対談:ホラクラシー型経営の武井浩三×反転授業の田原真人

「反転授業の研究」を主宰しているオンライン教育プロデューサーの田原真人です。

反転授業では、教師が権力の象徴である教壇から降り、生徒に対するコントロールを手放してファシリテーターの役割をすることで、生徒の主体性を引き出していくことが重要になります。

これは、全員参加型の共生・共創社会を創るための力を、教室の中で育んでいこうという未来を見据えた活動なのです。

そのような未来の社会では、多くの組織が、今のようなトップダウン式のヒエラルキー組織ではなく、フラットで柔軟なホラクラシー組織になっているのではないでしょうか?

海外に目を向けると、すでに、『奇跡の経営』で有名なリカルド・セムラーのセムコ社や、アメリカの靴のオンライン小売であるザッポスのように、社内の管理を極力減らし、生き物のような組織を作って成功しているところがあります。

そんな中、「反転授業の研究」では、次のブログ記事がとても話題になりました。

ホラクラシー型経営で8年間経営してみた。

日本にも、経営者がコントロールを手放し、フラットな組織を作って経営しているところがあるということに興味を持ち、ダイヤモンドメディア株式会社代表の武井浩三さんと対談させていただきました。

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ホラクラシー型経営はブラックミュージックに通じる

――以前、日本ファシリテーション協会(FAJ)会長の平井雅さんとお話したことがあるんです。平井さんは、ずっとジャズをやっていて、その後、ファシリテーションの世界に入ったんだそうです。そしたら、ジャズとファシリテーションは、場から即興的に生まれてくるところがとてもよく似ていて、ジャズをやっていた経験が、ファシリテーションにとても役立っているっておっしゃっていたんですね。武井さんは、若いころにかなり本格的にバンドをやっていたというのを記事で読んだんですが、それは、今のホラクラシー型経営と結びついているんですか?

かなり近いと思いますね。音楽って、完全に個人事業主じゃないですか。誰にやれと言われるわけでもなく、自分が好きだからやるもので、それしかないじゃないですか。

その感覚って、仕事を楽しむこととか、自分のやることすべてに通じています。音楽をしながら、仕事を始めたときの僕の感覚としては、それと同じでしたね。年齢も性別も国境も関係なく、音楽は完全に実力主義なので、うまい奴は、うまい奴とやりたいし、下手な奴はしょうがない。その労働観は、今も全く変わらずですね。

経営のスタイルだけじゃなくて、実際の経営のところも、先ほどおっしゃられていたみたいに、アドリブというか、その場その場で柔軟に対応していくという考え方は、音楽、特に、僕がやっていたブラックミュージックに通じるところがあるなと思っています。僕は、R&Bとかが好きで、そのアドリブって、日本人はあまり持っていないんです。ホラクラシーの組織って、ピラミッドみたいに型にはまっているわけじゃなくて、その場その場でふわふわ形を変えていくみたいなイメージなんです。それってまさに、ブラックミュージックなんですよね。

空気を読んでいくみたいな感覚なんです。でも、この空気を読む力というのが、結構、センスが必要だなというのを最近、痛感していますね。

――それは、面白いですね。僕は、野球をやっていたんですよ。特に昔の少年野球って監督が偉くて、監督の指示通りに決められたことをきっちりやるってものだったんですよね。あれは、即興とか空気を読む力とかを育てることの逆を行っていますね。

実は、僕も、幼稚園から中学3年生まで、ずっと野球をやっていて、それが息苦しくてやめたんですよ。監督が、あれしろ、これしろって言って、右打ちだったのを、無理やり左打ちに変えられて、嫌だったのに嫌って言えなくて・・みたいな。

――そういう構造が、学校も含めて、いろんなところにありますよね。

 

反転授業とホラクラシー型組織の類似点

―― 記事を読んでいて面白かったのは、目標設定をやめたら、問題が無くなったというところだったんです。

「反転授業の研究」で似たようなプロセスがあったんです。もともとこのグループを始めたころは、僕は、旧いビジネスモデルの中にいて、「反転授業」というキーワードは来るぞ!と思って、ブログを作ったりして、人が集まる仕組みを作っていたんですね。それで、これを将来的に収入の柱の1つにしようという個人的な目標設定があったんですね。

でも、反転授業に対する理解が深まってくるにつれて、場をフラットにして生徒の主体性を引き出していくという反転授業の考え方と、自分のビジネスモデルとの矛盾が大きくなってきたんです。

