45名によるオンラインでの学び合いが未来への扉を開ける

「反転授業の研究」の田原真人です。

昨日(2015/11/19)から、反転授業の研究が主催するオンライン講座「ファシリテーション&コーチング講座」が始まりました。

僕は、過去7回の講座では、ずっと運営をやってきたのですが、今回からはプロデューサーに回り、運営をお任せすることにしました。

その理由は2つあります。

1つは、「反転授業の研究」のオンライン講座が、価値創造から価値提供のフェーズに入ったと感じたからです。

ビデオチャットなどのテクノロジーは、すでに世界を繋いでいるのに、人間の心は、まだ分断されたままです。

人間の心を繋げていくのはテクノロジーではなく、「人間らしい暖かい場」なのではないかと思います。

オンラインに「人間らしい暖かい場」が数多くできることで、遠く離れた人同士が信頼関係を結び、協力できるようになっていくのではないでしょうか。

僕達は、集合知によって「人間らしい暖かい場」をオンラインに創ることができるようになりました。そのノウハウを、多くの人に伝えていくことに、大きな価値があると感じています。

これからの僕の役割は、「反転授業の研究」のグループを、想いを同じくする他のグループや個人と繋ぎ、コ・クリエーションが起こる状況を作り出していくことなのではないかと思いました。

もう1つは、運営チームだけでも、十分に講座の運営ができるようになってきたと確信したからです。

特に、これまでのほとんどの講座に、受講者や運営チームとして関わってきている松嶋渉さんと倉本龍さんは、僕以上にオンライン講座のことを理解しています。僕が運営から抜けることで、更なる学びのチャンスを運営チームにもたらすことができると感じました。

実際に、昨日のセッションを見ていて、運営チームが大きな生き物のように有機的に動いてオンラインの場を創っているのを見て、その確信はさらに強まり、ただただ、感動していました。

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これまでになかったインタラクティブなオンライン講座

現在行われているオンライン講座と、私たちのオンライン講座の違いは、どこにあるのでしょうか?

代表的なオンライン講座と比較してみましょう。

MOOCs

講師の講義ビデオを視聴し、課題を提出。講師と受講者との間の交流は無し。受講者同士は、ディスカッションフォーラムで交流

Schoo(スクー)

講師の講義をライブ配信し、受講者はチャットボックスに書き込む。講師と受講者との間にインタラクティブな関係がある。

反転授業の研究のオンライン講座

  • 受講者は、Moodleにログインし、自己紹介などをフォーラムに投稿し、相互にコメントし合う。
  • リアルタイムセッションの前半では、講師が講義を行い、受講者はチャットボックスにコメントを書きこむ。
  • リアルタイムセッションの後半では、受講者はグループに分かれ、ビデオチャットで演習を行う。
  • 振り返りや課題をMoodleのフォーラムに書き込んで共有し、相互にコメントし合う。
  • 雑談ルームで、運営チームや受講者同士で交流し合う。

今回は、31名の受講者が8グループに分かれて同時にグループビデオチャットを行い、14名の運営チームがそれを支えています。

大きなホールがあり、前に講師とファシリテーターがいて、ホールのあちこちに腕章をつけたスタッフがいて、ホールの中に8個のグループができていて、ファシリテーターの合図でグループワークが始まる・・・・。

そのような光景は、リアルのワークショップではよく見かけるものだと思いますが、それを、オンラインで実現しました。

online-hall

このようなオンライン講座ができるようになったことで、大きな可能性が目の前に広がったと感じています。

また、その興奮を受講者と運営チームの45名で共有できたことで、新しい可能性が、今後生まれてくるように感じています。

どのようにしてオンライン講座が生まれたのか?

これまで、オンライン講座を運営していく中で、たくさんのチャレンジをしてきました。

無料のオンライン勉強会では、失敗覚悟で大きなチャレンジをし、それを手掛かりにして、有料のオンライン講座を進化させてきました。

一緒にチャレンジしてくれた、「反転授業の研究」の皆さんのおかげで、一歩ずつ足元を踏み固めながら、道を作ってきました。

 

その中で、大きな転機になったのは、「運営ボランティア」という制度を取り入れたことです。

オンライン講座ももっとオープンに、もっとフラットにしたいと思い、思い切って運営ボランティアを取り入れました。

また、受講者全員に「オンラインワークショップ運営の手引き」をプレゼントするようになりました。

オンライン講座の受講者の中から運営ボランティアを募集し、毎回、10名前後の運営チームが結成されるようになりました。

2-3人ではできないことが、10名いるとできるようになります。

2-3人で考えるよりも、10名で考えたほうがアイディアもたくさん出てきます。

オープンにすることで、多くの人が協力してくれるようになり、運営チームの進化の速さが、一気に上がりました。

毎回、新しいことにチャレンジし続け、ノウハウを蓄積していき、集合知によってできることがどんどん増えてきました。

 

この講座が終わるころには、オンラインの場つくりを体験したファシリテーターが45人存在していることになります。

45人が、それぞれ、オンラインで場つくりをして、勉強会などを企画して行ったら、学び合いの渦がどんどん広がっていきます。

テクニカルサポートなどが必要なときは、仲間の誰かが手伝いに行きます。

解決したい課題があったら、オンラインで集まって対話して、集合知を発生させて、解決していきましょう。

可能性は無限大です。

その扉が、昨日、開きました。

わくわくが止まりません。

 

 

教室を外に繋いでいくことが簡単にできる時代がやってきた

「反転授業の研究」の田原真人です。

この1ヶ月間で、オンラインコミュニケーションについていくつかの新しい経験をしました。

その経験を通して、確実に自分の意識が変化してきているのを感じています。

オンラインの場創りの可能性は無限だということを、改めて感じています。

今年になって出会ったZoomというビデオチャットは、接続が簡単で、画像や音質もクリアなので、本当に簡単に繋ぐことができます。

Zoomの使い方はこちら

テクノロジーの発展により、遠隔地と簡単に繋ぐことができるようになると、ハードの問題は小さくなり、人脈とプロデュース力というソフトの部分が重要になってきますね。

僕の意識を変えたいくつかのチャレンジについて紹介したいと思います。

ホームルームでキャリアについて話しました

立命館守山高校の倉本龍さんから次のようなメッセージをいただきました。

田原さん、10/29(木)10:30-11:30頃って時間ありますか?うちの生徒とディスカッションorぼくらのディスカッションを見せるイベントをできないかと思っています。

学内の成績を上げることに気持ちが向きすぎていて、学ぶことを狭く感じている生徒たちに僕のキャリア形成を紹介することで、いろんな道があるのだということを教えたいということでした。

30分間くらい僕が話した後、福岡から和田美千代さん、大阪から平野貴美枝さんが加わり、倉本さんも加えた4人でディスカッションし、生徒からの質問も受け付けるというイベントでした。

倉本さんがZoomのルームを立て、3人が、オンラインで立命館守山高校の教室を訪問しました。

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このイベントの面白いところは、繋がっている4カ所のうちの1つが教室という「場」であるというところです。

個人の場合は、自分から繋がろうという意志がないとオンラインの場に繋がらないですが、「場」に繋いでしまうと、そこにいる人は、本人の意志と関係なく、いきなりオンラインの場に繋がってしまい、オンラインの場を体験してしまうのです。

倉本さんのクラスの生徒さんは、何の準備もなく、それを体験することになりました。

また、このような企画をすぐに実現できるのは、倉本さんがオンラインでアクティブに活動することで遠く離れた人たちと信頼関係を紡いでいるからですね。

この試みの詳しいレポートはこちら → 立命館守山高校でオンライン・キャリア教育

教室などのリアルの場と個人をオンラインで繋ぐ

という組み合わせには、これまでになかった大きな可能性を感じました。

ホーチミンと仙台のカフェ同士を繋いでみました

11月7日、8日でベトナムのホーチミンに行ってきました。

ホーチミン工業大学で反転授業についてのプレゼンをし、その翌日に、「反転授業の研究」でもおなじみの組織コンサルの鈴木利和さんに紹介してもらったコミュニティカフェKarappoを訪れました。

そこは、日本語教師の矢野周平さんと高橋遼が経営しているカフェで、お二人は、日本語を学習するベトナム人と、ベトナム在住の日本人とを繋ぐ場にしたいとおっしゃっていました。

矢野さんは、

教師が場をコントロールするのではなく、そこで交流する人が自然と繋がり、学び合えるような場にしたいから、お店の名前はKarappoなんです。

とおっしゃっていました。「反転授業の研究」で、コミュニティでの学びを経験している僕は、矢野さんの言葉に共感しました。

3人でオンラインの可能性について考えているときに、Karappoと日本のどこかを繋いだらどうだろうかという話になりました。

日本語を学んでいて、いつか日本に行ってみたいと思っているベトナム人にとって、PCの画面が日本に繋がっていて日本語ネイティブスピーカーに学んでいる日本語で話せるのはエキサイティングなことなんじゃないか!

そんなことを話しました。

一方、日本のカフェにとっても、PCの画面の向こう側がベトナムに繋がっているというのは不思議な感覚で、エキサイティングなことなんじゃないか!

そう思ったら、早速試してみたくなりました。

仙台にあるコミュニティカフェSawa’s Cafeの店主、佐藤さわさんに声をかけ、6日間連続でカフェとカフェを繋いでみました。

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これは、予想以上に、予想外のことがたくさん起こりました。

初日には、「なんだかSawa’s Cafeに行かなくちゃいけない気がする」と感じたお客さんがSawa’s Cafeにやってきたところ、ホーチミンに繋がっていてびっくり!そのお客さんの亡くなったお母さんはベトナム人で、お墓がホーチミンにあるのだとか。ベトナム語で画面の向こうのベトナムに話しかけていました。

Sawa’s Cafeでやっていたライアーという楽器の演奏を、ホーチミンのお客さんが聴いたり・・

日本語を勉強しているベトナム人のHaさんが、勉強したばかりの日本語でSawa’s Cafeのお客さんに話しかけたり・・

話を聞きつけたベトナム雑貨のお店も繋がってきて3ヶ所の場が繋がって話したり・・

育休中の人が繋がってきて、Sawa’s Cafeでやっている育児イベントに加わったり・・

いろんなことが起こりました。

入院中の妹を誘って、オンラインカフェに行きたい!という声もありました。

カフェに行けない人がオンラインカフェなら行けるという可能性もあるんだ!と視界が広がる思いでした。

僕も何回か繋げてみましたが、そのときは、Karappoにオーストラリア人のお客さんが来ていて、その方と英語で話しました。

歯の治療がオーストラリアは高いから、ホーチミンに来て治療しているんですよ。

骨折したりすると、痛みを我慢して、飛行機に乗って、ホーチミンに行く人もいるんですよ。

という話を聞いて、「へぇーー」と思いました。

そんな経験が、自宅からできてしまうってすごいことですよね。

ルームのURLは、Green Bird Cafeという国際交流のオンライングループで公開していたので、個人もあちこちから繋がってきました。

カフェを画面に大きく出しながら、オンラインで繋がっている友達と雑談していると、友だちを誘ってカフェに行って話しているような錯覚に陥りました。

今回は、

リアルの場×リアルの場×個人

を繋ぎました。

オンラインで個人同士をつなぐと、オンラインコミュニケーションに慣れている1%の人しか参加しないんですが、普通ならオンラインの場に参加しないような人がカフェを訪れると、そこに画面があり、異国に繋がっているということで、いきなりオンラインコミュニケーションに突入してしまうわけです。

普通の人をオンラインの場に誘うことが、リアルの場同士をオンラインで繋ぐと可能になるんですね。

この企画も、ホーチミンと仙台という離れた場所に住む店主を、共感ベースで繋ぐことができたところからスタートしました。

オンラインで遠く離れた人たちの心が繋がり、それぞれが持つリアルの場を繋げていくことで、場を訪れる人にエキサイティングな経験をもたらしていく、そしてその経験をもたらしてくれる場という価値をお互いが生み出していく。

ホーチミンではホーチミンであることは価値がないし、仙台では仙台であることは価値がないけれど、ホーチミンでは仙台は珍しいし、仙台ではホーチミンは珍しいから価値がある。

遠隔地を繋ぐことで、双方に価値が生まれ、違いが学び合いのエネルギーを生み出しています。

この試みの詳しいレポートはこちら→ シンクロしている遠隔地を繋ぐことで双方に価値を生み出す

教室を簡単に外に繋げる時代に教師は何を考える?

これらの試みを通して、

教室を簡単に外に繋げる時代がやってきた

ということを実感しました。

Zoomを使えば、本当に簡単に繋ぐことができます。

ですから、技術的な問題は、これから5年間のうちにほぼ消えていくことは確実だと思います。

だから、

・どこと繋ぐのか(教師のネットワーク力)

・何のために繋ぐのか(教師の企画力)

が重要になってくると思います。

教師自身が、オンラインで関係性を紡いでいくことによって、国内、国外の学びの友と繋がっていくことができ、その学びの友がオーガナイズしている場へ自分の教室を繋いでいくことが可能になります。

繋ぐことが可能になったとき、どのように場を創り、何を生み出すのでしょうか?

いよいよファシリテーションの力が問われる時代がやってきます。

まずは、オンラインのコミュニケーションを体験してみてください。

体験することで、様々なアイディアが湧いてくるようになると思います。

 

オンライン講座「ファシリテーション&コーチング講座」の申し込みは、11月17日まで。

・ファシリテーション&コーチングの基礎技術を学ぶことができ

・オンラインの場創りを体験することができ

・たくさんの学びの友を作ることができる

それができる唯一の講座です。

ファシリテーション&コーチング講座

 

 

受講者が語る!オンライン講座の魅力

「反転授業の研究」の田原真人です。

このグループを始めてから、住んでいる場所に関わらず参加できる学び場を創出することに取り組んできました。

オンラインであれば、参加したいという気持ちさえあれば、誰でも参加することができます。

だから、オンラインにこだわって運営してきました。

ある意味、リアルの場を使うことをあきらめて、オンラインでできることを徹底的に追及してきました。

はじめは、僕の中でも、

「やっぱり、少なくても1回は会って話さないと信頼関係は築けないんじゃないか」

という思いがありました。

でも、一方で、もし、そうじゃなくて、オンラインだけでも信頼関係を築いていくことができるのであれば、信頼関係をベースにしたコラボレーションや、コクリエーションのスピードが、一気に増すんじゃないかという気持ちもありました。

2年間、オンラインでの学びにこだわって、こだわって、こだわってきた結果、

オンラインだけでも信頼関係を築き、学び合える関係性を作ることができる

という確信を得ました。

これは、体験をしたことのない人には、信じられないことかもしれません。

ですので、前回実施した「アクティブラーニングスキルアップ講座」の参加者の声を紹介したいと思います。

川上政嗣さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

今までの既成観念が崩壊していく感覚を覚えました。今まで、お会いすることが難しい人たちとリアルタイムで会話することによって、自分のマインドセットが大きく変わった気がします。全国には自分の同志と言える先生方がいると確信できて、元気が出てきました。

●オンライン講座についての感想を教えてください

最初の予想より画面も見やすく、操作も容易でした。遠隔地からも同じ条件で参加できるのも魅力です。田原さんやその他の意識の高い方々と知り合う機会をいただいたことも嬉しいことです。

夏休みに京都の筒井先生にこの講座を紹介いただきました。リアルとオンラインが交差する面白さを感じました。

アクティブラーニングの経験も浅いですし、テクニカルな知識もありませんが、ボランテイアなど手伝わせてください。

山中貴美さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

人を信頼できるようになった。
人と一緒にに学ぶことを楽しいと感じられるようになった。
人と一緒に仕事ができるようになった。
もっといろいろな人と、いろいろな職業の人と仕事がしたいと思うようになった。
発信ができるようになった。
何十冊本を読んでも得られないアイデアや気づきがあった。
移動距離が伸びた。
新しいもの、異種なものを怖がらなくなった。
自分にもできることがあると思えるようになった。

● オンライン講座についての感想を教えてください

田原さん、オンライン講座を提供してくださって、ありがとうございました。前回の動画作成に引き続き、お世話になりました。

とても有意義で楽しかったです。

動画作成の時は、得られた変化がまだ自分にしっくりきていませんでした。しかし、今回、オンライン講座2回目、また知っているお名前がたくさんあり、ホームに戻ったような感じで始まりました。

今まで、ほぼ一人で学び、一人で仕事をしてきました。

否定されることを恐れて、意見をあまり言わずにきました。
しかし、この講座では、どんな意見を言っても、どんな質問をしても参加者全員が受け止め、共感し、答えてくれます。こんな場所は初めて経験しました。

安心、安全な場があり、自由に質問をし、意見を言うことができました。そのため、心がクローズになっているときの何倍も多く学ぶことができました。この幸せな感覚を自分の生徒に伝えたい、と強く思いました。

何十冊、何百冊の本を読んでも、自分のフィルターを通している限りは、新しいものを得ることはできないということに気づきました。
オンライン講座の可能性は無限です。多くの人の知恵が集まれば、さらにその可能性は大きく広がります。人の繋がりはオンラインを超えてリアルと同期します。ここには未来がある!と実感しました。

今村清寿さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

『学び』に対するとらえ方が変わりました。

1カ月4回限定のセッションでどれだけのものを得られるのか?と考え、参加前は、まるで食べ放題で料金の元が取れるのか?と同じような感覚で『学び』を与えてもらうことを期待していました。

しかし、参加してみて『学び』とは他者との対話を通して、自ら作り上げていくものだとわかりました。熱い思いと承認の心を持った人たちと触れ合う中で、自分の考えが磨き上げられていく感覚が気持ちよかったです。

おまけの変化
①チャットのおかげでタイプのスピードが向上しました。
②放課後居残りルームのおかげで夜に強くなりました。
③心強い仲間ができました。

●オンライン講座についての感想を教えてください

不安な気持ちを抱えながら飛び込んでみましたが、期待通りというか期待以上の学びがありました。たくさんの仲間ができ、いろいろなことに前向きになれた気がします。ALを実践するにあたり、うまくいかないことばかりで後ろ向きになりそうな時もありましたが、講座の皆さんから勇気と情熱をもらい、自分の気持ちを強く持てるようになりました。おかげさまで、周囲の人たちに還元したくなりました。

終わったばかりなのに、早く次の講座に参加したいと心待ちにしております。

井上 梢さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

経験豊富な方々と関わっていく中で、自分の浅さに向き合わされました。見たくない内面をえぐられるような(笑)ALをしていくとこれまでの自分の考えが正しいのかどうか揺さぶられる場面が多く、この講座でも揺さぶられることばかりでした。今は頭の中がシャッフルされていて、これから実践しながら整理していきたいと思っています。

