岩手県立大野高等学校校長 下町壽男さんインタビュー

「反転授業の研究」の田原真人です。

2015年2月19日に、「反転授業の研究」で、金沢大学の杉森公一さんが、「あなたと夜と数学と」というブログの中のあるブログ記事をグループにシェアしてくれました。

参加型授業の一つの理論武装

僕は、この記事を読んで心が震えました。

なぜ、参加型授業が大切なのかということを、小細工なしで真正面から論じて、そのまま寄り切ってしまうような力強い文章でした。

ブログの文面から、書いてある内容は、長い時間をかけて熟成されてきたものだということが容易に想像できました。

自分が記事を読んで感動したことを伝えたいと思い、連絡先を探しました。プロフィールから、「しもまっち」というペンネームと、盛岡三高に勤務する数学教師だということは読み取れたものの、連絡先を見つけることができませんでした。

「いつか、お話をうかがいたい」

と思って、ブログをブックマークに入れました。

「いつか」は、予想以上に早く訪れました。ブログ記事を読んだ翌週、「しもまっち」こと下町壽男さんが、「反転授業の研究」に加わってくださったのです。

きっと、時代が下町さんと引き合わせてくれたのですね。

下町さんは、当時は、盛岡三高の副校長として参加型授業の発展に取り組んでおられ、現在は、大野高校の校長として、新たなチャレンジをされています。

待ち望んでいたインタビューが、ようやく実現しました。

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盛岡三高の参加型授業

―― 下町さんは、盛岡三高には長くいらっしゃったんですか?

副校長としては2年間。その前に7年間いました。私は、盛岡三高出身なので、生徒のときを合わせればもっとですね。

―― 盛岡三高で参加型授業をすることになったきっかけはどのようなことだったのですか?

15年前に盛岡三高に赴任したときは、過剰に、一方的に追い込むような授業が多かったんです。超難関大と国立大に200人以上入れなさいというノルマがあって、なおかつ、インターハイにも行って文武両道をやりなさいということで生徒を駆り立てていました。進学実績やインターハイ出場などの成果は上がっていたんですが、その一方で、生徒はどんどん疲弊していったということがありました。

私は、そのときには、ちょっと異質なタイプでしたね。そういうしごくような授業というのはやらないで、グループ作るとか、アウトドアで何かをやるとか、大学に行って生徒に発表させるとかといった授業を積極的にやっていました。当時の盛岡三高の教員で、そのような授業をやっているのは少数でした。

それから、再び盛岡三高に戻ってきたら、学校が変わっていたんです。平成18年に未履修問題というのがあって、地歴科目で受験に特化した裏カリキュラムをやっているということで問題になったんです。それをきっかけに、平成19年から生徒に時間を返そうという運動が起きたんです。この運動がうまく進んでいったところに、私が入ったんです。

これは、私がやろうとしていたことが実現されていると思いました。

当時は、参加型授業って呼んでいたんです。アクティブラーニングという言葉じゃなかったんです。アクティブラーニングだということでやろうとしていたんじゃなくて、自分たちの学校の生徒をなんとかしようというというところから出発していたんです。気がついたら、時代が要請しているアクティブラーニングというものと同じようなものだったということなんです。

―― 最初に赴任したときに、周りの先生が生徒を追い込むような授業をしている中で、下町さんは、孤軍奮闘していたのではないかと思いますが、当時は、どのようなことを考えていらっしゃったのですか?

何だかんだいって、生徒が私についてきてくれていたんです。

PISAショックが話題になったころ、数学リテラシーでいうと、点数は高いけれど、数学を解くのは楽しくないという結果が出ていたんです。そのときに、生徒の有志が「このやり方では私たちはついていけません」という声を上げたんです。そういう生徒たちを組織してビデオを作ったりしたんです。これが、なかなか面白いビデオなんですよ。私がスパルタ教員の役で登場し、生徒は「もう我慢できません」みたいなことを言うんですよ。私が監修して作ったその作品は、県のコンクールで入賞したんですよ。

こういったささやかな抵抗をしていましたね。

周りの先生方からは、「先生、好きだねー」みたいな反応でした。

ただ、平均点競争みたいなものがあるんですよ。前の学年に負けないとか、盛岡一高に偏差値で負けないとか、隣のクラスに平均点で負けないとか、そういうのがあるので、「下町は、遊びばっかりやってて、結果を出していないじゃないか」と言われたくないので、そこは、何とかがんばるわけですね。