ちょうどファシリテーション入門という講座をやるときに、関係性をフラットにしてアメーバ型組織を作っていくときにファシリテーションが重要な役割を果たしていくんだって言っている講座がピラミッド型になっているという矛盾が生じたんです。それで、苦しくなってきてしまって、その気持ちを打ち明けたら、場が転換して、みんなが助けてくれるようになったんです。

そのときに、自分が勝手に作り出していた目標設定が問題を創り出していたんだなって思ったんですよ。それで、そういう自分勝手な目標設定を止めて、流れに乗っていこうと思ったら、そういう問題が発生しなくなったんですよ。

それで、そのときに出てくるものに乗って、自然な流れに任せていけばいいんだなということをそこから学んだんですよ。その経験が、武井さんの「目標設定をやめたら、問題が無くなった」という話とシンクロしたなって思ったんですよ。

全く一緒だと思いますね。

反転授業は、どのくらいやられているんですか?

――僕自身は、2年くらいです。反転授業というもの自体が、まだ新しいんですよ。この2,3年で出てきたものなので。

でも、コミュニティでやり取りしているうちに、問題意識がどんどん深まっていって、活動の焦点が変わってきていますね。

もともとは、自宅学習と教室での学習の順番を反転して、動画で予習して、教室でワークをするというものが反転授業なんですが、何のために反転するのかというと、教室内のヒエラルキー構造を弱めて、生徒が主体的に動けるようにしていくためなんですね。そのためには、教師の役割や、リーダーシップの取り方が変わるんです。そうすると、学校の組織運営も変わらざるを得なくなってきますよね。そうすると、ドミノ倒しのように下から上へとボトムアップの変革の波が生まれてきたんですよ。

そうしたら、だんだんと動画が・・みたいな話じゃなくなってきて、マインドセットが変われば、どっちだっていいじゃんみたいな感じになってきているんですよね。

なるほどですね。教育とホラクラシー経営というのが、僕の中でもリンクしているんです。最近は、オルタナティブ教育が盛り上がっていますが、特に、サドベリーとかに興味があります。東京サドベリースクールの理事長は、まだ、30代なんですけど、その方と、最近すごく仲がよくて、話を聞くことが多いんですよ。彼らの視点から話を聞くと、教育の実践がある程度うまくいくというのは、アメリカの実証実験とかをもとに自信を持っているそうなんですけど、今の課題は、サドベリーのようなオルタナティブ教育で育った子どもを受け入れてくれる企業がないってことなんだそうです。教育は、育つところまでは自由にやってくるのに、企業に入ったら、いきなり上下関係があったりするわけです。もっと受け入れてくれる企業を増やしてほしいから、ホラクラシーを広めてほしいって言われています。教育とホラクラシーは別の問題じゃなくて繋がっているんだって感じましたね。

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外発的動機づけをなくし、Beingの価値に報酬を払う

――教育というのは、社会がまずあって、その社会に適応する部品を作っていくためのものだという文脈で語られることがよくありますよね。でも、岩手県の大野高校の校長先生をやっている下町壽男さんは、全員参加型の共生社会を作るために、自分たちは参加型授業をやるんだって言っているんです。今ある社会に対して適応するんじゃなくて、これから創りたい未来に対して自分たちは教育をやるんだって言って、管理職が覚悟を決めて学校ごと変えていっているんですよ。そういう人たちって、全国に散在していたんです。それが、インターネットによって結ばれてきて、出会うべくして出会ったみたいな感じで、次々に繋がってきているんですよ。

田原さんのビジョンというか、反転授業のムーブメントが、どのように広がっていくというイメージを持たれているんですか?

――目指しているのは、生き物としての人間の復活ですかね。反転授業というのは、主体性教育なんですよね。主体性というのは何かなといったら、巨大なシステムに依存して弱められてしまっている部分を、自分に取り戻していくということなんじゃないかと思うんです。だから、人が集まって、いろんなものを自分たちで手作りでやっていくという営みが、あちこちで起こっていく中で、失っていた自信を取り戻していくというようなムーブメントが起こればいいなって思っています。

うちの会社も全く同じで、ワークライフバランスとか、バランスを取るとか言っていますけど、うちの会社の価値観でいくと、仕事とプライベートって、そもそも切り離せないと思っているんです。特に、IT社会になると、いつ仕事しているのかというのがものすごくあやふやですよね。うちなんか、IT企業なので、家でも仕事できてしまうし、スマホでもできてしまうし、考えることが仕事だとすると、お風呂に入って考え事していても仕事だし、区別する意味がないよねってことになるんです。出社して何日間働いたらいくらという時間を給料として考える報酬体系というものも意味をなさないし、仕組み自体を変えていくしかないよねということで、自分たちで手探りで変えている状態なんです。

