知れないという状況だったんです。テロがあったことで観光客も減り仕事も減ったこともあり、精神的にショックもあったので、思い切って日本語教師になるために帰国することにしました。日本語教師になるための研修を受けて資格を取ったのですが、海外で働くためには大卒の資格が必要だということが分かり、日本語教師として働きながら放送大学へ行くことにしました。専門学校の単位を生かして3年次編入しました。

語学教師をやるときに、自分が語学を学習した経験がとても役立つと思います。藤本さんの場合は、エジプトに行き、直説法でアラビア語を学ぶというとても珍しい経験をされたのが、のちに直説法で日本語を教えるときに役立ったというのがとても印象的でした。また、単に語学を学んだということだけでなく、多民族、他宗教の中で生活したことが、国際感覚を身に付ける上でも、留学生の気持ちを理解する上でも、非常に役立っているのではないかと思いました。

日本語教師として働きながら、放送大学で大卒資格取得

放送大学は脱落率が高く、学習者に強い意志がないと卒業するのは難しいと思うのですが、実際に学んでみていかがでしたか?

予定よりも卒業までに時間がかかってしまいました。放送大学で学ぶメリットとしては、やはり働きながら続けられる点と学費が安い、そしてそうそうたる先生の授業が準備されているという点じゃないかと思います。海外から戻って日本語養成講座を終えて、お金がなくても働きながら学べる大学というのは、ありがたかったです。私大の通信制の大学は、結構な学費ですから。 当時はまだネット配信はなくて、テレビとラジオとスクーリングだったわけですが、実は私、ほとんど放送授業を視聴しないで、ほぼテストだけで卒業してるんです。スクーリングも、専門学校の単位が生かせてほとんどとらなくてよかったので。どうも話を聞くと、放送授業を視聴しないで卒業する学生というのは少数ですがいるようですね。

放送授業を視聴しなかったのはどうしてですか?

なぜ放送授業を視聴しなかったかというと、まず、1時間授業を視聴できない、飽きてしまって。放送大学の授業を見ていただけるとわかるんですけど、動きがなく話し続ける先生も多いですし、本当に受け身でただ視聴するだけというのは、自分には全く合っていなかった。自分が、eLearningで双方向性というか、必ず生身の人が関わるという点にこだわりを持っているのは、この経験の影響もあるかと思っています。

僕も、放送大学の授業をテレビで見たことがありますが、教授が座って、単調な口調で話し続けているので、あれを1時間、集中して視聴するのは確かにつらいですよね。 日本語教師として、実際に仕事を始めてみて、カイロでイメージしていた通りでしたか?

自分が学んだカイロの語学学校やスペインの語学学校などと違って、予備校みたいだなと思いました。実際、学生のほとんどは日本語学校で日本語を学んでJLPTに合格して大学や専門学校への進学を目指しているので、仕方ないんですけど。

eLearningに関わるようになったのはいつごろからですか?

日本語教師養成講座で首都大学東京の先生の授業を受け、マルチメディア教材に興味を持ち、その先生のところで教材作成のアルバイトをしたのがきっかけです。仕事もその先生に紹介していただきました。ちょうどそのころ、eLearningが注目されはじめたころで、勤務していた日本語学校でもeLearningの教材開発をすることになったんです。私はマルチメディア教材作成のアルバイトをしていたため、その教材開発にも関わることになりました。 また、放送大学がWeb配信を始めることになり、その立ち上げにもアルバイトとして関わりました。教材作成やWeb配信に関わったことで、著作権の扱いなどの必要な知識を一通り学ぶことができました。

今、教える側にいる年代だと、僕も含めて、学習者としては、一斉講義型授業で学んだ経験しかない人が多いと思います。それに対して、藤本さんは、エジプト留学で直説法でアラビア語を学んだり、放送大学で遠隔学習を経験したりするなど、学習者としての多様な経験をお持ちです。学習者としての多様な経験が、日本語を教えたり、eLearningの教材開発をするとき、大きな強みになっているのではないかと思いました。

大学院でBlended Learningを研究

その後、大学院へ進学されたんですよね。

はい。教材作成のアルバイトでお世話になっていた先生がいる首都大学東京の修士課程に進学しました。大学院では、日本語教育とICTというテーマで研究をしました。すでに、仕事である日本語学校のeLearning教材の開発をしていて、放送大学の卒論もeLearningがテーマだったんです。

放送大学にも修士課程があると思いますが、首都大学東京を選んだ理由はどんなことだったのですか?

放送大にも修士課程はあるんですが、通信制の大変さは学部で身に染みたので、修士は通えるなら通いの方がいいと思いました。修士は学部ほど授業を取る必要はないので、常勤の仕事を辞めて非常勤になって、働きながら通いました。 通信制の学部から通いの大学院になって、通えるなら通いの方が色々楽だなと感じました。1つにはやはり孤独感がない。あと、課題等も実際に教室に通って発表しなければならないので、期日を守るのが容易で、そうそうドロップアウトもできないですから。

やはり、通信制は大変だったのですね。通信制で学んだからこそ、その弱点もよく理解されているんですね。 大学院での研究について教えてください。

eLearnngとビデオ会議室のBlended Learningをテーマにしていました。ネットの授業のメリットは場所を超えられることだと思います。たとえば、私はアラビア語を勉強していましたが、東京以外だとアラビア語の教室を見つけることが難しく、学ぶチャンスがありませんが、もし遠隔で学ぶことができれば、チャンスが広がります。 その一方で、動画を受け身で視聴するのはつらいということを、放送大学で学んだ経験から感じました。それで、遠隔のメリットを生かしつつ、生身の人間が関わる方法というのを模索した結果、eLearnngとビデオ会議室のBlended Learningというテーマに行きつきました。 eLearnngとビデオ会議室のBlended Learningは、今はやっていませんが、機会があればやりたいので、初級者のグループがいたらお声掛けください(笑)。

僕もeLearningをやっていて、受講者のモチベーションを上げて脱落率を減らすためにどうしたらいいかということを考えた結果、藤本さんと同じビデオ会議室の利用に行きついたんですが、そこに、何年も前に気づいて実践されていたとは、先見の明に驚きました。ビデオ会議システムのコストが下がり、個人でも気軽に使えるようになってきたので、藤本さんの研究してきたことが、今後生きてきそうですね。
 
Blended Learningの研究をやってみて、eLearningとリアルタイムの学習との違いについて、どのように考えられていますか?

eLearningは、知識のインプットをする学習に向いています。リピートできるのが大きなメリットです。一方、教室やビデオ会議室では、生徒が発音が正しいかどうかをチェックできることや、学習者の反応で教師が状況に応じた質問等をすることができます。語学は、瞬発力も大事ですから。教科書にないことも学ぶことができるのも大きいです。また、これが一番大きなメリットだと思いますが、人のぬくもりが学習を促進させるのだと思います。遠隔授業をやってみて、また学習者のアンケート等から、画面越しでも教師と学習者のラポールが形成されることを実感しました。

Blended Learningをやってみて、気づいたことはありますか?

遠隔の対面授業の授業データを分析したところ、学生間で何かお互いに話す、その後に正しい答え出てくるということがよくありました。つまりは、彼らがお互いに話していた内容は学習に関することで、教えあいの結果、教師に正しい答えを返すことができているということです。教師として、学生の母語で私語されると何を話しているか気になります。私はそれに瞬時に反応して私語している学生に何かしらのアクションを起こして私語を止めるのがうまい方だと思うんですけど(それで私語をしない学生に褒められたことがあります)、私語ってなんだろうと思ってからは、クラス授業の私語にすぐに反応しないよう自制して(笑)、多少様子を見るようにしています。

これは、非常に興味深いお話でした。授業力のある教師は場を強力にコントロールできます。対面授業における藤本さんの授業は、私語を上手に止めさせたりすることができることから、きっと、教師のパワーが教室の隅々まで行き届いていたのだと思います。しかし、遠隔にすることで、どうしても、教室の場を完全にコントロールしきれない状況が生まれ、学生が「私語」をするようになりました。藤本さんの対面授業では起こらない状況が生まれたわけです。藤本さんのすばらしいところは、この状況を考察し、「教師がコントロールを弱めることで、生徒が自律性、主体性を発揮することができるようになる」という気づきを生んだところです。そして、その気づきを対面授業にもフィードバックして、場のコントロールを意図的に弱め、学生の主体性を引き出すことを始めたところです。気づき→考察→深い理解→行動 という思考活動をここに見ることができ、感動しました。

個人がeLearningをできる時代が到来

大学院で学んだことは、日本語教師としての活動にも変化を与えましたか?

少し前までは、eLearningの教材制作は高価で個人の手におえない制約がある時代でしたので、日本語教育とeLearningとが別々の活動になっていたんです。数年前から個人でもeLearningができる時代になり、NPOで作文添削のeLearningの企画を立ち上げました。

NPOでの活動について、もう少し詳しく教えてください。

NPO日本語教育研究所(http://www.npo-nikken.com/)は、結構前から団体としては存在していて、NPOになってすぐくらいに、国立国語研究所の仕事で声をかけてもらったのが最初です。国立国語研究所で、韓国の高校などで日本語を教えている先生の研修みたいなのがあり、それにICT利用をからめたいので、そういうことがわかる人を探していて私に声がかかったということだったと思います(うろ覚え)。その当時の理事のお1人が国立国語研究所の方でICTに詳しく、これから研究所でもそういうことを取り入れた方がいいということで、非常勤の研究員になり、HPを作ったり、作文添削のeLearningの企画を立ち上げたりしました。 研究所の活動内容は、色々あるので、HPをご覧ください。

藤本さんに見せていただいたHPは、表にパスワード認証をかけたリンクが並べてあるシンプルなものでした。でも、実際、使い方によってはそれで十分だと思います。必要以上に完成度を上げないことが、取り組みへのハードルを下げる上で重要だともおっしゃっていました。

大学で日本語を教え始める

大学で日本語を教え始めたきかっけは、どのようなことだったのですか?

自分が所属する大学で日本語クラスが増えるということで、恩師から声をかけてもらい、オーバードクターだったこともあり、博士課程後期を単位満了退学して非常勤となりました。私大でも教えていますが、こちらは知り合いの日本語の先生から声をかけていただいいてクラスを持たせてもらっています。 日本語教師のキャリアマップの1つに、大学の非常勤講師がゴールというのがあると思います。理由は、やっぱり時給がいいからだと思います。

日本語学校で教えるのと、大学で教えるのとでは、何か違いを感じますか?

大学で日本語を学ぶ学生も色々な属性があるのですが、首都大の場合は、交換留学生が主になります。彼らの場合滞在期間が半年から1年と短いこともあり、日本語も勉強するけれども日本での生活そのものが留学目的になっています。交換留学生が多い大学の場合、学生管理は結構楽じゃないかと思います。いわゆる地下に潜る(いなくなっちゃう)学生はまずいません。 学部留学生の場合は、東南アジアの学生さんが多く日本語学校と似たところがあります。バイトが忙しくて勉学がおろそかになるという・・・。ただ、日本語学校で勉強していた学生が全て大学に進学できるわけではなく、大学受験で選別されてきている分、大学の学部で学んでいる留学生はどんな大学でも日本語学校よりは勉強の習慣が出来ていると思います。日本語学校の場合は、それこそ国でろくに学校に通っていなかったような人もいたりして、勉強の仕方がわからない人なんかもいます。

そして反転授業の実践へ

反転授業をはじめたきっかけについて教えてください。

ずっとeLearningに関わってきて、自分が関わっているeLearningと自分の授業活動が結びついていないことが気になっていました。最近になり個人がeLearningを気軽にできる時代になったので、大学の授業でやってみようと思いました。でも、大学の授業って教員がチームになってカリキュラムを担当していることが多いので、教材の選択や授業のやり方に自由度が少ないことが多いんです。私が担当しているクラスでも初級0と呼ばれるクラスでは導入が難しかったのですが、初級-中級のクラスならできそうだったので、そのクラスでやってみることにしました。

大学の講義でも、そんな制約があるんですね。具体的には、どのような方法で反転授業をされているのですか?

手軽な方法で動画作成をしたいと思い、どの方法を選ぼうか迷っていたところ、ちょうど、反転授業のグループでExplain Everythingを使った動画作成講座が始まったので、それに参加して、Explain Everythingで教材を作ってみました。その後、eLearningの世界の友人が教材作成ソフトとログ管理のシステムを無料で使わせてくれることになり、こちらを利用して動画を配信しています。 学生はあらかじめ説明動画を見てきて、教室ではドリルをやるところから始まります。動画を使うことで文法の説明時間を減らしアウトプットを増やすのが狙いです。教科書が決められているという制約の中で何ができるかということを考えてやっています。

反転授業を実際にやってみていかがですか?

例えば授業中の言い回しとか、くせとか、コンテンツを作っている時に、普段自分ではなかなか気が付かない点やどのように話せばわかりやすいかなーとか、結構細かい点に注意しています。コンテンツを作ると必ず自分で視聴して確認しないとならないので、自己振り返りの機会が増えますね。それから、割と瞬発力があるのか、学生の一挙一動足に「何?」って反応してしまうタイプなのですが、それをがまんして、学習者の次の出方を観察するようになりました。これは逆パターンの先生もいるかもしれないですね。 それから、やはり学生が事前に教材を見ているかどうかを確認する行程は必要だと感じています。全員が動画を見て来るというのが理想ですが、そうそう理想通りになりません。今回は誰が見て誰が見て来ていないか、それをきちんと把握して授業をする必要があると思います。

自分の作った動画を見ると、自分の癖に嫌でも気が付きますよね。また、視聴ログが取れるということも、学生の学習状況を把握する上で必要だということですね。 反転授業の実践は、藤本さんに何か変化をもたらしましたか?

ある程度の年数授業をしていると、それがルティーンになっていないでしょうか。もちろん、自分の授業を改善したいと日々思っているのですが、それこそ日々の業務に追われてなかなかじっくり考えることができない。でも、反転授業を行うことで、自分の授業を見つめなおさざるを得ない。また、コンテンツを作る際に、もう一度学習項目(例えば私の授業の場合、文法項目について)の見直のために、これまで教えていたことでも、再度勉強しなおしたり調べなおしたりしますよね。手間がかかるんですけど、そうすることによって自分の学びも促進され、これまでと違う教え方の視点が見えてきたのが面白いと思いました。 普段授業で説明していることって、覚えているようで逐一覚えているわけじゃないと思います。それを文字化したりナレーションとして入れるためには、なんというか、体で覚えている「いつも」のことを話すのではだめで、いったんそれを取り下げてまな板の上に乗せて、素材として吟味する時間が必要だと思います。そうすることで、同じ内容を教えるとしても、じゃあクラスではこういうことをしたらどうだろうか。これはやってみたことないけど、できるかもしれないとか、教案を作り直しているだけでは、気が付かないことに気が付ける気がします。

ビデオ会議での実践によって得た気づきから、対面授業で主体性を引き出すためにコントロールを弱めるという行動が生まれたように、反転授業という新しい手法に取り組むことで、今までのやり方が解体され、授業改善への気づきが生まれてきます。藤本さんは、気づく力が強い方なので、動画作成したり、授業構成を変えたりすることで、きっと多くの気づきが生まれているのではないでしょうか。
 
 
また、今回、藤本さんにインタビューさせていただいて強く感じたことは、自分の内なる声に従って選択することの重要性です。常にそのように選択することによって、バラバラに見えたものが、時間をかけてゆっくりと統合されてくるのだということを、藤本さんのキャリア形成をうかがって感じました。
 
勉強会で、藤本さんが、どのようなお話をしてくださるのか楽しみです。
 
反転授業オンライン勉強会は、8/26(火)の夜に行います。 詳しくはこちらをご覧ください。

徳島大学共通教育センター ドイツ語非常勤講師 ギュンター知枝さんにインタビュー

8月26日(火)の第12回反転授業オンライン勉強会でお話しいただくギュンター知枝さんにインタビューさせていただきました。  
 
 
ギュンターさんは、2011年から徳島大学でドイツ語を教え始め、1年ほど前にドイツ語教員養成講座を受講しはじめたことをきっかけに、授業設計やプロジェクト型学習などに興味を持ち始め、授業改善に取り組み始めました。
 
 
しかし、それらを自分のドイツ語教育の実践にどのように生かしたらよいのだろうかと悩む日々が続いていたのだそうです。
 
 
最近になり、考えが整理されると、霞が晴れたように進むべき道が見えてきて、プロジェクト型の授業、アクティブラーニング型の授業をスタートすることができたのだそうです。
 
 
ギュンターさんが、どのようにして考え、行動に至ったのかを順を追って伺いました。

どうやってドイツ語をマスターしたか

ギュンターさんがドイツ語をマスターしたプロセスを教えてください。

私は音大で声楽を学んでいて、指導教官がドイツリートが専門だったんです。それで、2年間、大学でドイツ語を学んだのですが、そのときは、ドイツ語はほとんどできず、ドイツ語の歌詞も呪文のように覚えて歌っていたし、ドイツ語で言えることといったら、「私の名前は知枝です。」「これは、私の右手です。」とか、その程度でした。

え!そのくらいのドイツ語レベルで、ドイツに留学することにしたのですか?

はい。まわりも無謀だと言っていましたが、行けば何とかなるだろうと思って、ドイツに旅立ちました。

実際にドイツに住み始めてどうでしたか?

はじめはドイツ語の語学学校の初級コースに通いました。同じようなレベルの同級生と刺激し合いながら勉強していくうちに、2カ月でメキメキとしゃべれるようになりました。それで、一度、語学学校をやめて2か月くらい生活していたのですが、やっぱり、もう少し学校に通おうと思い、さらに2か月間、今度は中級コースに通いました。結局、学校でドイツ語を学んだのはこの4か月間だけで、あとは、生活の中で身につけました。

ほとんどしゃべることができない状況でドイツに渡ったというのは、驚きでした。でも、その一方で、その状況になれば、しゃべれるようになるという自信が、ギュンターさんの中にあったのではないかと思います。語学習得について、ギュンターさんがどのように考えているのか伺いました。

語学習得のポイント

ドイツ語や英語を学んだ経験を通して、ギュンターさんは、語学習得のポイントがどこにあると思いますか?

私は、しゃべれるようになることと、読み書きは、別の技術だと思います。いくら読み書きをトレーニングしてもしゃべれるようにならないし、逆に、しゃべるトレーニングだけをしても読み書きができるようになりません。だから、両方やらないといけないと思います。日本だと読み書きに重点が置かれていて、しゃべるトレーニングが少ないです。私は、英語を学ぶときも、ドイツ語を学ぶときも、使っていくほうが楽しいので、しゃべったり、映画を見たりして身につけていって、後から、単語や文法を学んで、そういう綴りだったのか、そういうルールだったのかと気づくということが多かったです。

読み書きから入ったのではなく、しゃべることから入ったんですね。

英語とドイツ語についてはそうです。ただ、最近、フランス語を始めて、これは、フランス語検定を取ることを目指して、読み書き中心で勉強しました。それで、4級を取ったんですが、4級をとってもフランス語はしゃべれないんです。だから、やっぱり、しゃべることと読み書きは別なんだと再認識しました。

これには、納得しました。僕も、大学院まで進んで、英語で物理の論文を毎日のように読んでいたんですが、海外旅行に行くと、情けないくらい英語が口から出ませんでした。これじゃまずいと思って、スカイプ英会話から始めて、とにかくしゃべるトレーニングをするようにしたら、少しずつしゃべれるようになりました。

学習モードに入ることが大事

ドイツ語は暮らしの中で身につけて行ったとのことですが、どんな様子だったのですか?

最初は、家にいて、チャイムが鳴ったり、電話が鳴ったりするのが恐怖でした。対面なら、まだ、何とかなるんですが、電話だと相手の様子が分からないので、コミュニケーションが難しかったです。こちらから電話しなくてはならないときは、紙に書いておいて、それを一気に読み上げたりしていました。言えることが増えると、生活の快適度が増えるという感じだったので、毎日が猛勉強でした。 ドイツでは、「言わない」=「考えていない」と思われるので、最初は、子ども扱いでした。言えるようになってくると、だんだんと大人扱いされるようになってきました。

ドイツ語を使わないと生きていけないという環境だと、脳が学習モードに入るんでしょうね。

そうですね。ドイツでは、毎日が戦いでしたから、必死で学んでいたんだと思います。

リアルで臨場感のある場の中で、心の底から、その言葉をしゃべれるようになりたいと思うことが、言葉をしゃべれる、つまり、語学をツールとして使えるようになるためには必要だというのは、とても説得力がありました。

語学を教え始めたきっかけ

ギュンターさんが、語学を教え始めたきっかけについて伺いました。

ギュンターさんが「教える」ということを始めたのはいつからですか?

ドイツに滞在中に日本語講座を担当しないかと言われ、始めたのが最初です。絵を描いたり、身振り手振りを使って説明するのが好きだったので、向いているかもしれないと思いました。

最初に教えたのは日本語だったんですね。ドイツ語を教え始めたのはいつですか?

ドイツに6年住んだ後、日本に帰国して、ドイツ語の通訳や翻訳をやったりしていました。一般企業に就職して会社員をやる傍らで、ドイツ語の市民講座をやらないかと頼まれ、週に1回、ドイツ語を教え始めました。

それは、どんなクラスだったんですか?

受講者のレベルや目的がバラバラだったので、大変でした。私が住んでいた町は、ドイツのリューネブルグ市と姉妹都市で、使節団が隔年で日本とドイツを行き来していたため、国際交流の担当者の方が勉強していたりしました。他にも留学準備のためだったり、生涯学習の1つとして学んでいたり、いろいろでした。

それだけバラバラだと教えにくかったんじゃないですか?

最初は、テキストを使って教えようとしていたんですが、しっかりカリキュラムを作ってしまうと、途中から入ってこれなくなってしまうということもあり、途中からはワープロでプリントを自作して教えていました。受講者にちょっとはドイツ語をしゃべれるようになってほしいと思っていて、1つの方針を貫くというよりは、みんなの希望にできるだけ応えたいと思って、やっていました。これは、はじめはよかったんですが、続けていくうちに、教える側も学ぶ側も方針がないことで何をやったらよいのかが分からなくなるという面もありました。

そのころは、クラスでドイツ語を教えることにどんな印象をお持ちでしたか?

正直、個別指導で教えたり、通訳、翻訳をしたりするほうが楽しいと思っていました。

ギュンターさんは、とてもサービス精神が旺盛な方なので、このころは、要望に応えるという形で授業をされていたようです。

大学でドイツ語を教えはじめる

ギュンターさんが、ドイツ語を大学で教えることになったきっかけは?

徳島大学でドイツ語の非常勤をやっていた夫が、英語の常勤になることになり、ドイツ語の講座を担当する講師を募集することになりました。通訳や翻訳を続けてきたので、それが実績としてカウントされ、非常勤講師として採用されました。

はじめて大学でドイツ語を教えることになり、どのようなことを考えたのですか?