そこはがんばるわけですが、自分のやりたいことを授業の中に取り入れて、ずっとやっていました。

下町さんの言動は、反骨精神が溢れていてすばらしいといつも感じているのですが、それは、いち数学教師として教壇に立っていたころからずっと続いていたことなのですね。孤軍奮闘していた下町さんの考えに、ようやく時代が追いついてきたのではないかと思います。

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数学の純粋な面白さは、できる子もできない子も楽しめる

――下町さんのブログを拝見すると、数学に対する愛情があふれているなっていつも思うんです。これだけ書けば十分というレベルをはるかに超えて、ものすごく「過剰」な感じがあるんです。その「過剰」な部分が、数学に対する愛情の部分なんじゃないかなと感じているんです。数学との関わりは、どのような感じなんですか?

私はどっちかというとアート寄りなんですよね。理科とかはあまり得意じゃなくて、数学とか音楽とかそういう方面が好きなんです。

数学の教員になったときは、数学が零点の子どもたちがいっぱいいるような学校だったんですよ。

因数分解の授業をやったときに、

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と書いてあるんですね。そういう子どもたちに数学を教えるのってどうやればいいんだろうかって悩んだんですけど、教科書をそのまま教えるというアプローチを止めて、物を作ったりとか、外に出たりとか、生徒に研究させるとかすると、数学零点の子でも大学レベルの数学まで行ってしまうことがあるんですよ。なかなか面白いんです。そういうことを初任のころに経験して、それが、自分の教え方になったのかなという気がします。

数学できない子でも、めっちゃできる子でも、同じなんですよ。

―― それは、下町さんから、何かがその子たちに伝わって、その子たちの何かが変わるんですよね。それは、何が伝わっているのですか?

そうですねー。数学の持つ面白さを共有したいと言う気持ちなんですよね。

数学の持つ面白さみたいなものをあちこちから探していけば、基礎から積み上げていったものばかりじゃなくて、ぽーんと音楽の話とか、宇宙の話とか、そういうのを持ってきて、興味のあるような話をすれば、数学の問題を解く技術がなくても楽しむことはできるんです。

たとえば、私が前にいた学校では、家が大工さんの生徒が多かったんです。じゃあ物を作ろうということで、木を切り出して、数列の話につなげたんですね。私の授業は生徒から実技数学って呼ばれていたこともあって、数学的な何かができたかどうかは分かりませんが、とりあえず、何か面白いものをやってくれるのかなという期待は、生徒の中にあったのかなと思います。

生徒が喜んでくれるような授業をやらないとこっちもつまらないので、そういう面白そうなネタをどんどん探して、そうやって30年もやっているうちにネタもどんどん増えていきました。

―― ブログの記事を拝見していると、いつも身近なものから出発して、下町さんに導かれるままに、気がついたらずいぶん遠くまで来てしまったという感じがするんですよ。旅に連れて行ってくれる感じと言ったらいいんでしょうか。日常的なところから頭を使って考えていくと、遠くまで行くことができるんだ。こういう思考運動って面白いんだ。自分自身で考えることができれば、面白いことは、身近なところに溢れているんだということを体験させてくれるんです。

いろんな人の実践を取り入れて、参考にしたりしています。そういう人に自分もなりたいなと思ってやっています。

―― あの楽しみ方は、問題を解けるという楽しみとは違いますよね。数学とか科学やっている人は、下町さんがやっている「あの楽しみ方」をどこかでマスターし ているような気がします。「反転授業の研究」にいる横川淳さんは、『気楽に物理』という本を出版されているんですけど、下町さんと同じように、身近なところから、高校で学ぶような物理を駆使して、やっぱり遠くまで連れて行ってくれるんですよ。でも、そういう心って、問題を解いて点数を取ろうとしているだけの人には育っていないですよ。下町 さんに数学を教わった生徒さんは、そういう楽しみにたくさん触れて、下町さんをロールモデルとして、自分で考えて楽しんでいくことを学んだんじゃないかと 思うんですけど、いかがでしょうか。

私は、盛岡三高に転勤したとき、前の学校が、いわゆる底辺高と呼ばれる学校だったので、私の遊び心のような授業は受け入れられないかなと思ったんですね。 そんなことよりも、早く教科書を進めろよみたいな反応が来るかと思ったんです。でも、全然そうじゃなかったんです。

