場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビュー

「反転授業の研究」の田原です。ファシリテーションを学んでいく中で、ファシリテーターとして活躍している方の考え方を知りたいと思うようになりました。そこで、場とつながりラボhome’s viの代表理事、嘉村賢州さんにインタビューさせていただきました。

嘉村さんにアクセスしたきっかけは、第2回反転授業オンライン勉強会で発表してくださったmanabiai schoolの杉山史哲さんのFBへの投稿を見たことでした。

投稿を引用します。

場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さんが、新しい場創りの手法「マグネット・テーブル」を開発されました。

嘉村 賢州 さんの場創りの志向生とかなり近いものを感じている自分としては、これは使うしかない!と思っています。

ざっと見た感じだと、OSTより簡単に生成的な場ができそうな感じ。

おそらく、違いとしては、OSTはファシリテーターのbeing や語りが重要な要素になっているのに対し、この新しいマグネット・テーブルでは、その部分をルールで補うことによって、気軽に出来るようになっている…と思います。

OSTやりたいんだけど勇気が…という方にはピッタリ!

そしておそらく、OSTの場を創るのに十分な時間がない時にもこの手法が活かせるように思います。

学校現場でも使えそう。

僕は、杉山さんのことをかなり信用していて、その杉山さんが、”場創りの師匠(と勝手に思ってる)賢州さん”と呼ぶ嘉村さんに、ぜひ、お話をうかがってみたいと思いました。それで、その日のうちにアポを取り、インタビューさせていただくことになりました。

最初に、嘉村さんの現在の活動につながる流れをうかがいました。

チームやプロジェクトに参加した学生時代

嘉村さんが、場創りに関心を持ちはじめたきっかけは?

ずっと前から一部の人が話すんじゃなくて、全員が知恵を出し合って進めていくのが意味があるだろうというのが、頭の片隅に残っていました。

その後、京都大学に行って、大学の授業は一方通行でどんどん難易度が上がっていくためついていけなくなり、その一方で、人が知恵を出し合ってモノを作っていくプロジェクトベースの集まりというのが、すごく自分の中ではまっていきました。好奇心の赴くままに、いろんな団体、いろんなプロジェクトに出入りし始めたというのが原点です。

団体やプロジェクトに参加してみていかがでしたか?

そうすると、うまくいっているチームも、うまくいっていないチームもあるんです。ファシリテーションを学んでいて、やっているけどぎくしゃくしているチームもあれば、ファシリテーションなんか学んでいなくても、すごく仲良くて、普段ご飯食べて仲良くしているだけで、何も議論していないのに、イベントのときはすごいクオリティを発揮するチームとかあるんですね。

いいチームと悪いチームの違いって何なんだろうと探究するようになりました。自分自身もリーダーとして引っ張っていく機会も増えていく中で、場創り1つをとっても、チームによって全然違うということを認識していった学生時代だったんですよ。

僕も、今、ワークショップをやったり、プロジェクトチームで仕事をしたりしているんですが、うまくいったり、いかなかったりするのを経験して、その違いは何かというものにとても関心があります。嘉村さんの話に、重要なヒントがありそうだと感じました。

コミュニティで生まれた「魔法の時間」

学生のときからチームやプロジェクトに関わっていたのですね。

大学4年生のときに、せっかく出会った人たちが、より応援し合えるような関係を継続的に作れないかと考えるようになりました。プロジェクトベースの集まりというのは、関係性も深まるけど、解散すると散っていくんです。それで、コミュニティという概念と出会い始めました。

コミュニティを作るために京都に家を一軒借りました。2階に4人住むと4万円ずつ出し合うと16万円になるんで、京都だと一軒家借りられるんですね。その家の1階を24時間、365日開けっ放しにして、信頼する人を連れてきて、紹介で連れてこられた人は、2回目からはアポイントなしでいつでも来て使っていいよという一見さんお断りのコミュニティを作ったんですよ。リアルmixiっていう人もいました。ちょうどmixiが誕生するときと同時ぐらいに生まれたものだったので。5年くらいで1000人くらい訪れるようなコミュニティになりました。不思議なことに、その場で、初対面で集まっているはずなのに、信頼する人の紹介というものがあるだけで、初対面なのに夜には泣きながらしゃべっているというような深い時間が訪れたりするんです。僕らは、「魔法の時間」って呼んでいました。そういう表面的な会話じゃなくて、弱点とか、しっかりした意見じゃなくてあやふやな意見とか含めて、交わすことができるというのがすばらしいなと思いました。この「魔法の時間」のような対話が広がっていったら世の中変わるんじゃないかという思いが生まれました。その原点がコミュニティにありました。

これは、コミュニティを作るうえでとても参考になる話でした。信頼できる人の紹介という担保があることで、最初から心をオープンにできるというのはよく分かる気がします。そして、そのような場によって、人と人とが次々と繋がっていくということに大きな可能性があると思いました。

就職→ITベンチャー→街づくり

コミュニティの経験から次の展開が生まれるんですか?