はじめは、市民講座でやっていたやり方を、そのままやってみようと思いました。学生に寝られるのは嫌だったので、文法の表を歌にして歌わせたり、前置詞をぬいぐるみを使って説明したりしました。学生にドイツ語を嫌いになってほしくないという思いがあり、ドイツの話をしたり、ドイツの動画を見せたりもしました。

そんなふうに楽しく教えてくれたら、学生はついてきたんじゃないですか?

そのときは、学生も楽しんでくれていたみたいで、特に授業改善しようとか、考えていませんでした。

AL型授業をはじめたきっかけ

ギュンターさんが、プロジェクト型授業や、AL型授業に興味を持ち始めたきっかけは、何だったのですか?

いくつかあります。1つは、学生の人数が、それまで最大でも18名だったのですが、今年から一気に37名に増えることになり、今までのやり方を変える必要があると思ったこと。もう1つは、ドイツ語教員養成講座を受講しはじめたことです。

ドイツ語教員養成講座とは、どのようなものなのですか?

ドイツ語教育の歴史と理論を学び、きちんとした理論に則った教案を自分で作成できることを目標とした講座です。東京、大阪、九州の会場をネットでつないで、講師の先生は、その3つの会場のどこかで授業をし、他の会場からはオンラインで受講する形です。授業では必ず宿題が課され、提出すると添削されて戻ってきます。そして、次の授業の前半で宿題についての話し合いや発表があり、後半に講義があるというやり方です。課題をやってから話し合いをするので、話し合いが深まります。

講座で学んだことを、授業に取り入れたんですか?

はい。課題のために仮のものを作るのが嫌だったので、実際に授業で使えるものを課題として作り、それを使いました。そのため、ただの知識として学ぶのではなく、使うことを意識して学ぶことができました。その結果、読みたい本がどんどん出てきて、本を読んで出てきたことをネットで調べていたらFacebookグループを見つけました。本と講座とFacebookグループで、世界がどんどん広がっていきました。

学びモードになったんですね。講座で学んだことで、ギュンターさんの意識に変化は起こりましたか?

大きく変わりました。たとえば、インストラクショナルデザイン(ID)のことを知って、その通りにやったらどうなるかということを考えたりしました。でも、逆に、悩みも生まれました。

授業に対する悩みをどのように解決したか

どんな悩みが生まれたんですか?

何を目的にドイツ語を学ばせるのかというところで、悩んでしまいました。私は、語学の研究者になるのでなければ、語学自体を深めるのではなく、使ってこそ意味があると考えています。語学がツールであるということを、学生が分かるような教え方をしたいと思いました。でも、どうやったら、ドイツ語をツールとして学んでくれるのかが分かりませんでした。たとえば、天気予報などを素材として使っても、自分自身がしらじらしいと思ってしまいます。ドイツ語教員養成講座の講師の方も、「練習のための練習では、学習者は気づくよ」とおっしゃっていて、本当にその通りだと思いました。それで、リアルな体験の中でドイツ語を使わせて学ばせたいと思ったんですが、英語と違い、ドイツ語は初めて学ぶのでストックが少なく、表現力が乏しいせいでできることが限られてしまうのです。

その悩みは、どのようにして解決したんですか?

悩みを解決するきっかけは、英語のクリエイティブライティングの講座を受講したことでした。アメリカ人の小説家の方がやっている講座で、6個の単語だけで作る小説とか、リストで作るポエムとか、絵や写真に物語をつけるとか、そういうことをやるんです。英語力が乏しくても、表現を楽しむことができるということを経験し、これならドイツ語でもできるんじゃないかと思いました。

なるほど。リアルの場というと、「買い物の設定」とか、「飛行場でのやりとり」とか、実際にありそうな状況をイメージしてしまいがちですが、それは、「しらじらしいもの」であって、自分にとって本当に表現したいことをドイツ語で表現することが「リアル」ということなんですね。

そうなんです。書きたいことが最初にあって、次に、それに必要な文章や単語を学ぶというのが「リアル」だと思います。ドイツ語だと単語数が少ないのでプレゼンなどをやらせるのは難しいですが、単語数が少なくても「リアル」なことをできるんだというのが大きな気づきでした。

具体的には、どのように進めているのですか?

最初の授業では、図書館に行って好きな画像をプリントアウトし、それに日本語で物語をつけます。そして、それをドイツ語にしてサイボウズライブに投稿してもらうことを宿題にします。次の授業までに私が間違えそうな項目を書いておいて4人グル―プでチェックさせます。たとえば、「最初の文字は大文字になっていますか?」「名詞の格変化はできていますか?」といったことについて、グループ内でお互いにチェックします。実際にやると、翻訳マシンでドイツ語に直した人もいたりして、そういう人は、どれが名詞でどれが動詞かなども分からなかったりするので、自分の書いた文章の単語を調べてアップさせることを宿題にしています。

学生の反応はどうですか?

熱心な学生は、もう4回も書き直していたりして、どんどん進めています。今までは、やる気のある学生と、そうでない学生がいたときに、やる気のある学生に対してフォローできていなかったのですが、サイボウズライブを導入したことで、やる気のある学生が自分でどんどんやれるのでいいですね。

学生の学習意欲を高めるための工夫は、何かされていますか?

6個の単語だけで作る小説、リストで作るポエム、写真に物語をつける、という3つの課題のうち、それぞれが一番出来の良いと思う1つを選んでもらい、それを文集という形でまとめるということにしました。学生もやる気を出しているようです。他に、ドイツのギムナジウムで日本語を勉強しているクラスと連携して、クリスマスカードを送り合うというイベントも予定しています。

ギュンターさんにとっての「リアル」は、学生が本当に表現したいという気持ちで何かを表現するということです。それをしないと語学がツールにならないという考えが生まれる背景には、ギュンターさんが語学習得をしたときの経験が大きく関係していると思いました。

1年間で終わる第2外国語の授業で、学生に何かを表現させることは難しい、しかし、気持ちと結びついていない「しらじらしいこと」をさせたくはない、というジレンマの中で、クリエイティブライティングの講座に出会ったことで、思考が一本の線になり、授業の方向性が定まったというのは、アンテナを張り巡らせながら、考え続けていたからこそ訪れた瞬間だったのではないかと思いました。

授業の根本部分が固まったギュンターさんが、これから、どんなワクワクする授業を展開していくのか、とても楽しみです。

ギュンターさんがお話ししてくださる反転授業オンライン勉強会は、8/26(火)の夜に行います。

詳しくはこちらをご覧ください。

登壇者紹介:山梨大学教授 塙雅典さんにインタビュー

7月28日(月)に実施する反転授業オンライン勉強会でお話しいただく山梨大学教授,塙雅典さんにインタビューしました.

山梨大学がアクティブ・ラーニングに取り組むようになった背景には,文部科学省が大学にアクティブ・ラーニングを導入することを奨励しているという現状があります.

文部科学省のHPで公開されている平成24年3月7日に実施された「大学教育部会(第11回)の審議のまとめについて」を見ると,次のように主体的な学びやアクティブ・ラーニングについての言及が非常に目立ちます.

主体的な学びやアクティブ・ラーニングに関する部分を引用します.

●大学の教員は教育に比較的多くの時間を割くようになっており,改善のための様々な工夫も進んできている.にもかかわらず,国民,企業そして学生自身の学士課程教育に対する評価は総じて低い状況にある.これには種々の要因が関係しているが,特に,高校までの受け身の勉強とは質的に異なる主体的な学びのための学修時間が今日においても少ないという大きな問題がある.
高等教育の課題が学生数等の「量」から教育の「質」へと転換しているユニバーサル段階において,また,我が国が激しさを増す社会変化に直面する中で,今まさにこの状況を踏まえた学士課程教育の質的転換への早急かつ効果的な取組が求められている.

●現在,我が国の大学の教員の一学期当たりの担当授業時数は8コマ程度と比較的多く,かつ,教員の勤務時間における教育に関する時間の割合は増加している.また,ナンバリングによる体系的なカリキュラムの編成や学生が予習するための工程表としての授業計画(シラバス)などによる学修時間の伴う質の高い教育を展開している大学もある.また,グループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワークなどによる課題解決型の能動的学修(アクティブ・ラーニング)に取組み,成果をあげる大学も出てきている.これらは,国際的通用性が問われる知識基盤社会,グローバル社会における高等教育において,日本型の学士課程教育モデルとしてさらにその発展,展開を図ることが期待される.

●高校までの勉強から大学教育の本質である主体的な学修へと知的に跳躍すべく,学生同士が切磋琢磨し,刺激を受け合いながら知的に成長することができるよう,課題解決型の能動的学修(アクティブ・ラーニング)といった学生の思考や表現を引き出しその知性を鍛える双方向の授業を中心とした質の高いものへと学士課程教育の質を転換する必要がある.

このように、文部科学省は、アクティブ・ラーニングの導入を、かなり強力に大学に求めています。これを踏まえて,山梨大学がどのような取り組みをしているのか,塙さんにうかがいました.

反転授業を導入したきっかけ

山梨大学が反転授業を導入したきっかけは何だったのですか?

文部科学省としては,アクティブ・ラーニングをやりたいということでいろんな予算をつけるわけです.そこで,大学側としては,予算獲得のためにもアクティブ・ラーニングを導入したい.でも,現場は動かない.工学部の現場では,教科書のまとまった内容を教える必要があるのでアクティブ・ラーニングに時間を割いている余裕はないと思っているわけです.そんな中,企画担当の理事が文部科学省の予算を取りにいくためのプロジェクトを立ち上げることになり,私が呼ばれてアクティブ・ラーニングの部分をやってくれと頼まれました.そこで,少人数で集まって試行錯誤が始まりました.

ICTオンラインの記事では,XEROXさんとの共同研究と書いていたのですが,それがきっかけではなかったのですね.

XEROXさんとのお付き合いも始まったのも文部科学省への予算申請とほぼ同時です.プロジェクトがスタートした後,XEROXさんと共同研究することになり,最初は授業をビデオ撮影するところから始めました.でも,ビデオだと編集とかが面倒なので,XEROXさんが社内用に使っていたスクリーンキャスト形式のシステムを試しに使わせてもらったら使いやすかったので,それを使わせてもらっています.

反転授業ではなく,アクティブ・ラーニングを導入するのが目的だったということなんですね.

はい.反転授業は,あくまでも,授業でアクティブ・ラーニングをするための手段だと考えています.

東京国際大学教授の河村一樹さんにお話をうかがったときは,改革はトップダウンでないと難しいという意見が出ていました.山梨大学の場合は、企画担当の理事の発案で,まさしくトップダウンでプロジェクトがスタートしたため,アクティブ・ラーニングを推進するためのチームができました.

チームで試行錯誤をシェアしながらアクティブ・ラーニングや反転授業の実践を進めていくことができる点は、トップダウン式で改革するメリットの1つだと思いました。

塙さんが,授業に対して感じていた問題意識

反転授業を始める前は,塙さんはどのような授業をされていたんですか?

アクティブ・ラーニングのようなことはやっていませんでしたが,授業は何とかしたいと思っていました.教室をまわって学生を指したりして,学生が寝ないようにしていました.でも,どうも学生が生き生きしていないんですね.この状況が嫌でした.

なるほど.では,アクティブ・ラーニングとの親和性は高かったのですね.

そうだと思います.それに,新しいことをやるのは嫌いじゃないし,せっかくアクティブ・ラーニングをやるなら,ちゃんとやって成果をだそうと思いました.学生同士が話し合いをしたり,分からないときは質問したりするような教室にしたいと思っています.

このような改革をしていく上で,プロジェクトメンバーの人選というものはとても重要だと思います. 塙さんは、企画担当理事の一本釣りでプロジェクトメンバーになることを頼まれたそうです. 塙さんにお話をうかがって,教育に対する熱意と、チームで連携しながらアイディアを形にしていくリーダーシップにあふれている方だという印象を受けました.

山梨大学の実践

山梨大学では,どのような取り組みが始まったのですか.

学内で呼びかけて,いっしょに反転授業をやってくれる人を集めました.これまでに反転授業の試行に取り組んでくれた教員は6名ですが,今年の後期からは二倍以上に増える予定です.

実際にやってみていかがでしたか?

資料を見ていただけると分かるように,ほとんどの授業で成績分布が完全習得型に近い形になりました.ただ,1つのクラスではうまくいきませんでした.他の5人は10年以上,授業をやった経験がある教員だったのですが,その方は,初めて授業を担当される方でした.ITに強い方なので動画講義はしっかりしたものを作られていたのですが,生徒が動画を見て予習してこなかったときに,もう一度,対面授業で講義をしてしまい,生徒がさらに予習してこないという状況になりました.その点を指摘して改善したら,成績分布もだいぶ改善しました.

※資料は、「反転授業オンライン勉強会」の中で公開します。

一斉講義型の授業経験がないと,アクティブ・ラーニング型の授業をやるのが難しいという話をよく聞きます. 学生がどのようなことに疑問を持つか, どんなところで間違いやすいかなどを想定した上で,それを自分たちで気づいて解決できるような仕掛けを作っていかなければならないからだと思います.また,「場づくり」にも、学生とのコミュニケーションや関係性が大きく関わってきます.経験の少ない教員が,どのようにしてアクティブ・ラーニングを実践していくのか,また,それをサポートしていくのかという点も,今後の課題になりそうだと思いました.

日本教育工学会での発表

この成績データは,どちらかで発表したのですか?

昨年9月の日本教育工学学会第29回全国大会で発表しました.私たちは教育工学については素人なので,「このような結果が出ましたがどうですか?」ということで意見をうかがいに行きました.2013年に実践した最新のデータを発表しました.

反応はどうでしたか?

質問の嵐でした.いろんな質問がありましたが,「反転授業が増えたら学生の負担が増えて,成り立たなくなるのではないか」というものがありました.現状では,確かにそのような可能性があります.しかし,大学の授業というのは予習2時間,授業2時間,復習2時間の合計6時間の勉強が想定されています.1,2年生に単位が集中していて,3,4年生ではほとんど授業がないという現状では,全科目で反転授業を実施すればうまくいかなくなりますが,4年間に124単位を分散させれば,本来の形である予習2時間,授業2時間,復習2時間を実践させることができます.

反転授業の効果を示す成績データを取っているところは少ないですよね.

私の知っているところでは,成績データをとっているところは他には知りません.また,反転授業に取り組んでいる大学は山梨大学のほかに,早稲田大学,島根大学,東京国際大学などがありますが,熱意のある教員が個人でやっているところが多く,組織的にやっているところは他には知りません.

反転授業を導入を検討している大学にとって,山梨大学の成績分布のデータは,とても参考になると思います.反転授業を実践した6名のうち5名で,完全習得型の分布に近い分布に移行したというのは大きなインパクトがあります.このようなはっきりしたデータを出したのは,日本では初めてだとのことで,反転授業やアクティブ・ラーニングの導入を加速するものになるのではないかと思います.

反転授業の課題

実際に反転授業をやってみて,どのようなところに課題を感じていますか?

今は,XEROXさんが提供してくれているPCをサーバーとして使っていますが,本来であれば,ちゃんとしたサーバーが必要で,それには,予算が必要になってきます.

反転授業をやるには,予算が必要だということですね.

私たちは,他の大学の教員でも実践できるような「こういうやり方をするといいよ」という形を提案したいと思っています.簡単に実践できる環境とノウハウを用意しないと普及しません.Screen-O-Maticなどのフリーソフトを使ってYoutubeやGooge Driveにアップロードする方法もあるのですが,それだと著作権の問題が出てきてしまいます.教科書の図などをスライドに載せることができなくなり,立ち行かなくなります.最低でも,学内にサーバーがあり,学内登録ユーザーしかアクセスできないような仕組みがあることが必要になります.その上で,国内で開発したソフトをオープンソースで配布することができれば普及しやすくなると思っていますが,それには,予算が必要なんです.

トップダウン式で改革を行う場合は、環境整備などがやりやすくなると思いますが、山梨大学では、現状では予算獲得ができておらず、それがネックになっているようです。大学へ大規模に導入されるためには、大学の枠を超えて利用できる使いやすいビデオ講座制作システムの開発や、学内サーバーやLMSの整備へ予算を投入する必要があることが、お話をうかがってよく分かりました。

それ以外には,何か課題はありますか?

実際にやってみて,教室での授業設計がポイントだと思いました.しかし,私たちは授業設計については素人なので,授業設計の専門家がサポートする体制があればと思っています.アクティブ・ラーニングのやり方については悩んでいますね.勉強会をやって様々な手法を学んでいるのですが,それを取り入れる段階で疑問が尽きません.ペアワーク,グループワーク,質問セッション,プレゼンなど,それぞれの効果が類型化できていないので,どの授業でどれを使うか,時間配分をどうするかなどで迷います.

塙さんの授業は,どのようなデザインになっているのですか.

基本的な流れは,1)動画のポイントと疑問点をPingPongで回答してシェア,2)質問がなくなるまで質疑応答を繰り返す,3)問題を自力で解く 4)周囲とシェアしてグループで解く 5)できたところは発表 6)最後に今日の授業のポイントをPingPongで回答,という感じです.演習する問題内容に応じて,時間配分をどうするのか,質問を使うセッションにしたらよいのかなど迷います.これらを類型化して黄金パターンを作りたいのですが,まだできていません.

僕のWizIQを使ったオンラインのライブ講義では,チャットボックスを使ってやり取りをするのですが,チャットボックスへの書き込みだと抵抗感が少なくて,活発にアウトプットが出てくると感じています.PingPongを使うと,同じようなことが起こりますか?

PingPongへはスマホやPCからアクセスしているのですが,このようなシステムを使うと学生は回答しやすくなりますね.質問に対してPingPongで回答させると短い回答が返ってくるので,質問者にマイクを渡して詳しく説明させたりすると,活発な質疑応答のセッションができます.

科目や生徒が違えば,最適な授業設計も自ずと変わってくると思います.定型化されたアクティブ・ラーニングのひな形というものが必ずしもうまくいくとは限らず,教員には,ひな形を土台に試行錯誤しながら最適な形を見出していくスキルが必要になってくるのではないかと思いました.同時に,授業設計の専門家のサポート体制も,今後は重要になってくるのではないかと思いました.

チームワークの重要性を気づかせる

アクティブ・ラーニングの中にはグループワークもあると思います.僕自身は,ずっと一人で仕事をすることが多かったのですが,Facebookグループの活動を始めてからチームで仕事をする楽しさや,一人じゃできないことができることの面白さに目覚めて,いろいろなことをチームでやるようになりました.チームで仕事をするメリットを体験をしたことがきっかけで行動が変わったのですが,山梨大学の反転授業で行っているグループワークは,学生たちにチームワークの重要性を感じさせる場になっているのですか?

反転授業とは離れるのですが,私の担当する実験科目内でエンジニアリングデザイン実践というプロジェクトベースドラーニングを実施しています.電気電子工学科の学生と言っても,電子工作をしたことがない人がほとんどなんです.それで,8-9人のチームを組み,実際に動くものを作らせます.仕事を分担しないとできないようなものを作らせるんです.授業のレポートの最後に書かせる感想を見ると,「自分一人ではできなかった」「動くようなものができるとは思わなかった」というような感想が多いです.これは,チームワークの重要性を体験するものになっていると思います.

「主体的な学び」を育成するために、1つの授業だけでなく,4年間のカリキュラム全体で連携していくことが重要だと感じました.1-3年生のうちに,プロジェクトベースドラーニングやアクティブ・ラーニングで学び,調査,協働,発表などのスキルを身に着けてから,卒業研究に取り組むという流れができるのが理想的なのではないかという印象を持ちました.

◆学ぶ意欲への影響

僕が物理ネット予備校にアクティブ・ラーニングの要素を取り入れようと思った理由は,動画講義だけだと続けられる人はどんどん進めるけど,続けられない人もいるというところに課題を感じていたからなんです.定期的に集まってアウトプットする場を持つことで,お互いに刺激しあって学習意欲を高めてもらうことが目的でした.反転授業には,学習意欲を高めるという側面もあると思いますが,反転授業を実施して,学生の学ぶ意欲は変わりましたか?

反転授業をきっかけに大学院進学を目指すようになった学生がいます.彼は,もともと勉強をやる気がなくて,最低限の単位を取って卒業して就職しようと考えていたのですが,グループワークで自分が意見をちゃんと言えたことで自信がついて,もっと勉強したいと思うようになり,進路を大学院進学に変えました.

反転授業をきっかけに,学習意欲が高まったのですね..

はい.ただ,そうならない生徒もいるので,それが彼特有の現象なのか,もっと一般化できるものなのか,これから検証していくことが必要だと思います.

アクティブ・ラーニングやプロジェクトベースドラーニングは,うまく機能すると体験の強度がとても多くなります.それを行動変容につなげていくことができれば,大学院進学を決めた学生のような例が増えてくるかもしれません.ヒントになるのは、デジタルハリウッド大学教授の佐藤昌宏さんのEffective Learning Lab(ELラボ)での研究結果“人はポストラーニングにおいて行動変容する”です.また,アクティブラーニングの実践で有名な小林昭文さんも,授業後の振り返りの重要性を述べています.(「体験」→「振り返り」→「気づき」を得られる模擬授業体験)振り返りを行って,体験を自分の言葉で語り、その中で生まれた気づきが,自己イメージを変化させていき,その結果として行動が変化していくというプロセスをアクティブ・ラーニングと組み合わせていくことに可能性を感じています.

塙さんは,工学部の研究者らしく,大学で反転授業を実践するうえで課題のを明快に切り分けて,それぞれの課題を浮き彫りにしてくださいました.現段階では,このように課題をはっきりさせることが非常に有益だと思います.明らかになった課題をシェアして,どのようにしたら解決できるのか,アイディアを出し合って一緒に考えていきたいと思います.

7月28日(月) 21:45-23:30で実施する第11回反転授業オンライン勉強会「反転授業の実践報告」で,塙さんがお話ししてくださいます.

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近大附属高校 英語教諭 江藤由布さんにインタビュー

7月28日(月)の反転授業オンライン勉強会で登壇してくださる江藤由布さんにインタビューさせていただきました。
 
※江藤由布さんのブログ All Englishの授業アイデア[iPad,反転授業,Active Learning]

江藤さんは、日本人の両親を持ち、海外に長く住んだ経験がないにもかかわらず、日本語と英語の両方を自由に操るバイリンガルです。

江藤さん自身が、どのような英語教育を受け、2つの言語を自由に使えるようになったのか、最初に質問しました。

3歳から母親がはじめたオリジナルの英語教育

江藤さんは、どのようにして英語を学んできたのですか?