そういう風に掘っていけばいくほど、その人が何をしたらいくらということじゃなくて、その人自身の価値がいくらなのかという風に考えないと値段をつけられなくなっていくんですよね。自然と、自分は何者なのか、会社に対して、お客さんに対して、どんな価値を提供しているのかというところと結びついていきますし、バランスというと、違う2つのものをバランスとるというイメージですけど1つですよって。分けて考えないほうが自然なのかなって思います。

――それには共感しますね。ワークライフバランスって、仕事は我慢して働いて、プライベートを充実させるという考えが背後にあるじゃないですか。お金のために我慢しなくちゃいけない時間を人生の中に作らなくちゃいけないなんて嫌だなって思うんですよ。僕は、10年前に夫婦で会社を作って、当時は予備校講師だったので、あちこちの校舎をまわって授業しつつ、自分の会社でオンライン予備校を運営していたんです。全部、自分の人生の時間をどういう風に使うかという話だから、プライベートと仕事を分けないということを、その頃から口に出して言っていたんですよ。

今は、オンライン化が進んでいるから、自分の価値って、すごく曖昧になってきていますよね。
特にBeingの部分が発揮する価値ってありますよね。ファシリテーターが場をホールドしているときに、その人が何をしているかって言われても難しいですよね。

そうなんですよね。我々がホラクラシー組織を作るときに、すごく苦労したのが、報酬体系が一番苦労したんです。その枠組みというのが、一番、人間に圧力を与えてくるところなんです。業務単体でいくと、誰でもそれを楽しんだりできると思うんです。いざ、それがお金の話になると、ほとんどすべての会社には等級のようなものがあって、このランクまで行くと、いくらからいくらまでのレンジで、次に行くといくらで・・というように決まっているんですよね。給与の名称でいくと、職能給、職務給、能力給の3つになるんですが、それは、その人のBeingではなくて、havingとかdoingに対しての報酬体系なんです。これがあると、人間っていきなり窮屈になるんです。「この仕事をするといくら」というのが頭に浮かんじゃうんです。そうすると、自然と給料が取りやすい仕事に流れて行ったり、習熟度が高まれば高まるほど給料を上げやすくなるので他の仕事をやらなくなっていったりするんです。1つのことを極めたほうが給料を上げやすいという仕組みなんで、必然的に社内での人の流動性がどんどん低くなっていくんですよ。ヒエラルキーとホラクラシー、役職とかがあるとかないとかだけじゃなくて、給料がどうやって決められるのかというところもテコ入れしないと、本当に自由で流動的な組織ってできないなというところに行きついて、そこから掘り下げていったんです。

――お金と役職って、外発的動機づけがかかってくるところだから、そこをいじらないと、自分から動くという仕組みを作れないですよね。

とにかく、ダニエル・ピンクが言うような外発的動機づけをなくすということを、うちの会社では徹底的に行っていて、外発的動機づけになり得るものというのが、金銭的なものと、役職なんですよね。役職って、ほとんど今は動機づけなんですよね。本来は、ビジネスを健全に回すために機能があって、それを誰が担当しているかという後付けでしかないのに、こいつのほうが年齢が上だから役職強そうな名前にして・・みたいに、実態とはかけ離れたものが生まれていっているんですよね。そういう無駄をどんどん取っていくと、本当に何もなくなるんです。

3年くらい前は、いろんな制度を作ったんです。でも、そういう制度を作れば作るほど、逆に自分たちが窮屈になっていって、自由になるために仕組みを作ったはずなのに、そのために窮屈になるという逆転現象が起こった時期があって、それで、いろいろ悩んで、これはやめても大丈夫か、これはやめたらやばいかということを考えながら、皮を剥いでいくような感じで、いろいろ取っていったんですね。それで、取りすぎて失敗したこともあったんですよ。例えば、管理会計を止めちゃおうと言って、会計をものすごくルーズにしたら、本当に危なくなって(笑)、これは、取ったらいけないものだったんだって分かりました。

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でも、大体のやつは、取っても問題がなくて、その中の一つだったのが目標設定だったんですよね。目標は成長する上で必要不可欠だと思っていたんですけど、そもそも成長って何だろうって考えると、意味が分からなくなってきたんです。目標設定って量的な成長に向かいがちなので、会社自体の成長というのはなかなか目標に落とし込めなかったりしますし、目標管理をしっかりすればするほど、うちの会社で実際に起こったこととしては、奇跡が起こらなくなるんですよ。

すべてが想定内に収まってくるので、トラブルも減るけど、奇跡も減るという感じになるんです。

結果とプロセスと労働時間を透明にして共有すると、勝手にバランスを取れていく

―― それは面白いですね。でも、リスクってどんな感じで分散しているんですか?ヒエラルキーだと、トップが権力もあるけど、リスクも背負っているんだよという形でセットになっているわけじゃないですか。フラットにすると、会社が危なくなったときのリスクとかは、どういう風に分散されているんですか?