●オンライン講座についての感想を教えてください

1年ほどALを続けてきて、行き詰まりを感じた頃の受講でした。受講するかどうかも相当悩み、講座が始まってからもついていくのに必死で、やっと慣れてきたかな…という頃に終わってしまいました。個人的な事情で開始時間に間に合わなかったり、まったく参加できなかった回もあったので、録画がとてもありがたかったです。回を重ねるにつれて、moodleやセッションを通して会ったことのない方たちとの関わりが深くなっていくのがおもしろかったです。みなさんの励ましにかなり助けられました。ありがとうございました。

小竹知紀さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

不安や怖れを受け入れつつ、アイディアを行動に起こしていく勇気が出た。実践における失敗も大きな流れの中のプロセスとして受容できるようになってきた。オープンマインドな自分の状態を思い出した。

自分自身がこういった体験をしていることで、(コントロールしたい教員にとって)好ましくないように見える生徒の言動も一つのプロセスの表れであると受け止められ、注意による指導ではなく、傾聴・質問・提案・力づけのアプローチをとるようになった。

自分自身が体験していることや思いを生徒にシェアすることで、お互いに尊重しつつよりフラットな関係になってきた。

●オンライン講座についての感想を教えてください

久しぶりに、安心安全の場に出会い幸せでした。
受け入れてくれる仲間がいることが、どれほど力づけになることか。

現職になってから、自分自身を割と出せるようになってきていたと思っていたのですが、実はかなり自分を抑えていたのだなあということに気づきました。講座は終わってしまいましたが、皆さんの存在を背後に感じています。それが今でも原動力です。

大隅紀子さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

自分自身の学びに対する姿勢を客観的に見ることができ、リフレクションできたことで、今後の自身の学びや、授業に対する考え方に変化が起きたと思う。
色々な人との交流を通して、勇気をもらえた。何か困ったら、みんなに聞ける、馬鹿な質問かなと思っても遠慮することないんだと思えるようになった。

●オンライン講座についての感想を教えてください

初めての経験だったので、最初はITの能力に不安を持って緊張して臨みましたが、丁寧にケアしていただいたので、安心して取り組むことができました。
こんなに簡単に色々な地域のいろいろな人とつながることができるなんて、驚きと感激でいっぱいです。また、参加したいです。

永島宏子さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

アクティブラーニングが学校で実際にどんな風に展開していくのか、先生がどんな点で、苦労しているのか、いろいろな実情を知ることができました。アクティブラーニングの可能性がどれだけ大きいのか実感できて、導入を迷っている先生方に、具体的なご紹介ができるようになっています。実例の数だけ参考例があるので、先生方を結び、交流して刺激を受けあうことも大切だと感じています。

●オンライン講座についての感想を教えてください

AL講座の前に初めて参加させて頂いたときには、要領が把握できずに参加したので、チャットでコメントするのが難しいと感じました。
今回も初めは先生ではない立場で参加していることもあり、最初はかなり緊張していました。
でもAL講座で小林先生はじめ皆さんの「丁寧な」対応に触れることで、勇気をもって発言、コメントすることができました。
教室でも同じですが、参加者がフラットに発言できる場があることで、創造的な学びが得られ、どんどんかかわる喜びを感じました。
この場での出会いは私にとってはとても貴重なものとなりました。
ある目的に集う人は、通じ合えるものがあり、オンラインのすごさを感じました。
田原さん、皆さん、本当にありがとうございました。

内橋朋子さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

講座を受ける前も今も毎日迷いだらけという点は変わっていませんが、小林先生に直接(?)お話を伺えたことで、ご著書に書かれていることの奥にある想いまで教えていただけ、自分の授業を考える際も奥まで考えるようになったというか、目の前のうまくいく、いかないに右往左往しないで取り組もうと覚悟がきまってきたように思います。

●オンライン講座についての感想を教えてください

日ごろの業務でなかなか遠方まで講演などを聞きにいくことができないですが、直接貴重なお話を伺うことができ、また今回はゲストで下町先生にいろいろ質問もさせていただけ、この講座に参加しなければ触れることができなかったことに触れさせていただけ、いろいろと刺激をいただきました。

また、それぞれの職場で悩みながら進んで行こうとしておられる多くの方々と思いを共有できたこと、試行錯誤の上、独自の取り組みをされている方の実践やその間の悩みなども聞かせていただき、非常に有意義な日々でした。あまりにも皆さんが意欲的で、いただいた情報をしっかり理解するのがたいへんでついていけていないなあと思いつつも、先を歩んでおられる方々の工夫や苦労を教えていただいて元気をいただきました。

子育ての手は離れたとはいえ、なかなかいろいろなところに出かけていかないことや、家族の都合に合わせないといけないことも多く、家庭で多くの知に出会えたこの講座、そしていろいろ教えてくださった方々に感謝しています。

小山真紀さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

アクティブラーニングを実際にやる場面のイメージが今ひとつつかめていなかったのですが,講座の中で具体的なイメージが出来てきました.実際にはまだやっていないので,そのイメージを具体化できる自信があるかと言われると心許ないところもありますが,やってみたいという気持ちが強くなりました.また,講座の中で受講生同士の気づきや思い,実践などを共有する事で,非常に心強く感じています.

●オンライン講座についての感想を教えてください

オンライン講座では,講師の経験,受講生同士の経験などを共有でき,それによって疑似的な追体験が出来る場であったと思います.
イメージできないものはなかなか手がつかないもので,追体験によってイメージができていくこと,とても前向き(というと語弊があるかもですが,やりたい気持ちがスパイラルアップするような雰囲気というか,相互作用というか...)な場(戻ってこれるところ)になっていたという所が大変良かったと思います.また,同窓会グループの立ち上げなど,関係性がつながっていく,広がっていくところがまたよいと思います.ちょっと圧倒されていてついて行き切れてないところもありますが,ゆっくりでもフォローしていきたいと思います.ありがとうございました.

和田美千代さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

1  snsの威力を体感
snsについて傍観者だった私が、snsの価値、偉大さに気づくことができました。

2 助けてということの価値
助けを求めることの価値に気づき、助けを求めるようになりました。助けてという質問は、活発なコミュニケーションのスタートですね。

3 仲間ができて勇気百倍
講座で知り合った皆さんの存在が私を勇気づけてくれています。

4 自分の使命の発見
自分がやろうとしていることの輪郭がはっきりしてきました。

5 穏やかさを手に入れました(笑)
上記1~4のおかげで、自分の「ぶれ」が少なくなりました。焦りもなくなりました。スモールステップで、でも着実に進んでいきます。

●オンライン講座についての感想を教えてください

講座内に掲載した文章ですが、整理して再掲します。
タイトルは 私には「ネット果樹園」の発見
初めてオンライン講座に参加して「ここにこんな新たな学びの場があったのか!」とパラダイム転換が起こりつつあります。1か月後の今も進行中。

受講者の井上梢さんがこんなコメントをしておられました。
わからないことがいっぱいあって、勇気を出して「自信がない」「わからない」って言ったら、強力な仲間が現れた、と。(本当は、現れたというよりは、存在に気付いた、が正しいのかも)

和田も同感です。

「助けて」「わからない」質問すると、たくさんの「輝く知見」が、ほとんど初対面の人から返ってくる。まさに強力な仲間。とても収穫(ハーベスト)が多くてうれしい。「お金持ち」ならぬ「知恵もち」になったようなうれしさで、その知恵は私の仕事や生活を助けてくれている。エネルギーもわいてくる。感謝とともに。

ちょうど、秋の果樹園で、エプロンの裾(風呂敷の四隅)を広げたら、そこにたくさんの美味しいブドウや梨や林檎や栗が投げ込まれる感じ。観光ブドウウ狩り農園で言えば食べ放題、もぎ放題。リアルのブドウはもぎ取れば無くなるけど、ネット農園の知見ブドウは無尽蔵、無料。果樹園入場料は払ったが、収穫にくらべれば安すぎる。たくさんの農夫(知見ブドウ育成人)にも出会えた。

物々交換の市場(いちば)のようでもある。交換したら自分がもっていた物はなくなるが、ここは交換ではなく共有なので、自分の財産(知恵)は増える一方。

こんなに美味しい話があっていいんだろうか!ネット果樹園に集う皆さんは惜しげもなく恵んでくれる!

武力を振りかざす人はいないから、安心してタダのような値段だけどメチャおいしい知恵ブドウをTTPS。

「みんな―、こんな場所があるのよー」と大声で教えたい。
桃源郷かここは(笑)

果樹園という「場を立てる」人の存在が大事なんだなと思った。主催者、管理人。たとえば田原さんがこの場を立ててくれ、松嶋さんが誘ってくれて、この果樹園に迷い込んできた和田。あまりの美味しさにびっくり。

自分も場をたてたいと思っているし、果樹園で自分の「知見ブドウ」をお裾分けし、みなさんの「知見ブドウ」もいただきたい。

「知見ブドウ」は自分が経験し考える限りなくならない。

貨幣でなくて知恵が流通?
知識基盤社会でアクティブラーナーが要請されてるのは、ここにこんなに美味しいものがあるから、自分から取りに行きなさい、自分も人に与えなさい、というメッセージなのではないかな?それが主体性協働性?

この果樹園は自分から動いて動いて食べに行かなきゃ、指示待ちではあじわえないから(笑)

なんと面白い世界!

以上が再掲分。

オンラインのワールドカフェは、何度も読める点、書くことで思考を整理できる点で、話す聞くだけよりも、自分には合っていると思いました。

福田美誉さん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

主に2つの変化があったように思います。

1.アクティブラーニングの理論を知るともに多くの実践例を知り、それを活かすことができた
アクティブラーニングは用語こそ知っているものの、明確なその意味を把握しきれていませんでした。小林先生の著書を読むことで頭の中で整理、解釈が進みました。
また、受講生、スタッフの皆さんから伺った実践例と、小林先生の著書の中の実践例から、いくつかのことを開催したワークショップの中で実行することができました。頂いた知恵が宝物となっています。
2.普段仕事では接する機会の少ないAL実践の高校教員の皆さんと交流が深まった
普段の仕事は大学教育や社会人教育がメインであり、かつ教員・講師業ではない仕事が主であるため、高校教員の先生方と協働する機会はありませんでした。受講生、スタッフの皆様には高校の現場で最前線のALを実践されている方が多数いらっしゃり、そのような方たちから頂いた現場の実情や課題感は、自分自身ではなかなか得られないものであり、大変参になりました。そして、皆さんとの交流がこれからも続くことをとてもうれしく思っております。

●オンライン講座についての感想を教えてください

前回の動画作成にチャレンジ講座では講師、今回のAL講座では運営ボランティアスタッフをさせていただき、大変密度の濃い経験をしました。反転授業の研究グループに参加した時点でも、自分の考え方やライフスタイルに変化が生まれましたが、オンライン講座に当事者として参加することで、これからの自分の取り組み目標に大きな変化が起こりました。
まだ、私の周りではオンラインでの学習や人付き合いに消極的、否定的な人がいらっしゃいますが(涙)、反転授業の研究が主宰するオンライン講座ではこれまでの常識では考えられない「学びの泉」が存在しています。学習仲間は全国区!いや世界区。年齢不問。北は北海道から南は九州までたくさんの教育関係者が勢ぞろい。少しでも興味のある方は、次のファシリテーション講座で一度その世界に飛び込んでほしいと願っています。

すみだ あいさん

●講座を受ける前に比べて、どのような変化が起こりましたか?

以前の動画作成オンライン講座は、受講生として参加させていただき、今回はじめて、運営ボランティアとして、学びの伴走者をさせていただきました。

「やりたいと思っていたら、形になり、できるようになるんだ。」

みんなのやりたい気持ちを、全員で応援して、たくさんの人が切り開いていくのをみていると、私も頑張ろう!私にもやればできる!と励まされ続けました。

みんなと一緒に無我夢中で学んだ1ヶ月経った後に残ったのは、かけがえのない仲間とある言葉の本当の意味でした。

かけがえのない仲間と、アクティブラーニングを通して、心の在り方を話しあいました。アクティブラーニングの授業を通して、「先生も学び続ける」という姿勢を生中継でみなさんに見せていただきました。

私が得たものの、もうひとつは、コミュニケーションという言葉の本当の意味です。

丁寧なコミュニケーションが大切と、小林先生が教えてくださいました。

「丁寧」って具体的にどういう意味なんでしょう。

拝啓→敬具で終わることなの?

過不足なく情報を伝えることなの?

残念ながら私の仮説は、どちらも間違いなことに気づきました。

いろんな種類の人がいて、その人それぞれを観察して、その人にわかる言葉で、ちょうどいいタイミングで伝わるように話すこと。

好きな時に、好きなことを言っている私にとって、衝撃的な小林先生の言葉でした。

これが私のコミュニケーションという言葉の新しい定義となりました。

●オンライン講座についての感想を教えてください

「オンライン講座で、できないことってあるのかな。」

逆にこんなことを考えるようになるほど、今回のオンライン上だけでも、オフライン以上の学びがありました。

本当に目の前にはいないオンラインの場ではありますが、人の温かみを感じることができました。笑いあり、涙ありの1ヶ月でした。

私は英語の先生を養成する英会話スクールを経営しています。

反転授業とアクティブラーニングをふんだんに取り入れた講座です。

その講座の中でもアクティブラーニングについて、指導させていただいています。

今回の受講生の皆さんとアクティブラーニングとは何かを、ここまで掘り下げ、話し合った経験は、今後の英語講師の養成に大いに役立っています。

というか、講座中にインプットして、講座中にアウトプットして、検証させていただき、結果をみんなでシェアするという恵まれたサイクルができ、気づけば講座中にパワーアップしまくっていました。

私のように、すばらしい経験をもっと多くの方にしていただきたいと思います。

私は今回学びの伴走者として、はじめて走りました。運営ボランティアとして、受講生のみなさんのお役に立てていたかどうか不安です。またこのようなチャンスをいただける時のために、自身で振り返り、検証して、パワーアップしたいと思います。

今後もオンライン講座の企画を楽しみにしています。

いかがでしたか?

オンライン講座に参加することで、心がワクワクして、気持ちがオープンになって、自分らしさを発揮しながら学べている状況を思い浮かべることができましたか?

次回の「ファシリテーション&コーチング講座」でも、多くのワクワクが生まれると思います。

ファシリテーション&コーチング講座

金沢大学 大学教育・開発支援センター准教授 杉森公一さんにインタビュー

2014年11月3日に実施する反転授業オンライン勉強会「ファシリテーションスキル(2)」でお話しいただく、金沢大学 大学教育・開発支援センター准教授 杉森公一さんにインタビューさせていただきました。

支援してもらえなかった大学時代

杉森さんは、どんな学生だったのですか?

私は、大学時代に支援された経験がなかったと感じています。

サークルで楽器を吹いていて、学生実験中には眠りながらフラスコ割っていた学生なんです。留年ギリギリで卒業できて、専門科目に進む能力がなかったので、理科教育のコースに転向したんです。

大学の研究室に入って恩師に出会うまでは、大学からの支援というものを受けてこなかったんですね。

大学院で、よい指導者に出会ったんですね。

恩師の研究室は物理化学・計算化学を主にしていて、化学なのに実験ではなく計算というのはどういうわけか、不真面目な学生が行っても、割と受け入れてくれる土壌があったのではないかと思います。

恩師は二人いますけど、教授は教育担当の副学長になってしまって研究室は1年早く畳むことになってしまいます。当時助教授だったもう一人の恩師は教育研究科でも教えていて、博士課程は取れないけど、教師になるつもりだったら修士課程に進学できるよと言われたんです。

後から気づいたのですが、助教授は筑波大の一期生、教授は東京教育大時代からの教員でした。その研究室は、東京教育大とか高等教育師範学校のよいところを残したような温かさがあったと思います。

研究者であるだけでなく、教育者だったんですね。

その方たちの背中を見て、ようやく私は教育も研究も面白いなと思えるようになって、計算化学でも論文を書けるようになったんです。少人数で徒弟制のような状態だったので耳学で学んでいました。助教授からは、分かんないことは何回でも教えてあげる。分かんないと思うけど、何回でも私は言ってあげると言われて、プログラムの作り方とか、科学的な考え方とか、全部、傍で語ってもらって身につけられたように思います。

研究室に閉じこもらずに、実験室にずっと一緒にいて、寝食共にして、それで、やっと私は救われました。

支援をあまり受けてこなかった経験から、大学生のつまずきに対して、教員や職員が光を当ててあげるしか方法がないんじゃないかということを実体験から感じています。

私自身はできの悪い学生だったと思います。

なるほど。ぼくも大学生のときに支援されたという感覚が全くないんです。大学1年生の1学期で授業がつまらなくなってしまって、友達と自主ゼミをやって勉強していました。大学院に進んで研究するようになって一気に心に火がついたんです。これを振り返ってみると、受け身の勉強が大嫌いだったということだと思うんです。面白くないと思っているのにやり続けたくないという気持ちがありました。これは、ある意味、学ぶということに対する思いが強かったんじゃないかと思います。杉森さんはいかがでしたか?

大学への落胆は大きかったです。高校時代、村上陽一郎さんの『科学者とは何か』という本を読んで、学際的な科学とか、科学コミュニケーションとかを学びたかったんです。

だから1年生のときに学科を決めたくなかったんです。

選んだところが経過選択という、2年生になったら化学か物理か数学か地球科学かを選べるというところだったんです。

自分が化学に行きたかったというのは、化学からは薬学も農学も医療もどこにでも行けるからでした。そこで学際領域が学べると思ったんです。

でも、入った当初には数学クラスにいて、蛸壺の学問をひたすらやらされる感じだったんです。筑波大学は、教養課程がなくて、どの学部の科目も取ってよかったんですが、全然教養じゃないじゃんと思いました。たった一つだけ学際的な総合科目があって、医療と宗教と生物学とを一緒に学べるような科目だったんですが、僕のニーズを満たしたのは、その一科目だけでした。

僕も、同じような気持ちがありました。それで、文学部の授業を受けに行ったりしていました。広くいろいろなことを関連付けて学びたいのに、そういう場がなかったんですよね。

それで、僕は音楽に逃げて、自分で団体を作って、コンサートをするために、当時は電車も通っていなくて陸の孤島だったつくば市に音楽文化を根付かせようと思っていたんです。

そこで仲間作って広報したりとか、ポスター作ったりとか、ベルギーから音楽家招聘してみたりとかという活動をしたことは、自分にとっては大きな学びになりました。

同じですね。僕も、大学の授業が嫌になって野球とバイトに明け暮れていました。それにしても、音楽活動に対して、すごいアクティブに活動されていますよね。大学院では学びたいことを学べたのですか?