私の場合はかなり特殊な環境でした。両親が英語が苦手だったので、子供には英語を話せるようになってもらいたいと思っていたようです。

大学教授の父の仕事の関係で、3歳のときに9か月間、アメリカに住みました。母は英語が苦手だったのですが、子供に英語をマスターさせるためには、まず自分ができなければならないということで、アメリカの大学に入学して勉強しました。

日本に戻ってきたころには、日常的なことは英語で不自由なく話せるようになっていました。

3歳児で英語が喋れるようになっても、そのあと、英語を続けないと消えてしまうと思います。また、ボキャブラリーを増やしていかないと年齢相応の英語を話せるようにならないと思います。日本に戻ってからは、どのように勉強したのですか?

母が全くのオリジナルのやり方で英語教育をやりました。テレビは英語でしか見ていませんでした。当時は『セサミストリート』とか『奥様は魔女』とか、海外のテレビドラマの音声多重放送をやっていたので、それを英語で見ていました。また、大量の読書を課せられました。英語の歌のカラオケセットもありました。その結果、小3のときに英検2級を取りました。

徹底していますね。海外駐在とかで子供のときに英語が喋れたという人は多いと思いますが、帰国してから、日本で英語力を伸ばしていくのは並大抵のことではないと思います。ちょっと普通じゃないレベルですよね。まわりに同じようなことをやっていた人はいなかったんじゃないですか。

はい。母は孤独だったと思います。かなり厳しく仕込んでいたので、祖父母が止めに入ったりするほどでした。私は母も英語も嫌いでしたね。

それは、ずっと続いたのですか?

12歳まではつきっきりで、みっちり仕込まれました。小学3年生のときに英検2級を取ったら、ある程度、基礎ができたということで、宿題が課される形になりました。中学から地元の英語学校に行ったんですが、まわりの子がやる気をなくしてやめてしまってクラスが消滅するということが2回続けてありました。母への反発心もあって、12歳から16歳まで英語を勉強しなくなったんですが、16歳で短期留学してから、火がついたように猛烈に勉強し始めました。

朝起きたら英字新聞の一面を読んで、電車の中で『時事英語研究』という雑誌を読んで、暇な時間には英語でDictationをして、1時間100ページのペースで読書をしていました。

短期留学のときに、何があったんですか?

人生観が変わったのだと思います。人のためじゃなくて、自分のために勉強するんだということが分かったんだと思います。

英語の早期教育に対する不安は、主に2つあると思います。1つは母語の習得に悪影響を与えるのではないかということで、もう一つは、英語に限りませんが、親子関係や自立に関わる問題です。

日本に住みながら江藤さん以上に子供に英語を学ばせるのは難しく、江藤さんに母語の問題が全く生じていないことから、母語の習得への影響については、日本に住んで日本の学校教育を受けている場合は、心配する必要がないと思いました。

親子関係や自立に関わる問題は、慎重に考える必要があると思います。僕は子供のころから硬式野球をやっていたので、まわりには子供に野球の英才教育をしている親がたくさんいました。自我が芽生える前は、英才教育でスキルがどんどん伸びるんですが、自我が芽生えてくるにつれて、野球を嫌いになってしまってやめてしまうというという例をいくつも見ました。江藤さんの場合も同様の危機があったと思いますが、短期留学をきっかけに、自分のために勉強するということに気づき、子供のときに鍛えられたスキルを土台として利用して、英語力を自分の人生のために役立てていったというお話は、自立の物語としても、とても参考になりました。

江藤さんの教育実践

江藤さんが教育の分野に進もうと思ったきっかけは、何だったのですか?

私は小・中・高と学校の枠にはまらないところがあって、一斉講義で、座って黙々と勉強するというのが苦手だったんですよ。読書と自由研究しかしなかったような子供でした。大学の講義もつまらなくて、体育会系のアーチェリー部に入って部活に明け暮れていました。そんな私の様子を見て、父が「お前は会社員は向いていない。起業するか教員になれ。」と言ったので、高校の教員になることにしました。

子供のときからご自身は一斉講義が苦手だったとのことですが、教員になってどのような授業をはじめたのですか?

うちの高校は、4月に教科書をポンと渡されて、「明日から授業しなさい」で終わりなんですよ。他の先生の授業を見せてもらったりとか、学ぶ機会が全くないんです。最初の3年間は、新聞、小説、ラジオなど教科書以外のコンテンツを積極的に使って授業をしていました。

でも、その後、担任を持つようになったら責任が出てきて、偏差値を上げるためには単語、文法、訳読をやるのが効果的なんじゃないかと思い、3年間のサイクルを3回、それをやりました。3回目のサイクルのときに思った以上に進学実績が出て、単語、文法、訳読で大学入試まで持っていく方法は、だいたい確立したように思いました。

それをやりながら、「こんなくだらないことをやって、生徒はよくついてくるな」という葛藤が常にありました。

・・なるほど。

一方で、文化祭や総合学習には、ひときわ力を入れていました。たとえば、文化祭では大学の経営学部とコラボして会社を起業するというワークショップをやったり、総合学習で地震の研究をしたりしました。グループワークやアクティブラーニングを取り入れて英語と他の科目を融合させた取り組みをしました。これは、CLIL(Content and Language Integrated Learning:クリル)と呼ばれているものだということを後から知りました。英語の授業でたまった鬱憤を、こっちで晴らしていました。

CLIL参考リンク

アクティブラーニング&反転授業を始める

反転授業は、どのようなきっかけで始めることになったのですか?

3年間のサイクルを3回やった後、英語特化という特別クラスが初めて立ち上がり、それを担当することになりました。そして、2012年の末にiPadが導入されることになりました。その頃にYoutubeでアーロン・サムズさんの動画を見てFlipped Classroomのことを知り、自分がやりたいアクティブラーニングをやろうと思ったら、Flipped Learningで実現できるかもしれないと思いました。英語で情報を仕入れていたので、そのときは、「反転授業」という名前は知りませんでした。

アクティブラーニングで有名な小林昭文さんも、江藤さんと同じように、はじめは一斉講義型の授業をしていて、キャリア教育でアクティブラーニングをしていたそうです。その後、教科教育でもアクティブラーニングをできないかということで物理の授業にアクティブラーニングを導入したそうなのですが、そのときには、キャリア教育での経験が役に立ったそうです。江藤さんの場合も、総合学習や文化祭でアクティブラーニングを実践していた経験が、英語の授業にアクティブラーニングを導入するときに役立ったのではないかと思いました。

英語で情報をキャッチしている人は、日本語で情報をキャッチしている人とは情報収集力が違いますね。

10倍以上は違うと思います。主にTwitterで情報を仕入れているのですが、日本語だけで情報仕入れている人より10倍は情報を入れられていると思います。

江藤さんには遠く及びませんが、僕も英語で情報を入手するようになり、情報収集力が上がり、異なる見方に触れられるようになりました。インターネット後の世界では、かつてと英語を学ぶ意味が違ってきていることを実感しています。江藤さんの実践も、英語での情報収集力が土台になっていると思います。

反転授業を始めたのはいつからですか?

2012年12月から始めました。サイバーキャンパスが導入されることになっていましたが、最初からちゃんと動くかどうか分からなかったので、はじめは、生徒が持っているスマホを使って始められるようにしました。今は、iPadを使ってやっています。

江藤さんの試みは、同僚の先生からはどのように捉えられていますか?

最近、同僚の先生から、「江藤さん、iPad使って授業しているよね。どうやっているか教えてくれる?」と聞かれて、一緒にワークショップをやることになりました。とりあえずは、Show meというスクリーンキャストのアプリを使ってビデオを作ることから始めています。うちの学校では、そういうことは今まで一度もありませんでしたので、教師同士の学び合いの動きが生まれてきたことはとても面白いです。

英語特化では、どのような授業をされているのですか?

英語特化は週6単位の授業です。それを3分割しています。最初の2コマは教科書ベース、次の2コマはOxfordのSkills for Successという本を使い、最後の2コマはセンター演習に充てています。総合学習とロングホームワークの2コマは、1コマを英語の多読、もう1コマのうちの20分は英単語、残りの30分は自由に使っています。

単語は、ブルームのラーニングモデルの第1段階の暗記に相当します。私は生徒にいつも「学習力をつけなさい」と言っています。暗記と理解は自分でやるものだから自分でやらせています。生徒が自分で単語帳を選んで買ってきて20分間で自分で確認テストをしてパーセンテージだけ報告させています。

多読も本来は自分でやるものだけど、英語の多読を一人でやるのはつらいので、週に1時間は時間を共有しようということにしています。iPadの多読のアプリを使い、授業が始まるとiPadで読み始め、最後に1行程度でどんな話だったのかをまとめ、読んだページ数を報告してもらっています。

教科書ベースの2コマについては、訳読は全くしません。4日間(週に2コマなので2週間)で1サイクルするように設計しています。

1日目の授業では、生徒は予習で、単語調べ、内容理解、Edmodeでの正誤問題をやってきます。最初の授業では正誤問題の根拠を問うところから始め、発音をやり、内容の解説をします。

2日目の授業では、生徒は予習で、simplemind+というアプリを使い、教科書の内容についてのマインドマップを作って、私にメールで送ります。それと同時にPagesというワープロアプリを使って写真入りのまとめを作って授業に持ってきます。教室では、それを手にしながら英語でディスカッションします。英語でディスカッションするのは英語力がついてきた私のクラスでもすごく難しいのですが、マインドマップがあることで自信を持って自分の言いたいことを伝えることができます。ディスカッションした内容はA3の紙にまとめておきます。

3日目の授業では、A3の紙にまとめた内容をプレゼンテーションに仕立てていきます。授業の前半でプレゼン内容を決め、後半で発表して評価していきます。

4日目はテストです。私が難しいところについてShow meで解説ビデオを作っておき、生徒はそれを見てテスト対策をしてきます。授業の前半でテストを行い、後半、解説をします。

センター演習については、手とり足とりやるようなものではないのですが、近畿大学に推薦で上がる生徒はマーク模試の成績が重要視されるためやっています。ただし、生徒には、試験対策というのは筋トレみたいなものなのだから自分でやりなさいと言っています。生徒が勝手に40分間で問題演習して自己採点し、質問があれば私が答えるという授業形態です。

Skills for Successの授業は、教科書ベースの2コマと似たような流れで、プレゼンテーションのところが、エッセーのライティングに変わります。エッセーの添削にはShowbieというアプリを使っています。生徒ごとの共有フォルダを作り、生徒が課題をフォルダに入れる、教師が共有します。生徒が作ったエッセーに注釈をテキストでも画像でも音声でもPDFでもつけることができるのでとても便利です。

アクティブラーニングがふんだんに取り入れられていて、欧米の授業みたいですね。

先日、小林先生のブログを読んでいたら、「アクティブラーニングをやる先生は自分が経験したことのない授業をやることになる」と書いてありました。それを読んで気が付いたのは、私の場合は、ずっとアクティブラーニングのような学び方が頭の中にあったということです。夏休みにずっと顕微鏡観察をしていたり、自分で何かを調べたりしていました。こういうのが本当の学びなんだと思っていて、、それを授業に取り入れたら、後からアクティブラーニングという名前がついていたことを知ったという感じなんです。

江藤流アクティブラーニングは、どのようにできたのか?

この授業デザインは、どのようにしてできあがったのですか?

アクティブラーニングが絶対に力がつくと思ったきっかけは、アメリカに半年間行った経験でした。アメリカはそもそもアクティブラーニングの基礎がある国です。英語表現の授業でこのようなものがありました。先生が袋いっぱいのレモンを持ってきて、1つ1つのレモンについて詳細に英語で描写して紙に書きました。そのあと、紙を見てどのレモンについての描写なのかを当てるということをやりました。

アメリカでは、アクティブラーニングの土台があって、その先に反転授業が来ていますよね。

アメリカでは、もともとアクティブラーニングが主体で一斉講義の部分が少ないので、反転して講義を外に押し出したらアクティブラーニングだけになるじゃないかと思いました。一方、日本では、アクティブラーニングをやっているところが少ないので、講義を外に押し出してしまったら何が残るんだろうかと、最初に反転授業のことを知ったときに思いました。

反転授業の導入を考えるときに、アクティブラーニングの導入があって、その中で必然性が生まれて講義部分を少しずつオンライン化していくというのは自然なステップだと思いますが、一斉講義型から突然、反転授業に切り替えると、動画講義とアクティブラーニングという2つの未知のものに同時に取り組まなくてはならなくなるので難しいかもしれません。

その他に授業デザインの参考にしていることはありますか?

私がベースにしているのはアプリなんです。「こんな面白いアプリがある。どうやって使ってやろうか」というところから入るんですよ。今、アバターにしゃべらせるアプリを英作文の授業に使っているんですが、「アバターのアプリを見つけた→これを何かに使えないか→やる気をなくしている生徒のサポートに使おう→英作文の教材作成」というように頭が動いています。

江藤さんにとって、反転授業にするメリットは、アクティブラーニングの時間を確保できることの他に何かありますか?

私の授業で外せないのは、アクティブラーニングとオールイングリッシュです。オールイングリッシュにも反転授業は効果的です。文法の授業をオールイングリッシュでやると、分からない内容を英語で解説されて、分からないところがあっても質問も英語でしろと言われるので生徒にはきつかったみたいです。でも、解説ビデオを作ったらだいぶ楽になったようです。解説ビデオも基本的には英語で解説しています。

ビデオにすることで、分からないところは何回も聞き直すことができるという安心感が生まれるのだと思いました。また、必ず聞き取って理解しなくてはならない内容を分かるまで繰り返して聞くということが、とてもよいトレーニングにもなるのではないかと思いました。英語で文法の解説を行うということは、文法を理解することと、リスニング力の強化の一石二鳥で、非常に効果的だと感じました。

江藤さんがオールイングリッシュで授業をやり始めたきっかけは?

千里高校の授業を見学に行ったのがきっかけです。そこで、オールイングリッシュで授業をやっているのを見て、自分もできるんじゃないかと思って始めました。やってみると、オールイングリッシュにしたほうがはるかに効率が良かったです。日本語で説明すると間に挟まるものがあるんですが英語だと直接伝わるし、生徒がリスニングの練習をしなくても済むのもメリットです。以前はリスニング教材を購入してCDを聞かせていたりしたのですが、そういうのが要らなくなりました。オールイングリッシュにしてからリスニング力が伸びて、前回のマーク模試のリスニングでは、うちのクラスが校内でずばぬけて1番でした。

アクティブラーニングによって何が変わったのか

英語を学ぶ意味が10年前に比べて変わってきたんじゃないかと思うんですよ。江藤さんは、今、英語を学ぶ意味はどのようなことになると思いますか?

グローバル市民としての英語という要素が大きいと思います。うちのクラスは英語を結構使いこなせるんですけど発音が悪いんですよ。今は、アメリカ英語をきれいに発音するという時代は終わって、自分から英語で発信できなくては意味がないと思います。発音が悪くても語彙が少なくてもいいから、臆せずに自分から伝えていけることが英語を学ぶ一番の目的に変わってきているんじゃないかと思います。

そのためには、授業をどのようなものでなくてはならないと思いますか?

私はブルームのラーニングモデルの4以上のことがなければ意味がないと思っていて、生徒にできるレベルでアプリなどを使って噛み砕いてあげて4以上のことをやれるようにしています。それをやるためには、生徒の心のロックを外すのが大切だと思っています。英語で発信することに対するロックを外したり、今までやってきた英語の学び方に対するロックを外したりすることが必要です。生徒は中学生までプリント穴埋め学習を中心にやってきていますから、覚えて、受動的に理解するところまでしかできないんです。記憶、理解、適応を反転で外に置いて、授業で分析、評価、創造をすると、生徒が自らと記憶、理解、適応をやるようになってくるんですよ。それが、学習力の向上につながるのではないかと思います。


《参考》ブルームの思考スキルの6段階

1.【記憶】 適切な知識を、長期的記憶の中から「検索」し、「認識」し、「想起」するスキル
2.【理解】 口頭・文書・図表によるメッセージから意味を組み立てる、「解釈」「例証」「分類」「要約」「推測」「比較」「説明」のスキル
3.【適用】 ある手順を利用(ないし遂行)する、「実行」あるいは「適合」のスキル
4.【分析】 対象を構成要素に分解し、要素同士の関係や、全体の構造・目的を理解する、「区別」「整理」「帰属」のスキル
5.【評価】 基準や標準に基づいて判断する、「照合」「批評」のスキル
6.【創造】 要素を組み合わせて一貫性のある(ないし機能する)全体を形作る;あるいは要素から新しいパターンや構造を再構成する、「生成」「計画」「創作」のスキル

これは、アクティブラーニングの本質かもしれませんね。分析、評価、創造というエキサイティングな活動を体験することによって、そのために必要な基礎スキルの重要性を生徒は自分で身に染みて感じることができ、基礎スキルを身につける必要性をメタ認知することができるんですよね。

そうなんですよ。以前は、単語の小テストを3年間やり、16点未満はやり直しのワークシートを10回書いて出すというようなやり方をし、文法も同じようにやっていました。今年はそうではなく、単語の勉強は生徒まかせだし、文法も1回に数十ページ自分でやってこさせて、合格最低点は満点にして、生徒の自主性に任せています。そうすると、生徒からすれば、言われてやるものじゃなくて自分のためにやるという意識が生まれてきています。ディスカッションやプレゼンで自分の言いたいことを表現するために必要だし、英文サイトを読むときに単語力のなさを思い知らされるので、必要性を自分で感じて勉強するようになります。

なるほど。そうすると、生徒は、江藤さんから「自立した学習者」になることを、常にうながされるんですね。

そうなんです。去年持ったクラスのほうが学力的には全然上だったんですが、そのクラスでは一部の成績の良い生徒は発言力がありましたが、隅のほうでじっとしている生徒もいたんです。でも、今年のクラスでは、成績に関わらず、ほとんど全員が一歩前に出て発言できるようになりました。学習だけじゃなく、生活スタイルが変わりつつあるような気がします。学習面でも伸びが大きいです。

成果も出てきて、これからが楽しみですね。

「反転授業の研究」とかWebの情報とかで勉強して、だんだんアクティブラーニングのシステム的なところが自分の中で理解できてきたので、今度1年生を持ったら、さらにブレークできそうな気がしています。

江藤さんがアクティブラーニングを実践をする中で、気づいたことはありますか?

今回やってみてブレークスルーだと感じたのは、生徒自身が「これじゃだめだ!」と気がついて、自ら1つ上のレベルを目指し出したところが驚きでした。時間制限とか見ている人とかがいるほうが生徒は燃えるんだそうです。最初は発表させればいいんじゃないかと思っていたんですが、もっと上の課題を課すことで生徒が変わる可能性があるということに気づきました。

実践者の方にお話をうかがうと、行動変容は振り返りのときに起こるという話がいろんなところで出てくるんですよ。江藤さんのところでも、生徒自身が「これじゃだめだ!」と思ったことが、行動変容につながるのが面白いですね。

一度、プレゼンがすごく悪かったときがあったんです。それで、Edmodeにプレゼンのビデオをを投稿して、生徒に分析をさせました。(1)ついやってしまうこと(出来ていないこと)(tend to Do)、(2)できること(Can do)、(3)もっとよくできるところ(Should do)、という項目を作って、勝手にDCS分析という名前を作って、生徒にレポートで出させました。それを元にしてルーブリックを作りました。それが、たまたま、振り返りになっていたかもしれません。

江藤さんのお話をうかがって、アクティブラーニングの本質は、「燃える場」というところにあるということが再確認できました。「燃える場」が楽しいからこそ、そこで活躍したいという気持ちが生まれ、そのために基礎スキルが必要であることに自ら気づき、自分の意志で基礎スキルを磨き始めるという学習サイクルが生まれるのだと思います。

生徒が自分から気づくためには、手とり足とりサポートするのをやめ、生徒に任せるということも重要なポイントだと思いました。

江藤さんは、直感と嗅覚、英語での情報収集力を頼りに、学びが面白くなる方向を見つけ出していく能力がすごく高く、さらに、それを実現していく行動力もあり、すばらしいと思いました。

江藤さんがお話ししてくださる反転授業オンライン勉強会は、7/28(月)の夜に行います。

詳しくはこちらをご覧ください

株式会社ハンテンシャ代表 加藤大さんにインタビュー

2012年にこのブログを細々とはじめたときには、反転授業についての情報はネット上にほとんどありませんでした。

2013年になり、反転授業にフォーカスした情報を頻繁に出す会社が現れました。それが株式会社ファカルタスで、その中心にいたのが加藤大さんでした。

「反転授業」に注目している者同士でお話ししたいと思っていたところ、加藤さんから連絡をいただいて2013年の夏に初めてお会いしてお話ししました。

社会状況や教育の現状に対しての緻密な分析に大きな刺激を受けると同時に、社会をよい方向に変えていこうという気持ちに共感しました。

 

その後、加藤さんは株式会社ハンテンシャを起業され、全力で反転授業の普及に邁進されています。

6月27日(金)の反転授業オンライン勉強会で加藤さんに登壇していただくことになり、今回、改めてインタビューさせていただきました。

 

 加藤さんが大切にしていることは?

 

僕も同じ状況なので分かるのですが、一人で会社を経営すると、頻繁に経営判断に迫られます。どのように判断するかによって、会社と個人の評価が決まってきます。一貫した姿勢で判断を積み重ねていくことで、信頼と評価をしてもらえるようになるということを痛感しています。

 

逆にいえば、価値観の軸をぶらさずに判断していった結果、一人で会社をやることになったということなのかもしれません。加藤さんの行動を読み解く上で、一番カギになりそうなことを、最初にうかがいました。

 

 

加藤さんが仕事をする上で大切にしているのは、どのようなことなのですか?

『人のために生きれば人に必要とされるはず』という楽天的な、社会に対する強い信頼感が私にはあります。おそらく、大学まで続けていたラグビーの影響が大きいと思います。

 

 

反転授業に関わるようになった経緯

 

反転授業が注目されるようになる前は、加藤さんがどのような仕事をされていたのか、そして、どのような理由で反転授業に関わるようになったのですか?

企業向けe-Learningのソリューション営業をやっていました。

当時(2007年ごろ)はコンプライアンス教育やMicrosoft Officeの導入教育など、主にホワイトカラーを対象にしていましたが、まともに受講してくれないんですよね。クライアントの教育担当も『社員全員が受講した』という学習履歴は欲しがるけど、e-Learningの学習効果を実務能力や業績に紐付けて分析する気はなく、そこまで期待されていない状況が嫌でしたね。

そんなとき、e-Learningでパート・アルバイト教育を行っている流通業のクライアントに出会い、『これだ!』と膝を叩きました。

 

どうしてそこに注目したのですか?

