ドラマが起これば未来がやってくる
「反転授業の研究」の田原真人です。
不確定な時代を生きていく上で、僕が心のよりどころにしている言葉があります。
それが、
ドラマが起これば未来がやってくる
という言葉です。
自分が思い描いている結果を手に入れようとして、そこに固執していると、思うようにならない現実をすべて敵に回すことになり、心身共に消耗していきます。
でも、力尽きたその果てに、自分の思惑を超えた大きな流れに身を任せることができると、自分が思いもよらなかった未来がやってきて、後から振り返ってみると、すべてが必要なプロセスだったと感じられるような結果が得られたりするのです。
そのような経験を繰り返すうちに、
結果を求めてもしょうがない。大きな渦が生まれ、自分を手放してそこに巻き込まれていくことでドラマが展開すれば、未来へたどり着くことができるのだから、ドラマを起こすことに意識を集中していこう。
そんな風に考えるようになりました。
クラウドファンディングを通して気づいたドラマの持つ力
2年ほど前からクラウドファンディングに関わるようになりました。
僕の場合、関わると言っても、自分が資金集めの主体になったことはなく、勝手におせっかい応援団を作っていくという関わり方です。
自分の問題意識と強くシンクロする人がときどきいて、その人がアウトプットしていることを読んでいくうちに、この活動にコミットしていきたいというスイッチが入るんですね。
自分で自分のことを「応援してくださーい」と言うのは、なかなか難しいです。
でも、利害関係のない人が、「あの人を応援しようよ!」と言っていくのはやりやすいです。
だから、応援者の存在が、クラウドファンディング達成のカギを握ることが多いです。
それで、主体になっている人には、「僕達の聞きたいのは、あなたの想いだから、とにかく想いを連載の形でアウトプットしていってください」とお願いします。
そして、そのアウトプットに自分の想いをシンクロさせながらSNSなどで拡散していきます。
そうすると、その想いが祈りのように広がっていって、そこに共振、共鳴した人たちが続々と集まってくるんですね。
そして、だんだんとシンクロが強まっていってうねりが大きくなっていきます。
でも、そうはいってもクラウドファンディングの締め切りは近づいてきて、達成は厳しい状況になってきたりすることもあります。
心の中に様々な想いが行き来し、そこに関わってきた人の心も大きく揺れ動き、そこからさまざまなアクションが生まれてきます。
クラウドファンディングの締め切りに向かってドラマが展開していくんですね。
その中で、ふっと気づくわけです。
本当に大切なことは、クラウドファンディングを達成してお金を得ることではなく、主体者の想いに人が集まってきていて、様々なアクションを自分から起こしてくれているドラマそのものなのだということに。
そして、ドラマが大きく展開すると、クラウドファンディングを達成したかどうかに関わらず、必ず未来がやってきます。
そこに関わったすべての人が、それぞれに大きな学びを収穫し、マインドセットが変わり、世界に対する信頼感を強めます。
そして、毎回、つぶやくんです。
やっぱり、ドラマが起これば、未来がやってくる。
大学の教室でドラマを起こしていく
ドラマには、様々な要素があります。
先の見えないカオスの中で、困難にくじけそうになり、仲間と助け合い、自分のこだわりや怖れを手放すと、予想もしなかった展開が生まれ、未来がやってくる・・・・。
これこそ、まさに学ぶということなんじゃないかなって思います。
それを、大学の教室でやってしまっているのが、京都精華大学の筒井洋一さんの「グループワーク概論」
筒井さんが始めた劇場型授業は、まさに授業の中でドラマが展開することを意図しているものだと思います。
この授業にずっと関わっている大木誠一さんのコメントを引用します。
劇場型授業が教室に創りだした場は、日常生活のインフォーマルな学びと学校に代表されるフォーマルでアカデミックな学びを接続するための機能を持っています。「学び」というと、学校を想像されるでしょうが、人の学びの大部分は、普段の生活にあるインフォーマルな学びです。これが、「人は生まれた時からアクティブな学び手である」といわれる所以です。人は、誕生した時から周りに人達とつながることで、いろいろなことを学んできています。しかし、いま、多くの学生や生徒は、日常生活のインフォーマルな学びと学校のフォーマルな学びを接続することに成功していません。