どうやって分散させるためのインフラを整えるかというと、情報インフラなんですよ。データーマネージメントなんです。うちの会社は、とにかく自由なんですけど、データ管理だけは徹底的に仕組みを作っていて、財務系のものだけじゃなくて、アクション履歴という誰が何をしたかというプロセスが見えるようになっているんです。営業人員であれば、何件電話をしたとか、何件訪問したというのを全部取っていますし、プログラマーであれば、どんなタスクをこなしたかとかというように、どの業務にどのくらい時間を費やしたかということを日次で取っているんです。それを1カ月単位で集計しています。そうすると、結果とプロセスと時間の因果関係が見えるようになるんです。これが見えるようになった上でオープンにして、みんなで同意しながらものごとを進めていくと、勝手に分散するんです。

――給与も自分で決めるので、売り上げが下がっているときは、その状況もオープンになるから、自分たちの給料も自分たちの判断で下がらざるを得なくなるんですね。そういう意味で、リスクが分散されるわけですね。

昔は結果だけを共有してコミュニケーションを取っていたんですね。そうすると全然うまくいかなくてケンカしちゃうんですよ。「会社の業績は下がっているけど、俺はスゲー頑張っているから上げてもいい」みたいなことが起こるんです。そういう言い合いになったときに話し合っても着地しなかったんですね。それで、価値観がずれているからかなって思って、もっと話し合えば解決するかと思って、もっと話し合ったんですけど、話し合えば話し合うほどケンカしちゃうんですよね。それで、結果が生まれるまでのプロセスと時間というのも見えるようにすればいいと思ったんです。ITのたとえで言うと、ホームページにグーグルアナリティクスが入っていないのに、この部分をこう改善したほうがいいよって言っても、何の信憑性もないじゃないですか。でも、データがあれば、どのコンテンツが人気があるかというのが一目瞭然ですよね。それと同様に、会社組織全体にアナリティクスのようなものを導入しないと合理的なコミュニケーションは全く取れないんです。でも、逆にこれを導入したことで、全員の自由度が高まったんですよ。

それまでは、労働時間が短いことに対する後ろめたさが残っていたんですけど、やることをやっているというプロセスを見せられれば、労働時間が短いということに対する後ろめたさも自然と消えますし、周りの人も理解できるし、感情論にならないんです。このあたりは、仕組みを作らないと次へ進めなかったですね。

――それは、ITが可能にしたことなんですね。だから、今、可能になってきた経営スタイルなんですね。

そうですね。10年前とかだったら無理だと思いますね。

自然体になると、不自然に対する感度が高まる

――ふつう経営にチャレンジするって、ビジネスにチャレンジするという意味合いが大きいと思うんですけど、武井さんの場合は、ビジネスの対象である不動産関連のことにチャレンジするのと同時に、経営スタイルにもチャレンジしているということですよね。そして、経営スタイルのチャレンジのほうがフォーカスされているという部分もありますよね。

枠で言うと、ビジネスよりも会社のほうが大枠じゃないですか。僕は、1回、ビジネスだけにフォーカスして起業して失敗したという経験があるもので、会社作りをしっかりしないとというところから始まっているんですけど、8年間、今の会社をやってみて、会社作りとビジネス作りはイコールだって感じているんです。今、我々が取り組んでいる新しいビジネスモデル、不動産の流通のイノベーションというところにテコ入れをしているんですけど、それは、我々のような組織にしている企業じゃないと思いつかないんですよ。こういう経営スタイルをしていると、不自然なものがすごく目につくようになるんです。「それは、明らかにおかしいでしょ」「そもそも表面的な問題の前に、根本に問題があるでしょ」という感じで、理不尽なものとか、不自然なものにすごく敏感になると思うんですよ。われわれは、最初は不動産業界にマーケティングシステムを提供していて、競合他社は、みんなそこで争っているんですけど、やっているうちに、そもそも業界の仕組み自体に問題があるよねというところに、どうしても気が付いてしまうんです。不自然なので気持ち悪いという感覚があるんです。