チェーンストアは総じて、どの店舗でも同じサービスを提供する『サービスの標準化』を重視します。パート・アルバイトの知識やスキルを標準化できれば、サービス自体の標準化をほぼ達成できるにもかかわらず、標準化を図る効率的な手段がない状況に目を付けたわけです。

e-Learningは受講者を同じゴールに導く目的に適しているため、店舗の受講環境さえ整備できれば、売上や利益に貢献するレベルの教育制度を実現できるはずと考えました。ちょうど業務端末のクラウド化が広がりつつあり、受講環境の整備も以前より容易くなっていたタイミングだったのも、実現を後押ししてくれました。

パート・アルバイトさんが想像以上にまじめに受講する姿には驚きました。特定の商材に関するe-Learningを公開した数日後、受講率の高い店舗からその商材の売上が上がっていくデータを目の当たりにしたとき、教育の威力にゾクゾクしました。

 

なるほど。企業向けのe-Learning開発をやっていた加藤さんが教育事業を始めたきっかけは何だったのですか?

当時勤めていたe-Learningの会社が設立に関わった、『ファカルタス』という大学入学前教育の支援会社に出向したからです。

学校教育に関わるのは初めての経験でした。出向直後、情報収集に努めていたとき、サルマン・カーン氏のTEDのプレゼンンテーションを視聴しました。

このとき『The flipping of the classroomは日本の大学に適した教育制度では?』という印象を抱き、それを検証する過程で、2012年9月、『WIRED』という雑誌のMOOCの記事に出会いました。

MOOCとの対比によって反転授業の特長が明確になり、日本の大学における反転授業の適性に確信を持ちました。

e-Learningで同質化し、教室で異質化する

反転授業のどこが、加藤さんのアンテナにひっかかったんでしょうか?

e-Learningは一定のゴールに効率よく到達させる『同質化』に向いていますが、学校教育は『異質化』も同等以上に重視すべきと考えます。異質化に貢献するe-Learningができないか、自問していたときに反転授業を発見しました。

反転授業とは、予習で『知識の同質化』を図り、授業で『スキルの異質化』を認める『反復作用』であると定義すると、講義のデジタル化やLearning Management Systemの利用、教室に集う意味合いなど、各機能の必然性と機能間の連動性が一層高まります。

ターゲットは最初から大学だったのですか?

大学と比べて高校以下の教育段階はカリキュラムの自由度が低い上、受講者のスマホの個人所有率やインターネット利用率も相当低いため、受講環境の整備にコストが掛かり過ぎますよね。高校以下で反転授業を実現しようとすると、往々にしてトップダウンで意思決定せざるをえないため、現場主導で決断できない機能が増えてしまいがちです。

e-Learning開発に携わり、その長所と短所を知り尽くした加藤さんだからこそ、同質化と異質化をうまく組み合わせて相乗効果を上げることができる可能性を反転授業に見出したのではないかと思います。この見方はとても新鮮でした。

志の高い人のパートナーになりたい

加藤さんは、反転授業のノウハウを持って、大学教員をサポートしていくというスタンスだと思いますが、これから、どのようにして反転授業を広めていこうと考えていらっしゃいますか?

営業効率を優先すれば、トップダウンでセールスするのが有効なのかもしれませんが、志の高い実践者のパートナーになって、ボトムアップ方式で広めていくのが私の好みです。最後の最後にボスキャラと対峙するイメージです(笑)。

共感しあえる人をサポートして、信頼関係を築きながら進めていくというスタンスが、とても加藤さんらしいと思いました。

どこから始めるか?

大学にはいろいろな科目があると思いますが、反転授業を導入する上で向いている科目などはあるのですか?

科目まるごと反転授業に向いていないものは、なかなか思いつきません。反転授業の成否には、クラスの人数や受講環境、教員や学生の資質、テキストの著作権など、科目以外の要因のほうが大きな影響を与えます。

教育の質向上や主体的な学びへの転換を志向する大学が増え、アクティブラーニングを取り入れた授業が増えています。その一環として、初年次教育に『アカデミックスキル』を設置するトレンドがあるため、『アカデミックスキル』の反転授業モデルを構築しようと考えています。入学直後の学生は新しい学び方に敏感ですから、タイミングも最適です。

教員に求められるスキル

アクティブラーニングや反転授業の実践するためには、大学教員にはどのようなスキルが必要とされるのですか?

一方的な講義をしている教室は、教壇に立つ人が特権的な地位を占める空間だと思います。演習型の授業では学生一人ひとりを識別し、学生の主体性を尊重する姿勢が教員に求められます。主体性を引き出す過程において、アクシデントが生じるリスクも高まります。たとえばプレゼンテーション演習の授業で、自分の出番になったら教室から無言で出て行ってしまう学生がいるかもしれません。

リスク含みの動的な空間を仕切るのはすごくパワーを使います。動的な状況にひるまず『走りながら思考できる』能力は実社会でも重宝されますから、教室をあえて動的な空間に変え、学生さんに経験を積ませるチャレンジに高い価値があると信じています。

なるほど。加藤さんは実際に社会にアンテナを張って、時代の動きやトレンドを見て起業しているわけですから説得力がありますね。

大学教員の中には、アクティブラーニングがはじめてという方もいると思いますが、どのようにサポートしているのですか?

ゲストインストラクターとして、私が授業を進行するケースもあります。あるいは、反転授業をテーマにした教職員向けセミナーを『反転授業形式』で実施し、自ら体験してもらう試みもよくやります。

反転授業のこれから

反転授業は、昨年の夏ごろから急に注目されるようになり、いろいろな実践が始まっていますが、加藤さんは反転授業についてどのように考えていますか?

この1年ぐらい、『反転授業は授業設計が最重要』と強調してきましたが、実践すればするほど講義動画の重要性に気づいてきました。講義は伝統的な授業方法であるがゆえ、知識習得を図るノウハウが教員と学生双方に蓄積されているわけで、それをすべて手放すのは惜しいですよね。

『テキストを読んで理解できる学生ばかりなら、そもそも伝統的な講義型授業も不要だったはず』と喝破する先生がいらして、反転授業の本質を見直すきっかけになりました。『講義』の特長を維持しつつ、講義の弱点を補うことができる『動画』の特長を付加すれば、質の高いコアカリキュラムが完成するはずです。

 

講義動画はアクティブラーニングのための単なる準備というわけではなく、講義動画の良さとアクティブラーニングの良さの両方を生かすということでしょうか?

その通りです。『講義動画』と『演習型授業』はどちらも欠くことのできない両輪です。反転授業は欲張りでいろんな要素を巻き込んでいるのに、この両輪のおかげでとてもバランスよく走るのが魅力なんです。講義と演習はもちろん、オンラインとオフライン、自己学習と協働学習、知覚と体験、知識とスキル、さらに同質化と異質化。いろんな切り口で分けても、均衡する力点を見つけやすい構造こそ反転授業の本質だと思います。

僕も10年間、動画講義を使ってきて、動画講義には大きな可能性があると感じています。一方で、昨年からアクティブラーニングについて学ぶようになり、重要性と魅力を感じています。どちらかが重要というわけでなく、この2つをバランスよく組み合わせて相補的に利用するという加藤さんの考えにはとても共感しました。加藤さん、ありがとうございました。

 

第10回反転授業オンライン勉強会

テーマ 「生徒が語る反転授業(2)」

日時 : 6月27日(金) 21:45-23:30

場所 : Web教室 WizIQ

参加費 : 無料

第1部 登壇者の発表 21:45-22:45

「アカデミックスキル習得を目的とした反転授業の実践」

東京国際大学 商学部経営学科教授・博士(工学) 河村 一樹さん

株式会社ハンテンシャ代表取締役 加藤大さん

「JMOOC「日本中世の自由と平等」へ参加した生徒の声」

奈良女子大学附属中等教育学校 二田貴広さん

第2部 オンライングループワーク 22:45-23:30

 

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東京国際大学教授 河村一樹さんにインタビュー

6月27日(金)に実施される第10回反転授業オンライン勉強会でお話いただく東京国際大学商学部教授の河村一樹さんにお話をうかがいました。

河村さんは、2013年12月から1年生を対象としたアカデミックスキルの授業に反転授業を導入し、その様子は朝日新聞でも紹介されました。

朝日新聞の記事はこちら

 

勉強会では、反転授業を体験した学生のインタビューやアンケートを紹介していただきますが、それに先立って、どのような経緯で河村さんが反転授業を導入するに至ったのかをうかがいました。

教育を仕事にしようと思った理由

河村さんの専門は情報教育工学です。コンピュータサイエンスをベースにした情報処理教育のカリキュラム編成および教授法の研究、e-Learningを含む教育(学習)支援システムの開発と評価などを行っています。

教育とコンピューターサイエンスの境界領域であるこの分野に進まれたきっかけをうかがいました。

 

河村さん:私は父が中学校の数学教員で、教育へ進むきっかけになったのは、父の影響があると思います。でも、ストレートに教育分野へ進んだのではなく、最初は、コンピューターの会社に就職しました。でも、やはり、教育が好きだと思い、今の仕事へ移りました。

 

お話をうかがって、教育への情熱と、コンピューター会社で培った知識と技術とが、結びつく場が情報教育工学という分野であったのではないかと思いました。

さらに、教育のどこが好きなのか、質問してみました。

 

河村さん:学生との関係性ですね。人間対人間というか、利害損得を超えた関係というか、そういう関係を学生と築くことができるのが一番の魅力です。企業だと、なかなかそういう関係を築くのは難しいです。

父の仕事を見ていて、毎年同じことをやっていて、何が面白いのかなと思っていたんですよ。でも、実際に教育に関わってみると、学生は毎年違っているので、いろいろな学生と関係性が築けるのはすごいことだと思うようになりました。

 

IT技術を教育に利用するというと、効率やデータのことが最初にイメージされますが、河村さんから出てきた言葉が、「人間くさい関係性」の話であったのが、とても印象的でした。

 

河村ゼミの学習サイクルがすごい!

次に、河村さんに研究テーマについてうかがいました。

 

河村さん:以前から、特に講義中心の科目がうまくいっていないと感じていました。黒板に字を書きまくって説明したり、しゃべりまくって説明しても、教員が満足しているだけで学生が効果的に学んでいないと思ったんです。それで、うまくいかないのはやり方が悪いからだと思い、板書をせずにスライドを用いたり、ネット上で情報提供をしてから話をしたりしたらどうかとか、いろいろやってきました。

 

河村さんの研究室では、どのような研究をしているのかと、河村ゼミのホームページをチェックしてみました。

河村ゼミホームページ
http://www.tiu.ac.jp/seminar/kawamurk/kkzemi/

河村ゼミは、1学年10数名、全体で学生が40名ほどもいます。

河村ゼミでは、教材設計を学ぶための非常に合理的なサイクルができ上がっています。

大学2年生になると、大学の授業でインストラクショナルデザイン(ID)を学び、大学3・4年になると、学生の一部に1年生向けの教材開発がテーマとして与えられ、IDを実際に使ってeLearningの教材開発をします。そして、開発された教材の被験者に大学1年生がなります。

つまり、1年生でeLearning教材を体験し、2年生でeLearning教材の理論を学び、3・4年生で実際に教材開発するというサイクルが出来上がっていて、教材設計を多面的に学ぶことができるように考えられています。

学生が多いため、1年生向けの教材開発を担当する4人以外にも、3・4年生には、様々な研究テーマが割り振られています。これだけの人数に研究テーマを与え、指導をするのは大変なことだと思いました。

僕自身は、大学生時代、指導教官が教育に熱心ではなく、教授との関係性が希薄だったので、指導教官が教育に情熱を持っている河村ゼミの学生さんがうらやましくなりました。

反転授業を取り巻く状況

情報教育工学と授業設計(ID)を専門的に学び、長年、研究されてきた河村さんの目に、現在の反転授業に対する加熱ぶりはどのように映っているのか、興味がわいたので、質問しました。

 

河村さん:文部科学省の大学教育に対する方針が大きく変わり、アクティブラーニングを重視するようになってきました。学習評価の仕方の変化や、大学がポータルサイトを持つことが推奨され、大学教育を変えていかなければならないというトレンドになっています。

従来のやり方では何を教えるのかが中心でしたが、いかに学ぶのかというところが中心になってきています。

また、大学全入時代に突入し、ゆとり世代も大学に入ってきて、一部のブランド大学を除けば、今までの授業では学生がついてこないという危機感があります。その中で、反転授業に注目が集まってきていると思います。

 

なるほど。僕も予備校講師としてずっと壇上でパフォーマンスをやる授業をやってきたんですが、1年ほど前からアクティブラーニング型の授業に挑戦し始めて、「ずいぶん違うなー。難しいなー」と思いながらやっているんですよ。大学の教員は、その変化に対応できるんですか?

 

河村さん:ICTを使う必要はないという教員もいますから、なかなか変わるのは難しいですね。トップダウン式にやらないと実現不可能でしょうね。大学がLMSなどのリソースを提供し、ポータルサイトを作り、全教員がやると決めれば、動き始めると思います。FDでアクティブラーニングを体験してもらうプログラムもあります。

 

なるほど。河村さんのゼミでも、アクティブラーニングに取り組んでいるのですか?

 

河村さん:学生の研究で、スマホのクリッカーアプリであるClicaを使った研究があります。

「Clica を用いたアクティブラーニングの試み 」三澤勇太(河村ゼミナール)
http://www.tiu.ac.jp/seminar/kawamurk/kkzemi/

 

Clicaは、第2回の勉強会で鈴木映司さんが地理の授業でのアクティブラーニングに使用していました。

河村さんもおっしゃっていましたが、みんなの前で手を挙げて発言しなくてはならないという状況では出てこないいろいろなレスポンスが出てきます。僕のWizIQを使った講義でもチャットボックスがとても賑やかになり、受講者の考えていることが、これまでよりも分かるようになりました。また、一緒に参加している人が何を感じているのかを共有しやすくなるという効果も感じています。河村ゼミでの研究にも、引き続き注目したいです。

河村ゼミで反転授業を導入したきっかけ

時代の流れや文科省のアクティブラーニング重視の方針など、反転授業を導入するための下地はできていたのだと思いますが、直接的に、河村ゼミで反転授業を導入するきっかけとなったのは、どのようなものだったのですか?

 

河村さん:2013年から、大学の方針で全学部の1年生全員に同じ教科書、同じシラバスで、アカデミックスキルの授業をやることになったんです。どうせやるなら電子化して、学習履歴をとって実証実験できる形でやろうと思いました。それで、研究室の学生とeLearningの教材開発を始め、4月から11月までで開発し、12月にスタートしました。

 

反転授業というと、「動画で予習し、授業でアウトプット」というように、動画を使うイメージが強いですが、河村さんのところでは「eLearningで予習」ということなのですね。

 

河村さん:はい。動画を視聴しただけだと学習履歴が残りませんが、eLearningだと学習履歴がすべてLMS残るので、パワーポイントをベースにした教材とEXCELベースで作成するテストでeLearning教材を作成しました。

 

予習でやる部分と、授業でやる部分との振り分けはどのようになっているのですか?

 

河村さん:アカデミックスキルというのは、ノートテイキング、リーディング、ライティング、プレゼンテーションなどからなります。知識部分はドリルで評価しやすいのですが、スキルの評価をeLearningに取り込めないので、教室で評価するようにしています。知識部分をeLearningであらかじめ学んでおいて、教室でスキルを使ってみるという反転授業になっています。スキルを評価するためには、ルーブリックやポートフォリオなどが重要だと考えています。

[参考:ポートフォリオとルーブリック]

 

学生が予習をやってくるための動機付けは、どのようにしているのですか?

 

河村さん:大学生にとっての一番の動機付けは、「単位を出す」、「成績をつける」ということなので、授業でやったことに対する成績を次の時間に公開しています。また、学生からは、「予習してこなくてもできてしまう内容なら予習しなくなる」という声が上がってきているので、予習してこざるを得ない内容、予習してきた学生が活躍できる内容をを授業でやることも、動機付けとして重要かなと思っています。

 

実際にやってみていかがでしたか?

 

河村さん:生徒の学習状況で目に付いたのは、半数以上がスマホでeLearningをやっているということです。隙間時間を使ってやってきているようでした。PCだと起動して、ブラウザを立ち上げて、IDとpasswordを入力して・・というようにステップが多いじゃないですか。でも、スマホなら紙の教材と同じくらいのステップで作業に取りかかれるので、そっちのほうが手軽でいいみたいなんですよね。

 

学生のほとんどは、PCも持っていると思いますが、PCとスマホの使い分けって、どのようにしているんですか?

 

河村さん:資料を調べたり、レポートを書いたりといったことはスマホじゃできないのでPCでやることにしているようです。彼らなりに使い分けの基準があるようですね。

最後に

河村さんのお話から、河村ゼミのよい雰囲気が伝わってきました。学生としっかり人間関係を築き、学生のリアルな状況を把握しながら実践に取り組んでいる河村ゼミのようなところから、多くの実践者のヒントになるような知見が生まれてくるのかもしれません。

河村ゼミの今後に目が離せません。

 

第10回反転授業オンライン勉強会

テーマ 「生徒が語る反転授業(2)」

日時 : 6月27日(金) 21:45-23:30

場所 : Web教室 WizIQ

参加費 : 無料

第1部 登壇者の発表 21:45-22:45

「アカデミックスキル習得を目的とした反転授業の実践」

東京国際大学 商学部経営学科教授・博士(工学) 河村 一樹さん

株式会社ハンテンシャ代表取締役 加藤大さん

「JMOOC「日本中世の自由と平等」へ参加した生徒の声」

奈良女子大学附属中等教育学校 二田貴広さん

第2部 オンライングループワーク 22:45-23:30

 

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山口県立萩商工高等学校 松嶋渉さんにインタビュー

第9回反転授業オンライン勉強会「生徒が語る反転授業」で登壇してくださった山口県立萩商工高等学校の松嶋渉さんにお話をうかがいました。

松嶋さんは、オンラインワールドカフェの実験や、「反転授業をやりたい教師のための授業設計入門」にも参加してくださったのですが、これらの新しい試みに参加してくださるときに、「失敗しても挑戦することが大切」と発言してくださったりしていて、それがとても力になりました。

松嶋さん自身も、複数のプロジェクトを抱えていて、新しいことにどんどん挑戦している様子で、そのバイタリティはどこからやってくるのだろうか。そのような考え方の背景はどのようなものなのだろうかということにとても興味がありました。

また、これまで松嶋さんとやり取りをしていて、「教師っぽくないなー」という印象を受けることが数多くありました。まず、ボキャブラリーがあまり教師っぽくありません。「授業の標準化」「マルチタスク」「レッドオーシャン」「PDCAサイクルを回す」など、ビジネス系の単語が当たり前のように飛び出してくるんです。これは、なぜなんだろうかということにも関心がありました。

というわけで、松嶋さんにお話をうかがうのを非常に楽しみにしつつ、今回のインタビューがスタートしました。

教員になったきっかけ

プロフィールを拝見して、松嶋さんは、大学を卒業してすぐに教師になったのではなく、映画関係、教育系出版関係の仕事を経て、29歳にして商業科教員としてのキャリアをスタートしたことを知ったときに、「教師っぽくない」理由がそこにあるのではないかと思いました。そこで、最初に、会社員を辞めて教師になったきっかけからうかがいました。

松嶋:大学生の時には、もともと教師になることを考えていて、教員免許も取ったのですが、映画に興味がわいて教師にならずに就職しました。その後、教育系出版社では、教材のセールスを担当していたんですが、会社のイベントで、中学生を集めて教えるというものがあって、中学生と接しているうちに、「やっぱり教師になって直接教えたい」という気持ちが沸いてきたんです。

会社という組織から学校へ移って、違いを感じることはありますか。

松嶋:ありますね。利益を追求しない団体というものに慣れませんでした。売り上げ、ノルマ、コストといった考えがないので、行動の仕方がぜんぜん違うんです。教育が非営利であるということの重要性とは別に、活動の生産性についてはビジネス的な視点も必要なのではと思っています。

この回答をうかがって、松嶋さんが、なぜ「教師っぽくない」のかが分かりました。松嶋さんは、ビジネス領域で実践されているものの中で、教育現場でも利用できるものは積極的に取り入れていこうと考えているので、それが、いろいろなところから出てきて、「教師っぽくない」という印象を与えるのだと思いました。

キャリア教育について

このような考えをお持ちの松嶋さんが、キャリア教育に関わるのは、必然的なことのように思いました。

萩商工高等学校では、キャリア教育の一環として「萩LOVEハイスクール」というコラボ企画をやっていて、松嶋さんはこの企画に関わっています。これは、高校3年生が課題研究や総合研究の時間を使い、1年間かけて地域活性化に関するWebサイトを作るという企画です。

生徒は4人グループになり、地元の建築や陶芸などにスポットを当てて紹介するWebサイトを作ります。

情報デザイン科で学んでいるWebサイト製作を、より実践的な形で学ぶことができるのと同時に、思ったように表示されないときの問題解決能力や、クライアントである「萩LOVE」の担当者とのやりとり、取材先の建築家や陶芸家の人とのやりとりを通して、大人とのコミュニケーションの仕方も学んでいきます。

松嶋さんからお話をうかがっていて印象的だったのは、

「主体的にやらないと面白くないし、身につかない」

「痛い目を通した成功体験が大切」

「緊張感がないと身につかない」

という言葉が繰り返し出てくることでした。

「萩LOVEハイスクール」は、松嶋さんの考え方を反映し、生徒には主体的に動くことが求められています。

これまで座学中心で勉強してきた生徒は、最初は取り組み方が受身なのですが、締め切りを設定し、細かい指示を与えないでおくと、自分たちで動かないと進まないことに気づき、主体的に行動し始めるのだそうです。

1年間に4回ほど、クライアントの「萩LOVE」の担当者の方を招いて、その前でプレゼンテーションをさせるんですが、締め切りまでにトップページもスライドもできていなくて発表のときに恥をかくグループも出てくるそうです。

でも、松嶋さんは、「お膳立てして成功させるよりも、自分でやって失敗するほうが学びになる」という考えのもと、どんどん失敗を経験させるのだそうです。そして、最初に失敗したグループが、最後によいWebサイトを作るというケースもこれまでにあったとおっしゃっていました。

まさに、「痛い目にあいながら、成功していく」ということを体験させていて、すばらしいと思いました。

また、松嶋さんは、「外部の大人と関わること」が重要だと考えているそうです。「生徒にとっては、親と教師ぐらいしか身の回りにロールモデルがいないので、できるだけ多様な大人を学校に招きいれて、その人の人生について話してもらうことによって、いろいろな生き方があるということを学んで欲しい」とおっしゃっていました。

学習意欲と成長

「萩LOVEハイスクール」があることによって、情報デザイン科で学ぶ内容が実践と結びついてくるので、ふだんの学習意欲を高めることにも非常に役立っているのではないかと思いました。