はい。コミュニティで出会った仲間とITベンチャーを立ち上げました。実は、ITベンチャーを立ち上げつつ、一度、就職したんですよ。でも、結局、1年後にITベンチャーにジョインすることになりました。紹介制コミュニティーでどんどん出会いが広がったように、人生って縁のある人、価値観を同じにする人とか、共感する人との出会いが人生を豊かにすると思ったのんです。それで、縁のある人と出会い、深まる仕組みをITで実現できないかと思い、縁のある人と書いて、「京都サーチ縁人」というサービスをITベンチャーでやろうとしていました。

京都サーチ縁人はうまくいったんですか?

それが、1年でとん挫してしまったんです。そのときに自分がITでこれから生きていくのか、それとも他に再就職するのか、どうしようかと悩んだんですが、人のつながりが人生を豊かにするので、コミュニティとか対話とかで仕事していきたいなと思いました。

それで、紛争解決の技術などがヒントになるなと思って研究を始めました。2006年ごろにシアトルのペガサス・カンファレンスという「学習する組織」の世界大会に参加したりしました。そこには、ワールドカフェを作ったアニータ・ブラウンとかも来ていたりしていました。そんなことをやりながら、ワールドカフェとかOSTとか、絶対に地域で使えるはずだという確信を持つようになりました。

僕は京都が大好きなんですが、京都はしがらみが多い街なので、そのしがらみを対話によって超えられるんじゃないかと思って自主的に事業とかをやっていきました。そのうちに、京都市でもやりたいという声がかかって京都市未来まちづくり100人委員会という100人規模の集まりを毎月1回開催するということになっていきました。その頃は、ワールドカフェとかOSTで街づくりするという事例がほとんどありませんでした。横浜と京都がほぼ同じ時期に始まったところでした。その実績で、企業でもそういう対話が必要だということで声をかけていただいて、今は、地域とかNPOとか企業とかで対話の場を創らさせていただいています。

場創りというものを掲げて活動しているうちに、いろいろなものがどんどんつながって広がっている感じですね。

こういう道って、分かりやすいアンテナがあると、自動的に縁が縁を呼ぶという感じで広がっていくので面白いですよね。

人と人とがちゃんと繋がると、その繋がりが、新たなつながりを生み出してネットワークが広がっていくというのは、僕もこの1年間で経験しています。その経験を通して、人と人とを繋げるということにずっと取り組んできた嘉村さんの周りには、すごく豊かなネットワークができているはずだということを明確にイメージできました。

「魔法の時間」が生まれる条件とは

「魔法の時間」というのが、人と人とがどのようにして繋がるのかを考える上で、とても重要なヒントのような気がするんですが、そのような場が生まれる条件は、どのようなものだとお考えですか?

人間って面白くて、興味を持たれると興味を持つし、心開かれると心開くし、この順序が難しくて、いきなり初対面の人に夢を語れと言っても、夢って自分のアイデンティティなので、自分の夢は笑われてしまうとか思って話せなかったりするじゃないですか。

「安心・安全の場」ってよくファシリテーションでは言いますけど、弱さも含めて全部話しても大丈夫なんだという安心感をコミュニティに感じるかどうかというのが要素だと思います。

紹介制コミュニティーのときは、来た人が、自分が信頼する人が紹介する場だということで大丈夫だろうと感じたことで、うまくいったのだと思います。

嘉村さんの作ったコミュニティーでは、「信頼する人が媒介となっている」ということが、安全・安心の場を創る上で大きな要素になっています。アクティブ・ラーニングでも、「安全・安心の場」が重要になりますが、そこでは、グランドルールの存在と、生徒の可能性を信じて見守るファシリテーター役の教師の存在がカギになっているような気がします。どのようにして「安全・安心の場」を作ることができるのか、そのエッセンスについて考えていく上で、嘉村さんのお話は、大きな手掛かりになると思いました。

ゼロからつなげるときにはステップを踏む

紹介制コミュニティーじゃないときは、どのようにして「安心・安全の場」を作るのですか?

自分がゼロからファシリテーションを依頼されるときには、いきなりそこまで行けないんですよ。どうしても。そのときは、ステップを踏んでいます。

一番最初は共通項を見つける。同じ日本人とか、同じ映画が好きとか、共通項を見つけることで少し距離が近づきます。次に小さな共通体験をします。一緒に何かを作り上げるとか、プレゼンテーションを一緒に作るとか、料理を一緒に作るとか、共通体験をすることで深まっていきます。次に、考えていることとか強みとかを話していって違いを楽しむというか、自分とは違ういいところをもっているなというのが共有されていく段階へ進みます。最後に、それをさらに超えて、不完全さとか、悩みまでも吐き出すことになったら、全面の安心につながるので、かなり深いつながりになっていくと思います。

ただこれをデザインしすぎるのも違うと思っていて、対話の場がうまくつくられたら自然にそういうのが進んでいくと思うんですけど。

順序が違うと、うまく繋がれなかったりするんですか?