村上陽一郎の『科学者とは何か』との2回目の出会いというのは、理科教育に進んだときです。

科学教育というのは、科学哲学と科学史を含んでいまして、理科教師というのは、科学コミュニケーションにとっても近いんです。

やった!やっと学べた!と思って、恩師の助教授に聞いたら、「科学者の仕事というのは、教科書を書いたり、科学コミュニケーションとか、科学リテラシーも含まれるんです。科学リテラシーってとても大切なんで、僕も勉強したいんだよね。
同じ物理化学の分野でも、アトキンスは教科書書きで有名だし、藤永茂という人は、ロバートオッペンハイマーの評伝も書いているし、すごくファンなんだよね。」

こんな人たちっていいよねという話で盛り上がって、この人の言っている人はただの蛸壺の科学者の言っていることじゃないなと思いました。

いつか、科学・技術と社会みたいなことを教えて、その教えるフレームを利用して、理想の学びを一緒に作るような仕事をしたいなと思いました。

杉森さんのお話をうかがって、学ぶことに対する感受性がすごく強い人だなという印象を受けました。「こんなふうな学びをしたい」という気持ちが強いからこそ、それができないときの失望も大きかったし、適切に支援されたときの喜びと感謝も大きかったのではないかと思います。そして、その感受性が、今の活動にもつながっているように思いました。

医療福祉系の私大で教育に関わる

筑波大で理科教育を学んだあと、金沢大学に移るんですね。

金沢大学の大学院で計算化学を研究しました。

もともとは、冷房の効いた部屋にこもってキーボードを叩いているのが好きな人間なんです。ファシリテーションとかアクティブラーニングとは本来は縁がない。

そこから、どのような経緯で教育に関わるようになったのですか?

計算化学のポスドクをしながら収入を得る手段を探していたときに、研究室の先輩が近隣の医療福祉系の私大で助教授をしていて、そこのネットワークセンターの職員の仕事を紹介してくれました。非常勤だと聞いていたので研究室にいて、たまに行けばよいのかと思ったら、そうではなくて毎日来て、学校の200台のパソコンの面倒を見てほしいと言われたんです。私は専門が計算化学だったのでネットワーク管理とかもできるということでネットワークセンターの職員として採用されたんです。

ポスドクの役割と、ネットワークセンターの職員と、非常勤講師の3つを同時にやることになりました。

その研究室の先輩が、研究のスーパーバイザーになってくれて、すぐ近くでアドバイスを受けられる状況になりました。彼は、高校の教員の経験があり、教え方が非常にうまかったんです。

情報処理を教えるのも、ただEXCELの技術を教えるのではなくて、計算化学の観点でもってシミュレーションという考え方を教えるんですね。

たとえ福祉や介護という分野の学生であっても、問題解決の1つとして、アンケート分析の方法からEXCEL上のシミュレーションまでやれるという進んだカリキュラムを持っていました。

彼のカリキュラムのもとで、私はコンピューター教室の助手として後ろでついて個別の学習指導をしていたんです。一斉授業では40人の受講者の中で何人かは授業時間内だけではついていけないので、そういう学生の個別サポートをしていました。

講義のときには、上司のうまい教え方の講義を一言一句ノートにとっていたんです。3年間、授業研究をしていたんですね。

それは、すごい!

教え方が人によって違う。学生がどの教え方で教わったのかによって、質問に対する答えが変わってくるんです。同じカリキュラム、同じ教科書を使っていても、教え方が違っていればつまずきのポイントも違う。

だから、私はオーダーメイドの質問対応をしなければならなかったんです。

50台PCがある教室の隣の準備室に朝から晩まで座っていますけども、ひっきりなしに学生が、課題が分かりませんと言ってくるわけです。たとえ教員がジョークも交えながらうまい教え方をしていたとしても質問が無くなることはありません。また、どんな教え方をしたかによって、質問への答え方が変わることにも気づいたんです。

講義ノートを取ったり、そこまで生徒を一生懸命観察したりするというのは、仕事の範囲を超えていますよね。

はじめは自分のためにやっていました。学生時代、少人数の補習塾で中学の理科と数学を教えた経験はあったんですが、大学での講義の経験がなかったので、講義録を取っておいて、ジョークのタイミングや言う順番、板書の取り方まですべてコピーしたんです。

まるっきりコピーしたら、私は自分で授業を準備する必要がなかったんです。

大学教員になったときって誰も教え方を教えてくれないんですね。ラッキーだったのは、コンピューター教室の助手だったので、ずっとその授業に張り付いていて、3-4種類の先生、カリキュラムをすべて3年間、講義録を取ることができたんです。

学生の個別支援も学べたし、講義の仕方も学べたんです。

そして、それでもついていけない学生の存在を発見しました。

聞いただけじゃ分からないという学生が何人もいるんです。でも、問いかけをしたり、隣で書いてあげると必ず分かるようになります。

ネットワークセンターの職員時代の杉森さんの行動は、完全に「普通じゃない」レベルだと思います。講義ノートには、ジョークを言うタイミングとか、そういったものまで書き込んでいたそうです。そして、その講義を受けた生徒の質問を一手に引き受けて対応していく中で、一斉講義型の授業の限界にも気づいていったわけですね。こういう直接体験が土台になっているからこそ、信念を持って進めるのではないかと思いました。

リメディアル教育

私立大学では何を教えていたんですか?

私は、コンピューター教室の職員でしたので、理学療法、作業療法、社会福祉といった保健系の学生に、一般教養でEXCELやパワーポイントなどを教えていました。

それに加えて、筑波大の大学院で理科教育を2年間学んでいたので、リメディアル教育を担当し、高校までに生物や化学を学ばずに大学へ入学してきた学生に生物や化学を教えていました。

医療系の職種なので生理学や解剖学といった専門科目を受けなくてはいけないんです。細胞について分かっていないのに、健康科学とか生理学とか難しいんですね。看護も同じ危険性を持っています。

理科総合が受験科目になって、物理を勉強していないのに工学部に入れるとか、いろんなゆがみが出てきたんですよね。

看護学部が売り手市場で、全国に200校以上あって、さらに増えると言われていますが、看護の現場って3年離職の割合がすごく高いんです。最近の新人看護師は打たれ弱くって、「本当は看護師になんかなりたくなかった」という気持ちを持ちながら働いて折れてしまうこともある。そういう話を聞くと、大学教育の罪ってあるなと思っているんです。

高校までの学びの充足率が大変低い。高校生物を学んできたとしても、大学教育の合格ラインである60点には届かない。

県内の高大連携セミナーに参加したことがありますが、高校の進路の先生と大学の入試担当者が「連携」ではなく「対決」しているんですね。大学側からは、「高校でちゃんと教えてきてくれないから、大学ではサポートが大変だ」という話が出てきて、それに対して高校の進路の先生からは、「我々は、大学入試に設定されている科目以外は十分な学習成果を出して送り出すことはできません。」という声が返ってきたんです。高校の赤点は30点だから、大学入試の科目に設定されていることで60点まで上げられるというお話でした。もっと言えば、履修さえしていれば単位をあげているわけです。その状況で、入試に設定していない科目まで高校が責任を負うのはおかしいと言っていました。

私は、それは、高校の教育者が言ってはいけない言葉だと思います。私はそれに噛みつきました。私はリメディアル教育の担当者で、高校で生物を履修してきたけど、受験科目としては使ってこなかったという生徒は、20点からスタートするんです。私はリメディアル教育によって、半年で、アクティブラーニング的なこともして、すべての学生に40点上乗せします。そこでやっと、高校4年生から大学1年生になることができます。

場合によっては、中学7年生の状態から大学1年生に引き上げるために、大学入学から半年でやらなければならない。これが、初年次教育とリメディアル教育に課せられた高いタスクなんですね。

いろんな教育の矛盾をそこが引き受けているんですね。

おっしゃる通りなんです。すべての大学が引き受けています。発達障害や学習障害の学生さんも増えているでしょう。学力テストだけで他の能力は問われずに入ってきます。それは、高校だけじゃなくて、小、中、高、大学で、その子の生き抜く力ということについての責任を互いに持ちあわなくてはいけないと思います。

そこから、アクティブラーニングということにつながるんです。

リメディアルでeLearningは有効だと思いますか?

私は一切導入していませんでした。当初は単位にはならなかったんですが必修化してもらいました。必修じゃないとどんどん生徒数が減って、対面であっても拘束力がなければ来ないです。導入科目としてカリキュラムに位置づけたことでようやくリメディアルの機能を果たすようになりました。

eLearningや、MOOCsなどは、「学ぶことは重要だ」という価値観を家庭などから受け取っている動機づけの高い学生にはプラスになると思いますが、動機づけの低い学生には、必ず対面のサポートが必要だと思います。その点で、反転授業におけるアクティブラーニングというのは同じ趣旨だと思います。

杉森さんは、学生時代に大学教育へ落胆し、その後、大学院に進んで救われたという経験があるからこそ、教育を変えなくてはならないという思いが強いのではないでしょうか。そして、大学教育のゆがみが一番大きく表れるリメディアル教育や初年次教育に接する中で、受験制度や大学教育に矛盾を感じるようになったのが次の展開へとつながっていきます。

FD(ファカルティ・ディベロップメント)に関心を持ち始めたきっかけ

FDには、どのようなきっかけで関わるようになったのですか?

勤務していた私立大学でFD委員になり、FDについて調べ始めたんです。そしたら、大学コンソーシアム石川という大学連合の組織があり、そこでビデオ会議をやったりしていることを知りました。金沢大学の大学教育開発・支援センターにFDを引っ張っている人がいるということを知り、FD研修会に毎回参加するようになったんです。1年間ずっと参加していたら、気がついたらレギュラーメンバーになっていたんです。

せっかく共同のFD研修会をやっていても、毎回5-6人で、毎回参加しているのは私一人でした。そのうち、客員研究員として来てくれと言われて、翌年には専任としてセンターに勤務することになりました。

それも普通のことじゃありませんね。

私は、自分の所属していた私立大学をよくするためにFD研修会に参加していた一人の参加者だったんですが、情報を集めようと思って熱心に取り組んでいたがゆえに、その大学を辞めることになってしまったんです。笑

金沢大学の大学院を出ていますので、6年たって教員として母校に戻ってきたという形になりました。

杉森さんは、自分自身の思いから行動しているからこそ、行動力がすごいんですね。石川に20校ある大学の中には、何十人ものFD委員がいたと思いますが、FD研修会に1年間参加し続けたのは杉森さんだけというのはすごいことです。そして、その行動力ゆえに、どんどん枠をはみ出していくんです。

金沢大学の大学教育開発・支援センターでFDを広める

それで、金沢大学の大学教育開発・支援センターに移ったんですね。共同のFD研修会に毎回参加していたのは杉森さんだけだったというのは、普通じゃないことだと思います。何が、杉森さんを動かしたんですか?

大学教育に構造的な問題があることに気づいたんです。

65歳の昔の教え方の教授について大学院を出た若手教員がいるとしますね。その人が、その教え方のまま大学教員になったとしたら、私はその人のことを若手とは思えないんです。66歳だと思います。

私立大学には、いろんな学生が来ます。その中には中退学生もたくさんいます。私がもっと早く気付けば救えたんじゃないかと思う学生がたくさんいるんです。そういった学生の顔を思い浮かべたとき、支援にあたる教員側の問題にも気づきます。なぜ、「66歳」の若手教員の考え方を変えることができなかったんだろうかと思ったんです。

65歳の教員の考え方を変えることは難しいと思うんです。でも、私が強い危機感を感じたのは、中堅の教員でも「学生が悪い」と言っていたことでした。当時は、大学進学率が急激に上がった時期だったので、毎年のように学生の変化が起こっていました。大学教員はFDには参加しているけど、全く太刀打ちならないという状況でした。

私学なので年配の教員もたくさんいますが、昔の教え方で学生たちが寝てて、そこに厳しい言葉を投げかけて、「お前たちなんでできないんだ。僕の頃はこんなんじゃなかったぞ。」って、当たり前ですよね。

昔の上位10%旧制中学、旧制高校の雰囲気をまとった教員に、あるいは大学進学率がいまほど高くなかった時代の教員に、平成20年代の学生たちが罵倒されるわけです。

そういう状況を見たときに、60歳以上の教員の方の中にも気づく方もいらっしゃいますけど、その方たちの考えを変えるのは難しいから若手を変えなくてはならない。そう思ったときに、実は若手も古い考え方を持っている。

この状態であと30年仕事をするのは無理だと思って、苦しくて苦しくて、いろんなものを探し始めたらアクティブラーニングに出会ったりとか、クリッカーやリフレクションペーパーで彼らが毎回どんなことを感じたのかを書いてもらう形成的な評価に出会いました。

それは、学びのハシゴの中で、抜けているところを埋める作業なんですね。スモールステップに分けて梯子の格(こ)を埋めていくことの大切さに気づきました。このように教えるということが、すべての学生が上っていけるようにするという教育哲学なのではないかと思ったのです。

学びのハシゴの段が抜け落ちている場合は、学生はどの段が抜け落ちているかも気が付かないし、誰にも教えてもらうことはない。でも、はしごは登れと言われています。そこで、懸垂の状態になっているんです。

それで、第一段目のはしごを私がリメディアル教育や初年次教育で埋める。二段目のはしごは彼ら自身が埋められるようにする。自分で埋められるようになれば、その上のはしごを自分で埋めていけるようになるんですね。教育工学の言葉で言えば、足場かけとフェーディングです。

教員の役割というのは、彼らに愛情を持って接して、誰しもが自ら梯子を登ることができる能力があるという期待をかけるんです。期待が伝わると登る動機づけになります。そのもとで、適切に梯子をかけてあげるということだと思うんです。

法政大学の児美川孝一郎先生の『キャリア教育のウソ』でいわれているように、3年以内の離職者がすごく多く、100人中41名しかストレーターがいないとか、他の報告では6万人の大学中退者がいて、その中の3万3千人は一生、非正規雇用であるとか、そういうことを思うと、中退の予防というよりは、すべての学習者に社会で生き抜くための力をつけさせる教育というのを大学でやらなければならないだろうと思います。

幼稚園、保育園からはじまって、小、中、高、大、社会へと梯子の連続性を埋めていくことが大事だと思います。教育接続の梯子が抜けているところをちゃんと埋めていくということが、教育者の使命、責任としてあるのではないかと思います。

杉森さんは、大学院で接した教育者としてのあり方を受け継ぎ、自分自身も教育者として取り組んでいるのだと思います。そして、リメディアル教育に関わったことで気づいた大学教育の構造的な問題に対して、持ち前の行動力でどんどん踏み込んでいき、問題解決の方法を探してFDへと行動のベクトルを向けていったのですね。

金沢大学での取り組み

金沢大学での取り組みについて教えてください。

私が取り組んでいる初年次教育は、近視眼的には卒業研究に必要な能力を身につけさせることを目標にしていますが、それは、すべての学生が社会に出てから発揮できる能力につながると考えています。

アメリカでは、大学でどう学ぶのかという導入教育がかなり先行しているそうなんですが、日本でも、この10年、スタディスキルを導入していこうという流れがあります。図書館の使い方、レポートの書き方などから導入していって、より高いレベルへ接続していくということが注目を浴びています。

その中でもアクティブラーニングというのは、有効な方法です。

初年次教育で、アカデミックスキルを身につけさせていくという枠組みで、反転授業やアクティブラーニングを実践していくというのは、いろいろな大学で始まっていますよね。

そうですね。私たちの大学では、アクティブラーニングの実践を、初年次教育から専門課程に広げていこうとしています。

専門課程であっても、議論を中心とした授業にしていこうとしています。これは、アメリカ型なんですが、講義、演習、ディスカッションのセットが週に3コマあって、それが4学期制の中に折りたたまれています。

日本の多くの大学は、半年で15週あって、ずっと一方通行の講義があって、最後に試験やレポートでお茶を濁すというパターンが多かったんですが、大学進学率が51%になった現在、ただ聞いているだけでは身に付かないということはもう分かっているので、すべての学生に教育資源を投入するのであれば、講義の後には必ず演習やディスカッションンが挟まれるべきだろうと思っています。

アメリカ型に偏りすぎではどうだろうかという懸念はあります。アメリカでは卒業研究を取れるのは2割程度なんだそうです。ベンチマーク、マイルストーン、キャップストーンと分かれていて、キャップストーンを取った人だけが卒業研究をすることができます。一方、日本の大学では、法学や医学などの一部の学部を除けば、全員が卒業研究をすることができます。これは、日本型の大学教育システムの大変優れたところです。アメリカの大学関係者に日本では卒業研究を全員がしていると言ったら驚かれます。

卒業研究が、究極の能動的な研究・学習ですから、それを、3,2,1年生に下ろしていきつつ、初年次教育でのアクティブラーニングを上にあげていって、その2つを結び付けていくというように考えています。

アメリカでは、優秀な学生を選抜して、そこに教授の研究指導というリソースをつぎ込むということなんですか?

そういうことですね。アメリカでは卒業研究と学位を切り離していて、卒業研究を取らなくても学位を取ることができます。

4年間の教育プログラムが制度として機能していて、卒業研究はプラスアルファという位置づけになっています

アメリカと日本ではシステムが違いすぎるので、アクティブラーニングだけに注目して、アメリカの教育プログラムをそのまま導入して、さらに全員に卒業研究をさせるということになれば、日本の大学教員は破たんしてしまいます。なので、日本型のアクティブラーニングの導入をゆっくり進めていく必要があると思います。

アクティブラーニングを導入することで、日本の大学教育はどのように変わると思いますか?

大学教員は、授業のやり方を知らないんですね。

目標があって、教育内容があって、評価があってという教育方法について、専門知識や技術を持っていないんです。

反転授業やアクティブラーニングというのは、それを導入することによって、大学教員が教育方法を学ぶ圧力になるんではないかと思っています。

講義型なら、ちゃんと教育方法を学んでいなくてもなんとなくできてしまいますが、アクティブラーニングは、そうはいかないですからね。

おっしゃる通りです。そこに学習観の転換があるわけですね。学習者中心主義、つまり、教員が何を伝えたかではなくて、学生が何を身につけたかに変わります。主語が教員から学生に変わるんですね。学生が何を身につけたかは、学習成果(Learning Outcomes)で示されます。Input重視から、Output重視、さらに、Outcomes重視というのが、大学教育の質保障のバズワードになっています。

Outcomesというのは能力なんです。つまり、学位プログラムとして、彼らがどのような能力を身につけたかということを真剣に考えようということなんです。

平成20年以降、大学は、学位授与の基本方針を学則上に定め公開することが義務づけられました。入学者受け入れの方針、教育課程編成の方針、学位授与の方針という入口、中身、出口の3つの方針を決めて外部に公開するようになりました。

学位授与の方針を公表して、学位を持っているということは、こういった能力を持っているということですよということを明確にしなさいということになったのです。

日本の大学教育についてどのように捉えていますか?