「萩LOVEハイスクール」をやることで、生徒にどのような変化が生まれるのか、松嶋さんに質問しました。

松嶋:クライアントや取材先にアポイントメントの電話をしたりすることを通して、度胸がついてきますね。もちろん、先方にはあらかじめ、ウチの生徒が電話をするのでよろしくお願いしますということは伝えますが、生徒には、細かいことを教えないんですよ。そうすると、生徒は自分で考えて行動しなくてはならなくなります。大人に対するメールの書き方とかも、意外とすぐに覚えますね。

松嶋:プレゼンテーションも最初は原稿を見ながら小声でぼそぼそと読むだけで下手なんですけど、回を重ねていくと、原稿を見ないで、資料を指しながら説明するようになってきて、成長を感じますね。

プレゼンテーションでは、「萩LOVE」の担当者からダメだしをもらうことが多いそうで、松嶋さんは、それが、教師からダメだしを受けるのとは違った刺激になると考えていて、重要視しているそうです。学校の外の大人が入ることで緊張感が生まれ、その中で失敗しながら行動することが学びにつながるということでした。

アクティブラーニングと反転授業

萩商工は、高校3年生で「萩LOVEハイスクール」があり、実践的にグループワークなどを行いますが、松嶋さんは、1、2年生にも主体的な学びを取り入れたいと思い、3年前からアクティブラーニングをはじめたそうです。

松嶋さんのアクティブラーニングは、予習中心の学習が土台になっていて、生徒はあらかじめテキストを読んでノートにまとめる予習をしてきて、それを前提としたグループワークを教室で行うというやり方で実践されてきたそうです。

家庭学習の習慣が必ずしもついていない生徒に対して予習中心の授業が機能するために、どのような工夫をされていたのか質問してみました。

松嶋:高校1年生の最初、まだ、高校とはどういうところか分かっていないときに、「高校では、予習して授業を受けるんですよ」と話して、そういうものなんだと思ってもらいます。言ってみれば刷り込みですね。そして、うまくいってもいかなくても予習してきてアクティブラーニングするというサイクルを回していき、体にしみこませていきます。結局、予習中心の学習を実践できるかどうかは、授業設計やクラスマネージメントにかかっていると思います。

授業設計やクラスマネージメントがカギというのは、反転授業の実践者が口を揃えて言うことで、同じことを松嶋さんからうかがったことで、確信がさらに深まりました。

次に、反転授業を導入した経緯についてうかがいました。

松嶋:昨年の12月に反転授業のFacebookグループがあることを知り、実践してみようと思いました。完璧に準備してから実践しようとするよりも、不十分でもよいから実践してみてPDCAサイクルを回していったほうがよいと思い、2月に5回の反転授業を行いました。教師だって失敗をすることもあるけど挑戦するという姿を見せるのも大切なことかと思いました。

失敗するかもしれない「危うい場」に生徒を置くだけではなく、自分自身も同じ場に置くことで、社会のあり方や、仕事のあり方というものを背中で伝えるという松嶋さんに、ちょっと感動してしまいました。

松嶋さんが、僕が行っている新しい試みに、すごく共感的に応援してくれるのは、松嶋さん自身がリスクを負って挑戦しているからなんだということがよく分かりました。その姿は、無言のメッセージとして、萩商工の生徒さんたちにビンビンと伝わっているのではないかと思います。

最後に

松嶋さんとお話していて、第8回の勉強会で登壇してくださった教育と探求社の宮地さんから聞いた言葉がよみがえってきました。

「仕事って面白いということを、教えてあげたいんですよ」

一般的に「仕事」という言葉を聞いて、子どもが思い浮かべるのは、もしかしたら、疲れた様子のサラリーマンのような典型的なイメージかもしれません。でも、実際には、たくさんの「面白い仕事」があって、生き生きと働いている人がたくさんいます。そういった「仕事の面白さ」の一端を高校生に体験させることによって、生徒の心に灯がともれば、主体的に学び、行動する大きなきっかけになるのではないかと思いました。

「大人っていいぞ!仕事って面白いぞ!」

ということを身をもって伝えている松嶋さんとお話できて、とても刺激を受けました。

また、松嶋さんがやっている「萩LOVEハイスクール」に大きな可能性を感じました。

萩LOVEハイスクールはこちら

 

 

 

特別支援教育に動画を利用!日置節子さんにインタビュー

Facebookグループ「反転授業の研究」には、多くの実践者の方がおり、毎日、様々な投稿がされています。

その中で特別支援教育に動画を利用されている日置節子さんの実践を知り、非常に興味を持ったのでインタビューさせていただきました。

日置さんが担当されているのは特別支援学校の小学部4年生。

5人の児童に対して2人の教師がついているそうです。

日置さんは、知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害の児童を担当されています。
インタビューするにあたり、自閉症スペクトラム障害についての基礎知識を知りたいと思い、以下の記事を読みました。

自閉症スペクトラム障害の行動特徴(信州大学教育学部)
よこはま発達クリニック「自閉症について」
ふぁみえーる「知っておきたい発達障害のこと」

ふぁみえーるさんの記事を引用します。

—- 引用ここから —–

1.相互的な対人関係の障害

人に対して、あるいは社会的な面で適切で相互的な関係を築くことが困難です。具体的には、次のような特質として現れます。
・周りの世界に無関心
・目が合いにくい
・他の子と遊ぼうとしない
・興味のあるものを見せたり、持ってくることをしない
2.コミュニケーションの障害

相手との相互的な意思の疎通をはかることが困難です。具体的には、次のような特質として現れます。
・言語の発達に遅れがみられる
・会話がうまくできない(全くしゃべらない、一方的にしゃべりまくる、話がとぶなど)
・オウム返しが多い
・年齢に応じたごっこ遊びが出来ない
3.想像力とそれに基づく行動の障害(こだわり行動)

思考や行動の柔軟性が未熟であり、こだわりが強いという傾向があります。具体的には、次のような特質として現れます。
・興味のパターンが強く決まっており、没頭する(時刻表や統計への興味。ある一定の物、形、色など物事が同じであることに強くこだわる)
・道順や物事の手順など、決まったやり方があり、融通が利かない(儀式行動)
・奇妙な運動のクセがある(手や指をふる、体をくねらせるなど)

—– 引用ここまで ——

このような一般的な知識しか持たない状態でお話をうかがって大丈夫かという不安を感じつつ、インタビューさせていただきました。

まず、日置さんがiPadを導入したきっかけをうかがいました。

「魔法のプロジェクトという発達障害を持つ子供を支援するプロジェクトがありまして、そちらに応募したのがきっかけです。」

魔法のプロジェクトは、東京大学先端科学技術研究センターとソフトバンクグループが、携帯電話・スマートフォン等の情報端末の活用が障害を持つ子どもたちの生活や学習支援に役立つことを目指してスタートしたものだそうです。

魔法のプロジェクト
http://maho-prj.org/

現在は、特別支援教育に関わる80名ほどの教師にモバイル端末が配布され、実践例をシェアしているのだそうです。

そこで、動画を利用している実践に出会い、自分もやってみようということで応募し、2台のiPadの支給を受け、1年前から動画を使った実践に取り組まれているそうです。
具体的にどのようなことに動画を利用しているのかをうかがいました。

「日常生活の動作を自分でできるようになることを目指しています。たとえば、カバンの中のものを出してロッカーにしまうとか、着替えとか、歯磨きとかです。
自閉症傾向のある子は視覚優位のことが多いので、これまではカードを使って説明したりしていたのですが、カードを動きとして理解できないことがありました。
たとえば、歯磨きをするときに、①前歯に歯ブラシをあてているカード、②奥歯に歯ブラシをあてているカード というようになっていて、それを見ながら歯ブラシを歯にあてることができても、「ごしごし磨く」という行為をすることができなかったりするんです。でも、動画を見ながらだとできるので、動画を利用するメリットを感じています。」

「また、『カバンから中身を出してロッカーに入れる』という動作をできるようにするために、iPhoneを片手に持たせて、動画の動作を真似しながらやらせました。
最初はiPadでやらせようとしたんですが、大きさが大きいので、他の子の注意をひきつけてしまうという問題が出たため、私の使わなくなった古いiPhoneを使ってやらせています。
動画を止めたり、再開したりするのも直観的な動作でできるので、自分ですることができます。最後に「よくできました」というマークが出るようにしています。」

 

最後のマークは大事なんですね。

 

「そうですね。できたときのフィードバックはふだんからしっかりかけるようにしています。動画でもフィードバックがかかるようにしています。」
目の前で実際にやって見せるのとの違いはありますか?

「ありますね。たとえば『リンゴを描く』という課題があります。丸を描いて、茎を描いて、赤く色を塗るという課題です。これは、教師が実際にやって見せるよりも動画にしたほうが子供が絵を描くことができます。それで、動画を電子黒板に映してやらせています。」

 

それは、興味深いですね。なぜなんでしょうか?

 

「自閉症傾向の子は、どこに注目したらよいのかが分からないことが多いんです。リアルだと情報が多すぎて、関係ないことに注意が向いてしまい混乱するのだと思います。
音声や動きなどの情報を精選して動画を作ると、どこに注目したらよいのかが分かりやすくなるのだと思います。」

「また、動画にすることによって、教師の手が空くので、課題をやっているときにサポートに回れるというメリットもあります。」
モデリングがうまくいくための動画づくりのコツはあるのですか?

「音と映像を単純化することがポイントです。余計なものがあるとそこに注意が行くので、なるべく単純化します。また、動画には、他人がモデルになる、本人がモデルになる、子どもの目線でモデリングする、作業を細かくステップ分けして提示するなどの作成方法があるんですが、動作などの説明などをするときは、他人モデルが分かりやすいようです。」

「ただ、目的によって使い分けています。自閉症傾向の子は初めて行く場所が苦手なので、校外活動などをするときは、あらかじめ動画にとって見せて予習して慣れさせてから行くのですが、 そのときの動画は目線モデルを使っています。」

 

日置さんが反転授業に興味を持ったきっかけは、どのようなことだったんですか?

 

「家庭学習との連携について考えていて、反転授業に出会いました。日常生活を送るのですら大変な労力を払っている家庭があるので、そこにさらに家庭学習という形で負担をかけていいのだろうか
というジレンマがあり、宿題を出すことについて躊躇する気持ちがありました。」

「でも、たとえばリンゴの絵を描く課題などを自宅でやってもらって、次に、お友達がまわりにいる環境でも同じことができるかどうか学校でやってみたりするというやり方なら、家庭にあまり負担をかけずに効果をあげられるんじゃないかと思ったんです。それが、反転授業に興味を持ったきっかけでした。実践はこれからで、今、どんなやり方がよいのか勉強中です。」

 
日置さんのお話には、モバイル端末と動画講義の持ついくつかのポイントがありました。

・動きを説明することが簡単。
・手で持って動画を見ながら、真似して動作をすることができる。
・情報を精選することによって、示したい内容に集中させることができる。
・教師の手が空くのでサポートに回れる。
・教師が動画を作るのが簡単。
・自宅と家庭で同じ動画を使って課題を行うことが可能。

これらのポイントは特別支援教育に限らず、一般的に言えることで、特別支援教育での活動においてより顕著に表れるということなのかと思いました。

障害には様々な種類があり、それをテクノロジーで補完していく工夫にも様々なものがあると思います。

今後も引き続き勉強していきたいと思います。

 

 

 

 

米ローレンスアカデミー高校マーク先生にインタビュー

2ヶ月ほど前、朝日新聞記者で『ルポMOOC革命』の著者である金成隆一さんからメールをいただきました。

メールには、著書の中で登場する米マサチューセッツ州、ローレンスアカデミー高校で数学とコンピューターサイエンスを教えているマーク先生が、日本でも反転授業が広まりつつあることを喜んでおり、「何か力になれることがあれば協力する」とおっしゃってくれているということでした。

マーク先生の連絡先を教えてもらい、インタビューさせていただくことにしました。

マーク先生が実践家として知られるようになったのは、反転授業のノウハウの詳細を自分のブログで公開し始めたことがきっかけでした。

FlippedMind.com

 

最初の授業ですること

たとえば、最初の日に何をするか?

マーク先生は、最初の日がとても重要だと言います。最初の日のあり方が、クラスのトーンを決定するし、この日に反転授業の概念を理解してもらわなければならないからです。

しかし、協働学習をした経験のない生徒も多く、どのようにして学んだらよいか分かりません。

そこで、生徒を3人ずつのグループに分けて、Rush Hourというゲームをやるのだそうです。

Rush Hourとは、このようなゲームです。

 

マークさんがこのゲームを好きな理由は、様々な難易度を設定でき、生徒がこれまでに解いたことのないような問題に出会うことができるからだそうです。

各グループのうち1人がゲームを解くための戦略を紙に書いていき、残りの二人がゲームをやるのだそうです。

そして、多くの問題に対して一般的に使えそうな戦略を見つけていくのだそうです。

マークさんに、Rush Hourをやる理由をうかがったところ2つあるという回答でした。

・数学的な思考を鍛えられる。

・協働作業をしながら一緒に考えることを経験できる。

今まで一方向的に教師に教わってきた生徒は、「学ぶ」=「教師から教わる」という思い込みがあり、それを「学ぶ」=「仲間と協力しながら自ら学ぶ」というように考え方を変えていくのは時間がかかるとおっしゃっていました。

「どうしてマーク先生は、何も教えてくれないの?」

と不平を言われたこともあると言って笑っていました。

 

動画講義を作る労力をどうするか

反転授業を実施するためには動画講義を作る必要があります。

マーク先生は、数学の教師8人で協力して、分担して動画講義を作ることで、それぞれの負担を減らしているのだそうです。

マーク先生が使っているツールは、Screen-O-Maticというスクリーンキャストソフト。

こんな感じの動画を作っています。

 

動画の長さは10分以内にするように心がけていて、できれば5分程度で作ることを目指しているとか。

現在では200本近くの動画がグループ内にストックされていて、お互いに利用しあっているそうです。

 

反転授業の準備は大変

マーク先生は、生徒中心の学習が授業でうまくいくようにいろいろな工夫をされています。

数学の授業では、一緒に問題を解いたり、プレゼンテーションをしたり、お互いに教えあったり、ゲームをしたりします。

だいたい1-2週間前から準備をするのだそうですが、かなりの時間と労力がかかるのだそうです。

普通に教えたほうが楽だと言っていました。

いつもうまくいくわけじゃないけど、いつも生徒中心の学習にすることにこだわっているそうです。

一番重要なのは、生徒の長所と短所を把握して、そこに必要なものをやることだと言っていました。

 

なぜ、生徒中心の学習にこだわるのか?

マーク先生と話したり、ブログ記事を読んだりすると、何度も 「Student-Centered State of Mind」という言葉が出てきます。

ブログのサブタイトルにもなっています。

マーク先生がなぜ生徒中心の考え方にこだわっているのかを質問してみました。

マーク先生の回答は、「協働学習をすると、一緒に学んだり、創造的に考えたりできる。その結果、人生において本質的なスキルを獲得できるんだ」というものでした。

グループの友達に教えることは、一番よい学び方で、難しい問題に協力しながら夢中になっているのを見るといつも驚かされるよとも言っていました。

このようなことが起こるためには、クラスの雰囲気がとても大事で、雰囲気ができると協働学習がどんどん進むということを強調していました。

 

まずは、1科目、1単元からはじめるべき

これから反転授業を始めようという先生に対するマーク先生のアドバイスは、「1科目、1単元から始めよう」ということ。

反転授業を行うためには、準備もスキルも必要になるので、最初から全部を反転させようと考えずに、小さなことからはじめたほうがよいとおっしゃっていました。

動画の作り方にはいろんなやり方があるけれど、一番シンプルなのは、Screen-O-Maticを使ってスクリーンキャストで講義を作ることだというのがマーク先生の意見。動画講義のクオリティを上げることに熱心になって、10分の動画を作るのに1時間もかけてしまったら授業の準備に時間がかかりすぎてしまうので、とにかくクオリティにはこだわらずに気軽に作ることが大切だとおっしゃっていました。

たしかに、Webで公開されているマーク先生たちのグループの授業動画は、手書き中心のシンプルなもの。

でも、教室でのアクティビティが生徒中心にデザインされていて、ワクワクするものであれば、これで十分機能すると思います。

 

デバイスやWifiの状況は?

日本の高校で反転授業をやろうとすると、必ず話題になるのがインターネット接続環境とデバイスの問題。

マーク先生の高校ではどのようになっているのかをうかがいました。

マーク先生が勤務しているローレンスアカデミー高校は、私立高校で1クラス最大16名までの少人数制の教育がなされています。

公立高校に比べて学費が高いこともあり、比較的裕福な家庭の子どもが通っているため、デバイスを持っていない生徒はいないそうです。

高校生がノートパソコンを学校に持っていくのが当たり前で、学校がWifiフリーなのも当たり前。

逆に、「日本は貧しい国じゃないのに、高校生はノートパソコンを買うことができないのですか?」と質問されました。

日本では、高校での勉強にPCを使うことが前提になっていないので、50%くらいの生徒がPCを持っているかもしれないけれど、それは、学習のためではなくホビーのために使っていると答えると、「え??それじゃ、ノートやレポートやプレゼンテーションの資料はどうやって作るの?」とさらなる質問が。

レポートやプレゼンテーションが課されることは少ないし、普段は紙のノートに手書きで書いていると答えました。

経済的な理由で購入できないわけではないのに、高校生がノートパソコンを持っていないということが、全くの想定外だという様子でした。

それで、経済的にあまり恵まれていない公立高校の状況を説明してくれました。そこでは、家庭にインターネット接続がなかったり、ノートパソコンを持っていなかったりする生徒がいるので、学校に貸し出し用のPCがあり、それを借りてレポートを作成したり、放課後、予習動画を見たりしているとのことでした。

反転授業をやる前に、高校生ならノートパソコンを学校に持っていくのが普通で、日常的にネットで検索したり、レポートを作ったり、パワポ資料を作ったり、学校のLMSにアクセスしたり・・・という前提があり、それらの利用方法の1つとして生徒中心の学習をデザインしたい人が反転授業に取り組んでいるのだということが良くわかりました。

 

ノウハウの共有はオンラインで

マーク先生は、同じ学校の実践者仲間とディスカッションするだけでなく、反転授業の実践者によるSNS「Flipped Learning Network」でもノウハウをシェアしているそうです。

僕も、このSNSに入っていますが、実践者による具体的な取り組みや、悩みが共有されていて、多くの実践者の助けになっています。

日本でも、Facebookグループ「反転授業の研究」に1500名以上が集まり、また、5月から新しく反転授業実践のためのSNS「反転授業の森」が立ち上がります。

これからも、情報交換をしながら、一緒に発展していこうと約束してインタビューを終えました。

スカイプでお話をうかがった時間はトータルで1時間半。

熱くなってしゃべりだすと止まらないマーク先生から、生徒中心の学びに対する情熱をひしひしと感じたインタビューでした。

 

 

登壇者紹介 教育と探求社代表 宮地勘司さん

「反転授業の研究」の田原です。

第8回反転授業オンライン勉強会「探求学習と学習意欲」まで、あと1日となりました。

本日、ご紹介するのは、教育と探求社の宮地勘司さんです。
宮地さんにオンラインでお話をうかがいました。

 

宮地さんが教育事業に踏み出したのは、日経新聞社に勤められていたときに、「日経エデュケーションチャレンジ」というイベントを自ら立ち上げたことがきっだったそうです。

このブログラムは、「高校生のための社会&科学スタディ」というキャッチフレーズのもと、社会で活躍している人を呼んで、高校生に授業をするというものです。

ここで、高校生がすばらしい質問をしたり、大人が元気になったり、相互に触れ合うことによって理解が進んでいくことを経験し、教育事業に大きな可能性を感じたのだそうです。

その後、さらに多くの高校生にこのような学びを届けるために、最初は、社内事業として教育事業を立ち上げることを目指したのですが、制約が大きいため、教育と探求社を起業し、高校生と現実社会とを結びつけるプログラム作りをはじめたのだそうです。

 

宮地さんが、安定した職を捨ててまで追い求めた教育事業の可能性とは何だったのか。

非常に興味が沸きました。

そこで、教育と探求社が、現在行っている「クエストエデュケーション」について、詳しくうかがいました。
「クエストエデュケーション」とは学校単位で導入するプログラムです。

総合学習の時間や、現代社会、国語など、通常授業のうちの24コマを使って一年を通して行われます。その最終発表の場が「クエストカップ」という全国大会です。

大会の概要を教育と探求社のホームページから引用します。

教育と探求社

— ここから引用 —-

全国の中学生・高校生が、学校の授業の中で、実在の企業や人物を題材に、 「生きる力」を学ぶ「クエストエデュケーションプログラム」。
その1年間の取り組みの成果を発表する「クエストカップ2014 全国大会」が、 今年度も開催されます。

審査の対象は以下の3つの部門。
実在の企業から出されたミッションに応える「企業プレゼンテーション」部門。
夢を実現した先人たちのストーリーを追う「人物ドキュメンタリー」部門。
自分の過去と、未来の履歴書を執筆する「自分史」部門。
全国の応募作品の中から選出された代表が、各部門のグランプリを目指して創造性豊かなプレゼンテーションを繰り広げます。

— 引用ここまで —-

企業プレゼンテーション部門では、最初にアニメーションで「あなたが主役。先生はファシリテーター」であることが告げられ、生徒は自分で能動的に動くことが求められるそうです。

1学期は企業のインターンとして、「町に出てスカパーを探せ」など、企業から動画で与えられた指示に従いフィールドワークやアンケート調査などを行います。2学期になると、企業からミッションが与えられ、ブレインストーミングやロジカルシンキングを行いながら、企業からのミッションに対する回答を作成していきます。

そして、3学期に実施される「クエストカップ」で、実際に企業に向けてプレゼンテーションを行います。

千点を超える作品のなかから予選を見事勝ち抜いたチームが、大学キャンパスを借りて行われる本大会でプレゼンを行い、グランプリを目指します。

ここには、生徒のやる気を刺激する仕掛けが何重にも張り巡らされています。
・常に行動を求められること。

・チームで行うということ。

・クエストカップという晴れの舞台が設定されていること。

・自分たちが社会を変えられるという実感を持つこと。

・身近な先輩が活躍する姿を見て、自分もそうなりたいと思うということ。
これらの仕掛けは、既成の教育理論を越えて、現場の試行錯誤から臨床的に時間をかけて練られてきたものなんだそうです。

 

また、クエストエデュケーションは、教師にとっても貴重な学びの機会になるそうです。

クエストエデュケーションで教師に求められるのはファシリテーター。

答えを持たずに教壇に立つ恐怖を乗り越えることで学びの可能性を知るとともに、それまでには見られなかった生徒の新たな可能性に出会い、感動するそうです。

この体験の後、それまでは一斉授業だったのが、生徒中心のグループワークに変える先生も現れているそうです。

 