「オープンでフラットな場」とは、大学の境界を越えて教室に参加したすべての人が構成するインフォーマルな「カオス(混沌)」です。そして、この「カオス」は、すべての参加者の日常(インフォーマルとフォーマルの両方)と、教師と学生で構成される教室というフォーマルな場の中間に位置している新たに創りだされた場です。
この場では、最初、参加者同士の関係性が生まれていないために、参加者の役割が不明確で、手探りの状態です。この場の参加者は、主体的かつ能動的に他の参加者と関係性を作りだし、この場での役割を自ら見つけ出す必要があります。
振り返りの時、初めての見学者は、「どのように振る舞えばよいかよくわからなかった」とよく言われます。これは、すべての参加者が感じている疑問です。CTは、当日の進行を任されているためにより強くこの疑問を感じているはずです。
授業が始まって間もなく、CTと学生の間に「想い」の食い違いが必ず生まれ、教室に対立や矛盾が生まれてきます。これを上手く解消し、見学者を巻き込みながら学生と一体となって教室に新しい「学びの場」を創りだすことが、CTと学生に求められていることです。CTが、先行してこの活動に取り組むなかに学生が巻き込まれ、なかにはCTと同じ役割を果たす学生が出てきます。
劇場型授業では、CTの成長が目に見えて著しいものになっています。しかし、これに巻き込まれた多くの学生にも、明からな変化や成長が見られます。そして、その変化は、学校外の活動への積極的な参加へと結びつく場合もあります。
上手くデザインされ、細部にわたって構造化された授業デザインでは、この動的な変化は起こりません。「安心で安全な場づくり」と「失敗できる環境づくり」は、この授業のプロセスから生まれる途中経過とその結果を示していると考えています。この授業のスタートは、不安で不確実な混乱した状態で、何が起こるかわからない状況です。この社会の現状と近似した「カオス」こそが、この授業の本質です。
すべての参加者の出発点である「カオス」のなかで生まれる対立と矛盾から、「安心で安全な場」と「失敗できる環境」が生み出され、最終的に「学びのコミュニティ」を形成されていくことがこの授業の狙いです。
インフォーマルな学びと学校のフォーマルな学びを接続する場は、参加者自らが主体的かつ能動的に関係性をつくりあげなければ崩壊する大変もろい地盤です。しかし、この試練をとおして、学生は自らのインフォーマルな学びと学校のフォーマルな学びを接続することができるのではないでしょうか?そして、この参加者すべての試練の軌跡を、全体として眺めると、それはこの場の創りだす「創発」現象と視ることができると考えています。これこそ、「21世紀型スキル」のようなジェネリックスキルを育成する場のアプローチとして重要視されているものではないでしょうか。
クラウドファンディングを経験した僕たちは、共にカオスの海を乗り越える冒険をしたことで、冒険の後に信頼で結ばれたコミュニティが誕生するという経験を何度もしました。そして、それこそが価値があることなのだと気づきました。
大木さんが、最終的に「学びのコミュニティ」が生まれていくことを授業の狙いとしているというところに、僕たちの経験との強い類似点を感じました。
外から現れる見学者の存在も、場へ不確定性を加える役割を果たしていると思います。
その不確定性は、固定した着地点を目指す場合にはマイナスになるかもしれませんが、ドラマが、よりドラマチックに展開することを意図するのであればプラスになります。
「ドラマが起これば、未来がやってくる」のです。
新たなドラマの始まり
僕は、今、『CT(授業協力者)と共に創る劇場型授業』のレビューを連載という形で書いています。
その理由は、何かというと、「あ、新たなドラマが始まった」と感じたからです。
学びを未来型に変えていくために、京都精華大学で生まれた劇場型授業を外へ出していこう、そのために、本を執筆しようということで動き出したプロジェクトは、出版を引き受けてくれる出版社が見つからないという困難にぶつかりました。
そこで、筒井さんが自己資金を投入してリスクを背負い、教員、CT、見学者が協力して共同執筆することでこの本が生まれました。
この本が4000~5000部程度売れないと、筒井さんは赤字なのではないかと思います。
ドラマが展開する舞台は、すっかり整いました。
僕は、このドラマに加わりたい。
これから待ち受けている困難を共に乗り越えることで、ドラマを展開させていき、筒井さんたちと学びのコミュニティを形成したいのです。
まだまだドラマは始まったばかり。
これから生まれるであろう渦に巻き込まれたい人は、ぜひ、コミットしてきてくださいね。
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