教え込んで偏差値上げろというやり方でずっと進むと、生徒の数学の喜びが、数学そのものじゃなくて、人に勝つことになるんです。点数が良かったとかって。

数学の問題を解きながら、これってこういう面白いことがあるよということを言うと、実は生徒は、もっと話してくれって言うんですね。たとえば2年生の理系の数学で、微分をやった後に、マクロー リン展開をやったんですよ。そういうのを一生懸命やると、他のクラスの先生方は、そんなことをやったって点数にならないって言うんですけど、生徒は一生懸命、面白がってやるんですね。それはもちろんテストには出しませんけども、レポートを書いてきて、グループを作っていろんな研究をして、分からない子は、 その子なりにエッセーを書いてくるんですね。マクローリン展開できないもんですから、それでごまかすんですけど、それが、また良くてね。

そういう教科書とか偏差値とかを離れた数学の純粋な面白さって、進学校の生徒であろうが、普通のそうでない生徒であろうが、たぶん同じじゃないかなと思っています。

実際にそういうことをやってきた生徒たちは、理系に進んだり、超難関大とかを受けたりする子が結果的に多いですね。そうじゃなくて、叩いて叩いてという方法だと先生のレベルまでしか生徒が行かないんですよ。

―― 自分が高校生だったころの感覚を思い出すと、教員側になってから「生徒はこう考えているんじゃないか」というイメージとギャップがあるんです よ。高校生だったころは、結構、純粋で、点数を取るというよりも、感動で震えたいとか、そういう気持ちが実は強かったんです。点数取るためだけに勉強しな くてはならないなら、点数取れなくてもいいみたいな、変な方向へ行っていたんです。

生徒に聞いても、僕と同じような感覚を持っている人がいる。本当にちゃんと学べれば、変な矛盾が消えて心が育つという気がするんです。盛岡三高の参加型の授業というのは、生徒の純粋な部分とつながっているという感じがしました。

あ と、先生が、授業を工夫しようとしているという姿が生徒に伝わるという部分もあるのかなと思いました。数学の話で言うと、私が面白い数学の話をするから、 それに対して生徒が反応しているという部分もあるかもしれませんが、実はそうじゃなくて、自分がこんなに数学にLOVEでって、自分がLOVEである対象 である数学も生徒もLOVEしよう!みたいなものってあるじゃないですか。こんなに先生がLOVEになっている数学って、きっとおもしろいんだろうなっ て。

生徒は、面白がりたいとか、感動に震えたいとか、そういう部分をもともと持っているはずなんですよね。その ニーズを掘り起こしていない先生が多いのかなと思います。多くの先生は、生徒のニーズに応えるために大学の過去問を一生懸命にやるんだと言うんですけど、 ドラッカーが言っていますよね。スマホやタブレットはニーズがあってできたんじゃなくて、できたことによってニーズが生まれたんだと。だから、生徒はもと もと心の中に持っていて、それを掘り起こすような授業をやってこなかったということなんじゃないかなと思うんです。工夫した授業をやろうとか、生徒がもっ と活動する授業をしようとかやろうとすること自体に生徒が共感を覚えて、がんばろうということになるんじゃないかと思います。

生徒は素直なんですよ。先生の言うことを一生懸命聞くんですよ。

僕が運営しているフィズヨビで、今年の7月からオンラインの学び合いを始めました。はじめのころは、受講生は「問題が解けるようになる」ということを目指していたんですが、素朴な疑問をお互いに投げかけあって協力して考えているうちに、みんなで考えること自体が楽しくなっていきました。そして、「問題を解ける人」ではなく、「疑問を発する人」が学び合いをリードするようになりました。その結果、答を導くことよりも、疑問を手掛かりに、みんなで深く理解することのほうが大事だという価値観が自然と生まれてきました。僕も物理の面白い話に繋がるように疑問を投げかけていきました。学び合いは深まっていき、ついに僕の手を離れて自分たちで自主的に学び合いを始め、3時間も、4時間もビデオチャットで夜な夜な自分たちで議論し始めるようになりました。

それは、「勉強」から「学問」に変わった瞬間でした。

そのときに、受講生も僕も、成績を上げることではなく、いまやっているこのこと自体に大きな価値があるということに気づきました。そして、疑問からはじまる探究は、テストの成績とは全く関係なく楽しめるのだということも実感しました。