クエストエデュケーションでは、教育と探求社のスタッフが授業を行うのではなく、必ず先生に授業をやってもらうのだそうです。

その理由を、宮地さんにうかがいました。
宮地さん:外部からスタッフが入ると、そのときは楽しいけれど、プログラムが終わったら何も残らないんです。だから、学校からもお金をいただいて、
先生には予算を通してもらって、しっかりコミットしてもらって、一緒にやるようにしています。
この話をうかがって、宮地さんの考えていることを、一つ深いレベルで理解できた気がしました。

僕は、「反転授業の研究」の活動を通して、学習者中心の学びに関心がある教師のためのスキルアップの場をオンラインに作りたいと思っています。

その先には、個人レベルで実践が広がっていくことによって、教育のあり方にインパクトを与えたいという希望があります。

宮地さんは、クエストエデュケーションというプログラムを携えて学校現場に入っていき、地道に、そして、着実に教育のあり方に変化をもたらしています。

その方向性に共感すると同時に、方法論の見事さに感銘を受けました。

4月23日(水)22時からの勉強会で、宮地さんのお話をうかがうのが楽しみです。
反転授業オンライン勉強会への申し込みはこちら

登壇者紹介 奈良女子大学附属中学・高校教諭 二田貴広さん

「反転授業の研究」の田原です。

本日は、4月23日に実施する反転授業オンライン勉強会でお話してくださる奈良女子大学附属中学・高校教諭の二田貴広さんをご紹介します。

 

二田さんのことをはじめて知ったのは約半年前。Facebookグループで「動画の種類」について調べていたときでした。

次のような質問をグループに投稿しました。

「動画講義を扱っている方に質問です。 次のうちのどのタイプの動画を作成していますか? (下記以外のタイプの動画を作成している場合は、項目を追加してください)」

僕のほうで最初に用意していた選択肢は以下のものでした。

・スクリーンキャストで作成タイプ(15分以下)

・スクリーンキャストで作成タイプ(15分以上)

・授業をそのまま撮影するタイプ

・授業をスタジオなどで撮影するタイプ

・資料動画

この選択肢に、二田さんが、「予告編」という項目を追加したのです。

「予告編って何だ??」

と思い、二田さんに質問したところ、次のような返事とともに動画を見せてくださいました。

—  引用ここから —-

奈良女子大附属の二田貴広です。
田原さんから「予告編って何?」と問われましたので、恥ずかしながらこちらに載せます。著作権などすべてクリアしたものです。
小学校教材の「ごんぎつね」と「おにたのぼうし」を中学高校で再読しようという授業をしようとしています。文学とは何かというアポリアについて考えるためです。
まぁ、授業自体はうまくいくかはわかりませんが、映画のように予告編を見たら生徒の授業への意欲が上がるのでは?という、とある先生の問いかけによって試みてみようと作ったものです。

—- 引用ここまで —-

予告編動画はムービーメーカーで作成されており、授業でやる内容を説明していました。効果音などが使われていて、授業で課題に取り組むのが楽しみになるような仕掛けがされていました。

このような動画の使い方については、全く考えたこともなかったので、とても新鮮でした。

これをきっかけに、二田さんの取り組みについて興味をもちました。

二田さんは、ednityという教育用SNSも授業に導入されています。SNSを導入した理由を質問したところ、

「たくさんの他の人の意見に触れて、それを取り入れながら自分の意見を書くということが、これからは重要です。」

というような返事が返ってきました。

自分の意見を表現したいけど、うまく表現しきれないときに、他の人の言葉を借りることによって表現するというのは、社会人になって必要になる能力だと思います。教室での学びでは、他の人の書いたものを大量に読むことは難しいですが、SNSというツールがそれを可能にしているところが非常に興味深いと思いました。

現在、二田さんは、予習動画を「予告編」と「講義動画」にした場合の比較、SNSを使った場合と使わなかった場合などの比較をしながら、反転授業に取り組んでいらっしゃいます。

二田さんの取り組みは、動画の作り方が、どのように学習意欲に影響してくるのかを考える上でのヒントになると思います。

反転授業オンライン勉強会で二田さんのお話をうかがうのが楽しみです。

 

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登壇者紹介 探求学舎代表 寳槻泰伸さん

Facebookグループ「反転授業の研究」は、2012年12月にスタートしました。

最初のころは、メンバー数が20名程度で、動画配信をしているメンバーを中心に小規模でオンライン勉強会をしていました。

状況が変わったのは、2013年の8月。

日本でもグループワークや探求型学習に取り組んでいる人たちが、実はたくさんいるということに気づき、そこにアクセスすることにしたのです。

アクティブラーニングの実践&普及をされている小林昭文さんとの交流がはじまったのをきっかけに、次々とアクティブラーニングや探求型学習の実践者とつながりました。

探求学舎の寳槻泰伸さんのことを知ったのも、ちょうどそのころでした。

探求学舎のHPはこちら

 

僕が、そのときに感じたことは、「探求学習で生徒を集められるのか?」ということでした。

僕自身、受験生を対象としたネット予備校を運営していて、受験対策と理想の教育とのバランスをどこで取るのかということをずっと試行錯誤してきているので、受験を前面に出さず、「探究学習」を前面に出している運営方針に、とてもすがすがしい印象を受けた一方で、それでやっていけるのか知りたいと思ったのです。

早速、Facebookで次のような質問を率直にぶつけてみました。

「僕のところでは、「田原の物理」という講義で集客していますが、「対話式の授業」という塾の運営方針で集客できるものなのでしょうか。10/30のオンライン勉強会でも取り扱いたいテーマなのですが、それが可能なら、可能性が大きく広がるなーと思っています。」

それに対して返って来た寳槻さんの返事がこれでした。

— ここから引用 —-

「対話式の授業」で集客を行っているというよりは、「テストのためでなく人生のための学び」「探究心を触発する学び」というコンセプトで集客しています。ともかく詰込みでも個別でも良いから成績を上げて欲しい!という保護者ではなく、勉強の面白さを知ってほしい、自分から進んで学ぶようになってほしい、そういう期待をもった保護者からの問い合わせがほとんどです。相手が目先の結果よりもまずはプロセスを重視しようという価値観なので、必然的に「対話式の授業」というコンセプトも受け入れられていくという感触です。

ただやはり学習塾なので、結果が問われていることも事実です。まだ開校して1年半なので、塾生の保護者も、遠くからながめている保護者も、それでどこまで結果に結びつくのかということを見ている状況だと思います。

多くの塾が「成績向上」「志望校合格」をうたっている中で、路線の違う塾を作りたいと思って上記のコンセプトでやっていますが、たどり着くべきはやはり「プロセスと結果の両立」であり、生徒も保護者もそれを期待しています。

1年半やって思うこととしては、明確な学習への価値観をもった保護者が少なからずいるということと、彼らは既存のうたい文句ややり方に飽きていたり、共感していないということです。

大手の学習塾や学校は面を相手にしなければなりません(マジョリティの価値観に沿わなければならない)が、個人塾やベンチャーは点を相手に独自のコンセプト・手法を築いていくことが役割で、そうして実ったものが市場全体に良い影響を与えることができたらいいな、と考えています。

—- 引用ここまで —-

寳槻さんからお話をうかがったり、探求学舎のHPを拝見したりするうちに分かったのは、寳槻さんが市場として「探究学習」を捉えているのではなく、強い信念があって、その信念に基づいた教育をやりたくて塾を始めたということです。

それは、一方通行の授業や機械的な勉強が嫌いだった寳槻さんの少し変わった学習経験が大きな影響を与えていると思います。

塾長の探求学舎設立ストーリー

高校の勉強がつまらないという理由で中退し、NHKスペシャルや映画を見て、自分のワクワクする気持ちを大事に勉強した結果、京都大学へ合格することができたという寳槻さんの成功体験が、

勉強の面白さを知り、自ら学ぶようになることが大切

という信念を生み出したのではないかと思います。

探求学舎で行われている「探求学習」の動画を見ると、生徒がとても生き生きと勉強していて感動的です。

 

2014年4月に寳槻さんと直接お会いする機会がありました。

そこで、「自ら学ぶようになるために重要な要素は何か?」と質問してみました。

返って来た言葉は、「知的感動体験を与えることが大切」ということでした。

さらに、「子どもは、自分が何に感動するのか知らないので、子どもに聞いても仕方がない。大人が、その子どもに合ったものを探してきて与える必要がある」ともおっしゃっていました。

さらに、ロールモデルや仲間の重要性についても力説していました。

探求学習では、歴史上の人物に焦点を与えることが多いそうです。過去に偉大な仕事をした人について調べることで、それをロールモデルになり、さらにグループで学ぶことで意欲が高まっていくという効果があるのではないかと思いました。

 

寳槻さんたちが、最近取り組んでいるのが、tanQ Cinemaという動画。これは、「学習意欲を高めるための動画」なのだそうです。

NHKスペシャルなど、大量の動画を見て、好奇心に火をつけてきた寳槻さんには、どんな動画を作ったらワクワクするのかが分かるのだそうです。

科学史を取り入れた説明や、動画ならではのアニメーション表現によって数学や物理を説明する動画は、物理講師の僕から見ても、とてもワクワクするものです。

反転授業の実践者の多くは、動画で学習意欲を高めるのではなく、グループワークで学習意欲を高めてきました。

それに対して、寳槻さんは、グループで探求学習を行うのと同時に、動画で学習意欲を高めることにも積極的に取り組んでいます。

知的感動体験を通して学習意欲に火をつけていくことにこだわっている寳槻さんが、第8回反転授業オンライン勉強会「探求学習と学習意欲」でどんな話をしてくださるのか楽しみです。

(追)寳槻さんは、現在、STORY.JPに執筆中です。

「強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話」

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登壇者紹介 福嶋史さん

第7回反転授業オンライン勉強会「対話と集合知、学習する組織」で3番目にお話くださるのは、クマヒラセキュリティ財団の福嶋史さんです。

クマヒラセキュリティ財団は、ピーター・センゲの『学習する組織』のワークショップを開催したり、いじめをなくすためにオランダで開発され成果を上げている「ピースフルスクール」というプログラムを日本に導入するなど、独自の活動をされています。

福嶋さんに、今の仕事をするようになったきっかけをうかがいました。

 

かなりさかのぼってしまうのですが、中学生のときに、女子特有の仲間はずれになったことがあって悩んでいたときに、大学生のボランティアのお姉さんから、環境が変われば、自分の状況も変わるというアドバイスをもらったんです。

高校生になったときに、お姉さんの行っていた通りに、環境が変わったことで自分が変わるという経験をしたので、その自分の経験を、いじめられたり、不登校になったりしている人に役立てようと思ってボランティアをはじめました。

大学生になってからも同じボランティアをやっていたんですが、アクションを起した結果、非行に走ったり、自殺に至ったりしなかったとしても、義務教育をきちんと受けていないことが多いので、進学できないとか、ニートになってしまったり、フリーターになってしまったりするので、自分のやっていることが、対処療法でしかないと痛感しました。

そんなときにTeach for JapanというNPOに出会い、ここであれば、ニートやフリーターになる前にケアができるんじゃないかなと思って、NPOで活動を始めました。

 

福嶋さんのお話をうかがって、自分のことでいっぱいいっぱいだった自分の学生時代と比較してしまいました。また、活動をする中で、問題意識が深まった結果として教育の問題にたどり着いたということに、とても説得力がありました。

Teach for Japanの活動内容について質問しました。

 

Teach for JapanというNPOは、家庭環境など、子どもにはどうしようもないことが理由で生じている教育格差を、学習支援を通して減らすことを目指しています。自己肯定感を上げたり、学習意欲を高めたりすることで、学力を向上させ、自分の選択肢を自分で広げられるような子どもを一人でも多く増やそうという活動をしています。

 

Teach for Japanのミッションについては分かりました。具体的には、どのような活動をされているのですか?

 

学生だったころは、学生教師に申し込んで、面接を受けて通ると、学生教師としてトレーニングを受け、実際に生活保護の子どもや、被災地から東京に非難してきた子どもなど、困難を抱えていた子どもに学習支援を行っていました。

私が担当していた葛飾区では、ケースワーカーさんと協力して、児童館などで授業を行っていました。

 

プロフィールを拝見すると、その後、外資系のIT関連のコンサルに就職したとありますが、このときは、どのようなことを考えていらっしゃったのですか?

 

今の上司である熊平が、Teach for Japanの理事をやっていて、私が学生教師に申し込んだときに研修を担当していたんです。スタッフとして活動するようになってからは、一緒に研修を作ったり、学習する組織のことを教えてもらったりして、とても影響を受けました。

それで、熊平から、将来、教育の仕事をするにしても、最初から財団やNPOに入るのではなく、一度、企業に入って、いろんな世界を見てからのほうがいいんじゃないかとアドバイスをもらいました。

これまで、教育に関することばかりをやってきて、好きなことばかりをやっていたなーと思っていたので、それ以外のことをやったほうがいいんじゃないかと思い、外資系の厳しいとウワサのコンサル会社に入りました。

 

一般企業に就職したことがない僕が言うのもなんですが、外資系のコンサル会社は、厳しかったのではないですか?

 

想像していた以上に大変でした。私が苦手なことの1つがパソコンの作業だったんですが、お客さんのためにきちんとやらないといけないというプレッシャーがあり、それなのにできないということで、精神的につらかったです。

でも、会社の方や、お客さんにとてもめぐまれて、少しずつですが仕事もできるようになり、よい経験をさせていただきました。

 

外資系のコンサルで働いた経験が、今の活動に役立っているところはありますか?

 

学生のころよりも、かなり細かくなりました。学生のときは、何も考えずに勢いでやっていたのですが、今は、データでどう見るか、インパクトがどうか、デリバリーをどうするか、効果は?リスクは?などを考えられるようになったので、これは、社会に出たからかもしれないと思います。

 

その外資系コンサルから、クマヒラセキュリティ財団に移ったきっかけは、どのようなことだったのですか?

 

社会人になって1年ほどたったときに、熊平に呼び出されて、ご飯を食べに行ったら、

「史ちゃん、いよいよピースフルスクールを本格的にやろうと思っているのよ。あなたにとってもやりがいのある素晴らしい仕事になると思うわ。」

と言われました。ようやく仕事を覚えてきたところだったので、いろいろ悩んだのですが、2-3年後に教育の世界に戻りたいと思っても、そのときに戻れるかどうかは分からないし、このタイミングを大切にしようと思って移ることにしました。

 

僕は、クマヒラセキュリティ財団というのは、何十人もいる大組織だと勝手に思い込んでいたんですが、お話をうかがうと、熊平さんと福嶋さんの他に3人の事務の方がいるだけなのだそうです。

この状況で、福嶋さんを誘ったということは、熊平さんからの信頼が相当に厚いのではないかと思いました。そのことについてうかがってみると、

 

熊平がやりたかったピースフルスクールの展開などと、私がやりたかったことが一致していた。

 

という返事が返ってきました。社会人1年目の年代には、まだまだ自分探しをしている人が多いと思います。でも、高校生のときから自分のやりたいことを明確にして、行動を積み重ねてきた福嶋さんにとっては、すでに自分のやるべきことというのが明確にあったので、「やりたいことと一致している」ということが言えたのではないかと思いました。

 

最後に、ピースフルスクールについてうかがいました。

 

いじめを解決したいと思っている方は日本にもたくさんいると思うんですが、日本では、対処療法的なものが多くて、トータルで考えて子どもを育てるというところにいたっていないんです。

オランダのプログラムは、子どもたちが自発的に安心安全なコミュニティーを作るためにどうしたらよいかを学習するもので、成果も上がっています。

こういう環境ならいじめも起きないし、安心安全な環境だと、何かにおびえたりして、自発的、主体的な学びができないということにもならないんだと気づきました。

それで、ピースフルスクールを広めたいと思って活動しています。

ピースフルスクールプログラム

 

 

福嶋さんからは、信念に基づいて行動している人が発している「強さ」を感じました。

いじめの問題からスタートして、それを解決するために教育に関わるようになり、さらに、根本的な解決を目指して、組織教育へ問題意識が次々と深化していったのだということがインタビューを通して、すごく納得できました。

そのとき、そのときで、自分と向き合って真剣に問題に取り組んできた方なのだという印象を強く受けました。

 

福嶋さんは、「学習する組織のリーダーになろう」というテーマで、3月26日の反転授業オンライン勉強会でお話してくださいます。

反転授業オンライン勉強会の申し込みはこちら

 

 

 

登壇者紹介 鈴木利和さん

第7回 反転授業オンライン勉強会「対話と集合知、学習する組織」の2番目の登壇者は、組織コンサルタントの鈴木利和さんです。

鈴木さんのことは、Facebookグループ内での書き込みで知りました。

鈴木さんが取り組まれている、参加型のフラットな組織を作り、学びあいながら価値創造していくという考えは、かつて、複雑系の科学や自己組織化するシステムの解明にエネルギーのすべてを注いでいた僕にとって大きくうなづけるものでした。

それで、早速、スカイプでお話をうかがいました。

僕が鈴木さんに聞きたかったのは、Facebookグループにどのように運営したら集合知が生まれやすくなるのかということでした。

鈴木さんの回答は、

「学会みたいな組織にするといいんですよ」

「学会では、引用論文の数で民主的に論文の良し悪しが評価されるし、それぞれが仮説を立てて、みんなで検証していくじゃないですか。そういう仕組みがあるといいんですよ。」

グループでの学びあいの中から、実践例が自然に浮かび上がってくるための評価基準みたいなものは、どうするとよいのかと聞くと、

「直感に基づいたほうがいいです。適当にやったほうがいいんですよ。」

という返事でした。

そのときは、鈴木さんの言っていることが、正直言ってよく分からなかったのですが、鈴木さんのやっていることに大きなヒントがあると思い、活動をウォッチするようになりました。

鈴木さんの言っていたことの意味が少し分かったような気がしたのは、「TTPSとは何か」というブログ記事を読んだときでした。

TTPSとは何か

 

ちなみに、TTPSというのは、

T 徹底

T 的に

P パクって

S 進化する

の略だそうです。鈴木さんがかつて勤めていたリクルートでは、事例を参考にすることを「TTPSする」と呼ぶのだそうです。

日本で教育を受けていると、人のアイディアを参考にするのは、「カンニング!」と言われたりして、ネガティブな印象がありますが、それを、「TTPSする」というように、ちょっとユーモアのある表現に変えることで、急にポジティブな気持ちになるように感じました。

先日、実施した「神アプリExplain Everythingで超簡単に作る動画講義の作り方」というオンライン講座で、早速、TTPSのことを紹介したところ、学びあいが促進されて、

「TTPSまではいきませんでしたが、TTPくらいまではいけました!」

(進化するところまではできませんでしたが、真似をするところまではできました)

などと、早速、みんなでその言葉を使いながら、楽しく、一緒に進化することができました。うまく場が機能すると、すごい勢いで学びが進むということを実感することができました。

前出のブログ記事を見ると、次のように書いてあります。

「目指すところは、セムラーやトゥーワンのような、最小限の管理機構で自律自働の参加型で民主的な集合天才の組織を事例を使ったFlipped Learningで実現することです。」

このあたりに、鈴木さんの考え方が表れているように思いました。

今回、勉強会での登壇をお願いすることになり、改めて、現在の問題意識をうかがってみました。

「勉強について自分が問題だと思っているのは、生徒が自分で考えないということなんです。自分で問いを発して、問いに基づいて仮説を立てて、こういうやり方で検証できるということを学校で習わないので、いつまでたっても、知識を暗記し、A=Bであるという対応関係をやっている。こういうことを変えたいんです。」

「このときに、フラットな関係というのが大切。権威がいるとその意見を聞いてしまうんだけど、フラットな関係で権威がいないと、『えー本当?』となって、自分で調べてみようということが起こるんです。だから、その可能性に期待しているんです」

「フラットな関係という前提がないと、集合天才はおきないんです。」

この回答をうかがって、鈴木さんがなぜ反転授業に興味を持つようになったのかがよく分かりました。

現在の教育システムには、先生という権威がいることによって、自分で考えない生徒を量産してきたという側面があります。

講義を動画にすると、それは教材となり、権威から距離をとりやすくなります。さらに、フラットな関係に基づいたグループワークを教室で行うことで、自分で考え、仮説を立て、検証していく学問をする姿勢を学ぶチャンスが生まれます。

鈴木さんの感じている問題を解決する可能性が、反転授業にはあるのです。

ブログ記事にもあるように、鈴木さんはTTPS研究会というグループで、「集合天才」に到達するための事例の共有をされています。そこで、どうやったら「集合天才」に到達できるのか、そのための具体的な方法論があるのかどうかをうかがいました。

「『集合天才というものもあると言われています。』程度の仮説を出して、いっしょに検証しようという人を募集します!みたいな感じがいいと思います。」

「創発的な世界というのは、なるときもあるし、ならないかもしれないというものです。運営者に意図があると、意図が邪魔をしておきないとことがあります。だから、創発させようと思っていやるんだけど、思ったようにはならず、でも、違ったところに起きているみたいなことになるんです。」

僕も、かつて「創発システム」というものに取り組んでいたので、鈴木さんの言うことは、とてもよく分かります。

最初から、意図していたものが生み出されたのであれば、それは、創発じゃないじゃないか!という議論を、いやと言うほどしました。

鈴木さんの話は続きます。

「もう1つは、集合天才があるかどうかは分からないけど、あると希望になるということです。」

「もし、集合天才がないとすれば、ほとんどの人にとっては生きていて無駄ですみたいなことになる。でも、組み合わせによってギフトがありますということなら希望がある。」

鈴木さんの話をうかがうと、集合天才の存在を信じるということは、民主主義の可能性を信じるということと等価なのだと思いました。

そして、集合天才の存在証明をするためには、フラットな組織において生み出される集合天才が、一人の天才に率いられたピラミッド型の組織よりも優れた成果を生み出していくことが重要なのではないかと思いました。

最後に、集合天才を生み出すために、個々のメンバーに必要なことは何かという質問を投げかけてみました。

それに対する鈴木さんの答は、ちょっと意外なものでした。

「極論を言えば、祈りみたいなものですね。」

「『力に満ちてそこにいる』ということが大切なんです。」

「その場のエネルギーが閾値を越えないと沸騰しないんです。だから、分かんないけど信じれるという気持ちで参加するということが大切なんです。」

話をうかがっているうちに、だんだんと感覚的に納得できる感じになってきました。

鈴木さんと話をしていると、一定の間隔で、「刺さる言葉」というのが、鈴木さんの口から飛び出してきます。

きっと、3月26日の反転授業オンライン勉強会でも、そのような言葉を聞くことができると思います。

 

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登壇者紹介 福島毅さん

第7回反転授業オンライン勉強会で最初にお話してくださるのは福島毅さんです。

福島さんは、Facebookグループが大きくなり始めた昨年の9月ころから参加してくださっています。グループ全体のことをいつも考えてくださっていて、いつも助けてもらっています。

Facebookグループにも、頻繁に投稿してくださるので、福島さんのことをご存知の方も多いと思いますが、改めて、福島さんがどのようなことを考え、どのような活動をされているのかをうかがいました。

福島さんは、地球物理を専門に学ばれた後、一般企業に就職した後、教師に転職し、その後、長年にわたり、地学と情報を教えてこられたそうです。

その中で感じたことが、

「生徒にアウトプットさせなくてはいけない」

「いかに生徒をまきこむか」

ということだったそうです。

また、生徒指導を担当することも多かったことから、対話やコーチングの重要性を感じるようになり、セミナーに通ったりして、それらを学ぶようになったそうです。

学校でも責任ある立場にあった福島さんが、なぜ、教師を辞めて、Link and Createという会社を起業し、新しい活動を始めたのか?