どうしても逆転できないというか、一番最初に違いをきかされても、自慢話にしか聞こえなかったりとか、嫉妬心が生まれたりとかもするので。異業種だったりとか、違う背景を持った人の集まりだったりとかだと、この加減が難しいところですね。

「ステップを踏む」という考え方は、自分の中に全くなかったものだったので、目からうろこでした。このように考えると、今すぐに繋がることができないように思える人でも、時間をかけてステップを踏んでいくことで、将来、繋がれるようになる可能性が生まれてきます。人と人とのつながりというものを平面で捉えるのではなく、時間軸も入れて立体的に捉えることによって、可能性が広がるのだという気づきがありました。

異なる属性の人同士で交流する難しさ

日本の社会って異質なものと交流するのが苦手だと思うんですよ。自分から心をオープンにして繋がっていくのが苦手で、マーケティングによって、消費傾向ごとにセグメント化されて、振り分けられた同じセグメントの人と表面的に付き合う傾向があると感じています。

金属の球を物理的にただ接触させてもくっつかないけど、表面を溶かして接触させると融合して強いつながりになるじゃないですか。人と人とのつながりも似たようなものだというイメージがあって、活性化エネルギーを超えてある種の化学反応が起こらないとつながらない気がしているんですよ。そして、その反応が起こる場を創るのがファシリテーターじゃないかなと思っているんです。

そうですね。産官学連携とか、異分野コミュニケーションとか、異分野融合とか、ずっとうたわれてきたんですが、ファシリテーターのようなものを軽視して、異業種交流会とかも設置し続けてきたのでうまく融合することができないことが多く、その結果、異業種交流会に行っても仕方がないとか、結局、異分野融合は無理なのねというあきらめモードに入っているところもありますしね。

ちょっともったいないですね。

異なる背景を持った人同士が相互理解に至ると、違いが創造に結び付き、お互いにとって大きなメリットが生まれると思います。でも、背景が違うため、簡単には相互理解へ至ることができず、むしろ反感などがうまれやすいです。そのためには、嘉村さんがおっしゃっているような「ステップを踏む」といったような工夫や仕掛けが必要になってくると思います。そこにファシリテーターが活躍する要素があるのだと思います。

「知的保留」という考え方

対話の結果、相互理解へ至るというのは感動的な体験だと思うんですが、それを体験したことのない人に伝えるのって難しいんですよ。たとえば合気道の技とか、外から見ていると「わざと投げられているんじゃないか」と思ったりするけど、実際に投げられてみてはじめてどんなものか分かったりするのと似ている気がするんです。でも、対話を広げていくためには、それを語っていく必要があると思います。嘉村さんは、どうやって対話の体験を伝えていますか?

未来を創り出す姿勢として大事な言葉がありまして、「知的保留」というのがあるんです。

合気道なんてないという人を「盲信」の反対で、「盲疑」というんですよ。

「盲信」も「盲疑」も思考停止状態を指すんですね。

すぐに信じてしまうものもそうですし、すぐに拒否するのも考えているようで考えていないんですよ。幽霊なんていないとか。そういう安易に結論を出さずに、あるかもないかも分からないというモヤモヤの状態で考え続けているという努力を「知的保留」っていうんですね。

知的保留をした上で、対話をしたりとか、活動したりすることこそが、現状を乗り越えて新しい未来を創っていく上で大事な姿勢だと言われています。

「知的保留」という考えがあるんですね。

ファシリテーション業界に、U理論というものがあります。U理論の前半戦は、ダウンロードの段階から脱出するところからいきます。人の話を聞くときに、人は自分の枠組みで話を聞くということを行ってしまうんですね。相手のことに耳を澄ましているときというのは、例えれば、洞窟の中で頭にサーチライトをつけて洞窟を探求しているようなもんですね。光を照らして、何か宝物はないかというような構えで聴くことが本当に必要な聴き方なんですけど、多くの人は、頭の上の懐中電灯を灯しているようで、プロジェクターで自分の聴きたいように物事を映していると表現されているんです。

洞窟に存在しないものを、自分で映し出してしまっていて、それを見ているということですね。

そうです。自分の聴きたいように聴いてしまいがちなんです。じゃなくて、自分のプロジェクターを手放して、本当にありのままで人の話を聞くと、本当の共感とか理解が生まれてくるんです。