私の仮説ですが、大学教育は今までずっと効果をなしていなかったと考えています。

どの高校を出たか、どの大学に入ったかが重視されていて、大学卒業までに4年間、6年間何していたかと言われたら、「修飾」活動・・・つまり、サークル活動やバイトをこうしていましたということをアピールしますよね。2年生や3年生で就職活動を始めたら、何を学んだかといっても何もないわけです。だから、大学教育の中身って誰も注目してこなかったと思うんです。それで、FDも教員が何を教えたかということにフォーカスしていて、板書の書き方やパワーポイントの使い方を教えていたんです。アクティブラーニングはずっと注目されてこなかったんです。つまり、学習成果については、誰も注目していなかったんです。

学習成果に注目するようになって、アクティブラーニングに注目するようになったんです。

ただレポートやテストをしただけじゃ学習成果が分からないので活動をさせてみようか、アクティブラーニングをさせてみようかということが始まったんだと思います。アクティブラーニングは授業改善の1つの道具立てなんですね。

杉森さんは、金沢大学でどのような役割を担っているのですか?

私は2013年からFDを専任にしています。授業開講の義務はありません。「アクティブラーニング入門」という授業は、センターの裁量の中で研究の一環としてやっています。

うちの大学には1000人の大学教員がいて、それに対して5人の専任のFD教員がいます。専任のFD教員を、アメリカではファカルティ・ディベロッパー(FDer)といって、だいたい教員200人に一人の割合で必要だと言われています。これは、国立大学だからできるのであって、周辺の私立大学には、FDを専任でやっている教員は一人もいません。金沢大学で5人、富山大学で1人です。

大学に専任のFD教員が5人いるというのは、恵まれた環境ですよね。

FDerが5人いるセンターも、この10年、うまく機能していなかったんです。呼ばれたら行く、聞かれたら答えるという感じで、学部に所属していないので大学の教育改善に機能的に参加できなかったようです。蚊帳の外だったんです。でも10年たったらだんだん存在意義が出てきました。3年前から学習成果についての一斉アンケートを取れるようになって、ようやくPDCAサイクルが回り始めて、ようやくセンターが機能し始めました。

前述の大学コンソーシアム石川という大学連合には、大学、短大、高専を含めた20の高等教育機関と、すべての市町村の長が入っています。その組織の運営に私たちのセンターが協力しています。なので、私たちは県内20機関のFD活動も支えています。

日本の大学とアメリカの大学との教育システムの違いについて、とても参考になりました。全員に卒業研究をさせるという日本の教育の良い点と、授業設計がしっかりしていてアクティブラーニング型の授業が多く取り入れられているというアメリカの大学のよい点とを、バランスを取りながらゆっくりと融合させていくというお話に納得でした。

アクティブラーニング入門

杉森さんが担当している「アクティブラーニング入門」という授業について教えてください。

アクティブラーニング入門は、参加者が10人だけの講義でした。人文社会、教育、理工、医薬保健のバラバラの背景を持った1年生の授業でした。

彼らにバトンを渡して、「理想の大学教育を作ってください」という授業だったんです。

彼らに、3グループで理想の大学像を書いてもらいました。プレゼンもしてもらいました。

私が教育改革のシステムを提案して、文科省の大学教育再生加速プログラムに金沢大学が採択されたんですが、彼らの授業をしながらプログラムを考えていました。

私の書いていたプログラムは、FDをけん引していく教員の養成と、それを支える学生チューターの養成、さらに、アクティブラーニングを支える教室環境の整備といったことを書いていきました。

私が考えて書いたことよりも、彼ら学生が、反転授業やワールドカフェをやって、出てきたプレゼンのほうがよほど優れていて、「教育開発」というのは、教員開発と組織開発とカリキュラム開発からなるんですが、学生が抜けているんですね。

学生自身が自分たちで作ればいいんじゃないか。この指とまれで、いっしょに大学作ろうといったほうがよっぽど価値があることに気づかされます。

最終発表の中には、彼ら自身の言葉で、15分の講義があったら、そのあと、15分のグループ学習を入れて、90分を3分割してアクティブラーニングをしたい、そういうのを求めているという言葉が出てきました。

授業で反転授業も経験して、入試改革、高大接続、初年次教育について、新しい大学教育の姿が彼ら自身の言葉で出てきたんですね。彼らと私は大学を作りたい。

10人だからできるという話もありますが、大事なのはFDでの私のおかれているのと同じ状況に置くことです。授業では、私の状況と情報を彼らに伝えました。大学改革の必要性がありますよ。アクティブラーニングがなぜ求められているのか、私がFD研修会の講師として教員研修に年間15回とか20回とか各地のいろんな大学に行きますけども、そこで使った資料と全く同じものを彼らに示して、私が感じて提案しているような資料もすべてポータルにアップロードして情報に触れされる。そこで出てきた問いを中心に問いを深めて、また問いを深めて、彼ら自身でワールドカフェをしていってということをした結果、10人のFDerを作ることに成功しました。

それって、アクティブラーニングだと思うんです。

状況が学びを作るんだと思います。そういった学びをデザインすることがファシリテーションの力だと思います。授業デザインがあって、ゴールが決まっていないかもしれません。おぼろげなものは決まっているけど、何が出てくるかわからない。そこには、本物性がなければなりません。私が仮に本物のFDerか、FDerになろうとしている人間だったら、その熱意というか、授業の合間に出張ばかり行って、仲間つくりに出かけているんですけど、全国のFDの様子とか大学改革の様子とかを知って、私が成長している状態で学生と出会うことが大切なんだと思うんです。

本物の研究者しか、本物の教育はできないと思います。

本物の学ぶ価値を信じている者、新しいものを生み出すことに喜びを感じている者、研究を通して社会や世界を変えたいと思っている人に学ぶ研究室教育ができるんです。日本の教育というのは。そういう状況を作ることが何よりも大切だと思います。

強いられたアクティブラーニング。アクティブラーニングしなさいってカリキュラム設定すること。アクティブラーニングによって主体的な学習をしなさいという自己矛盾。これは、田原さんも感じられているように、アクティブラーニングを大学へ導入するときの違和感と一致すると思います。

杉森さんのアクティブラーニングの授業は、教員と学生が協力して「理想の大学教育」を探求するというアクティブラーニングになっているところが興味深いです。資料をシェアし、大学教育改革に真摯に取り組んでいる杉森さんの姿をそのまま見せ、さらに、学生に期待を込めた眼差しを送ることで、学生は、教わる側という役割から抜け出して、主体的に大学教育について真剣に考えるようになったのだと思いました。その結果、学生から出てきた結論は感動的です。アクティブラーニングの可能性の大きさを杉森さんのお話から感じることができました。

「越境」をテーマにする

学際的な学びや「越境」というのは、杉森さんにとっての重要なキーワードだと思います。その点から考えると、杉森さんが初年次教育に関わっているのも非常に納得がいきます。アクティブラーニング入門にも、その視点は入っているのですか?

はい。科学者と社会を結びつける2つのフレームの境界線を乗り越えるためにはどんな方法があるだろうか。市民と科学の対話の技法について3コマを使って考えました。

つまり科学と技術でどういった理想社会を作るのか、「市民」と「科学」の対話というところと、「学生」と「教師」の対話というところに、私はアナロジーを感じているんです。

これは、つまり、私がかつて受けたかった授業なんです。大学1年生のときにいろんなことを一緒に学べる教養で、こういう学際的な授業を受けたいという理想があって、その理想の授業を作りながら、彼らがいかにして理想の学び、理想の大学教育を作るのか、理想のアクティブラーニングをしたいというのをうまく出会わせることができたんです。

面白かったですね。

修士のときに取っていた10年前のノートをひっぱり出してきて、勉強をやり直しました。

私は科学史とか、科学技術史とか知らないんですよ。でも、趣味のように本を読んで勉強した形跡があったんです。それを見ると、当時の気持ち、学生のときにこんな授業があればいいなと思っていた気持ちを急に思い出して、その興奮を交えながら、反転授業をしたんです。

だから、楽しかったですねー。

大学教育に落胆をしたということと、科学・技術と社会について考えて、科学コミュニケーターやジャーナリストになりたかった自分もかつてはいたんです。

その10人の受講学生の中には、ジャーナリスト志望の者も、医師を志望してい者も、宇宙飛行士になるためにJAXAに行きたいという者も、NPO活動や地域の発展活動に行きたいという者も、教育者になりたいという者もいました。すごく多様な学生さんが集まっていたんです。彼らなりに越境を果たそうとする学生さんばかりだったんです。

授業は、私は音楽だと思っているんです。ライブです。

ライブでは、音楽家は伝えたい思いがあって手を伸ばす。聴き手も手を伸ばして結ばなければ伝わらない。

授業デザインやファシリテーションで私が大切にしているものは、教卓という舞台装置。
私は教卓を使わずに、教卓の前に立つのがメッセージなんです。

教卓はあったほうがいいんです。私は必ず教卓の学生側に立ってスライドは使うけども、机間巡視をしながら、顔と名前を覚えながら、クリッカーや、反転授業を使いながら、教卓の学生側に立っている。

そういうメッセージを持っているんだということを伝えます。

それで、「私はこのようなものを理想の学びだと思っているんですが、皆さんは、どういうものを理想の学びだと考えますか」という投げかけをしました。

そして、図書館のオープンカフェで最終発表をしたんです。

僕は、出張で最終発表は見れなかったんですが、そこには、教育改革担当の学長補佐と、センターの他の専任教員にファシリテートしてもらって、10年も20年も大学改革に関わっているような本物の人たちの前で、彼らの本物を発表してもらいました。

杉森さんのアクティブラーニングでは、杉森さんが最初に「伝統的な教師の役割」というものを超えて、学生に手を伸ばすんですね。そうすると、学生も「受動的に教わるという役割」から抜け出して、杉森さんの手をつかんでくれる。それぞれが枠組みを抜け出すことで、教員と学生の両方に学びが起こっていくのだということなんだということなんですね。そして、それが、「市民」と「科学」の対話のアナロジーになっているということは、「市民」も「科学者」も枠組みを超えたところで手を結んで対話することができれば、双方にとって自分自身の枠組を変化させるような本質的な学びが生まれるのではないかということをおっしゃっているのだと思います。このお話をうかがって、アクティブラーニングについての理解がとても深まりました。

ラーニングがラーニングを促す

杉森さんが、FDerとして成長し続ける姿を見せながら、アクティブラーニングをデザインして、一緒に成長することを促すというのは、とても印象的です。僕のやっている物理ネット予備校でも、反転授業についての気づきなどをメールマガジンに書いたりしているのですが、そこに対するレスポンスがものすごくあるんですよ。

それは、成長している姿に自分の成長を重ね合わせられるんだと思いますし、学ばない人に学ぶことはできないと思います。

学習する組織というものもありますし、人のつながり自体が学習を促すんではないでしょうか。ラーニングがラーニングを促すということです。

学習者のラーニングの二重ループの外側に、教育者のラーニングの二重ループもあると思うんです。私のようなFDerは、教育者のループのさらに外側にループを回す位置にいます。

僕は、大学院で自己組織化を研究していたんです。非線形の偏微分方程式を使ってアメーバの形態形成の数理シミュレーションをやっていました。ワールドカフェについて勉強したら、やったら知っている単語や概念が出てきて、すごく懐かしい気持ちがしたんです。

システム思考には、とてもなじみがあって、複雑な因果関係を捉えるときにはシステム全体を見て、どこが制御パラメータかを見ていくという発想は、非線形システムを扱っていた僕にとっては、当たり前のことだという感覚でした。

杉森さんが計算化学やっていたのと、目の前の80人じゃなくてもっと大きな影響を与えるところにいかなくちゃならないというのは、システム思考の話なんじゃないかと思いました。レバレッジの効くところを変えていかなくちゃいけないという発想は、計算化学をやっていた人っぽいなと思いました。

私は、その自己認識がなかったですね。私のここでの上司の一人に非線形の生命の振動現象を扱っている人がいるんですけど、たいへん近い分野かもしれません。

我々のセンターは、単なるFDセンターから脱却しようとしていまして、教育データでシステムを検証していこうと考えています。教育のビッグデータに我々は向かおうとしているんです。FDで、個々の教員を変える教育開発というのは限界が来た。私が気づいたことは、多くの教員にFD活動を広げたいということなんですけど、私たちの組織としては、次の展開がありまして、IR(Institutional Research)という大学の教育機関でどのようなことが行われているのかということをデータを元に戦略を立てていこうということを考えています。人的な資源とか、経営の資源とかをどこに重点配分するのかということを直感でやっていたらどうにもならないので、データを元にやろうということなんです。アメリカではそのような取り組みが進んでいて、例を挙げると、中退を減らそうしたときに、学生に多様性があり、ヒスパニック系とか黒人系の学生の中退率が高いので、それをどうやって抑制したらよいのかというのをデータで学習成果を測っていこうという活動が進んでいたりします。

日本の大学も学習成果を測っていこうという方向を向いていて、私は統計を教えていることもきっかけで、このセンターに採用されています。FDを知っていて、さらに統計ができるからということで呼ばれたんです。

授業改善をするFDを回すIRという位置づけです。

リメディアル教育とアクティブラーニングから始まって、それを回すギヤとしてFDがあります。そのFDを回すさらに外側のループとしてIRがあるんです。私はIRの専門家としてキャリアを切り直さなければならないという状況になっています。

真剣に問題に取り組んでいくと、次第に問題のメカニズムが明らかになって来て、最初に考えていたフレームでは解決できないことに気づいて、枠組を広げて、より本質的なところに移動していくということなんじゃないかなと思います。

私自身の表現では「越境」と読んでいます。私は3年ごとに分野が変わっているんです。化学、理科教育、計算化学、福祉工学、大学教育開発ときているんです。3年たったら人間の成長が止まっちゃうんじゃないかなと思っているんです。

導入期はがむしゃら。発展期は自分で独り立ち。応用期は支援に回る。

1年目、2年目で気づいたことを使って、3年目は、まわりの人を巻き込んで支援に回っていく。

4年目は、いつも、自分の組織をはみ出ちゃって、3年たったら、異端児になっちゃって、なんかそこにいられなくなるんですね。

成長したら、異端にならざるを得ないんじゃないかなって思うんです。

僕は5年くらいのペースですが、杉森さんは3年なんですね。成長のスピードがすごいですね。でも、やっていくと、自然とそうなりますよね。

5年というのも感覚的に分かります。3年たつと等速直線運動になって、でも、そのあと2年くらいはそれを回したいという気持ちもあります。私の場合は、もうちょっと回したいなと思っているときに、様々な事情で枠を出ることになってしまっています。

杉森さんは、最初は現場で生徒に対して授業改善をしていき、自分だけの授業改善だけでは限界があると感じてFDとして教師の授業改善の支援に回るようになり、さらに、FDが効果的に機能するための組織であるIRへ移動しようとしています。行動し続けていくことによって、枠組みを次々とはみ出して越境していき、問題解決のために、より大きな効果を生み出すところへと移動していくわけなんですが、お話をうかがっていると、その越境が、とても必然的なことだと感じました。

顔と名前を覚えると劇的に変わる

同じことを5年続けると苦しくなってくるんですよね。予備校講師をやり始めて最初の5年は授業改善の連続だったので楽しかったんですが、5年たつと飽和してきて、同じことを繰り返すのが辛くなってきました。

生徒は入れ替わるので、新鮮な気持ちで楽しんで授業を受けてくれるんですが、自分自身は同じことを繰り返している、ビデオテープを再生しているというような感覚が生まれてきました。

それで、講義のネット配信を始めて、新しいことに挑戦し始めたんです。

大学院で教えている数学教員の方で同じようなことをおっしゃっている方がいました。「私は3年教えてきて教え方はうまくなったかもしれない。でも、振り返ってみると、私はビデオで再生されているような気がする。」とおっしゃっていました。

そのときに、学生に声かけていますか?

学生の顔と名前を憶えていますか?

学生に伝わるということがどんなことかということに自覚ありますか?

と言ったら、「いや、ないです」とおっしゃっていて、自分がビデオ再生されているという感覚があるだけじゃなくて、学生に対する関心もあまりなかったんですね。

毎日、10名ずつ名前を覚えることから始めて、声かけるところから始めてみませんかってアドバイスしました。たぶん授業改善がスタートしていると思います。

数学者としてずっと歩んできて、突然教えるようになった。相手は大学院生。3年教えてきて次のステップは、学生への注目ということで、私が感じたような状況をもし感じてもらえるんだったら、眼差しを持ってもらったら、たぶん回っていくんじゃないかなと思います。

名前を覚えると劇的に変わりますよね。僕は予備校講師時代に数百人の生徒に物理を教えていたんですが、その数百人の名前を覚えたんですよ。問題演習のときに名前を見えるところに書いておいてね。覚えるからといって、演習しているときにずっと覚えていたんです。一生懸命、いろんな語呂合わせを考えて、顔と名前を一致させて覚えていたんです。名簿を見ないで、指しはじめると全然授業が変わるんです。

予備校では、普通は新幹線で校舎に来て、授業をやって、バーッと新幹線で帰っていくという関係性だから、ふつうは名前なんて憶えないんですよ。その中で、「この人は、自分に関心を持っていて、自分と関係を作ろうと思っているんだ」と思ってもらった段階で、本当に劇的に変わりますよね。

まだ、授業が下手だったころに質問の列ができるようになって、カリスマ講師じゃなくて、地味な物理の先生なのに、なぜか質問の列が廊下まではみ出して1時間半待ちとかになっていたりしたんです。

それで、僕のところに来て、「今日は寮でこんなことがあって・・」とか「田原先生はいとこと顔が似ている」とか言って、質問のついでに雑談をして帰っていくんですよ。

そういう関係性ができると、こちらが喋ったことが、相手の頭の中に入るんですよね。

私も、チームティーチングで入ったときに、すべての学生の授業に助手として入れるんですね。だから、全員の名前を憶えている教員は私一人だったんです。もちろん一斉講義でも100人の名前を憶えてというところがスタート地点になりました。

今、関係性という言葉がありましたけど、彼らは、アクティブラーニングの前に、他者を受容するということができていないんだと思っているんですね。

自分は自分。ネットの向こうに共感する人がいる。または、メールの向こうに共感する人がいて、対面ではない。他者というのは、教員も自分と異なる社会、教科書もそうなんです。字離れとか、学問離れとか、教科書離れ、読書離れ、マンガ離れが起こっているんです。テレビも見ないんですって、今は。情報はSNSで十分だと。そのときに、彼らを越境させる手段というのは、名前を呼ぶということなんでしょうね。あなたはそこにいると伝えるだけで、自分が発見されるんじゃないですかね。自分はここにいて承認欲求があるんだけど、誰も認めてくれない透明な存在である。その中で、教師が名前を呼ぶということが、いかに彼らの存在をはっきりとさせて、そのあとに、他者が受容されて、言っていることが内化するのだと思います。

ルーブリックを使うのも、ルーブリックの基準が学習者に内化されるから使うんですけど、反転授業のいいのは、一人一人に問いかけてくれているという錯覚があるわけです。eLearningは悪いと言いましたけど、反転授業のビデオはいいと思います。自分一人に問いかけられている気がしますから。