――普段から不自然をなくしているから、身体全体、組織全体がセンサーみたいになってくるんですよね。

そうです。そうです。田原さんもそうだと思うんですけど、ただそれだけというか、それを良くしていくためのものを作ろうよということになるし、うちの会社のみんなも同じことを肌で感じているので、そうだよねって同意してくれるんです。自分たちがやっていることに対する確信というものも自然と生まれてきて、それがエネルギーになります。そして、そういうエネルギーがあるからこそ、長期的な視点で取り組めるということもあります。今、ようやく新規ビジネスが収益化し始めたんですけど、収益化するまでに3年半かかっているんですね。それまで別のビジネスで収益を上げていたんですけど、普通のベンチャーって3年半も無収益で投資し続けられないんですよ。特にITベンチャーは、早くキャッシュ化して、さっさと会社を大きくしてという成長志向が強い中で、うちの会社は、ひたすらコツコツと土台作りを続けられたというのは、こういうマインドセットというか感覚を持っているからだと思うんです。

自然の摂理を味方につける

――自然の流れに沿っているものは、絶対に強いという信念があると、自分たちのやっていることが自然の流れに沿っているから絶対に大丈夫という確信が持てるじゃないですか。そういうのがないと、突っ込めないですよね。それがあるから、みんなが信じて、続けられるわけですもんね。

うちの会社で話し合いの中でよく出てくるキーワードが「自然の摂理」なんです。うちの会社は、自然の摂理なんだから、そこには、良いも悪いもないし、傍から見たらすごくシビアな一面もあります。自然の摂理にフォーカスすると、人間の感情が付け入る隙がないんです。人情とかで曲がった意志決定がされているかどうかというのが、すぐに感じられるんです。普通の会社だと、こいつは頑張っているからとか、長く働いているからとかいうのが考慮に入ってくると思うんですけど、全部透明にすると、そういう小細工ができないんですよね。いろいろ試してきた中で気づいたのが、自然の摂理って、あんまり頑張らなくてもよくて、全部透明にしてみんなに見えるようにすると、勝手に組織が浄化されていくんですよ。

――それは、すごいですね。僕なんかは、生活の基盤が別にあって、それとは別にオンラインコミュニティの運営をやっているから、ある意味、おもいきった実験がやりやすいんですよね。失敗しても、また始めればいいやってことになるので。企業体は、みんなの生活をがっちり抱えているから、そこでやっているというのが、本当にすごいなって思います。

しがらみは増えますね。それを、一つ一つ紐解いている感じですね。

生き物とホラクラシー型組織の関係

――武井さんの書いているものの中に、複雑系とかホロンとかという言葉が出てきて、それは、僕の中でも大きなキーワードなので、おおぉって思ったんです。それらは、どういう位置づけ何ですか?

もともと鈴木利和さんから、そのキーワードを教えていただいて、ソフィアバンクのの田坂広志さんのことを知ったんです。田坂さんを、僕はすごく好きなんです。田坂さんが、複雑系マネージメントということをすごく研究されていて、組織は複雑になればなるほど、生き物のようにそれ自体が意志を持っていくと言うんですね。田坂さんが、よく例えるのが、「魚を捌いたら、魚は死んじゃうだろ。身体を切り裂いて分解すると生き物は死ぬんだ。今の経営スタイルというのは、そういうことをやっている。分析をしたり、分断をしたり、分けていくということは、意識を切り刻むことなんだ。身体を切れば切るほど、組織としては弱っていく。だから、我々は、一切切り刻まないで、1つのものとして大切に扱っていく。」ということなんです。そうすると、自然とホロン=全体性が生まれるんです。部分と全体って区分けするわけでも無くて、部分でもあり、全体でもあり、自分と他人は、同じ組織の中だと繋がっているので、分けること自体がナンセンスだと思っているんです。だから、うちの会社には、階層もなければ、事業部のような縦割りもないんです。

でも、やっていて、現実問題にぶつかることがあって、役職がなくていいねというのは、皆さん言うんですけど、ビジネスを回していると、役割分担は必要になってくるじゃないですか。役割分担をすればするほど、ダイナミズムが生まれますよね。貨幣経済が、そもそも、それぞれが分業することによって、生産性が高まるということですよね。なので、その原理自体は、やっぱり必要で、それぞれが自然と自分が得意なところで役割分担していくということなんです。うちの会社は、組織図はないんですけど、ビジネスモデルを健全に回す上で、営業機能とか、マーケティング機能とか、開発機能とか、管理部門とか、身体の内臓みたいに臓器は必要なんですよ。ただ、細胞が、どこに行っても適応できるみたいに考えています。企業体と身体のつくりは、似ているなって思っています。組織自体も、そんな風に設計して、身体が異物を取り込んだときにどうやって排除するかというプロセスと、我々みたいな組織の異物を取り除くプロセスは、同じにしないといけないと思っています。でも、今の世の中は、脳みそが勝手に、こいつは良い、悪いって判断しているけど、人間の身体だともっと自然に排除されていくわけじゃないですか。経営陣は脳みそみたいなもので、でも、脳みそがすべてを判断しているわけじゃなくて、身体のほとんどは、心臓もそうですし、勝手に動いていますよね。そういうイメージで、組織を作っていますね。

