大学の大講義において、教員は無力なのか?

田原真人です。こんにちは。

2月17日の反転授業オンライン勉強会でお話しして下さる京都精華大学の筒井洋一さんが、Facebookグループ「反転授業の研究」に連続投稿して、授業についての問題提起をしています。
 
とても根本的な問いかけなので、広くシェアして、皆さんと一緒に考えたいです。

【2月勉強会に向けて講師からみなさんへ1.】

2月勉強会の講師を務めさせて頂く京都精華大学の筒井 洋一です。
よろしくお願いいたします。

2月17日本番に向けて、自己紹介も兼ねながら、勉強会に関わる話題をアップさせて頂きます。

本日は、「大学の大講義において、教員は無力なのか?」です。

大学の授業の種類は、大学設置基準によって、「講義」、「実習」、「演習」、「実験」などに分けられますが、授業時間および予習復習時間の規定以外の明確な規定はありません。「なんとなく講義」、「なんとなく実習」などの区分けで実施されています。

その中でも、開講数の多さを考えると、「講義」が大学の授業の代表です。1970,80年代の大学の授業と言えば、何百人もの学生を階段教室に詰め込んで、教員がマイクで黒板相手に授業していました。今日ではさすがにぎゅうぎゅう詰めの授業はかなり減りましたし、教員が話しっぱなしではなく、コメントカードなどなんらかの学生の反応を求める姿勢が出てきています。

しかし、依然として変わらない光景があります。講義室前列には熱心にノートを取ったり、教員の話を聞いている学生がいる一方で、後列では居眠りをしたり、携帯電話を見ていたり、私語をしていたり、講義室を抜け出す学生もいます。たまに教員が大声で叱責すると一瞬は教員の方へ顔を向けますが、しばらくすると元の木阿弥。結局、教員は、あきらめてそのまま授業を続け、学生も元のままになります。

これは、学習意欲を持たない学生も、それを抑えることができない教員も悪いのですが、実は、この現状の方が教員・学生双方にとって当たり障りのない皮肉な現状となっています。

私は、これはまずいと思います。かといって、出席を厳しくしたり、学生を叱責したりという教員の強制力を使うのではなく、他の方法がないのかと試行錯誤してきました。

ここ二、三年でようやくわかってきたのは、学生自身が学びたいという気持ちに気づけば変わっていくということです。

どうすればいいのか?

方法はいくつかありますが、教員側の授業観や学生観を変えると、授業は変わります。いくつか例示します。

1.教員一人で大講義の学生全員をホールドすることは無理だ、という認識を持つことです。
2.大講義の中では、学生一人一人を孤立させないことです。
3.教員は、他人の力を借りることを好機と考えることです。

具体的な中身については勉強会でお話しするとしても、私が過去三年間実践した経験にもとづいてお話しします。

私の経験は大学の大講義にもとづいた話ですが、小講義でも、あるいは学校や塾の授業でも応用可能です。みなさんにとって何かビビッと来るように準備します。

それでは、2月17日(火)午後9時半にお目にかかりましょう。
以下から申し込んで頂けるとありがたいです。

教員一人ですべてを管理するのは無理だということを認めると、どんな可能性が生まれるのか?
 
他人の力を借りるという可能性が生まれるんですね。
 
しかも、他人と上下関係を築くのではなく、オープンでフラットな関係にすることで、学生も巻き込んだ主体的な学びの可能性が生まれます。
 
僕は、それを、京都精華大学まで行って見てきました。
 
皆さんも、僕が感じた衝撃を、ぜひ、体験してみてください。
 
勉強会の詳しい内容&申し込みはこちら

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