僕は、予備校講師を始めて3年くらいは、新しい物理教育を目指すということに気持ちが向いていて、生徒よりも自分の教え方に関心が向いていました。でも、あるときをきっかけに生徒とか、親とかに関心が向かい始め、祈るような気持ちで合格を願っている親と同じ気持ちになりました。同僚の予備校講師が、自分の息子が大学受験のときに「ここを最後、見直しておけ」というリストを作っても持たせているのを見て、僕にもできそうだと思って、出題予想を始めたんです。それまでは、「予想」なんていうものに批判的だったんですが、合格させてあげたいと思ったら、できることを何でもやろうと思いました。そこから、生徒と本気で関係性を作るようになりました。教師に受容的に認識されて、名前を呼ばれるということが、関係性を作る上で重要な一歩だったのだということを、お話をうかがって再認識しました。

反転授業について

僕が作った動画講義って、予備校講師時代に壇上からしゃべっていたことをそのまま動画にしたものなんです。でも、動画にしたら、それは、「教材」なんで、自分から切り離すことができて、生身の自分は、それを使ってアクティブラーニングをすることによって支援者に回れるようになりました。「分かるところは倍速で飛ばしてねーー」とか言いながら自分の動画を教材として使ってもらって、生身の自分は、ひたすら問いかけながら、彼らの主体的な学びを引き出すファシリテーションに徹することができるんですね。これをやるようになって、再び授業をするのが楽しくなりました。

アーロン・サムズさんの授業の様子が、同じような雰囲気でした。

ビデオ見てこなかった人のために教室でビデオを見ることができるようにしてあって、そのほかにアクティビティも用意していました。

彼は、高校化学の教員だったので、何人かはプロジェクトをやっていて、携帯電話の充電が切れるのが嫌だから太陽電池で水素を発生させておいて、夜中に水素を使って充電をさせたいという生徒がいて、「太陽光から燃料電池を作る」というプロジェクトをやっていたんです。

反転授業にすることでできた時間によって、学校内の研究プロジェクトを支援することができたとおっしゃっていました。

一斉授業をしていたときは、そんなことはできなかった。

難しい宿題を家で一人でやらせることはなんて無駄なんだろうか。それだったら、その難しい課題を一緒にやるようにしたほうが意味があるんじゃないだろうかと思います。

しゃべっている、アクティビティが多い者が一番学んでいる。それなら、講義をやっている者(=教師)が一番学んでいるわけであって、アクティビティの少ないただ聞いている者(=学生)は、全く学んでいない。学ぶときって、自分で手を動かすときに学ぶので、授業の確認をペアで、言葉や身振りや、書いたりとかしてやったほうが、アクティビティの量が多くなるので学びが深まると思います。

反転授業をやるようになって、生徒から、「90分間があっという間に過ぎた」「次の授業が楽しみでたまらない」という声が出てくるようになりました。授業が終わった後は、頭を使ったという実感があるようです。アクティビティが多いということは、学んでいるということであり、楽しいことなんだということなんだから、生徒のアクティビティが多くなるように授業をデザインしようというのが、反転授業の重要なポイントだと思います。

杉森さんは、越境をし続ける

杉森さんは、学際的に学びたいというところから理科教育や化学を選択し、さらに、専門化する前の初年次教育に関わり、教育の構造的な問題に気づいてFDやIRというようにどんどん活動の範囲を広げていっていますよね。でも、こうやって見てみると、背後で繋がっているように思います。

変な越境をしている気がしますね。

かつて私は80人とか200人とかの学生を伸ばすということを一生やりたかったんです。でもいまの私の目標は、100万人の18歳人口の全員を伸ばすことなんです。だから、それに関わるすべての若い教員の方を仲間としてネットワークを作って、小、中、高、大、全部含めて考えていきたいんです。ですから、教員開発だけじゃなく、教育開発へつなげていきたいんです。仮に金沢大学と石川県の大学連合の教育改革がこの5年でうまくいくならば、石川県の大学に進んでよかったと学生全員が思えるはずなんです。

私は、いつか小・中・高・大をつなぐNPOをやりたいんです。大学コンソーシアム石川という団体がありますが、さらにそれを広げて、学校コンソーシアムというようなものを作らなければいけないだろうなと思うんですね。

それにはかなりの資金を集めなければいけないでしょうが、大学だけで乗り越えられる問題ではないと思います。

私は、富山県出身なので、北陸をなくしてはいけないという思いがあります。

小学校がどんどんなくなり、高校も統廃合が進むで、北陸の大学をつぶすわけにはいかないんです。ですので、近隣の大学のFDのアドバイザーもしているんですけど、大変な状況です。

そこで学習の重要性とか、学習者を大切にするという文化が必ずしもないところで、一人一人説得をしながら、身を切りながらやっていると、もうちょっと違う枠組みでやらなければいけないんじゃないかなという思いも生まれています。

教育コンサルタントとか教育開発のファシリテーションにはまだまだ可能性があると思います。

大学だからとか、高校だからとか、教員だからとか、そういう話じゃなくて、私たちの地域を救うためには、私たちはどういう行動を取らなければならないのかって、答は見えているようなものなんですね。

3年もすると組織の器からあふれ出してしまって越境せざるを得なくなる杉森さんの行動力の源は何なのだろうかと考えてみました。それは、「夢」というような具体的なものではなく、もっと抽象的なものなのではないでしょうか。

それは、たとえば

「狭い枠組みに閉じこもるのではなく、そこから出て手を伸ばしてつながるのがよい」

といったような、「夢」よりも一段、抽象レベルが高いイメージを持っていて、そのイメージに従って判断しているのではないかと思いました。

蛸壺的な学びではなく学際的な総合科目を学びたいという学生時代、科学ジャーナリストやサイエンスコミュニケーターになりたいと考えたこと、音楽家と観客とがそれぞれ手を伸ばして作るライブ、専門科目ではなく専門家と市民を繋ぐ理科教育、薬学や農学ともつながる化学を選択、教師や生徒という役割をはみ出して手を結んで一緒に学ぶアクティブラーニング、組織の枠を超えて理想の学びを実現するために仲間を探していく活動・・・・というように、現実の選択肢の中で何を選ぶのかというときに、そのイメージが、杉森さんの方向性を定めているように感じました。 そして、一貫してある方向へ選択し続けることによって、杉森さんの活動がどんどん積み重なっていく様子をインタビューから読み取ることができました。

杉森さんの勢いは、ここで留まるはずはなく、これからも様々な境界を超えて越境し、理想の学びの実現のために活動の幅を広げていくはずです。今後の展開がとても楽しみです。

「将来やりたいことを動機づけにして学ぶ」ことについて

11/3の反転授業オンライン勉強会のテーマは、前回に引き続き、ファシリテーションです。
 
教育現場でのファシリテーションの目的は、生徒の主体的な学びを引き出すというところにあると思います。
 
主体的な学びということを考えたとき、思いつくのは、
 
(1)「やりたいことをやる」
  
(2)「夢をかなえるために頑張る」
 
といった言葉です。
 
先日、(1)について、幸福論との関係から考察したところ、多くのコメントをいただき、理解を深めることができました。
 
今回は、(2)について皆さんと考えたいと思います。
 
(2)については、 児美川 孝一郎さんが、『キャリア教育のウソ』の中で、とても重要な問題提起をしています。

夢や希望を持ってストレートに仕事に結びつく人はほとんどいない、そして、多くの人が人生の途中でキャリアチェンジをするという現状の中で、「夢をかなえるために頑張る」というような動機づけは、本当によいのかという疑問が湧いています。
 
また、「夢」というものを早い段階で持つことによって、それと関係のないものを、早い段階で捨ててしまうことのリスクもあるのではないかと思います。
 
さらに、自分の夢が、社会的に見てどのような意味があるのかを理解するためには、その夢をとりまく広い状況に対する理解が必要になってくると思います。
 
自分自身は、成功者と呼べる人生をここまで送ってきたわけではなく、どちらかというと挫折が多いキャリアだと思っていて、若いころは、順調にキャリアを築いていく同級生に比べて、自分の状況を残念に思っていましたが、今になって考えると、順調ではない人のほうが多数派で、予想外の状況の中でも、まわりを把握し、自分自身のできることを考え、やれることを見つけていく力を持つことが重要だと感じています。
 
試しに自分のキャリアを図で表したものと、Learning Treeを描いてみたのですが、自分のやってきたことを振り返って、一貫して夢を追いかけたというよりは、あちこちに根を張って、うまくいったところにリソースをつぎ込んで、そこを太くしていったという印象を持ちました。

life-tree

learning-tree
 
主体的な学び=あちこちに勢いよく根を張ること
 
と考えるほうが、「夢」で牽引するよりも、自分にとってはしっくりきます。
 
みなさんにとっては、いかがでしょうか?
 
反転授業オンライン勉強会「ファシリテーション(2)」は、11/3 21:30からです。
 
詳しい内容&お申し込みはこちら

主体的な学びと「幸せのメカニズム」の関係

工業化社会から知識基盤型社会へ社会構造が変化するに従い、決められたことを正確にこなす人材よりも、新しいことを生み出す創造性を持った人材が社会で求められるようになってきました。

それに伴い、チームワークや創造性を高める教育法として、アクティブラーニングや反転授業が注目されるようになってきています。

しかし、これは、あくまでも社会の要請です。つまり、「こんな人材になれば職を得ることができるから有利だよ。」という話です。

それはそれでよいのですが、視点が、学習者から遠く離れたところにあります。

僕は、そこに違和感を感じていて、もっと違ったフレームでアクティブラーニングや反転授業を考えたいと思っていました。

そのヒントは、インタビューの中にありました。

インタビューでであった主体的に生きる人たち

このブログでは、毎月、2-3人の方のインタビュー記事を掲載しています。

反転授業のオンライン勉強会でお話ししてくださる方が中心ですが、それ以外にもお話をうかがいたいと思った方にお願いしてインタビューさせていただいています。

インタビューを重ねるうちに、多くの方のお話に共通点があることに気づきました。

行動を突き動かす強い思いがあって、それに従って行動し続けているうちに疑問や矛盾を感じる場面に出会い、そこで問題意識がぐっと深まり、さらに高次の問題へ高い意欲を持って取り組んでいく・・・というパターン。

このパターンを、インタビューをさせていただいた多くの方の中に見出すことができました。

みなさん、とてもエネルギッシュで、そのエネルギーを支えているのは、自分のやっていることには意味があるという確信であるように思えました。

インタビューを通して、自分を前に進めていくエンジンの出力が高ければ、困難に出会っても、それを乗り越えていくことができるのだから、子どもや生徒にレールを敷くよりも、エンジンの出力を高めてあげるほうが重要なのではないかと思うようになりました。そのためには、主体的に学び行動する力を育てることが大切だと思い、アクティブラーニングや反転授業がそのために役立つと考えるようになりました。

「やりたいことを思いっきりやればよい」についての考察

インタビューさせていただいた方の話の中には、「やりたいことを思いっきりやればよい」という話も出てきました。これを抑制してしまうと、自分自身の感情や意欲のありかが分からなくなってしまい、主体性を発揮しにくくしてしまうからだと思います。

しかし、ここで疑問が生まれました。

「やりたいことであれば、何でもよいのか?」

「やりたいこと」には、様々なレベルがあり、それを一括りに「やりたいこと」とまとめてしまってよいのかと思ったのです。

そんなときに、鈴木利和さんのFacebookの投稿を見かけました。

ザッポス・ドットコムのCEOのトニー・シェイが、幸せの3原則として、次の3つを挙げているということが紹介されていました。

(1)快楽

(2)情熱

(3)崇高な目標

はじめは快楽を追い求めていたとしても、その中に情熱を注げるものが見つかって突き進んでいくうちに、自分の中のいろいろなものが繋がって、大きな目標が描けるようになり、自分のやっていることに意味を見出すことができ、確信を持って進めるようになるのではないかと思いました。

そこまでいくと、心の底から大きなエネルギーが湧き上がってきて、すごいパワーが出てくるのではないかと思います。

僕がインタビューした皆さんの多くは、まさに、そんな感じでした。

幸せのメカニズム

福島毅さんから、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 前野隆司さんのホームページを紹介していただきました。

「幸せのメカニズム-実践・幸福学入門」(講談社現代新書、2013年12月発売)の説明のページ

このページの中に、とても示唆に富むシステム図がありました。

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※画像は、こちらからお借りしています。

前野さんは、幸せの4つの因子として、

1)自己実現と成長

2)つながりと感謝

3)まえむきと楽観

4)独立とマイペース

を上げていて、これを実践することによって幸せの好循環ループが回るというように書いています。

このシステム図を見ながら、自分の子どもや生徒が、「不幸の悪循環ループ」や、「誤った幸せのループ」に陥ることなく、「幸せの好循環ループ」を回せるようになるにはどうしたらよいのかを考えました。

主体的に学ぶということの意味を、「社会から要請される人材」という視点ではなく、「子どもや生徒の幸せ」という視点から考えたのです。

そして、「やりたいことをやればいい」というだけで放置してしまっては、刹那的な快楽を求めて「不幸の悪循環ループ」に陥ってしまったり、金銭欲、物欲、名誉欲に囚われて「誤った幸せのループ」に陥ってしまったりする危険も十分にあると思いました。

その一方で、アクティブラーニングや反転授業を通して、幸せの4つの因子を体験を通して実感させることができれば、自分の大切な子どもや生徒を幸せの好循環ループのほうへ導いていけそうだというイメージが湧きました。

世の中には3S政策のように、大衆をコントロールするためのノウハウがあります。無防備にしていると「やりたいこと」が浸食され、「誤った幸せのループ」に引っ張り込まれて、様々な欲求を刺激されてコントロールされます。

3S政策・・・Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策

今回、主体的な学びと幸せのメカニズムの関係について考察した結果、自分の子どもや生徒に、大衆コントロールに負けずに、主体的に生きて、幸せになってほしい、そのために、自分はガイド役としてのスキルを磨きたいという思いが高まってきました。

主体的に学ぶことが、どのように幸せにつながるのかという道筋が見えてきたことで、やるべきことがクリアになってきたように思います。

 

場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビュー

「反転授業の研究」の田原です。ファシリテーションを学んでいく中で、ファシリテーターとして活躍している方の考え方を知りたいと思うようになりました。そこで、場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビューさせていただきました。

嘉村さんにアクセスしたきっかけは、第2回反転授業オンライン勉強会で発表してくださったmanabiai schoolの杉山史哲さんのFBへの投稿を見たことでした。

投稿を引用します。

場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さんが、新しい場創りの手法「マグネット・テーブル」を開発されました。

嘉村 賢州 さんの場創りの志向生とかなり近いものを感じている自分としては、これは使うしかない!と思っています。

ざっと見た感じだと、OSTより簡単に生成的な場ができそうな感じ。

おそらく、違いとしては、OSTはファシリテーターのbeing や語りが重要な要素になっているのに対し、この新しいマグネット・テーブルでは、その部分をルールで補うことによって、気軽に出来るようになっている…と思います。

OSTやりたいんだけど勇気が…という方にはピッタリ!

そしておそらく、OSTの場を創るのに十分な時間がない時にもこの手法が活かせるように思います。

学校現場でも使えそう。

僕は、杉山さんのことをかなり信用していて、その杉山さんが、”場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さん”と呼ぶ嘉村さんに、ぜひ、お話をうかがってみたいと思いました。それで、その日のうちにアポを取り、インタビューさせていただくことになりました。

最初に、嘉村さんの現在の活動につながる流れをうかがいました。

チームやプロジェクトに参加した学生時代

嘉村さんが、場創りに関心を持ちはじめたきっかけは?

ずっと前から一部の人が話すんじゃなくて、全員が知恵を出し合って進めていくのが意味があるだろうというのが、頭の片隅に残っていました。

その後、京都大学に行って、大学の授業は一方通行でどんどん難易度が上がっていくためついていけなくなり、その一方で、人が知恵を出し合ってモノを作っていくプロジェクトベースの集まりというのが、すごく自分の中ではまっていきました。好奇心の赴くままに、いろんな団体、いろんなプロジェクトに出入りし始めたというのが原点です。

団体やプロジェクトに参加してみていかがでしたか?

そうすると、うまくいっているチームも、うまくいっていないチームもあるんです。ファシリテーションを学んでいて、やっているけどぎくしゃくしているチームもあれば、ファシリテーションなんか学んでいなくても、すごく仲良くて、普段ご飯食べて仲良くしているだけで、何も議論していないのに、イベントのときはすごいクオリティを発揮するチームとかあるんですね。

いいチームと悪いチームの違いって何なんだろうと探究するようになりました。自分自身もリーダーとして引っ張っていく機会も増えていく中で、場創り1つをとっても、チームによって全然違うということを認識していった学生時代だったんですよ。

僕も、今、ワークショップをやったり、プロジェクトチームで仕事をしたりしているんですが、うまくいったり、いかなかったりするのを経験して、その違いは何かというものにとても関心があります。嘉村さんの話に、重要なヒントがありそうだと感じました。

コミュニティで生まれた「魔法の時間」

学生のときからチームやプロジェクトに関わっていたのですね。

大学4年生のときに、せっかく出会った人たちが、より応援し合えるような関係を継続的に作れないかと考えるようになりました。プロジェクトベースの集まりというのは、関係性も深まるけど、解散すると散っていくんです。それで、コミュニティという概念と出会い始めました。

コミュニティを作るために京都に家を一軒借りました。2階に4人住むと4万円ずつ出し合うと16万円になるんで、京都だと一軒家借りられるんですね。その家の1階を24時間、365日開けっ放しにして、信頼する人を連れてきて、紹介で連れてこられた人は、2回目からはアポイントなしでいつでも来て使っていいよという一見さんお断りのコミュニティを作ったんですよ。リアルmixiっていう人もいました。ちょうどmixiが誕生するときと同時ぐらいに生まれたものだったので。5年くらいで1000人くらい訪れるようなコミュニティになりました。不思議なことに、その場で、初対面で集まっているはずなのに、信頼する人の紹介というものがあるだけで、初対面なのに夜には泣きながらしゃべっているというような深い時間が訪れたりするんです。僕らは、「魔法の時間」って呼んでいました。そういう表面的な会話じゃなくて、弱点とか、しっかりした意見じゃなくてあやふやな意見とか含めて、交わすことができるというのがすばらしいなと思いました。この「魔法の時間」のような対話が広がっていったら世の中変わるんじゃないかという思いが生まれました。その原点がコミュニティにありました。

これは、コミュニティを作るうえでとても参考になる話でした。信頼できる人の紹介という担保があることで、最初から心をオープンにできるというのはよく分かる気がします。そして、そのような場によって、人と人とが次々と繋がっていくということに大きな可能性があると思いました。

就職→ITベンチャー→街づくり

コミュニティの経験から次の展開が生まれるんですか?