それぞれが個性を生かしてリーダーシップを発揮して学び合いに貢献していくと、チームメイトの思考を利用しながら自分がぐんぐん学んでいけるということを体験しました。そうすると、参加者たちは、自己肯定感が高まり、どんどん元気になっていくんですね。

この体験を通して、大げさな言い方ですが、こうやって生きていけば、みんなが幸せになれるのだと腹落ちしたような感覚がありました。

このような経験は、教師と生徒の人生を根底から変えてしまうような強力なものだと思います。下町さんに導かれた生徒さんたちも、きっと「参加型授業」を体験して、人生を変えるような衝撃を感じたのではないかと思いました。

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総合的な学習から始めたのがうまくいった

―― 盛岡三高の参加型の取り組みをビデオで拝見したんですが、生徒がすごく頭を使って取り組んでいる様子が伝わってきて驚いたんです。あそこまで来るには段階があったと思うんですが、どのようなステップを踏んだのですか?

盛岡三高の改革の特徴は、授業改革なんですけど、総合的な学習の時間からいじったんですよ。

そのときの校長が、「ディベートをとにかく入れてくれ」ということだったんです。

授業を改善するとなると、ややもすると形だけになるんです。「全員がグループ学習を入れること」とか、「必ず学習課題を黒板に書きなさい」とかね。

先生方のマインドが育っていないのに、形式だけ変えるというのは、結局、一方通行型の授業と同じなんですよね。

なので、総合学習を変えるという視点は、すばらしかったと思いますね。生徒も教師もそういう授業を作るための土壌をならすために、総合的な学習の時間を変えるということをしました。

それで、1年間、調べ学習をし、グループを作ってディベートをするということをしっかりやったんです。そういうことをやってきたのが、普通の授業にも効いてくるというのがあるのかなというふうに思います。

―― それは、興味深いですね。総合学習の経験をきっかけにアクティブラーニングの可能性に気づいたという話を、いろんな方から聞いたことがあります。小林昭文さんも、総合学習のときのグループワークを入れてみたらすごく盛り上がって、こんなに盛り上がるのだったら物理の授業にも導入できないかということで、アクティブラーニングを始めたとおっしゃっていたんですよ。近大附属の江藤由布さんも学園祭の活動などでアクティブラーニング形式をやっていて、それで手応えをつかんで英語の授業に導入したというふうにおっしゃっていました。今は、1年生のマインドセットを耕すためにオーガニックラーニングというのを提唱して、地域創生プロジェクトに関わっているようです。

盛岡三高は、SSHの指定校で、SSHのクラスというのがあるんです。このクラスは、とにかくグループ作って、話し合いやって、課題研究をやるんですね。そうすると、もともと学力が高い生徒が集まっているわけではないですし、模試で表されるような成績が高いというわけじゃないんですけど、恐ろしく育つんですよ。

おまけに、体育大会の優勝までかっさらっていくんです。チームワークのよさがいろんなところで発揮されるんですよ。

だったらSSHのテイストを、他の授業にも導入したらいいんじゃないかということになりました。

校長を中心に組織的にやったというのはあるんです。良い先生の授業を共有しようということで、私が先生の授業を見てビデオを撮って、それを元に「盛岡三高の参加型授業はこうあるべき」みたいな定義をしようとしたんです。定義をして、リーフレットを作って、先生方に「こんな授業が参加型です」と示したんです。

先生方も疑問があって、「参加型って何だ?」「グループ作ればいいのか?」という声があったり、「成績伸びればどっちだっていいじゃないか」という意見もあったり、いろんな意見があったんですよ。だから、まず、きちんと定義しよう。その上で、全員が必ず公開授業をすることにしました。授業案までは作らずに、もっと緩やかな「授業公開シート」というのを作るんです。必ず一人1回以上公開授業をして、その他に、いろんな先生方が訪問に来たときには、スペシャルな授業を企画してやろうということにしていました。

そんなふうに1年間やることを決めて、少ししばりをつけて、いい授業があったら、片っ端から動画を撮って通信で流して共有していました。5分くらいのダイジェストにすると、だいたいどの授業もいい授業になっちゃう(笑)。

それをきっかけに、紹介された先生の授業を見に行く先生が出て来たりしました。先生方のほうから、「私はこんなことを考えています。ビデオを撮ってください」という依頼が来たりもしました。そういう相乗効果が起こりました。

――「反転授業の研究」で、いろんな人にインタビューをしているんです。もともとは、オンライン勉強会の登壇者紹介として記事を書くために、接続テストを兼ねてお話をうかがって、紹介記事を書いていたんです。そしたら、インタビューされたことがよい振り返りになったといって、それをきっかけにして行動がアクティブになってくる方が出てきたんです。インタビュー記事を読んだことをきっかけにしてその人に他の人がつながってコラボレーションが起こるということも出てきました。やる前は分からなかったんですけど、やってみると、いろんな副産物が出てきたんです。ビデオで撮って紹介することでも、いろんな副産物が出てきたのではないでしょうか?

