『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業』レビュー(1)

「反転授業の研究」の田原真人です。

『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業』を読みながら、「反転授業の研究」の歩みを振り返っていき、連載レビューの形で皆さんと共有したいと思います。

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劇場型授業との出会い

「反転授業の研究」は、2013年に本格的な活動を始めてから、いくつかの転換点を超えて、殻を破りながら不連続に発展してきました。

2014年に僕たちが抱えていたのは、どうやったらコミュニティ内の学びをもっとオープンでフラットにできるのかということでした。

「反転授業の研究」が運営するオンライン講座が、教える側と教わる側に分かれてしまっていて、主体的な学びを目指すグループでの学びが、一方向的になっているということに矛盾を感じていたのです。

回を重ねるごとに矛盾が大きくなっていき、終には、運営者として感じている苦しみをコミュニティ内でオープンにすることになりました。運営者がコントロールを手放したことで、たくさんの方が助けてくれ、新しい道が開けました。

せっかく開けた新しい道をどうやって進んでいこうかと、キョロキョロあたりを見渡していたときに出会ったのが、京都精華大学の筒井洋一さんでした。

「これだ!」と直感的に感じて、インタビューさせていただきました。

京都精華大学人文学部教授 筒井洋一さんにインタビュー

筒井さんの授業に導入しているCT(授業協力者)や見学者を、「反転授業の研究」のオンライン講座に導入したらどうなるのだろうか?

筒井さんのところでうまくいっているからといって、自分たちのところでもうまくいくだろうか?

様々な不安や疑問を感じながら、2014年12月に、コアメンバーと一緒に京都精華大学の筒井洋一さんの「情報メディア論」の授業に見学者として参加しました。

京都精華大学「情報メディア論」を見学して

不安や疑問はありましたが、もう後戻りできないところまで来ていたので、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、えいや!っと運営ボランティアを導入しました。

それから1年経ちましたが、運営ボランティアの導入には、メリットしか感じていません。

10名ほどのチームで場をホールドするため、オンラインに安心安全の場ができ、多くの知恵と労力を使えるため、チャレンジしやすくなりました。

1年間、運営ボランティアと一緒にオンライン講座をやったことで、他にはない価値を生み出すことができ、次のステップも見えてきました。

今から思えば、1年前に筒井さんの授業を見学に行ったときが、大きな大きな転換点だったと感じています。

筒井さん、CT、授業見学者が20名ほど集まって書いた『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業』を読みながら、僕たちの1年間の歩みを振り返ることは、大変有意義な非同期の対話になると思います。

第1章 共感でつながるオープンな大学の教室

『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業』を読みながら、1年間の学びを振り返っていきたいと思います。

今日は、第1章。

いろんな人が、学習意欲を高めるための工夫をしています。

伝統的な授業では、

・面白い授業をする。
・褒めたり、叱ったりする。
・よい点数が取れる。

というようなものが使われることが多いのではないでしょうか。

僕が、予備校講師をやっていたころは、まさにこの3つを組み合わせて授業をやっていたような気がします。

サービス満点の授業で興味を引き付け、点数の取り方を教えて成績を伸ばし、ときどき褒めたり、叱ったり・・・・。

これは、1つの「あるべき姿」というゴールを設定し、そこへ向かって集団を引っ張っていくときには、有効な方法だと思います。

しかし、ここに欠けているのは多様性。

1つの基準で集団を測り、それによって序列化していく世界を、教師自身が内面化し、それを教室内で再生産しているわけです。

そして、その基準による競争が、協力しにくい状況を生み出し、個人を孤立化させているのです。

本来、人間には多様な個性があり、それぞれが、それぞれのやり方で幸せになる方法を見つけていけばいいし、お互いの違いから学びあったり、協力したりしていけばいいわけです。

この1年間、違いを認め合って協力し合った結果、安心感と幸福感を得ることができました。そして、自分を守る必要がなくなったことで、創造性も、以前よりも発揮できるようになりました。

このような関係性の構築を広げていけば、幸福感を感じられる人が増えていくだろうなーという確信が芽生えました。

筒井 洋一さんの授業は、そのような関係性を構築する方法を学ぶことができるものです。

学生は、「一元的な価値で測られる」というマインドセットにどっぷりつかっているので、それを動かしていくためには、「教授」という権威が大きな妨げになります。

だからこそ、学生と年代が変わらない「CT(授業協力者)」が、筒井さんと協力して授業を創っていくことに大きな意味があるのだと思います。

内発的な動機づけによって参加しているCTさんが、教壇に立つことで、学生のマインドセットは大きく揺すぶられるのではないかと思います。

外発的な動機づけが弱まると、内発的な動機によって動くことができる可能性が生まれます。

統制されている空間とは違い、それぞれが自分の気持ちで動き始めるとカオスが生まれます。

でも、このカオスこそが、自然な姿であり、カオスを共に乗り越えていき、何かを創るという体験こそが、本来の学びなのではないかと思います。

そして、それは、多様な社会の中で、自分の居場所を見つけて、自分と周りを生かしながら生きていく術を見つけるための学びにもなります。

自分と他人の違いから学ぶことができることの重要性に気づいたときに、教授、CT、多くの見学者からなる授業空間の多様な関係性が、学びの源泉になることに学生は気づくのではないでしょうか。

コラム(1)で戸田千速さんが述べているように、教室内に「教員ー学生という固定した関係性に留まらない多様な関係性の内包している」ことが大きな価値を生み出すのです。

コラム(2)で柳本英里さんが指摘しているように、CTと学生とが関係性を積み上げ、その上でフィードバックを送り合う相互関係の中でこそ、自己変革に繋がる学びが起こるのだと思います。

この学びは、学生だけにとどまらず、CTや見学者にも豊かな実りをもたらすものです。コラム(3)では、見学者として関わった遠藤龍さんが、まるっとーく in 綾部での場つくりの話を紹介していますが、筒井さんの授業を体験した学生、CT、見学者が、その衝撃によってマインドセットを変え、その関係を外部に広げていくという動きは、さらに広がっていくと思います。

僕自身も、筒井さんの授業をきかっけに、マインドセットを変え、オープンでフラットな学びを広げていこうとしている人の一人です。

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