はい。コミュニティで出会った仲間とITベンチャーを立ち上げました。実は、ITベンチャーを立ち上げつつ、一度、就職したんですよ。でも、結局、1年後にITベンチャーにジョインすることになりました。紹介制コミュニティーでどんどん出会いが広がったように、人生って縁のある人、価値観を同じにする人とか、共感する人との出会いが人生を豊かにすると思ったのんです。それで、縁のある人と出会い、深まる仕組みをITで実現できないかと思い、縁のある人と書いて、「京都サーチ縁人」というサービスをITベンチャーでやろうとしていました。

京都サーチ縁人はうまくいったんですか?

それが、1年でとん挫してしまったんです。そのときに自分がITでこれから生きていくのか、それとも他に再就職するのか、どうしようかと悩んだんですが、人のつながりが人生を豊かにするので、コミュニティとか対話とかで仕事していきたいなと思いました。

それで、紛争解決の技術などがヒントになるなと思って研究を始めました。2006年ごろにシアトルのペガサス・カンファレンスという「学習する組織」の世界大会に参加したりしました。そこには、ワールドカフェを作ったアニータ・ブラウンとかも来ていたりしていました。そんなことをやりながら、ワールドカフェとかOSTとか、絶対に地域で使えるはずだという確信を持つようになりました。

僕は京都が大好きなんですが、京都はしがらみが多い街なので、そのしがらみを対話によって超えられるんじゃないかと思って自主的に事業とかをやっていきました。そのうちに、京都市でもやりたいという声がかかって京都市未来まちづくり100人委員会という100人規模の集まりを毎月1回開催するということになっていきました。その頃は、ワールドカフェとかOSTで街づくりするという事例がほとんどありませんでした。横浜と京都がほぼ同じ時期に始まったところでした。その実績で、企業でもそういう対話が必要だということで声をかけていただいて、今は、地域とかNPOとか企業とかで対話の場を創らさせていただいています。

場創りというものを掲げて活動しているうちに、いろいろなものがどんどんつながって広がっている感じですね。

こういう道って、分かりやすいアンテナがあると、自動的に縁が縁を呼ぶという感じで広がっていくので面白いですよね。

人と人とがちゃんと繋がると、その繋がりが、新たなつながりを生み出してネットワークが広がっていくというのは、僕もこの1年間で経験しています。その経験を通して、人と人とを繋げるということにずっと取り組んできた嘉村さんの周りには、すごく豊かなネットワークができているはずだということを明確にイメージできました。

「魔法の時間」が生まれる条件とは

「魔法の時間」というのが、人と人とがどのようにして繋がるのかを考える上で、とても重要なヒントのような気がするんですが、そのような場が生まれる条件は、どのようなものだとお考えですか?

人間って面白くて、興味を持たれると興味を持つし、心開かれると心開くし、この順序が難しくて、いきなり初対面の人に夢を語れと言っても、夢って自分のアイデンティティなので、自分の夢は笑われてしまうとか思って話せなかったりするじゃないですか。

「安心・安全の場」ってよくファシリテーションでは言いますけど、弱さも含めて全部話しても大丈夫なんだという安心感をコミュニティに感じるかどうかというのが要素だと思います。

紹介制コミュニティーのときは、来た人が、自分が信頼する人が紹介する場だということで大丈夫だろうと感じたことで、うまくいったのだと思います。

嘉村さんの作ったコミュニティーでは、「信頼する人が媒介となっている」ということが、安全・安心の場を創る上で大きな要素になっています。アクティブ・ラーニングでも、「安全・安心の場」が重要になりますが、そこでは、グランドルールの存在と、生徒の可能性を信じて見守るファシリテーター役の教師の存在がカギになっているような気がします。どのようにして「安全・安心の場」を作ることができるのか、そのエッセンスについて考えていく上で、嘉村さんのお話は、大きな手掛かりになると思いました。

ゼロからつなげるときにはステップを踏む

紹介制コミュニティーじゃないときは、どのようにして「安心・安全の場」を作るのですか?

自分がゼロからファシリテーションを依頼されるときには、いきなりそこまで行けないんですよ。どうしても。そのときは、ステップを踏んでいます。

一番最初は共通項を見つける。同じ日本人とか、同じ映画が好きとか、共通項を見つけることで少し距離が近づきます。次に小さな共通体験をします。一緒に何かを作り上げるとか、プレゼンテーションを一緒に作るとか、料理を一緒に作るとか、共通体験をすることで深まっていきます。次に、考えていることとか強みとかを話していって違いを楽しむというか、自分とは違ういいところをもっているなというのが共有されていく段階へ進みます。最後に、それをさらに超えて、不完全さとか、悩みまでも吐き出すことになったら、全面の安心につながるので、かなり深いつながりになっていくと思います。

ただこれをデザインしすぎるのも違うと思っていて、対話の場がうまくつくられたら自然にそういうのが進んでいくと思うんですけど。

順序が違うと、うまく繋がれなかったりするんですか?

どうしても逆転できないというか、一番最初に違いをきかされても、自慢話にしか聞こえなかったりとか、嫉妬心が生まれたりとかもするので。異業種だったりとか、違う背景を持った人の集まりだったりとかだと、この加減が難しいところですね。

「ステップを踏む」という考え方は、自分の中に全くなかったものだったので、目からうろこでした。このように考えると、今すぐに繋がることができないように思える人でも、時間をかけてステップを踏んでいくことで、将来、繋がれるようになる可能性が生まれてきます。人と人とのつながりというものを平面で捉えるのではなく、時間軸も入れて立体的に捉えることによって、可能性が広がるのだという気づきがありました。

異なる属性の人同士で交流する難しさ

日本の社会って異質なものと交流するのが苦手だと思うんですよ。自分から心をオープンにして繋がっていくのが苦手で、マーケティングによって、消費傾向ごとにセグメント化されて、振り分けられた同じセグメントの人と表面的に付き合う傾向があると感じています。

金属の球を物理的にただ接触させてもくっつかないけど、表面を溶かして接触させると融合して強いつながりになるじゃないですか。人と人とのつながりも似たようなものだというイメージがあって、活性化エネルギーを超えてある種の化学反応が起こらないとつながらない気がしているんですよ。そして、その反応が起こる場を創るのがファシリテーターじゃないかなと思っているんです。

そうですね。産官学連携とか、異分野コミュニケーションとか、異分野融合とか、ずっとうたわれてきたんですが、ファシリテーターのようなものを軽視して、異業種交流会とかも設置し続けてきたのでうまく融合することができないことが多く、その結果、異業種交流会に行っても仕方がないとか、結局、異分野融合は無理なのねというあきらめモードに入っているところもありますしね。

ちょっともったいないですね。

異なる背景を持った人同士が相互理解に至ると、違いが創造に結び付き、お互いにとって大きなメリットが生まれると思います。でも、背景が違うため、簡単には相互理解へ至ることができず、むしろ反感などがうまれやすいです。そのためには、嘉村さんがおっしゃっているような「ステップを踏む」といったような工夫や仕掛けが必要になってくると思います。そこにファシリテーターが活躍する要素があるのだと思います。

「知的保留」という考え方

対話の結果、相互理解へ至るというのは感動的な体験だと思うんですが、それを体験したことのない人に伝えるのって難しいんですよ。たとえば合気道の技とか、外から見ていると「わざと投げられているんじゃないか」と思ったりするけど、実際に投げられてみてはじめてどんなものか分かったりするのと似ている気がするんです。でも、対話を広げていくためには、それを語っていく必要があると思います。嘉村さんは、どうやって対話の体験を伝えていますか?

未来を創り出す姿勢として大事な言葉がありまして、「知的保留」というのがあるんです。

合気道なんてないという人を「盲信」の反対で、「盲疑」というんですよ。

「盲信」も「盲疑」も思考停止状態を指すんですね。

すぐに信じてしまうものもそうですし、すぐに拒否するのも考えているようで考えていないんですよ。幽霊なんていないとか。そういう安易に結論を出さずに、あるかもないかも分からないというモヤモヤの状態で考え続けているという努力を「知的保留」っていうんですね。

知的保留をした上で、対話をしたりとか、活動したりすることこそが、現状を乗り越えて新しい未来を創っていく上で大事な姿勢だと言われています。

「知的保留」という考えがあるんですね。

ファシリテーション業界に、U理論というものがあります。U理論の前半戦は、ダウンロードの段階から脱出するところからいきます。人の話を聞くときに、人は自分の枠組みで話を聞くということを行ってしまうんですね。相手のことに耳を澄ましているときというのは、例えれば、洞窟の中で頭にサーチライトをつけて洞窟を探求しているようなもんですね。光を照らして、何か宝物はないかというような構えで聴くことが本当に必要な聴き方なんですけど、多くの人は、頭の上の懐中電灯を灯しているようで、プロジェクターで自分の聴きたいように物事を映していると表現されているんです。

洞窟に存在しないものを、自分で映し出してしまっていて、それを見ているということですね。

そうです。自分の聴きたいように聴いてしまいがちなんです。じゃなくて、自分のプロジェクターを手放して、本当にありのままで人の話を聞くと、本当の共感とか理解が生まれてくるんです。

そうしたときに、本当に人の話を聞くと、自分の中で混乱が起こるはずなんですよ。自分とは違う人生経験とか考え方してきた人の考えが目の前にあるので、混乱するはずなんです。

でも、多くの人は聴きたいように聴いているので、「あ、あのことね」とか、「本に書いてあったあのことを、目の前の人はしゃべっているね」とかいうようにグリッドに合わせて聴いてしまうので、混乱は起こらないんですね。

そういうダウンロードを手放した聴き方を続けていくと、カオスが生まれてくるんですよ。人の話も好奇心を持って聞けるようになるんですよ。相手がBという意見を持っていて、自分がAという意見を持っているときに、本当に好奇心を持つと、相手のBという考え方はどんなふうに生まれたんだろうという心の底からの好奇心が生まれてきます。そのような姿勢で聞いたときに、次に生まれるのが、自分の考え方ってどういう背景でどこから生まれてきたんだろうというように、自分の考えに対してもすごく好奇心が生まれてくるんですよ。

ダウンロードの聴き方をしているときは、基本的に自分の考え方は正しくて、相手は間違っているという形になっているんですね。そこを手放したときに、自分の考えって、実は、親の影響をうけているなとか、こういう経験をもとに生まれてきた考え方だなとか、そういうことに好奇心を持てるようになります。そうなると、自分の考えを手放せるようになってくるんですね。

相手の考えをしっかり聞いて、自分の考えを手放し始めると訳わかんなくなってくるんですよ。これが、カオスで、ファシリテーション用語では、Grown Zoneというんです。

その、もやもやして、わけのわからない状態でも、この先に何が必要なんだろうということを考え続けて、ちょっとあきらめに近い領域で、何が次だか分からないというときに、自分のこだわりを捨てた瞬間に、新しい未来が降ってくるという理論なんですね。

人間はどうしても、未知の世界に対しての地図を欲しがるというか、知識とか、戦略とかで、自分がどこへ行くかというのを確かめながら進んでいきたいもんだと思います。居心地が悪いんで。そこを確かめずに、委ねることによって未来というのが現れてくるんだというのがU理論の考えです。

なるほど。僕は、物理から生命科学へ移動して、生きている状態とは何かということを研究していたんですが、その中で一番感動的だと思ったのが、生き物がそれまで従っていたルールを手放して飛躍する瞬間なんですよ。そこに、機械とは違う生き物の本質を感じていました。たとえばテントウムシを手に這わせると「上向きに歩く」というルールに従って歩き続けるんです。ところが、指の先まで来るとそのルールが適用できなくなってきます。それでどうするかというと、しばらく足をバタバタさせるんです。それまでのルールから抜け出すために内部にカオスを自分で作り出しているように見えるんです。そして、カオスを経由して「飛ぶ」という別の行動へ移行するように見えます。これは、U理論ととても近いイメージです。

本当に生命にはヒントが盛りだくさんだと思います。教育とかでもカオスを避けがちで、もったいないですよね。

僕の恩師は「カオスには世界をサーチする力がある」と言っていました。僕は、結構、その言葉に救われたんですよ。

僕も、はじめて知的保留な生き方というのに触れたとき、自分に勇気をくれたというか。答を出すことが必ずしもいいこととは限らないというところは、ありがたかったですね。

嘉村さんのお話で出てきたU理論については、こちらが参考になります。

utheoryfirstview

※画像はこちらからお借りしました。

僕は、学び方には2通りあって、PDCAサイクルみたいに経験からのフィードバックによって改善、最適化していく学び方と、今までのやり方を手放して新しいやり方を探していくような学び方があると思っています。U理論は、後者の学び方についての理論です。慣れ親しんだやり方を手放し、未知のものを探すというのは恐怖心を感じるものなので、なかなか難しいことですが、それを乗り越えた成功経験を積み重ねることで、破壊と創造を繰り返しながら、よりよいものを求めていくことができるようになると思います。

古いものを手放して、新しいものを探している状況は、よりどころがない不安な状況ですが、そこに「知的保留」という肯定的な意味を与えることで、未知のものへの探究活動を後押しできるのだということを嘉村さんの話から感じ、感動しました。

カオスの中で道なき道を進んできた

一見すると、嘉村さんは、京都大学を出て、自分がこれだという道を見つけて、ここまで順調にやってきたように見えますが。

そんなに順風満帆でもないですからね。僕は発達障害的なものを抱えていて、ADHDなんですよ。社会人になってから分かったんですけどね。よく考えてみると、小学校のころから机がぐちゃぐちゃで、中から給食で残した腐ったパンが出てくるみたいな、いわゆる典型的な発達障害の症状があったりして、自分の中にコミュニケーションコンプレックスもすごく持っていました。

一回、就職したときも、グループワークは5段階で5くらいの成績を残してきたんですが、「ほうれんそう」があまりできなかったり、資料整理ができなくてつまづいたり、プレゼンがうまくできなくてつまづいたりだとか、そういう意味で、普通の人ができることができなかったので苦労もしました。

あとは、NPOを自分たちで経営しているので、ビジネスを回していく苦労はしてきたかなと思いますね。道なき道を作っていっているというか、前例のないところをやろうとしているので、そういう意味では、毎回毎回カオスの中にいるというか、勇気を持ってやってみるしかないという感じでした。真似るんだったら過去から学んでいくらでも方法論があると思いますけど、ファシリテーターを仕事にしている人自体がほとんどいませんでしたから。なぜ、ファシリテーションなんかにお金を払う必要があるのという時代でしたから。

今は、職業化したファシリテーターがだいぶ出てきて、心強いなと思っています。

新しいことに挑戦しているということは、過去の改善から学ぶことができず、未来から降ってくるものを直感によってつかみ取っていくことになります。そういう意味では、ファシリテーターを仕事にするということは、カオスの中で未来を探し続けるということなのだと思いました。それを自らが実践してきた嘉村さんだからこそ、カオス状態にある人のことを良く理解し、支援できるのではないかと思います。

嘉村さんが場創りで体験したかけがえのない経験

嘉村さんは、一貫して場創りに関わっていらっしゃいますが、なにが嘉村さんを場創りに駆り立てているんですか?

魔法の時間みたいなものを味わって、そのあとファシリテーションをしていく中でかけがえのない経験を数多くしました。

たとえば、企業の部門長クラスで、上からも下からもプレッシャーを浴びているような人で、はじめは、管理職の役割としての発言はするけども、個人としての発言なんか出ないというような人だったんですけど、半年くらい一緒にやっていくうちに、残りの職場人生で若いやつらに何を残せるのかということを涙しながら語ったりするわけです。そういう人が本当に持っているやさしさだったりだとか、自分の命をどう使うかとか、そういうものが溢れるシーンを、いくつか見せていただいて、すごくかけがえのないところに自分は関わらせていただいているんだなと感じました。それが原動力になっていると思います。人間の本当の良さをまじかに見ることができる場所にいるなという感じがします。

なるほど。シンガポールでワールドカフェのホストの方の自宅に招待されたことがあって、そのとき、3時間くらい二人で対話をしたんです。いろいろな問いかけをされて、いっしょに考えていくうちに、自分に対してすごく整理されてクリアになってきました。後になってから、自分は、いろんなものを引き出してもらったというか、かけがえのないことをしてもらったなという感覚が生まれました。嘉村さんの場を体験した人も、そういう感覚を持っているのではないでしょうか。

海外のファシリテーターの皆さんは、そういう哲学を地でいっていて、本当に人を信じているなというファシリテーターの方にたくさん出会わせていただきました。本当にオープンで、本当に信じているなというのが伝わってきました。

日本にコーチングを持ってきた人の一人で、CTIを立ち上げた榎本英剛さんという方がいます。彼は、、本当に世界中の誰でも宝物にすべきものが眠っていると心の底から思えれば、コーチングのテクニックなんていらないんですよというようなことを言っています。

榎本さんは、今は、地域づくりに分野を移されているんですけど、そこでも同じことを言っています。地域を持続可能な地域に変えていくという世界的な動きがあって、トランジションタウンというんですが、その考え方は、地域の未来を創るのに必要なものは地域に眠っているので、安易に外部の人を呼んでこようとかせずに、地域の中にあると信じて地域づくりをすれば、絶対未来が生まれてくるというものなんです。

榎本さんが使うたとえで、このようなものがあります。

「今から皆さん、最寄りの駅に行くまでにお金が絶対に落ちていると信じて歩いてみてください。そしたら、必ず1円とか10円とか落ちていますから。でも、どうせ落ちていないと思って適当に歩いたら絶対に見つからないですよ。一回、絶対あると信じて歩いてみてください。絶対に見つかりますから。それと同じで、あると思い込んで接するのか、あるかもしれないないかもしれないと思って接するのかでは、全然違うよ」

これは、たぶん榎本さんが1000人以上コーチングやってきた中で、本当に一人一人が宝物ということと出会ってきたことから来ているたとえなんだと思いますね。体に人を信じることが落ちているので、そこまでいけるんだなと感じています。

僕自身も場創りに関しては、すごく数をこなさせていただいて、途中でトラブルが起こったりすることは当然あるんですけども、だいたいいい未来が生まれてくるというのを経験して、ようやく信じられるようになってきたというのがあります。

この話をうかがって感じたのは、教室にいる教師の存在も同じだということです。生徒の可能性を心から信じてそこにいるということが、様々なテクニックよりも重要なのだということを言われたような気がしました。

コントロールを手放して場にゆだねる

最近、場を信じるということの重要性を実感する体験がありました。ファシリテーションの有料講座の参加者を募集していたんですけど、今までは、マーケティングの手法に沿って募集していたんですが、メイン講師の福島毅さんの想いとか、自分の今の気持ちとかを考えていくうちに、「一方的に情報発信して販売する」という手法自体を変えていかなければならないんじゃないかと思って身動きが取れなくなったんですよ。ちょっとカオスになっちゃったんですね。それで、リスクは感じたんですけど、自分の考えをオープンにしてみたんです。