――僕は、大学院で個体の境界をテーマに研究していたんですよ。当時、東北大にいた澤田康次さんが、個をどうやって定義するかという研究をしていたんです。ヒドラを遠心分離器にかけてバラバラの細胞にすると、細胞同士がコミュニケーションを取って、そこから再生して、多細胞体のヒドラに戻るんですけど、どの段階で、多細胞体の個が生まれたのかって調べていたんですよ。それで、情報を受け取る量と生成する量に注目して、半分に切ったときに情報生成量の割合が減るようだったら、組織になることによって情報が生成していたんだから、組織に個が生まれていたというように考えるって言っていたんですね。細胞の単なる寄せ集めなら、半分に切っても、ただ分けただけで、何も失われないんですね。集まったことによって生まれたものがあれば、それが、切ったときに失われてしまうわけです。

細胞がコミュニケーションを取る中で、自動的に分化が起こるんですけど、分化の比率って、自動的に調整されるんです。たとえば、細胞性粘菌なら、胞子になる細胞と柄になる細胞との比率が4:1くらいになるんです。半分に切っても、それぞれの細胞集団の中で、また4:1に再分化するんです。その比率調整のメカニズムがどうなっているのかという数理的メカニズムも、研究していたんですよ。そこでカギを握るのは、情報の共有なんですよ。細胞集団が、1つの場を共有して、細胞の時間スケールと、場の変化の時間スケールがマッチングして、部分と全体が分けられない状況になると、その場を通して1つのシステムになって、全体として安定な状態へと落ち着いていくんですよ。だから、武井さんの会社で、データを共有するインフラを作ったというのが、自己組織化が起こるために本当に重要な役割を果たしているなって思いました。

情報と流通が変われば、必然的に社会構造の相転移が起こると思うんです。論理的に考えれば、インターネットとか、LCCとかが、社会構造を変えるための制御パラメータの役割を果たすと思います。生命とか生態系のアナロジーで、全体で広く情報が共有されれば、不自然なものは崩壊して、自然の流れとして自己組織化が起こって、落ち着くところに落ち着いていくはずなんじゃないでしょうか。

本当にそうですね。会社の中で情報をオープンにしていくと、勝手に権力も発動できなくなるんですよね。変なことをやると、明らかに突っ込みどころ満載になるわけじゃないですか。「お前偉そうなこと言っているけど、お前の給料、なんでそんなに高いんだよ。」とか。嘘がつけなくなるんです。でも、そういう風になると、これは、やってみて面白かったんですが、透明にすると隠し事ができなくなるんで、やましい気持ちすら起こらなくなるんですよね。経費も全部オープンで、いくらでも使っていいけど、使った額と内容が誰で見れてしまうんで、ちょろまかしてやろうという気持ちも起こらないんです。

――禁止されたりしないと、ルール破れないというのもありますよね。隠れる場所もないですもんね。

隠れる場所がないと、隠そうという気持ちが生まれ無くなって、そうなると、相手に対する猜疑心が生まれ無くなるので、人間関係がめっちゃよくなるんですよ。やましさがない中でのコミュニケーションになって、本質でのぶつかり合いができるんです。これは、やっていく中で、気が付いたことです。

販売する側とお客さんとの関係をフラットにしていく実験

――去年から、仙台のSawa’s Cafeというシェアカフェの運営の相談に乗っているんです。店主のさわさんという方は、元公認会計士なんですが、311の後、お金や、社会の在り方に疑問を持つようになって、それを変えていくための場を創りたいということでシェアカフェを創ったんです。でも、お金を稼ぐためにやっているわけじゃないということもあって赤字続きで苦しくなってきたんですね。でも、これは、すごく面白いプロセスだなって思ってコミットしているんです。いよいよどうにもならなくなってきたので、Sawa’s Cafeの存続を願っているお客さんとか、共感して集まっている人80人くらいで「Sawa’s Cafe持続化プロジェクト」というfacebookグループを立ち上げて、その中で、カフェの経費とか、利益とかを全部オープンにしたんです。そしたら、予想をはるかに上回る赤字なんですよ。笑 でも、情報を共有したことで、持続化プロジェクトの中で、その数字がみんなごとになって、それぞれが、アイディアを持ち寄って動き始めたんですよ。