それは、東日本大震災がきっかけだったのだそうです。

原発、東電、政府の対応・・・などを見ていて、「いち教師をやっている場合じゃない」と考えたとおっしゃっていました。

そして、学校という枠組みを超え、ワークショップなどの活動を通してメッセージを発信し始めました。

僕が、最近興味を持って勉強しているワールドカフェやOSTなどのホールシステムアプローチについても、福島さんは以前から実践されていて、ワールド・カフェ・コミュニティ・ジャパン(WCJ) 共同代表の大川恒さんとの共同でワールドカフェやOSTのワークショップも開催されています。

僕が、今、やりたいことを、何年も前から実践されていらっしゃるので、福島さんの存在が大変心強いです。

 

福島さんが、メッセージを伝えたい相手は、ずばり、「教師」です。

多くの教師と問題意識を共有し、いっしょに教育を良くしていくことのできる仲間を作り、渦を広げていきたいという思いが、福島さんから伝わってきます。

僕が、反転授業のグループを通して福島さんと知り合ったのは、この時期です。

社会を良くしようと考え、本気で行動する福島さんと接するうちに、だんだんと影響を受け、僕の行動も変わってきたように感じています。

 

その福島さんが、今年になって満を持して始めたのが「どんぐり教員セミナー」です。

お話をうかがうと300本の動画を作る予定だとか。

これだけの質と量がそろえば、教員セミナーのカーンアカデミーといえるものになるのではないかと思います。

福島さんは、この動画セミナーを作るために、高価な電子黒板を備えたスタジオを用意しました。

ここからも、福島さんの本気が伝わってきます。

早速、すごいペースで動画配信がスタートしました。

まずは、最初の動画を見てください。

1回の動画は、5分程度と短くまとめられているので、隙間時間を使ってスマホで見ることができるようになっています。

オンライン勉強会までに、反転授業の話まで進む予定だとのこと。

どんぐり教員セミナーを見てくることが、オンライン勉強会の「予習」になっていますので、3月26日までに見ておいてくださいね。

 

福島さんは、学習する組織で提唱されているシステム思考や、独自に考えられた異星人思考法などを駆使して、複雑に絡み合った社会の問題点を浮かび上がらせて、どこにどのように働きかければ効果が上がるのかを見つけていく方法論をお持ちです。

福島さんには、そのような方法論を通して、いろいろなものが見えているのではないかと思います。

動画セミナーは、「教育とは、そもそも何なのか」というところから話が始まり、非常に説得力があります。思考の枠組みがはっきりして頭が整理されます。

2つ目以降の動画は、こちらの再生リストからご覧下さい。

どんぐり教員セミナー再生リスト

 

 

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教育効果測定のプロ、堤宇一さんにインタビュー

インストラクショナルデザイン(ID)を用いて授業設計をするときの最重要点は、ゴールを明確に決めることです。ゴール到達への道筋を組み立てることがIDです。教育効果測定は、そのゴールに到達したことを客観的に判断するための方法論です。具体的にはデータを収集して評価を行います。ですからIDと教育効果測定は車の両輪の関係です。

そこで、教育効果測定のスペシャリストであり、『はじめての教育効果測定』『教育効果測定の実践』の著者である堤宇一さんにお話をうかがいました。

 

堤さんが、教育効果測定に関わることになったきっかけは?

 

(堤さん)もともとは、産業人を対象とした研修会社におりました。教育営業や通信教育のコンテンツの開発のマネージャーをやっていたんです。

 

あるとき、大手流通会社用に工夫を凝らした通信教育コンテンツを開発しました。受講者からの反応も良く、流通会社の人材開発担当者からも評価をいただき、教育効果も高かったと思います。しかし、その部署の部長が人事異動し、後任の新部長の一言で通信教育コースの継続が中止されました。その一言とは、「俺は通信教育が好きじゃないんだよね」でした。

 

これは、ちゃんと成果を証明しなくてはならないと強烈に感じました。キチンと効果を保証できる通信教育の開発技術を身に付けなくては駄目だと感じ、色々と探し回りました。そのようなときに、米島さんと出会い、CRI(Criterion Referenced Instruction)を勉強しはじめました。

 

学んだCRIを用いてコンテンツを作ろうと思ったら、通信教育事業部からアセスメント事業部(人の性格や能力を測定する部署)へと異動になったんです。

 

今まではコンテンツの作り方を勉強してきたけど、アセスメント事業部に来たんだから、測るということをやったらどうですかと言われて、教育効果を測るということをはじめたんです。

 

(田原)それは、いつごろですか?

 

(堤さん)1999年ですね。世の中がコンピュータの2000年問題で騒いでいたころです。当時は、教育効果を測定するなんていうことは、誰もやっていなかったし、世間一般には測れるものという考えが無かったです。

 

東京の八重洲ブックセンターで、当時の上司がジャック・フィリップス博士(教育効果測定の第一人者)の書籍(原書)を偶然見つけ、数名でこれを翻訳し、出版しました。その翻訳本を持って、ジャック・フィリップス博士に会いに渡米しました。ここから私の教育効果測定人生が動き出しました。

 

(田原)教育会社から日立総合経営研修所に移ったのは?どういう理由だったのですか?

 

(堤さん)ジャック・フィリップス博士とのネットワークを作り、また、日本に招いたりしました。教育会社で教育効果測定の事業化をプランニングしました。事業化計画は、最初、経営陣も乗る気でスタートしました。しかし段々と雲行きが怪しくなってきました。

 

パンドラの箱を開けることに恐れをなしたと言いますか、自分たちが提供している研修や通信教育が測定によって効果がないということになったらどうするだという話になったんですね。

 

総論は賛成なんだけど、各論になると反対する人が出てきて、教育効果測定の事業化は中止ということになったんです。

 

教育効果測定を諦める事が出来ず。現在私が勤務している日立総合経営研修所の当時の社長(定年退職後、個人で経営コンサルタントをやられています)に相談したんです。そうしたら、研修の品質管理をしないといけないと思っている。よかったら、うちに来るかとお誘いを受けたんです。

 

それで、2005年に日立総合経営研修所に移りました。

 

2003年頃より、教育会社で教育効果測定の事業化のために、専門家(コンサルタント、大学教授など)の方々と研究会を立ち上げ、活動をすすめていました。その中の数名の方から、せっかくここまでやったんだからNPOとして存続しようと提案され、そのことを日立総合経営研修所の社長にNPOを続けてもいいんだったら転職したいと相談してみたら、OKをいただいたんです。これが、転職とNPOを主宰するようになった経緯です。

 

それで、今は、サラリーマンとNPOの2足のわらじで行っているんです。

 

教育効果測定をする上で大切なことは何ですか?

 

(堤さん)教育をしていると効果を測りたくなるのが人情だと思うんです。私は企業のフィールドでやっているので研修が教育行為になります。教育効果測定が上手くできない最大の原因は、期待する効果を定義せず研修をスタートしてしまうことです。

 

私が講師を務める教育効果測定セミナーでは、効果を表す現象をグループで話し合っていただく演習を行います。そうすると、

 

・研修を受けてよかった

・資格が取れる

・スキルが身につく

・コーチングで部下のモチベーションが上がった

・売り上げ上がった

 

などといろいろな効果を示す現象が出てきます。

 

例を挙げて説明しますね。

研修が盛り上がるとか、議論が活発に行われるという現象を教育の効果だと思っている人材育成担当者もいます。教育は盛り上がることが目的ではありませんので、勘違いしている人が、少なくありません。この例は、研修の効果を明確にしていない典型ですね。

 

別の観点からもう一つ。

人材育成部署が「受講者がとても満足していました」と事業長や経営層に報告します。すると、「そんなのは効果ではないと報告された側が怒るわけです。経営者は、効果として業績上がることを望んでいたんですね。人材育成部門は「受講満足」を効果として研修を実施し、経営者は業績向上を期待して研修に投資をしたんです。それぞれはキチンと効果を定義しているんですが、組織全体として、今回対象になっている研修の効果を定義していなかったという事例です。

 

教育効果測定をするのであれば、最初に、何が効果なのかを明確にしなければなりません。

 

教育効果には、どのような種類があるのですか?

 

カートパトリックの教育効果のフレームワークというものがあります。世界で最も有名な効果を定義するモデルです。

 

レベルを1-4に分けます。

1 参加者が受けてよかった(研修の満足)

2 知識やスキルを狙い通り習得したか(ラーニング)

3 学んだことを実際に使っているのか、行動が変わっているか(行動変容)

4 組織業績に貢献したか‐売り上げ、CSが上がる、コストが下がる、リードタイムの短縮など(成果)

 

ID語られるテストは、通常、レベル2を意味しています。

学校や塾では、レベル3以上を求めることは少ないかもしれませんが、企業ではレベル3-4を求める傾向が強いです。

 

(田原)反転授業では21世紀型スキルも目標に入ってきます。コミュニケーションスキルやリーダーシップなどをどうやって測定するのかで困っている先生もいます。

 

問題演習で応用力をつけるということだけでなく、他の生徒とコミュニケーションを取るということや、他者性の獲得などもテーマになっています。

 

 

(堤さん)なるほど。数学の授業で数学の内容だけでなく、コミュニケーション能力なども伸ばしていこうというということになっているんですね。

 

本来、数学を学ぶというのは、狭義の意味では計算力を高めたり、公式を理解する事でしょうし、広義の意味では論理的思考力を強化することになると思います。それらと少し遠い関係のコミュニケーションやリーダーシップについても、数学の授業で身に付けさせようということですね。

 

授業というよりも、ワークショップみたいな学習方法になってくるんでしょうかね。

 

(田原)コミュニケーションやリーダーシップが学習目標になっているときは、ワークショップ型になる場合もあると思います。

 

(堤さん)IDは、教育工学として素晴らしい理論だと思います。けど万能ではありません。IDは体系化された知識を身につけさせる場合では非常に効きます。一方、一度決めたことは最後まで投げずにやり遂げる意志力とか、教室でたった一人になっても、いじめは断固反対を貫く勇気といった態度を強化する学習には強くない。苦手なジャンルといっても良いと思います。

態度強化の方法として、最近では、ゲーミフィケーションなどが活用されています。

シリアスゲームは、まさにその好例です。

 

※シリアスゲーム(Serious game)とは、エンターテインメント性のみを目的とせず、教育・医療用途(学習要素、体験、関心度醸成・喚起など)といった社会問題の解決を主目的とするコンピュータゲーム(エレメカも含まれる[1])のジャンルである。(出典:ウィキペディア)

 

ゲームの持つ強みは、競争させたり、成長を実感させたり、賞賛したりして、参加者を飽きさせない仕掛けです。また、参加者はゲームの主人公となり、その世界に没入し感情移入しやすいため、心に対して訴えかける力が特に強いです。企業では、ビジネスゲーム(模擬会社経営ゲーム)や飛行機の操縦シミュレーションなどにゲーム理論が活用されています。

 

ビジネスゲームは会社経営をリアルに再現し、学習者に会社経営の要諦を学ばせるツールです。ゲームの中で、うまく業績が出せこないと、工場を売却して雇用している200名の従業員の首を切って会社を存続させるわけです。ゲームだけど、自分の経営ミスが原因で解雇するという経験は、すごくいやな気持ちになる。IDで論理的に財務諸表の読み方や意思決定の仕方を学ぶより、ズンと心に響きます。経営者の責任の重さを痛感し、態度の強化につながりやすいのです。

 

IDは数学を数学のまま教えるのであれば、うまく適応するのだろうけど、数学を学ぶのを通してリーダーシップを学ぶという場合には、ゴールを再設定しなくてはならないです。再設定しないままで反転授業を取り入れても、反転授業の何を効果として測定していいのか分からないですよね。この当たりが効果測定をしたいけど一体どうすればよいのと感じる原因かもしれません。

 

 

学校と個人とでは評価の単位が違う

 

(堤さん)企業では、個人が一人で頑張ろうが、チームで頑張ろうが、他人のふんどしで相撲を取っていても、成果が出ればいいんです。プロセスよりも成果に重みが強いんです。

 

でも、学校はグループ全体で成果を上げても、最終的には、個人評価につなげないといけない。それもある分布に当てはめた評価にしなければならない。

 

協働の産物を関係者全員が納得できるように矛盾なく個人評価を行うことなんてできるんでしょうか。

 

協働とは、あるときは田原さんがリーダーで、別の場面では田原さんがフォロワーになるというようにダイナミックなものだと思うんです。動的に変化していく相互作用を精密に見極め個人評価を実施することは無理だと思います。

 

企業にもよる。同じ車の会社でも、セールスしているところなら個人にフォーカスできるけど、作っているところだと、タイヤのつけ方などにフォーカスしてもしょうがない。

 

(田原)なるほど。教育現場でも個人にフォーカスした評価だけでは限界があるかもしれませんね。

 

 他人の意見を取り入れる方法について

 

 

(田原)企業で重要視されている能力を、学校の中で重要視されていないのが問題だと考えている方もいらっしゃいます。

 

人のふんどしで相撲を取るというようなことを、できるようになって欲しいということだと思います。

 

たとえば、SNSに自分の意見を書き込んで、お互いに参照しながら、意見をさらに書いていくという国語の授業をされている先生がいます。そこでは、多くの人の意見を取り入れて、自分の意見をよくすることに取り組んでいるんですよ。

 

(堤さん)企業のシーンで解釈すると会議が、他人の意見を取り入れる場に相当すると思います。

 

だめな企業の場合

・議題がないままに会議がスタート。

・抽象的な話をする。

・組織内ポジションが高い人の一言で、結論が決まる。

 

一方、ちゃんとしている企業では、

・会議の発起人が、「こういうことで困っているから意見を下さい」と目的を明確にしてスタート

・参加者は平等な立場で参加

・発起人は、意見の採択を自由にできる権限を有するが、同時に採択した理由、しなかった理由を説明する義務も有する

 

ここで、目的に沿って取捨選択していくのが大切なんです。

言いたいことは、他人のふんどしを借りる側が、明確な目的や判断基準(軸)持っていないとダメということです。それらがない人は、色々な意見に迷うだけで、結局決められません。

 

(田原)会社だと、会議のルール作りがあって、メンバーにはどのような役割を会議で果たすべきかということが研修などで徹底されて、その元で会議が行われるのですか?

 

(堤さん)うまくいっている会社ではそうなっています。

 

会議にも種類があります。

・意志決定のための会議

・問題解決やアイディア収集のための会議

・情報伝達のための会議

 

会議にあわせて誰を呼ぶかも、開く人の権限として与えられています。

 

(田原)僕のように会社に就職したことがなくて、教育の現場で実践ベースでやっていると、そういうのに疎いんですよ。グループワークについても、見よう見まねでなんとなくグループでやってみよう!ということになっているので、IDとか教育効果とかを勉強して改善したいと思っています。企業には会議やグループワークのノウハウが蓄積されているのだから、教育現場でもそこからヒントを得られたらいいのではないかと思いました。

 

教育効果という分野は、注目されているのですか?

 

(田原)反転授業のFacebookグループをはじめて、最初はネットで講座配信している人たちでディスカッションしていて、その後、アクティブラーニングをやっている先生方と出あったんですよ。

それで、アクティブラーニングをテーマにオンライン勉強会をやったら100名くらいが集まって、みんなびっくりしたんですよ。アクティブラーニングをやっている人がこんなにたくさんいることに。

リアルの世界では、周りにやっている人がいなくて孤独を感じていた人も多かったみたいなんです。ネットを通してどんどんつながっていきました。

 

(堤さん)教育効果測定も同じですね。企業の人材育成の中でも、IDとか教育効果測定をやろうとしている人は、完全にマイノリティなんですよ。

 

私自身2000年くらいからどうにかしたいと思って教育効果測定に取り組みだしたんですが、最初は変わり者扱いでしたよ。

 

それが、今では、研修はやりっぱなしではダメ、効果を測定すべきであるという流れに様変わりです。時代の移り変わりを感じます。

 

NPO活動に参加くださる方々の多くは、自分の所属企業には仲間がいない状況です。NPOに参加して、自分がやっていることの正しさや意味を確認したり、ノウハウ交換したりして現場に戻っていくという状態です。反転授業のグループのお話と同じですね。

 

反転授業グループは、ネットだから場所を問わずに多くの方々が集まれますけど、私の場合はリアルな場ですから、勉強会への参加人数は20~30名です。反転授業のFacebookグループと根っ子は同じです。

 

(田原)リアルの世界では、数パーセントに過ぎない少数派の人が集まるには密度が低すぎるから、そういう人で集まって突破口を作るのには、ネットで集まるのが効果があると思うんですよ。今回、グループにIDや教育効果測定をされていた教育工学の方たちが合流して、3つの大きなグループ間での学びあいが始まったのだと思います。これから、どんな化学反応が起こるのか楽しみです。

 

今日はありがとうございました。

 

※Facebookグループの人数が1000名を超えました。どなたでも参加することができます。参加希望の方はこちらからお願いします。

※2月26日に実施される第6回反転授業オンライン勉強会で、堤さんがお話してくださいます。

無料申し込みはこちらから

無料で使えるLMS「edulio」のCEO、松野広志さんにインタビュー

反転授業を実践する場合、動画をどのようにして受講者に配布するのかという問題が出てきます。

簡単に行うのであれば、Youtubeに限定公開でアップし、URLを受講者に配布するということで実現できます。

Basic認証などをかけたホームページにYoutubeの動画を張っておけば、複数の動画を順番に見て学ぶこともできます。

しかし、このやり方だと、授業の数、受講者の数が増えてくると、会員管理の手間が増えてきます。このような場合に、LMS(Learning Management System)が必要になってきます。

実際、僕の運営する物理ネット予備校では、会員数が200名を超えたあたりから、LMSの導入を真剣に考えるようになり、2011年にシステム会社のサポートを受けながらMoodleというオープンソースのLMSを導入し、大幅にカスタマイズして使用しています。

2011年当時は、LMSの選択肢は少なかったですが、現在は、いろいろなサービスが出てきました。その中の1つであるedulioを提供している株式会社マイデスク社長の松野広志さんにお話をうかがいました。

ナガセでの経験がeLearningの可能性に目を向けるきっかけに

はじめに、松野さんが教育事業に取り組むきっかけについてうかがいました。

松野さんは、大学を卒業後、東進グループの母体である株式会社ナガセに入社。そのときの経験が教育事業に取り組むきっかけになったのだそうです。

松野さんが当時、東進ハイスクール長野校で目にしたのは、

「ブースに来て、倍速再生でDVD講義を見て、さっさと帰る受験生たち」

その学習効率の高さに驚き、同時に、これが、これからの勉強の主流になってくるはずだと感じたのだそうです。

2000年頃のナガセは、直営の東進ハイスクールを減らし、フランチャイズの東進衛星予備校を増やしていました。

そこには、

有名講師の動画講義+現場でサポートするフランチャイズの塾長

という組み合わせがありました。

これは、反転授業にもつながる組み合わせです。この組み合わせの有効性が、2000年当時に、ナガセにおいて強く認識されていたというのは非常に興味深いです。

そこで、どんな塾長だとうまくいきやすかったのかということを質問してみました。

すると、面白い回答が返って来ました。

「自分で科目を教えられる塾長よりも、むしろ教えることのできない塾長のほうがうまくいく場合が多いと本部から聞いています。」

え??? それは、なぜですか?

「売上げ上位の衛生予備校の塾長は、教えたことがない人が多かったそうです。生徒はカリスマ講師の授業を受けに来ているのに、教えられる人は自分で教えようとしてしまう。すると、そこがボトルネックになってしまって生徒数の上限が決まってしまうんです。一方、教えたことのない人は、本部の言うとおりに教材の力を信じてやるんで、うまくいくんですよ。」

なるほど。

「ナガセの社長が、社員やフランチャイズの前で話すことがあるんですけど、そのときに、『せっかく予備校に来てくれているんだから、とにかく生徒を褒めなさい』と言っていました。」

この話を聞いたときに、思わず、ポンと膝をたたきたくなるような気持ちになりました。

ナガセが躍進した秘密の1つを見たような気がしました。

一流講師の動画講義を倍速再生で見る受験生。彼らをほめてモチベーションを上げるフランチャイズの塾長

これが、ナガセが見つけた形だったのか・・・・。

僕の経験でも、動画講義だけでは勉強が続けられない人がたくさん出てきます。

でも、encourageしてくれる人が身近にいると、勉強が続けられるようになるのです。

「身近でengourageしてくれる人」の重要性は、いろいろな人が言及しています。

スガタ・ミトラ氏の自己学習環境 SOLE でも、「Webを使った探求型の学習+スカイプでengourageしてくれるボランティア」が必要条件として入ってきます。 eboardの中村さんのビジョンにも、「eboard+はげましてくれるおばちゃん」で学びの環境を作ろうという話が出てきました。

ナガセも「身近でengourageしてくれる人」の重要性に着目していたという話は、とても興味深かったです。 松野さんの話は、さらに続きました。

「だから、今、eLearningのモチベーションの問題とか、孤独感とか、いろいろ言われているじゃないですか?そういうのを聞くと、一瞬、すでに議論しつくされたことのように感じてしまうんですよ。でも、よく聞いてみると、少し違うんですよ。古くて新しいというか。今は、Webが使われているから面白い。だから、一瞬、「わかっているよ、そんなこと」と思いそうになるのを自制して、いやいや、ちゃんと聞こうと思うようにしているんですよ。」

これは、ナガセで当時のeLearningの最先端を見てきた松野さんの実感なのだと思います。

現在は、ナガセで議論されてきたようなことに、Webというツールが加わり、らせんを描いて1ピッチ上の位置に来ているのではないかと思います。

当時、課題となっていたことを明確にして、それをWebで何かできないのかと考えていくようなことも有効かもしれないと思いました。

松野さんは、ナガセを退社後、IT会社に転職し法人の人事システムや給与システムの開発に関わり、その後、株式会社マイディスクを起業し、教育系のWebサービスを始めました。

教育系のサービスを始めたベースにあったのは、ナガセでの経験から得た、「いずれ、これが当たり前の時代が来る」という確信だったそうです。

edulioの特徴

edulioのHPに行くと、

「無料で使えるオンラインスクールシステム」

という文字が真っ先に目に入ります。

いったいどんなビジネスモデルになっているんだ???