そしたら、いろいろなフィードバックが来て、運営側と受講者という境界があいまいになって、訳が分からなくなってきて、そのうちに、みんなが助けてくれて講座が成立するくらいの受講者が集まりました。フィードバックを受けて、毎日、申し込みページが更新されていくというのは、初めての経験でした。

すばらしいですね。まさにコントロールを手放して、リスクも取って、委ねた中で生まれたものですね。本当に素晴らしいですね。

勇気を出して、手放されたからこそ生まれたストーリーじゃないですか。それは、他の人にも勇気を与えるストーリーだと思います。

今のストーリーは、まさに、サイモンシネックのゴールデンサークルの話ですね。

アップルとか、ライト兄弟とか、マーチン・ルーサー・キングとか、成功しているリーダーは、考え方と表現方法に他の人とは全く違うものがあるという話です。

普通の企業は、分かりやすい差別化要因だったり、どんな機能があるかというところから語る。たとえば、うちのパソコンの性能は最新鋭のCPUを揃えていて、画面の解像度は素晴らしいですなんていう話から入っていくとか、うちの法律事務所は、こういうような専門家が集まっていて・・というような。機能で説明するというのが多いんだけども、ライト兄弟も、マーチン・ルーサー・キングもアップルも、何を信じているのかというところから語っている。Whyから考えよう。多くの企業はしゃべりやすく、言語化しやすいWhatから語るけども、卓越したリーダーは、言語化できないWhy、なぜそれをやりたいのか、なぜそれを信じるのか、何をそこに希望を見出しているのかというなぜから語るという話でした。

田原さんは、まさに今回、恐れを手放して、勇気を持って・・Whyって否定されると一番つらいところじゃないですか。違うと言われたらアイデンティティに関わるようなことを、勇気を持って信じていることをあいまいでもいいのでしゃべられたというので、共感が生まれて、まわりをも動かしたということだと思うんですよ。

それは、本当に素晴らしい一歩を踏み出されたなと思いますね。

そうおっしゃっていただけると、自分の中で確信のような感情が生まれてきますね。ちょうど同じ時期に、まったく考え方の背景が違う方同士がコミュニケーションを取っているところに間に入る機会があったんですね。同じ言葉を使っているのにお互いにほとんど言っていることが分からない状況で、ストレスが溜まってきて、「もうやめましょう!」みたいな感じになったんです。そのときに、今までだったら感情的になって、それで終わりにしていたような気がするんですが、たぶん、僕の中でいろんな変化があって、「これは、分かり合うためのチャンスだなー」という気持ちになったんです。それで、ストレスを感じた状況を共有して、その原因をみんなで考えることにしたら、分かり合えたような感覚が生まれました。これも、自分にとっては、インパクトがある経験でした。

原体験でそんなのを持っているのは、本当に素晴らしいですね。

すごくいいと思いますよ。知識から入ると逆効果ですからね。知識から入ると、ダウンロードで入ってしまうじゃないですか。いろんな反応が起こったときに、「ああ、あの本に書いてあったあの反応が起こった」というように場を捉えるわけじゃないですか。でも、それって、もしかしたら違うかもしれないというところとかも、全部、解釈されてしまいます。だから、まずは、実践ありきのほうがいいと思っています。

自分もファシリテーションとか、コーチングとかに興味あったんですけど、逆に変な影響を受けてしまうと思ったので、6-7年間は一切勉強しなかったんですよ。自分なりに試行錯誤して、どういう場がいいのか、どういう場が悪いのかというのを体感で試行錯誤して、それを、その後の5-6年で知識で整理していったという過程を踏みました。

今、知識がないと怖いからという理由で勉強から入ると、結構、間違った方向に行きやすいと思っています。コーチングでも、勉強から入った人のコーチングって、変に目標設定されちゃったりして、操作されている感じがするんですよ。人と人との純粋なやり取りがある中で、スパイスとしてのノウハウはありなんですけど、ノウハウで人って動くものじゃないですから。田原さんは、すごくいいプロセスを踏んでいられるなと思います。

今回の2つの例は、理屈ではなく、直感で動いたという感じなんですよ。

たぶんそうだと思いますよ。そのプロセスで、「本音出したら次動くだろうな」というもんじゃないじゃないですか。たぶん、これ伝えておかないと絶対に嫌だというような直感というか、そういうのに駆り立てられて、それで、これで理解してもらえなかったらしゃあないという手放しもあったりしながら、たぶん一歩進まれたと思うんですけど、それは、理屈で考えてもできるもんじゃないなと思います。

自分の体験を言語化して嘉村さんに語ったことで、改めて自分にとっての体験の意味が明確になりました。論理的に行動したほうがよいフェーズと、直感的に行動したほうがよいフェーズとがあり、その両方の使いどころが整理された気がしました。カオスから抜け出すときは、過去のデータから割り出された解は意味がないので、直感に従うべきだということを言語化できました。

人間的な成長を促すファシリテーション

今、教育分野では、一方向的に知識を与えるのではなく、生徒が主体的に学ぶ力を育もうという機運が高まって来ていて、アクティブラーニングや反転授業が注目されるようになってきています。その中で、教師には、ファシリテーション能力が求められてきています。嘉村さんは、教育について、どのように感じていますか?

教育は、本当に大事ですよね、基本的に知識詰め込みが多いじゃないですか。今の田原さんみたいに興味を持ったときの吸収率ってすごいと思うんですけど、今の学校教育って、好奇心が生まれる前に教え込んでしまっているので、知識面でも吸収率が悪いし、入っていかないですし、入ったところで自由自在に活用できる知識ではなくて、テストで点数を取れる知識になっていると思います。そういう意味で、考えてから知識を入れる、好奇心を持ってから知識を入れるというようなファシリテーションというのは意味があると思います。

そもそも、対話というものは、自分は何者なのかとか、自分はどうありたいのかとか、日々、自分のメンタルモデルを作り替えていくというものなので、学校教育が知的成長だけを扱うんだったらいいんですけどね。人間的な成長を扱うのであれば、ファシリテーションは不可欠だと思います。

ここで嘉村さんがおっしゃっている「人間的な成長」というのは、メンタルモデルを疑って変更する経験を通し、自分を成長させていけることだと思います。「テストでよい点数を取るのがよい」という1つのメンタルモデルに従って学校生活を送り続けることは、知的成長をすることは可能かもしれませんが、「メンタルモデルを作り替える」という体験をしないことの弊害も出てきます。アクティブラーニングや反転授業の役割として、「メンタルモデルを作り替える経験をさせる」というものが、対話の中から浮かび上がってきました。

一生懸命やっている人ほど考え方が変わるはず

僕は、ファシリテーションについて考えていったら、アメーバ―型社会のようなものにたどり着いたのですが、嘉村さんは、社会についてはどのように考えていますか?

社会のメンタルモデル自体を変えなくちゃいけないと思っています。この間、派遣村で有名になった湯浅誠さんという方と対談して文芸春秋に取り上げてもらったんですけど、考えがブレないことが強いリーダーだというメンタルモデル自体が今の社会の弊害の一つなんじゃないかという話をしていました。

本当にいいものや良い社会を作ろうと思ったり、よい理念を追いかけていたら、新しいものと出会うはずで、新しいものと出会えば変わるはずなんです。一生懸命やっている人ほど、考え方が変わるはずで、変わることを良しとしない限り、より安定、より平凡な方向へ行ってしまいます。ブレる人ほどいいと思います。僕は、マニフェストの政治が嫌いなんです。事前に結果を約束してからやるんじゃなくて、方向性とか問い、これを信じているんだけどなということを言って、後は、通った後、試行錯誤しますということじゃないといけないんじゃないでしょうか。こんな世界にしますということを詳細に書くマニフェストというのはちょっとおかしいんじゃないかと思っています。そのブレたらいけないメンタルモデルをまず変えないとダメだなーというように思って、そういう対談をしていたんですよ。

失敗が許されない世界というか、もっと社会実験ができる社会にしていかないと、どんどん衰退していきますよね。

過去の経験から生まれたものを改善するだけでは、限界がありますよね。

そうですよね。アインシュタインの言葉で「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない」という言葉があります。

何か問題が起こったときには、その考え方だから問題が起こっているわけなので、考えの次元を上げないと、つまりメンタルモデルを変えないと解決しないんですよということだと思います。

いじめがおこったという学校があったとすると、いじめが起こってしまう何かを教えている学校のメンタルモデルがあって、それを根本的に変えない限り、誰かのせいにしたとしても変わりませんよね。

アインシュタインは、まさに、ニュートン力学の一様な空間、一様な時間という前提を疑って、それを覆すことによって矛盾を解決しました。僕が科学を勉強していてよかったと感じた瞬間は、カオス理論とかゲーデルの不完全性定理とか、ポパーの反証可能性とかに出会ったことで、1つの方法論を突き詰めていくと、内部に矛盾が生まれてきて、前提が問われ、それによって枠組みが広がっていくというプロセスの普遍性を学ぶことができました。自分の物理授業にも、公式暗記の学習法を手放し、原理からすべての法則を導いて解くという方法を学ぶということがテーマになっていますが、今回の対話により、それをもっと一般化して、「自分の前提を疑い、それを乗り越える」という要素を入れたいと思いました。

負の連鎖を対話によって少しずつ剥いでいく

ストリート系の友人と会話をしていたときに、その人が、社会を中心の輪の中にいる人と外側にいる人とに分けてイメージしていて、内側の人が本音を隠して生きているのに対して、ストリート系は外側で本音でつながっていると言っていたんですね。僕は、現状の社会では、全くその通りかもしれないと思いました。でも、それは、既存のシステムに認められている部分と、システムから排除されている部分とがあって、ストリート系とか、方向性は違うけどエロ妄想系とかを、システムから排除されているがゆえに本音として認識してしまいがちだという部分もあると思っているんですよ。だから、ある意味、システムによって「本音」が制約されてしまっていると思うんですよ。そういう制約を、対話によって乗り越えていけないかなと思っているんです。

たぶんそこでその人が本音を強調されるのが、本音を出して傷ついたりとかいう経験があって、まだそれを解消できていないからそこにいると思うんですよ。ストリートをやっていない人とは本音で関われないとか、関わる自信がないとか、そういうことがあって、そういうことを言ってしまっていると思うんですけど。

あらゆる人がそうだと思うんですよ。どっかで体験したトラウマとかがあって。

自分は社会起業家という立場にいるんですけどね、社会を変えていこうということで、一見、ポジティブなんですけど、結構、攻撃的なNPOとかもいっぱいあるんです。あれは、よくないものを変えるということをやっていることで、自分が安定したいということだという人もいるんですよ。教育も心の底から子供たちを応援するというのでやっている人もいれば、教育という教える側と教わる側の上下関係によって自分を安定させたいという部分もあると思うんです。そういう自分の持っている負の部分を安定させるために動いてしまうというのは、誰もが持っていると思うんですけど、その連鎖だと思うんですよ。

自分の子どものころに夢をかなえたかったけど親に反対されて挫折せざるを得なかった人が、大人になると、夢なんて持っても意味がないと思うので、部下が何か提案したときに否定的に行ってしまうとか、若者が夢を語ったときに「現実社会はそんな甘いもんじゃない」と言ってしまったりとか、いろんな負の連鎖が世の中に起こっていると思うんですけど、対話っていうのは、そういう負の連鎖を少しずつ剥いでいってくれる気がするんですよね。

一番最初に言ったような信頼関係で安全、安心の場ができたときには、自分の弱さとか悩みとかも言えるようになってくるんですね。そういうのを言っていくうちに、解放されていくと思います。

成長過程で背負ってきたいろんなトラウマとか挫折経験とかによって、純粋に人の役に立つとか、自分を生かすとか、人を信じてつながることの喜びとか、自分自身を生かすことの喜びとか、本来持っているものを発揮するのを邪魔していたものを取り除いていくのが対話の効果だと思っています。

じわじわと変化していくんですね。

漢方薬的ですよね。対話を経験していくとだんだん免疫力が上がるような感じです。対話の場を踏んでいけばいくほど、人のつながりに対する信頼感とか自分への信頼感が高まっていくというような効果があるかなと感じています。

ファシリテーションの中には構成的なプログラムをバシバシ!とやったり、ファシリテーターが引き出して!みたいな場創りをする人も結構いますけども、それは、わりと西洋医学的な感じですね。短期的にバーンと変えるという感じです。

それに対して、非構成的な場を信じて待とうというのは、わりと漢方薬的で、究極変わるのはあなたたちですよという感じです。

たまには緊急治療も必要なので、構成的な仕切り方では「何とか変えてみせましょう」というのも悪くなくて、それこそ西洋医学をやることも必要なこともあるのでいいんですけど、一人一人の主体性や気づく力を育むのは、非構成的な場だと思っているので、できれば信じて待つファシリテーションをやりたいというのはあります。

嘉村さんのお話をうかがって、対話が、社会や個人の心の中の様々な歪みを、少しずつ直していく力を持っていることがよく分かりました。それは、自分が体験していることとも一致することなので、とても説得力を持って心に響きました。

ファシリテーションの重要性にいち早く気づき、先頭を切って様々な試行錯誤を積んできた嘉村さんのお話から、学ぶことがたくさんありました。

嘉村さんが代表理事を務める「場とつながりラボ home’s vi」はこちらです。

福島さんのファシリテーションの「秘伝のたれ」とは?

田原です。こんにちは。
 
今回は、言葉で表すことが難しいことを伝えることに挑戦してみたいと思います。
 
みなさんは、
 
優秀なコーチ、
優秀なカウンセラー
優秀なファシリテーター
 
などと、対話したことがありますか?
 
僕は、彼らと対話した後、「心が大きな体験をした」という感覚がありました。
 
そして、そこで話したことが、ずっと心の中に残っていて、その影響で、自分の心が動くパターンが変化したという感覚がありました。
 
彼らから共通して感じたのは、
 
・自分を受け入れてくれているということ
・自分に興味を持ってくれているということ
 
これらによって、心の防御が外れてオープンになったときに、いろいろな質問・疑問について一生懸命、一緒に考えました。
 
そして、その問いに導かれるようにして、いっしょに見つけたものは、自分に行動パターンを変化させるほどのインパクトを、自分の心のメカニズムに与えたのです。
 
 
最初に経験したのは、ワールドカフェのファシリテーターであるシンガポール人のSamantha Tanさんの自宅にお邪魔したときです。
 
大きな円卓に座ってランチをごちそうになった後、ソファーに座りながら話をしました。
 
日本の教育のことや、自分自身がやっていることを話しているうちに、Samanthaさんから、いろいろな質問が投げかけられて、それについて考えたり、答えたりしているうちに、どんどん思考が深まっていく感覚がありました。
 
シンガポールからの帰りの飛行機の中で、自分がしてもらったことについて、ずっと考えていたのをよく覚えています。
 
 
このような「心の体験」が、オンラインでも起こるのかどうか。
 
それを試すために、小林昭文さんといっしょに、オンラインのアクション・ラーニングの実験を行いました。
 
ビデオ会議システムを使ったアクション・ラーニングで、「心の体験」ができるのか?

カウンセラーやファシリテーターの魔法が、オンラインでもかかるのか?

それを試してみたのです。
 
小林さんがコーチになり、チームでギュンター知枝さんの課題について、お互いに気づきを促す質問をするセッションを行いました。
 
その結果、やはり、「心が深い体験をする」ということが起こりました。

実験は成功でした。
 
オンラインでもできるという確信が生まれました。

 
 
前回行ったAL型授業のオンライン講座は、実験の成功を踏まえて、ビデオ会議システムとムードルでのフォーラムセッションをやる中で、アクション・ラーニングと同様の効果が生まれるように小林さんが設計しました。
 
 
講座を終了したあと、それが行動の変化につながった人が多かったことから、小林さんがオンラインに作った場が、力を発揮したのだと思いました。
 
 
このように、優れたファシリテーターは、場をデザインして、参加者に「心の体験」をさせることができます。
 
 
そして、それは、オンラインでも可能です。
 
 
今回の「ファシリテーションスキル入門」のメイン講師である福島毅さんも、また、優れたファシリテーターの一人です。
 

数多くの対話セッションや会議、ワークショップを運営している経験豊富な方です。
 
 
そして、前回のAL型講義のオンライン講座には、自ら、お金を払って、オンラインでの場創りについてのノウハウを学ぶほど、勉強熱心な方です。
 
 
だから、今回の「ファシリテーションスキル入門」で、福島さんがオンラインに作る場でも、参加者の気づく力が強まり、たくさんの「心の体験」が起こるのではないかと確信しています。
 
 
さらに、今回は、福島さんの合意形成に関する研究から生まれた、まさに「秘伝のたれ」ともいうべきノウハウも、参加者のみなさんに伝授します。
 
それは、
 
「合意形成が難しい場合のファシリテーションのやり方」
 
です。
 
 
それは、どんなものなのか福島さんに質問したのですが、
 
「口で説明しても、なかなか伝わらないものなんですよ。」
 
という回答が返ってきました。
 
 
ワークショップの第4週に合意形成が難しいテーマについて話し合ってもらい、その後、その経験を踏まえた振り返りを経て、福島さんから「秘伝のたれ」が伝授されます。 
 
 
僕自身は、この「秘伝のたれ」を理解することを、とても楽しみにしています。

きっと受講してよかったと思っていただけるようなものなのでは、ないかと思っています。(そうですよね。福島さん!)
 