私が編集すると、その先生にLOVEになりますよね(笑)。本当にいい授業だよーって。

溝上慎一さんが、全国の講演会などで盛岡三高の参加型授業のビデオを見せているらしいんですが、そこで紹介されている世界史の先生の授業が、一番多くの人に見られているようです。

参加型の授業のビデオを職員研修で見せて、先生方でビデオについてコメントしあうんです。同僚の先生に見せると「自分も真似する」と言うんですが、全く同じようにするのではなくてプラスアルファをするんですよ。一工夫するんです。

ビデオは初任者研修でも使われています。大野高校にも初任者がいるんですけど、そのビデオを見て、参加型の授業をやってみたいと言ってやっています。

盛岡三高のビデオは、結構いろんなところに回って、いろんな先生に影響を与えているなと思います。ですから、ビデオに撮られる側も、やりがいがあるんじゃないでしょうか。

私は、自分で授業ができなくなった分、今は、人をプロデュースするのが楽しみですね。「いいよ。」とほめると、やる気を出してやるんですよね。

―― それは、分かりますね。僕も、プロデュースする楽しみを覚えてから、そちらにはまっています。僕は、「反転授業の研究」に関わるようになってから、承認の力ってすごいなということを感じています。アクティブラーニングをやっている人って、かつての下町さんもそうだったように、孤立無援でやっている人が多いんですが、SNSで繋がって、その人がやっていることをよく理解した上で、そこに価値を感じているということをお互いに伝え合うと、それによって、勇気が湧いてきて、ものすごく力を発揮できるようになるということを経験しました。下町さんが先生方にやっていることも、正にそういうことですよね。

私は、昔は、「自分はこんな実践をやっています!」という感じだったんですけど、孤立無援の状態だったんですよね。今は、それに周りが追いついてきたという感じがあって、今がんばっている人たちを、もっと前に出していくことが今の自分の役割かなと思っています、見てみると、「反転授業の研究」もそうですけど、全国にいるんですよね。これって、全国とどんどんつながって、実践を共有したり、いろんな情報をキャッチしたりというようなことをこれからやっていくべきだなと思っています。

自分だけの利益を追求していくと、個人能力の限界が自分の限界になり、孤独が生まれ、自信を失っていきますが、チームで協力できるようになると個人能力の限界を突破できるようになり、無限の可能性が生まれます。苦手なことに意識を向けるのではなく、得意なことでチームに貢献できるようになり、自己肯定感が高まっていきます。総合学習を通してそのことを体験した盛岡三高の生徒たちは、協力することの意味を理解し、協力するためのスキルを身につけ、それが、参加型授業へと繋がっていったのではないかと思いました。

また、総合学習は、教師にとっても多くの気づきを与えるものだと思います。体験しないと分からないものを理解するときに、総合学習は生徒にとってだけでなく、教師にとっても、良いきっかけになるものだったのではないかと思います。その後、下町さんがファシリテーターとして教師を繋ぎながら、ビデオでお互いの授業を参考にしあいながら授業改善していく仕組みができたとき、各教師の授業改善は、自分だけのものではなく、他の教師への貢献にもなったはずです。そのことは、盛岡三高の教師のモチベーションを高め、自己肯定感を高めることに役立ったのではないでしょうか。

数学教師として教室で生徒の心に火をつけていた下町さんは、盛岡三高の副校長になったとき、フラクタル構造のスケールを1つ上げて教師グループの心に火をつけるようになり、さらに、大野高校の校長として、さらにスケールを1つ上げて、地域を巻き込んだグループの心に火をつけているのではないかと思います。そこでは、参加型授業を通して長い時間かけて蓄積してきたプロデュース力が、より広い枠組みで発揮されているのではないかと思いました。

 