そうしたときに、本当に人の話を聞くと、自分の中で混乱が起こるはずなんですよ。自分とは違う人生経験とか考え方してきた人の考えが目の前にあるので、混乱するはずなんです。

でも、多くの人は聴きたいように聴いているので、「あ、あのことね」とか、「本に書いてあったあのことを、目の前の人はしゃべっているね」とかいうようにグリッドに合わせて聴いてしまうので、混乱は起こらないんですね。

そういうダウンロードを手放した聴き方を続けていくと、カオスが生まれてくるんですよ。人の話も好奇心を持って聞けるようになるんですよ。相手がBという意見を持っていて、自分がAという意見を持っているときに、本当に好奇心を持つと、相手のBという考え方はどんなふうに生まれたんだろうという心の底からの好奇心が生まれてきます。そのような姿勢で聞いたときに、次に生まれるのが、自分の考え方ってどういう背景でどこから生まれてきたんだろうというように、自分の考えに対してもすごく好奇心が生まれてくるんですよ。

ダウンロードの聴き方をしているときは、基本的に自分の考え方は正しくて、相手は間違っているという形になっているんですね。そこを手放したときに、自分の考えって、実は、親の影響をうけているなとか、こういう経験をもとに生まれてきた考え方だなとか、そういうことに好奇心を持てるようになります。そうなると、自分の考えを手放せるようになってくるんですね。

相手の考えをしっかり聞いて、自分の考えを手放し始めると訳わかんなくなってくるんですよ。これが、カオスで、ファシリテーション用語では、Grown Zoneというんです。

その、もやもやして、わけのわからない状態でも、この先に何が必要なんだろうということを考え続けて、ちょっとあきらめに近い領域で、何が次だか分からないというときに、自分のこだわりを捨てた瞬間に、新しい未来が降ってくるという理論なんですね。

人間はどうしても、未知の世界に対しての地図を欲しがるというか、知識とか、戦略とかで、自分がどこへ行くかというのを確かめながら進んでいきたいもんだと思います。居心地が悪いんで。そこを確かめずに、委ねることによって未来というのが現れてくるんだというのがU理論の考えです。

なるほど。僕は、物理から生命科学へ移動して、生きている状態とは何かということを研究していたんですが、その中で一番感動的だと思ったのが、生き物がそれまで従っていたルールを手放して飛躍する瞬間なんですよ。そこに、機械とは違う生き物の本質を感じていました。たとえばテントウムシを手に這わせると「上向きに歩く」というルールに従って歩き続けるんです。ところが、指の先まで来るとそのルールが適用できなくなってきます。それでどうするかというと、しばらく足をバタバタさせるんです。それまでのルールから抜け出すために内部にカオスを自分で作り出しているように見えるんです。そして、カオスを経由して「飛ぶ」という別の行動へ移行するように見えます。これは、U理論ととても近いイメージです。

本当に生命にはヒントが盛りだくさんだと思います。教育とかでもカオスを避けがちで、もったいないですよね。

僕の恩師は「カオスには世界をサーチする力がある」と言っていました。僕は、結構、その言葉に救われたんですよ。

僕も、はじめて知的保留な生き方というのに触れたとき、自分に勇気をくれたというか。答を出すことが必ずしもいいこととは限らないというところは、ありがたかったですね。

嘉村さんのお話で出てきたU理論については、こちらが参考になります。

utheoryfirstview

※画像はこちらからお借りしました。

僕は、学び方には2通りあって、PDCAサイクルみたいに経験からのフィードバックによって改善、最適化していく学び方と、今までのやり方を手放して新しいやり方を探していくような学び方があると思っています。U理論は、後者の学び方についての理論です。慣れ親しんだやり方を手放し、未知のものを探すというのは恐怖心を感じるものなので、なかなか難しいことですが、それを乗り越えた成功経験を積み重ねることで、破壊と創造を繰り返しながら、よりよいものを求めていくことができるようになると思います。

古いものを手放して、新しいものを探している状況は、よりどころがない不安な状況ですが、そこに「知的保留」という肯定的な意味を与えることで、未知のものへの探究活動を後押しできるのだということを嘉村さんの話から感じ、感動しました。

カオスの中で道なき道を進んできた

一見すると、嘉村さんは、京都大学を出て、自分がこれだという道を見つけて、ここまで順調にやってきたように見えますが。

そんなに順風満帆でもないですからね。僕は発達障害的なものを抱えていて、ADHDなんですよ。社会人になってから分かったんですけどね。よく考えてみると、小学校のころから机がぐちゃぐちゃで、中から給食で残した腐ったパンが出てくるみたいな、いわゆる典型的な発達障害の症状があったりして、自分の中にコミュニケーションコンプレックスもすごく持っていました。