本日(28日)24時が申し込みの締め切りです。
 
お申し込みはこちらから

ファシリテーションスキル入門の申し込みは本日24時まで

田原です。こんにちは。
 
今回、ファシリテーションスキル入門のオンライン講座の告知をして、とてもうれしかったのは、たくさんのフィードバックをいただけたことです。
 
講座に様々な都合で参加できない方も、応援のメールやメッセージを送ってくださり、それが、すごく力になりました。
 
講座にお申込みいただいた方からも、たくさんのメッセージをいただきました。
 
●江藤由布さん
 
ビデオでメッセージをいただきました。
 

 
●溝上広樹さん
 
田原さんの思いやアメーバ型組織に賛同します。さらに、ここに参加される福島さん、松嶋さんたちとも、また一緒に勉強したいと感じていました。

それでも、受講を決めるまでには正直なところ葛藤がありました。それは、主に2つの理由です。最大の理由は、時間の捻出です。
2学期からは、新しい授業形態にしたこともあって、まだ慣れないところもあり教材研究には追われています。夏休みとは余裕のレベル が全く違います。余裕を無くし、授業の質を低下させるわけにはい かないと思っています。しかしながら、ここについては具体的な学習方法や課題の内容が示されたことで、何とかなりそうだなという感覚が湧いてきました。理由の2つ目は、オンライン形態で演習を 行うとはいえ、ファシリテーションはやはり知識ではなくまさにスキル(技)という認識があったことです。
 
しかしながら、それもいわば逆説的に解消しました。それは、より良い学びになるかは、ひとつは自らの技を鍛錬し、どれだけこの学びのチームに貢献できたかどうかで決まるのではないかという思いです。
また、ファシグラを取り入れた授業を少なくとも今学期中には実施したいなと思っていたため、ホワイトボードミーティングについても自らの授業と関連づけをすることができました。 そして、最後の後押しは、松嶋さんの動画でした。ここでの学び、 新しい繋がり(出会い直し)は、まずは自らを豊かなものにしてくれることだろうということを、前回のAL講座から今までの自分を振り返り確信することができました。
 
本講座、たいへん楽しみにしています。どうぞよろしくお願いしま す。
 
●横川淳さん
 
生徒への質問の仕方(生徒がちゃんと「考える」ような質問)と、会議の運営の仕方(思っていることを出し合って、最後に議決したらその通りに行動するような会議運営)の両方の技術を向上させたくて、
受講することに決めました。
 
この度は貴重な場をご用意頂き感謝します。
どうぞよろしくお願いします。
 
●松本梓さん
 
はじめまして!病院勤務で薬剤師をしております。

「自分が受けたい医療を実現する」「私を育ててくれた医療業界に恩返しをする」ために、研修医、若手薬剤師、同世代の友人を対象 に積極的に教育にも関わって行きたいと考えていますし、実際に関 わる機会も増えてきます。
 
今回の経験を生かしてより深い学びの場を提供出来るようしっかりスキルを吸収したいと思います。
 
この度は貴重な場をご用意頂き感謝します。
どうぞよろしくお願いします。

●ヤシロエツコさん

ファシリテーターとなれるような知識を得る事により何か(内外ともに)を変えていかれたらと思っています。小さな会社を経営する上でも役立つ知識であると感じております。
 
●林 丈嗣さん
 
勉強しに来ました。
よろしくお願いします。
 
●小川靖子さん
 
オンラインでのこうした講座への参加は初めてですが、楽しみにしています。よろしくお願いします。
 
●中川耕治さん
 
講座の内容と、初体験の受講方法にワクワクしています。
よろしくお願いします。
 
●倉本龍さん
 
過去2回、途中でドロップアウトしてしまっています。
日曜日の夜は何かと用事が入ることが多い、 職場を移ったばっかりでバタバタしているなど複合的な要素がありましたが、業務が落ち着き、水曜の夜であれば大丈夫と思い、参加させていただきます。
よろしくお願いします。
 

皆さんの期待を感じて、講師も運営もモチベーションがすごく上がっています。

本日24時が申し込みの締め切りです。

お申し込みはこちらから
 
 
(追加)
 
江藤由布さんのアドバイスで、松嶋さんが講座紹介ビデオを作りました。
 
何度も取り直して、フィードバックをもらいながら、最終的に、このような形になりました。
 
僕たちも、みなさんのおかげで成長しています。
 
 
松嶋渉さんの講座紹介動画
 

 
 
(おまけ)
江藤さんが、講座をイメージできるような音楽つきイメージ動画を作ってくれました。感謝!
 

 
 
申し込み締め切りは本日24時です
 
お申し込みはこちらから

忙しくてファシリテーションを学ぶ時間が作れません

田原です。こんにちは。

ファシリテーションスキル入門について、たくさんのお問い合わせをいただいています。
 
その中で、一番多いのは、

「仕事が忙しいので、受講できるかどうか心配」
 
というものです。
 
夏休み中とは違って、授業が始まってしまったら、授業の準備や、様々な業務があって、いっぱいいっぱいの方もいらっしゃると思います。
 
実際、最初にお申込みいただいている方は、会社経営者など、教師以外の方で、時間に融通が効く方の割合がいつもよりも多いです。
 
受講してみたものの、ほとんど参加できなかったということだと、参加者にとっても、運営側にとってもよいことではないので、課題の量をはっきりさせて、判断できるようにしたほうがよいと思って、メイン講師の福島さんに、どのくらいの課題を課す予定なのか、うかがってみました。
 
 
Q.予習は、どのくらいの分量なのですか?

A.どんぐり教員セミナー、または、配布するパワポ資料を見て、関連する基本事項をおさらいするのが予習になります。

 見たことを一度、言語化しておくと頭に残りやすいので、
 
 「傾聴とは何ですか?」

 といった概念の確認などを課題に課す予定です。

 個人差はありますが、1週間につき30分程度の予習を課すつもりです。

Q.どんぐり教員セミナーやパワポ資料をスマホで見れば、隙間時間で予習を終えることができますね。

A.はい。昼食を食べているときとかにスマホで動画を見て、宿題に関するところを画面キャプチャしておいて、あとでMoodleに書き込むようにすれば、改めて別に予習時間を作らなくても大丈夫だと思います。

Q.復習は、どのくらいの時間ですか?

A.オンラインのセッションが終わった後に振り返りシートに記入してもらいます。これも個人差はありますが、15分くらいで終わる量にするつもりです。

Q.ということは、個人差はありますが、1週間で、講座に使う量は、30分の予習、90分のリアルタイムセッション、15分の振り返りシートということですか?

A.はい。それだけやれば参加義務を果たせます。あとは、余力に応じて、Moodleの相互コメントを書き込んだり、関連資料を読んだり、それは、個人の状況に応じてやってもらえればと思っています。

今回は、必ずやらなければならないという義務の部分を少なめにしています。
 

それは、多くの人に参加してもらいたいからです。
 

余力がある人には、それに応じて資料を提供したり、フォーラムで相互コメントして気づきを深め合ったりして、さらに学べるようにしています。
 
 
また、週に1回、松嶋ルームを開き、ビデオチャットでつながり、受講者同士での交流を深めることもやります。
 
 
前回のAL型授業のときは、ずっと4-5人の参加でしたが、最後のルームにはたくさんの人が集まり、3つのルームを開くことになりました。
 
 
AL型授業について興味のある人同士で、熱い話があちこちで繰り広げられ、宴会みたいになっていました。
 
 
僕は1時間ぐらいで抜けましたが、最後まで残っていた人たちは、なんと1時過ぎまで話していたとか。
 
 
それをきっかけとして、Facebookなどでつながって交流がはじまり、それぞれの活動を、お互いがエンパワーしています。
 
 
僕は、この状況をファシリテーションについても作りたいと思っています。
 
 
ファシリテーションスキルをオンラインで学んだ人たちは、そのあともFacebookなどで繋がって、いろいろな課題をシェアしながら、講座が終わっても学び合いを続けていくことでしょう。
 
 
それは、AL型授業スキルアップ講座が終わった後に起こっていることです。
 
 
もちろん、福島さん、松嶋さん、そして、田原も、皆さんと一緒に学び合いに加わります。
 
 
この講座は、そのような継続的な学び合いのチームを作るための場を提供するという意味もあるのです。
 
 
今日、Facebookの投稿を見ていたら、福島さんに会ったことのある人が、福島さんの印象を、

温和で知的、強い使命感を持っている人

と書いていました。これは、僕の福島さんへの印象と同じです。
 

声が大きい人が周りを従えていくのではなく、温和で知的、強い使命感を持っている人の周りに、自然に渦が広がるような社会にしたいです。

ファシリテーションスキルは、そのためのカギを握るものだと思っています。

本日(28日)24時が申し込みの締め切りです。

講座の詳細はこちら

松嶋渉さんにとってのファシリテーションを学ぶ意味

「反転授業の研究」の田原です。

10月1日から始まるオンライン講座「ファシリテーションスキル入門」の目的の一つは、ファシリテーションスキルを広めるためのコアチームを作ることです。

ファシリテーションスキルを身につけた人は、そのスキルを周りに伝えていくことができます。

その人を中心として、同僚やお子さん、生徒などのファシリテーションスキルが、高まっていくことでしょう。

チームのメンバーが直面する様々な課題を、チームでシェアして、みんなで解決策を探り、それを現場にフィードバックしていくことができれば、大きな力になると思います。

そのためには、参加者同士が、お互いによく知り合うことが必要だと思っています。

前回実施したAL型講座では、横山北斗さんによる「横山ルーム」が、メンバー間の親交に大きな役割を果たしました。

ビデオチャットでつないで、ほとんど居酒屋気分で、気楽に話すことで、親近感が増し、相互理解が深まりました。

今回の講座では、松嶋渉さんに、同じ役割をしてもらう予定です。

松嶋渉さんのインタビューはこちら

週1回開かれる「松嶋ルーム」で、日々感じているいろいろなことを気軽にシェアしながら、交流を深めたいと思います。

その松嶋さんに、ファシリテーションを学ぶ意味についてうかがっていますので、紹介します。

「でもこんなことやって何になるんですか?」

とか

「それは無理だと思います。難しいです」

そのようなネガティブな発言が会議やアクティブラーニング中にあった時、以前であればその発言に失望し、あまり相手にしたくないな、と思う自分がいました。

時にはカチンときて、相手を論破してやろうする自分もいました。

相手の事を悪く思う自分もいました。

しかし、今では少し違う捉え方が出来ています。

発言というのは、現象です。

その人の背景や考え方・思想・感情などとその場のやりとりとが混ざって
出て来る現象です。

・なぜその人はいまそういった発言をしたのか?
・その発言に対して自分はなぜこういう反応を感じるのか?
・いまのこの会議の目的は何なのか?
・相手にとって大切な事は何なのか?
・自分にとって大切な事は何なのか?
・お互いにとって大切な事は何なのか?
・どうすれば良い解決方法が得られるだろうか?

また相手という「人」でなく「コト」にフォーカスすると別の見え方も出来てきます。

今ではそのように考え相手に対してニュートラルな気持ちで

「もう少し詳しく教えて下さい」

とか

「いまはそのように感じられているのですね」

など批判・禁止せずに承認・発問することが出来るようになり、相手自身に気づきを与える事が出来たり場を安心・安全に運営する事ができるようになりました。

このような考え方を身につけるためには、もちろんたくさんの経験が必要ですし、元々持っている資質も大きく関係してきます。

しかし単に体験的に習得しているだけでなくてその理論的裏付けも持っていれば自分のやっていることを客観視でき余裕を持って解決方法を模索していく事ができます。

ファシリテーションスキルである傾聴・承認・観察・メンタルモデルやメタ認知などを体得することで自分の活動の幅が広がっていると感じています。

松嶋さんの言葉は、1年前にの自分には、もしかしたら理解できなかったかもしれません。

僕は、まさに、「カチンと来て、論破してやろう」と思ってしまう傾向があったので。

ファシリテーションを学ぶことで、僕自身も松嶋さんと同じように、感情的で反射的な反応を、ひとまずやり過ごし、承認・発問へつなげることが少しずつできるようになってきました。

そして、その結果、以前の自分では、全くできなかったタイプのコミュニケーションが、少しずつですが取れるようになってきました。

その経験を振り返ってポジティブに捉えたことで、今、ファシリテーションをもっと学びたいという意欲が湧いています。

そして、同時にファシリテーションのスキルを多くの人に広げていきたいと思っています。

講座の申し込み締め切りまであと3日。
20名に達した段階で締め切ります。

ファシリテーションスキル入門

教師がファシリテーションを学ぶ意味

田原です。教師がファシリテーションを学ぶ意味について、自分の経験をもとに考えてみました。

私は、茨城県日立市という工場労働者が多くを占めるという環境で育ちました。中学校になると細かい校則がたくさんあり、それを守るように厳しい指導がされていました。一方で、部活内での上下関係や暴力、教師による体罰なども日常的で、ルールを守るということを、体に染み込まされたような感覚があります。
 
このような教育を受けると、「ルールを逸脱することを恐れる」「まず、ルールを参照して動く」という思考パターンが育ちやすいと思います。優等生であるほど、その傾向が強くなると思います。
 
40歳を超え、311を経験し、上から降ってくるルールについて批判的に検討し、必要であればルールを変えていくために行動を起こすことが必要だと感じるようになりました。
 
社会人として、自分の頭で考え、意見を表明し、行動しようとしたときに、自分が受けてきた教育、そこで刷り込まれた感情パターンが行動を妨げることに気づきました。
 
意見を表明することは、ときには周りとの違いを明確にすることにつながり、感情的な対立を生み出します。そのときに、その対立をどのように解消したらよいのか分からないため、対立が生まれるのを避け、行動を躊躇するという状況がありました。
 
考えてみれば、これまでは、その場のルール、または、暗黙のルールに従って行動してきたので、それらに反する行動をすることに抵抗感があり、また、ルールを根拠に批判されるような気がしたのです。そして、そのような形で対立した場合、どのように解消すればよいのかが分からないため、その恐れを解決することが難しかったのです。
 
そんなとき、ワールドカフェや対話と出会い、考えの違いを、対立ではなく、生成や創造に結び付けていく方法があることを知りました。
 
それらの方法を学び、ときには失敗をしながら、多くの人と対話を重ねていくことで、対立することに対する恐れが減り、プロジェクトを組んで創造的な仕事に取り組めるようになってきました。
 
今では、国境を超えたプロジェクトも行っています。
 
オープンマインドになることが、少しずつできるようになり、自分が自由であるという感覚を持つことができるようになってきました。
 
実際にプロジェクト型の仕事をするようになり、教育現場で言われている21世紀型スキルの必要性を、肌で感じることができました。
 
この経験を通し、10代、20代のうちに対話のスキルを身に付けることの重要性をヒシヒシと感じています。
 
私が、反転授業やアクティブラーニングに感じている可能性の1つは、生徒が、対立を恐れずに自分の意見を表現できるようになる点です。そのためには、安心安全の場を教師が作り、対立が起こったときに、それを対象化し、お互いが争うべき敵ではなく、対立の理由を探求して学びあう仲間になるという経験をさせる必要があると思います。
 
そのような経験を通して、生徒は、対立することを恐れる必要がないことを学び、対立を相手と協力して解決できた経験により自己効力感を増し、学ぶ意欲を強めていくのではないかと思います。
 
これは、共通のルールが存在しないグローバルな活動において、将来、非常に役立つ力になるはずです。
 
生徒に効果的に対話力をつけるためには、まず、教師自身が対話力を磨くこと、そして、生徒が対話力をつけることを支援する方法を学ぶことが重要だと思います。
 
つまり、ファシリテーションのスキルが必要になります。
 
反転授業に1年半前から関わってきて、様々な思考の断片が少しずつつながり、クリアになってきました。
 
多くの皆さんと、対話とファシリテーションについて、学びあいたいです。
 
皆さんの参加を心よりお待ちしています。
 
 
9月23日21時から反転授業オンライン勉強会「ファシリテーションスキル」お申し込みはこちら(どなたでも無料で参加できます)

コーチングにおける傾聴の重要性

田原です。
こんにちは。
 
僕は、高校野球のコーチを5年ほどやっていたことがあるんですが、ある程度、教えていくと壁にぶつかるんです。
 
バットを長く持つとか短く持つとか、足を上げるとか上げないとか、そういう一つ一つの動作には、その子なりのこだわりがあるので、こちらから見て、欠点を直そうと思って上から、こうしろああしろと言うと、そのときは、「はい!」といって変えるんですが、すぐに元に戻してしまいます。
 
これは、コーチをやっているときに感じていた悩みでした。
 
みなさんも、同じような経験ありませんか?
 

 
あるとき、練習後に、思い立って生徒からいろいろと話を聞いてみると、僕が考えていなかったようなことを、考えていたりするわけです。
 
「短く持つとバットが手から滑りそうだから、長く持っている」
  
「足を上げないで打っていたらタイミングが取れなかったのが、上げたら取れるようになったから、これだと思った」
 
とか、生徒なりのこだわりがありました。

それに対して、
 
「なるほどねぇーー」
 
と話を聞くと、そのことによって、関係性が変わってきて、こっちのアドバイスも聞いてくれるようになりました。
 
 
田原コーチは、自分の言っていることも分かった上でアドバイスしているんだというように思ってくれたようでした。
 
 
相手の気持ちをいったん受け止めるということが、コーチングをする上で、とても大切だということを感じた体験でした。
 
まあ、これは、たまたまうまくいった例で、指導に失敗したケースもたくさんあります。
 
 
今日、ご紹介する福島さんの動画では、「傾聴」がテーマです。
 
この動画を見て、野球のコーチ時代のことを思い出しました。
 
動画をきっかけに、自分のこれまでの体験を振り返り、言語化すると、何をやったらよいのかがはっきりしてきます。
 
こちらの動画、ファシリテーション・コーチングスキルを学ぶ上で、とても参考になります。 

どんぐり教員セミナー「傾聴とは」
 

 
 
9/23に反転授業オンライン勉強会「ファシリテーションスキル」を実施します。
詳しい内容&お申し込みはこちら
 
10/1からオンライン講座「ファシリテーションスキル入門」を実施。福島毅さんをメイン講師に迎え、1か月間のオンラインワークショップを行います。
詳しい内容&お申し込みはこちら

ファシリテーション・コーチングとは

田原です。こんにちは。

9月と10月は、ファシリテーションをテーマに学んでいききます。

第13回の勉強会でお話しくださる福島毅さんが、どんぐり教員セミナーという教員向けの研修動画シリーズを作成されていますので、それを参考にしながら、ファシリテーションスキルについて基礎から学んでいきたいと思います。

本日、参考にする動画はこちらです。

「ファシリテーション・コーチングとは」

授業を行うためのスキルとして、次のようなものがあります。

1)授業デザイン

2)授業つくりの基礎
 ・教材準備
 ・指示や説明
 ・ICT機器活用など

3)ファシリテーションやコーチング
・対生徒、生徒間のコミュニケーション
・対話や双方向の学習アプローチ
・能力発見・開発

反転授業やアクティブラーニングでは、生徒間のコミュニケーションが授業に入ってきますので、それがスムーズに行われるように支援する必要があります。

また、生徒の主体性を引き出すために、どのように働きかけたらよいのかを知っておく必要があります。

教師の役割が、壇上の賢人から寄り添うガイド役へと変わることで、必要とされるスキルが変わってくるのです。

そのときに必要となるのが、ファシリテーション・コーチングスキルということになると思います。

福島さんは、動画の中で、現在、生徒に求められている能力について、OECDのキー・コンピテンシーや、21世紀型スキル、文部科学省の「生きる力」企業からの要請などを例に挙げて説明されています。

そこでは、生徒がコミュニケーションスキルを伸ばすことの重要性が強調されています。

では、生徒のコミュニケーションスキルを伸ばすために、教員にはどのような能力や姿勢が必要とされるのでしょうか?

福島さんは、次の4つを挙げています。

1)コミュニケーション

2)ファシリテーション→「集団の場をつくり支援」

3)コーチング→「相手の良さ、潜在能力を引き出す」

4)リフレクション→「自分の行動・考えを内省し、将来に生かす」

詳しくは、福島さんのどんぐり教員セミナーをご覧ください。

9月23日(火)21:30より、ファシリテーションスキルをテーマにオンライン勉強会(無料)を行います。
 
ファシリテーションに興味のある方は、参加してください。
 
詳しくはこちら