参加型共生社会の心を育てるような授業をすることが大切

――社会変容ファシリテーターのボブ・スティルガーさんの本『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』を読んだときに、そこに社会変容が起こる道筋というのが書いてあったんです。最初のステップが、コミュニティの内部の普通の人がリーダーシップを発揮して自分たちの力で動き出して、自分たちの物語を語っていくというもの。次のステップが、各地のコミュニティが時代性によって共鳴して、1つの大きなメタストーリーが生まれるというもの。そうなったときに社会変容が起こるという話だったんです。「反転授業の研究」には、学習のパラダイムシフトを願う人たちが集まってきていると思います。今のブームの前からやっている下町さんのような方たちと、最近、興味を持った僕みたいな人たちとが一緒になっていくと、太い流れが生まれていくような気がしています。

そうですね。盛岡三高の授業というのも、言語活動というのが学習指導要綱に謳われる前からはじめていたので、偶然なんですよね。社会の動きが逆に後押しになって、盛岡三高の参加型授業と言うのがうまく動いてきたのかなと思っています。

私がやったことというのは、それに意味づけしたことだったんです。「参加型共生社会の心を育てる」だとか、「生きる力につながる学力というものを培う」だとか、そういう意味づけをすることで、単なる授業の一工夫から脱皮して、もう一つ上のことを目指そうと言うことをやっていました。

――それは、ビジョンを作ったということでしょうか。盛岡三高の先生方は、どんなリアクションでしたか?

アクティブラーニングって、ラーニングピラミッドとともに出てきたじゃないですか。学習定着率を高めるためのメソッドという側面でしか捉えていなかった部分があって、「アクティブラーニングをすれば、模試の成績も上がるんだから」みたいな見方をしている人も多かったんです。

そうじゃないところに価値があるんだと思って、学力の3要素というところから始めて、その3要素を伸ばしていくような授業を考えなくてはならないんだということを話して、先生方はそれを分かってくれたんですね。だから、形だけのグループワークではなくて、グループワークをやる価値があるような授業を組んでやってくれて、その結果として、生徒の態度がこう変わったよとかって行ってくれる先生方が多かったです。

あとは、生徒のリアクションがいいですよね。授業の後にインタビューをすると、言葉でしゃべりあうことによって、自分も理解できたし、他の人の違う意見も聞けて、すごく良かったみたいな声が返ってきます。

後もう一つ、盛岡三高って100校近い中学校から生徒が来ているんです。中学校からたった一人というのが40校もあるんです。だから、普通は、同じ中学から来た人が自分しかいないってさびしいじゃないですか。でも、授業では、中学校で固まるんじゃなくて、安心の場で、いろんな人たちとたくさん話すので、結果として、いじめのない学校にもつながるんじゃないかなと思います。

この下町さんの指摘は、非常に本質的なものだと思いました。アクティブラーニングや反転授業が、学習の旧パラダイムの下で学習定着率を上げたり、模試の成績を上げたりすることを目指しているものであるならば、それは、現実には崩壊している工業化社会のパラダイムへの適応を促すものであり、目先のことしか考えていない無責任な教育だと思います。下町さんは、その問題点に早くから気づき、時代を先取りして、盛岡三高の参加型授業を「様々な人々の多様なあり方を認め合う全員参加型の共生社会を築くための準備の場」と捉えて、学校が社会へ果たす責任というものを考えて取り組んできたのです。

これは、すごいことです。

下町さんは、既存の社会に子どもを適応させるために学校が存在するのではなく、今はまだ存在していない未来を創る子どもを育てるために学校が存在するということを明確に掲げ、その理想を学校全体を巻き込んで推し進めていったのです。そのことに気づいたとき、鳥肌が立ちました。

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教師の学習コミュニティについて

――両国高校に見学に行ったときに、教師の学びあいコミュニティができていたんです。教頭先生が教師の学びあいのコミュニティを後ろから支援しているんです。教師の学びあいコミュニティが大事なんだな、先生が学んでいる人になるから教室で生徒の主体的な学びを促せるんだなって思いました。盛岡三高では、下町さんが、教師の学び合いコミュニティを作るための中心になっていたのではないかと思うのですが、いかがですか?