一回、就職したときも、グループワークは5段階で5くらいの成績を残してきたんですが、「ほうれんそう」があまりできなかったり、資料整理ができなくてつまづいたり、プレゼンがうまくできなくてつまづいたりだとか、そういう意味で、普通の人ができることができなかったので苦労もしました。

あとは、NPOを自分たちで経営しているので、ビジネスを回していく苦労はしてきたかなと思いますね。道なき道を作っていっているというか、前例のないところをやろうとしているので、そういう意味では、毎回毎回カオスの中にいるというか、勇気を持ってやってみるしかないという感じでした。真似るんだったら過去から学んでいくらでも方法論があると思いますけど、ファシリテーターを仕事にしている人自体がほとんどいませんでしたから。なぜ、ファシリテーションなんかにお金を払う必要があるのという時代でしたから。

今は、職業化したファシリテーターがだいぶ出てきて、心強いなと思っています。

新しいことに挑戦しているということは、過去の改善から学ぶことができず、未来から降ってくるものを直感によってつかみ取っていくことになります。そういう意味では、ファシリテーターを仕事にするということは、カオスの中で未来を探し続けるということなのだと思いました。それを自らが実践してきた嘉村さんだからこそ、カオス状態にある人のことを良く理解し、支援できるのではないかと思います。

嘉村さんが場創りで体験したかけがえのない経験

嘉村さんは、一貫して場創りに関わっていらっしゃいますが、なにが嘉村さんを場創りに駆り立てているんですか?

魔法の時間みたいなものを味わって、そのあとファシリテーションをしていく中でかけがえのない経験を数多くしました。

たとえば、企業の部門長クラスで、上からも下からもプレッシャーを浴びているような人で、はじめは、管理職の役割としての発言はするけども、個人としての発言なんか出ないというような人だったんですけど、半年くらい一緒にやっていくうちに、残りの職場人生で若いやつらに何を残せるのかということを涙しながら語ったりするわけです。そういう人が本当に持っているやさしさだったりだとか、自分の命をどう使うかとか、そういうものが溢れるシーンを、いくつか見せていただいて、すごくかけがえのないところに自分は関わらせていただいているんだなと感じました。それが原動力になっていると思います。人間の本当の良さをまじかに見ることができる場所にいるなという感じがします。

なるほど。シンガポールでワールドカフェのホストの方の自宅に招待されたことがあって、そのとき、3時間くらい二人で対話をしたんです。いろいろな問いかけをされて、いっしょに考えていくうちに、自分に対してすごく整理されてクリアになってきました。後になってから、自分は、いろんなものを引き出してもらったというか、かけがえのないことをしてもらったなという感覚が生まれました。嘉村さんの場を体験した人も、そういう感覚を持っているのではないでしょうか。

海外のファシリテーターの皆さんは、そういう哲学を地でいっていて、本当に人を信じているなというファシリテーターの方にたくさん出会わせていただきました。本当にオープンで、本当に信じているなというのが伝わってきました。

日本にコーチングを持ってきた人の一人で、CTIを立ち上げた榎本英剛さんという方がいます。彼は、、本当に世界中の誰でも宝物にすべきものが眠っていると心の底から思えれば、コーチングのテクニックなんていらないんですよというようなことを言っています。

榎本さんは、今は、地域づくりに分野を移されているんですけど、そこでも同じことを言っています。地域を持続可能な地域に変えていくという世界的な動きがあって、トランジションタウンというんですが、その考え方は、地域の未来を創るのに必要なものは地域に眠っているので、安易に外部の人を呼んでこようとかせずに、地域の中にあると信じて地域づくりをすれば、絶対未来が生まれてくるというものなんです。

榎本さんが使うたとえで、このようなものがあります。

「今から皆さん、最寄りの駅に行くまでにお金が絶対に落ちていると信じて歩いてみてください。そしたら、必ず1円とか10円とか落ちていますから。でも、どうせ落ちていないと思って適当に歩いたら絶対に見つからないですよ。一回、絶対あると信じて歩いてみてください。絶対に見つかりますから。それと同じで、あると思い込んで接するのか、あるかもしれないないかもしれないと思って接するのかでは、全然違うよ」

これは、たぶん榎本さんが1000人以上コーチングやってきた中で、本当に一人一人が宝物ということと出会ってきたことから来ているたとえなんだと思いますね。体に人を信じることが落ちているので、そこまでいけるんだなと感じています。

僕自身も場創りに関しては、すごく数をこなさせていただいて、途中でトラブルが起こったりすることは当然あるんですけども、だいたいいい未来が生まれてくるというのを経験して、ようやく信じられるようになってきたというのがあります。

この話をうかがって感じたのは、教室にいる教師の存在も同じだということです。生徒の可能性を心から信じてそこにいるということが、様々なテクニックよりも重要なのだということを言われたような気がしました。