ということが気になり、その疑問を率直にぶつけてみました。

(松野さん)edulioは、無料プランと有料プランとがあり、無料プランには広告が入りますが、有料プランには広告が入らないなどの違いがあります。

その他、無料プランには、HDディスクの容量が1GBまで、ユーザー数が100名までという制限や、一斉メール配信、一括データ更新、サポートなどに違いがあります。サーバーへの負荷が大きくなるものについては、有料にしています。

有料プランも、僕の感覚では、この機能でこの価格は安いと思うんですが、いかがですか?

(松野さん)新しい技術に挑戦することで、もっと安くできると思っています。値段を下げるだけでなく、同じ値段のままでも質を上げていくことで、より多くの付加価値を提供できることになると思います。

なるほど。これは、どういった人がターゲットになっているのですか?

(松野さん)edulioは、ITリテラシーが低くても使えるシステムを目指しています。ターゲットは、ITに自信がないけどオンラインスクールをやりたい人ということになります。

そのために、eラーニングの標準規格であるSCORMに準拠するのをやめています。SCORMに準拠しようとすると、Flashで作らなければならないなどの制約が出てきて、作りたいシステムが作りにくいので、準拠するのをやめました。

edulioでは、会員管理ができて、ビデオなどをUPできて、テストが作れて、進捗が見れてということで、基本的な機能が揃っていますよね。ビデオの形式はmp4ですか?

(松野さん)はい。mp4ですね。違う形式のファイルをUPしてeduliioのサーバーが変換することもできます。でも、実際には、そういう使い方をしている人はほとんどいなくて、PCで変換してからアップしている人が多いです。そのほかにYoutube連携などもできます。

どんな方たちがサービスを使っていますか?

(松野さん)大学のゼミとか、資格試験系とか、会社の研修とか、いろいろです。大学のゼミとかだと、広告が入っても問題ないので、Youtube連携をうまく利用して、無料プランのまま使っていたりしますね。

あとは、研修会社とかでも、本当に肝心なところの動画だけシステム内に入れて、あとは、YoutubeにUPされている外部のコンテンツを利用しながら運営しているところもあります。

なるほど。これからの教員や講師は、授業力よりも、学習を設計する力が重要になってくるといわれていますが、まさに、そういうことが行われているんですね。世界中に、本当に様々なコンテンツが無料で溢れているので、それらを学習者に合わせて配置して、学びの場を創って、学習者のモチベーションを上げていくことで、それで簡単にオンラインスクールを作ることも可能なわけですね。

テストシステムもありますが、これは、どのような使い方をされているんですか?

(松野さん)面白い使い方をしている方がいて、資格試験対策をしている方なんですが、同じ時間に時間を決めてテストをやるんです。そうすると、リアルタイムで各問題ごとの正答率が分かりますから、テストが終わってからオンライン解説をするときに、全員正解の問題は飛ばして、正答率が悪かったものを中心に解説していくから、効率の良い解説授業ができるんです。

edulioは、今後、どのように進化していく予定ですか?

(松野さん)コミュニケーションツールが重要だと思っています。講師と生徒、生徒と生徒のコミュニケーションが取れるような仕組みを入れていきたいと思います。

最後に、ちょっと意地悪な質問をしてみました。

オンラインスクールを運営している経験からすると、オンラインスクールで収益を上げていくための重要度としては、マーケティングや集客が7割で、講座やインフラが3割というイメージを持っているのですが、いかがですか?

(松野さん)それは、本当にその通りなんですよ。コンテンツだけアップしても運営はうまくいかないので、集客に力を入れる必要があると思います。だからこそ、システム部分にはできるだけ簡単にしてパワーを使わずに、集客にパワーを使えるようにしてもらいたいです。

edulioは、無料プランでも実用に耐えるレベルで使えるし、インターフェースが分かりやすく、直感的で簡単に使えます。

アプリやスクリーンキャストソフトで講義をつくって、Youtubeに限定公開でアップして、そのリンクをedulioに貼ってコースを作り、内容に合わせたテストを作っていくというやり方なら、ITが苦手な人でも簡単に講座配信ができるシステムだと思いました。

インタビューに回答してくださった松野さん、ありがとうございました。

無料のオンラインスクールシステム-エデュリオ

反転授業勉強会 登壇者紹介:井上博樹さん

「反転授業の研究」の田原です。

今日は、1月27日に実施される反転授業オンライン勉強会でお話してくださる、eエデュケーション総合研究所有限会社の井上博樹さんをご紹介します。

僕が井上さんにお話をうかがいたいと思ったのは、Facebookグループへの書き込みを見たのがきっかけでした。

LMSやeラーニングについての圧倒的な専門知識をベースにした大量の書き込みに圧倒されました。

せひ、お話をうかがって、いろいろと教えてもらいたいと思い、スカイプでお話をうかがいました。

井上さんは、有料のLMSとしては世界一のシェアを誇るBlackbord社に就職され、アメリカに渡り、開発に関わっていたとのことで、当時のアメリカの状況や、BlackboardやMoodleの位置づけなどについてお話してくださいました。

井上さんの話の中で、興味深かったのは、

「15年前にアメリカで起こったことが、日本で起こっている」

という言葉でした。アメリカでは、インターネットをどうやって教育に利用するかということが、ずっと考えられていて、その延長線上としてLMSなどの開発もされいているというお話でした。

井上さんの話をうかがっていると、「教育の理不尽なところを、ITによって解決していくんだ」という姿勢が、貫かれているように感じました。

井上さん本人もMOOCsで学ばれていて、MOOCsで学べるようになれば環境に作用されずに大きなチャンスをつかめるようになると実感されたのだそうです。

そして、英語の講義を受講できる力を養成するためのアプリの開発をしたり、インターナショナルスクールの学生にアドバイスをしたりしているそうです。

そのパワーが、いったいどこから沸いてくるのか?

それをうかがい知るきっかけとなる投稿がFacebookにありました。

→ FBグループ「反転授業の研究」の投稿が熱い!

一連の投稿で、井上さんが子どものころにどのような学習体験をしたのか、そこから、どのようにして現在へ至ったのかを知ることができました。

専門的な知識と、熱い思いを兼ね備えた井上さんの話をうかがうのが楽しみです。

 

井上さんは、1月27日(月)の反転授業オンライン勉強会でお話してくださいます。

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パフォーマンス・インプルーブメント・アソシエイツ代表の米島博司さんにインタビュー

1月27日に反転授業オンライン勉強会でお話いただく米島博司さんにお話をうかがいました。

反転授業を設計するために、現状分析と目標、目標への到達を測定する方法を決め、システマチックに学習をデザインするインストラクショナル・デザインの知識は、非常に有効だと思います。

そこで、長年、インストラクショナル・デザインに関わっていらっしゃる米島さんに登壇をお願いしました

米島さんは、前職のNEC時代に、日本の企業で最初にインストラクショナル・システム・デザイン(ISD)やインストラクショナル・デザイン(ID)を導入し、それらを用いて社員や技術者のトレーニングを設計されていた方です。IDの概要をお話いただくのにぴったりの方なので、勉強会の一番最初にお話いただく予定です。打ち合わせを兼ねて、お話をうかがいました。

はじめに、インストラクショナル・デザインの概要からうかがいました。

(米島さん)人のパフォーマンスを実現・改善するためには、いろいろなやり方があります。スキルレベル、人レベル、組織レベルといった3つの階層があって、インタラクショナル・デザインはスキルレベルのパフォーマンスを改善する一つの手段です。組織レベルではトータルマネージメント、人レベルではパフォーマンステクノロジーなどがパフォーマンス改善のために使われます。

教育は人のパフォーマンスを実現・改善するためのいくつもある手段の中の1つです。

IDは、いつごろから始まったものなのですか?

(米島さん)10数年前に日本でeLearningブームがあり、それに1年くらい先立ってIDのワークショップなどをはじめていました。eLearningブームっていうのは、「ネットを使ってWebベースの教育やトレーニングをやろう」というもので、どちらかというとe-learningのプラットフォームを売ろうというベンダー主導型のものだったんですが、実際に使う場合、コンテンツ、すなわち教材の中身の設計をどうするかと言った、ソフト的なノウハウに注目が集まり、IDとかISDとかが普及し始めるようになりました。

米島さんは、どのようなきっかけでIDと出会ったのですか?

(米島さん)お恥ずかしい話で、私が見つけたわけではなく、お客さんに教えてもらいました。20年ほど前に、NEC時代に、電話の交換機を海外に輸出していて、そこで海外の技術者さんに対してオペレーションのトレーニングをやっていたんです。

そのころ、取引していたお客さんから、「ISDというものがあるんだけど、NECさんは知りませんか?」と言われてあわてて調べたのがきっかけです。

それで、自分たちのやっているトレーニングを見直して、ISDで設計しないとまずいだろうということになり勉強し始めた訳です。

日本では、ISDを取り入れているところは他に見当たりませんでしたので、海外からISDの専門家のコンサルタントを呼んで学んだり、米国のコンサル会社と提携してISD教材を日本語化したりしました。

そのころ、アメリカン・ホンダでは、全米ディーラー向けのトレーニングをバリバリのISDで開発していて、「東京本社ではISDでトレーニングやらないのか?」ということを言われていたらしいんです。私たちがISDの教材を日本語化しているという情報を、私たちの提携先の米国のコンサル会社からアメリカン・ホンダが聞きつけて「日本ではNECがISDをやっているらしいよ」ということを言ったらしいんですね。それで、ある日突然、日本のホンダのトレーニング部門の方から電話が入り,「ISD教材を日本語化されていると聞いたので、早急にワークショップをやって欲しい。」と言われ、「ええっ、何でホンダさんが知ってるんだ?」と皆で驚いたというエピソードがあります。

そういうことがあり、それじゃ、私たちのところだけでやっていたらもったいないから国内の他の企業のみなさんにも自分たちがISDを紹介しようということで、ワークショップを初めました。

日本でISDやIDは、どの程度広まっているのですか?

(米島さん)企業レベルだとある程度は広まっているけど、大学では部分的に、高校以下はまだほとんどといった状況ではないでしょうか。

日本での唯一のオンラインの大学院である熊本大学の教授システム学専攻教授の鈴木克明さんは、当時からのおつきあいですけど、「日本には、あまりにもIDがない。」と嘆いていました。

現状は、eLearningは企業も大学も学校も当たり前みたいになりましたが、実際に教育の中身、ソフトの設計は、企業も大学もまだまだです。

個人的には、日本の教育システムは硬直化していて、このままでは欧米にとてもじゃないけど追いつかない。

そういうときに、田原さんとかが一生懸命取り組まれていて、反転授業というものが入ってきて、学校の先生とか、みんなが興味を示している。反転授業は1つの形態であって目的じゃないけど有効なツールだと思います。

これをきっかけに授業をどのように設計するのかを考え、ISDに興味を持って入ってきてほしい。反転授業が、そのためのよいきっかけになるんじゃないかと、喜んでいるところです。

僕も反転授業はきっかけで、この機会に良いやり方がないか探求してみようというよい機会だと思っています。僕自身も、これまで教授法などについて勉強してこなかったのですが、反転授業に興味の持ち始めて、いろいろ調べていったらIDに行き着きました。授業をどのようにデザインしたらいよいのかを考えると、自然とIDと出会うんじゃないでしょうか。

(米島さん)日本からアメリカなどを見ていると、表面的には、eLearningとかflipped learningとかが、海の上の波の動きとして見えるのですが、文化的なこととかを言うと、キリスト教、実存主義、プラグマティズムという文化の底流のところにIDという基本的な考えがしっかりある。

表面の波の動きだけを見ていると、底流のところが見えないのですが、底流を踏まえて教育をシステマティックに考えなくちゃいけない。

フォーマルラーニングをきちんと作るのであれば、IDとかISDで設計しなくてはならない。

インフォーマルトレーニングとか、最近流行の状況的学習論とか、そういうものもあるし、そういうのは、別のプロセスで考えるから、複合的に捉えなくちゃならない。

僕のように現場で教育をやってきた人間にとっては、そもそもIDという考え方を持っていない。反転授業を考えるときに、思考のツールとして、IDの考え方があるということを共通認識として持ってたほうがよいと思うのですが、どうでしょうか?

(米島さん)ISDは万能なツールではないけれど、目標とか目標に達したかどうかとか、教育や研修の本当に基本的な重要な概念が入っているので、ISDを勉強することは役立つと思います。

 

米島さんにお話をうかがって、ISDやIDが、なぜ、重要なのかが分かってきました。反転授業オンライン勉強会が楽しみです。

 

米島さんは、1月27日(月)の反転授業オンライン勉強会でお話してくださいます。

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自治医大の淺田義和さんにインタビュー

2月の反転授業オンライン勉強会でお話してくださる予定の自治医大の淺田義和さんにインタビューさせていただきました。

淺田さんのことを初めて知ったのは、Facebookグループ「反転授業の研究」での自己紹介でした。

—— ここから引用 ——-

みなさま、はじめまして。自治医科大学の医学部、メディカルシミュレーションセンターに勤務しております、淺田義和です。

元々は工学部出身で安全工学をテーマに扱っていたのですが、安全→医療安全→医療安全のためのシミュレーション教育→教育手法→成人教育、インストラクショナルデザイン、eラーニング というような流れで、現在は

・シミュレーションセンターでの業務(心肺蘇生講習のインストラクション、教育の質評価、シミュレータの開発、etc.)
・医学教育センター(eラーニングやeポートフォリオを主体)

といったあたりをメインの仕事として抱えております。
※現在、熊本大学の教授システム学専攻でも科目等履修生として学んでいるところです。

反転授業の形式については、授業にeラーニングを取り入れるようになり、単なる宿題(復習)としてのeラーニングだけでなく、「授業の予習的なeラーニング+教室では実践演習」というような形式を実践できるよう、関心を持ち始めています。

特に医学部の場合、シミュレーションのような実習を伴う形式も必要になるので、知識の取得は予習としてeラーニングで、授業時間(教員がいて、器材が使える時間)は少しでも多く実践に・・というような配分を行うにもいいかな、と感じているところです。

また、「反転授業」という視点とは少し変わるかもしれませんが、大学生レベルの教育になってくると、「教える」ことよりも「学ばせる(自ら学んでもらう)」ことを促進するために、どうやっていけばよいか・・というあたりも、現在の課題の1つです。

よろしくお願いいたします。

—– 引用ここまで —–

この自己紹介を読んだときに、

「医学部でシミュレーション???」

と、ちょっと混乱しました。理工学部出身の僕にとっては、シミュレーション=コンピューターシミュレーションという印象が強く、

「コンピューターシミュレーションの教育を医学部でやっているのか?」

と誤解してしまったのです。それで、質問すると、医学部では、下の画像のような人形を使って心肺蘇生トレーニングなどを行っていて、それを、シミュレーションと呼ぶのだということを教えていただきました。

こちらから画像をお借りしました

淺田さんは、授業をするために心肺蘇生トレーニングの講習を受けたときに、その講習でインストラクショナル・デザイン(ID)が使われていたのをきっかけに、IDに興味を持ち始めたのだそうです。

そして、IDを学ぶために熊本大学大学院教育システム学専攻の科目履修生になり、『教材設計マニュアル』の著者でもある鈴木克明教授の講座でIDを勉強されているそうです。

 

先日、お話をうかがった北九州市立大学の山崎進さんに続いて、鈴木克明教授の名前が登場し、いよいよ、僕も、『教材設計マニュアル』で勉強したいという気持ちが強まってきました。

この講座は、すべてeLearningで学ぶことができるので、教育業界で働いている人が、働きながら学んでスキルアップをすることができます。

熊本大学の教育システム学の講座について、淺田さんに感想をうかがったところ、

「僕が、大学院に通っていたときに出された課題と比べても、課題の内容が重いので社会人経験とか、仕事で教育やっているとか、そういう人じゃないと厳しいかもしれません。」

とのこと。逆に、ある程度、実践した経験がある人であれば、その経験に照らしながら、深く学べるということかと思いました。

 

ここまで話していて、僕には、素朴な疑問がわいてきました。

「自分は、一応、教育業界で20年近く働いてきて、eLearningの仕事も10年近くやってきているのに、どうして、これまで、IDというキーワードに出会わなかったのか?」

という疑問です。この問いを、淺田さんにぶつけてみました。

淺田さんは、

「自分も2010年に自治医大に入り、冬にIDのことをはじめて知ったけど、それまでは、知りませんでした。まだまだ認知度が低いと思います。反転授業などをきっかけに、新しいやり方を探すと、そのときにIDに出会うのだと思います。」

と言っていました。

昨日、教育工学に詳しい別の方にお話をうかがう機会があり、その方にも同じ疑問をぶつけてみると、

「日本には、教育学と教育工学の間に深い谷があるんですよ。」

という答が返ってきました。それを聞いて、自分が探していた答が見つかった気がしました。

生物物理学会に所属していた僕は、当時、生物学会との間の深い谷の存在に嘆いていたので、その言葉の意味がよく理解できました。

反転授業のように、予習、テスト、授業を効果的に組み合わせる方法を探る場合、IDの方法論は、おそらくとても役立ちます。

組織の間に横たわる谷を、個人レベルでネットでつながって、どんどん超えていく機会を作ろうという気持ちが強まってきました。

 

次に、淺田さんの実践について、具体的にうかがうことにしました。

淺田さんは、IDを用いている講義を2つ紹介してくださいました。

1つ目は、心肺蘇生シミュレーションの講座です。

人形を使ったワークで、触ったり、体を動かしたり、スキルアップしたりということにできるだけ時間を使いたいということで、講義部分は予習として各自にやってもらうという反転形式で行っているそうです。

実習では、学生は最初から実習に入り、チェックリストを手に持って、実習項目をクリアしたらチェックを入れていくというやり方で進めていくのだそうです。クリアしたかどうかは、人形に判定機能があったり、インストラクターが横で確認したり、ということで判別されるとのことでした。

学生は、予習してこないと実習が進められないので、ちゃんと予習してくるとおっしゃっていました。

 

2つ目は、大学1年生向けのIDについて教える講座です。

こちらの事例では、どのようにIDを使って講座を設計したのかを、詳しくうかがいました。

まず、IDとは何か?こちらの図をご覧下さい。

こちらから画像をお借りしました。

授業を設計するときには、最初に、

①出口(目的)
②入口(現在地)
③出口への到達をどうやって調べるか

という順に考えるのだそうです。

淺田さんは、講座の目的を、

「医学部の学生は、将来、いろいろなところで教える側に回るので、自然な形で教え方を学んでほしい。それから、そのやり方を、自分の学習にも利用できるようにしてほしい」

と考えていて、「教えあう・学びあうというやり方があることを知り、使えるようにする」ということを出口に設定したのだそうです。

そして、入口については、「これまで、授業と言えば9割以上は座学という経験をしているはずなので、『授業=座学』だと思っているというのが、スタートラインです」とおっしゃっていました。

この入口と出口の間のギャップをつなげるために、どのように学習をデザインするかが、インストラクショナル・デザインだということのようです。

出口への到達度のチェックとしては、Moodle上の小テストとレポート課題によって測定したのだそうです。レポート課題のテーマは、「他の授業をID的に分析して、ここがよかった、ここが悪かった、自分ならこうしたいといった意見を書け」というもので、レポートを読んで、淺田さんはある程度の手応えを感じたとのことでした。

次に、IDの用語に当てはめながら、淺田さんがどのように授業を設計したのか、うかがっていきました。

【ニーズの分析】学生は、効率的な教え方、学び方を知りたいと思っているはず。

【デザイン】何もないところからはじめるよりも、自分の体験を思い出させたほうが導きやすい。

「大学に入るまでに楽しかった授業、つまらなかった授業を挙げよ。」

【開発】授業でやるともったいないから、Moodle上に自分の体験を投稿してもらう。→ Moodleの設定

【実装】授業の最初に、Moodleの投稿を吸い上げて、学習意欲がどのようにして出てくるのかを話す。そのときの学習者に合わせてオーダーメイドで授業を作ることができる。その後、クリッカーを使ったり、4-5人でディスカッションさせたりする。

【評価】Moodle上でのチェックテストと、課題レポート「他の授業をID的に分析して、ここがよかった、ここが悪かった、自分ならこうしたいといった意見を書け」によって、IDが使えるようになっているかを見る。

IDの一般的な説明を読んでも、IDとは何かがピンとこなかったのですが、淺田さんの実践例を当てはめながら、淺田さんの思考過程をたどっていくようにすると、だいぶ分かりやすくなりました。

最後に、淺田さんが、授業を設計する上で、工夫している部分は何かをうかがいました。まずは、予習について。

「大学生に予習させようとする場合、何も工夫しなければ、やってこない人はやってこない。だから、最初は、『予習してこないと成績が下がるよ』と言ったりして、半強制的に予習させて、授業の開始3分後に予習確認のための小テストをやる。そして、予習をやってよかったと思えるような授業をしてあげる。」

この流れは、なるほど!と思いました。さらに・・

「僕は、学生が寝たいと思わない授業をしたいと思っています。寝たら損すると思ってほしい。学生に受身に聞かせっぱなしにしないで、クリッカーつかったり、学生同士の対話を入れたりして、最後の3-5分くらいには、授業の感想文を書かせて、それを、次の授業の最初に紹介しています。」

淺田さんは、予習のMoodleの投稿にもコメントを入れたりしているそうなので、オンラインや、感想文を通して、学生とのコミュニケーション頻度が多いんですよね。自分のコメントや感想文を授業で紹介してもらったりするのも、モチベーションが高まる効果があると思いました。

「学生の好奇心を刺激して、おもしろいと思ってほしい。今まで意識していなかったことが意識できるようになると、それっておもしろいよねーっていう感じです。」

最初に、ちょっとだけ強制を入れて予習させて、予習してよかったと思える授業をして、授業の中で好奇心を刺激して、最終的には、講義内容の面白さを伝えるところまで持っていく・・・この一連の流れが論理的に考えられているところが、とても興味深かったです。

淺田さんのお話をうかがって、インストラクショナル・デザインの重要性、有効性がよく分かりました。

そして、まずは、自分自身がIDを学んで実践に生かし、その有効性を自分の実践例、自分の言葉で伝えていきたいと思いました。

 

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