E-Learning教材に教師の「顔」は必要か

E-Learningのための教材を作る場合、3つの場合があると思う。

1)動画講義

2)ScreenCast(PCの画面を録画したもの)

3)Webプログラム

Webプログラムは、開発に時間と労力がかかりすぎるので、とりあえず、ここでは、考察の対象外とし、動画講義とScreenCastを比較したいと思う。

動画講義形式は、東進衛星予備校や、河合塾マナビスなど大手予備校が採用している形式である。

最初は、予備校の教室での授業をそのまま録画していたが、最近は、生徒のいないスタジオで撮影する場合が多い。

私も河合塾マナビスの講座を担当したことがあるが、3つのカメラが3面の黒板の前に固定されており、それらを切り替えながら撮影していた。動画の撮影技術と編集技術を持った人が必要で、機材の運搬や、スタジオ(教室)の確保などコストはかかるが、教師側としては、普段やっているのとほとんど同じことをやればよいので教材作成にかかる負担は少ない。

一方、ScreenCast形式は、PCにペンタブレットとマイクセットをつないで、机に座って教材を作成することが可能である。Kahn Academyの講義も、この形式で作られている。

私は、物理ネット予備校の全講義をThinkBoardというソフトを使って製作しているが、そのほとんどは、自宅の机に座って作成したものである。講座作成に要するコストと労力はかなり低くなる。

自分の姿が生徒に見えないので、ジェスチャーを使った説明などができなくなるのは少し不便で、普段の授業とまったく同じようにするというわけにはいかないが、背景に問題や図を表示させて、そこに書き込んでいくということができる点は、黒板よりも便利である。これは、問題の解説などのときには、非常に便利だ。

ここまでは、教師側の立場から述べてきたが、講義を使って勉強する生徒側の立場では、どちらがよいのだろうか。

「反転授業の研究」という勉強会では、教師の顔があったほうが、教師に親しみが沸くという意見があった。

誰しも経験があると思うが、先生が嫌いになったり、先生に反感を持ったりすると、その先生が教えている教科を勉強する気がなくなってしまったりすることがある。先生に対してよい印象を持つ、さらには、信頼関係を構築するということは、学習効果を上げる上で重要な要素であろう。

また、ScreenCast形式で講義DVDを作っていたら、「眠くなる」という読者からの意見があったため、講師の顔の動画を丸くくり貫いて表示させるようにしたアルス工房の参考書の例も興味深かった。

乗用車のフロントを顔に似せていることからも分かるように、人間は「顔」を、無意識的に重要なものと見なす傾向がある。顔は注意を引き付ける効果を持つのだ。

では、顔を講義に出していない講座は、生徒の注意を引き付けられないのだろうか。

また、生徒からの共感や好意を受け取ることができず、信頼関係を結ぶことができないのだろうか。

私は、それは、別のもので総合的に補うことができると考えている。

教師のキャラ、価値観などが、情報として十分に示されていて、あらかじめ教師に共感と好意を持っている場合は、講義に顔があるかどうかは問題ではなくなるであろう。

むしろ、その場合は、画面が見やすい、集中しやすい、倍速再生が使えるなど、ScreenCastのメリットが出てくるのではないだろうか。

教育において、生徒と教師との間に好意的な関係性が結ばれることが、教育効果によい影響を与えるのは、おそらく間違いない。

だから、好意的な関係性、信頼関係が結ばれることが重要で、顔は、そのために役立つひとつの要素であるが、不可欠なものではないということではないだろうか。

十分な「共感空間」が構築されている場合は、あえて講義の中に「顔」を持ち込む必要はないが、限定された接触機会の中で共感や好意を得るためには講義中に「顔」を出すことは有効な手段であろう。

(田原真人)

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