コントロールを手放して場にゆだねる

最近、場を信じるということの重要性を実感する体験がありました。ファシリテーションの有料講座の参加者を募集していたんですけど、今までは、マーケティングの手法に沿って募集していたんですが、メイン講師の福島毅さんの想いとか、自分の今の気持ちとかを考えていくうちに、「一方的に情報発信して販売する」という手法自体を変えていかなければならないんじゃないかと思って身動きが取れなくなったんですよ。ちょっとカオスになっちゃったんですね。それで、リスクは感じたんですけど、自分の考えをオープンにしてみたんです。

そしたら、いろいろなフィードバックが来て、運営側と受講者という境界があいまいになって、訳が分からなくなってきて、そのうちに、みんなが助けてくれて講座が成立するくらいの受講者が集まりました。フィードバックを受けて、毎日、申し込みページが更新されていくというのは、初めての経験でした。

すばらしいですね。まさにコントロールを手放して、リスクも取って、委ねた中で生まれたものですね。本当に素晴らしいですね。

勇気を出して、手放されたからこそ生まれたストーリーじゃないですか。それは、他の人にも勇気を与えるストーリーだと思います。

今のストーリーは、まさに、サイモンシネックのゴールデンサークルの話ですね。

アップルとか、ライト兄弟とか、マーチン・ルーサー・キングとか、成功しているリーダーは、考え方と表現方法に他の人とは全く違うものがあるという話です。

普通の企業は、分かりやすい差別化要因だったり、どんな機能があるかというところから語る。たとえば、うちのパソコンの性能は最新鋭のCPUを揃えていて、画面の解像度は素晴らしいですなんていう話から入っていくとか、うちの法律事務所は、こういうような専門家が集まっていて・・というような。機能で説明するというのが多いんだけども、ライト兄弟も、マーチン・ルーサー・キングもアップルも、何を信じているのかというところから語っている。Whyから考えよう。多くの企業はしゃべりやすく、言語化しやすいWhatから語るけども、卓越したリーダーは、言語化できないWhy、なぜそれをやりたいのか、なぜそれを信じるのか、何をそこに希望を見出しているのかというなぜから語るという話でした。

田原さんは、まさに今回、恐れを手放して、勇気を持って・・Whyって否定されると一番つらいところじゃないですか。違うと言われたらアイデンティティに関わるようなことを、勇気を持って信じていることをあいまいでもいいのでしゃべられたというので、共感が生まれて、まわりをも動かしたということだと思うんですよ。

それは、本当に素晴らしい一歩を踏み出されたなと思いますね。

そうおっしゃっていただけると、自分の中で確信のような感情が生まれてきますね。ちょうど同じ時期に、まったく考え方の背景が違う方同士がコミュニケーションを取っているところに間に入る機会があったんですね。同じ言葉を使っているのにお互いにほとんど言っていることが分からない状況で、ストレスが溜まってきて、「もうやめましょう!」みたいな感じになったんです。そのときに、今までだったら感情的になって、それで終わりにしていたような気がするんですが、たぶん、僕の中でいろんな変化があって、「これは、分かり合うためのチャンスだなー」という気持ちになったんです。それで、ストレスを感じた状況を共有して、その原因をみんなで考えることにしたら、分かり合えたような感覚が生まれました。これも、自分にとっては、インパクトがある経験でした。

原体験でそんなのを持っているのは、本当に素晴らしいですね。

すごくいいと思いますよ。知識から入ると逆効果ですからね。知識から入ると、ダウンロードで入ってしまうじゃないですか。いろんな反応が起こったときに、「ああ、あの本に書いてあったあの反応が起こった」というように場を捉えるわけじゃないですか。でも、それって、もしかしたら違うかもしれないというところとかも、全部、解釈されてしまいます。だから、まずは、実践ありきのほうがいいと思っています。

自分もファシリテーションとか、コーチングとかに興味あったんですけど、逆に変な影響を受けてしまうと思ったので、6-7年間は一切勉強しなかったんですよ。自分なりに試行錯誤して、どういう場がいいのか、どういう場が悪いのかというのを体感で試行錯誤して、それを、その後の5-6年で知識で整理していったという過程を踏みました。

今、知識がないと怖いからという理由で勉強から入ると、結構、間違った方向に行きやすいと思っています。コーチングでも、勉強から入った人のコーチングって、変に目標設定されちゃったりして、操作されている感じがするんですよ。人と人との純粋なやり取りがある中で、スパイスとしてのノウハウはありなんですけど、ノウハウで人って動くものじゃないですから。田原さんは、すごくいいプロセスを踏んでいられるなと思います。