それは、究極ですね。

――お客さんだった人が、クラウドファンディングの情報とかを調べてきてくれるんです。「今月は、あと10万円利益でないと家賃払えません」みたいな途中経過が見えるようになってきて、危機感を共有したことで、みんな、自分がやらねば!って感じになっているんですよ。イベント使用料を見直したり、実現したい未来とか、想いを確認したり、そういうことを、お客さん(だった人)と一緒に考えられるようになったんですね。

すごいですね。それ! その話は、うちの会社でも、実は何回か出たことがあって、うちの会社の内情を、外に対しても全部オープンにしちゃおうかって。そしたら、ファンのお客さんとかが助けてくれるんじゃないかっていう意見も出たんです。でも、さすがに個人個人の給料とかまでもオープンにするのはどうかなっていうことでやっていないんです。

――Sawa’s Cafeも一般公開じゃないですもんね。コミットしてくれている80人くらいの間でオープンにしているってことですからね。でも、オープンにしたことで、確実に場が転換して、次のステップに進んでいるんです。カフェという形態のままで続くかどうかは分からないし、別の形に変わっていくかもしれないけど、そこにコミットしている80人が望むような形になっていくと思うんですよね。

すげぇー。それ、めっちゃ面白いですね。

企業再生って、民事再生とかよりも、そういうやり方のほうがうまくいきそうな気がしますけどね。

――これって、生きていることとは何かということと関係していると思うんですね。このカフェも店主が存続させたいと思っているわけじゃなくて、みんなが存続させたいんだったら、その願いによって存続するし、みんなが存続を願っていないものなら無くなればいいでしょってことなんです。存続させたいという想いが集まってくるのなら、そこから何かしらの形が創造されるでしょってことなんです。手放してしまえば、なるようになっていくんじゃないかと思うんです。

いやー、その世界観は、まさに自然の摂理ですよね。

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ニーズを満たしあう関係性をデザインする

――武井さんもご存知の由佐美加子さんのところのCCCとコラボで2月にNVCのオンライン講座をやるんですが、そこの運営に店主のさわさんを加えて、オンラインの運営ノウハウを持ち帰ってもらう予定なんです。Sawa’s Cafeは、創造的な場になっているので、オンラインでも発信してもらいたいなって思っています。

いやぁー、僕の会社も、もっともっとオープンにしたいですねー。笑

――今の僕の役割って、組織の枠組を超えた広い意味のマネージメントだなって思っていて、創造がうまく起こるような組み合わせを見つけてきて場を創るって感じなんですよね。いろんな人と話をしたり、アウトプットしているものを読んだりして、この人たちで集まったら面白いことが始まりそうというのが感じ取れるようになってくるので、集まって一か月くらいワイワイやる。また別のところで違うものが始まるから、そこに巻き込んだら、その人の人生にとっていい感じになりそうだなという人を巻き込んでワイワイやるって感じなんです。そういうプロセスが、ぐるぐる回っているんです。それが、完全にオンラインで回っているから、それぞれが組織に所属していても、組織の枠を超えて集まって何かができるんですね。

そこで、お金をもらう人と、ボランティアで活動する人と、お金を払う人というのがいるんですね。そのバランス調整をどうするかというのがあるんです。ある程度ゆだねると、感動的な状況が生まれるんです。過去にオンライン講座を経験した人のリストに運営ボランティア募集の案内を投稿すると、希望者からメールが来て、運営+ボランティアの10人くらいのチームができて、講座が始まるんです。最初は、フリーライダーが出てくるんじゃないかという恐れがあったんです。でも、サービス提供側とお客様という関係性を変えて、境界を曖昧にして、オープンでフラットな関係にしていくと、参加者のほうが調整してくれるんですよ。「私たちの年代がお金を払う側に回らないといけないから、受講者で参加します」とか、「運営ボランティアをやりたいけど、お金も払いたいので払います」とか、そんな感じになって来たんです。こちらは、感謝して受け取ることにして、その人たちが求めているものを満たせるような場を一生懸命作るということになって、ポジティブな空気が溢れるんですよね。

この間、共生革命家のソーヤ海さんと話したときに、彼が、「ニーズを満たしあう関係をデザインするのがパーマカルチャーの考え方だ」って言っていたんですね。それは、植物だけじゃなくて人間同士の関係も同じだって。僕は、お金を払うことで貢献したいというニーズもあるんだなって思ったんです。自分にもそういうニーズあるんですよ。お金の払い方も含めて、きっちりしたものを緩めていくと、何かできそうだなって気がしているんです。

そこもゆだねちゃうんだ。

――武井さんも同じ感覚があると思うんですけど、1つ壊してみて、大丈夫そうだったら、もう1つ壊してみたくなるじゃないですか。

分かります。

生き物のような組織を循環させていく

反転授業は、田原さんのビジネスなんですか?それとも別のものなんですか?