そうですね。読売新聞で両国高校が紹介されたときに、アクティブラーニングの学校ということで、他の高校と一緒に盛岡三高も紹介されたんですよ。

全く同感で、昔は、教師の力量の集まりというのが学校だったんです。「下町の数学」「田原の物理」みたいな感じだったんです。それはそれで大事なんだけど、コーディネートする人が大事だなということを感じています。雰囲気を作る人とか、裏に回ってセットする人とか、そういう人は今までなかったかなと思います。個人の力量の集積ということだと、一人の先生がいなくなると弱くなったり、いい先生が来ると上がったりということがあったけど、意識してみんなで授業を変えていこうとか、そういうコミュニティの中心になる人というのは、もっぱら授業をしていない人がいいのかもしれないですね。副校長とか、教頭とかがちょうどいいのかなという気がします。

―― 僕が「反転授業の研究」をやったときに思ったのは、グループワークとか21世紀スキルとか言葉として入ってきたときに、自分たちはこれをやったことがないなと思っていたんです。僕は、予備校講師としてやってきたので、コラボレーションもしたことなかったし、よく分からないから伝えられないなと思ったんです。それで、オンラインの場でみんなで21世紀型スキルを発揮するような実践をして、コラボレーションをして、そこで気がついたことを教室に持ち込んでけばいいんじゃないかというのがビジョンみたいなものになったんです。学びのコミュニティの経験は、それぞれの先生の役に立ったということはあるんでしょうか?

動画を視聴して、授業改善に役立ったと言うことはあるんですが、学校の中という狭い範囲でやっているので、コラボレーションってもっと広い範囲でやったほうがいいのかなって思います。

話は変わるんですけど、「反転授業の研究」ってすごいなって思うんです。みんながあったかいじゃないですか。受け入れてくれる感じで。僕らの知らない人たちっていっぱいいるんです。民間の人とか、海外の経験を持っている人とか。そういう人たちの見識って、すごく勉強になるんです。私ができるのは、「反転授業の研究」に関わったことを、自分の学校に行って、咀嚼して伝えるということなんじゃないかなと思っているんです。

反転授業の本質は、教師が教室で権威にならずに、主体的な学習の支援に回ることにあると思います。教師が権威になると、生徒が自分で考えるのを止めて、教師から答を求めるようになるからです。

「反転授業の研究」は、教室と相似形のフラクタル構造を持つグループです。グループの中に権威を作らず、全員の関係をオープンでフラットにすることで、誰もがリーダーシップをとって主体的に振る舞えるようにしていくということを目指し、グランドルールを設定しています。

しかし、このようなフラットな関係は、ヒエラルキー型の社会システムに慣れた人、ヒエラルキーを登った人にとっては、必ずしも居心地の良いものとは限りません。全員が力を発揮できるペイフォワードの関係性を作っていこうというビジョンを共有し、それを体現できたことに喜びを感じるマインドセットを持っている人だけが、フラットな関係に居心地の良さを感じるのではないかと思います。

下町さんがずっと取り組まれてきた「参加型組織」のスピリットと、「反転授業の研究」のスピリットは強く共鳴していると思います。そんな下町さんだからこそ、グループに参加して、様々な投稿をしていただいたときに、新しい視点を加えてくれる強力な同志が加わったという喜びがグループ内に溢れたのだと思います。

 

 大野高校は、未来の学校を先取りしている

―― 大野高校は、生徒数が少ないということなのですが、それが逆に強みになるような部分というのがあるんじゃないかと思っているのですが、いかがでしょうか?

これは、今の私のテーマなんです。こじつけかもしれませんが、反転授業だったり、アクティブラーニングだったりが世の中に出てきているというのは、30年後、40年後の教育を考えたときに、今みたいな普通の講義でやっていけないからだと思います。

2060年ころに60歳以上の人口が40%になるとか、2100年には日本の人口が三分の一になってしまうとか言われているわけです。だから、大野高校は未来の先取りをしているのだって言っているんです。今、僕らがやっていることは、日本が将来、都会でさえも少子化が来たときに、30年後の教育の一つのモデルになる可能性があるわけです。同じ学年にこだわらずに、小学生と高校生とがコラボしていっしょに授業をするというのもありだし、地域の人と混じって何かをやるというのもありだし、もっともっと自由な発想を出していこうというのが私のテーマなんです。

・子どもの未来を考える
・未来へのビジョンを持つ
・自由な発想を持つ

これをテーマにしてやっていこうと思っています。

人口が少なくなるのが当たり前なわけですが、だからこそ、単に統廃合ではなく、頭を使っていろんなことを考えていくことが必要だと思っています。

―― 4月に赴任して4ヶ月間がたちましたが、手応えを感じている部分はありますか?