今回の2つの例は、理屈ではなく、直感で動いたという感じなんですよ。

たぶんそうだと思いますよ。そのプロセスで、「本音出したら次動くだろうな」というもんじゃないじゃないですか。たぶん、これ伝えておかないと絶対に嫌だというような直感というか、そういうのに駆り立てられて、それで、これで理解してもらえなかったらしゃあないという手放しもあったりしながら、たぶん一歩進まれたと思うんですけど、それは、理屈で考えてもできるもんじゃないなと思います。

自分の体験を言語化して嘉村さんに語ったことで、改めて自分にとっての体験の意味が明確になりました。論理的に行動したほうがよいフェーズと、直感的に行動したほうがよいフェーズとがあり、その両方の使いどころが整理された気がしました。カオスから抜け出すときは、過去のデータから割り出された解は意味がないので、直感に従うべきだということを言語化できました。

人間的な成長を促すファシリテーション

今、教育分野では、一方向的に知識を与えるのではなく、生徒が主体的に学ぶ力を育もうという機運が高まって来ていて、アクティブラーニングや反転授業が注目されるようになってきています。その中で、教師には、ファシリテーション能力が求められてきています。嘉村さんは、教育について、どのように感じていますか?

教育は、本当に大事ですよね、基本的に知識詰め込みが多いじゃないですか。今の田原さんみたいに興味を持ったときの吸収率ってすごいと思うんですけど、今の学校教育って、好奇心が生まれる前に教え込んでしまっているので、知識面でも吸収率が悪いし、入っていかないですし、入ったところで自由自在に活用できる知識ではなくて、テストで点数を取れる知識になっていると思います。そういう意味で、考えてから知識を入れる、好奇心を持ってから知識を入れるというようなファシリテーションというのは意味があると思います。

そもそも、対話というものは、自分は何者なのかとか、自分はどうありたいのかとか、日々、自分のメンタルモデルを作り替えていくというものなので、学校教育が知的成長だけを扱うんだったらいいんですけどね。人間的な成長を扱うのであれば、ファシリテーションは不可欠だと思います。

ここで嘉村さんがおっしゃっている「人間的な成長」というのは、メンタルモデルを疑って変更する経験を通し、自分を成長させていけることだと思います。「テストでよい点数を取るのがよい」という1つのメンタルモデルに従って学校生活を送り続けることは、知的成長をすることは可能かもしれませんが、「メンタルモデルを作り替える」という体験をしないことの弊害も出てきます。アクティブラーニングや反転授業の役割として、「メンタルモデルを作り替える経験をさせる」というものが、対話の中から浮かび上がってきました。

一生懸命やっている人ほど考え方が変わるはず

僕は、ファシリテーションについて考えていったら、アメーバ―型社会のようなものにたどり着いたのですが、嘉村さんは、社会についてはどのように考えていますか?

社会のメンタルモデル自体を変えなくちゃいけないと思っています。この間、派遣村で有名になった湯浅誠さんという方と対談して文芸春秋に取り上げてもらったんですけど、考えがブレないことが強いリーダーだというメンタルモデル自体が今の社会の弊害の一つなんじゃないかという話をしていました。

本当にいいものや良い社会を作ろうと思ったり、よい理念を追いかけていたら、新しいものと出会うはずで、新しいものと出会えば変わるはずなんです。一生懸命やっている人ほど、考え方が変わるはずで、変わることを良しとしない限り、より安定、より平凡な方向へ行ってしまいます。ブレる人ほどいいと思います。僕は、マニフェストの政治が嫌いなんです。事前に結果を約束してからやるんじゃなくて、方向性とか問い、これを信じているんだけどなということを言って、後は、通った後、試行錯誤しますということじゃないといけないんじゃないでしょうか。こんな世界にしますということを詳細に書くマニフェストというのはちょっとおかしいんじゃないかと思っています。そのブレたらいけないメンタルモデルをまず変えないとダメだなーというように思って、そういう対談をしていたんですよ。

失敗が許されない世界というか、もっと社会実験ができる社会にしていかないと、どんどん衰退していきますよね。

過去の経験から生まれたものを改善するだけでは、限界がありますよね。

そうですよね。アインシュタインの言葉で「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決することはできない」という言葉があります。

何か問題が起こったときには、その考え方だから問題が起こっているわけなので、考えの次元を上げないと、つまりメンタルモデルを変えないと解決しないんですよということだと思います。

いじめがおこったという学校があったとすると、いじめが起こってしまう何かを教えている学校のメンタルモデルがあって、それを根本的に変えない限り、誰かのせいにしたとしても変わりませんよね。