――今は、非常にあいまいなところに位置していて、最初はビジネスマインドでスタートしたんですけど、やっているうちに問題意識が深まっていって、社会的なムーブメントに近づいてきています。オンラインのワークショップのノウハウが集合知的にできてきたんです。すごいやつが。これは、自分だけで作ったものじゃなくて、グループの集合知でできてきているものだから、共有財産なんですよ。そして、そうやってできてきたオンラインの学び場が人材育成の場にもなってきているなって気が付いたんです。教師にとって、オンライン講座の運営をやるということは、学校にいながら、学校以外の社会に出て働く経験を持つことができるということだったりするんです。その経験は、学校に戻れば、キャリア教育とか進路指導に役立つ体験にもなると思います。未来の働き方を先取りするような体験をしていることになるので。次々運営ボランティアという形で人材が育成されてくるので、その人たちを外に出していく場を創ろうということで外とコラボする機会を作っていくのが自然だなと思って、ワークショップやっている人とかとのコラボレーションを企画しています。そうすれば、根から吸い上げた水が葉から蒸散していくように、いろんな人が反転授業の研究を通して外に出ていけるなって思っています。それで、最初のコラボが、CCCとだったんです。

最近気づいたのは、形は変わっても、精神が受け継がれていけばいいのかなってことなんです。10年前くらいにも主体性教育の盛り上がりがあって、そこで創造のサイクルを回した人たちが、今、コミュニティに加わってきてくれているんです。考え方がすごくシンクロしているのを感じていて、僕たちの活動は、その人たちの精神を受け継いでいるんだなって思うんですね。「反転授業の研究」も、いつかは役割を終えて衰退すると思いますが、運営のノウハウをマニュアル化して配っているので、そこで学んだ人たちが、たんぽぽの綿毛のように飛んでいって、別のところで創造のサイクルを回してくれれば精神は受け継がれていきますよね。そういう動きも生き物っぽいなって思います。そういう循環こそが生き物だなって思います。

あぁ、いいですね。なるほどー。

――オンライン講座をやったときに、すごい幸福感があったんですよ。困ったことがあっても、それをオープンにすることができて、みんながよってたかって助けてくれるので、参加者も運営もお互いにサポートされている感じがあって幸福感があったんです。それで、参加者の一人が、「ここは、ネット果樹園か。オンラインの桃源郷か」みたいなことを言ったりしていたんです。その体験があったときに、こういうことがあちこちで起こればいいんだなって確信したんです。プロトタイプができたなって実感があったんです。たぶんその確信と同じものを武井さんも持っているんじゃないかって思うんですけど、いかがですか?

田原さんのおっしゃる「支えられている感」というのを、僕なりに感じるところがあります。給料とかをオープンにしてやっていると、その人のプライベートも見えてきて、会社が利益を上げて、分配することによって、みんなの人生が支えられていているというところまで繋がっていくんです。逆に言うと、自分の人生を自分一人で支えなきゃいけないという恐怖感から解放されるんですよね。「みんなも俺の人生を支えてくれているんだ」って思うと、ちょっと楽になるんです。今は、自立つしなくちゃいけないと言われますけど、自分一人で立つのは大変ですよね。自立しながら、支え合いながら、というようになると組織全体としてうまく賄えるんですよね。そうするとすごく楽になりますね。

――だから、ホラクラシー経営が広がってほしいですよね。新しい働き方とか生き方のプロトタイプを武井さんが創られているんだなって気がしますね。

そうですね。お手本になりたいなって思っていますね。

対談を終えて

武井さんとお話して、見ている世界や、体験しているものがとても近いと感じました。試行錯誤をしながら、人間同士の新しいつながり方を土台にした組織づくりをしている武井さんの口から出てくる言葉は、オープンでフラットなオンラインコミュニティを自己組織化させようとしている僕にとってヒントの宝庫でした。

場を創る人がコントロールを手放して自然の流れに委ねると、みんなが楽に動けるようになって共創が起こっていくというのが、まさに自然の摂理なんだなって思います。

それを教室の中でやるのがアクティブラーニングや反転授業で、企業体の中でやるのがホラクラシー型経営。

アクティブラーニングや反転授業で育った生徒たちが、将来、あちこちにホラクラシー型の組織を作っていくと世界は変わっていくのだという未来図を思い描くことができました。

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