大野高校は20年前にも6年間いましたので、2回目の赴任なんですよ。地域の人たちと仲がいいので、毎日のようにいろんな人たちが来て、地域の人たちとのコラボができるんですよ。そして、もしかしたら学校がなくなるかもしれない。学校がなくなれば、地域がなくなるんじゃないかと、地域の人たちはすごく危機感を持っているんです。先生方は学校がなくなっても、違う学校に行くだけですけど、地域の人たちは死活問題です。だから、いろんなことを作戦会議してアイディアを出し合っています。

1年間じゃなかなか実行に移せませんが、来年度にやろうというアイディアが結構あります。

――僕は、オンラインの可能性を追求してきたので、いろんなアイディアが頭に湧いているんです。去年は、シンガポールの高校と奈良教育女子大のサイエンスクラブとをつないでプログラミングのコラボをやったりしました。でも、都会だとリアルでいろんなことができるから、オンラインに気持ちがいかないんですね。でも、地方だとリアルでチャンスがないからインターネットを利用できないかということで、話を聞いてもらえることが多いです。

大野みたいな田舎こそ、オンラインの授業が可能性があると思います。田原さんや江藤さんと私の決定的な違いは、ICT機器を使いこなすことと語学力の部分なんです。キーコンピテンシーってありますよね。コラボする力だったり、ICTとか、コミュニケーションする力とか。田原さんや江藤さんの活躍を見ていると、キーコンピテンシーというのは、全くその通りだなって思ったりしています。私には、ICTと語学力のところがネックになっているんです。

――僕の語学力は、江藤さんとは比べ物にならないです(笑)。でも、強みが違うとコラボしやすいですよね。僕は、一般的なICTではなく、コミュニケーションにICTを使うというところに、かなり特化して力を入れてきたんですが、その一方で、リアルの現場を持っていないというのが僕の弱点なんです。だから、現場を持っている人とコラボしないと現場と現場を繋げないんです。異なる強みを持った人が3-4人組み合わさると面白いことができると思っているんです。強みがうまく和集合になるような組み合わせを作ると面白いですよね。

それはそうですね。いろんなコラボがこれから生まれてくるといいですね。

下町さんの頭の中には、常に「全員参加型の共生社会という未来を創るための教育」というものがあるのだなと感じました。全員参加型の共生社会では、どんな違いも「独自の視点」を加えることて社会に貢献していくことを可能にする個性であり、価値を持ちます。

生徒数が少なく統廃合の危機にある大野高校の状況は、全員参加型の共生社会の視点からすると、「将来やってくる少子化社会における学校が直面する問題に先頭を切って取り組む」ことにより、社会に貢献することができ、大きな価値を持つわけです。

また、そのようなビジョンで取り組むことにより、大野高校の事例を、未来の教育を考えるモデルケースとして多くの人を巻き込んでいくことも可能になるのだと思いました。

インタビューを終えて

楽しみにしていた下町さんのインタビューを終え、この原稿を書きながら、下町さんの言葉の力強さはどこから来ているのだろうかと考えました。

考えた末にたどり着いた結論は、「実践知から得た確信は強い」ということでした。

僕も、2年前から、「21世紀型スキル」とか、「集合知」とか、いろんな言葉を使っていたのですが、頭で分かっているというレベルと、体験して腹落ちするというレベルとの間には大きな差があります。

学び合いにおいて「共創」と呼べるような状況が生まれることを体験したときに、「ああ!これのことだったのか」と初めて腹落ちして、目から鱗が何枚も落ちました。

下町さんは、教師生活の中で何度もそのような経験をされて、その経験をもとに思考を重ね、「全員参加型の共生社会」こそが未来の姿であり、それを創っていくために学校があるのだという確信を得たのではないかと思います。

下町さんの言葉には、実践知に裏付けされた力があります。

そして、それを伝えるために練られてきた論理があります。

ぜひ、下町さんのこちらの記事も合わせて読んでみてください。

僕には、教え込みの教育から、生徒が自分で学び未来を創っていく教育へのパラダイムシフトは、周辺部から起こるという確信があります。

中央集権型の旧システムの機能不全が顕著になり、変わるか、さもなければ滅びるかという切迫した状況が最初に生まれるのはシステムの周辺部だからです。

大野高校に下町さんのような支援型リーダーが校長として赴任し、地域を巻き込んだ全員参加型の共生社会へ繋がる学校運営が実現したとき、それは、学びのパラダイムシフトを引き起こす、周辺部からののろしになるのではないでしょうか。

 

 

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