アインシュタインは、まさに、ニュートン力学の一様な空間、一様な時間という前提を疑って、それを覆すことによって矛盾を解決しました。僕が科学を勉強していてよかったと感じた瞬間は、カオス理論とかゲーデルの不完全性定理とか、ポパーの反証可能性とかに出会ったことで、1つの方法論を突き詰めていくと、内部に矛盾が生まれてきて、前提が問われ、それによって枠組みが広がっていくというプロセスの普遍性を学ぶことができました。自分の物理授業にも、公式暗記の学習法を手放し、原理からすべての法則を導いて解くという方法を学ぶということがテーマになっていますが、今回の対話により、それをもっと一般化して、「自分の前提を疑い、それを乗り越える」という要素を入れたいと思いました。

負の連鎖を対話によって少しずつ剥いでいく

ストリート系の友人と会話をしていたときに、その人が、社会を中心の輪の中にいる人と外側にいる人とに分けてイメージしていて、内側の人が本音を隠して生きているのに対して、ストリート系は外側で本音でつながっていると言っていたんですね。僕は、現状の社会では、全くその通りかもしれないと思いました。でも、それは、既存のシステムに認められている部分と、システムから排除されている部分とがあって、ストリート系とか、方向性は違うけどエロ妄想系とかを、システムから排除されているがゆえに本音として認識してしまいがちだという部分もあると思っているんですよ。だから、ある意味、システムによって「本音」が制約されてしまっていると思うんですよ。そういう制約を、対話によって乗り越えていけないかなと思っているんです。

たぶんそこでその人が本音を強調されるのが、本音を出して傷ついたりとかいう経験があって、まだそれを解消できていないからそこにいると思うんですよ。ストリートをやっていない人とは本音で関われないとか、関わる自信がないとか、そういうことがあって、そういうことを言ってしまっていると思うんですけど。

あらゆる人がそうだと思うんですよ。どっかで体験したトラウマとかがあって。

自分は社会起業家という立場にいるんですけどね、社会を変えていこうということで、一見、ポジティブなんですけど、結構、攻撃的なNPOとかもいっぱいあるんです。あれは、よくないものを変えるということをやっていることで、自分が安定したいということだという人もいるんですよ。教育も心の底から子供たちを応援するというのでやっている人もいれば、教育という教える側と教わる側の上下関係によって自分を安定させたいという部分もあると思うんです。そういう自分の持っている負の部分を安定させるために動いてしまうというのは、誰もが持っていると思うんですけど、その連鎖だと思うんですよ。

自分の子どものころに夢をかなえたかったけど親に反対されて挫折せざるを得なかった人が、大人になると、夢なんて持っても意味がないと思うので、部下が何か提案したときに否定的に行ってしまうとか、若者が夢を語ったときに「現実社会はそんな甘いもんじゃない」と言ってしまったりとか、いろんな負の連鎖が世の中に起こっていると思うんですけど、対話っていうのは、そういう負の連鎖を少しずつ剥いでいってくれる気がするんですよね。

一番最初に言ったような信頼関係で安全、安心の場ができたときには、自分の弱さとか悩みとかも言えるようになってくるんですね。そういうのを言っていくうちに、解放されていくと思います。

成長過程で背負ってきたいろんなトラウマとか挫折経験とかによって、純粋に人の役に立つとか、自分を生かすとか、人を信じてつながることの喜びとか、自分自身を生かすことの喜びとか、本来持っているものを発揮するのを邪魔していたものを取り除いていくのが対話の効果だと思っています。

じわじわと変化していくんですね。

漢方薬的ですよね。対話を経験していくとだんだん免疫力が上がるような感じです。対話の場を踏んでいけばいくほど、人のつながりに対する信頼感とか自分への信頼感が高まっていくというような効果があるかなと感じています。

ファシリテーションの中には構成的なプログラムをバシバシ!とやったり、ファシリテーターが引き出して!みたいな場創りをする人も結構いますけども、それは、わりと西洋医学的な感じですね。短期的にバーンと変えるという感じです。

それに対して、非構成的な場を信じて待とうというのは、わりと漢方薬的で、究極変わるのはあなたたちですよという感じです。

たまには緊急治療も必要なので、構成的な仕切り方では「何とか変えてみせましょう」というのも悪くなくて、それこそ西洋医学をやることも必要なこともあるのでいいんですけど、一人一人の主体性や気づく力を育むのは、非構成的な場だと思っているので、できれば信じて待つファシリテーションをやりたいというのはあります。

嘉村さんのお話をうかがって、対話が、社会や個人の心の中の様々な歪みを、少しずつ直していく力を持っていることがよく分かりました。それは、自分が体験していることとも一致することなので、とても説得力を持って心に響きました。

ファシリテーションの重要性にいち早く気づき、先頭を切って様々な試行錯誤を積んできた嘉村さんのお話から、学ぶことがたくさんありました。

嘉村さんが代表理事を務める「場とつながりラボ home’s vi」はこちらです。

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